守り狐の魔法少女   作:百合書きたい

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5. 狐と猫

「あっ、死ぬ」

 

 うっかり口に出すほどに、濃厚な死の予感がした。

 

 一木に嫌われ、百江に支えられ戦い続けて八か月。中学二年に進級してしばらくした七月のある日、唐突にクライマックスがやってきた。

 

 変身状態で一木の帰り道を護衛し始めて間もなく、校門すら出ないうちに怪物が現れた。

 

 夕日を浴びて校庭に佇むその姿は完全な人型。美しい八頭身、しなやかで強靭な四肢、のっぺらぼうの真っ黒な頭。怪物は人型に近ければ近いほど強い、という知識を抜きにしても、巍然とした立ち姿から圧倒的な強さが滲み出ていた。

 

 これまでに戦ったヘドロ、ケモノ、上半身、巨人型。それらよりもはるかに強い。経験則と直感で山本は悟る。

 

 おそらく、怪物を生みだす同級生たちの心、その力がピークを迎えたのだろう。この怪物さえ倒せば、あとの怪物たちの強さは右肩下がりになっていくはず。それはつまり、命と引き換えにこの怪物を倒しても後続の怪物たちに対処できなくなるわけで──

 

 雑念だらけの山本。しかしその人型が、今しがた校門を出ようとしている一木を見据え、そちらへ向けて足を踏み出したとたん、乱れた心が一つの思いに統率された。

 

 それは純粋な守る意思。好きな人の幸せを願うキラキラである。

 

 その輝きを力に変えて、両手に光刃として顕現。後先なんて考えず、真っ黒な人型へ斬りかかっていった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 姉が何かを隠しているのは一木家公然の秘密だった。少なくとも千惟が小学生になった時点で何か抱え込んでいて、心配げな両親に諭されるように悩みを問われていたけれど、姉は決まってなんでもないと答えた。そうして部屋に戻って千惟と顔を合わせると、愛しそうに頭を撫でるのだった。

 

 姉は生傷が絶えなかった。校内でも校外でもケンカをしているところなど誰も見ないのに、いつも傷だらけで、ひどい日には一晩中痛みで呻いていることもあった。たまらず千惟がベッドにもぐりこんで寄り添うと、嫌な汗を流しながら強がったようにニッコリ笑った。

 

 苦しみの元は何なのかと、気になって後をつけてみたことがある。しかし姉は日暮れが近づくとどこへともなく姿を消し、また現れたときには傷が増えている。千惟にも両親にも何が起きているのかさっぱり分からない。

 

 姉の抱えているものが分からない、力になれない。一木家の空気が暗く重くなっていく。

 

 下向いていく雰囲気に抗うために、千惟は力を尽くした。勉強、運動、人間関係。幸いにも千惟の要領は良く、やればやるほど成績は向上し、人付き合いのコツを掴み、誰しもに好かれるような元気で賢くかわいい女の子としてもてはやされた。学校や近所の評判は両親に伝わり、千惟の活躍を喜ぶことで一木家に淀む不安は緩和された。

 

 姉が傷つき不安をあおり、妹が称賛され家庭を明るくする。

 

 そんな流れを繰り返して数年、千惟が小四の頃。

 

 姉が死んだ。

 

 死の経緯は一木家にもさっぱり謎だった。しかし古傷だらけの遺体にしかも衰弱死とくれば邪推は避けられない。虐待、非行、薬物。あらぬ噂に両親は追い詰められ、千惟を連れて地元を追われた。

 

 千惟は姉の死をどうにか受け止めながら、失望した。人の死をネタに想像を膨らませ好き勝手に噂する人々に。友人だと思っていた連中さえそういった噂に加担していたのを知り、強い不信感が募った。

 

 だから引っ越し先の学校では、仲のいい誰かは作らないと決めていた。友人など所詮はツールだ。校内で生じる共同作業を円滑にするためのツールに過ぎない。実際、千惟はクラスメイトと仲良く談笑しながら、それ以上は決して踏み込ませない絶妙な距離感を保った。

 

 が、そうさせなかった少女が一人いる。

 

 山本である。

 

(うわ、なんか毛並み悪いキツネみたいなのがいる)

 

 最初の印象はそんなものだった。転校初日の教室で見た山本は、茶色がかった伸ばしっぱなしの黒髪、しかも枝毛だらけのそれが跳ねていて、長すぎる前髪の下から眠たげな瞳を覗かせていた。細い手足と、体中の包帯と絆創膏が病的な印象を抱かせる。

 

 これだけなら不健康なチビ女というだけだった。

 

 しかし数日経って山本の認識は一変する。

 

(お姉ちゃんと同じだ)

 

 山本は放課後、夕刻の時間帯になると必ず姿を消した。ふらりと、どこへともなく。そして全身のケガ。死ぬ前の姉を思わせる山本に、千惟は目を引かれる。知らず彼女の姿を目で追うようになった。

 

 だからだろう、朝礼でふらつく彼女の異変にいち早く気づけたのは。

 

(くさい)

 

 とはいえ、まさかゲロをかけられるとは予想していなかった。クリーンヒットではなく飛沫だったが、普通に嫌だ。

 

 ただ、保健室まで支えた彼女の体は折れそうなほど細く、伸ばし過ぎの髪の毛はもふもふとして、触り心地が良かったことをよく覚えている。

 

 それからもなんとなく意識し、次に声をかけたのは中学生になってから。

 

 山本は日に日に目の下のクマが濃くなり、足取りも覚束なくなっていた。同級生たちはその様子に眉をひそめ、山本は中学でも孤立を深める。見ていられない。

 

「またゲロぶっかけてもいい?」

「ひっぱたくぞ」

 

 だから声をかけたのにこんなことを言われたら、半ギレになるのも無理はないだろう。

 

「本気で頑張りたいことがあるんだ。だから、私にできるところまで頑張りたい」

 

 かと思えばまっすぐに背筋を伸ばしてこう言うのだから掴めない。眠たげなタレ目の奥に灯った強い決意の炎に、千惟は息を呑んでしまう。

 

 けれど納得はしない。

 

「本当にやばいと感じたら、無理やりにでも止めます」

 

 だって人は簡単に死ぬのだから。

 

 ただの同級生のことをここまで気に掛けるのは、手の届く範囲で姉の二の舞を許したくないため。少なくともこの時点ではそうだった。

 

 それから、毎日ハラハラして山本を観察した。ケガと疲労は常時だったが、千惟の中のラインはどうにか超えないまま夏休みへ。

 

 休み明け、心配と怖いもの見たさ半々で学校に行くと、まあまあ調子のよさそうな山本は職員室に呼び出されていた。夏休みの宿題をすべて忘れたのをきっかけに、中間テストの目標を立てられてしまったらしい。

 

「お願い勉強教えてっ!」

 

 相当切羽詰まっているのか、そう頼まれたのは想定外で、

 

「別にそれくらい構いませんよ」

 

 快諾した自分は、それよりもっと想定外だった。

 

 勉強会の場所は自分の家。転校以後、同級生を招いたことのないそこに山本を招き、さらに両親に会わせたことは、千惟にとって極めて不可解だった。

 

 その謎は、中間テストが近づくにつれ解き明かされていく。

 

「えっと……この公式を使うの? なんで? そもそも公式って何?」

 

 山本はたいへんに要領が悪い。どこが分からないのかが分からない。だから答えを見ても解説を見ても何も頭に入らない。常人の倍は丁寧な解説をしないといけない。びっくりするほど不器用だ。

 

(……ふぅん)

 

 びっくりするほど不器用で、たいへんに要領が悪くて、それでも必死に真剣にテキストにかじりつく山本に。

 

(嫌いじゃないですね、こいつ)

 

 千惟は少しずつ惹かれていく。

 

 いや、以前から惹かれていたのかもしれない。勉強会を快諾したのもそのせいかもしれない。

 

 初めてのその気持ちは悪くなくて、毎週末の勉強会が楽しみになり、指導には力が入った。

 

 牛歩の進みながらも学習ははかどり、この調子なら目標点は達成できる。そう見込んだテスト直前のある日、千惟はまたも初めての気持ちを味わうことになる。

 

「誰ですかあの女……」

 

 コンビニへ急遽おつかいへ向かっていた千惟は、近所の公園で山本を見かけた。大学生だろうか、快活そうな女性と並んでベンチに腰掛け、親し気に言葉を交わしている。

 

 ムカムカした。夕方になると姿を消すのは、その女に会うためなのかと。

 

 ドロドロした。自分には見せない、気を許したような笑みを浮かべるのを見ると。

 

 心地の悪い気持ちを吹っ切るようにその場を後にしたものの、収まりがつかなかった。嫌な気持ちは中々消えず、翌日には山本を呼び出して尋問のような真似をした。

 

 あの女は市外の大学生で課外活動の先輩らしい。

 

 ふーん。大学生なら頭もいいだろう。あんなに仲が良いなら最初からあの人に勉強を頼めばよかったのに。

 

「じゃあその人に勉強教えてもらえばよかったのに」

 

 棘のある言い方にハッとした。こんなことを言うつもりはなかったのに。

 

「ごめんなさい……すんっ」

 

 あたふたしていると山本が泣きだしてしまい、千惟の動揺は加速した。

 

 言うつもりのなかったことを口走り、泣かせた。いつも傷だらけなのに泣いたところは見たことがない山本が泣いている。初めて見る泣き顔を前に、千惟の心は千々に乱れてまとまりがつかない。

 

 どうにか泣き止ませて別れた後も、心臓は高鳴ったまま。

 

 珍しい泣き顔と、涙に濡れたきょとんと首をかしげる山本が脳裏で繰り返される。

 

 その日の晩、千惟は悟った。

 

「あーこれ、好きになっちゃってますね」

 

 きっかけは、姉を思い出させるから。

 

 気になって目で追ううち、つながりができて。

 

 一生懸命で、まっすぐだけど不器用で、子ぎつねみたいに小さくかわいくて、本気で打ち込めるものがある、そんな彼女が好きになった。

 

 人付き合いのために見ていた、恋愛ドラマの登場人物。彼ら彼女らが抱えていたのと同種の感情を、山本に向けている。

 

 だからなおのこと、現実を認めたくなかった。

 

「あ」

「あら。ごゆっくり~」

 

 初めて訪れた山本の家から、例の女子大生が訳知り顔で出てきたことを。

 

 そして何より、

 

「あなた、命を危険に晒してますよね」

 

 山本が、姉と同じ末路を辿ろうとしていることを。

 

 ほんの数日前まで血色の良かった山本は、ベッドの上でぐったりとして、抑え込んだ両手首から感じる脈はとても弱弱しい。はだけたパジャマの下に見える細い体には生傷と古傷が入り混じり、疲労の色濃い顔には死相が浮かんでいる。

 

 決まって夕方に行われるなんらかの課外活動。おそらく姉が参加していたのと同じそれが、山本を追い詰めているのだ。

 

「それ、今すぐやめなさい」

 

 千惟は懇願した。この町に越してきてから話したのことのない姉の死を明かしてまで、山本を引き止めようとした。

 

「それでも私は止まれない」

 

 しかし返ってきたのは無情にも、強い決意だった。

 

「私がそうしたいから」

 

 眠たげな瞳の奥に燃えるのは、まっすぐで歪みのない、キラキラした思い。姉が抱えていたものだ。今にも折れそうな体に宿った清冽な心。言葉を尽くしても止まらないのは分かっている。そんなところを好きになった。

 

「絶交です」

 

 それに対する千惟の答えは、同じだけ強い思い──ではない。強い態度、拒絶によって相手の譲歩を引き出そうとしたわけでは決してない。

 

 千惟は逃げたのだ。

 

 大好きな誰かが、自分の手の届かないところで全力を尽くし、知らずのうちに死んでいく。あの虚無感を二度と味わいたくないために、好きな相手を切り捨てた。

 

 山本を目で追うことはもうない。声をかけることもない。幸い、進級してからはクラスが別になったことで、意識して無視する必要はなくなった。

 

 山本を好きになった事実などなかった。友だちでもなんでもなかった。言い聞かせている時点で矛盾しているとは知りながら、失う恐怖に向き合う勇気はない。

 

 虚しい、寂しい、会いたい。絶交なんてウソだと、あなたのことが好きだと伝えたい。だがそんなことをすれば、あの喪失感を味わうことになる。それを止められない無力感も。あふれ出そうとする感情と虚無感と虚無感で気が変になりそうだった。

 

 地獄のように空虚な日々が過ぎ、半年と少し。

 

「ヘイ彼女。ちょっとお話しない?」

「お断りです」

 

 夕暮れに染まる帰り道、怪しげな女子大生からのナンパを一蹴する。

 

 この時間帯なら山本が例の課外活動をしているだろうに、こんなところで何をしているのか。山本と仲良くやりにいけよ、と心中ではすっかりふてくされている。

 

「知りたくないの?」

 

 スルーされた女子大生、百江は、背後から変わらず明るく言う。

 

百惟(モモイ)ちゃんがどうして死んだのか。山本ちゃんがどうして死のうとしてるのか」

「なっ……」

 

 弾かれたように千惟は振り返った。そうせざるを得なかった。

 

「なんで、お姉ちゃんの名前……!」

「それも含めて、全部話すよ。ただし」

 

 すっ、と目を細める百江。

 

「あなたはひどく傷つくことになる。知らないでいた方が幸せかもしれない。それでも聞く?」

「当たり前です」

 

 即答すると同時、納得もしていた。姉と山本が頑なに口を閉ざした理由。知ることで自分が傷つく事情があったから、彼女たちは何も言わなかった。であればこの女子大生の話を聞くことは、二人の優しさに背くのと同じ。

 

 だとしても、もうたくさんだった。傷つくことを恐れるだけの虚しい時間は。これ以上空っぽのまま狂おしいほどの自己矛盾を抱えて生きるくらいなら、真実を知って死ぬ方がずっといい。

 

「教えてください。何が起きているんですか」

 

 千惟の強い視線を受け、百江が口を開く。

 

 そして語られた真実に、千惟は──

 

 

 

ーーー

 

 

 

 カァン、と硬球が弾かれ、野太い声かけと共に球児たちが駆け回る。少し離れた一画では陸上部が短距離のタイムを計っていた。

 

 夕日に照らされた校庭で部活動に励む生徒たち。

 

 その真っ只中で魔法少女と怪物の死闘が繰り広げられていた。

 

「この……っ!」

 

 白の双刃が幾度も閃く。常人をはるかに超える膂力で振るわれるそれは、連撃というより球状のシュレッダーに近い。間合いに捉えれば瞬時に怪物を切り刻む。

 

 少なくとも今までの怪物ならとっくに決着がついていた。しかし今回の怪物はおそらく一木をつけ狙う個体群のピーク。刃の一つ一つをのっぺらぼうの顔で完璧に見切り、最小限の動きで躱し続ける。

 

 埒が開かない。山本が次の手に出ようとした矢先、

 

「っぐぅ!?」

 

 怪物はするりと刃の嵐をくぐり抜け、カウンター気味に膝蹴りを放った。腹に直撃を受け、ボールのように地面をバウンドする山本。

 

 二度目のバウンドで受け身を取り、態勢を立て直した。油断なく怪物と対峙しながら、喉の奥からせり上がってきた血を吐き出す。

 

 変身中は全身に魔力防護が行き届いているため痛みを感じず、ダメージも低減される。にもかかわらずこのダメージだ。変身を解除すれば無事では済まないだろう。

 

 怪物はぐっと身を沈め、地を蹴る。拳を構え、矢のように突っ込んできた。

 

「ま、待った待った!」

 

 当然、待ったはきかない。ダメージを回復させずに攻めるつもりなのだろう。山本の動きを見切ってカウンターを合わせた先ほどの動きといい、これまでの相手と比べて知性が高い。

 

 繰り出される鋭い拳打。足刀。必殺の意思を込めた手刀と貫手。長い手足を活かした猛攻を躱し、剣で受け、ぎりぎりのところで捌いていく。急所から遠い手足に無数の傷が刻まれ、狐耳が欠け、じり貧の状況を強いられてしまう。

 

 このままでは削り殺される。

 

 焦燥に駆られ、連撃の合間に苦し紛れの反撃。右上から左下、袈裟懸けに斬りかかった。

 

「いっ」

 

 返ってきたのは痛烈なカウンターだ。怪物は待ってましたとばかり身を引き、山本の振るった刃を踏みつける。体勢の崩れた山本の体に大木すらへし折れるであろう回し蹴りが突き刺さり、山本は体をくの字にして吹っ飛んだ。

 

 完全に読まれていた。先ほど山本に一方的な攻めを許していたのは、動きを見切るためだったらしい。

 

 受け身を取って着地したとたん、またも距離を詰められ拳と足の連撃が見舞われる。回避と防御に徹していては先がなく、かといって無理に反撃すればカウンターを決められる。逆に相手の攻撃を見切ってこちらもカウンター、というのはできない。山本にあるのは度胸と魔力運用の技術だけで、初見の人型にすぐさま対応できる器用さはなかった。

 

 それでもまだ打てる手はある。一か八かの賭けに近いその瞬間を、山本は辛抱強く待った。

 

 体中にあざが浮かび、場所によっては魔力防護を貫通したのか、じんわりと痛みさえ感じるようになってきて、それでもまだ耐え続けて数十秒。

 

 やっと機会が巡ってきた。

 

 怪物が片足を天に向け、ギロチンの勢いで振り下ろす。激烈なかかと落としが、交差させた山本の双刃を地に叩きつけ、砕く。とっさに手放したものの、山本の体勢も崩れている。

 

 その隙を逃さず怪物が踏み込み、貫手を山本の正中線に抉り込もうとする。

 

 防戦の末に隙を晒し、致命の一撃を許してしまう。このシチュエーションが必要だった。ブラフを悟られないよう、自然に訪れるその状況が。

 

 狐の尻尾に意識を集中。形成した光刃を尻尾の先端で掴み、怪物の貫手よりも早く振り抜いた。

 

 衣装に付随する飾りとしてしか運用していなかった、尻尾を用いた初見殺し。格上相手に山本が切れる最後の手札だ。

 

 しかし、届かない。

 

 怪物は目を見張る速度で半身となり、正面から唐竹割りにするはずだった刃を回避。腕一本を切り落とされるだけの損害に抑えた。

 

 後ろへ飛び退(すさ)り、怪物は心なしか警戒した様子で山本を睨む。

 

 一方、山本は両手の光刃を再び形成、尻尾とあわせて三本の刃を構えながら、乾いた笑みを漏らした。

 

「きっつ……」

 

 その笑みには呆れと諦めが滲んでいる。

 

 もはや打てる手がない。こちらは刃が三本、向こうは腕を一つ失ったものの、ここまで賢く強い相手に優位性などまったく感じない。警戒が強まった分不利になった気さえする。

 

 それでも、逃げるわけにはいかない。

 

『無理はしないでくださいね』

 

 辛いとき、苦しいとき、寄り添ってくれたあの人が。

 

『どういたしまして』

『ほら、かわいい』

 

 微笑みをくれたあの人が、優しさをくれたあの人が。

 

『私には、お姉ちゃんがいました』

 

 悲しみを背負うあの人が。

 

 大好きになったあの人が、この先幸せに暮らせるように。

 

 悪い怪物は、魔法少女が倒さなくてはいけないのだ。

 

 ダメージで重たい体を前に運ぶ。痛みはないのに視界が霞み、足元がぐらつく。反面、怪物は警戒を強めじりじりと、しかし軽やかに距離を詰める。

 

 間合いに入ると再び打ち合いが始まった。互いに毒となるキラキラとドロドロをぶつけ合う。

 

 意識が朦朧としているせいか、怪物の攻撃を受けるたび、ドロドロした思いが伝わってくる。大して化粧もしてないくせにあんなにかわいいのはずるい。私には勉強しかないのにあの子に負けた。あの子は他に何でも持っているくせに。あの子が片手間で描いた絵が、奏でた旋律が、ずっと情熱を捧げてきた自分よりも高い評価を受けている。つらい、ずるい、にくい。

 

 大勢の幼い心から、零れ落ちた純粋なドロドロ。一つ一つは些細でも、数と純度がここまで屈強な怪物を生むのだろう。

 

 思いの丈では山本は負けていない。キラキラした気持ちを持つからこそ魔法少女として戦える。

 

 が、いくら気持ちが強くても、体には限界があるのだ。

 

「あれれ……?」

 

 何度目とも知れない刃と拳のぶつけ合いの末、距離を取った瞬間、すとんと膝をついた。立ち上がろうとしても体に力が入らず、そのまま横に倒れてしまう。三本の光刃も砕けるように消えてしまった。

 

 怪物はしばし油断なく身構えていたが、やがて警戒を解くと、山本に歩み寄ってきた。二メートル近い黒の巨体が見下ろして。山本の胴体ほどもありそうな太い足を振り上げる。

 

 これから起きることを予想して、山本は目を閉じた。一度や二度踏みつけられたくらいでは死にはしない、その間に何かできることを考えないと。

 

 どこまでも、文字通り死ぬまで抗う覚悟を決めた山本。

 

 その思いもろとも踏み砕こうと、怪物が足を振り下ろす。

 

「シャーッ!」

 

 瞬間、四本の光が閃いた。同時に怒った猫のような唸り声も響く。

 

 その光は引っかき傷のようだった。

 

 怪物は深い爪痕を刻まれ、たたらを踏みながら飛びのく。倒れる山本を庇うように、一人の少女がそこに立った。

 

 怒りによってか、限界まで伏せられた猫耳、逆立ち太くなった尻尾。肉球模様のポンチョに身を包み、両手に虎のごとく鋭い爪をむき出しにした彼女が誰なのか、後ろ姿からでも山本には分かった。

 

「一木、さん……」

 

 一木千惟だ。彼女が魔法少女として覚醒し、助けに来てくれたのだ。

 

 嬉しさと、悲しみと、心配と。色々な思いがごちゃまぜになる。

 

 一木はどこまで知ったのだろうか。怪物に狙われやすい体質のことや、姉のこと。知っても悲しむだけの真実をどこまで──

 

「百江って人に全部聞きました」

 

 感情をすべて抑え込んだような、固い声音だった。

 

「あなたには色々言いたいことがあります。とりあえずあの全身黒タイツマン、倒しちゃいますね」

 

 山本は思わず噴き出した。一度黒タイツと言われたら本当にそうとしか見えなくなったのだ。

 

 笑いをこらえている間に、一木はもう有言実行している。先ほどの爪痕が相当深かったのだろう、怪物の動きは目に見えて鈍くなり、腕を一つ失くしている不利も相まって、一木の手により瞬く間に倒されたのだった。

 

 塵となって消え行く怪物を背に、一木が山本の傍に歩み寄る。無表情だった彼女は、そこでやっと山本の重傷具合に気付いたのか、血相を変えた。

 

「ちょっ、山本、あなたそれ……!?」

「このくらいいつもだから平気。それより、ありがとう。助かっ──」

「──てない! 全然助かってませんよお礼言ってる場合ですか!? だーもう、病院行きま……病院はダメなんですっけ!? じゃあ山本ん()へ!」

 

 膝裏と肩に手を回し、横抱きにする。自動車並みの速度で校庭を駆け出し、救急搬送を開始した。

 

 一木に抱かれたことで山本は気が抜け、魔力も減っていたために変身が解除される。

 

「あっ」

 

 その刹那、ぶつんと電源が切れたように、山本の意識が途切れるのだった。

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