仔狼と香辛料   作:偽マリーヌ

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仔狼と麦色の夢

遠い遠い雪の降る北の地にて、少女はある昔話しを聞いていた。

 

『ここよりもずっとずっと南の地に豊作を守る狼がおったという話じゃ』

 

今まで聞かしてもらっていた話とは違い、語り部の琥珀色の瞳が少し憂いを帯びていた。

 

『狼はその約束を守り続けた、 ずっとずっと長い間』

 

それでも懐かしみ、名残惜しむ気持を噛みしめるように酒の入った器を指でなぞる。

 

『いつしかその村では見事に実った麦補が風に揺れることを狼が走るというようになった』

 

少女は話から豊作を約束した狼が村人から敬われているのだと素直に喜んだ。

 

『狼は村で大切にされたんだね』

『そう、そうじゃな』

 

少し言葉に詰まった語り部が言うべきではない事を飲み込んだ事には気が付かず。

 

『めでたしめでたし?お話はそれで終わり』

 

遥か南の狼の伝説をもっと聞きたいとせがむ少女に、語り部一拍置いて。

 

『いや、どれだけ時が過ぎたのか。

もはや狼との約束を覚えているものはおらんくなった』

 

その言葉に少女は目に見えて落胆し、赤みがかった 琥珀色の瞳が揺れ動くのを語り部は見た。

 

『ねえ それじゃあその狼はどうしたの』

 

不安そうに狼の行方を案じる少女に、 語り部は微笑みかける。

 

『さて、そんなおり村にはのう』

 

幸せであり続ける物語はここから幕を開けるのだから。

 

──────────────────────

 

浅い眠りの中で暖かさに包まれて微睡んでいると肩を揺すられる。

 

「おい、 おい起きろ」

 

聞き覚えのある父様の声が耳に届き意識が覚醒していく、ただいつも起こしてくれる兄の声ではないのが少女には残念だった。

 

「うう、父様……手伝いは起きたらするから……」

 

甘えるように声を出せば父様のことだ、やれやれというため息と共にもう少しだけ寝かせてくれるはず。

母様と私には父様はとびきり優しいのだから。

 

「誰か父様だ、起きろ!」

 

しかし返ってきたのはぴしゃり、と凍った井戸を割ったような鋭い怒声だった。

いくら優しくても父は父、母様から仕込まれている家庭内での序列に従って体が反応し急速に目が覚めた。

 

「ふぁ……、あれ?」

 

大きく伸びをして立ち上がり、そこでようやく違和感に気がついた。

まず部屋の天井じゃなく月の輝く夜空が目に入った事。

心身を凍てつかせるような冷たい硫黄の香りではなく、青々とした草原の香りに満ちていた事。

 

「なんだお前は、 悪魔憑きの類か!」

 

そして起こしてくれたはずの父様が、恐ろしいものを見ている顔で銀の短剣を向けていたことだ。

 

いつか旅のお供だったと見せてくれた美しい銀が、今は敵意となって向けられていることに身がすくむ。

 

「と、父様どうしたの?」

 

悪魔憑き、とは少女についている父譲りの銀と灰を混ぜたような色をした自慢の狼の耳と尻尾を指しているのだろうか、

だが父様は絶対にそんなことは言わない、かわいらしいと母様と共に何度も褒めてくれるのだから。 

 

無条件に信頼している父からの敵意に頭の奥が冷えていくような感覚を覚え、そこでようやくあることに気が付いた。

 

短剣を向けている父が見たことのない姿をしていることに。

 

父様は湯屋の主人ということもあり結構な奇麗好きだが、 目の前の人は少し離れていても強く匂いがする。

端的に言うと強く臭う。

 

それに月明かりに照らされた顔はどうみても二十と半ばにしか見えず、 四十を過ぎている父様ではなく敬愛する兄様に近い風貌をしていた。

 

「……もしかして」

 

ここまでくれば聡明な少女は気が付く、

その証拠に辺りを見渡せば収穫を終えた麦畑が広がり、祭りの最中と思われる村からは歓声と灯りが届いてくる。

 

『あれは村の祭りに馴染めず、 行商人が村から離れた時』

 

眠りにつく前に語ってもらったお話そのままの状況。

 

そうか、これは夢なのだと。

 

父の若かりし頃は知らないが、おそらくは兄様と混ざってるのだろう。自分の夢ながらなんとも器用だ。

少女はなるべく明るく努めながら行商人へと語りかけた。

 

「私は悪魔憑きなんかじゃないよ、 狼の化身である母様の娘」

 

やる事は1つ、 夢だとしてもこの大冒険を楽しまないのは損だ。

 

「狼の化身?」

「うん、母様の名前はホロ、 賢狼ホロは知ってるでしょう?」

「いや、俺が知っているホロのは豊穣の神だ。 お前は神の娘とでも言うつもりか」

 

どうやら父様は母様と出会ってないらしい、 自分の夢なのだからもっと都合のいいようにして欲しいと文句を言いたくなった。

 

「ううん、私はえーと……ニョッヒラにある湯屋の娘。 ニョッヒラなら分かるでしょ?   」

 

ニョッヒラの名を出した途端、父様は考え込むように目を伏せた。

少女は行商人としての姿を知らないが、父様と同じように博識なのは変わりないようだった。 

 

「待て、お前の口ぶりじゃまるで豊穣の神ホロがニョッヒラで湯屋を営んでいるようじゃないか」

 

「うんそうだよ、母様はこの村を出て北へ北へ旅をしてニョッヒラにたどり着いたの」

 

父様はそこでハッとして祭りの続く村の方を向いた。

 

「……もう村から居なくなっていたのか」

 

父様が何かを考え込むような、惜しむような顔をしていたが少女は気にせず言葉を続けた。

 

「だから私もニョッヒラに戻りたい、けど道がわからなくて困ってるから連れて行ってほしいの」

 

少女は荷台から身を乗り出して顔を近づける。

 

「父……お兄さんは行商人でしょ、だめ?」

 

父様は少し後ずさりし照れたようにそっぽを向く、なんとなく兄様を思い出してかわいいなと思ってしまった。

 

「……なら一つ条件がある」

 

「なぁに?」

 

「お前が悪魔憑きではなく、豊穣の神ホロの娘だというなら考えてやってもいい。

俺にも幸運を運んできてくれそうだからな」

 

「だからそうだってば」

 

母様が言っていた、あのたわけは実際に手に取らねば中々信用せぬというのがよく分かった気がした。

 

「だからその証拠を見せてくれれば信用しよう、契約にはまず信用が必要だからな」

 

そこまで言って父様は短剣を腰の鞘にに収めた。

 

「ホロの姿は巨大な狼という、お前がもし本当に狼の化身の娘ならば狼にもなれるはずだ。

そんなこと悪魔憑きには不可能な神の御業としか言えない」

 

「だから狼の姿を見せろってこと?」

 

「そうすれば信用しよう。神に誓って」

 

少女はその言葉には嫌な顔をした、少女にとって神とは兄様を取っていく泥棒に違いないからだ。

 

「練習中だからあんまり自信ないんだけど、後ろ向いてて」

 

父様が怪しむような顔をしながら後ろを向いたのを確認し、服を脱いで首から下げていた袋から麦を取り出す。

母様はこれで上手く行ったんだから、そう言い聞かせ麦粒を飲み込んだ。

 

後から思えば少女は夢だからといって浮かれすぎていたのだ、この直後に後悔するとも知らずに。




狼と香辛料アニメ化記念、
羊皮紙までアニメ化してほしいですね。
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