「今だ‼︎ 奏‼︎‼︎」
闇より出し少女の咆哮に奏が応えた。
ポケットから取り出したUSBデバイスを小型の機器に接続し、迷わずボタンを押す。
『迎えに来たよ‼︎ ミオ‼︎』
「――‼︎⁉︎」
『帰ろうよ‼︎ 私たちの日常へ‼︎』
小型機器のスピーカーから再び荒野に白上フブキの声が響き渡る。
「ッ‼︎‼︎」
みこの動きが完全に止まり無防備となった。
そこへつけ込み、闇より飛び出した銀髪の少女が右腕を伸ばす。
突き出された右腕は何かを掴む様にみこの心臓へと侵入しようとした、が――
バチッ、と弾かれる。
「ちっ」
震える視界の中でその瞬間を目の当たりにし、みこは逸早く意図を察した。
そしてミオの心を必死に抑え込み、力を振り絞って少女から距離を置く。
みこの行動から作戦が看破された事を察知し、闇から現れた少女――ラプラス・ダークネスもまた、軽く跳躍して奏の間近に立ち並ぶ。
そのラプラスの姿は以前奏が対面した時と少し変化しており、最たる例として特有の大きな2本のツノのうち一方――左側のツノが半分ほどにまで欠けていた。
「今は無理だ。大神ミオの意識とは別で、みこさんの意識にも隙を作る必要がある」
(……? …………??)
ラプラスの言葉の意味を理解できず、奏は2度に分けて大きく首を傾げた。
突然の登場やら、角の欠損やら、今の言葉の真意やらと聞きたい事が山ほどあるが、奏は生憎声が出せない状況にある。
『――いなくなっちゃった人もいるけど……でも……何もかも無くなった訳じゃない‼︎ まだ必死に戦って、必死に生きて、運命に抗ってる人たちがいるの‼︎』
奏が掴んだ小型機器からは依然としてフブキの決死の叫びが響いている。
ラプラスは間近から聞こえる騒音に顔を顰めながら奏の表情を確認し、大方の状況を察した。
「なるほど……いやいい。何も聞いてないんだな」
(――! ――!)
理解の早いラプラスに大きく2度首肯を返す。
「莉々華はどこだ」
(あそこ!)
奏はアキロゼを指差す。
ラプラスは再び顔を顰めたが、奏の答えを疑いはしなかった。
ラプラスは地面に溶ける様に消え、直後アキロゼの真横から出現する。
「ラプラスさん」
「今のままじゃ魂を抜けない。みこさんの意識に一定の隙がいる」
素早い情報の伝達。
莉々華は早急に状況整理する。
ラプラスの呪の力でみこの魂を引き剥がす作戦だったが、本人の意思に背いて引き摺り出すとなるとそれなりの隙を作る必要がある。
ミオとみこの魂の関係やこちらのメンバー構成等を踏まえた上で、この作戦で必要な条件は大きく3つ。
1つ。ミオの魂がみこの憑依に強く抵抗している事。
2つ。ラプラスが魂に触れられる程度みこの意識に隙を作る事。
3つ。ラプラスがみこの魂に触れられる位置にいる事。
以上3つの条件が重なる一瞬を生み出す事が出来れば、みこの魂を引き剥がすことが出来る。
つまり次の莉々華の仕事は、条件2のみこの意識に穴を空ける策を講じる事。
「分かりました…………ラプラスさん、この事をぺこらさんに伝えて――」
と講じた策を伝達しようとした時、荒野に1つの火球が飛来した。
それは目にも止まらぬ速さで荒野に降下し小規模の爆発を巻き起こす。
「っ……‼︎」
爆心地の煙幕が捌けると、朱色のポニーテールを揺らし全身を炎で包んだ不知火フレアが立っていた。
「おいおい……‼︎」
ラプラスが焦燥感を露わに身構える。
フレアの放つ熱気に当てられてなのか、ラプラスの額に汗が滲んだ。
フレアの飛来で場が静まり、奏の手にする機械からの音だけが響き渡る。
多くが呆気に取られる中でフレアは周囲をぐるりと見渡し、苦しむみこと遠くの木陰で重症者を抱えるノエルを見つけ、剣幕に顔を歪めた。
「フレア……」
フレアと視線が絡み周囲より一足早く束縛から解放されたノエルが、小さく名前を呟いた。
「ノエちゃん。そこから動かないで」
「……、……ん」
ほんの僅かに浮かせた腰を落とし、ノエルはロボ子の赤く焼け爛れた顔に視線を落とす。
「ふ、しび……! その、声……と、めろ……‼︎」
心臓を押さえつけて抗うみこが何とか言葉を絞り出した。
その一言でようやく全員の呪縛が解ける。
揺らりと振れるフレアの朱色の瞳が、音源を――奏を捕らえた。
危機感を覚え咄嗟に駆け出そうとする奏。
そんな奏よりも早くエンジンを点火し飛び出したフレア。
更にその速度を凌駕してラプラスは2人の間に飛び入る。
フレアはすかさず空中へ飛び立ち、ラプラスの手が届かない位置から奏の周辺を爆撃する。
「ぐっ! くっそ‼︎」
(うっ、ぐぁっ)
小規模な爆発の連鎖で奏の全身に更なる火傷が増えて行く。
熱気で小型機器もオーバーヒートを始め、次第に右手に熱が籠っていく。
加えて絶え間なく響く爆撃音に機器から発せられる声が掻き消されている。
「吾輩じゃ分が悪い‼︎」
奏を守ろうにも、闇を葬るフレアの前ではラプラスは赤子同然。
蓄積分のエネルギーだけでは抵抗も難しい。
莉々華がそれを認識していないとは思えなかったが、一刻を争う状況にラプラスは大声を張り上げて莉々華に指示を促した。
「――‼︎ 奏! ノエルさんの側へ‼︎」
「ッ‼︎」(ぅ゛ん゛っ)
「はじめは奏のサポート‼︎」
「あい‼︎」
「ぺこらさんとラプラスさんはみこさんから目を離さないでください‼︎」
「おけ‼︎」「――」
喉を枯らす勢いで莉々華が叫ぶと各々が動き出す。
しかし、誰よりも動きが早かったのはやはりフレア。
全員が動き出す直前に爆撃をやめて奏の下へ急降下した。
(っ!)
辛うじて反応できたラプラスでさえも対処が間に合わない。
「ふッ――」
フレアは、カッ、と奏の右手を蹴り上げた。
USBデバイスと小型機器が奏の手中からするりと飛び出す。
(やっ‼︎)
それらは滞空中に火柱に包まれ爆発してしまった。
音声も途切れた。
よって再びアイツが動き出す。
「ッ……はァ、はァ……ッ、く……」
みこが乱れた呼吸を整えて戦闘準備に入ろうとしている。
「まっじぃ!」
莉々華の指示を無視して反射的に奏の防衛に動き出していたラプラスは、USBの爆発を確認すると至急踵を返してみこに突撃する。
蓄積した闇のエネルギーを消費して身体を強化し、勢いよくみこの腹に飛び蹴りを撃ち込む。
「んに゛ッ」
「ちっ‼︎」
鳩尾を狙った蹴り込みはみこの掌に収まり威力を分散させられた。
ぺこらは自身の存在がラプラスの邪魔になると判断して2人から距離を置く。
はじめは漸く奏の下へ到着。奏を庇うように戦闘態勢に入るが、対するフレアはもう奏を敵と見做していなかった。
「ぇ――」(あ‼︎)
フレアがみこと激突するラプラスの無防備な背中に襲い掛かる。
熱と光の接近に反応してラプラスが振り向けば、至近距離にフレアの姿があった。
ラプラスの意識が逸れた瞬間にみこは斜め後方に逃れ、そのままアキロゼの方へと走る。
「ぢっ‼︎」
半身欠損の覚悟でラプラスはフレアの燃える打撃を正面から受け止めた。
「っ゛‼︎‼︎‼︎」
灼熱で腕が赤く焼け、火の明滅で瞳も焼けそうになる。
それでもラプラスは刮目し敵から目を逸らさない。
打撃の威力を押さえると続く爆撃を予測してフレアの背後に回り込み、右足を振り抜いて腰を蹴った。
だがフレアの負傷は物の数秒で癒される。
相性の悪さも相俟って実力が拮抗する時間は一層短い。
生憎フレアを相手取りながら打開策を練られる余裕はラプラスにはない。
莉々華の指示を仰ぎたい所だが、その莉々華(アキロゼ)はみこに狙われ回避一辺倒で全神経を擦り減らしていた。
ぺこらがアキロゼのサポートに駆け出すが、その一歩目で左足を挫き、そのまま転倒して右膝を擦りむいてしまうと言うアンラッキーアクシデントが発生。
先刻の幸運のツケが早速回ってくる始末だ。
その足で何とかアキロゼに加担するも変わらずみこが優勢。
それらを前にはじめもまたどちらかに助力しようと踏み込んだが奏がその腕を掴んで制止する。
「なにゃ⁉︎」
(ばんちょ! こっち!)
2人は駆け足で木陰に座り込むノエルの下へ。
フレアの動きに目を奪われていたノエルも2人の接近に眉を寄せる。先程の莉々華の策は聞いたが、標的が奏にない以上ノエルに付き纏っても意味が無い。そう思った。
だが奏はノエルの膝下で横たわり掠れた呼吸を繰り返すロボ子の懐に手を突っ込んだ。
(あった!)
そこから弄り取ったのは鞘に収められた短剣。
抜き取る勢いのまま鞘を投げ捨てて、奏は短剣をノエルの喉元に突き付けた。
「っ……」
ノエルの喉元から血の気が引き、喉がきゅっと鳴った。
奏は側であたふたするはじめの瞳孔を見つめて首肯し、口をぱくぱくさせる。
(ばんちょ、フレアさん呼んで!)
「――? ――!」
5秒ほど思考して意図を察するとはじめは大きく息を吸った。
「フレアつぁぁぁあああああああああん!」
「「――‼︎」」
刹那、全ての動作が停止。
直後、フレア以外の時間が再び流れ出す。
「つぉれ以上暴れつぁらっ! この人刺しまつ‼︎」
「……………………」
フレアの顔が一瞬憤りの表情で染められた。
ノエルは抵抗を見せず首元のナイフを見つめる。
奏はフレアの放つ光をナイフで反射させてフレアの目にちかちかと光を当てる。
はじめは息を飲み、熱気に汗を滲ませる。
「…………はァ…………」
フレアの肩がガクンと落ちて全身の火力が弱まって行く。
「…………」
ラプラスは数秒挙動を観察し……みこの下へ駆け出した――
「ふッ‼︎」
「っが‼︎⁉︎」
「――‼︎」(ぇ――⁉︎)
背を向けた無防備なラプラスにフレア渾身の蹴りが炸裂。
ラプラスの腰の骨からぱきっと不吉な音が広がる。
「ん……な――‼︎」
はじめが、奏が、言葉を失って硬直した。
ラプラスが前方に倒れる音で正気に戻ると、はじめは懸命に声を絞り出した。
「いっ、いいんでつね⁉︎ この人が! どうなっても‼︎」
はじめの怒号に合わせて奏も表情を引き締め、短剣を強く握りしめるが、フレアは2人を一瞥だけしてみこの方へと向き直る。
(っ……! バレてる……!)
奏とはじめに本気で殺す気概がない事を看破されている。
いや、実の所そもそもこの交渉は成立していない。
ノエルが死ねばそれこそフレアの枷は外れて本気で暴れるだろう。
分かりきっていたからこそ、奏は思考を素早く切り替えることが出来た。
奏は咄嗟に短剣を捨ててノエルの喉元で指先をくるりと回す。
(ノエルさん! 声! 声出して‼︎)
「「――?」」
わたわたと身振り手振りで伝えようと試みる奏。
しかしノエルはきょとんとした瞳で首を傾げ、はじめは難解そうに眉を寄せる。
「……? 何――っ⁉︎」
詳しく尋ねようとノエルが声を発すると、到底ノエルの喉から響くとは思えない低くねっとりとした気色悪い男声が溢れた。
ノエルは羞恥心で紅潮し口元を覆う。
奏はフレアを指差し、もう片方の手で声を発する仕草を見せた。
ノエルはぶんぶんぶんと首を横に振るが、漸く意図を察したはじめが再度声を張り上げる。
「フレアつぁ〜〜〜ん?」
「――」
「ノエルつぁんの声、凄いこてょになってまつよぉ〜〜〜? いいんでつかねぇ〜〜〜?」
はじめの煽り口調にフレアは半信半疑ながらギロリと鋭い眼光を向けた。
はじめのにやけ面、奏の悪戯な笑み、そして口元を手で覆い俄かに傷心して見えるノエル――
「ッ゛ッ゛‼︎‼︎」
ノエルの曇った表情を目視しフレアの瞳が更に燃え滾った。
それでも尚、冷静であり続ける。
奏とはじめを襲う事に意味が無い。何もせず傍観するなんて愚の骨頂。
結局、フレアの標的はみこの邪魔をするラプラスだけ。
積もる怒りをラプラスに向けて爆発させる。
「ン゛ッ゛‼︎」
「ぁっ――くっ‼︎」
爆発の直撃を免れるもラプラスの身が爆風で地を転がる。
奏とはじめが知恵を振り絞って作った数秒も、ラプラスが立ち上がる程度の隙にしかならず愈々戦力はジリ貧。
「ぐっ、そ……!」
ラプラスは片手片膝をついて体勢を立て直そうとする。
ふと気付けば服の半分ほどが引火によって焼失しており、脇腹や右腕まで擦りむいていた。
傷を一瞥し顔を上げるとフレアの追撃が迫っていた。
照明が眩しく、目が眩む。
エネルギーを振り絞って両腕をガードに回した。
フレアの燃え盛る拳とラプラスの交差させた腕がぶつかる時
――流星、来たる――
「不ぅ死ぃ火ぃーーーーーーっ゛‼︎‼︎」
闇夜より轟く怒号。
流星の如く疾走し、一等星の如く輝きを放ち現れるは星街すいせい。
声に、輝きに、勢いにフレアが気を取られたほんの刹那の間に、決して常人では辿り着けない速度で接近。
フレアが反応して対処する隙も与えず、隕石の如き蹴りを打ち込む。
「ッ‼︎」
片腕をへし折って数十メートル吹き飛ばし、すいせいはフレアの居た位置に着地。
「うっ、あっ――‼︎」
すいせいの急停止により彼女の背中から勢いよく飛び出したひとつの影が、呻きながら地を転がる。
戦場の視線の全てが飛来した彗星に釘付けとなり、時間が停止したように硬直した。
「てめぇはとっとと失せやがれぁ‼︎」
すいせいが喚き散らす。
フレアにではなくすいせいの背中から転げ落ちた少女――宝鐘マリンへと。
「言われっ……なくても……!」
悲鳴を上げる身体に鞭打って全身全霊で立ち上がる。
腹の傷口から吐き出す血はもう残っていないようで、手を添えた傷口の血は土が付着して固まっていた。
立ち上がるだけで目眩と吐き気に襲われる苦痛の中、マリンは薄暗い戦場で神経を研ぎ澄ませシオンとおかゆの姿を探した。
着地したすいせいもまたぼろぼろの心身のまま、それでも然としてフレアだけを相手取る。
蹴り飛ばしたフレアが怪我を再生させ、再度起き上がってきた。
炎に照らされるフレアの顔に苦悶が浮かび上がる。
「ッ‼︎」
フレアの戦線復帰を決して許さないすいせいの猛撃。
目で追うのがやっとで、到底反応してからでは対処できない速度にフレアは汗を滲ませる。
迫真の表情が肉薄する度に、フレアの人生には無縁となった死を予感する。
すいせいは言葉も無く、駆け回り、飛び回り、全身全霊でただフレアの足止めに徹する。
(なんで! 確実に心は折ったはずなのに‼︎ なんで――!)
すいせいの拳がフレアの頰を撃つ。
すいせいの足がフレアの背を砕く。
すいせいの矢がフレアの身を貫く。
凶星の眼光は一等星よりも熱く轟く。
速度が臨界点を超越した。
(なんで――! さっきよりも速い‼︎)
すいせいはもう、止められない。
「ナ、イスっ、すいせいさん!」
すいせいの乱入とフレアの退場で再び広場はラプラスの独壇場になる。
時折周囲で明滅が起こるが、その程度の明かりならばラプラスの力に支障は無い。
影移動を使ってみことアキロゼの間に割って入り、ラプラスは再度みこを相手取る。
「莉々華は策を動かせ‼︎」
みこの拳を受け止めながら背後に叫んだ。
アキロゼは大きく後方に跳躍すると、背を向けて駆け出し2人から距離を取る。
合わせてぺこらも並び立ち、お互いに息を荒げながら意思疎通を図る。
「ぺこらさん。みこさんの意識に一定の隙が必要です」
「そんで?」
「あっちの方角からあやめさんが近付いてきています。恐らくフブキさんも一緒です。2人に手を貸して、急いで連れて来てください」
「おけ」
二つ返事で承諾しぺこらは莉々華の指示した方向へ駆け出した。
ぺこらの駆け出す様子を視界の端に捉えたマリンが、はっと進行方向を確認したがシオンの姿は見受けられない。
「――――」
マリンは刹那目を閉じ、更に神経を研ぎ澄ませた。
悴む四肢に力を入れる。
死の間際である事を自覚すると、何故だか全身に力が漲った。
瞼を上げるといつも以上に視界が良好になった。
暗闇の中でも物がよく判別できるし、遥か遠方の物まで認識できる。
「――‼︎」
いた。
真っ暗な荒野から駆けてくる2人の少女の姿が、マリンの紅い隻眼に映り込む。
その瞬間、マリンは弾かれた様に駆け出した。
見える、見える。よく見える。
身体が軽く感じてふわりと浮遊する様に軽々と前へ進める。
何度全身を地に打ってもまるで痛みを感じない。
目の前にいるシオンとおかゆの元へ一目散に疾走する。
するとシオンが小さな手を懸命に高く挙げて大きく左右に振ってきた。
「みんなー‼︎」
その声に戦場の全員が一瞥を向け、戦闘中の者以外の意識がそちらに集中する。
シオンとおかゆの到着。
莉々華が僅かに口角を上げた――のも束の間、瞬く間に表情を激変させた。
迫り来る者たちを視界に捉え、咄嗟に声を荒げた。
「シオンさんっ‼︎‼︎ 敵襲‼︎‼︎」
「「――⁉︎」」
アキロゼの大声が戦場の空気を震わす。
誰よりも素早く声に反応したのは他でもない、ぺこら。
シオンの危機を耳にし反射的に進行方向を変換。視界に捉えた別の2人組に向かって駆け出す。
次いで奏とはじめが一歩踏み出すが、その時点でカバーが間に合わないと確信。それでも足を前に進める。
最後にシオンとおかゆ。
莉々華の警告に視界を振って、間近に迫る色の異なる相貌の鋭利な眼光を目視。
その傍で煌めく刃の光沢がおかゆを狙っている事を理解した。
途端、シオンの、おかゆの世界がまるで停止したと錯覚するほどに時間の流れが遅まる。
肌を撫でる風のその道筋が分かる。
ぺこらの、アキロゼの、遥か遠方の攻防の、その他全てのたった一音さえも聞き漏らせず。
突如鮮明になった視界に映る刹那刹那のワンシーンが脳裏に焼き付く。
シオンがおかゆの片腕を引き寄せ背後へと突き飛ばした。
シオンのか弱い力に抗い切れず、おかゆは徐々に遠ざかってゆくシオンの背を見つめながら地面に尻餅をつく。
少女――姫森ルーナの接近と共に迫る死。
シオンは歯を食い縛り激痛に備えた。
その直前、おかゆは儚い微笑みを目撃し、突き飛ばした状態のまま伸ばされたシオンの手に、自身の手を伸ばした。
が、その手に何者かの手が収まる事はなく――
「ぇっ」
「ぶっ゛ぐ‼︎」
おかゆは更に目撃した。
「ぇぁ……?」
あれだけゆったりと進んでいた時間が突如脳を破壊する勢いで進み出し、情報の整理が間に合わない。
尻餅をついて、串刺しになった少女の姿を見上げたままおかゆは暫し硬直していた。
「っ――は!」
何故か地面に転がったシオンは咄嗟に身を起こし自身を突き飛ばした人の姿を見上げた。
「マリンちゃん‼︎‼︎‼︎」
おかゆの眼前にて、シオンを押し除けて飛び込んだマリンが、ルーナの剣で一突きにされていた。
「あ゛っ゛、が……」
腹部にふたつ目の穴を開けられ、マリンはいよいよ瀕死状態。
それでも尚――
「があ゛ぁ゛っ゛‼︎」
「な゛ッ⁉︎」
左手で剣を掴んで固定し、右手で至近距離からルーナの左頬を殴り飛ばした。
「ルーナ!」
軽く仰け反り後方へ転倒しかけたルーナを間近にいたポルカが受け止める。
ルーナが剣から手を離した事でマリンの腹に突き刺さった剣の存在が消滅。と同時、ぶしゃっ!と大量の血液を噴出する。
「ぅぁ」
背後からマリンを見上げていたおかゆの全身に生温い鮮血が降り注ぎ、真っ赤に染まる。
シオンへと伸ばしていた手はいつの間にかマリンを求めて前へ突き出していた。
「マ、リ……さ……」
衝撃で悲観も絶望もする余裕が無い。
おかゆの心はただ空虚になり行く。
「テメェ――‼︎」
ルーナを殴られ、マリンに憎悪の眼光を向けるポルカ。
だがそんな一切合切を無視してマリンは命を振り絞り、叫んだ。
「行゛げぇ゛っ‼︎」
吐血し、朦朧とする意識の中で。
「――‼︎」「ゃ――」
煌めく小さな星屑たちがマリンの背後を、おかゆの目前を通過した。
マリンの決死の声に弾かれたシオンが、おかゆの腕を引いて強引に立ち上がらせ、マリンから遠ざかる。
「ぃや! マリンさん‼︎――‼︎――ころさん‼︎‼︎」
シオンは振り返らず走った。
数多の星屑を散らしながら。
「ふッ‼︎」
ポルカの剣がマリンの心臓を貫通。
「――」
マリンの赤黒い視界は閉ざされ、降りた瞼の裏に走馬灯が映る。
剣が抜き取られると支えを無くした身体は受け身なく後方へと倒れ行く。
背中を地に着けるまでに、幾度その顔を見つめただろう。
(ちょっと早いけど。今からそっちへ行くよ)
見上げた天は真っ白に発光していた。
マリンは夢幻の渦中で右手を掲げ、はにかむ。
薄らと開けた視界の先にずっと瞼の裏に張り付いていた笑顔が舞い降りて来た。
その少女は天使のような微笑で両翼を羽ばたかせ、すっとマリンへ手を差し伸べる。
『おつかれ。マリン』
マリンは差し伸べられた手を取り、がっしりと掴んだまま笑みを深めた。
そして遥か果ての世界へと共に飛び立っていったのだった。
「ゃ! まりっ――マリンさん‼︎」
「お゛がゆっ‼︎ いいから走って‼︎ 何の為にここに来たの‼︎」
「う、ゅぐ‼︎」
逃げ去るシオンに引かれながらも、中途半端に抵抗してマリンに駆け寄ろうとするおかゆ。
しかしポルカとルーナは完全におかゆとシオンをターゲットとして捕捉し直しており、2人へと特攻してきた。
ポルカはまだしもルーナに対応できる技量が2人には無い。
「あらあら! 何を企んでるのかしら?」
「っ‼︎」
背後に気を取られるシオンの目前に、いつの間にかちょこが立っていた。
胸元を露出させ、シオンとおかゆの視線を誘う。
シオンは危機感を覚え咄嗟に意識を逸らそうとしたが、まるで磁力が働くかの様に視線が釘付けになってしまい、自力では抗えなかった。
それどころか徐々に自我が不安定になり速度が緩んでいく。
「テメぇ‼︎エロ女ぁ‼︎」
シオンを誑かすちょこに激昂し怒号を放つぺこら。
しかしまだ距離がある。
ぺこらの到着よりもシオン籠絡の方が明らかに早い。
「は、し、シオンちゃん!」
マリンの死、と言う受け入れ難い現実に心を破壊されていた為ちょこの籠絡から逃れていたおかゆが、誘惑にかかるシオンを前にして微かに正気を取り戻す。
繋いでいたシオンの手を、今度はおかゆが引いて駆け出した。
ぐっ!と下唇を噛んで感情を堪えながら。
「くッ……」
ちょこを迂回してミオの下へと向かうおかゆ。
背後にはポルカとルーナ、左手からはちょこが迫っている。
「おーっとサキュバスさん。僕の事、お忘れかな?」
「ッ」
ちょこの目前に再び華麗なスライドインを決める長身のイケメン。
ちょこが足を止めてギリッと歯軋りした。
ポルカとルーナが一瞥を向けるが、ちょこが2人に視線を返し援護無用とコンタクトを取った。
ポルカとルーナは変わらずシオンとおかゆを追跡する。
ちょこは青の言動からひとつ勘付いた。
それが事実ならば、青は脅威にならない。
「あなた……女性ね?」
「おや、目利きがいいね」
「ふッ――安心したわ‼︎」
「おわっ‼︎」
青の容姿から勝手に男性だと思い込んでいたちょこ。
それ故にトラウマを引きずりたじろいでいたが、女性だと分かれば問答無用で相手できる。
先刻のタイマン時とは一変、ちょこは豊満な胸を弾ませ青に打撃を放つ。
間一髪の回避、しかし追撃は防ぎ切れず、腹部に一撃強烈な蹴りを見舞われた。
「ゔっぐ」
一瞬の吐き気。
そして初めて浴びる激痛に顔面が真っ青になり、その場に蹲った。
頭上から視線を感じる。
女性に見下ろされる稀有な状況。
青は痩せ我慢で引き攣った笑みを浮かべ、ちょこを見上げた。
「ほら。キス、してあげるわよ」
「っ」
薄暗さと豊満な胸でちょこの顔は判然としない。
それでも青は、青の唇は吸い寄せられる様にちょこの口元へと迫っていく。
「ちょこ先‼︎」
「ちゃあああ‼︎」
「――‼︎」
甲高い奇声と共にちょこの懐に飛び込む銀の影。
喚く赤子の様な声と、ポルカの警鐘に反応したちょこは眼前に割り込んできた飛び蹴りを受け止め、勢いを殺す様に後方に飛び退いた。
「だいぢょぶ青つぁん⁉︎」
青を守る様にちょこと対峙するは、轟はじめ。
「あ、りが、と」
嘔吐感も引いて行き、青は一度這いつくばって立ち上がる。
立ち上がればはじめの姿がとても小さくなるが、その背中は大きく感じた。
「また新顔ね。まさかあなたが男性、なんて事は――」
「んなわきゃないでつょ‼︎」
「なら一安心!」
言質を取ってちょこは上着を脱ぎ捨てる。
胸元の刻印を露わにし、その美貌と豊満な武器を盛大に見せつけながら特攻。
呪の力を全開にされ、青は性懲りも無く鼻の下を伸ばしていた。
しかしはじめは毅然として構え、真っ向からちょこと格闘を始める。
(――また呪の効かない子)
ルイ、フブキ、そしてはじめ。
完全に呪を無効化される相手の多さにちょこは内心複雑な気持ちになる。
「ふっ! ちゃ!」
みことの戦いで浴びた負傷があれどはじめの運動神経は中々に良く、近接戦闘能力はちょことほぼ互角。
だが小回りの効くはじめに対し、ちょこは動き出しに所々の無駄がある。
タイマンであればはじめが優勢と見える。
「この
(来て青さん!)
「へ?」
不意に右手が誰かに取られ困惑する青。
振り返ると同時に手を取った奏が駆け出すので、その手に引かれて青も足を動かす。
奏はそのまま当初ぺこらが向かっていた方角へと駆けてゆく。
その先にフブキがいると直感したからだ。
何も口にせず腕を引く奏に青は疑問を抱くが、一先ず奏の誘導に従った。
パァン! パァンパァンパァン!
と、突如荒野に響く銃声。
弾丸を放ったのはルーナ。
無防備に背を向けて逃げるシオンとおかゆを狙ったのだが、ぼたん程狙撃の腕がなく、加えて両者走りながらの捕捉。
放った全4発は誰にも命中しなかった。
「チッ」
銃を投げ捨てるとルーナは手榴弾を生成し、ピンを抜き投函。
3度地面を跳ねてシオンとおかゆの背後で爆発。
「ゎ‼︎」「っ‼︎」
「シオンちゃん‼︎」
爆発は直撃しなかったが、爆風で2人の身体は宙に浮き、地に激突した。
数カ所を擦りむき、打撲し、衝撃で微かな眩暈もした。
それでもシオンはおかゆの手を握り、立ち上がろうとする。
「お、がゆ……!」
2人の姿は爆煙に包まれていたが、爆煙の中にいる事は明確。
ルーナは立ち止まり爆煙に向かって再度銃を構えた。
今度はピストルではなくマシンガン。
「ふな」
発砲開始――に合わせて突如爆煙周辺で発生するダイヤモンドダスト。
空中を舞う数多の光沢に弾丸が次々と命中し、金切音が幾重にも重なって鼓膜を軋ませる。
「シオンちゃん!」
「ぺ、こちゃ」
ダイヤモンドダストの正体はぺこらの生み出した無数の硬貨。
大量の硬貨を撒いて弾丸の直撃を避けたのだ。
「大丈夫⁉︎」
「うん、ありがとう‼︎」
爆煙が履けて行く。
その煙幕から飛び出す3つの影。
「クソ。しぶてェな」
ルーナがマシンガンを捨てて剣を現出。
再三ポルカと並んで2人を追うが、その前に1匹のウサギが立ちはだかる。
ルーナは迷わず猛進。
ポルカも息を合わせる。
「へこは……といへ……」
ぺこらの背後から掠れた吐息で何者かが呟いた。
遅れてぺこらの肩にとんと焼け爛れた手が乗る。
「――ろ、ぼ子……さん……?」
満身創痍で立っているのがやっとの状態。
そんなロボ子がノエルの肩を借りてのっそのっそとぺこらの前に出る。
間近へと迫り来るルーナとポルカ。
ルーナが危機を察知したのか空いていた左手に銃を生み出す。
次の瞬間――
「へ――」
ロボ子が唯一の支えにしていたノエルを後方へ突き飛ばし、虚空へと手を掛けた。
「――‼︎」
途端にポルカの脳内で危険信号が激しく点滅する。
いや、ルーナへの防衛本能と言うべきか。
「ルーナ――」
ロボ子が徐に虚無に掛けた手を引けば異次元の門が開く。
瞬間、大爆発が発生し異次元の工房から業火が横一直線の火柱を作り上げた。
瞬く間にポルカとルーナが炎柱に呑まれる。
がしかし、爆発の勢いでロボ子が扉から手を離した為に異次元の門はまたしてもひとりでに閉じ、業火を異次元の中に再び閉じ込め、火柱が消滅する。
その消滅した火柱の渦中にあった場所にポツンと人1人分の炎がメラメラと燃え残っている。
「あヅッ……」
全身を焼く熱気に包容されていたルーナは背中に微かに触れる冷気を求め、身を焼く包容から飛び出した。
ドンと尻餅をつき冷気を浴びると全身至る所にできた微かな火傷がヒリヒリと痛む。
「――! ぽる――」
「ァ、かッ! ァァァ‼︎」
ふと相方の姿を探し顔を上げると目前に眩い光と熱気を放つ炎が転がっていた。
夜間、冷え切った荒野を照らす極小の太陽が地べたをのたうち回る。
「ポルカ……‼︎」
全身を炎で覆われて炎上の止まらないポルカ。
ルーナは反射的に駆け寄り手を伸ばすが到底触れられたものではない。
「ど、どうしよ! ポユ、ポユカ!」
ポルカは焼身の苦痛で延々と暴れ回る。
ルーナは周囲を見渡すが付近にそらはいないし、みこは戦闘中。
突然の火柱に一瞬視線が集まっていたが、誰が何かを出来るわけでもない。
「な、うな……」
持てる限りの知恵を振り絞ると、抱えきれない感情の粒が目元から溢れた。
「どう! どうぢよう‼︎」
脳裏にチラつく白昼夢でのスバルの姿。
最期の最期に授かった言葉を、約束を、こんな簡単に破り捨てる羽目になるとは思っても見なかった。
「どうぢよ! どうぢ……ッ!」
土壇場で閃いたアイデア。
ルーナは自身の呪の力にかけて、頭の中に消火器を強くイメージした。
消火器を武具としてイメージして、呪の力で手元に現出。
「んな‼︎」
拳銃や剣と違わない要領で消火器が出現。
焦燥に駆られるルーナは震える手で栓を抜き、中身をポルカに向けて噴射した。
真っ赤なポルカの周囲に白い粉が噴霧され、みるみる鎮火していく。
「ァァッ! カッ、ハッ、ハッ、ハァッ! ァァッ‼︎」
炎上が収まるとポルカは慌てて酸素を吸うが、同時に消火剤なども吸い込んで激しく咳き込む。加えて喉が焼けておりまともに空気が吸えない。
更に全身の火傷が冷気に触れて常時電撃を浴びている様な痛みに苛まれる。
「ポユカ! 落ぢづいて!」
ルーナは熱気の失せた寒空の下でシャツ1枚になり、脱いだ服をポルカに被せる。
肌が露出し焼け爛れた部位を覆い、焼け残ったポルカの服はそのままに。
「だいじょぶ! だいじょぶだからね」
ポルカの焼けた肌にポツポツと感情の粒を滴らせながら、ルーナはポルカの手当てに専念した。
そんな出来事さえも、まるで蚊帳の外にして戦場は目紛しく変化し続ける。
周囲のサポートのもとおかゆが漸くみことラプラスの戦場に到達した。
もう誰のものかも分からない血を拭って、おかゆはみこを――否、その奥に眠るミオを凝視した。
シオンとぺこらに肩を借りて、己の力の解放に注力する。
煌めき、揺らめく瞳に振り絞った希望を投影して。
大きく息を吸った――
「ミオちゃん‼︎‼︎」
放たれるは正真正銘おかゆの声。
みこの意識が一瞬ラプラスから逸れた。
「お願い‼︎ もう……! もう‼︎ 戦いを終わらせて‼︎」
おかゆの心からの叫びだった。
全ての鍵を握るミオへ希望を託し、熱意を送り込む。
押し寄せる悲嘆を懸命に押し殺し、2人に肩を支えてもらいながら、ただミオに熱意を持たせるためだけに自分の感情を騙して熱意を向上させる。
「……?」
みこの心身の機微さえも的確に捉えたラプラスは、おかゆの言葉の効能を感知した。
みこの奥底で葛藤するミオが、みこの力を弱めている。
ラプラスはここぞとばかりに距離を詰め、みこの魂に手を伸ばした。
「はッ!」
しかし容易く手を弾かれる。
フブキの声ほどの効果が見られない。
「――」
ラプラスはちらと周囲を一瞥。
みこが激しく疲弊している様に、各所でも疲労で運動能力を落としているメンバーが見受けられる。
すいせいとはじめは特にダメージも大きく、現状維持が長続きしない。
フレアを抑えきれなくなれば愈々ジリ貧。
莉々華があれ以降指示を飛ばそうとしない事から、策自体が動いている事は把握できる。
恐らくぺこらを走らせた先に何かがあったのだ。
そちらへ向けて今は奏と青が足を進めている。
つまり2人の帰還がポイント。
(それまで――)
「みこち」
「な……!」
思考を整理して再三適度にみこを相手取ろうと意気込んだラプラスだったが、不意に割り込む声に動きを止めた。
みこにとっては絶好のチャンスだったが、ラプラス以上にその声に過敏に反応し、みこは完全に硬直していた。
ラプラスは振り返り声の主をまっすぐ見つめた。
2本の刀を携え、額に2本のツノを生やし、華やかな和装に身を包んだ鬼――百鬼あやめ。
重心を左に傾けてやや右脚を浮かせたまま佇み、肩で息しながらみこと向かい合っている。
「みこち」
「……あやめちゃん」
想定外の人員。
想定外の再会。
みこは顔を顰めた。
「ごめんなさい。もう関わらないって約束してくれたのに、余の方から……こんなとこに出てきちゃって」
「…………」
「余とルイちゃんにとって、やっぱりみこちは神様みたいな人で感謝しても仕切れない」
「……」
「だから、みこちが苦しんでるなら余は、助けてあげたい」
「どこをどう見たら、みこが苦しんでる様に見えんだ」
「誰がどこをどう見たって、苦しんでる様に見える」
みこの心が僅かに揺らぐ。
「だからみこち。もう人を傷つけなくていいよ。あとは――私たちが何とかして見せるから」
あやめが言葉で優しく包み込む。
みこは眉間に皺を寄せ、力強く奥歯を噛み締めた。
ラプラスが2人のやりとりを傍目に見ながらじわりじわりとみことの距離を詰めていく。
誰にも勘付かれない様に、徐々に、徐々に。
あやめも、みこに半歩歩み寄る。
距離はまだまだある。
もう半歩寄った。
まだまだ距離がある。
更に1歩、2歩とみことの距離を詰めていく。
みこがギュッと力強く瞬きをし、あやめを捉え直した。
あやめの心へ向かって俄かに微笑んで、みこは小さく告げた。
「ありがとね、あやめちゃん」
刹那――確かにあやめとみこの心は通っていた。
だが本当にたったの刹那だけだった。
「でももう戻れにぇから」
「っ――‼︎」
みこの特攻に驚愕し、面食らい、瞬きをしたあやめの眼前で――ラプラスがみこの拳を受け止めていた。
回し蹴りで反撃し、後方にみこが回避した数秒の間でラプラスは叫ぶ。
「どけ! あやめさん!」
咄嗟の事で荒くなる言葉遣い。
あやめはそれでも反応が鈍かった。
「ま、待ってよみこち」
そんな話し合いで解決する問題なら、呪はとうにこの世から消滅している。
分かりきっていても、あやめは相手がみこならそれが通じるかもと思った。
攻撃の矛先を向けられた今でも、その望みが捨てきれずあやめは後退できないでいる。
「みこち! みこちってば!」
「ん゛っ! ぐっ!」
「「――⁉︎」」
あやめの真横に突如星が飛来してきた。
風圧と舞う土煙から反射的に目を守るあやめ。
その眼前を覆う腕をすり抜けて眩い光が間近へと迫ってくる。
「ぢっ‼︎」
「っ――」
不意にあやめの脇腹に何かが減り込み、勢いのままあやめは数メートル吹き飛んだ。
直後、者どもの残像を焼く炎が荒野に降り注ぐ。
間一髪攻撃を回避した4人。
すいせいは素早く宙に飛び出して高所から睥睨してくるフレアに襲い掛かる。それはもう鬼気迫る勢いで。
しかしすいせいの疲弊に加え、フレアもスピードに慣れてきており次第に攻撃が回避されたり、あしらわれたりする様になる。
そしてフレアはすいせいへの対応の合間を縫ってラプラスへと矛を飛ばし始める。
照明と疲労でラプラスもまた運動能力が低下。
そこへみこがなけなしの体力を絞り出して攻撃を仕掛ける。
「くっ、んっぐ」
ラプラスの腹部に1発。
「ぃ、あづ‼︎」
靡いた銀髪にフレアの攻撃が掠り引火。
慌てて振り回して消火する隙に――
「ん゛」
顔面に1発、脇腹に1発。
2度跳弾しラプラスが地に伏す。
髪に着いた火は消えていた。
「フレアさん!」
「――‼︎」
ラプラスへの攻撃の手を止めないフレアに声を上げたのは莉々華だった。
傍にノエルを連れて、これみよがしにノエルの存在をアピールしながらラプラスの側へと寄る。
フレアの視線にノエルは若干萎縮気味だが、引く気はない様子。
フレアが鬼の形相へと変化し、怒りの矛先がアキロゼへと向いた。
「ぐ」
そこへ重なる横槍。フレアの骨格が不自然な曲がり方をした。
フレアがすいせいの蹴り1発で遠方の地に落とされ、全身を粉砕される。
フレアの墜落した場所へすいせいも流星の如く移動。
戦場に再び闇が広がる。
アキロゼはノエルを連れてみことラプラスから距離を置き直す。
「くッ」
みこが歯を強く噛み鳴らす。
あやめを一瞥しラプラスを注視。
もう邪念はいらない。
「ミオ……」
弱々しくまるで張りがなく、広く響き渡ることもない小さな声が、確かにみこの耳に、ミオの心に届く。
刹那、時間と空間が凍りついた。
「ミオ……」
静寂と凍りついた世界を切り裂いたのは繰り返される少女の声。
先よりもやや力強く、広く響く様に。
みこの視線が無意識に声の主へと惹きつけられる。
アキロゼもラプラスも少女の姿を確認した。
致命傷にならない程度の切り傷を抱えたフブキが、奏と青にアンバランスに肩を借りてこの戦地に立っている。
「み……、……ん……み……。ミオ!」
フブキが必死に感情を堪え、全力で叫んだ。
ミオの姿を自分の愛する大神ミオとして捉えて。
「ッ‼︎――‼︎‼︎‼︎」
ただ名前を呼びかけただけだ。
それだと言うのに……みこが胸元をギュッと握り締めて真っ青になり苦しみ始める。
「ごめんミオ‼︎ 分かってたのにずっと見て見ぬふりしてて‼︎」
フブキの訴えにみこの呻吟が重なる。
「もう二度とミオを独りになんてしないから! もう二度とミオのそばを離れたりなんかしないから‼︎」
「だからお願いっ‼︎‼︎ 帰ってきてぇっ‼︎‼︎」
渾身の発声でフブキの腹の傷口からぷしっと再出血した。
奏が紅々とした力強い瞳でフブキの横顔を見つめ、フブキの傷口に優しく片手を添えた。
フブキの叫びに反応したミオの魂が、みこの魂を激しく拒絶し始める。
ジワジワと命が削れる様な苦しみにみこは顔面蒼白になっていく。
地に足をつけたまま震えながらただ喘いでいる。
好機。
ラプラスは迷わず駆け出した。
闇を駆け、みこの心臓に手を伸ばす。
「ャッ‼︎」
駄々を捏ねる幼児のように衰弱しきった身体をくねらせ、みこはパシッとラプラスの手を弾いた。
しかし距離は詰まったまま。
ラプラスはすかさずもう一方の手を伸ばした。
バチッ!
「――⁉︎⁉︎⁉︎」
その腕はみこの魂を掴む事なく弾かれた。
「マジかよっ!」
限界まで条件を詰めたはずだ。
それでも尚、数百年の内に積み上がったみこの精神力がラプラスの力を拒絶する。
だが先刻とは明らかに違う感触。
(あとひと押し‼︎ あとほんの僅かでもみこさんの心に隙が出来れば届く‼︎)
実際に試行してラプラスはこう確信した。
しかしその一瞬が、今この瞬間に必要なのだ。
莉々華も状況は把握した。
激しい頭痛に苛まれる中、懸命に情報を下ろし、処理し、一縷の希望を模索し――
「――――」
完全に沈黙した。
その時、莉々華の思考に呼応した様に、みこの数十メートル後ろにひとつの影が現れる。
そいつが精一杯息を吸った。
「みこにぇさぁああん‼︎ もう‼︎ 戦いはやめ゛でぇえええええ‼︎」
(ッ。こより……)
みこの意識がたった一声で塗り替えられた。
「あの時」の後悔が瞬く間にみこの脳内を駆け巡る。
電撃に打たれたように、でも恐る恐ると振り返り――暗闇の先で背後に佇む者を、みこは見つめた。
脳裏に浮かんだ白衣を着た桃髪のコヨーテはそこにおらず。
茶髪のサイドテールをした小柄の少女が、そこで涙ぐんでいた。
「ま、つり――」
ズッ、とみこの魂に衝撃が走った。
まるで心臓を一握りにされている様な感覚。
大きく見開いた目をゆったりと閉ざしていく。
瞼と脳内に凄まじい量の走馬灯が迸り、やがて闇へと引き摺り込まれていく。
「うおぁあああああああ、らぁっ‼︎‼︎」
ラプラスが咆哮と共に天へと右腕を掲げると、途端にミオの身体がばたりと地面に倒れ込んだ。
ラプラスの右手に握られた淡い光の球が力無く夜の荒野を照らし続ける。
その淡い光に照らされたミオの顔はどこか儚さを紛れさせた静かな笑みを浮かべていた…………。