『わたし』が見た幻想郷   作:eg

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『わたし』が見た博麗神社

 博麗神社。この郷の果てに位置する、たった二つしか無い神社の片割れです。普段はとある巫女が居るのですが、どうも今は何処かに出掛けているようで姿はありません。こんな辺鄙な所では参拝する人間も見られませんから、今ここに居るのは『わたし』だけ。何とも静かですが、不思議と寂しい気はしません。

 

 山にある方の立派な社のように、神社というモノは存在するだけで神秘性を帯びるようですが、『わたし』が見る限りこの神社にはそれらしさが随分と欠けています。この柱の傷、あちらの鳥居のくすみも本来はそういった気を醸すのでしょうが、それすらも俗っぽく映ります。差詰、あれもこれも生活の最中にふと付いたものなのでしょう。

 

 人間や妖怪の中にはあの巫女を好く者も居ますが、妖精である『わたし』にとっては…転じて特徴たる赤い巫女服すらも恐怖の象徴となっています。遠目から近付いてきた事が分かりやすいのは良いのですが、"一回休み"になりたくないのなら一目散に逃げるべきでしょうね。『わたし』も以前は割り込んでみたりしたのですが、今はすっかりやる気がありまさん。だって、勝てませんもの。

 

 神社の裏手に回ってみると、そこには古めかしい井戸があります。すっかり苔生していますが、試しに水を汲んでみると澄んでいるので今も使われているのでしょう。社の方は時折建て替えられるのに対し、この井戸は如何にも古めかしい作りのまま。まるでこの神社の創建から有り続けているような…そういう意味で、この神社では幾らかまともな神秘性を感じさせます。

 

 そしてもう一つ、神社の裏手においてそれらしさを醸している古池があります。これ又すっかり鄙びていますがそれなりに澄んだ水を湛えており、試しに『わたし』がしゃがみ込んで水面に近付いてみると、朧げながら顔が浮かび上がります。

 

 そのまま『わたし』が水面を見つめつつ、持て余した手で軽く髪を整えていると、バシャリと大きな音と共に水鏡が揺らぎ、池の底から大きな亀が這い上がってきました。亀は初め『わたし』の存在に気付いていないようでしたが、あちらが幾らか見回している内に目が合い、不意にお互いの動きが止まります。随分と老いた個体のようで、甲羅には幾つも小さな傷が出来ています。…どうも、噛まれたりぶつけたりしての傷付き方ではありません。まるで弾幕を掠めた際に焼き焦げたかのような…。

 

 興味津々に見つめる『わたし』に対し、その亀はこちらを見てパチクリと瞬きを見せた後、こちらを見回す為に首を縦横に動かしたかと思えば、不意に身を翻してそのまま池へと戻っていきました。その見送りもそこそこに『わたし』も立ち上がり、くるりと振り向いて今度は神社を囲む杜の方を見ます。

 

 神社にとっては欠かせないであろう杜を構成する様々な種類の樹木。それが誰かに植えられたものなのか、或いは自然にあったものなのかは判然としませんが、見回した限り桜の木が一番多いようです。…思えば、この神社が最も活気溢れるのはこの春の季節でしょう。何故ならこの頃は日が落ちると篝火を掲げ、何処からかやってきた人間と妖怪が入り混じっての酒宴が始まるのです。今は春と言っても木には蕾ばかり、到底花見という雰囲気には見えませんが…ひょっとして、今日も?

 

 私は本能的に草陰へと全力で逃げ込みました。誰かが来たようです。悪い事を企んでいなくても、見つかってしまってはどうなるか分かりません。…隠れるのが少し遅かったような気がしますが、どうやらこちらに気付いた様子は無く、『わたし』は少し張った息を吐きました。しかしほんの少し顔を出して様子を見てみると、そもそも巫女では無かったようです。黒い服と些か悪趣味なとんがり帽子…確か魔法の森に住む魔法使いです。その魔法使いは暫く境内を見回した後、はーっとため息をついてから箒に跨って飛んでいってしまいました。わざわざここに来る辺り、巫女に用があったのでしょう。

 

 日の高い今頃に不在というのなら、巫女は人里で食糧でも調達している具合でしょうか。仮にそうだとすれば、本当に夜には酒宴でもやっていそうです。『わたし』は少し羽根をはためかせ、神社の上空から目を凝らしてみます。微かに揺らめく遠くの点が先程の魔法使いである事は疑いないでしょうから、やはり彼女も同じ推測を基に人里方面へ向かっているようですね。

 

 …ここからでも認識出来る人里の構造物と言えば、里をぐるりと囲んでいる壁と、それに付属する些か大掛かりな門くらいでしょう。一見それは外の脅威から身を守る為の手段であるように見えますが、実際の所はどうなのでしょうか。あの壁は里の拡大と共に継ぎ足され、時に作り替えられたものですから、当然ながら作りも強度もまちまち。中には単なる垣根が平然と壁として成っているような所まであります。となれば物理的な遮断は期待せず、境界線としての定義の為にあるのかもしれません。

 

 少しばかり高度を上げれば更に遠くも望めます。外側に広がっている幾らかの盆地は今の所黒っぽい土と所々の若芽が混じり合っているようですが、既に粗方耕されていますし、じきに緑一色となりましょう。それに奥にそびえる山々も、これ又暫く振りに温かみのある緑を取り戻しつつあります。…このような具合で映る色彩全てが目新しいものですから、『わたし』は少し目を眩ませてしまい本能的に視界を腕で覆いました。

 

 さて、これが今見える限りであり、同時に『わたし』が知る限りの世界です。…いつからだったでしょうか、少なくともあの人里が単なる一部落に過ぎない頃を知っている以上『わたし』はそれなりに長く在る方の妖精ですが、それだけの時間をここから見える限りの空間でのみ暮らし、終ぞ向こう側を見る事は無かった訳です。…現在この郷は結界に覆い尽くされ、向こう側へと行く事は出来ません。何故そうなったのか、それらは賢いお人の事情であり、一端の妖精には何の関係もありませんし、気にもならないものです。

 

 暫くの間『わたし』は拝殿の屋根に腰を下ろしていましたが、ひたすら眼前の色彩に気圧されているばかりで、とんと思考は纏まりません。こうなってしまうと自然と瞼は重くなり、身体の節々に掛けた力も解けていきます。そんな調子で緩み切った『わたし』の身体が遂にぐらりと傾き、屋根に仰向けの形で倒れ込みました。

 

 葺かれた瓦は硬いですが、それでも呆けた意識の中では然程気になりませんし、むしろ陽光に照らされてほんのり温かいせいか微睡みは助長され、一遍身を起こそうと伸ばした腕も直ぐだらりと垂れてしまいます。視界に収まる空はひたすらに蒼く、所々に浮かんだはぐれ雲の他には何もありません。『わたし』のような妖精にとって、こんな陽気は揺り籠のように心地良いものなのです。

 

 

 

 

 

 どの位の時間を経ていたでしょうか。ぼうっと眺めていた空は何時しか紅く、やがて紫、更に黒へと巡っています。『わたし』がようやく身を起こして遠くを望むと、そこにはすっかり日中の喧騒から移ろい、僅かな常夜灯が僅かに輪郭を為す人里の姿がありました。

 

 そして…先程まであれだけ静かだったこの神社は人里に立ち替わるように騒がしくなっているようで、下の方から何人にも折り重なった声が聞こえてきます。焚かれた篝火が開花を急かすように蕾を照らし、火の粉がパチパチと弾けています。そして何より…神聖な神社であれば凡そそぐわない妖気が、この神社中に満ち満ちています。…桜色に木々が色めかずとも、妖魔入り混じる酒宴は始まろうとしていたのです。

 

 『わたし』はようやく呆けていた意識を引き戻し、神社の屋根から降りました。…よくよく考えると、屋根にごろ寝していた所があの巫女に見つかれば、今頃相当な灸を据えられたかもしれません。ピシャリと冷水を当てられたかのような恐怖のお陰で先程の眠気は何処かへ飛んでいき、念の為にと裏手の屋根へと回りこんでから降り、酒宴の会場である表へと向かいました。

 

 敷かれたゴザの端に遠慮がちに腰を下ろし、ふと面々を見回してみます。先程「妖魔入り混じる」としましたが、この比率では逆に人間が「混ざりもの」とされるのではないでしょうか。数少ない人間も巫女であったり魔法使いであったりなので、まともな人間は全く見掛けられません。…最も、ここは夜の博麗神社。幾らタダ酒が飲めるからと言って人里の呑兵衛がおいそれと訪れる事は出来ません。行こうと思えば差詰道すがらに…或いは辿り着けたとしても、そこで酒の肴とされてしまいましょう。

 

 この酒宴のしきたりは、その日の幹事によってマチマチとなります。今回は…恐らく巫女自らが興したでしょうから、その性格を反映して相当に無礼講なものとなります。なので酒や肴を好きな分まで取ったとしても…それこそ弱小な者でもお咎めはありません。それでも『わたし』はやや遠慮がちに偶々置かれていた升から手元の御猪口へ酒を拝借し、ぐっと傾けて一思いに流し込みました。

 

 …口当たりは然程良いとは言えませんし、ツンと来る匂いは後に嫌な残り方をしそうです。とても上等の酒ではありませんが、毎晩この調子で酒宴をする以上そう毎回銘酒は回ってきません。しかし同時に相当強い酒である事も一口で分かります。恐らく「酔う」事自体に重きを置いた酒なのでしょうが、それはまるで鬼が好むような…鬼?

 

 不意に強烈な妖気を感じ取った『わたし』が半ば無意識に振り向くと、件の巫女の隣に小童のような体格にまるで見合わない程大きな角を二本伸ばした鬼が居ました。しかもぶら下げた瓢箪から注いだ酒を飲んでは注ぎ、注いでは他者へ回し、回しては注ぎ、注いでは飲むといった調子です。ともなれば『わたし』が先程飲んだ酒も、あの鬼から回され回されここまでやってきたものでしょうか。…これを飲み過ぎるのは憚った方が良いのでしょう。鬼の酒というものは、恐ろしい程に残るそうですから。

 

 曰く付きの酒のせいか、『わたし』の想像通り酒宴は段々と荒れ模様になってきました。幸いそれは乱痴気騒ぎの範疇であり各所で弾幕が飛び交う程までにはなりませんでしたが、身の危険を感じた『わたし』は何時からかどの拍子で抜け出すかとばかり考え、折角並べられた肴の方は遂に殆ど手を付けませんでした。そうして『わたし』は、いよいよ向こうで何かがおっぱじまるぞと不意に視線が外れた期を図り、神社からこっそりと飛び立ちました。

 

 夜空には星々こそありますが、月が大分欠けているせいで暗く感じます。日中あれだけ色鮮やかに瞳を殴り付けてきた光景も、今や境界すら曖昧な闇の中。幸いにして背後の神社が相当な光源となっていますから、少なくとも方向を見失う事は無いでしょうが…ふと物悲しさを覚えた『わたし』が振り返ると、神社の灯りが夜闇の内に只一点輝いています。ここからも陽気な声々が聞こえますが、内容まで聞き取る事は叶いません。それでも『わたし』の口元はその陽気にあてられ、自然と緩んでいました。

 

 遠く離れていくと、何時の間にか神社からの騒ぎ声も夜闇に溶けてしまい、こちらの耳には届かなくなってしまいます。しかし未だ、『わたし』は夢現の世界を飛んでいました。僅かに呑んだお酒のせいでしょうか、尚も頭の中では篝火がパチパチと弾けています。…思考はちっとも纏まらないし、飛んでいる方向すらも不確かなまま。この状態で飛び続けるのはちょっと危険かもしれません。

 

 …私の思考がそこまで行き着いた瞬間の事でした。甲高い音と共に吹き付けた真っ黒な風が、不意を突かれて制御を失った『わたし』を軽々と吹き飛ばしたのです。ぐわんぐわんと身体が回ったものですから、酒の酔いよりもよっぽど酷い気持ち悪さに何とか耐えるばかりで思考は止まり、本能的に何かに掴まろうと腕を振り回してもそこには何もありません。そうして『わたし』は、半ば正気を失ったまま真っ暗な森の中へと墜ちてしまいました。

 

 

 

 

 

 目が覚めた時、『わたし』は網目のように重なった細枝に絡まっていました。身体は痛みますが、あの状況からすればむしろ幸いだったのでしょう。下を見ると所々に岩も転がっています。あれに激突していれば"一回休み"となっていたに違いありません。『わたし』が全身を枝木に委ねたまま、無意識に詰まっていた息をはぁーっと吐くと、それは白い煙となって霧消していきました。

 

 この時期でも夜となれば未だ冬の色が残っているのでしょうか。『わたし』は少し寒気を覚え、軽く身を震わせながらも絡まった細枝を何とか退かしました。幾らか服が破けてしまいましたがこの状況では致し方ありません。一連の出来事ですっかり醒めた『わたし』は、先程の強風をちょっと警戒しながら再び飛び立ちました。

 

 強風は突発的なモノだったのか上空でもすっかり無風であり、その面では一先ず問題は無さそうです。取り敢えず神社の方向、つまり明るい所から今の位置をそれとなく把握出来るでしょう。…しかし、首を幾ら回しても、それらしい灯りが見られません。先程の墜落で伸びていた内に、酒宴の方もお開きとなったのでしょうか。

 

 指標となる灯りすら無いとなれば、月も瘦せこけた夜の森というのはどっぷりとした暗闇としか形容出来ず、前後左右どころか上下の感覚すら明瞭ではありません。この状態で飛行していれば、今度こそどうなるか全く予想出来たものではないでしょう。であればアテも無く飛び回るよりは…『わたし』はゆっくりと高度を下げ、手元まで来てようやく認知できた枝木をかき分けながら地面に降り立ちました。参詣道が付近にあるでしょうから、それを辿れば開けた場所に出られる筈です。

 

 とは言え森の中も暗く、このままでは腕を目いっぱい伸ばして幹や枝を掴み、それを頼りに一歩ずつ進むしかないでしょう…と、『わたし』はここでとある手段を思いつき、前方に両手を構え力を込めてみます。妖精にとって夜は力が弱まる時間帯ですが、この位であればきっと……暫くすると、重ね合わせた両掌の隙間から仄かに光が漏れ出し、『わたし』がゆっくりと掌を解き放つと内側にあった光る弾幕…「小弾」がふわふわと浮かび上がりました。これで一帯を照らせばどうにか目星を付けられるでしょう。

 

 一刻程の苦闘で合流を果たしたは良いものの、参詣道は随分と荒れ、辛うじて人工物が散見される事の他は獣道とすら呼び難い代物です。確かにここを通るのは飛べもしないような普通の人間くらいですが…そうだとしても異様な荒れ方にも見えます。幾らあの神社でもここまでの事はあるのでしょうか。『わたし』はそう疑問に思いつつ、気を抜くと外れてしまいそうな道を辿っていきました。

 

 草をかき分けて半刻程経ち、ようやく神社の鳥居が見えてくる所まで辿ってくる事が出来ました。流石に神社手前の石段にまで差し掛かれば、それなりに道としての体を取り戻しています。しかしそれは辛うじて石敷であった為であり、そこからは人の営みを感じられません。…『わたし』が所々壊れた段を羽根を震わせながら飛び越えていく中、先程の疑問とそこから導かれる予想は、今やはっきりとした現像として想起されていました。殆ど人の痕跡を残さない参詣道。荒れ果てた石段。そして昼に見たそれとは明らかに異なる、色の剥げ切った鳥居。

 

 

 

 登り切った『わたし』の前には、思い思いに伸びた草木に埋もれ、大黒柱すらも傾きかけた神社。それしか無かったのです。

 

 

 

 小弾の灯りを頼りにして見回すと、構造自体は「博麗神社」に酷似している事が分かります。…しかしながら、それに纏われた空気はまるで異なり、こちらには人の営みが醸す気配はおろか、一切の妖気も匂いません。あらゆるものから忘れられた末のガランドウに、この神社は佇んでいるようです。

 

 人も神も妖怪も居ない故に境内は静寂そのもの、或いはそれ以上の何かとすら錯覚しかねません。普段は何気ない足音すらも雑音となって耳を障る様は、それが自らの音であると認識していたとしても尚『わたし』に漠然とした恐怖となって伸し掛かってくるようで…もしや人間が抱く闇夜への恐怖も、これに近い事象なのでしょうか。

 

 ささくれだらけの段を上って拝殿の柱に触れてみると、嫌な感触と共にズブリと指が沈み込んでしまいます。雨風に晒されたせいか相当腐っているようですが、それにしてもこれだけの力で柱が動くというのは些か異常でしょう。…辛うじて神社としての形を保っている事が、既に奇跡なのかもしれません。『わたし』は恐る恐る指を離しましたが、その時何処かで軋むような音が聞こえた事に驚き、急いで拝殿から離れました。

 

 裏手に回ってみても、ここが似ていながら全く非なる神社であるという印象には一切の矛盾がありません。日中に見たような井戸と池がありますが、井戸屋形はすっかり原型を失う程に崩れ、石積みもぼろぼろなものですから殆ど瓦礫の山のようです。池も湛えた水が相当くすんでおり、試しに手を突っ込んでジャブジャブとかき混ぜてみても反応は帰ってきません。少なくともこちらに、あの大きな亀は住んでいないのでしょう。

 

 再び正面の方に回ってみて『わたし』は少し考え込みます。…ここは郷と結界を隔てた向こう側なのでしょうか。確かに結界の向こう側は、郷のそれとは全く違うものであるそうです。この荒廃した神社はそんな差異の内の一つなのかもしれません。しかし、郷の周囲に降ろされた結界は尋常には越えられない筈です。不意の大風や激突の衝撃…そんなもので、果たして打ち破れてしまうものでしょうか?

 

 兎も角どうにかして元の郷へ帰らなければなりませんが、方法がさっぱり分かりません。"一回休み"にでもなれば何か変わるかもしれませんが、現に非常識な事が起こっている以上、既存の定義全てが疑わしくなります。…"一回休み"になった後に、本当に『わたし』は目覚められる?。そんな事が脳裏によぎると、そこの崖から身を捨てる真似は凡そする気になれません。

 

 何がしかの手掛かりを求め、『わたし』は拝殿からやや離れた所にある本殿の方へ向かいました。こちらも相当の期間打ち捨てられているようで、試しに縁側から中へ入って一通りを見て回っても動物一匹棲み処にしている様子は無く、場所を示すような何かであったり、或いは単に暇を潰せるようなものすら残っていません。最早これ以上は進展が無いでしょう。すっかり窮した『わたし』は縁側に腰を下ろし、ただぶらぶらと足をばたつかせるしかありませんでした。

 

 足を意味も無く動かしているだけで時間は容易に経過しません。故にこの際あれこれと思案するのは必然なのでしょう。…結局の所、ここは何処なのでしょうか。間違いなく断じる事が出来るのは『わたし』が知る郷そのものとは違う事と、「博麗神社」自体には非常に似ている事、これだけです。あまりに手掛かりがありません。

 

 ここが結界の向こう側である、という仮説はその中で相対的に信憑性を感じられます。しかしこれは未知なもの同士を重ね合わせて暫定的に同一視するようなものでしかなく、具体的な証拠は何もありません。…仮にそうだったとしても、この路線ではこれ以上の思索が及びません。となればもう少し、思考を広げやすい方法に仮説を置く必要がありそうです。

 

 …思い返すと、この環境を説明するにおいてもう一つの仮説が浮かびます。『わたし』が見たこの神社…それを構成する鳥居や石畳、井戸、拝殿等は、全て『わたし』が見た博麗神社のそれと似ているものの、全て相当数の年代を経ているようにも見えます。…なればここはかの郷の、妖怪や妖精、それに連なるような人間達が忘れ去られた未来の姿?

 

 仮説は結局稲光のように閃いたとしても、具体的な証拠や像を結ばずに消えていきます。この思索自体には何の意義もありませんし、『わたし』もそれに何の期待もしていません。しかしそうやって何かに意識を割かないと、一帯を包み込む恐ろしい沈黙に押し潰されてしまう気がしたのです。

 

 風景に変化が生じたのは、それから大分経っての事でした。終始伏目がちであった為に初めは気付きませんでしたが、何時しか遠くの空が僅かに白みつつあったのです。あれだけ黒く染め上げていた夜闇も少しずつ晴れ、転じて草木の濃淡が映え始めていました。夜明けが近いようです。

 

 『わたし』は縁側から降りて羽根を広げ、拝殿の上空から東の空を望みました。恐ろしい程遠くの山々から色めき始め、段々とこちらの山へと光が近付いてきています。慎ましく輝いていた星々はかすれていき、空も黒から紫、そして紅へと変じていました。そして…直ぐ真下の杜が一気に色彩を取り戻した途端、不意に差し込んだ一閃の来光が瞳を刺し貫き、『わたし』は反射的に目を覆う間もなく光の中に包み込まれました。身体の意識が解けたかと思えば、意識すらも真っ白な光に塗り潰され………そこで、プツリと途絶えました。

 

 

 

 

 

 朝。いつも通り木の洞の中で起きた時、『わたし』は夢を見た事を覚えていました。…夢の記憶というものは意識が明瞭になるにつれ欠落するものですから、直ぐに全て忘れてしまいます。しかし『わたし』は、そうなってしまう前に羽根を震わせて飛び立っていました。欠落していく記憶を頼りに、郷の端に位置するあの神社へと全力で向かっていたのです。

 

 辿り着いた神社は、正しく宴の後らしい惨状ぶりでした。篝火は白い灰を被り、燻る火種すら伺えません。そしてゴザの上には御猪口や皿、箸といったものが、何かの拍子で割れてしまったものと入り混じって散乱しています。よく見るとその中に件の赤い服の巫女も寝っ転がっており『わたし』は目を張りますが、随分と調子が悪そうに寝返りをうっている所を見るに、意識を取り戻すのはもう少し先になるでしょう。

 

 そんな事を考えている内に…『わたし』は先程まで見ていた筈の夢を、すっかり忘れてしまっている事に気付きました。これでは何の為に早朝からここへ来たかも分かりません。…ところが、『わたし』は笑っていました。決して呆れ返っての笑いでは無く、確かな充足感を抱いていたのです。

 

 

 それはきっと、満ち溢れんばかりの陽光の眩しさと、それでも尚神社中に残る妖気が。

 

 篝火にあてられ一足先に狂い咲いた美しい桜と、対照的に目を覆いたくなるような宴の後の散らかり様が。

 

 朝露をくぐり抜けた爽やかな空気と、ザリザリと足元で鳴る砂の音が。

 

 東の空の白く紅い空と、西の空の黒く蒼い空が。

 

 

 

 そんな郷の当たり前の景色が、何故か、何処か、愛おしく感じたから。

 

 

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