守り狐の魔法少女   作:百合書きたい

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3. 勉強

 夏休みの間、山本は例年よりもいっそう精力的に魔法少女として戦った。百江との会合で戦いの終わりが見えたことが大きな励みとなり、気のせいではなく実際に実力が上がって、しばらくは楽に怪物を倒せるようになった。百江に話してみると、心の力で戦う魔法少女は、気の持ちようで強くなることもあるのだという。

 

 ただ、楽勝できたのは数日だけだ。怪物は日ごとに強化され、生傷を作りながら辛勝するいつもの戦いに戻った。

 

 その負担に夏休みの多忙さが拍車をかける。怪物の出る時間は夕刻に決まっているとはいえ、その時間まで休んでいるわけにはいかない。いざ怪物が出たとき、一木が手の届かない遠くにいては守り切れないからだ。必然的に一木の自宅前に張り込み、ストーキングする羽目になる。

 

 戦いの終わった夜には、疲れた体に鞭打って魔法の練習。決めた時間を集中してこなすと泥のように眠る。たまに百江と連絡をとり近況を報告したりもした。

 

 そうして目を回すような忙しない夏休みを過ごし、九月。

 

「山本ォ、お前……もう少し真面目にやれよ?」

「すみません」

 

 山本は職員室で担任からお叱りを受けていた。

 

 担任が呆れた顔で、夏休みの課題ドリルをぱらぱらとめくる。一ページも手を付けてないまっさらな状態だ。

 

「本当に何一つやってないじゃないか。期末テストも軒並み壊滅だった。やる気あるのか?」

「すっごくあるんですけど、多忙な身でして」

「何か課外活動でもしているのか。いや、だとしてもこれはいかんよ」

「すみません」

 

 山本はただ頭を下げるしかできなかった。

 

 毎日の戦いに追われ、夏休みの宿題をすべて忘れた。前学期の期末テストでもしっかりひどい点数をたたき出し、根が真面目な山本はしょんぼり肩を落としている。

 

 担任が難しい顔で唸る。

 

「授業態度もいいとは言えん。一度親御さんと相談するべきかもしれんな」

「両親は仕事漬けなので、たぶん言っても意味ないかと」

「む……まあとにかく、もう少ししっかりしろ。課外活動に打ち込むのはいいことだが、生徒の本分は勉強なんだぞ。大体、やるべきことをまともにやらないやつは何をやらせても──」

 

 懇々と、愛のあるお説教が続く。

 

 昼休みの予鈴が鳴るとようやく言葉を切り、

 

「今度の中間テスト、全科目五十点以上を目指すんだ。できないと、課外活動についてご両親と相談することになる」

 

 と言って解放した。

 

 職員室から出たところで、山本は頭を抱える。

 

「どうしよ」

 

 担任の言うことは正しい。中学生なのだから勉強を頑張らなくてはいけない。

 

 しかし現状、いっぱいいっぱいなのだ。毎日の戦いと魔法の練習でくたくたになると、勉強なんて考える余裕さえない。片手間でこなせるほど要領もよくない。かといってこのまま何もしないのではまた怒られてしまうし、言えもしない魔法少女活動のことで親が呼び出され、話がややこしくなってしまう。

 

「お、ようやく不良娘が出てきましたね」

 

 追い詰められた山本に声がかけられる。

 

「新学期初日から呼び出しなんてやるじゃないですか。一体何を──」

「お願い勉強教えてっ!」

 

 顔を上げるや否や縋りついた。

 

 声の主は一木千惟。文武両道、学校一の有名人にして美少女。

 

 彼女は目をぱちくりさせて「は?」と首を傾げる一木に、かいつまんで事情を説明した。忙しすぎて勉強をサボっていたら、いい加減にしないと課外活動を辞めさせると脅されたことを。

 

 一木は話を聞くと、呆れたように笑う。

 

「全教科五十点とは、ひっくい目標ですね」

「私にとっては富士山レベルなんだよ」

「富士山に失礼では?」

「ごめんね富士山」

「よし許す」

 

 変なやり取りをしてから、山本は我に返る。自分はなんてことを頼んでいるのだろう。

 

 たしかに一木は勉強ができる。一学期の期末ではほとんどの教科で最高点を取っていたらしい。だからつい助けを求めてしまったけれど、一木にとって山本は春に話したことがあるだけのクラスメイト。わざわざ頼みを聞く筋合いはないのだ。

 

 一歩身を退いて、俯く。

 

「ごめん。急に頼んでも迷惑だよね」

「いえ別に。そのくらい構いませんよ」

「えっ」

 

 耳を疑った。

 

 顔を上げた山本に、一木はこともなげに言う。

 

「あなたと違って私、けっこう暇してるので。さっきの目標達成する手伝いくらいならしましょう」

「……いくら?」

「やっぱやめようかな」

「ウソウソウソ! お願いします! なにとぞ!」

 

 嬉しさのあまり茶化してしまったのをごまかすように、山本は一木の手を取って頭を下げる。

 

 守りたい好きな人と、ただの同級生。不釣り合いな関係は、この日を境に変わっていく。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 二人の勉強会は週に一度行われることになった。山本としては毎日でもやりたいところだったが、平日放課後は怪物との戦いや練習で忙しく、土日のいずれかしか空いていなかったのだ。

 

 一木は山本の都合を了承し、代わりに場所は一木が指定した。

 

「お邪魔します」

「はいどうぞ」

 

 玄関に入ったとたん、よその家の匂いが香る。朝礼で倒れた日、抱き止めてくれた一木の匂いだ。柑橘系の中にわずかな線香の香り。

 

 迎えに出てきた一木はシャツ一枚にショートパンツというラフな格好。新鮮な装いに山本の鼓動が高まり、ショートパンツの短い丈からすらりと伸びた生足に目が吸い寄せられた。

 

 ドキドキしたまま中へ招かれ、一木の部屋へ案内される。ベッドに机、本棚、クローゼット、ラグの上に小さなテーブル。机には去年まで背負っていたランドセルがかけられている。一見シンプルで没個性的な内装だが、本棚の中身は九割が猫写真集、ラグは肉球模様、猫耳のあしらわれた目覚まし時計など、そこかしこに好みが反映されている。部屋の隅にはトロフィーや賞状がぎっしり詰まった段ボール箱が無造作に放置されていて、これも一木らしい。

 

 お互いに家が近く、わざわざ図書館で待ち合わせるのも面倒ということで、場所は一木の家が指定された。毎日のストーキング兼護衛のために見慣れた一軒家ではあったものの、中に入るのは初めてだ。

 

 緊張する山本とは裏腹に、一木は淡泊に言う。

 

「早速始めましょうか」

 

 テーブルを挟んで向かい合い、持ってきた教科書や問題集を取り出して、勉強会が始まった。

 

 そして間もなく、山本の心から浮ついた気持ちがなくなっていく。そんな余裕がなかったのだ。

 

「え、これ……マジですか?」

 

 やり残した夏休みの課題を解いて、一木に答え合わせをしてもらう。分からない部分を学年一の頭脳で解説してもらうはずだったが、一木は唖然としている。

 

 しばらく課題を見つめていた一木は、真剣な顔をして声を漏らす。

 

「このレベルが分からないってことは、分からないことさえ分かってない感じですね」

 

 ちらりと目覚まし時計に目をやる。午前十時過ぎ。

 

「夕方までは大丈夫でしたっけ?」

「うん」

「じゃあそれまでみっちりやりましょうか。どうせやるからには全教科満点目指しますよ」

「えっ」

 

 さらりと恐ろしい目標が立てられて始まった熱血指導は苛烈を極めた。山本の初歩的な間違いを徹底的に追求し、少しでも理解が足りていないと見るやどこが分からないのかを質問と勘で特定。きちんと理解するまで執拗に粘り強く解説していった。反面、社会などの暗記科目は「教科書丸暗記してください」の一言で済ます。

 

 そんな調子で取り組んでいると時間は飛ぶように過ぎ、昼前になる。

 

 キリのいいところで小休止していると、一木の体の特定部位がやけに目につく。一木はテーブルに肘をついて丸付けをしているが、そのシャツ一枚に包まれた部位がテーブルにのっかっているのだ。

 

 春の時点ではここまで目立っていなかった。成長期なのだろう。

 

「大きくなったなぁ」

「どこ見て言ってんですか変態」

 

 一木にジト目でにらまれたので、山本はしれっと笑う。

 

「身長に決まってるよ」

「座ってるときに、ですか? そういう山本は背も胸も何も変わりませんね」

 

 その通り、山本の体は中学生になってもランドセルが似合う幼児体型だ。出会った当初は同じ程度だった身長も、一木にすっかり追い越されてしまった。

 

「小さい方が的が小さくて有利だったりするんだ」

「何と戦ってんですか」

 

 ツッコミに前後して、山本のお腹の虫が鳴いた。一木が時計を一瞥してから立ち上がる。

 

「お昼にしましょうか。ちゃんと食べないと山本が縮みそうですし」

「失敬な」

 

 一木の案内でリビングに出ると温和な雰囲気の両親がくつろいでおり、昼食をごちそうになった。隣接する和室に線香の立てられた仏壇が見え、これが匂いの元かと気になったけれど、友達の親と話す初めての経験に忙しい。ちょっと緊張気味だったものの、おいしいごはんを楽しんだ。

 

 そうして午後の勉強にも精を出していると、すぐに夕方を迎えた。

 

 怪物が出る直前の違和感。長年の戦いで鍛えた感覚が働いて、山本は席を立つ。

 

「そろそろ時間だから」

「はいはい。忙しいのは分かりますけど、帰ったらきちんと復習してくださいよ。来週になって忘れたとか言ったらどつきますからね」

「もちろん忘れないよ。うん、絶対忘れない……」

 

 このとき山本が思い出していたのは、昼食での出来事。食事を共にした両親を一木は自然な口ぶりで「パパ、ママ」と呼び、直後に赤面して山本を睨みつけた。両親は微笑ましそうに箸を進め、山本もやはりにっこにこでご飯を食べた。別に恥ではないけれど、凛として気の強い彼女の新たな一面を目撃したことは、たぶん忘れられないだろう。

 

「……んっふ」

「何を思い出してんですかこのもじゃもじゃ娘は」

「いふぁい」

 

 顔を赤くした一木に頬をつねられる。雑な切り方の山本の頭はたしかにもじゃもじゃである。

 

 その後、勉強で頭は疲れていたもののいつもより調子がよく、余裕をもって怪物を倒したのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 一木との勉強会は劇的な効果を上げた。

 

 学習に割く時間は以前と変わらないものの、一木の的確な指導によって「何が分からないのかが分からない」状態が改善され、学習効率が上がったのだ。授業中にずっと呪文のようだった教師の解説もそこそこ理解できるようになり、居眠りの頻度が低くなった。

 

 魔法少女の方も順調だ。週に一度、一木と二人きりで過ごせる時間のあること、誰かと一緒においしいごはんを食べられることは山本の心を上向かせ、その分魔法の出力も上がった。戦いにおけるストレスは百江に愚痴をこぼすことで発散していたのも手伝って、かつてないほどストレスの少ない期間を過ごしていた。

 

「そんな感じで、最近は毎日楽しいです」

「そっかー」

 

 十月中旬、公園にて。残暑がすっかり過ぎ去り、どこからかキンモクセイの香る空気の中、山本と百江はベンチに並んで腰かけている。

 

 百江は夏が過ぎると下宿先に戻り、電話越しに山本の愚痴と相談に付き合っていたが、暇を見つけてはこうして顔を合わせにやってくる。戦いの過酷さを知るからこそ、吹けば飛びそうな体の山本が気がかりなのだ。

 

 そんな心配は知らず、山本は嬉しそうに目を細める。

 

「今の私は無敵です。勉強も戦いもなんでもできそう。毎日すっごく楽しい」

「それは何よりだけど、油断はダメだよ。ちょっとでも気を緩めたら死んじゃうのが魔法少女なんだから」

「分かってますよ。油断するには、痛い思いをし過ぎました。切り替えはばっちりです」

 

 毎日の楽しさと戦いは別だ。体中に刻まれた古傷は油断や慢心への戒めとなっている。いざそのときになれば瞬時に切り替える用意ができていた。

 

 自然体のままにじみ出る戦意に「おー」と百江は感心の声を上げる。

 

「山本ちゃんって見た目の割に歴戦感出てるよね。いつから魔法少女やってるの?」

「初めて変身したのは小一なので、それからですね」

「はぇ?」

 

 あんぐりと口を開ける百江。

 

「すごーい。じゃあ私より経験長いや」

「百江さんより?」

「初変身はたいてい小学校高学年から高校にかけてが多いんだ。私は中三の頃。山本ちゃんはそんなに早いってことは、途方もなくピュアッピュアなんだね」

「何が?」

「キラキラが」

 

 魔法の元になるキラキラ、人の幸せを喜び願う気持ちは、思春期を目安に高まる。一定の純度を超えると魔法少女になれるのだが、山本は生まれつき強いキラキラを持っていたようだ。

 

 よっ、筋金入りの魔法少女、とはやし立てられる。意外な才能を発見され、山本はまんざらでもなさそうに「うへへ」と笑みをこぼした。

 

 しばらくチヤホヤタイムを楽しんでいると、百江は思いついたように話を変えた。

 

「ところでさ、ずっと気になってたんだけど」

「はい」

「一木千惟って子、好きなの?」

「はい?」

 

 唐突な質問に目を丸くする。

 

 百江は何やら楽しげにニマニマしながら、

 

「一回戦うのがイヤになったけど、その子のためにまた魔法少女を始めたんだよね。やっぱり大切な人だから?」

「え、まあ、はい」

 

 戸惑いがちに肯定する山本。脳裏に小学校時代の記憶がよぎる。

 

 最初はなし崩しだった。目の前で同級生が怪物に襲われるのが忍びなくて、仕方なく戦った。

 けれどあの朝礼の日、一木の優しさに救われ、あの微笑みに打ち抜かれ、この人のためなら全身全霊で戦って守りたいと誓った。好きかどうかと言われれば間違いなく好きだ。

 

「好きですし、大切です。一木さんのためだから、私はこんなに頑張れます」

 

 平然と、一片の恥じらいもなく言ってのける。

 

 百江は、両頬に手を当てて「あら~」と奇妙な鳴き声をあげた。

 

「自覚なきまっすぐな想い……いいわぁ~」

「いいって何が?」

「気にしないでこっちの話」

「ヨダレ出てます」

「失礼」

 

 山本と一木の関係の話になると、百江はしばしばこうなる。言われた通り気にしないで、今度は百江の大学生活のことを話題にしてから、夕刻の会合を終えた。

 

 翌日、山本は昼休み、一木から呼び出しを受けた。

 

「ちょっと来てください」

 

 菓子パンをかじろうとしていた山本の手を取り、一木が教室を出る。

 

 引っ張って連れて行かれたのは施錠された屋上扉の前のスペース。余った机やいすが乱雑に放置されている。

 

 一木は階段の最上段にハンカチを敷いて腰を下ろし、お弁当箱を開けた。山本もそれに倣い、隣に座る。

 

 奇妙だ。一木はいつもクラスの人気者グループで昼食を食べる。用件があるなら単刀直入にずばりと言いそうなのに、今日はなんだか言いあぐねている。

 

 どこか悩ましい一木の横顔を、菓子パンをもそもそしながら、じーっと見つめる。

 

「……ガン飛ばしてます?」

「がん? 鉄砲?」

「いえ、何でも」

 

 口を開いたと思ったらまた黙る。弁当を食べるのが止まっているのに対し、山本の方はすっかり菓子パンを食べ終えてしまった。

 

 何か話があるようだけれど、待った方がいいのだろうか。それとも適当にしゃべって緊張をほぐす?

 

 やることもないので後者を選ぼうとした直前、やっと一木が口にした。

 

「昨日のあの女の人、誰です?」

 

 きょとん、と首を傾げる。すごく言いにくそうなくせに大したことない話題だ。会合に使っている公園は通学路にあるので、見られたのは不思議ではない。

 

「百江さん。市外の大学生で……」

 

 何気なく答えようとして、詰まる。「魔法少女の先輩」と答えるわけにはいかない。

 

「課外活動の先輩」

「ふぅん。いつから仲良くしてるんですか?」

「夏休みのちょっと前かな」

「じゃあその人に勉強教えてもらえばよかったのに」

 

 刺々しい声音に、山本はがつんと頭を殴られたような衝撃を覚えた。拗ねたように頬を膨らませる一木の表情には気づかず、泣きそうになるのを必死でこらえる。

 

 一木に勉強を頼んだのは成り行きだ。たまたま彼女が職員室の前にいたからダメ元で頼んでみた。それが彼女の迷惑になるとは考えもせずに。

 

「ごめんなさい」

「謝られても……ちょっ、な、なんで泣いてるの!?」

 

 我慢できてないようなので、膝に顔を埋める。

「一木さんっ、と勉強するの、楽しくてっ……迷惑になるとか、全然、考えられなくてっ……」

「え、はっ? あ! 違います違います! 迷惑ならその場で断ってます! 私はただ、ただ……」

 

 一木が考え込むように黙り込み、ほこりっぽい空間に山本の嗚咽だけが響く。

 

 しばらくして、言葉を絞り出す。

 

「……誰なんだろうって、気になっただけで……他意はありません。嫌味っぽくなってごめんなさい」

「本当? 我慢してない?」

「してません。嫌になったら腹パンして追い返してます。知ってるでしょ?」

 

 いたずらっぽい言い方。山本は泣きながら笑みを零す。

 

「そうだね……ぐす」

「ああもう、袖で拭わない。ほらティッシュ、ちーんして」

 

 受け取ったポケットティッシュで顔を拭っている間に、一木がぽつりとつぶやく。

 

「あなたといると、調子が狂いますね」

 

 その言葉に棘はなく、優しさと別の感情が滲んでいて、山本はもちろんその真意に気付かないのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 戦いと勉強の忙しない日々が過ぎ、十月下旬、中間テストの日を迎える。

 

 一木は言うまでもなく上々の結果で、五教科四九五点。ケアレスミスの減点だったのを考えればほぼ満点だ。

 肝心の山本はというと、五教科二六〇点。全教科五十点以上の目標を達成した。際どい結果ではあったが、一学期の五教科一二〇点と比べれば大躍進といえる。担任の教師は担当科目のテストを返却するとき満足そうに頷いていたので、最悪の事態は避けられたのだろう。

 

 すべて一木のおかげだ。効率的な勉強法を教えてもらえなければ同じ失敗を繰り返していたに違いない。

 

 何かお礼をしなければ。お昼休みに結果報告を兼ねて「お礼したい」と伝えると、一木は今週末も家に来るようにと要求した。何か付き合ってほしいことがあるらしい。

 

 二つ返事で快諾し、迎えた週末の昼下がり。

 

「なぜに散髪……?」

 

 山本は首元に散髪用のクロスを巻かれ、椅子に座らされていた。洗面所の大きな鏡の中で、くせ毛、目にクマのある女の子が首を傾げる。

 

「前からずっと気になってたんですよ。知ってます? 猫のブラッシングって、猫だけじゃなくやってあげる人の方も気持ち良くなれるんですよ」

 

 櫛とハサミを片手に、荒れた毛並みにもう片方の手で霧吹きを手早く吹きかけながら、一木が言った。口元は緩み、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だ。

 

「美容院がベストなんですが、お金かかりますし。私がささっと毛づくろいしてあげましょう」

「わぁい。わぁい、なんだけど……これ、お礼になってる? 私だけ得してない?」

「なりますよ。やる方も気持ちいいって言ったでしょう」

 

 言うが早いか、山本の荒れた毛先にハサミが入る。ジャキジャキとハサミが開閉するたび、クロスとシートに黒い欠片が落ちていく。昔は親に近所の散髪屋に連れて行ってもらったけれど、いつからか自分で雑に切るだけになっていた。誰かに切ってもらうのは久しぶりだ。

 

 目を閉じてじっとしていると、「よし」と肩を叩かれ、首元のクロスを外された。

 

「こんなもんでしょう。片づけるんでシャンプーやっといてください」

「えっ」

 

 当たり前のように言われ、鏡の中を確認するのも忘れて見返す。

 

 一木は片付けの手を止め、不思議そうに目をぱちくりさせた。

 

「どうかしました? もしかしてシャンプーもやってほしいとか?」

 

 洗面所に併設された浴場と、一木の間で視線をいったり来たりさせてから、諦めて首を横に振る山本。

 

 なんとなく服を脱ぐのが恥ずかしかっただけだ。女の子同士、それに体育の授業などで何度も経験していること。今更恥じることはない。

 

 ささっと服を脱ぎ、上等そうなシャンプーで頭を洗う。用意されていたタオルで体を拭き、着替えを終えたところでようやく鏡を見る。

 

 長髪の女の子がそこにいた。前髪が眉毛の長さで綺麗に切りそろえられ、眠たそうな目元が見えている。濡れた癖毛は早くもところどころが跳ね初めており、特に頭頂部のアホ毛が目を引いた。

 

 それでも、毛並みの荒れたケダモノのようだった散髪以前とは大きく違う。丁寧にブラッシングされた飼い猫のようだ、と山本は思った。

 

「ほらかわいい」

 

 後ろから両肩に手が添えられる。片付けを終えた一木が山本と並んで鏡と向き合い、髪に手櫛を通す。

 

「もじゃもじゃがもふもふになりました。こいつは素敵です」

 

 あまり縁のない言葉が面映ゆく、照れ笑いが漏れ出る。

 

「ありがと」

「これからは切りたくなったら私に言うか、美容院に行くこと。自分で適当にやるのは禁止です。いいですね?」

 

 有無を言わせぬ口調に、首肯するしかない。

 

 一木は満足げに頷いて、スマホを取り出す。

 

「よし、その時に備えて連絡先交換しましょうか」

「携帯持ってない」

「じゃあ電話番号で」

 

 それから、テストで間違えたところを見直したり、雑談したりして解散した。

 

 町が橙色に染まる黄昏時。山本の足取りはスキップでもしそうなほどに軽い。心配だったテストは無事に突破し、一木とも仲良くなれた。精神的な状態が良いためか、魔法少女としての力も高まっている。髪を整えられて気分もいい。

 

 なんだか人生がかつてなくうまくいっている。今ならどんな怪物が出ても圧勝できそうだ。実際、その日の帰り道に遭遇した怪物は秒殺だった。

 

 そんな風に調子に乗っていたからだろうか。

 

 数日後の夕刻、山本は強力な怪物と遭遇し、戦闘。

 

 勝利するも重傷を負い、初めて学校をずる休みする羽目になった。

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