叛逆の刻印〜刻まれし天命〜   作:炎駒枸

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叛逆の刻印④

 

「うん。じゃあ明日楽しみにしてるね」

『…………』

「うん。うん。じゃあね」

 

 スマホの通話が切れると画面にはルイとのトーク画面が映る。

 明日、あやめの家でお泊まりをする約束。

 ルイが腕に縒りをかけて、渾身の料理を振る舞ってくれるそうだ。

 スマホを充電器に繋げるとキッチンの様子を確認する。

 微かな汚れが目についたのでキッチンペーパーを湿らせて拭き取る。

 

 キッチンは完璧。

 

 リビングを見渡す。

 見違えるほどの広さだ。

 端の方に布団は2つ用意してある。

 

 まだ昼だが、明日が待ち遠しい。

 

 

 あやめは胸を躍らせてその日を終える。

 

 

 ――――

 

 

 そして翌日。

 お泊まり会当日。

 

 朝日がカーテンの隙間から差し込み、あやめは目を覚ました。

 半袖だと少し肌寒い。

 

 布団を捲って大きなあくびと伸びひとつ。

 目頭に温かい涙が浮かぶ。

 鼻先が冷たい。

 

 裸足で洗面台に向かい鏡と対面すると、うきうきと逸る気持ちを抑え切れない自分がいた。

 水道を捻ると勢いよく水が出て五月蠅かったので急いで弱めた後、そっと水を掬い顔を洗う。

 指先にツノが触れた。

 

 冷水で完全に覚醒したあやめはパジャマのまま靴下を履き、トースターで食パン1枚をトーストする。

 出来上がったトーストにいちごジャムを塗ってさくさくと齧り朝食終了。

 

 もう一度最後の掃除に取り掛かる。

 そしてルイとのお泊まり会の準備を進める。

 

 ぴりりりりっ、ぴりりりりっ、ぴりりりりっ……

 

「ん――」

 

 スマホの画面が光って「ルイちゃん」と名前がでかでかと表記されている。

 通話応答のボタンをタップし直ぐにスピーカーに切り替えた。

 

「ルイちゃん。おはよ」

『……ん。おはよ』

 

 寝起きの様な声にあやめは苦笑した。

 椅子に腰を掛けてルイの声に耳を澄ませる。

 

「今日何時に来る? 私はいつでも大丈夫だよ」

『…………』

 

 返答が無かった。

 寝惚けて耳に届いていないのかと思いあやめは言葉を繰り返――

 

『ごめん……急なんだけど、今日行けなくなっちゃって……』

「え……?」

『ごめんその……外せない用事が入って……』

「そ、か……何時ぐらいに用事終わる? 夜遅くでも全然構わないけど――」

『ごめん、今日は難しくて……』

 

 料理は諦めてお泊まりだけでもと提案するがルイは食い気味にあやめの言葉を遮った。

 悄然とした声がスマホを跨ぐ。

 

「分かった。じゃあまたリスケして、別日にお泊まりしよ」

『……うん』

「じゃあ……頑張って。あと、体調気をつけてね」

『ありがと……』

「うん」

 

 あやめは今日のお泊まりを心待ちにしていた。

 だから急用が出来てしまったルイの気持ちは痛いほど分かる。

 

 あやめは通話終了ボタンに指を伸ばした。

 

『あやめちゃん!』

「うん?」

『……ホントにゴメン』

「気にしないで。じゃあまた」

『……ありがとう』

 

 てろんっ、と軽快な音を鳴らせて通話が切れロック画面が映る。

 途端に静寂に支配され喪失感が押し寄せる。

 

「……大丈夫かな、ルイちゃん」

 

 ルイには滅多に見受けられない態度が通話後も気掛かりだ。

 だが仕事関連なら自分に何が出来ると言うわけでもない。

 ルイの仕事が落ち着いて、また連絡が来るまであやめは待つ事にした。

 早ければ明日の朝にでも連絡は来る。

 だから焦らず、今はルイの予定が決まるまで待つ。

 

 暇を持て余したあやめは夕飯の献立を悩みながら1日を過ごした。

 

 

――――――――――

 

 

 あっという間に1週間が経過した。

 あれから一度もルイと連絡を取っていない。

 いや――ラインは送ったが既読無視されている。

 3日前の連絡に未だ返信は無く、その異様さが通話ボタンへの最後のワンタップを何度も躊躇させる。

 

「ルイちゃん…………どうして……」

 

 詳しい理由も伝えずお泊まりを延期、そのまま音信不通。

 ルイには決してあり得ない行動だ。

 何かあった事は明白。

 でも未だにあやめを頼らない現状があやめに最後の一歩を踏み込ませてくれない。

 

 どうせ電話をかけたって、重ねてラインを送ったって応答はないだろう。

 小さな既読の文字を見つめてあやめはスマホを強く握った。

 

「…………」

 

 でも心配は心配。

 なら――一か八か少し大胆に直接家に出向いてみるか。

 

「――よし」

 

 あやめは握ったスマホを右ポケット、サイフを左ポケットに押し込むと最後に家の鍵をがさつに掴んで外へ出た。

 家に鍵をかけると寄り道もせず最短距離でルイの家へ。

 

 生まれつき高いスピードとスタミナを持ってして所要時間は30分。

 夏も近づき昼はすっかり暖かい気温。

 快適な太陽の下をあやめは只管に走った。

 

 ルイの家に到着したのは14時頃。

 一人暮らしには贅沢すぎる一軒家がどどんとあやめの前に佇んでいる。

 鷹嶺と言う麗しさを感じる苗字が刻まれた表札を目視する。

 あやめはインターホンを押す前にちらと庭などの状態を確認した。

 以前見た時より雑草が伸びており、風で飛んできたであろうゴミが珍しく幾つか転がっている。

 視界に入る窓も一通り観察したが全てカーテンで室内が隠されている。

 

 一目見た感想で言えば、1週間以上の不在と思える。

 だがそれはあやめの連絡に応答しない理由にはならない。

 ここまで来て引き返す選択も当然無い。

 

 あやめは意を決して深くインターホンのボタンを押した。

 

 ぴーん、ぽーん…………。

 

「…………」

 

 ひゅーっと熱った身体を冷やす風が吹く。

 逸る気持ちを抑える為に何度も足を震わせる。

 

「…………」

 

 応答が無い。が挫けるにはまだ早い。

 

 ぴんぽーん……。

 

「…………」

 

 緊張が増して足の震えが全身に伝染した。

 

「ルイちゃーん! あやめだよ! いないのー⁉︎」

 

 屋根を見上げて声を張る。

 

「ルイちゃーん! 出てきてよー、お願い!」

 

 家に向かって直接叫ぶが目に見えた変化は無い……。

 ルイの身を案じる心とあやめがルイを傷つけてしまったのかと言う不安が沸々と湧き上がって怖くなる。

 運動後に熱った身体がもう冷えて来た。

 

『……あやめちゃん?』

「――⁉︎ ルイちゃん⁉︎」

 

 風の音に紛れてインターホンのマイクから掠れた声が弱々しく響いて来た。

 ツノが壁に当たる程に顔をカメラへと寄せた。

 

『…………』

「ルイちゃんが心配できたんだけど……今時間ある?」

『あ、ありがと……うん、でも今体調崩してて、感染しちゃうとまずいから……ごめん、その……』

 

 過去に見たダウナーなルイ以上に声が沈んでいた。

 ただの風邪にしては音沙汰も無さすぎだ。

 只事ではない事くらい、あやめでなくても分かる。

 

「風邪が感染るかどうかなんて気にしない。ずっとラインも返さなかったし心配なの。顔を見るまでは帰らない!」

『……でも……』

「出て来るまで待つからね」

『…………分かったよ……』

 

 根性で食い下がるあやめにルイが屈し、観念した。

 弱々しく呟いてマイクを切る。

 10数秒玄関前で待つとやがてがちゃっ、がちゃっ、こん、とカギとロックが外される音がした。

 3秒待ったが扉が開かないのであやめは自ら扉を引いて中に入る……。

 

「ルイちゃん……?」

「…………」

 

 開けた扉の先には見るからにぐったりとしたルイが立っていた。

 気不味そうに視線を落として力無く腕を握っている。

 

「大丈夫……?」

「ドア、閉めて……」

「えっ、ああごめん」

 

 あやめは急いで扉を閉めて鍵を2つ閉めた。

 

「……えっと……ごめんね、あやめちゃん」

「んーんいいの。それよりほんとに大丈夫?」

「うーん……まあ、そこそこ」

「そっか……」

 

 あやめが靴を脱いで上がり込むがルイが一向に動かない。

 あやめは不思議そうに首を傾げた。

 

「ルイちゃん……?」

「……ん?」

「ここで立ち話はアレでしょ?」

「いや……ちょっと……部屋が今汚くて人入れられる状況じゃないから……」

「風邪なら仕方ないよ。気にしないから」

「――! あ、待って――」

 

 頑なに動かないルイを置いて居間へと勝手に向かう。

 あやめを引き止めるも聞かず、あやめが居間への扉を開いた――

 

「――⁉︎」

 

 目前に現れた室内。

 普段の綺麗な装飾からは一変――いくつものゴミが散乱し、満杯になったゴミ袋も端の方に積まれている。

 空のペットボトルがキッチンに幾つも立ち並んでいる。

 ルイの家では一度も目にした事のない別ベクトルで恐ろしい光景。

 あやめは唖然とした。

 

「…………」

 

 遅れてルイがあやめの背後に立つと、漸くあやめが振り返ってルイの目を見た。

 

「全然大丈夫じゃないじゃんもう……。こんなに大変なら連絡よこしてよ……」

「…………ごめん」

「謝らなくてもいいけど…………」

 

 ごめんばかりのルイにあやめは口を尖らせた。

 室内を概観するとあやめは真っ先に4つのゴミ袋を回収に向かう。

 それらを一旦玄関まで運ぶと居間に戻り、ルイをソファに座らせる。

 

「それで? どうして嘘ついたの」

「…………」

「白状してよ。こんなになるまで1人で……なんで頼ってくれなかったの」

「…………」

「ルイちゃん!」

「……」

 

 あやめの詰問にも沈黙を貫く。

 しかし柄にも無く気色ばむあやめに徐々に罪悪感を覚えはじめ、遂に根負けした。

 

「誰にも、言わない……よね」

「うん」

 

 視線も声も身体も震えている。

 体調不良の寒気ではなく、純粋な恐怖。

 あやめは安心させるべく間髪容れずに首肯した。

 それでもルイはまだ怯えている。

 あやめの紅く純粋な目を見上げて……。

 

「お願いだから……見捨てないで……」

「――? 何言ってるの。絶対誰にも言わないし、見捨てるなんてあり得ないから」

 

 煮え切らないルイの杞憂など歯牙にもかけず一蹴する。

 変わらないあやめの眼力に多少の安心感が芽生えたルイは服のボタンを2つ、恐る恐ると外した。

 震える手で徐に左肩にかかる服をずらして、肩を露出させる。

 あやめは怪訝そうに眉を寄せた。

 

「あやめちゃんに電話したあの日……これが……!」

「――――‼︎」

 

 露わになるルイの左肩。

 肌や鎖骨、その周辺の美しさ以上に目を惹く黒い刻印が。

 塔……いや、祭壇のような文様が刻まれている。

 

「これって……呪い?」

 

 力強く目を瞑ってあやめから顔を逸らし、重々しく頷いた。

 あやめは険しい表情で刻印を睨む。

 幾度か噂程度に耳にした呪いの刻印。実物は初めて見た。

 肩にそっと触れるとルイが温度差に驚き、その後肌の接触に怯える。

 

「見つかるのが怖かったんだね……」

「…………」

「安心して。誰にも言わないよ」

「…………」

 

 小刻みに震えるルイの肩を柔らかく掴んで宥めるが、ルイはあやめを直視できなかった。

 だがあやめにとってこれは既視感のある……とまでは言えないが、中々身につまされる話。

 

「私だって生まれつき刻印みたいなのがあるって、ルイちゃんも知ってるでしょ?」

「…………うん」

「境遇は分かってあげてるつもりだよ。私のは呪いじゃないから、そこんとこの気持ちの持ち様は違うだろうけど」

「……うん」

「もう少し信頼してよ。長い付き合いなんだから」

「……ごめん」

 

 鷹の獣人とは思えないほど弱々しい目付きだったが、漸くルイの視線があやめの視線と絡んだ。

 あやめはやや不服そうに口先を曲げるも、直ぐに明るい顔を作る。

 

「幸い刻印は見つかり難い場所だし、上手く服着れば出歩けるよ」

「…………」

「付き添ってあげるから、ゴミ捨てとか買い物とか行こう?」

「…………んん」

「――――?」

 

 あやめの前向きな言葉にも首を横に振って絶望感を醸し出す。

 また顔が俯いてしまう。

 

「怖い?」

「……ちがう」

「何か他に――?」

「わたし……いえ、でれない」

「どうして? 出れない理由を教えて」

「のろいの……せい」

「呪いは隠せば――」

「ちがう――っ!」

 

 親身に寄り添って言葉を掛けていたが、やがてルイの感情が爆発した。

 涙と唾を散らしてあやめに脆く泣き叫ぶ。

 あやめの眉間に皺が寄る。

 色の燻んだ青の瞳が、紅の明かりを灯した瞳を見つめる。

 

「でたいのにいえをでられない――‼︎」

「――??」

 

 ルイが大粒の涙を流す姿を目の当たりにし、言葉の真意やルイの胸中は大方察した。

 だが理解に苦しむ。

 あやめは難色を示しつつもルイの宥め方を思案する。

 

「詳しく教えて」

「家を出ようとしても゛……結界がある゛みだいに゛っ……弾かれる゛」

「――呪いのせい……なの?」

「わがらない――! けどっ――私はもう、この鳥籠から出られな゛い」

 

 一生をこの家と言う鳥籠の中で過ごす。

 それが何よりも怖い。

 ルイは身を抱いて凍える様に震えた。

 

「だからこの有様なのか……」

 

 ゴミが散らかっていた理由も漸く腑に落ち、あやめは室内を見渡した。

 ゴミ袋の在庫が切れてゴミを纏められなくなったのだろう。

 あやめは台所へ赴き勝手に冷蔵庫を開けた。

 

「……」

 

 食材がこれっぽっちも無い。

 今度は米の在庫を確認する。

 残り2、3日分程しか無い。

 食材の買い出しも出来ず、出前等も頼めない。

 室内環境が悪化する上に食事不足で精神はみるみるすり減る悪循環。

 訪問が数日遅れていたと想像するだけで身の毛がよだつ。

 

「分かった。今日から定期的に泊まりに来る」

「……ぇ」

「代わりに買い物も行くし、洗濯も干すし、ゴミ捨てだってする」

「……でも」

「毎日は無理だけどご飯食べに来るから料理のレパートリー増やしといてよ」

「…………っ」

「2日に1回お泊まりだね」

「ん゛っ…………うん゛っ…………!」

 

 ルイが子供の様に泣きじゃくる。

 10年以上の長い付き合いだが、初めて見る姿だ。

 呪いの詳細は掴めないが、一先ずルイの一命は取り留めた、と言っても過言では無いだろう。

 

「取り敢えずゴミ捨てて買い出しに行ってくる。今日の夜は……流石に私が作ろうか?」

「ん゛っ…………ん゛ん゛っ……」

「じゃあ今日の夜と明日の朝昼の分だけ買って来る」

 

 あやめは書斎へ向かいペンとメモ用紙を手に取ると居間へ戻った。

 

「大したもの作れないから今日はカレーにするよ。それからお米と飲み物は必要だね。ゴミ袋もいるし、ティッシュやペーパーは足りてる? 洗剤、シャンプー、石鹸……他にも日用品で無いものとかは?」

 

 台所やお手洗い、洗面所、風呂場を漁って不足している備品を探る。

 居間に散乱するゴミの中に非常食や缶詰の残骸を発見し、それらもメモ用紙に記した。

 ルイの気晴らしにもなる様、質問を執拗に繰り返す。

 赤く目を腫らしながらもルイは答えた。

 

「ティッシュとペーパーがもう殆ど無い……」

「分かった」

「あと、その……」

「何か欲しいの?」

「……一応、睡眠薬……ほしい」

「睡眠薬ね。なんて名前?」

「えっと…………これ」

 

 赤く腫れた目の下にほんのり残る隈を一瞥してあやめは承諾した。

 ルイにスマホを見せてもらい薬の名前まで確認。

 それをあやめのスマホでも検索して履歴を残し、更にメモ用紙にも記す。

 

「じゃあ今日はこんなもんでいいかな」

「うん…………ほんとにごめんね」

「いいよ。じゃあ行ってくるから……あ〜……掃除するとかして待ってて。じっとしておくのは退屈でしょ?」

「うん…………帰るまでに、片付ける」

 

 ルイは重たい腰を上げてあやめを玄関まで見送る。

 あやめがメモ用紙をポケットに入れて両手にゴミ袋を掴むと扉を肩で押し開けた。

 太陽の光が差し込む。

 

「そうだ、片付けたらカーテン開けときなよ。日光は1日のサイクルに欠かせないんだから」

「ん゛…………いって、らっしゃい」

「うん」

 

 あやめの足音とゴミ袋の擦れる音が遠ざかるとルイは全ての鍵を閉め、ゆっくりと掃除に取り掛かったのだった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 ゴミステーションにゴミ袋を放り込んだ後、自慢の快速で大型ショッピングセンターへ一走りしたあやめはメモ用紙に記した物と、今夜の食材を購入して帰路に着いた。

 日が赤焼け始めている。

 これはきっと、帰ったら直ぐに料理を始める必要がある。

 

「はぁ……お米は2キロ辺りに留めとくべきだったかな……」

 

 買い足した商品達を落とさない様に抱えてあやめはぼやく。

 右肩にがっしりと抱えた精米は5キロ入りの大袋。

 更に右腕に野菜などを詰めたレジ袋をぶら下げ、左手にはティッシュとペーパーを掴み、小物はポケットなどに突っ込んだ。

 脚力と持久力こそ桁外れの能力を誇るあやめだが、腕力などその他のパワーは人並みより少し高い程度。

 流石にこの大荷物を抱えて疾走は出来ない。

 どの道後日買い直しになるのなら、今焦って多めに買う必要も無かった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 日差しに照らされ熱気が籠る。

 

(暑いな……朝方は寒いのに……)

 

 気候の機嫌に悪態を付き一度立ち止まる。

 人の邪魔にならない位置に移動して荷物を持ち直した。

 右と左の持ち物を入れ替えて負担の掛け方を変えるとまた歩き出す。

 

 それからしばらく歩いて……周囲の響めきに気付く。

 正面を向いて歩けば普通の街並みだが、振り返ると視線が全てあやめに集中している。

 原因が分からず小首を傾げて歩みを再開したとき、大衆の誰かの声があやめの耳に届いた。

 

「呪いだ……」

 

 と侮蔑的な声音で小さく。

 

(――⁉︎)

 

 あやめははっとして荷物を地面に置き背中に触れた。

 服が不自然にずれて伸びており、刻印のある部分が完全に露出している。

 

(――‼︎ 気ぃ抜いてた‼︎)

 

 途端に背筋が凍り身の危険を感じた。

 ルイの事で頭がいっぱいで保身の心を欠いてしまっていた。

 あやめは一瞬戸惑うが、大きな荷物は諦めて駆け出す――

 

 ぱぁん!

 

 と踏み出したあやめの背後から1発の銃声が……。

 

「っ…………は……?」

 

 腹部に衝撃を浴びた感覚――。

 遅延して押し寄せる痛みを理解しながら右手を腹に当てると、ぐちょっと生温かい感触があった。

 手に付着した鮮血を目視して全てを理解した。

 あやめは撃たれたらしい。

 

 瞬く間に全身が脱力感と倦怠感に包まれ、痛覚が悲鳴を上げ始める。

 苦痛のあまり受け身もなく地に倒れ蹲った。

 

「ゔ…………ぅ……」

 

 朦朧とする視界の中で銃を構える1人の警官を見つけた。

 

 あやめの刻印を見た者が警察に通報して駆け付けたのだろう。

 そして警官が目視で確認した為現場判断で撃ったのだろう。と、この様に冷静に分析しながら意識を手放していく。

 意識が途絶する間際、あやめは何者かに触れられた様に錯覚した…………。

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 暑い……。

 暑い……。

 そうだ。もう夏が近い。

 気温が高いのだろう。

 

 いや……それにしても暑い……。

 暑すぎる……。

 一体……今日の最高気温は何度なのか……。

 

「っぶ……ごっ、ほ…………ぁづい……」

 

 余りの寝苦しさに目覚めると視界が真っ赤だった。

 息を吸うと呼吸器が焼ける。

 瞬きすると目が焼ける。

 ごうごうと唸る音が耳元で延々と響く。

 何もしなくても全身が焼けている。

 身体が溶けて身が削れていく。

 酸素が足りない。汗が足りない。皮が足りない。肉が足りない。

 

 四肢が縛られ磔にされている。

 十字架にかけられて燃やされている。

 

「ぁっ――ふ……ぇ…………っ゛あ……」

 

 腹の傷口は血が焼けて固まり塞がっていたが、銃撃とは無関係に死ぬ。

 めらめらと全身を覆う炎があやめの身を焦がして、全てを奪ってゆく。

 

 涙が出なくなった。

 次に声が出なくなった。

 

(ルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃんルイちゃん………………)

 

 外界の声が聞こえない無限の苦痛の中、あやめはただ只管にルイの名前を叫び続け…………再び意識を手放した。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 目を開けると見知らぬ天井が視界を覆っていた。

 

「………………」

 

 長い瞬きを1回だけ行い視界を更新したが景色は変わらなかった。

 現実である事を受け止める。

 

「………………」

 

 長い長い夢から目覚めた気分だった。

 そして目覚めた瞬間、夢の内容が記憶から消し飛び思い出せなくなる。

 自分が何をしていたのか、何を見ていたのか……。

 まっさらな産まれたての赤子の様に、全てを忘却している。

 

「起きたか」

 

 近距離から声がした。

 懸命に威厳を発揮しようと足掻くもどこか愛らしい声。

 そしてチャランと鳴る鈴の音。

 横たわったまま頭の向きを変えると豪華絢爛な巫女服で身を纏った少女と視線が交わった。

 何度か瞬きしてみたがやはり景色は変わらない。

 

「災難だったにぇ」

「…………」

「オメェ、名前は?」

「……百鬼、あやめ」

「オメェ、呪い持ちじゃにぇェな」

「……うん」

「背中のはなんだ? 刺青か?」

「……生まれつき」

「そうか」

 

 全ての質問に間を空けながら返し、相手が満足するまであやめは合わせた。

 そして一頻り質問が終わり沈黙が広がると、今度はあやめから口を開いた。

 

「あの……ここはどこで、あなたはなに?」

「ここは天界。みこは神様だ」

「天界……? 神様……?」

 

 疑問符を浮かべたが飲み込みは早かったと思う。

 

(そうか……私死んだのか……)

 と。

 

 しかしその早合点をみこが素早く否定した。

 

「オメェは死んでにぇェ」

「……?」

「天界も神様も実在するッて事だ」

 

 あやめは自分の身に起きたことを少しずつ思い出していく。

 真新しい記憶は全身を炎で炙られる記憶。

 視界が真っ赤で耳鳴りが激しく、視覚と聴覚で得られる情報はなかった。

 ただ、あやめは不運にも刻印が見つかり殺されかけた、と言う現実を想起した。

 それを踏まえてベッドに横たわる自身を見つめる。

 

「……」

 

 傷一つない健康体だ。

 

「傷は治した」

「……どうやって」

「そらちゃんの呪でにぇ」

「……呪い?」

 

 先程はするりと流した単語が妙に引っかかる。

 何か大事な事を忘れている様な……。

 あやめは上体を起こし右手で頭を抱えた。

 

「呪は人に特殊な力を与える。みこも仲間の数人もそんな特殊な力が扱える。今この場には居にぇェけど、ときのそらッて人がオメェを治癒したんだ」

「そう……なんですか……」

 

(何か……忘れてる…………大事なこと…………大切なこと…………)

 

 みこの簡潔な説明もまるで耳に入らない。

 あやめは懸命に忘れた何かを思い出す。

 

(呪い……特殊な力…………?)

 

 遅れて処理されたみこの会話の一部分だけがあやめの脳内にぴたりと嵌った。

 

「――ルイちゃん‼︎‼︎‼︎」

「うお……びっくりちた……」

 

 耳を劈くあやめの怒鳴り声にみこが跳ね上がり、チャランと鈴が鳴る。

 あやめは掛け布団を蹴飛ばして床に足をつけ立ち上がった。

 

「神様! 今直ぐ国に帰して! お願い‼︎」

「バカ言ってんじゃにぇェよ。今オメェが国に戻って人目につけば国中――いや、世界中が大混乱だ」

「お願い‼︎ ルイちゃんが! ルイちゃんが待ってるの!」

 

 みこの冷静な受け答えにもあやめは迫真に続けた。

 異様な執着心にみこは目を細めて問い返す。

 

「友達と待ち合わせでもしてたんか?」

「待ち合わせみたいなもの! 兎に角早く行かないと――」

「どうせもう待ってにぇェよ」

「お願いだから――――ぇ……?」

「オメェは半日寝てたんだ。流石に日ィ跨いで待ってやしにぇェだろ」

「――っっっ‼︎‼︎」

 

 戦慄した。

 衝動的に駆け出すが容易にみこに押さえられる。

 偶然目についた時計の針は11時を指そうとしていた。

 

「1人じゃ下りれにぇェよ。それにさっきも言ったろ、今あの国に――」

「お願い‼︎ ルイちゃんが死んじゃう‼︎‼︎」

「ッ…………」

 

 初対面のみこを前に大粒の涙を流すあやめ。

 思いの丈がみこにも伝わる。

 神相手に毫も臆さず嘆願する姿に心打たれた。

 

「5分待ちな。送ったるから」

「待てない‼︎ 今すぐに‼︎」

「いいから待て」

「――――」

 

 言葉の圧力を強めるとあやめが口を開けて固まった。

 みこがスマホを触りながらあやめに鋭い視線を向ける。

 

「友達想えんのも今生きてるからだ。心配できることに感謝しろ。分かったら、3分待て」

 

 みこは手と視線をあやめから離し、スマホを右耳に当てた。

 2コールの後に応答がある。

 

『もしもしみこち?』

「そらちゃん、あの子が起きたんだけど今から下に行くの。一緒に来て欲しい」

『分かった』

 

 それだけ告げると今度は別の相手へ電話をかける。

 

『なに?』

「ちょっと外す。留守は任せるぞ星街」

『あ? ふざ――』

 

 返答を待たずして通話を切った。

 きっと今頃スマホを投げつけている。

 

 みこはスマホでそらから送られた位置情報を確認した。

 

「あやめちゃんッてッたッけ?」

「う――ぁ、はい!」

 

 あやめは背筋を伸ばして力強く答えた。

 スマホを仕舞い、みこは手を差し伸べた。

 

「転移する。掴んで」

「……」

 

 巫女服の垂れた袖を見つめた。

 転移があやめの脳内変換通りの意味だとしても、意味不明。

 しかし一刻の猶予も無い今、それらは瑣末な事。

 

 あやめは小さく息を呑んでみこの温かい手を掴んだ。

 次の瞬間――室内から人影が消滅した。

 

 

 

 眼前の景色が瞬きした途端に切り替わり、あやめは情報処理が追いつかない。

 パッと掴んでいた手が放られ肩がぴくりと跳ねる。

 反動で夢から覚めた様に脳が活発になり、視覚から大量の情報が傾れ込む。

 何の変哲もない小部屋の中だ。

 窓も通気口もない、ただドアとライトがあるだけの小部屋。

 まるで転移の為だけに用意された様なお誂え向きの一室。

 

「ここは……」

 

 ガチャ……。

 

 あやめの問いを無視してみこが扉を控えめに開いた。

 扉の隙間から周囲の人目を確認した後全開に。

 扉の先には至って普通の居間が広がっている。

 こちらは太陽光が差し込んでおり照明無しでも明るい。

 風情のある和風な一室で1人、茶髪の女性が誰かを待っている。

 十中八九みこの知人で先程の電話相手。

 扉の音に合わせて全身を180度回すとその姿が顕になる。

 どこか大人びており、どこか子ども染みている不思議で神聖な佇まい。

 第一印象ではみこ以上に神様だ。

 

「こんにちは」

「……どうも」

 

 真っ先にあやめと目を合わせて朗らかに微笑む。

 聖母か? 天女か?

 あやめは自分の人見知りをすっかり忘れて見惚れた。

 

「何があったの?」

「友達の所に行きたいんだって」

「そっか〜。うん分かった。転移?」

「転移」

 

 簡潔な説明に追求せず密閉空間を指してみこに問う。

 サクサクとテンポ良く話は進み、転移から30秒と経たずして再度一室に入り転移した。

 

 

 

 次に転移した先はあやめにも見覚えのある景色だった。

 先程とは異なり、国の側の人気の少ない平野に転移している。

 人気は少ないと言うが、当然人目はあるし見事な快晴だ。こんな平野では目立ってしまう……とあやめが杞憂するも、2人は意に介さず小声で話を振った。

 

「あやめちゃん、場所は?」

「あ、っと……あっち!」

「わがった。空飛んでくから方角だけ教えて。あと、声は抑えて」

「――?」

「じゃあ乗って」

「ぇ」

 

 色々と飲み込めず疑問符を浮かべるも詳細説明は無い。

 それどころか捲し立てる様にみこがあやめに背を広げた。

 

「早く」

 

 戸惑うあやめを急かすと遠慮がちにみこの背にしがみつく。

 肩に手を回し足は腰回りに添える。

 

「抱えれないからちゃんと掴まっててにぇ」

「はい……」

 

 あやめが力を加えるとみこは「よし」と口にして全身を宙に浮かせる。

 前屈みになってあやめへの負担を減らし、手でそらを抱える。

 3人分の重量を魔法で浮遊させてあやめの指示した方角へ身体を飛ばした。

 

 速度はあやめの全力疾走並み。

 髪が激しく乱れ、みこの服の余った袖や裾、リボンなどが強く旗めく。

 

 幾つもの不思議を抱えていたが、ルイの家が近付くに連れ不安と祈りがその疑問を上書きした。

 

 

 数分の飛行時間を経て3人はルイの家前に着地する。

 ある程度の高度になるとあやめは逸る気持ちを抑えきれず、みこから飛び降りた。

 数歩分先にあやめがルイの家の玄関に到着する。

 

「ルイちゃん‼︎」 ぴんぽーん。

 

 盛大に声を張り上げてインターホンを鳴らす。

 

「ルイちゃん‼︎ ルイちゃん‼︎」 ぴんぽーぴんぽーぴんぽーぴんぽーん。

 

 ボタンを連打するが応答は無い。

 丸一日の遅刻に警戒しないはずがない。

 裏切られたと思ったに違いない。

 

「声抑えろ」

「でも‼︎」

「鍵は……開いてにぇェか」

「玄関は流石に破れない……何処かの窓から」

「いや、破れるぞ」

「ぇ――?」

 

 庭へ回ろうとするあやめを引き留め、みこが扉の前に立つ。

 鍵穴に右手を翳して静かに上から下へスライドさせると、手の動きに合わせて――ガチャ――ガチャ。と順に鍵が開いた。

 左手で取っ手を掴み扉を開――

 

 ガッ――

 

「ん――ドアガードか」

 

 何かに閊えて開かないドア。

 隙間から覗くとU字のドアガードが掛かっていた。

 

「そらちゃん」

「うん」

 

 ピュン、とそらが人差し指から光線を放ってドアガードを焼き切り障壁が取り除かれる。

 みこが勢いよく扉を開くと2人を押し除けてあやめが靴を脱ぎ捨てて居間へと駆け込む。

 みことそらも玄関に踏み入ったが……その時妙な倦怠感に全身を蝕まれた。

 正体を見破れぬまま首を傾げてあやめの消えた部屋へ――

 

「ルイちゃん‼︎⁉︎⁇」

 

 居間への入室とともに玄関が、がっ、ちゃん……と閉まった。

 

「ッ……」

「…………」

 

 カーテンが締め切られ、照明も落とされた室内は昼でも薄暗い。

 そんな半暗室の居間、高級感漂う暖炉の壁で――

 

 ルイが吊るされていた。

 

 みこが喉を詰まらせる。

 

「ルイぢゃんっ‼︎」

 

 あやめがルイの腰を抱えて喉を解放するが、首元には手が届かない為首に巻いた縄を解けず、ルイを床に下ろすことも出来ない。

 見兼ねたみこがそらに目配せした。

 首肯してそらはドアガード同様に縄を焼き――

 

「――? あれ?」

「そらちゃん?」

「呪が使えない」

「え――? ッ……ホントだ」

 

 刻印が生まれて以降、一度も体感した事のない事象。

 場も弁えずみこの瞳に希望の光が宿る。

 

「おねがいてづだっで‼︎ なわを! なわをはずしで‼︎」

 

 あやめが醜い顔で泣き喚き、懇願する。

 呪が使えないのでみこがそらを肩車して高さを上げた。

 暖炉に体重を預けながら立ち上がり、そらがサバイバルナイフを懐から取り出して縄を切断。

 ルイの全体重があやめにのし掛かる。

 

「ルイちゃん……っ……はぁ……はぁ……ぅっぐ……」

 

 溢れ出る涙をルイの全身に垂らしながらソファへ寝かせた。

 みこもそらを肩から下ろしてルイの容体を確認する。

 あやめが震える手を口と鼻元に翳すが微かな吐息さえ届かない。

 

「いぎ……じでない……っ」

「死んではにぇェ筈だ」

 

 あやめを肩で退かせてルイの脈を測る。

 左胸と左手首の血管の律動を……。

 

「……弱いが脈はある。そらちゃん、どうしたらいい?」

「救急車呼んで、来るまで人工呼吸を――」

「ダメっ! ルイぢゃんは家を出られな゛い‼︎」

「――? よく分かんにぇェが、なら人工呼吸だ。オメェ出来るか」

「っ――っん!」

 

 あやめが辿々しく頷いた。

 みこは主に足で、そらは両手で床のゴミたちを退けて一点を掃除し、そこにルイを寝かせる。

 そらの細かい指示に従ってあやめが人工呼吸を行う。

 息を吹くと若干ルイの胸が膨らむ。

 

 あやめが救命活動に勤しむ横でみこはルイの青ざめた顔を見つめた。

 

「……」

 

 露出している部分だけ肌を確認したが刻印は見当たらない。

 だが恐らく呪持ち。

 推測通りならば呪を使えなくする呪。

 これはみこの望む世界を実現出来る可能性を大いに孕んでいる。

 

「……運が良かったにぇ。多分、自決に動いたのは数分前だ」

「30分でも死ぬには十分すぎる時間だからね」

 

 ………………。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 時は少し遡り、あやめが買い出しに向かった直後の事――。

 

(あやめちゃん……ありがとう……)

 

 あやめの言動に救われたルイは涙を拭って言われた通り家の片付けを始めた。

 ゴミを1箇所に集めて分別したり、掃除機をかけたり、水回りを洗ったり、冷蔵庫や棚も一通り拭いたりして気を紛らせながらあやめの帰宅を待っていた。

 

 5分経って時計を見て――10分経って時計を見て――20分経って時計を見て――

 

(色々頼んじゃったし、2時間はかかるよね……)

 

 と自分を慰める様に心中で独り言を呟く。

 やはりあやめは親切で誠実だ。

 友情を重んじてくれる。

 愛情を重んじてくれる。

 こんな嘘みたいな現実でさえ、本気で信じて本気で助けてくれる。

 

 ルイは、もう二度とこの鳥籠を出ることは出来ない。

 それでも――あやめが側に居てくれるなら、あやめが大切にしてくれるなら、一生この籠で暮らしてもいいと思えた。

 今日1週間ぶりにあやめと出会って、話して、本気でそう思えた。

 だから命を諦めなくてよかったと思う。

 

 自殺をするか否かの瀬戸際から救済してくれたあやめに、ルイは愛情をも超える感情を抱いたのだった。

 

 自殺用にと準備した硬めの縄を小さく束ねて燃えるゴミに重ねた。

 

(あやめちゃんに……お礼言わなきゃ……)

 

 ごめん、ごめんと謝罪ばかりを重ねてあやめにお礼を言えなかったから。

 ルイの顔に1週間ぶりに笑みが溢れた。

 

 ルイはあやめの事だけを思って掃除を進め、あやめの帰りを待った。

 1時間が経って時計を見た――。

 1時間半経って時計を見た――。

 1時間45分経って時計を見た――。

 2時間経って時計を見た――。

 2時間5分経って時計を見た――。

 2時間10分経って時計を見た――。

 2時間12分経って時計を見た――。

 2時間13分経って――2時間14分経って――2時間15分経って――。

 ――――。

 …………。

 …………。

 

 

 ……やがてあやめが外出して3時間が経過した。

 流石に異変を感じて心配になる。

 もう時計しか見ていない。

 

(何か……あったのかな……)

 

 ルイは決してあやめを疑わなかった――否、疑いたくなかった。

 嘘でもあやめが裏切ったと知れば、ルイは躊躇なく自決の道を選ぶからだ。

 

 唾を飲んでそわそわと室内を見渡す。

 まだ片付けは完了していないことを思い出すが、一瞬にして忘却。

 脳内にあやめの眩い笑顔が広がる。

 

(何が……あったんだろぅ…………だいじょぶ、かな……)

 

 ルイは家を出られずもどかしい思いが募る。

 スマホを取ってあやめのラインにメッセージを送る。

 「大丈夫?」と。

 

「…………」

 

 20秒画面を眺めたが既読がつかないので電話をかけた。

 応答があるまでコールを続けるが、応答は無かった。

 

(…………)

 

 さっきまでカーテン越しに赤く輝いていた夕日もどうやら沈んだらしい。

 突然寒気に襲われた。

 

(大丈夫……大丈夫……)

 

 暗い部屋で電気も点けず感覚を頼りに歩き回って暖炉の火をつけた。

 室内に灯りが灯る。

 ぱちぱちと火の粉が弾ける。

 でもまだ身体が悴む。

 

(大丈夫……いや、大丈夫……私はあやめちゃんを、信じてるから……変な事なんて、考えてないから…………)

 

 大丈夫と30分は暖炉の前で唱え続けた。

 

 暖炉の火が強くなっている。

 

「あやめちゃん…………」

 

 震える声で弱々しく名前を呼んだ。

 誰も返事はしない。

 

「淋しぃょぉ…………」

 

 暖炉前で汗をかきながら身体を震わす。

 

 更に1時間が経った――。

 

「いや……! いやだ……!」

 

 薪が減って暖炉の火は小さくなっていた。

 黒ずんだ感情に似合わず喉が渇く。

 暖炉の灯りだけを頼りによたよたと冷蔵庫まで歩き、残り僅かなお茶をペットボトルのまま口に流し込む。

 ごくっ、ごくっ……と流し込んで――

 

「っ、げほっ……っ、ぶ……っえっほげほっ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 お茶と涎と涙と鼻水に溺れて咽せると床にお茶と唾液を盛大に溢した。

 

「い゛、やだ……」

 

 ぴちゃっ、かんころん……とペットボトルを手放して棚からコップを掴んだ。

 手放した。

 パリィンと砕けた。

 

 水分は捨てて再び暖炉の前へ戻る。

 何かに躓いて転んだ。

 頭を打った。

 何かが落ちて壊れて散乱する。

 床を這って暖炉まで向かうと椅子や机に頭や手をぶつけてまた何かが落ちて、ゴミの山にもぶつかって、ゴミがまた散らばって……。

 

 ルイは暖炉前で身体を丸めた。

 

「あやめぢゃ…………はやぐ、かえっできで…………」

 

 悲しみに溺れたルイは絶望に呑まれ、気絶する様に無意識に眠りに落ちていった………………。

 

 

 

 目覚めたのは翌日の10時半頃。

 ふと目を開けるとカーテンを超えて日が差し込んでおり、目前の暖炉の火は煙ごと消えていた。

 床に倒れていた身体を起こして室内を見渡すと、掃除したにも関わらず酷く荒らされていた。

 

「あやめ、ちゃ…………」

 

 恐る恐る求める人の名を呼んだが、返事はなかった。

 寝起き早々に口元を押さえて涙を溢す。

 床がぴちゃぴちゃと濡れた。

 

 ぴんぽーん。

 

「――‼︎⁉︎」

 

 不意にインターホンが鳴った。

 ルイは弾かれる様に立ち上がってマイクの元へ駆ける。

 嬉々として通話ボタンを押そうとして――凍り付いた。

 

 ぴんぽーん。

 だんだんだんだんだんっ。

 

 今度はドアを強くノックする音も加わる。

 

 インターホンと繋がるカメラには警官の姿が映し出されていた。

 

「ぃゃ…………いや……いやだ…………」

 

 あやめは裏切らない。

 あやめは絶対に裏切らない。

 

(いやだいやだいやだいやだいやだいやだ――ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう――)

 

 息苦しくなって過呼吸になる。

 腰を抜かして尻餅をついた。

 ざざざ、と後退りしたルイの手に――1本の縄が触れた。

 

 燃えるゴミとして纏めていたが、いつの間にかまた床に飛散している。

 その縄を……掴んだ。

 

「はぁ……っ……はぁっ……っはっ、ぁ……っぐ…………」

 

 何度も喘いで酸素を求めた。

 これ以上、生を求められない……。

 

「大丈夫……大丈夫…………」

 

 意味も無く誰かに何かを訴えて無自覚に暖炉へと向かう。

 知らない自分に支配されて……死に怯えながら死へ向かう。

 

 首に縄を巻くと視界が狭まり、心臓が破裂しそうな程騒ぐ。

 

(あやめちゃんはそんな事しない、あやめちゃんはそんな事しない……)

 

 絶望の淵でもたった一縷の光だけは残したい。

 あやめに何があっただけ……急な用事ができただけ……。

 微塵も思えない理屈を並び立てて、ルイはあやめを盲目的に信じる。

 少しでも疑いの心を覗かせたら……死んでも死にきれないから――。

 

(あやめちゃんを……疑ったりしないから…………!)

 

 チャイムが、ノックが、耳に届かなくなった。

 

「っ――ぁっ! っ………………! っ…………………………!」

 

 もう酸素が足りない。

 気が付けば地に足がついていない。

 首が締まって苦しいし、縄を解こうと首を引っ掻くが緩みもしない。

 踠けば踠くほど苦しい。

 意識が遠のく。

 耳鳴りが響く。

 口内に泡が溜まる。

 鼻水と涙も滲んで来た。

 何も見えなくなった。

 

 目の前に死がいた。

 

 そしてルイの身体は宙でゆっくり……ゆら……ゆら……と揺れ続けた――。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 あやめの決死の救命活動が30分ほど続いた。

 そらが改めてルイの脈を測るとかなり正常な鼓動に近付いていた。

 

「……あやめちゃん。もう大丈夫だよ」

「うん」

 

 あやめはそらの呼び掛けに相槌を打つが、言葉が脳に届いているかは怪しい。

 実際、「うん」と答えておきながら一向に救命の手を止めない。

 

「心配なのは分かるがもう30分もやってるだろ。脈も戻ったし、呼吸もしてんじゃにぇェのか?」

「すぅ……ふぅーー……すぅ……ふぅーー……してます」

 

 2回の人工呼吸を数拍空けて等間隔に行い続ける。

 胸骨圧迫はルイが治療を受けられない事を鑑みて、一旦行わない方針となったが問題はなさそうだ。

 既に生命活動は自律的に行えている。

 

「なら平気だ。オメェだって疲れてるはずだぞ」

「余は平気――すぅ……ふぅーー……すぅ……ふぅーー……」

「いいから休め。水分もとらにぇェで、まったく……」

 

 みこが台所に足を運び、棚から勝手にコップを取り出す。

 

「ィ゛ッ!……」

「――みこち?」

「さいやく……」

 

 床に落ちたガラスの破片を踏んで足を切ったらしい。

 幸い傷は浅いが気分はガタ落ち。

 大きなため息をついてコップに水を注ぎ、それをあやめに差し出した。

 

「ほら飲みな。んで、一旦落ち着け」

「…………ありがとう、ございます」

 

 人工呼吸を中断し左手でコップを受け取る。

 右手はと言うと……ルイの手を握っていた。

 あやめはコップの水を一気の喉に流し込む。

 口内が潤うとあやめはコップを返却して再度人工呼吸の体勢を取るので、みこが無理矢理腕を引いてルイから距離を置かせた。

 

「もう十分だって」

「起きるまでは安心できないから」

「自立できてんだから本人のペースで息吸わせたれ」

「でも……」

「それとも単にキッスしてェのか?」

「っ……‼︎」

 

 あやめが真っ赤になって唇を隠した。

 無我夢中だったが意識すると恥ずかしくなる。

 

「そいつが目ェ覚めるまで、ちッと話聞かせろ。オメェらの関係性とか、呪の事とか」

「……はい」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 みことそらはあやめとルイの関係やそれぞれの刻印、そして2人の馴れ初めなどに耳を傾けながら室内の掃除をしていた。

 あやめは両手でルイの左手を包み込み、目覚めを待ちながら話した。

 

 そして30分ほど経ち掃除も大雑把に完了した頃、ルイが「ん……ぅ……」と悪夢から覚める様に唸った。

 

「――‼︎ ルイちゃん――?」

 

 飛びつきたい衝動を堪えてあやめがぐいっと顔を寄せ覗き込む。

 ルイの整った息遣いを感じる。

 みことそらも手を止めて適切に距離を置いて見守る。

 

「ん……む…………ぅ……」

 

 ぼんやりと朧げに開かれていく視界。

 徐々に靄が晴れてその目に映るのは…………2本の角が生えた鬼。

 

「あやめ……ちゃん…………?」

「そう! そうだよ……!」

 

 全身が冷えているが左手だけは温かい。

 ルイの頬が濡れた。

 

「遅くなってごめんね……!」

「…………」

 

 その一言でルイの脳は再び活動を始めた。

 

(あぁ…………そっかぁ…………よかったぁ…………)

 

 ルイの顔がもっと濡れた。

 2人の涙が混ざり合う。

 

「ごめんね……本当にごめん……‼︎」

「私の方ごぞ……っ、ごめ゛っ……なさい゛……」

 

 床に倒れたまま右手で両目を覆うルイをあやめが優しく抱擁した。

 あやめの深い謝罪にルイが罪悪感を募らせて謝罪を返す。

 

「なんで、るいぢゃんが謝る゛のっ……」

「信じてだっ……疑いたぐながっだ……の゛に゛っ……信じぎれ゛なぐで……‼︎」

「んーん……! こんなに待だせでごべんっ……独り゛にしで、ごべん……‼︎ もう二度どっ……独り゛に゛っ、じないよ‼︎ だがらっ……だからざぁ…………がっでに゛死なな゛いでぇ…………」

「ん゛んっ…………ごべ……! それ゛ぼ……ごべん……っ‼︎」

 

 目も鼻も頬も赤らめて、どこもかしこもびしょびしょにして、二人は長い長い抱擁をした。

 二人の再会に――約束に――水を差さぬようみことそらは二人の視界からしばらく消え、息を潜めた。

 

 やがてカーテンの隙間から差し込む光がルイの額にかかり眩しくなる。

 目元の涙が光を乱雑に反射するので耐えらなくなり、ルイは今にして漸く上体を起こした。

 自身に身を被せるあやめを宝物の様に丁重に扱いながら……

 

「ぅず…………」

 

 鼻を啜ってあやめの背をひと撫で――そして室内の惨状を一瞥――

 

「――誰⁉︎⁉︎」

 

 ここで初めてみことそらの存在を認知。

 抱擁の力を強めてあやめを庇護する様に体を捻った。

 

「ぁ……ルイちゃん、大丈夫。この人達は……私たちを助けてくれたんだよ」

「………………」

 

 ルイの抱擁を介して彼女の恐怖が……震えが伝わる。

 耳を澄ませると鼓動も息遣いも歯の鳴る音も聞こえた。

 ルイの胸の中であやめは声を潜もらせる。

 

「感激してたとこ悪りィがオメェらこれからどうするつもりだ」

「…………」

 

 みこはルイに名乗る事もなく真っ先にそれを問う。

 あやめがルイの抱擁を解いて手を繋ぎ、みこの翡翠の瞳を見上げた。

 

「ルイちゃんとまた、ここで生活します」

「無理だ」

「顔は何とか隠したり、最悪宅配とか使えば――」

「そう言う問題じゃにぇェ」

「ぇ……?」

 

 あやめの案を一蹴してみこはインターホンの履歴をつけた。

 ルイの顔が剣幕に染まる。

 

「自殺の決定打はこれだな?」

 

 履歴の画像――それは1時間半程前の物。

 そう――警察官の来訪だ。

 

「何……ぇ? 警察……⁉︎」

 

 あやめがルイを引き連れてその画像に近寄って驚愕し、ルイを不安げに見つめた。

 ルイは視線を逸らし床との間にある虚無を見る。

 

「どうして警察が……」

「所持品を調べたんだろうにぇ。こう言う時に限って捜査が早ェもんだよ」

「……私があやめちゃんのスマホに電話かけたから……」

「じゃあそれが原因だ」

「…………」

 

 ルイは首が取れそうなほど俯く。

 

「日を改めて来るか、午後にまた来るか……何れにせよ次は強行突破で家宅捜査まで持ってかれるかもにぇ」

「でもあやめちゃんに聞いた話だとルイちゃんは家を出られない」

「…………」

「八方、塞がってんだろ?」

「…………」

「なら天界へ来い。匿ってやる」

「天界……?」「でも――」

 

 あやめもルイも訝しげに眉を寄せる。

 

「ここにいりゃあいずれ殺される。オメェらがそれを望むなら……無理強いはしにぇェが」

「でもルイちゃんは……」

「ここを離れられない。さっき言ったでしょ分かってるよ」

「じゃあどうやって……」

「家ごと動かす」

「「――⁉︎」」

 

 まさに驚天動地。

 人智を超えた手段にあやめとルイは言葉を失う。

 あやめはルイ以上にみこを間近で見ていた為、その底知れない力を感じ取れる。だからこそ、言葉一つを信頼できた。

 

「ルイちゃんの呪は他人の呪を抑え込む力がある。その代償としてこの家から出られにぇェんだろうにぇ」

「「……?」」

 

 呪の真の性質など微塵も知らず2人は疑問符を浮かべるが、それは後回しに。

 

「でもさっき家の鍵開けたろ?」

「は、はい。魔法みたいに」

「外から鍵が開けれたなら、外から家を丸ごと転移させる事も可能なはずだ」

「――? さっきから何を……」

「中にいるルイちゃんは、どうなるの……?」

「そりゃあ家ごと飛ぶか、ここに放置されるかのどっちかだろうにぇ」

「そんな――! もしここに残ったら……」

「それはそれで当たりじゃない? 家から出られるッてことだし」

「ぇ……ぁ……!」「――――」

 

 そらがニコッと笑う。

 2つの可能性を提示され、どちらを引いてもそれはある意味望む結果だと気付かされた。

 最後に残る不安要素と言えば、みこの狙いだ。

 何故幾度も便宜を図ってくれるのか。

 

「どうする? 来るか?」

「……あ、あやめちゃん……」

 

 ルイがあやめの袖を力無く掴んだ。

 ルイ視点ではみことそらは完全な不法侵入者であり、気の許せる人間ではない。

 だが何故かあやめが若干親しげにするので、あやめに一任する意味も込めて視線を絡める。

 あやめは優しく顎を引いて袖を掴むルイの手を両手で温かく包んだ。

 

「どうして……っ……助けてくれるんですか」

 

 あやめは単刀直入に尋ねる。みこの目を直視して。

 

「天界に来たら教えてもいい」

「…………」

 

 みこは極力無表情でいるよう努めた。

 そらが温かい目でその横顔を見つめる。

 

「……じゃあ、行きます。連れてって下さい」

「わがった。じゃあ2人はここで待ってな」

 

 あやめの決心に素早く答えてみこは家を出た。

 そらも後に続くが、その前にあやめの左手に自身のスマホを握らせる。

 

「それ持ってて。多分通話繋げるから」

「――はい」

 

 そらは眩しい微笑で手を振ってみこの後を追った。

 2度の玄関の開閉音を聞くとあやめとルイは向き合った。

 

「勝手に決めちゃったけど、ルイちゃんそれでいい?」

「うん……もう二度とあやめちゃんを疑ったりしない」

 

 両手を繋ぎ合わせ、スマホに邪魔されるまでの間じっと見つめ合った……。

 

 

 

 玄関前で家を概観しみこは首を痛めていた。

 遅れて出てきたそらも家を見上げて小さく口を開けていた。

 

「質量凄いけど体力足りそ?」

「足りなくても絞り出すよ」

「なら付き合ってあげる」

「ありがとにぇ」

 

 家の外周をグルリと回ってどこからどこまでを転移させるか細かく吟味する。

 この行動は大胆すぎる為、この国の人間に一定以上の恐怖と謎そして不審感を与える事になる。

 一度家を訪れた警察が再び訪問した時、家が姿を消していれば目を疑い、夢である事を疑うだろう。

 

 転移の細かい調整を終えたみこはまた玄関の前に立った。

 但し今度は少し道路にはみ出して。

 

「みこは……何やってんだろうにぇ……」

「――――」

 

 独り言の様にそらに呟いた……。

 

「……て、そらちゃんに聞くのは……ずるいよにぇ」

「そうだね〜」

 

 2人の行いの結果を2人が評価しても意味は無い。

 それを分かってそらに問うのは、ただの自衛だ。

 自分の行いが間違っていないと信じていたい――そんな傲慢な人間の自己防衛本能だ。

 

「電話、かけるよ?」

「うん」

 

 みこのスマホからそらのスマホへ電話をかけると数コールの後にあやめが応答した。

 

「今から転移させる。特に準備はいらにぇェけど、んま、ビビんにぇェように目ェ閉じといたほうがいいかもしんにぇェ」

『……っ』『分かった』

 

 服の擦れ合う音が電子音を乗せて聞こえた。

 

「転移後にまたかける」

 

 電波の錯乱が危険なので電話を切る。

 そらはスマホをみこの口元から離し、ポケットにしまうと飛行時と同様、光の屈折を利用して一帯の視認レベルを極限まで下げる。

 軽い人払いもしてある。

 

「じゃあ……行くよ」

「うん」

 

 みこが魔法の予備動作を行うと本人を中心に微風が発生。

 ヒラヒラと服や髪が浮き上がり、そらの瞳にだけ神々しく映る。

 次は家が発光を始めた。

 みこの閉め切った口からジワ……と赤い液体が滲む。

 心臓が締め付けられる耐え難い苦痛を堪え、集中力を保つ。

 ブシッ――と勢いよく鼻血が吹き出て鼻下が真っ赤に染まった。

 顔面が熱い。

 ポタポタポタポタ……と顎から服や地面に血が滴る。

 

 それでもみこは集中を絶やさず熱心にルイの家を睨んだ。

 蜃気楼で家が歪曲する。

 

 ………………。

 

「――――‼︎」

 

 ッパ――――――――と一軒家が消滅した。

 同時に力尽きたみこが吐血して受け身なく地面に転倒する。

 

「よく頑張った」

 

 地に顔を伏し、鼻と口から溢れる鮮血で顔を汚したみこの頭を撫で、そらはあやめに電話をかける。

 またしても数コールの後に応答があった。

 相手は変わらずあやめ。

 

「転移は終わったよ。約束通りちゃんと話す事は話そうと思う。だけど今、みこちが体力使い果たして倒れちゃったから明日まで待ってほしいな。仲間に話通して向かわせるから、天界に関する細かい事はその人から聞いて」

『……えっと……んー……はい……? 分かりました。ありがとうございます』

『……ありがとう……ございます』

「うん、ごめんね、ありがと。じゃあまた明日以降」

 

 電話を切ってまたポケットへ帰すとそらは気絶した血だらけのみこを背負う。

 非力な方なので足腰に響くが、何とか近場の安全区域まで運び1日みこを匿ったのであった……。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「………………」

 

 電気も水もガスすらも供給されなくなった一軒家。

 微妙に開けたカーテンの隙間から差し込む太陽光を明かりにしたリビングで、百鬼あやめは手を合わせていた。

 

 コンビニのサンドイッチを食べ終え、昼食後の追悼。

 10数年前のルイの写真と火葬後に遺骨を詰めた壺をテーブルに置き、1分間黙祷。

 黙祷を終えると徐に瞼を上げた。

 

 トロイア戦争から1週間以上が経過した……。

 今でも喪失感は拭えない。

 

 ルイを独りにしないと約束したのに後追いできなかった……。

 自殺をするなと説教したのはあやめだ。

 それに、今天国でルイに会っても怒られるだけ。

 

「…………」

 

 あやめはルイの写真に微笑んで立ち上がった……。

 今日も暇な時間が続く。

 

(私って……昔はどんな夢見てたっけ……)

 

 やりたい事もやるべき事も皆目見当がつかない。

 ただ2つの欲求の為だけに、今は生きている。

 

(今日は……何しようか……)

 

 てんろーん。

 

「……?」

 

 虚無感に囚われた午後――不意にインターホンが鳴った。

 つい先日付け替えた電池式のインターホン。

 

(みこちかな……)

 

 接続されたカメラを通して見える玄関前の映像。

 そこには紫のツインテールを靡かせる見覚えのある悪魔が立っていた……。

 

 

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