守り狐の魔法少女 作:百合書きたい
問題の怪物が出たのは一木の自宅にほど近い路上だった。その個体は、今までのヘドロや人の上半身とは決定的に違う。
歪な人型。ぶくぶくと膨れ上がった胴体に太い四肢がつながり。一番上にはのっぺらぼうの黒い頭が乗っかっている。全長は四メートルはある。
『怪物は人の形に近づけば近づくほど強い』
百江からそのように聞いたことを念頭に、最大限の注意を払って全力で戦いを挑み──怪物の体を真っ二つにしたのと引き換えに、山本は振り回された腕に弾き飛ばされた。
この時点で嫌な予感を覚えたものの、怪物との戦いで魔力を消費し、変身を維持するのも難しい。念のため自分の部屋に帰ってから、深呼吸を挟み覚悟を決めた上で変身を解除した。
瞬間、全身を襲うすさまじい痛み。
わずか数秒で意識を手放し、翌日昼まで気絶するのだった。
ーーー
「よっぽど救急車を呼ぼうかと思ったよ……」
「魔法少女って診てもらえるんですか?」
「もらえるけど、傷の治りが早すぎて騒ぎになっちゃうね。ふー、ふー、あーん」
「自分で食べますって」
気絶した翌日、パジャマ姿でベッドに寝込む山本を百江が看病している。
口元に運ばれたおかゆに赤面し、お茶碗とレンゲを奪う。口に入れると、卵の滋味とお米の甘味がじんわりと沁みた。
強大な怪物の気配を感じ、しかも夜に電話をしても通じず心配になったからと、百江が訪ねてきたのは朝のこと。玄関でぶっ倒れる山本に動揺しながらも、ベッドに運んで着替えさせたのはさすが冷静な対応だった。そのかいあってか山本は昼前には目覚め、食事をとれるほどには回復している。
おかゆを食べながら、今回現れた人型の怪物について山本が語った。
「なんかめっちゃ強かったです。もうすぐピークなんですかね?」
怪物は思春期の少年少女が抑え込む心のドロドロによって生まれる。その強さは早ければ中学卒業までにピークを迎えるというが、もうそれが来たのだろうか。
山本の思いつきに、百江は首を振った。
「テストあったんだよね。そのよく狙われる子、学年一位とかだった?」
「たぶん、はい。よく分かりますね」
「じゃあそれかなぁ。勉強頑張ってる子たちのドロドロが怪物になったんだ。頑張ってもあの子には敵わない嫉妬、羨望、絶望。そんなドロドロが」
山本は目をぱちくりさせた後、百江の言葉を数秒かけて咀嚼し、心底嫌そうな顔をした。
「その理屈だと、一木さんが目立ってチヤホヤされるたびすんごい強いのが出てくることになるのでは……」
「残念だけどその通りだねー。有名人は大変だ」
思わず天を仰いだ。なんて理不尽な仕組みだろう。
とはいえ嘆いても仕方ない。やけ食いするように残りのおかゆをかきこみ、ベッドサイドの目覚まし時計を見やる。十二時少し過ぎ、怪物の出る夕刻にはまだ時間がある。今日の分に備えて少しでも休んでおかないと。
「ごちそうさまです。百江さん、本当に助かりました。ありがとうございます」
「気にしないで。私にはこれくらいしかできないし──あら?」
早速横になって休もうとすると、インターホンが鳴った。
セールスか郵便だろうか。山本が動くより早く、百江が立ち上がる。何かを察したように微笑み、荷物を持って。
「それじゃ、お大事に」
「あ、はい」
どうやら対応ついでに帰るつもりのようだ。
百江が出て行くと、手負いだからか、無性に心細く感じる。ベッドの中で自分の体を抱き、部屋に満ちる耳鳴りのような静寂に耐える。
そのせいか、再び部屋に誰かが入ってきたとき、「あっ」と弾んだ声を上げてしまった。
「忘れ物ですか?」
「いえ、お届け物です」
入ってきたのは一木だった。
制服姿の彼女は、どこか拗ねたような顔で、プリント入りのクリアファイルをひらひらさせて、目についた学習机に置く。学校の配布物のようだ。
山本が首を傾げて時計を見る。学校はまだ昼休みのはずだ。
その疑問を察してか一木が答える。
「早引けしてきました。気分が優れなかったので」
「えっ、大丈夫? それなら無理して届け物なんてしなくてよかったのに」
「大丈夫? ってどの口が言ってんですかね」
一木の声音は固く、眉根をひそめた表情にはいら立ちと疑念が見て取れる。
いかにも不機嫌そうな雰囲気に面食らっているうち、一木はおもむろに山本との距離を詰め、ベッドの上で馬乗りになった。
「え、えっ」
戸惑いにも構わず、手早くパジャマのボタンを外し、開く。古傷と痣だらけの華奢な体が露わになる。
羞恥で体を庇おうとするが、一木はそれも許さない。山本の細い手首をベッドに押さえつけ、額を合わせるようにして間近で向き合った。
「単刀直入に聞きます。あなた、命を危険に晒してますよね」
あまりに唐突な図星である。驚きで言葉を失っていると、
「沈黙は肯定と受け取ります。それ、今すぐやめなさい」
「で、でも」
「でももだけどもないです。どんな理由があろうと辞めなさい。さもないと死にますよ」
強い確信のこもった言い方に気圧される。もちろん死の危険を感じたことなど無数にあるものの、一木の口から告げられた『死』の言葉には痛々しいほどの実感があった。
答えない山本と十数秒ほどにらみ合った末、一木は目を伏せ、訥々と語り出す。
「──私にはお姉ちゃんがいました」
密着するとほんのり香る線香の匂いが、やけに強く感じられる。
「いつもいつも傷だらけ。夕方になると姿を消す。たまに倒れて一日中寝込む。今のあなたみたいに」
声が震え、瞳が揺れている。
「どう見ても大丈夫じゃないのに『平気平気、大丈夫』っていつも強がる。パパとママに心配ばっかりかけるお姉ちゃんが嫌いでした。だから言ったんです、『もう頑張るの辞めちゃいなよ』って。そしたら『守りたい人がいるから』とまた姿を消して、帰ってきたら冷たくなってました。バカげてるって思いませんか」
大粒の瞳から雫が落ち、山本の頬を濡らした。両手首に指が食い込み痛みが走る。
「何から誰を守るにしろ、まずは自分でしょう。命を捨てて守り通したところで、残された側には悲しみしか残らない……」
声を詰まらせ、俯く一木。
「お姉ちゃんはっ、傷だらけで……虐待とかどうとか、変な噂されてっ……地元から逃げてきて、そこそこうまくいってると思ったら、また……っ!」
両手で顔を覆い、一木は肩を震わせる。山本は解放された両手で彼女を抱きしめようとするが、その資格はないと思い直した。
一木の姉もまた、魔法少女だったのだろう。一木は怪物を惹きつけるキラキラを有している。この町に引っ越してくる以前から一木を守っていたはずの誰かは、姉だったのだ。
姉は戦いの末に亡くなり、しかし特異な死に方故に邪推され、一木家は地元を追われた。そして引っ越し先で出会った山本が、姉と同じ道を辿っていると推測し、今に至る。
山本は理解した。自分が戦っているせいで一木を悲しませている。心の傷を抉っているのだと。頬と首に零れ落ちる涙の熱も、両手首についた痣も、すべて自分の責任だと。
理解した上で山本は、
「ごめん」
我を通すことを選んだ。
「悲しませてるのは分かる。これからもっと悲しませるかもしれない。間違っているのかもしれない。それでも、私は止まれない」
人の幸せ──他者の幸せを願い、喜ぶキラキラの権化。魔法に等しい純粋な想いは、ただ一人に向けられている。
本当に辛くて寂しいとき、寄り添ってくれた。闇の中で手を差し伸べてくれた、唯一の少女に。
その彼女をもっと傷つけるかもしれない。しかし傷はいつか癒える。怪物に食べられてしまっては、傷つくことも悲しむこともできなくなる。だからこそ一木の姉も戦い続けたのだろう。傷になると知りながら。
「どうして……!?」
「私がそうしたいから」
救いをくれたあなたのために。
独善的な呪いにも似た思いを我がままな言葉で覆い隠し、伝える。
すると一木は制服の袖で乱暴に涙を拭うと、山本の上から飛びのいて背を向ける。
「じゃあ好きにしてください。死にたがりと付き合う趣味はありません」
足早に部屋を出て行く間際、振り返って睨みつける。その目はひどく冷たかった。
「絶交です」
呆気にとられるうち、一木の荒々しい足音が遠ざかっていく。すっかり何も聞こえなくなると、ぽっかり胸に穴が空いたようで、どうしようもなく寂しい。
こんなときに寄り添ってくれたのが一木だった。けれど彼女が構ってくれることはもうない。
選ぶ余地はなかった。戦うのをやめれば一木が死んでしまう。魔法少女と怪物の話を暴露すれば、よしんば信じてもらえたとしても、姉の死や山本の状態に自責の念を感じてしまうかもしれない。
だから選択したわけではない。それでも、山本の意思で決断した結果だ。
「う…ぐすっ……ひぐっ」
その責任をかみしめて、山本は静かに泣いた。
ーーー
孤独な戦いが始まった。
趨勢は常に山本の不利だ。魔法少女の強さは心の力に比例する。自分の意思とはいえ好きな人に絶交され弱った心では弱体化は避けられない。必然的に生傷が増えていった。
学校での一木はもう山本に見向きもしない。そうすると、一木が気にかけていたからという理由で山本に話しかけていた同級生たちは潮を引くようにいなくなり、クラスで孤立した。常に包帯、眼帯、絆創膏で体が覆われている山本は元々クラスで浮いており、一木との絶縁が決定打になった形だ。教師は最低限いじめさえなければ良しとする事なかれ主義だったこともあり、山本はすっかりぼっちとして定着した。
家と学校で寂しい時間を過ごしてから、一木の帰り道を守り、傷の痛みにのたうち回って次の日を迎える。小学生時代と同じ日常が戻ってきた。
ただし当時と違う点が二つあり、一つは味方の存在だ。
「絶交されちゃったかぁ~……よしよし、山本ちゃんは悪くないよ」
百江はいつでも山本の肩を持った。絶交当日に電話で泣きつくと、その日の夜には山本の家までやってきて泣きじゃくる山本を胸で受け止めた。
「でもその子も悪くないしなぁ……自分のトラウマ晒してでも引き止めようとしたんだもんね。怒ってショック療法するのも無理はない……んー、誰が悪いんだろ」
難しそうに唸りながら、山本の涙をただ受け止めた。
もう一つの違う点は、怪物の強化だ。
心の力は思春期に伴い強くなる。怪物は一木の周囲、まさに今思春期を迎えつつある中学生たちの心から生まれており、彼ら彼女らの成長と共に強化されていくのだ。
その理屈なら山本も強くなるはずだが、絶交による弱体化と重なって、際どい戦いが増加。大けがの痛みに耐えるので忙しく、学校は保健室登校か欠席が増え、孤立に拍車をかけた。
さらに、一木を狙う怪物は、一木が学校で活躍するたび大幅な強化を受ける。一木に向けられる心のドロドロ──嫉妬、羨望、絶望など──が一時的に強まるからだ。期末テストには例の巨人型が現れ死闘を繰り広げ、三学期の中間、学年末テストでもやはり強化個体が現れ、山本はそれらすべての戦いで瀕死の重傷を負った。魔法少女でなければ二桁回数は死んでいるだろう。
倒れるごとに百江に泣きつき、彼女に余裕のある時期は看病もしてもらう。百江にはまったく頭が上がらない。
一度不思議に思って、百江に聞いてみたことがある。どうしてここまで親切にしてくれるのかと。
「大学生って結構ヒマなのよね」
力が抜けるような浅い理由だった。
百江はくすりと笑って、
「あともう一つ、私も元魔法少女だから。誰かを守りたいって気持ちはすごく分かるの」
百江もまた、誰かの幸せを喜び、願う気持ちを力とする魔法少女だった。力を失った今でも当時の思いは忘れていない。
夜の公園。包帯だらけの山本とベンチに並んで腰を下ろし、百江はぽつぽつと語る。
「守るのは残酷だよ。守るものとそうでないものに世界を二分して、後者は切り捨てる。自分の安全、痛み、苦しみ、他の人の気持ち、全部ないがしろにする」
山本は目を見開いた。守ることと切り捨てることは表裏一体。考えもしなかったが実際、山本は一木を守るため、こちらを慮る一木の気持ちを切り捨てた。
遠い目をしていた百江は、一転、強く山本を見据えて言う。
「だからこそ、一度守ると決めたからにはやり通さなきゃダメ。切り捨ててきた色んなものに報いなきゃ、一生後悔することになる」
その瞳の奥に暗い悔恨が見え、山本は悟った。この人は守れなかったのだと。だから山本を支え、背中を押すのだと。
「やり遂げたい」
山本は改めて口にした。
ケガをするたび辞めたいと思う。痛いの、苦しいのはもう嫌だと心が折れそうになる。
それでも応援してくれる人がいる。何より、人の輪の中心で称賛を受ける一木がいる。
『学年一位はまた一木だった。みんな拍手!』
『えー、コンクールに出した一木さんの作品が最優秀賞を取りました』
『一木さんは勉強も運動もなんでもできてすごいなー。おまけにかわいいし』
そんな風に一木が華々しく、幸せに健康でいてくれる姿を見れば、弱音などいくらでも切り捨てることができる。
それに、戦いは永遠に続くわけではない。心が成熟し、ドロドロした気持ちの御し方を知れば、怪物は出なくなる。その日まで頑張ればいいだけだ。
そうして覚悟を決めた山本は、折れそうな心を切り捨てて、ひたすらに戦い続けるのだった。