学生の街──学園都市。
そこでは能力開発が行われており、学生たちは出力に差があれど何かしらの能力を持っている。
そんな学園都市で、一つの作戦が決行された。
オペレーション=ハンドカフス。
その計画を発令したのは、学園都市の新たな統括理事長だ。
学園都市の新統括理事長とは、学園都市の頂点に君臨する
彼が統括理事長の座に就いて始めたことは、学園都市の改革である。
オペレーションハンドカフスとは、一方通行が学園都市を変えるための作戦だ。
学園都市には、暗部という影の部分がある。
最先端科学技術には、犠牲がつきものだ。だから学園都市では、非人道的な研究や実験・開発が行われていた。それらが行われていたのが暗部であり、暗部では暗殺や破壊工作も行われていた。
暗部。学園都市を陰から支え、そして陰から表を支配していた学園都市の闇の部分。
新統括理事長となった
それがオペレーション=ハンドカフス。
学園都市の暗部を暴き、そこで暗躍していた者たちに正当な罰を受けさせる作戦。
一方通行は極めて穏便に、暗部の解体を行おうとしていた。
だが暗部で生きていた者たちが、それに応じることはなかった。
しかもとある横槍が入ったため、事態は苛烈を極めた。
そして──オペレーション=ハンドカフスは失敗をした。
何故なら暗部を一掃することはできなかったからだ。
すべての暗部に携わった人間を捕まえることはできなかった。
そして暗部を一掃するために投入された
捕まえられなかった暗部の人間を再び取り締まろうとも、取り締まる者たちが疲弊していれば作戦続行は不可能。だからこそ、オペレーション=ハンドカフスは失敗したのだ。
オペレーション=ハンドカフスは一二月二五日、クリスマスに決行された。
そして暗部の人間にとって、悪夢のような一夜が明けた。
その少女は朝日が街を照らす中、一人歩いていた。
綺麗なドレスを着た少女。
彼女もまた、オペレーション=ハンドカフスで一掃されるべき暗部に関係している人物だ。
かつて『スクール』という暗部組織に所属していた彼女。
彼女は能力名である
心理定規──自分と他者の心の距離を、自在に操ることができる能力。
つまり精神干渉系の能力者だ。
そして檻の中にいた。檻の中の方が、彼女は安全だと思ったからだ。
外で抵抗すれば、追い掛け回される。
それならば、檻の中でほとぼりが冷める頃まで待機していればいい。
精神干渉系能力である心理定規。
その能力を上手く使えば、事態が落ち着いて檻から抜け出すことが可能なのだ。
心理定規が座して待つ中、長い夜が明けた。
自分が入っていた牢獄では色々あったようだが、やはり檻の中が一番安全だった。
(周囲に不審な人の気配はなし。……当然ね、だって夜は明けたもの)
オペレーション=ハンドカフスは失敗した。
数々の被害が出た。
そのためすぐさまもう一度、暗部一掃を慣行することはできない。
だがその時が来ても、状況を見極めれば切り抜けられる。
心理定規はそうやって、状況を見極めて生き抜いてきた。
だからこれからも、ドレスの少女はそうやって闇の中を生き抜いていく。
誰もいない、闇がとりあえず一掃された早朝の路地裏。
そんな場所に、カツンッと靴の音が響いた。
「いつだって引き際を弁えてるテメエなら、今回だって逃げおおせるって分かってたぜ」
先程まで人の気配なんてなかったのに、靴のソールがアスファルトを叩く音が聞こえる。
心理定規は突然の声に驚いていたが、声の正体に気が付いてくすりと笑った。
そうして。ゆっくりと振り返って、自分に声を掛けた少年に目を向けた。
そこには、高級スーツに身を包んだ真っ白な少年がいた。
肩口にまで降りた純白の髪。長い前髪に隠れたエメラルドグリーンの瞳。整った顔立ち。
「あら」
「あなた──
はたから見れば、何のことを言っているか分からない問い。
だが純白の少年には、もちろんその問いの意味が分かる。そして嘲笑した。
「はん。そりゃテメエの捉え方次第だろ。俺はいつだって俺だ」
少年は心理定規を鼻で嗤っていたが、それでも納得するものがあって頷いた。
「だがお前の感じた通り、俺が一番
「つまり?」
すると少年は、大仰に聞いてきた心理定規の言葉に応えた。
「『
純白の少年──垣根帝督は、かつての仲間に笑いかける。
学園都市のトップに君臨する、七人の
その第二位であり、
垣根帝督は自らの能力である未元物質を自由に操ることができる。
そして、人を超えた存在となった。
垣根帝督は、すでに人間ではない。人間としての限界を超えた存在だ。
かつて、学園都市では暗部抗争というものが引き起こされた。
そこで垣根帝督は学園都市を掌握するために、統括理事長アレイスター=クロウリーとの直接交渉権を求めて動いていた。
アレイスターと交渉できる立場を得る。そのためには、アレイスターが進める『計画』に必要で、学園都市で一番重要とされている能力者である
だから垣根帝督は、暗部抗争の最中で一方通行に挑んだ。
だが一方通行は、一歩先を行っていた。
そんな一方通行の逆鱗に触れた垣根帝督は敗れた。
肉塊にされて暗部に回収された垣根帝督は、暗部の一番深い闇に落ちた。
暗部の深いところで、垣根帝督は自分の能力である
だがそこから、垣根帝督は自分の肉体を
そして自分という存在を構築・増殖させた。
その結果、人間としての限界を超えて能力自身が垣根帝督として動き出した。
垣根帝督は人間ではなくなった。
人間としての限界を超えて、あらゆる存在へと至れるようになった。
無限の創造性。
その無限の創造性の根幹には、いつだって垣根帝督という自我が宿っている。
「今まで色々なあなたに会って来たわ」
「私を仕事で呼びつけて長時間拘束して、出所の分からない金銭を払ってきたこともあった。それならまだいい方よ、報酬をもらえたから。でも他のあなたは私の仕事を邪魔することもあったし、気に入った店先で出会って邪魔したりもしてきた。良い迷惑よ」
「他の個体のことなんて俺は知らねえよ。愚痴言われても困る。それに俺はお前のために何かする気はねえしな」
垣根帝督は興味なさそうに告げて、ニヤッと笑う。
「でも実害が出たわけじゃねえだろ。だってお前は現に、五体満足で生きてる」
「ええ。それはあなたの中の善性が主導権を握っているから。そうでしょう?」
「はん。笑っちまうようなことだがな。だが、あれも俺だ」
垣根は自虐的に笑うと、自分のことについて考える。
人間としての体は失った。だが能力として、確かな自分として。垣根帝督は動き出した。
人間に縛られない垣根帝督は、姿かたちを自由に変えることができる。
なれないものはない。だがそのすべてには絶対に垣根帝督という自我が宿る。
どうしたって
それでもそのすべてが同じ垣根帝督というわけではない。
垣根帝督という人間には、多くの側面があった。それは当然だ。
何故なら人間という生き物は多くの側面を持っているものである。
しかも誰を相手にするかで人間の表情は変わる。
肉親にならば甘えた面を見せるし、恋人ならばどんなに似合わなくても大事にしたくなる。
悪友相手ならば少しだけ道を踏み外したような事をして、知らない相手には猫を被る。
人間としての三大欲求。人間としての善性、悪性。趣味趣向。
それは様々なときに、様々な顔を見せる。
そもそも人間の意識というのは一つではない。
人間の中には様々な欲求が絶えず存在する。
その欲求の中で、一番優先された欲求が行動指針となるのだ。
例えば、人を殺さなければならない場面においても。人間は直前まで殺したくないと考えることもある。だが殺さなければならないため、結局人は引き金を引くのだ。
そうやって、人間は内側に様々な思惑がある。だから垣根帝督にも様々な側面があった。
その中でも垣根帝督の善性が、今の垣根帝督を統率しているのだ。
そしてその垣根帝督の善性は、無尽蔵な増殖を控えている。
何故なら増殖する際に、垣根帝督のどの部分がどんな割合で形成されるかは増殖して形成されて、動き出してみないと分からない。
もしかしたらこの学園都市を完膚なきまでに破壊しないと気が済まない垣根帝督の破壊衝動部分が強く出る個体が生まれるかもしれない。
だから全ての権限を握っている垣根帝督の善性は、必要以上に増殖しないようにしている。
「あなたは私が知っている彼によく似ているわ」
「だから言っただろ。俺は暗部の人間として生きていた頃の俺に一番近いってな」
垣根帝督は鼻で笑うと、慣れた様子でスラックスのポケットに手を突っ込んだ。
やはり全ての動作が、人間であった頃の彼にそっくりだと、
これまで会ってきた垣根帝督も、確かに垣根帝督だった。
だが心理定規が知らない部分が強調されていることが多く、心理定規は垣根帝督の知らない側面を見ているように感じていた。
事実そうだった。それでも心理定規は、これまで出会った垣根帝督も垣根帝督だと認めていた。
だが自分と共に暗部で活躍していた彼とはまったくの別物だと思っていた。
いま目の前にいる垣根帝督。なるほど確かに、彼の心の在り方は自分と共に暗部で活躍していた彼に近いものだと心理定規は感じていた。
「で? 彼に割合が一番近いあなたは何をしに来たの? 私の事を助けてくれるのかしら」
「はん。お前の知ってる俺がそんなことするわけねえだろ」
「やっぱりそうよね。大方、逃げようとする私を冷やかしに来たのでしょう」
「当たりだ」
垣根帝督はくつくつと笑う。そして、心理定規を見た。
「甘ちゃんになった
「相変わらず悪趣味ね」
最初に会った時、目の前にいる垣根帝督は言っていた。
心理定規という少女は、いつだって引き際を弁えている。
だから今回も無事に逃げおおせると思っていた。そう言ったのだ。
垣根帝督はかつて仲間だった心理定規の在り方を理解している。そんな自分がどう窮地を切り抜けるか、興味深くて高みの見物をしていたのだ。
見世物にされるのは癪だが、自分を高く買っているが故の行動ならば悪い気はしない。
「それで? あなたはもう学園都市に未練はないの?」
「あ? 未練だと? ……ああ、学園都市を掌握する話か」
垣根帝督は心理定規の言わんとしていることを理解する。
「あの時のあなたは、この学園都市を陰から掌握することに尽力していたでしょう。いまの垣根帝督を善性が掌握しているからといって、やろうと思えば学園都市を掌握するために動くことなんて容易いんじゃないのかしら」
心理定規の言う通り、いまの垣根帝督にできないことはない。
何せ今垣根帝督を統率している垣根帝督の善性は、一度垣根帝督というネットワークから切り離された。
だが人々に触発された結果、自分という善性を見出してすべての垣根帝督の頂点に立った。
あの垣根帝督にできたのであれば、今の垣根帝督だってやろうと思えばできるのだ。
だから心理定規が問いかけると、垣根帝督はふっと笑った。
「学園都市の掌握か。……俺はな、もうそんなことを考えるステージには立ってねえ。学園都市が
垣根帝督は断言すると、早朝の空へと手を伸ばす。
「俺はもう何者にも縛られねえ。俺や他の俺が縛られようとも、
垣根帝督は空に手を伸ばすと、静かに降ろす。そして心理定規を見た。
「俺はどこへだって行ける。学園都市は面白い街だ。利用する価値だけは今もある。だからこれからこの街がどう変わるか、高みの見物しようと思ってな。どうせ
学園都市。かつての統括理事長、アレイスター=クロウリーが『計画』を遂行するために造り上げた巨大な実験場。
学園都市が今の形をしているのが、アレイスターがそうなるように設定したからだ。
何故ならやろうと思えば、学園都市の暗部を造ることなく運営することだってできたはずなのだ。だがアレイスターは犠牲を許容した。悲劇を多発させた。
それに意味があったから、アレイスターは今の学園都市を作ったのだ。
「この街の闇は深い。ちょっとやそっとのことでこの闇が晴れるわけねえだろ。それに『外』には違う脅威がある。それには
外の世界。その世界に息づく異能。それについて少し触れたことがある心理定規は、それでもその異能について口にしなかった。
自分はこの学園都市で生きていく。それに変わりないからだ。
「この街が平穏になる日が来るなら、それを見物するのも一興だしな。今の
「相変わらずの調子で何よりだわ。そんなあなたと違って私は暇じゃないのよ?」
「そうだな。せいぜい地を這ってこの街に残された闇の中を歩けよ。闇がなくなっても、お前は薄暗いところを見つけて生きていくんだろ? いいじゃねえか」
心理定規は垣根帝督の問いかけに応えない。愚問だからだ。
答えは決まっている。それは永劫に代わることはない。
「あなたはこれからもこの街にいるのでしょう?」
「また機会があったら会いましょう。他でもないあなたと会えたらいいわね。他のあなたは相手が面倒だから」
「はん。気が向いたらな」
垣根帝督が応えると、
かつてこの学園都市を掌握することができる力を持つと自分が信じた男。垣根帝督。
彼は彼のまま、人間の限界を超えた。そして解き放たれた。
そんな彼を、学園都市はどうにもできない。どうすることもできない。何せ相手は、人間としての限界を超えて解き放たれた怪物なのだから。
自分は垣根帝督に力があると信じていた。その考えは間違っていなかった。
何故なら彼は人間の限界を超えることができた。そして彼がどうしても掌握したかった学園都市すらも、吞み込める怪物となったのだから。
「さよなら、楽しかったわ」
もうすでに道が交わらない彼と別れを告げて、一人学園都市の闇へと向かっていった。