【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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 またまたご無沙汰してます。100話記念という事で、if√(アビドスじゃなくてゲヘナに転移してたら√)です。Twitter(現X)でリクエストを募集した結果となっております。
 だからぼくはわるくありません()

 一つ注意点として、ストーリーを無理なく展開させるために、火事で死亡→キヴォトスに転移のタイミングが本編と違ってヒナが委員長に就任した直後辺りと2年ほど遅くなってます。
 そこだけご注意を。


陽はひらかずとも、月明かりはずっと

 

 

「──ッ、っあ、はぁっ! ぇは、あ……?」

 

 右脚の痛みと息苦しさ。それに、幕が下りるみたいに意識を覆っていた黒色。

 俺という存在を溶かすようなそれが、いつの間にか消えていた。本当に、いつの間にか。

 

 その事に、たった今気が付いた。

 

 荒く息を呑んで。

 灼けてない空気に咳込んで。

 橙ではない光を視界に映して。

 そして、それらを自覚して。たった今、唐突に。

 

「あれ……? 苦しく、ない?」

 

 言葉は、聞き慣れたいつもの音色で。喉は震わせられる。

 声が、出せる。

 

 まるで信じられないが、右脚もちゃんと付いている。五体満足。視界も良好。

 

「なんで……そうだ! 火事、が──」

 

 バッと左右に目を向けて目に映るのは、打ちっぱなしのコンクリートが壁と何本もの柱を作る殺風景な光景。元は大規模な建物だったのか、相当に広いようだ。

 左右の両方で廊下に繋がっているみたいだし、もしかしたら二階もあるのかもしれない。

 

 当然のように火事の気配なんて欠片も無く、そして実家の気配も全く無い。見た事もない景色だ。

 

「ここは……」

 

 呟いた声は、か細く反響して消えていく。

 混乱が一周回ったのか、あるいはその静けさに影響されたのか。意識が少しだけ落ち着くのが分かった。

 

「えっと。俺は冬休みで実家に戻っていて、火事に巻き込まれて……」

 

 一つ一つ言葉にして、整理しようとして──しかし。

 それを許さないと言うかのように、次の変化が訪れた。

 

「うわっ……っと! なんだ!?」

 

 どこかチープな“ドカァァアアン”という音と、地震とは違う経験した事がないタイプの揺れ。

 次いで響き始めた、言葉にするのなら“タタタタタ”とでも表現するべき乾いた音。

 

「何何何何何!? 何事!?」

 

 まさしく急転直下、脈絡の無さだけで言えば夢にも匹敵する展開。だがさっきから経験している事はどれも記憶に無い事ばかり。

 一体全体どういう事だと思わず叫んでしまった俺の耳に、次に聞こえてきたのは──

 

「おい、声が聞こえたぞ! こっちだ!!」

「やれ! ぶっ殺せ!」

「あぶり出せあぶり出せ! 徹底的に潰せ!!」

 

 ……。…………、…………。

 ッス──やばいやばいやばい! なんか知らないけど絶対にヤバい! 隠れ場所──無い! どこ!? ねえてか何なの!? 夢なら覚めて!?

 

 おろおろと周囲を見回すも大して意味はない。廃墟か廃ビルか、とにかく打ちっぱなしのコンクリートが床、柱、天井を構成しているのみだ。

 できる事と言えば、ワンチャンスを願って柱の陰に身体を隠すぐらい……なんだが、問題は足音が複数方向から聞こえてきている事。柱ぐるぐるもできそうにないし、正直焼け石に水感が半端じゃない。

 

 いや、どうしろと。上か? 上に逃げればいいってか? パルクールでも練習しとけばよかったってか?

 どこぞの『イッツミー』な配管工よろしく壁キックできるようになっとけばよかったと。一理あるかもなぁ! でもちょっと展開が早すぎるかもよ!?

 

「……いや、現実逃避してる場合じゃない。とにかく少しでも隠れないと」

 

 頭を振って、せめてもの希望に託して。壁に一番近い隅の柱にまで駆け込む。今さら気付いたが、どうやら外は夜らしい。光が薄いのは助かる。

 そうしてしゃがみ込んで3秒も無いうちに、左右の廊下それぞれから聞こえていた声の主がやってきた。……声の主“達”か。

 

「よーよー、ようやく会えたじゃねえか」

「そりゃこっちのセリフだ、ちょこまか逃げ回りやがって」

「ああん!? んだとこら!?」

 

 一勢力じゃない? 代表者が会話をしている……んだろうか。顔を出すわけに行かないから想像する他ないが、聞こえてきた会話から推測するにやって来た誰か達は同じ集団ではなさそうだ。

 むしろ、敵対していそうなようにも聞こえた。

 

 ……敵対してたらむしろマズくないか。

 もし。もし、さっきの爆発音や乾いた音が想像している通りなら。それが敵対していたなら。

 

 いや、まさかな。聞こえてきた声は日本語だったんだ。

 まっさか日本で銃だのが出てくるわけがないし、大丈夫大丈夫。中学生が授業中にする妄想じゃないんだ──

 

「おう上等だこら。やってやろうじゃねえかよこの野郎!」

「こっちこそ上等だ! 今日こそてめえら潰してやる!!」

 

 あの。

 えっと、あの。

 

「おらおら! そんなもんかよ!」

「ああ!? 誰がこんなもんだってェ!?」

 

 ねえこれ銃だよね! やっぱりそうだよね! なに、G○A!? グランドでセフトでオートなアレ!? 転生ですか!?

 

「っつー……あん? なんだ、お前」

 

 ッスー、見つかった? 気のせいだよね、うん。

 俺は柱、話しかけられたりするわけない。

 

「おい、シカトか? いい度胸じゃねーか」

 

 あの違うんです待ってくださいこれはシカトしたわけじゃなくてそのほらあるじゃないですか、ほら。へへへ、やだなあ違いますって。だからあの、その筒状の何かを押し付けないで欲しいんですけど。

 

 ダラダラと、冷や汗が流れ落ちる感覚。

 鼓動が早くなって、だけど対照的に氷を押し付けられたかのように背筋が寒くなる。思い出すのは、つい十数分前に体感した全て。

 

 激痛。息苦しさ。寒さ。温かさ。恐怖。安堵。眠気。眠気。眠気。

 微睡に落ちるように、黒色に覆われ、最後に聞こえるのは自分の浅い呼吸の音と『ピシリ』遠ざかっていくだけの──ピシリ?

 

「え」

 

 顔を上げれば、目の前の壁、その上部に罅が入っていた。

 さっきまでは無かったはず。いや、というより現在進行形で罅が強くなっている気が。

 

 と、そこまで思考が行き着いたタイミングで。

 壁が、粉々に砕け散った。

 

「眩っ──」

 

 開けた視界に、月明かり。広がるは群青。黄金(こがね)の満月と、けれどもかき消されずに瞬く星々が浮かんでいる。夜特有の、澄んでいるようで柔らかな空気が入り込んで、そして。

 

 そして。

 

「はぁ、こんな真夜中にめんどくさい。手早く終わらせるわ」

 

 

 満月の眩しさを吸収するような白色の髪と──アメジストよりも透き通った、紫の瞳。

 

 

「きれ、い」

 

 息を呑むようなその姿が、俺がこの世界に降り立って最初に見た原風景だった。

 

 

──*──

 

 

「一般人がいるとは思ってなくて、手荒な方法を取ってしまった。謝罪するわ」

 

 30分ほど後、暴れていた者たちの鎮圧・引き渡しなどが済んだタイミングで。

 俺は、頭を下げられていた。

 

「いや、その。俺は助けてもらった側なんですから。むしろ、まず俺が礼を言わないと駄目なぐらいで」

「それでも、もう少しずれていたら怪我をさせていたかもしれない。交代したばかりとはいえ私は風紀委員長、謝罪をしないわけにはいかない」

「あーもう分かりましたから! 謝罪を受け取るんで頭を上げてください。それと、助けてくださってありがとうございました」

 

 ……風紀委員長。やっぱりヒナだよな、この子。

 つまりここはブルアカ世界、って事か? となるとやっぱり俺はあの火事で死んでいて、転生した……のか? 駄目だ、分からない事が多すぎる。

 ただ、少なくとも夢にしては現実感が強すぎるし……

 

「それで……聞いてもいいことなのか分からないけれど。あなたは、その」

「あー、えっと。男の人間だって事を聞きたかったりしてます?」

 

 現実に引き戻すような質問──といってもこれが本当に現実であるのかは定かではないが──に、言い辛そうにしている先の言葉を予想しながら問い返すと、ヒナはコクリと首を縦に振った。

 まあ、想定の範囲内だ。俺もヒナの姿を見た瞬間に思ったし。『キヴォトスにメカメカとかケモケモしてない人間の男っているの?』って。もっと正確に言えば先生以外に人間の男がいるのか、だけど。

 

 で、まあその疑問には否が返されたようだが……はたして、どこまで話すべきなんだろうか。

 ここがキヴォトスであると前提を置いた時、俺は間違いなくキヴォトスの外から来た人間になる。その上で俺には死んだ(と思われる)記憶があり、さらにはこの世界(ブルアカ)に関する記憶まである。

 話しても問題ないラインを見極めないと、ただの狂人になるのがオチだろう。

 

 となると、だ。

 

「その、えっと。俺も気付いたらあの場所にいて、よく分かってないんだ」

「記憶喪失、ということ?」

「いや、どうなんだろう……自分の名前だったりは覚えてるし。あー、でも、もしかしたら一部分だけ記憶を失ってるって事もあり得るのか」

「……そう。なるほど」

 

 明かすべきは、キヴォトスの外から来たという部分まで。少なくとも初対面でそれ以上を話すべきじゃない。

 その上で、嘘も吐かないようにする。さっきヒナは『風紀委員長に交代したばかり』と言ってたけど、とはいえ元々は情報部で働いていたのがこの子だ。だから可能な限り誠実に、最低限嘘は吐かないように。それは間違いなく必須だ。

 

「とりあえず、あなたはキヴォトスの外から来たということでいいかしら」

「たぶん……? 少なくとも俺が住んでたところは違う場所だったし、これまでにキヴォトスって名前の場所に行った事もないはず」

「その上で記憶喪失の可能性もあり、と。……分かったわ。ひとまず、あなたは風紀委員会で保護させてもらう。あまり言いたくは無いけれど、ゲヘナは犯罪も多いから。もしかしたら、何かに巻き込まれたのかもしれない」

「いやいや! 助けてもらった上で保護までしてもらえるなんてありがたすぎるぐらいだから!」

「……私があなたの身柄を押さえようとしているとか、そういうことは考えないのかしら。キヴォトスの外から来たんでしょう、あなた」

「へ? いや、だって……君は絶対にしないでしょ、そんな事」

「ふぅん……そう。へぇ」

 

 スッと目を細め、どこか冷ややかな値踏みするような視線を向けるヒナ。……何かマズい事を言ったのだろうか。

 

「まあ、いいわ。それじゃあ──っと、忘れかけていたわね。私は空崎ヒナ。このゲヘナ学園で風紀委員長をしているわ」

「あー、俺は薪浪アヤトって言います。特に肩書も何もない、ただの薪浪アヤトです」

「分かったわ、アヤト。どれくらいになるかは分からないけれど、これからしばらくよろしくね」

 

 含みを持たせるようにクスリと微笑んで、ヒナは背を向ける。風紀委員会の一般生徒がスケバンやヘルメット団を連れて行ったのと同じ方向だ。おそらく、風紀委員会の本部がそちらにあるのだろう。

 何が何だか分からない事だらけだが……ひとまず、最初に会えたのがヒナだったのは間違いなく幸運だったな。本当に、色々な意味で。

 

 

──*──

 

 

 俺がゲヘナに──というかキヴォトスに転移? 転生? してから、早一ヶ月。

 未だに俺は風紀委員会の厄介になっていた。

 

 なんでも、俺がキヴォトスの外からやって来たというのであれば手引きなどをした人物がいるはずであり、それを捕らえられるまでは俺をどうこうするというのは無理なんだとか。

 場合によっては相当な重犯罪である可能性もあると言われれば、特に否もない。というか願ったり叶ったりな部分もあるぐらいだし。

 

 もしキヴォトスの外に出たとして、そこに俺が生きていた場所がある保証はどこにもない。……いや、正確に言うべきか。きっとどれだけ探そうとどこにも無いのだろう。ブルアカは大好きだったが、それでもあれは創作物だ。俺の家族も、友達も、先生も、学校も、家も、きっと全てこの世界にはない。

 それに、もし奇跡的にキヴォトスの外に俺の生きていた場所があったとて、だ。俺はそこに戻れるのかと言われれば、それは否だろう。だってあの火事だ。俺の死体が向こうにあるのか無いのかは分からないが、今さら戻る事などできはしない。奇妙に過ぎるし、不審に過ぎる。

 

 ……俺だって、この“俺”が本当に“薪浪彩土”であるのか確信が持てていないんだ。

 右脚がぐちゃぐちゃに潰れて、その上で死んだ感覚まであった。それが、気付けば元通りなんて。転移だとしても、転生だとしても……俺はきっと記憶にある“薪浪彩土”じゃない。たとえ意識が連続していたとしても。

 

「……良くないな」

 

 こんな事を考えたところで、気分が下がるだけだ。答えの出せるモノじゃないし、軽々に出すべきモノでもないだろう。

 目を逸らすべきじゃないというのは分かっているが、自分で自分を痛めつけて異物感を味わおうと思うほど俺は物好きじゃない。

 一人になるとどうしても考えてしまうから、ずっと悩んではいるんだが。

 

「やめやめ」

 

 声を出して、頭を振って、無理矢理に思考を切り替える。

 そう、変わらず風紀委員会のお世話になっている俺だが、実のところ変化もあるのだ。それこそが、今行っている事。

 

 つまりは、書類整理である。

 ちなみに他の風紀委員は温泉開発部・ヘルメット団・スケバンのドリームチームみたいな大規模の衝突を鎮圧するために駆り出されている。今本部に残っているのは最低限他の問題が起きた時に対処できるだけの人員のみだ。

 

「これで俺も風紀委員会、なんて自惚れるつもりは欠片も無いけどな」

 

 匿ってもらって色々お世話になっている事、そして周りがずっと働いている中で何もせずにいる事。その他諸々も含めて耐えられなくなった結果、俺の方から仕事がほしいとお願いした……という成り行きだ。雑用係にも満たない。

 とはいえ、()()ヒナの働きぶりを間近で見続けたんだ。()()。気持ちは分かるだろう。

 

「っ痛」

 

 なんて、思考を逸らしていたのが悪かったのだろう。

 人差し指の腹を紙で切ってしまった。いてて。

 

「…………」

 

 ふと、思い付く。

 ヒナに保護されてから、ずっと思っていた事。

 

 ──神秘。

 

 この世界がブルーアーカイブの世界だと知っているからこそ、当然のように思い浮かぶもの。生徒には神秘と呼ばれる力が備わっており、その強弱が生徒の力量にも関わってくる……という後半部分はさておき。

 なんとなくだが、俺はその神秘を感じ取れている。気がする。

 

 例えばヒナから感じられるものは重く大きく、イオリから感じられるものはヒナより少し小さいが鋭く──といった形で神秘らしきものを感知できているのだ。

 壁越しで接近に気付いた事も何度かあるから、たぶんこれは間違いない。

 

 で、その上でだ。

 どういうわけか俺にも神秘が宿っているらしく、さらに言えばそれがかなりの量なのだ。とはいえヘイローがあるわけでもキヴォトス人みたく身体が丈夫になっているわけでもないから、よくは分からないが……ともかく。

 これをヒナ達の神秘と同じように探ったり、何が原因でこの神秘が宿ったのかを考察するうちに、俺は一つの結論に至ったのだ。

 

 “俺もしかしてヒーラー適性あるんじゃね?”と。

 

「ちょうどいい、か」

 

 改めて周囲に誰もいない事を確認し、血の珠ができた人差し指に視線を落とす。

 そのまま体内を廻る神秘に意識を集中させ、それを人差し指に集まるようイメージして操作しようとしてみれば……

 

「でき、た?」

 

 三十秒ほどの集中の後。目を開けて見ると、血は止まっていた。やや固まりつつあるそれを拭き取れば、下から現れるのは傷一つない皮膚。

 渦巻くような指紋には、痕すら残っていない。

 

「できた……!」

 

 何度見ても、切り傷は影も形も無い。左手のティッシュに染み込んだ赤色だけが、さっきの怪我を証明している。

 予想は当たっていたという事だ。

 

 ……もし、この力があれば。俺も、少しぐらいは。

 

「まずはもらった仕事を果たさないと。何をするにしてもそれからだ」

 

 整理し終わった書類を混ざらないように注意しながら持って、運んで行く。

 まずは資料室に収める物を持って行くとして、次は情報部に回す書類が多そうか。

 

 

 

 というわけでいくつかの場所を巡って、今。

 最後に司令室行きの書類を持ってきたところ、俺を待ち受けていたのは狂騒であった。

 

「くそっ、どこかに動かせる人員は残ってないか!?」

「これ以上は他の事件が発生した時に対応できなくなります!」

「……万魔殿に応援を求めるか? あそこにも多少は戦える人材が揃っていたはず」

「しかし、委員長の許可なしに動くには……」

「それに、まだ代替わりした直後です。風紀委員会と万魔殿のパワーバランスを考えると、迂闊に行うべきでは……」

「だがどうする! このままでは──」

 

 正直に言えば、司令室に勤めている生徒たちがここまで取り乱しているのは珍しい。まず間違いなく、何かしらのトラブルがあったのだろう。

 

「えっと……整理した書類を持って来たんですけど。何かあったんですか?」

「ん? ああ、アヤトさんか」

 

 ちょくちょく会話する顔なじみを見つけて、書類を渡しながら話しかける。普段はどちらかと言えばマイペースで、上手く仕事を熟しつつサボ息抜きもしているようなタイプの人だが……やはり彼女も余裕の無さそうな表情だ。

 

「それがな、委員長たちが対処しに向かった案件、あるだろう?」

「温泉開発部とヘルメット団とスケバンの衝突、でしたよね」

「ああ、そうだ。それなんだけどなぁ……運が悪かったのか、スケバンの打ったロケランの流れ弾がカイザー系列の会社に着弾してしまったらしいんだ。で、そこの警備隊が出てきたのを皮切りに、カイザーPMCまで首を突っ込んできたみたいで」

「それは……」

「かなりマズいな、うん。現状は均衡状態を保てているが、風紀委員会は混乱を鎮めるために最前線に出ている。負傷者も多いそうだ」

「…………」

 

 書類を渡した事で空いた右手。その人差し指を見下ろしながら、思う。

 俺は……どうするのが正解だ? やけにタイミングがいい事には引っかかっている。ただ、それは今考えるべき事ではない。

 

 今考えるべきはただ一つ。行くべきか行かざるべきか。

 

 ついさっき判明した俺の力があれば、風紀委員会の窮地を打開できるかもしれない。だが、原作を思えばこの場で俺が何もせずとて大きな問題にはならないだろうとも予想できる。

 少なくともヒナが委員長職を追われる事はないだろうし、ゲヘナに根深い問題を残す事もない。風紀委員会から死者が出る事はもちろん、再起不能レベルの重傷を負う人も出ないだろう。

 つまり、放置しても解決自体は確定している。むしろ俺が引っ掻き回してしまえば逆効果になる可能性もある。

 

「……アヤトさん? どうしたんだ? 急に黙り込んで」

 

 小首を傾げる少女の姿。視界に映ったその顔が、不意にヒナの顔と重なる。

 あの日、満月の夜に見上げた鮮やかな原風景。

 

 金色の月明かりを溶け込ませた肌と髪の白さに、暗がりに浮かび上がるような翼の暗い紫色。そして、夜闇の群青よりも淡く、けれども眩しく透き通っていた紫水晶の瞳。

 それが、馬鹿みたいに見上げる俺の視線と交差して。

 

「────ッ!」

「あっ、おい! アヤトさん!?」

 

 気付けば、足が動いていた。

 視界が動いて、息が切れて、初めてその事に気が付いた。向かう先は1Fの備品室。外に出る前にまずはしなければならない事がある。

 

「あった!」

 

 部屋の隅で埃を被っている、以前見かけた白くて球状に近いソレ。すなわち──ペロロ様の着ぐるみ。

 ……。いや、ふざけているわけじゃない。匿ってもらっている手前、姿を晒すわけに行かないのだ。さっきも言ったが、俺が下手に掻き乱してしまえば逆効果にはたらくリスクもある。せめて気付いている部分は対応しておくに越した事はないだろう。

 というわけで手早く着ぐるみの中に入り、走り始める。

 

 正直に言えば、まだ答えは出ていない。

 俺の神秘に癒しの力がある事は分かったが、それが他人にも使えるのかはまだ検証できていない。今行ったところで何もできずに終わるオチも全然有り得る。

 もし成功したとして、それがヒナ達のためになるのかだって分からない。

 

 でも。

 でも──

 

「できねえよっ!」

 

 じっとなんてしていられない。

 俺には負い目がある。ヒナだけじゃなく、風紀委員会そのものに。だって、俺がキヴォトスに入って来た事に事件性なんてない。俺は誰かに呼び出されたわけじゃない。だって、ただの高校生だった俺を呼び出したところでメリットが無いから。あまつさえ、俺はこの世界の“これから”を知識として持っている。こんな異端分子、狙っても呼び寄せられるはずがない。

 だけど、俺はそれを誰にも言い出せていない。探したところで俺をキヴォトスに手引きした犯人なんている筈がないのに。匿ってもらって、迷惑をかけ続けているのに。

 

 だから仕事を手伝いたいとお願いしたし、何かできる事は無いかと悩みもしていた。

 

 だけど、今はそれよりも。何よりも。

 あの子たちが傷付いて苦しんでいて、俺にどうにかできるかもしれない力があるんだ。

 

 なら──どうして、止まっていられる。

 

 ああそうさ。分かってる。

 

「分かってるさ! こんなのただの自己満足、一から十まで全てがエゴの塊だ!」

 

 それでも、もしこれが俺がこの世界に、キヴォトスにやって来た理由なら。意味なら。

 成し遂げたいと、そう思ったんだ。

 

 覚悟はできた。

 これが失敗したら……ううん、これが上手く行ったとしてもどこかで俺の存在が不都合になりそうなら、そこで俺は出て行く。それが通すべき筋だ。

 大丈夫。元々俺の存在はこの世界に無かったはずなんだ。俺が消えたところで問題は無い。

 

 その果てで野垂れ死ぬ事になったとしても、全ては俺の選択の結果。その時に何かを恨むのだとしても、今、この瞬間、俺はそうすべきだと思ったから。

 大丈夫。既に一回死ぬような経験はしてるんだ。怖くはあるけど、それで俺がこの世界に来た意味が果たせるのなら問題は無い。

 

 そう、問題は無い。

 大きすぎる代償なんて存在しない。恐怖も、疑念も、何もかもを呑み下せ。

 

 だから。

 だから今は。

 

「とにかくっ、走るだけ!!」

 

 でもペロロ様の着ぐるみ動きづれぇ!!!

 

 

──*──

 

 

 辿り着いた鉄火場。まさしく激戦区という表現が浮かび上がってくるそこは、酷い有様だった。

 舞い上がる粉塵で視界は制限され、数メートル先であっても何があるか判然としていない。足元に広がるは罅割れたアスファルトの黒色と、元はどこかの建物だったのだろう、色にバリエーションのある瓦礫たち。鼓膜を揺らすのは銃声に砲音、爆発音、それに誰かの上げる怒号ばかり。

 

 初めて見る地獄のような光景にゴクリと喉を鳴らして、意識を周囲に回していく。

 中心の方からは離れているとはいえ、ここは既に戦場。流れ弾が飛んでくる事はあり得るし、何より今の俺はペロロの姿。見つかれば訝しまれるのは必至だろうし、そのまま攻撃される可能性だって高い。

 

「…………」

 

 元は真っ白だったろう着ぐるみが埃でくすんだ色合いになっていた事に感謝しながら、見知った神秘がどこに固まっているかを探る。

 ──見つけた。一番分かりやすいヒナの神秘がだいたい11時の方向。イオリが10時の方向。チナツは……もう少し奥側か。

 

 場所が分かれば後は早い。俺の目的からして、合流すべきはチナツ。もしかすれば救護所があるかもしれないが、それも含めて聞かないと──

 

「う、うぅ……」

「っ! 大丈夫か!?」

 

 一歩目を踏み出した直後、うめき声が耳朶を叩く。何度か話をした事のある声だ。

 わずかに順路を逸らして向かってみれば、そこには瓦礫に足を潰されてうつ伏せになった少女の姿が。

 

「待ってろ、どうにかする」

「ぁ……すまない、助か──え?」

 

 崩れたりしないよう慎重に、しかしできる限りの速さで瓦礫をどけ、骨折手前みたいな状態の脚に手を……ペロロの羽を当てる。

 

「なん、え? ど、どういう……夢?」

 

 酷く混乱させている気がするが、それは後回し。

 意識を神秘の操作に集中し、手の平からその力を発揮できるようイメージする。

 

 落ち着け。何が起きるか分からないんだ、とにかく慎重に。

 理論立った物じゃない以上、きっとイメージは重要だ。これまでのオタク知識を総動員して、傷を癒せるように想像を固めろ。

 

「…………」

「な、なあ……? 何してるんだ? いや、というかアンタ──へ? 痛みが、引いて?」

「成功だ!」

「うわぁ!? って、その声、もしかして」

「ごめん、話は後でもいいか? 今はとにかく風紀委員会に合流したい」

「……分かった。聞きたい事は山ほどあるけど、案内する。ついてきてくれ」

 

 軽く動かして癒えた脚の調子を確認すると、少女は俺を先導するために進んで行く。

 ……よし、ここからが本番だぞ。

 

 

 

 

 多少の混乱はありつつも、俺が薪波彩土である事と救護の真似事ができる事を説明して、半ば以上なし崩しの形で手伝いを始めてから1時間半ほど。

 騒動をどうにか治め切っての今。

 

 風紀委員会の本部にまで戻ってきた俺は、正座をしていた。

 

「私が何を言いたいのか。分かってる?」

「は、はい!」

 

 正確には、場所は風紀委員会本部が委員長室。つまりは、ヒナの執務室だ。

 当然ながら、目の前でカツカツと足音を鳴らして俺を詰めているのは部屋の主たるヒナである。

 

 冷や汗を伝わせながら背筋を立てた俺に少し吹き出しそうにして、ヒナは続ける。

 

「アヤト。あなたが特別な力を持っているらしいって事は分かった。それを私たちのために使おうとしてくれた事も嬉しくは思う。……でも、あなたはあくまでも風紀委員会で預かっているだけの一般人。決して風紀委員会に所属しているわけじゃない」

「はい」

「あなたが怪我をしてしまえば、その責任は私たちに降りかかる。……いえ、正確に言うべきね。その責任を私たちが取れるかどうか、それすら定かではない」

「……はい」

 

 室内に他の生徒はいない。

 静かな委員長室には、ヒナの声だけが響いている。疲れをわずかに滲ませながらも、それでもしっかりとしたヒナの声だけが。

 

「あなたが風紀委員会の厄介になっている事を心苦しく思っているのは知っているわ。その感情だって理解している。でも、それは無茶をする理由にはならない。今日のあなたの行動がどれだけ危険と隣り合わせのものであったか、理解している?」

「理解は、しています。軽率だったとは──」

「いいえ。あなたは理解していない。だって、あなたはヘイローを持っていないでしょう」

「っ!? ど、どうしてそれを」

「……やっぱり、そうだったのね」

「──っ!」

 

 しくじった……!

 まんまと引っかかってしまった。そうだ、生徒にヘイローは見えていないんだ。俺がヘイローを持っているかどうかなんて分かるはずがない。

 できるのは推測までで、確証を持つ事は不可能であるはずなんだ。

 

「キヴォトスの外から来たと言っていた時点で、その可能性は考えていた。加えて、あなたが銃を見る時の視線には強すぎる恐怖が浮かび上がっていたもの。察さない方が無理があるわ」

「…………」

 

 アドレナリンでも分泌されていたのか、単に英雄願望にでも酔っていたのか。今になって理解した。

 あの戦場で、俺だけは流れ弾一発で死ぬ危険があったんだ。……つまり、ヒナ達に『自分たちのせいで俺が死んだ』なんて事を思わせていたかもしれないという事。風紀委員会にとって重要な存在になっているだなんて自惚れるつもりは欠片もないが、心優しい彼女たちの事だ。どう受け取るかは想像に難くない。

 

「……言いたい事は伝わったみたいね。これからは自分の命をもっと大切に扱ってちょうだい。あなたが傷付く姿を見たいなんて、私たちは思ってないのだから」

「はい。これからは、もっと考えてから行動します」

 

 ……ダメだな、俺は。ほんと嫌になってくる。

 ヒナは何一つとして間違った事は言っていない。全部、俺の身から出た錆だ。

 

 若干痺れつつある足を立てて、扉の方へと向かう。

 チナツにも、勝手に押しかけて混乱させた事を謝りに行かないとな。

 

 なんて、歩を進めていた時の事だった。

 不意に、もうないと思っていた言葉が背中に投げかけられた。

 

「……その。あなたが私たちのために頑張ってくれた事を嬉しく思ったのは、本当だから。それに、あなたのおかげで戦況を盛り返す事ができたのも事実」

「ぇ──」

 

 振り返った先にあったのは、静かな微笑み。

 月の光の静謐さにも似た、思わず見惚れて目を離せなくなるような。あるいは降り注いだばかりの新雪にも似た、穢れのない真っ白さのような。それでいて温かくて、溶かされてしまうような。

 

 そんな、綺麗さの。

 

 

「ありがとう、アヤト」

 

 

 ドクンと、世界が震えたような気がした。

 跳ねる鼓動は制御を離れ、うるさいばかりに鳴り響く。ドクドクと、バクバクと、いっそ痛いぐらいの強さで。揺れる感覚は俺の内側のものか、それとも体自体が本当にふらついているのか。

 確実に赤みを帯びていると分かるぐらい顔を熱くしながら、俺はどうにか返事をして部屋を出るのだった。

 

 ……もう少し、色々考えながら頑張ってみようかな。

 

 

──*──

 

 

 なんて一件があってから、またまた一ヶ月。

 検証を重ねながらではあるがチナツ同様救護部隊に配備された俺は、風紀委員の治癒を主として活動していた。

 

「作戦終了ですね。キグルミさん、ありがとうございました」

 

 ……変わらず、着ぐるみ姿のままで。

 ちなみに着ぐるみ自体は改めて作られたものであるため、ペロロ様ではなくなっている。今はモモフレンズとは全く違うウサギっぽい見た目の着ぐるみだ。

 

「いやいや。今日は俺、何もしてないですから」

「それでもキグルミさんがいてくださるだけで安心感が違いますから。軽い傷であれば私で処置できますが、この場でできる治療には限りがありますし」

「それで言ったら、俺だって神秘を使ってる以上は回数制限がありますよ」

 

 チナツの言葉に小声で答えながら思う。

 ……キグルミって呼び方、もうちょっとなんとかならなかったかなぁ?

 

 いや、分かる。分かるよ?

 着ぐるみ姿だもんね、俺。それに着ぐるみ自体も洗ったりするからたまに変わるもんね。うん。

 

 でもメインはこの四頭身のウサギっぽい着ぐるみなわけでさ。その上でキグルミって呼び方されるとさ、某神喰い世界を思い出しちゃうわけなんですよ。

 俺以外に誰にも伝わらないと思うけどね? なんなら前世の頃でも通じるかは怪しい気もするけどね? でも俺にとって見た目ウサギっぽい着ぐるみで呼び名キグルミさんはゴッドでイーターで2なゲームのイメージが強いんすよ。

 

 何? 神機さんどっかにあったりすんの? あの動きできるようになるの? 滅茶苦茶やってみたくはあるけどさ。

 

「それでも、キグルミさんのお陰で士気が以前よりもさらに安定するようになったのは事実ですから」

「……あー、その」

「ああ、別に含みを持たせたりはしていませんよ。思うところが全くないと言えば嘘になりますが、それでもあなたの助けが大きな意味を持っている事は事実ですから。感謝しています」

 

 チナツは『誰かがやるべき』と思ったから、救急医学部から風紀委員会に転向してきた生徒だ。

 ぽっと出の俺が成果を出せば出すほど、思うところも出てくるだろう。……本当に、いい子だ。

 

「俺の力を買ってくれてるのは嬉しいですけど。やっぱり、風紀委員会の救護役はチナツさんだと思いますよ。実績がありますし、何より俺の力は不可思議なものでしかないですから。安心感で言えば、まだまだ敵いませんよ」

「……ありがとうございます」

「いえいえ。俺からできる事なんてこのぐらいですから」

 

 引き上げてきたイオリとアコ──ヒナは別件の対処で今はいない──と合流しに向かいながら言葉をかけて……っと。おいおい。

 

「キキキッ、随分と()()調子みたいじゃないか、風紀委員会」

「……何かご用でしょうか? マコト議長?」

「いや、ここ最近風紀委員会が好調だと聞いて見に来てやったんだ。だが、この程度の不良生徒の鎮圧に時間をかけているとは……噂は噂でしかなかったわけだ」

 

 どこからともなく現れたマコトの言葉に、売り言葉に買い言葉と言わんばかりにアコが噛みつく。

 よりにもよってヒナがいないタイミングかよ! 逆に狙われたのか?

 

 いや、とにかくまずは。

 

「キキッ、こうなれば風紀委員会には特別訓練を命じなければ──」

「おおっと、これはこれはマコト議長! 相変わらずの凛々しいお姿で!」

「うん? ああ、キグルミか」

「ええ、キグルミですとも。それで、本日はどのようなご用向きで?」

 

 できる限り大仰に、場の注目を引き寄せられるように意識して。

 演技の経験はないが、文芸部に居た頃にこの手のキャラを書くこともあったんだ。それに、この演技も既に何度目かだ。恥ずかしさも何もかも呑み下してやり切ってみせろ、俺。

 

「風紀委員会に特別訓練を課そうかと思ってな。どうにもまだ実力が足りていないようであるしな」

「しかし……特別訓練ならば一週間前にも実施したのでは?」

「それが今回の件に何か関係あるか?」

「ふむ、それを言われますと答えには窮しますが。ですが、逆に考えてみてはいかがでしょう?」

「逆に?」

 

 ──よし、乗った。第一関門、突破。

 でもまだ手は抜くな。このまま引きずり込め。

 

「先週の訓練もまた同様の理由であったと私は記憶しておりますが、まずそれは相違ないですね?」

「ああ、たしかそうだったと思うが」

「でしたら、今回逆の事をした場合にどう映るか。考えてみるとしようではないですか。ええ、特別訓練を課さなかったとすれば、です」

 

 ペラを回せ。全力でだ。

 掴んだペースを手放すな。押し切れ。

 

「部下の問題を見抜く慧眼を持ち、具体的な手法を提示して育成まで行える……だけでなく、部下の自主性に期待し、その成長を見守る事もできる。そんな理想的な指導者としての姿。浮かび上がってきませんか?」

「それは……」

「ええ、ええ。失敗するリスクも大きな策です。ですが同時に、そのリスクを超えてこその理想の指導者なのではないかと私は愚考いたしますが」

「一理ある。だが、それは問題を放置しているとも映るのではないか?」

 

 第二関門突破。いい感触だ。

 少なくとも、今のマコトは風紀委員会を相手にする時とは違うスイッチに切り替わっている。

 

 ゲヘナに来てからの二ヶ月間で俺は学んだ。

 風紀委員会が絡まない限り、マコトは相当に理性的な会話ができる。その側面を引っ張り出せた。

 

「たしかに、以前手を打ったはずの問題を今回は放置しているとも取られるかもしれません。しかし、だからこそです。だからこそ、部下の自主性を、そして部下が自らの力で成長する事を期待しているとも映るのです。それに……今のゲヘナ自治区において、偉大なるマコト議長をそのような不遜な目で見る者がいるのでしょうか」

「ふむ。なるほど」

「今一度、マコト議長の素晴らしきをさらに上位へと昇華させる決断。どうでしょうか?」

「…………」

 

 顎に手を当てて僅かに俯く姿。揺れているな。

 ならばもう一押し。別の方向から切り込む。

 

「っと、そうでしたそうでした。昨日(さくじつ)、マコト議長にぜひ献上したい品を見つけたのです。少しだけ待っていただけますか?」

「献上したい? まあいいが」

「ありがとうございます」

 

 常に持ち歩いている小型のクーラーボックス。急いで向かってきたために手元から離れていたソレの方へと向かい、その中から目当ての二つを取り出して確認する。

 よしよし、日にちはオッケー。崩れたりもしていない。

 

「こちらです」

「それは……!」

「はい。エンジェル24にて期間限定商品として販売されている『ふわしゅわ☆とろける甘さのスフレ・プリン』です」

「私がどれだけ探しても売り切れしかなかったというのに……限定のプリンを二つも!?」

「小耳にはさんだ話によると、万魔殿のイブキ様はプリンが好物なのだとか。ミレニアム製のクーラーボックスへ常に入れておりましたので、今ならしっかりと冷えております。急いで持ち帰れば、すぐにお二人で食べる事もできるかと」

「何!? 今すぐにイブキとプリンを!?」

「ええ。いかがです?」

 

 勝った……ッ! 計画通りだ。

 着ぐるみの内側で口角を吊り上げる。こういう時、顔を完全に隠せるというのはいい。

 

「こんな事をしている場合ではない! すぐに帰らなければ!! キグルミ、感謝するぞ!」

「ええ。マコト議長が良きひと時をすごせる事を祈っております。それでは」

「ああ!」

 

 プリンを両手に凄まじい速さで駆け出したマコトの背中を見て、溜息を一つ。

 どうにか乗り切った……。あー、疲れる。気のせいだろうけど、肩が凝った気すらしてくるぞ。

 

「相変わらず達者な口ですね」

「あー、アコ行政官。すいません、急に話に割り込んじゃって」

「いえ、そのお陰で面倒事を避けられましたから。……いっそ秘書官にでもなって対万魔殿専門の外交役をやりませんか?」

「うぇっ!? いや、それは……」

 

 考えてみる。たまに……定期的に……高頻度に風紀委員会へとちょっかいをかけに来るマコトへ、常に対応として矢面に立つ事を。

 …………これを四六時中やるというのは、うん。少なくとも嬉しくはないな。

 

「ちょっと俺の身には重い役職じゃないですかね……」

「いや、むしろあなたにしか務まらない気がしますけど。よくあの狸をあんな風に乗せられますね、本当に」

「まあ、俺は正確には風紀委員会に所属してないですから。敵意がアコさんよりも薄いってのはあるんじゃないですかね」

「なるほど……だったら一層あなた以外にあの狸の制御役は不可能なのでは?」

「おぉーっとォ!?」

「実際、キグルミは戦えるわけじゃないし悪くはないんじゃない? キグルミの治癒はかなりありがたいけどさ」

「イオリさんまで!? 俺に味方いない感じですか!?」

 

 まさかの四面楚歌状態。なんでさ。

 え? 俺が働いたからだって? それは……そうなんですが…………。

 

「ほら、何ぼさっとしてるんですか。帰りますよ、キグルミ」

「ああ、はいっ!」

 

 ……帰る、か。

 

 

──*──

 

 

 そんなこんなで被保護者兼救護役兼万魔殿との折衝役みたいな事を続けながら、日々は流れて行き。

 勝手知ったるなんとやら、すっかり馴染んだ風紀委員会本部の廊下を歩きながら、俺は肩を竦めていた。

 

 窓越しに見上げる群青の空が随分と綺麗だ。今日は星がよく見える日らしい。

 

「人間は慣れる生き物だ、ってのはよく言うけどな……」

 

 自治区のそこかしこから銃撃と爆発の音が響いてくる事も、昨日まで普通の道だった場所に温泉ができている事も、飲食店が一夜で飲食店“だった”ものに(悲)劇的ビフォーアフターしている事も、ポ○モンよろしくパンちゃんが草陰から飛び出してくる事も。

 どれもこれも『またか』と思えるぐらいには慣れてしまった。

 

 ……慣れたというより、麻痺しただけか? これを慣れと呼ぶのは抵抗があるな。

 

 風紀委員の生徒も大半と顔見知り以上の関係は築けたし、自惚れでなければそこそこ親しく思われている感覚もある。

 救護役を務めてるってのが大きいんだろうな。

 

「っと、あれ?」

 

 休憩室の一つを寝泊りに使わさせてもらっている俺以外には、誰もいないはずの時間帯。だというのに、無意識的にはたらかせている神秘の感知に引っかかる反応があった。

 この神秘は……ヒナか? まだ残っていたのか。

 

「…………」

 

 踵を返して、目的地を休憩室から変更する。

 向かうは──給湯室。ティーポットとカップ二つ分を広げ、手早く準備をする。ただし、棚から取り出すのは茶葉ではなくハーブ。つまりハーブティーだ。

 

「カモミールが切れかけてるな……」

 

 今の時間帯を考えると、ルイボスよりもレモンバームの方が良さそうか。湯通しして温めておいたポットに数杯分のハーブを入れ、熱湯を続けて注ぐ。

 蒸らしの時間で移動するのが丁度いいかな。茶請けになりそうな菓子をいくつかピックアップして、と。

 

「~♪ ~~♪」

 

 鼻歌交じりにエレベーターへ乗り込み、委員長室を目指す。

 微かな重力感が身体にかかると共に、ポットからレモンにも似た爽やかな香りが漂い始めた。

 

 思えば、この辺りも慣れたものだ。戦闘面だと基本的に力になれないからと、書類整理やこういった細々としたスキルを身につけていった結果、半分趣味みたいになってしまったのだ。

 委員長室に到着したタイミングで、おおよそ2分半ほど。よしよし、すぐに移動したからいい感じの時間だ。

 

 ポットとカップを乗せたカートを押す音でバレてはいるだろうが、ノックを三度。

 

「委員長、いらっしゃいますか?」

「ええ。入っていいわ」

 

 扉を開けて、廊下とは違うカーペットの敷かれた委員長室へと入る。ヒナは──予想通りと言うべきか、執務机に積まれた書類の塔に囲まれるようにしていた。

 ……どうやら、今日はいつもよりも1.5倍ほど塔が高くなっているらしいが。身長が高くなるなら嬉しいが、これは何も嬉しくないな。

 

「何かあったの? キグルミ」

「今は着ぐるみ姿じゃないですけどね……っと、そんな事を言いに来たんじゃなくて。委員長がまだ残ってるみたいだったので、差し入れ代わりにと」

「……気を遣わせてしまったみたいね。ごめんなさい」

「俺が好きでやった事ですし、謝られても困りますね」

 

 肩を竦めて返して、カップに淡い黄色に染まったハーブティーを注ぐ。

 ポットから漏れ出ていたものよりも数段華やかな香りが、室内を満たした。温めておいたカップが移動中に冷えていたらどうしようかとも思っていたが、問題は無かったらしい。

 今日の気温に感謝だな。

 

「どうぞ。レモンバームティーです」

「ん、ありがとう」

 

 書類の塔の隙間、邪魔にならない場所にカップを置いて、もう一つ用意しておいたカップにも注ぐ。

 

「こっちの、確認済みの書類ですよね? 整理は俺の方でやっときますよ」

「いや、その。あなたはもう働かないでも──」

「これまた俺がやりたいから勝手にやるだけですよ。一人でいても退屈ですし、ちょうど良いですから。それともなんですか? 風紀委員じゃないって事で止めでもしますか?」

「……それは卑怯じゃない。分かったわ、整理をお願いする」

 

 既に半分以上風紀委員会メンバーみたいになっている現状を踏まえての言葉に、ヒナは大人しく引き下がってくれたらしい。

 

 

 

「ん~、終わりましたかね」

「そうね……」

 

 俺が勝手に手伝い始めてから、45分ほど。思ったよりもすんなりと書類の塔は解体できた。

 

「結局最後まで手伝ってもらっちゃったわね。ごめんなさい」

「…………」

 

 伸びをしていた俺にかけられた声へ、思わず半眼になってヒナを見つめ返す。いわゆるジト目だ。

 

「あー、その。言葉を間違えたわ。ありがとう」

「はい、どういたしまして。といっても、風紀委員の人なら誰でも手伝ったと思いますけどね。……まあ俺は風紀委員じゃないんですけど」

「さすがにもう無理があるんじゃないかしら、それは」

 

 それは、そう。

 最近だとマコトから『風紀委員会など辞めて万魔殿に来ないか?』なんて言われてるぐらいだからな。もはや対外的には『いつの間にか風紀委員会に入ってた着ぐるみ姿の変人』みたいな扱いが基本になっている気すらしてくる。

 

「……」

「……」

「ふふっ」

「はははっ」

 

 微妙な表情で見つめ合って、どちらからともなく笑いを零す。

 それで受け入れていいのか、と言うか。それを受け入れるからこそのゲヘナか、と言うか。ある意味“らしい”のかもしれない。

 

「しかしまあ、なんでこんな時間まで残ってたんですか? 見た感じ、そこまで急ぎの書類は無さそうでしたけど」

 

 壁にかけられた時計に目を向ければ、短針は真上に背を伸ばそうとしている頃合い。まだ日付を跨いではいないが、逆に言えば()()跨いでいないというだけだ。

 夜勤でもなければ社会人でも働いていない時間だろう。

 

「それはそうだけど、溜まっていたようだったから。委員長である私が仕事を滞らせるわけにはいかない」

「そりゃまあ、そうですけど」

 

 正直、悩む。揺れている自覚がある。

 思っている事を言っていいのか。頑張りすぎてるって、無理をしないでって、そう言う資格が俺にあるのか。……悩むまでもなかったな。言う資格なんて俺にあるわけがない。

 

 彼女を、ヒナを救うのは俺なんかじゃなくてまだ見ぬ『先生』であるべきだ。

 少なくとも、ずっと真実を打ち明けずに黙り続けている俺が言っていい事じゃない。なるべく軽い調子で、踏み込まないように。

 

「まあ、あんまり無理はしすぎない方がいいと思いますよ。外様だからの無責任な言葉に聞こえるかもですけど」

「ありがとう、心配してくれているだけで十分嬉しい。でも、私は別に無理をしたりはしてないから」

 

 まあ、想定通り。

 仕方ないな。俺が踏み込んでいいのはここまでだ。これ以上はより相応しい誰かに頼もう。

 

「それに……私は風紀委員長だから。多少の無理ぐらいはやらないと」

「……」

「ありがとう、キグルミ。その言葉のおかげでまた頑張ろうって思えたわ」

「……ヒナ委員長。まさしく“そういうの”について俺は言ってるんですけど、分かってるんですか?」

「ええ、分かってる。でも……ううん、だからこそ私は──」

 

 ──ああ、もう。

 

「分かってない! ヒナさんは何も分かってない!」

 

 思考が熱を帯びて、白飛びする感覚。よくない。よくないのは理解している。どの口が言ってるんだとも思ってる。

 けど、止められない。そんな自分に虫唾が走る。反吐が出るようだ。

 

 なのに。それでも、止められない。

 

「責任感がある事は凄いって思うし、尊敬もしてる。いつもありがとうって感謝もしてる。でも、それに囚われて、縛られてどうするんだ!」

「……別に私は縛られてなんかいない。私は、私がやりたいから」

「それで自分を切り捨ててどうするんだ!」

 

 言い訳はできない。

 未来を知っているからとか、お世話になっているからとか、そんなものは何の理由付けにもならない。これは全て、徹頭徹尾、完膚無きまでに俺のエゴだ。

 ただ自分を食い潰すようにするこの子を見たくないなんて、そんなエゴだ。

 

「さっきも言ったけど、責任感がある事は凄いって思う。委員長になったからこそ頑張りたいって気持ちも知ってる。でも、それはヒナさんが頑張る理由であって、無理をする理由じゃない。それはあなたを支える柱であって、あなたを縛る楔なんかじゃないはずなんだ」

「私は、無理なんて……」

「この時間まで一人で働いている事が無理じゃないですって? ……ヒナさん。これまでに『頑張りたくない』って、『もう辞めたい』って思った事は一度もないんですか?」

 

 問いかければ、痛いところを突かれたと言わんばかりに目を逸らすヒナ。

 やっぱり、なのか。なんというか、本当に嫌になるな。結局、この子の支えには足りてなかったって事か。

 

「それは……でも、きっとみんな思ってる事で、だからせめて私は頑張らないと」

「そう思った時点で無理をしてるんですよ。ヒナ委員長は頑張り屋さんだから基準がズレてるだけで、普通はそんな事を思った時点でもう駄目なんです。頑張りすぎです。無理をしてます。そう思ったのなら素直に休む必要があるんです」

「でも、私が休んだりしたら自治区が」

「だーかーら、それで無理をしてどうするんですか! 第一、ヒナさん一人休む程度で滅びる自治区ならさっさと滅びればいいんですよ。……まあ、冗談ですけどね? 半分は。とにかく、一日二日程度なら委員長が抜けても持たせてみせますし、そのためにみんな努力してるんですから」

 

 最近だと、イオリも俺に神秘の扱い方について尋ねてくるようになったりしている。

 アコだって内政周りのアレコレをヒナに影響が及ぶ前に処理できるよう力を入れているようだし、チナツも以前より増えた余裕を使って救急医学部と相談しながら広く共有できるマニュアルを作成しようとしている。

 それ以外の子たちも、毎日訓練をして、研究をして、少しでも自分を高めようと努力している。

 

「ヒナさん。あなたは確かに風紀委員長で、ゲヘナ自治区の治安の象徴みたいにもなっています。でも、あなたは委員長で象徴であるよりも前に一人の人間で、高校生で、女の子なんです。頑張るのは良い事ですけど、無理をする義務はないんです」

「……本当に、休んでもいいの? だって、私が抜けたら」

「俺なんかが言ってるだけじゃ心配でしょうけど、きっと誰に聞いても同じように答えてくれますよ。ためしにアコ行政官にでも聞いてみますか? きっとあの人なら、ヒナさんからの連絡なら24時間いつでも反応しますよ」

「いや、24時間はさすがに」

「あの人を舐めたらいけません。逆に舐められますよ。物理的に」

「物理的に……」

 

 いかんな。少し深夜テンションが混ざりつつある気がする。

 普段の言動からして名誉棄損と呼ぶには少し躊躇するが、マズい事を口にしたのは間違いないだろう。明日謝っておこう。いやもう今日か。

 

「ともかく。ヒナ委員長は一人で頑張りすぎなんです。もう少し周りに頼る事を……寄りかかる事を知ってください。あなたからしたら頼りなく見えるかもですけど、きっとみんな頑張りますから」

 

 ヒナに限らず、ブルアカにおいて組織のトップに立つ生徒はどの子も一人で抱え込みすぎなんだ。

 トップだから頑張るのは頷けるけど、トップだから誰にも頼らなくなるってのはダメだって俺でも分かるぞ、うん。

 

 何かを思うように目を閉じるヒナを見て、そんな風に脳内で頷いていた時の事だった。

 想定外の爆弾を投げつけられたのは。

 

「……じゃあアヤトも、私が頼ったら助けてくれるの?」

「うぇ!? いや、まあ、喜んで助けますけど……俺なんかでいいんです?」

 

 正直、自分で言うのもアレだが……俺に頼りがいなんて欠片も無いだろうに。

 それに、俺はヒナたちが思っているよりもよっぽど最低な人間だ。さっき言った事だって、どれもこれもお前なんかが言うなって言葉ばかりだし。

 

 ……ああ、もう。嫌だな、本当に。それを理解した上で言ったっていうんだから、救いようがない。

 やっぱり俺なんかじゃ、先生みたいには──

 

「アヤト、分かってるの? あなたが初めてなんだよ?」

「へ?」

「あなたが初めて、私にその言葉を伝えてくれたの。あなたが初めて、私を風紀委員長でもなんでもない“ただの空崎ヒナ”として見てくれたの」

 

 それは、違う。

 そんな事はない。それは、それだけは絶対に違う。

 

「いや、それは。偶然そうだっただけで、みんなきっと」

「でも、私はそう思った。そう感じた。だからきっと、これが私にとっての真実なの」

 

 違う。違うのに。いつかの日のように、けれどもあの瞬間よりも緩く微笑んで。

 一歩、ヒナが距離を詰める。

 

 

「すごく嬉しかった。ありがとう、アヤト」

 

 

 言葉は端的に、最小限の、けれどもそれ以上は何もいらないほどの響きで。

 緩く繋がれた指先からは、脈打つ鼓動が伝わるように、伝えるように。白雪みたく真っ白なその手は、けれども温かく、そして何よりも柔らかく。その熱を、温度を俺に理解させる。

 くしゃりと、珍しく口を開いて笑うその表情は年相応の少女然としていて、普段の凛とした佇まいからは考えられないほど可憐で。

 

「これからは、もっと頼らさせてもらうわ。あなたから言い出したんだから、ちゃんと責任取ってね?」

 

 胸に走る締め付けられるような感覚は、その姿に胸を打たれたからか、あるいは『自分はそんな信頼を寄せられていい人間じゃない』という自己嫌悪か。

 甘くて、苦くて、妙な心地だ。

 

「……分かった。ヒナさんが頼ってくれるうちは、全力で支え続けるよ」

 

 結局、俺から返せたのはそんな苦し紛れの言葉だけだった。

 だからきっと、当然の事だったんだ。終わりが来るのは突然で、文脈も、必然性も、何もかもを無視して訪れるんだって。

 

 そんな事、俺は知っていたのに。

 

 

──*──

 

 

 その日は、随分と暗い夜だった。どんよりとした雲に覆われて、月明かりどころか星の光すら見えないような。

 街灯が無ければ一寸先ですら見えないのではないか、なんて思ってしまうような。そんな、夜だった。

 

 そんな夜に、万魔殿に呼び出されていた俺は、諸々の予定を済ませて、その後に出くわしたイブキの相手をしていた事で帰りが遅くなってしまって。

 それで、ショートカットとして裏道を使おうとして。

 

「よォ、お前が『キグルミ』か?」

「不用心だよなあ、こんな時間に、こんな場所を一人で通ろうとするんだから」

「てめえが戦えないって事は分かってるんだ。ちっと面かせよ」

 

 スケバンの集団に囲まれて。

 そうして。

 

「てめえが入ってから風紀委員会が鬱陶しくて敵わねえんだ。なあ、分かるだろ?」

「噂じゃあ、お前は風紀委員長と随分と仲がいいらしいじゃねえか」

「なに、ちょっとだけ痛い目見てもらうだけだからよ。それで分かってもらおうって、それだけの話だよ」

 

 着ぐるみの腹部に押し付けられたSGが、暗がりの路地にマズルフラッシュの花を咲かせて。

 それで、終わりだった。

 

「……は? なんで血が」

 

 激痛。

 胴体全体に走る、火で炙られているかのような熱。多少防弾仕様にしていても、零距離のSG相手だと意味が無かったらしい。

 

 染み出してきた赤い液体が、その色と臭いを主張する。

 

「おい、お前何やってんだよ! 誰もここまでしろとは──」

「いや、違……知らない! あたしは普通にやっただけで」

「じゃあなんでこんな事になってんだよ!?」

「と、とにかく逃げ──」

「分かっ──」

「ま、待ってく──」

 

 意識が遠ざかる感覚。

 ダメだ。手放すな。とにかく神秘で身体を治さないと。

 

 そう、落ち着け。この感覚なら、まだ間に合う。火事の時よりもまだ意識が残ってる。

 だから、だから──

 

 ああ、ダメだ。

 寒い。

 暗い。

 指先の感覚がない。血が流れ過ぎたのか? はは、なんだこれ。息がしづらい。

 

「ゴホッ、ゲホッ」

 

 鉄の臭い。よかった、まだ嗅覚が残ってる。だったらまだ。

 あれ、でも何も見えない。なんでだ? そういやあの時も……あれ、臭いが消えた。なんだ、誰かが拭ってでもくれたのか?

 

 何で、何も聞こえないんだ。

 見えない。臭わない。見えない。感じない。見えない。どうして? さむい。いたい。いたい? どこが? ああ、まあいいか。いたくないなら。

 

 だから、そう。はやく、かえらくちゃ────

 

 

──>:<──

 

 

「んん……」

 

 片付けた書類の山をアコが運んで行くのを見ながら、壁にかけられた時計に目を向ける。

 9時ちょっと前、か。少し遅くなっちゃったかな。

 

「ふふ」

 

 この時間を『遅くなった』と自然と思っていたことに気が付いて、自然と笑みが零れる。以前じゃ絶対に考えられなかったことだ。

 これも全て、彼のおかげ。彼が勇気を出して伝えてくれた事のおかげで、周りを頼れるようになって、前よりもずっと楽になったんだから。

 

「……そういえば、まだ帰って来てないのかしら」

 

 ふと、気付く。

 今日の彼は、万魔殿の方に出向いていたはず。となれば何があったとしても帰って来たなら報告に来るはずなのだが……

 

 改めて、壁掛けの時計を見る。

 既に短針は真左を通り越していた。

 

「アコ、彼……キグルミってまだ戻って来てないの?」

「そういえば、姿を見ていませんね。……あの狸、またしつこく勧誘でもしてるんでしょうか」

 

 部屋に戻って来たアコに尋ねてみても、望んでいた答えは返ってこなかった。

 ざわりと、嫌な感覚が胸を過ぎる。

 

 落ち着いて。まずは万魔殿に確認を取るべきだ。

 そう、きっとそうすればすぐに帰ってくるはず。

 

『……なんだ、空崎ヒナ。こんな時間に連絡など非常識だと』

「キグルミが戻って来てないのだけれど。まだ拘束してるの?」

『キグルミ? アイツなら30分ぐらい前に万魔殿を出たはずだが……』

 

 一瞬だけ、頭から水を被せられたような寒気。

 血の気が引くってこんな感じなんだな、なんて目を逸らそうとする思考を、急にどくどくと鳴り始めた鼓動を。無理矢理に抑えつけるようにして。

 

『おい、何かあったのか? 急に黙り込んで──』

 

 通信を切って、別の番号にかけ直す。

 彼に渡した風紀委員会支給の端末。けれど、どれだけ待っても繋がらない。単調な発信音だけが、突き放すように続くばかりだ。

 

「……っ!」

「委員長!? どこに──」

 

 走る、走る。

 風紀委員会の本部の中を、弾かれたように。3年間の学園生活の中で初めての経験だ。

 

 でも。

 どれだけ探しても。どの部屋を見ても。

 

 いない。いない。いない。

 どこにもいない。見つけられない。教えてもらった『神秘の探知』を試してみても、どこにもいない。

 

「どうして──!」

 

 いや、違う。

 そんなわけがない。そんな事起こるわけがない。

 

 湧き上がる不安感を、浮かび上がってくる嫌な予想を、どうにか嚥下するようにしながら。

 外に出て、見慣れたウサギの着ぐるみを探す。

 

 そう、きっとどこかにいるはずなんだ。

 例えば地域の子どもに囲まれたとか、きっとそんな理由で、だから私に見つかったらいつも通り困ったように──

 

 

 血の、臭い。

 

 

「……はっ、ひぅっ」

 

 風紀委員長として、何度も嗅いできた臭い。戦場では珍しくはなくて、けれども最近はめっきり嗅ぐことのなくなった臭い。

 それが、路地の奥から漂っている。

 

 違う。違う。ちがう。

 そんなわけない。こんな所にいるはずがない。違う。絶対に違う。ピンクと白のあれは、違う。だって彼は、癒しの力を持っていて、それに襲われる理由なんて。

 理由、なんて。

 

 不意に、雲が割れる。

 注がれた月明かりがスポットライトみたく照らした、ソレは。

 

 ピンクと白/でデザイン/された。どちらか/と言えばかわいらしい/ウサ/ギの着ぐるみ。ボロボロ/になった腹部/。/溢れ出る/赤色。む/せ返る鉄の臭い/。崩れ/る認識。震/える/視界。

 

「あ、ああ……」

 

 ガラガラと、足元から砕けるように世界が崩れる。バラバラになる。

 

 声が聞こえた。

 震えて、みっともない声。分からない。何が、どうして。ぐらぐらと揺れている。分からない。何も分からない。

 

 穴を開けられたように胸が痛んでいる気がする。冷凍庫の中に放り込まれたように寒気が走っている気がする。掠れ切った音が喉から漏れている気がする。

 

 違う。そんなわけない。

 

「あぁ、あああ……」

 

 震える指先で、ウサギの頭を取る。両手で挟み込むようにして。

 見たくないと思いながら、まばたきを忘れたみたいに目を見開いて。

 

 そこに、あったのは。

 

「ああああああぁぁぁぁぁああああっ!」

 

 血に塗れた、虚ろな表情。見慣れている、なのに決して見た事のない、苦痛に塗れた、それでいてどこか穏やかな顔。

 それが、着ぐるみの頭を取られた事で支えが消えたみたいに倒れかかってきて。

 

「アヤト、アヤトっ……!」

 

 触れた肌は、酷く冷え切っている。

 血の臭いが濃くなった気がした。私が近付いたから? 違う、そんな事よりもまずは。

 

「……ぁ。ヒ、ナ…………?」

 

 名を、呼ぶ声。頑なに、まるで意地を張るみたいに『さん』か『委員長』を付けていた彼の、初めての呼び捨て。

 それは、まるで。

 

 もう終わるから、気が抜けてしまっているかのようで。

 

「アヤトっ!」

「ぁ……はは。ごめん、な」

「ダメ、喋らないで! すぐにチナツを呼ぶから!!」

「おれ、ずっと……ぅそ、ついてたんだ」

 

 声が聞こえていない? いや、違う。

 聞えてなければ、私を判別できなかったはず。だから聞こえてはいるはずで。

 

「じつはさ、おれ。しってたんだ。キヴォトスのこと」

「それ、は……」

「きみのことも、しってた」

「いい! もういいから、喋らないで!!」

 

 はは、と微かな吐息が耳に触れる。

 弱々しい、酷い笑い声だ。

 

「おれがこのせかいにきたのは、ぐうぜんなんだ。じけんじゃない。ごめんな、ずっとだましてて」

「知ってた、そんな事!」

 

 肩を掴んで支えるようにして、正面から叩き付けるように叫ぶ。

 そんな事、とっくに知ってた。

 

 だって、一番最初の時点で、アヤトは『キヴォトスで男の人間が珍しい』ことを理解していたから。

 初対面で向けるにはおかしすぎるぐらいの信頼を私に向けてきていたから。キヴォトスのことも、私のことも、きっと前から知ってたんだろうと思っていた。

 

 調べてみれば、彼をキヴォトスに呼び出したような怪しい人物がいないこともすぐに分かった。

 それを理解して、その上で私はアヤトを風紀委員会に置いていたんだ。ずっと、ずっと。それを今さら、何を驚いているんだ。

 

「はは、そっか……」

「アヤト?」

 

 ゆっくりと、しかし確かな力で。ぐっと、彼が身体を起こす。

 どこにそんな力があったのか、正面から目を合わせるようにして──その口から、言葉が紡がれる。

 

「ごめんな、ヒナ。俺は、迷惑しかかけられなかったけど……でも。きっといつか、先生が来るから」

「先生……? それよりアヤト、もう喋らないで。傷を癒すことだけに集中して」

「だから、大丈夫。こんな最後まで隠し事してた俺みたいな奴と違って、先生はきっとヒナを支えてくれるから。助けに、救いになってくれるから。だから、きっと」

 

 ──ああ、もう。分かっていないのは、アヤトだって同じじゃないか。

 

 

「私はもう救われてる!」

 

 

 荒れ狂う感情をそのままに、思い切り叫ぶ。

 

「あなたのおかげで! アヤトが私に手を伸ばしてくれたから──手を差し伸べてくれたから! 十分すぎるぐらいに救われてるの!」

 

 なおも何か言い募ろうとする彼を、物理的に黙らせる。

 顔を近付けて、その唇に触れるように。

 

「……え」

 

 初めてのキスは生々しくて、どうしようもなく赤い味がして──だけど、何よりも甘やかだった。

 

「あなたがどんな人間でも、何であったとしても構わない。あなたは私を助けてくれた。支えになってくれた。だから、それだけで十分なの。嘘も隠し事も関係ない」

 

 いつの間にか、随分と絆されたものだとは思う。

 最初に見つけた時は要警戒対象としか考えていなかったのに。

 

 それでも、何かに耐えるようにしながらも、ずっと真っ直ぐ助けになろうとしてくれたのだ。初めて、風紀委員長でも何でもない私に手を伸ばしてくれたのだ。

 だから。だから──

 

「どこかに、行かないでよ。傍で、支えてよ……」

 

 弱々しい、みっともなく震えた声。自分でも情けないと思ってしまう懇願に、アヤトはハッと目を見開いて。

 数秒ほど後、不意に瞼を下ろした。

 

「アヤト……?」

 

 まさか。

 そう思って、手を伸ばした瞬間の事だった。

 

 膨大な神秘が、溢れ出す。

 まるで物理的な圧力さえ伴っているのではと思わせるソレに、全身が総毛立つ感覚。それが、数秒間続いて。

 

「ごめんな、ヒナ」

 

 声はしっかりとした響きで。

 ついさっきまでの弱々しさも掠れも、何もかもが嘘みたいに。

 

「結局俺は、俺の事しか見えてなかったみたいだ。ずっと負い目にばっか目を向けてて、君が俺をどう思ってくれてるのかをまるで考えられてなかった」

 

 分かる。

 冷たくなりつつあった身体に、青白くなっていた肌に、熱が戻っている。生命の息吹が宿り直している。

 

「だから、結局俺は自分がかわいいだけの人間なんだ。……それでも、いいって言ってくれるのなら。傍に居てほしいって、ヒナが言ってくれるなら。俺も、傍に居させてほしいって思う。……どう、かな」

「いいに決まってるでしょ」

 

 おずおずとした問いへの答えは、自分でも驚くほどすんなりと出てきた。

 それこそ、食い気味なぐらいに。

 

「だから、お願い。私と一緒にいて。これからもずっと、私を支えて」

 

 再度、雲が割れて──月明かりが降り注ぐ。

 眩しくて、静やかで、どこまでも綺麗な光が。まるで(ソラ)から降りてきた柱みたいに、まっすぐと。

 

「──分かった。俺は君が望んでいてくれる限り、ずっと傍に居る。助けになる。たとえどんな苦難が襲ってきても。傷を負って、絶望に膝を突きそうになっても。それが、俺がこの世界に来た理由だって信じる」

 

 そう言って、陽がひらくみたいにふにゃりと、いつものように彼は笑って。

 手を、伸ばす。

 

「改めて、これからよろしくな。ヒナ」

「こちらこそ。ずっと傍に居てね、アヤト」

 

 はじめましてをするように、私たちは言葉を交わした。

 月明かりに照らされた笑顔は、何よりも眩しかった。

 

 




 最初は死エンドか監禁エンドみたいにしようかと思ってたんですけど、またこの主人公勝手に動いてケツイみなぎらせたのでこんなエンドになりました。
 まあとにかく、書いててすっごい楽しかったです(満面の笑み)
 お読みいただきありがとうございました!!
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