【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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萎びた日にも陽はひらく

 

 

 きーんぽーんかーんとーん、と僅かに歪んだチャイムの音が鳴り響く。本来の音から変性しているのは、おそらく立地が原因なのだろう。

 橙を越えて茜色に染まり始めた室内には、しかしその暖かな色とは裏腹にたった一人の影しか存在しない。

 

 そんなわけで、数秒の残響をもってチャイムの名残が消えてしまえば、空間に響くのは再びその一人分の呼吸音だけになってしまう。

 自分が立てるその音をぼんやりと耳にしながら、少女はどこか他人事のように『うるさいな』なんて思った。

 

 

 

 ここは既に使われなくなったゲヘナ廃校舎の一室、床や壁に残る油絵具の色やボロボロになった石膏像が目立つ美術室……の、隣の美術準備室である。

 

 縦長で若干の狭さを感じさせるその部屋で、比較的原形をとどめていた椅子に膝を抱えるように座るのはとても小さな影。

 うずくまっているせいで、そのボリューミーな白髪に覆い隠されるような少女。

 

 常の凛とした佇まいなど見る影もなく沈み込むように俯く姿は、ともすればこのまま消えてしまうのではと思わせてしまう。

 そこにいるのは畏怖と敬意を集める風紀委員長ではなく、爆発した抱え込んでいたアレコレに振り回されるただの少女であった。

 

(何、やってんだろう。私)

 

 冷静になろうなどと欠片も思っていないのに、経過した時に熱を冷まされた思考がぼんやりと自己嫌悪を吐き出す。

 

 あの時は、とにかく息苦しかった。

 ずっと頑張ってきたのに、こんなにも頑張ってきたのに。そんな思考にもなれなかった成り損ないの激情に身を任せ、会議室を飛び出してしまうぐらいには。

 

 けれども、こうして一人になって。

 子どものわがままみたいに何もかもから逃げ出して。

 

 そうして抱いたのは、『結局私は脆くてダメな人間だったんだ』なんていう冷めた実感だけだった。

 

 

 だって。

 私は自分の務めを投げ出して、心配する友人たちを遠ざけるような情けない人間なのだから。

 

 

 ズルズルと、ズブズブと沼に沈むように、自己嫌悪に溺れる。

 静かな空間に響くのは自分の浅い呼吸音だけ。

 瞼を閉ざした世界に映るものは何もなく、優しく無機質な暗闇だけが自分を包んでいる。

 

 一切の外的要因が排除されたその場所で立ち直るには、彼女は疲れすぎていたのだった。前向きな思考などできようも無い。

 

 だからこそ。今の彼女に必要だったのは、一人の空間ではなく抱え込んだモノを吐き出せる誰かだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、足音が聞こえてきた。

 まるで静寂をノックするかのような、小さく柔らかな音が。

 

 誰だろうか。

 

 廃校舎は不良生徒のたまり場にもなっている。その類だろうか。

 それとも……風紀委員の誰かが追いかけてきたのだろうか。

 

(どれであっても、嫌だな)

 

 今の気分は憂鬱なんて言葉では足りないぐらいに沈み切っている。

 何もしたくないし、誰かに今の自分を見られたくもない。

 

 そんな思いと共に、じっと息を潜めていたのだが。

 しかしその誰かの足音は大きく、次第にはっきりしたものへと変化していく。時々小さくなったり途絶えたりしているのを聞く限り、きっと誰かが自分を探しに来たのだろう。

 

 誰かは知らないが、随分と観察眼が優れているらしい。

 着実に近付いてくるその音を死刑宣告を待つ罪人のような心地で聞きながら、彼女はそんな事をぼんやりと思った。

 

(幻滅……されたよね。どんなこと言われるんだろ)

 

 義務感と責任感で日々の仕事を行っていた彼女にとって、かなりイヤな想像。

 同僚であり仲の良い友人である彼女たちに、「幻滅した」なんて言われたら。思われたら。

 

 みんな優しいから、きっとはっきりとは口にしないのだろうけど……それでも、そう思われたらと想像するだけでも恐ろしい。

 

 再び負のループに突入し沈み込む少女。

 それは室内の明るさを一段階引き下げたのではないかと思わせるものであったが、しかし外の誰かには関係の無いことであったようで。

 

 ガラガラガラ、と軋みながらも戸が開かれる音が響いた。

 

 キュッ、と強く瞳を閉ざす。

 何も見たくないし、何も聞きたくない。そんな感情の表れだ。

 

 しかし、そんな彼女のささやかな抵抗はすぐに終わることになった。他ならない彼女自身が止めたのだ。

 

「ようやく見つけた。みんな心配して探し回ってたよ~? ヒナちゃん」

「……え?」

 

 思わず────そう、本当に思わず瞼を開く。

 こんな場所で聞くはずのない声が耳朶を打ったからだ。

 

 久々に網膜を貫く光たち。すっかり暗闇に順応してしまった瞳孔は、急激な変化に文句を言うように世界を白く染め上げた。

 そんな中、視界の中央に映るのは。廊下の窓越しに、茜の空を背負うのは。

 自分と同じぐらい小さな体躯の、柔らかな桃色の少女。

 

「たかな、し……ホシノ…………?」

「ありゃ? おじさん、別に変装してきたつもりはないんだけどな~……なんて、茶化す場面じゃないか」

「どうして……」

 

 か細く小さな音が喉から漏れ出る。

 自分でも驚くぐらいに、『まるで今にも消えてしまいそうだ』なんて思ってしまうぐらいに脆い音色だった。

 

 けれども、喧騒から遠く離れたこの場所ではそんな声でもよく響く。

 

「うーん……先生や風紀委員の子たちに頼まれたってのもあるけど────一番は、ヒナちゃんが心配だったからかな?」

 

 しん、ぱい?

 一体どんな意を表す言葉だったろうか。少なくとも、自分と彼女の間に生まれるような言葉ではなかったはず。そこまで親密になれた覚えはない。

 いや、強い彼女と弱い自分という文脈ではある意味適切だろうか。

 

 相変わらずズルズルと自己嫌悪に沈み続けるヒナをよそに、ホシノは続きを語る。

 

「昔……随分昔に似たような目を見たことがあってね。一人で抱え込んで、なんにも見えなくなるぐらいに追い込まれた酷い目」

 

 事前に得ていた情報か、はたまたそれを語る彼女の調子からか。

 不思議と、それが誰を指しているのかは理解できた。

 

「でも……あなたは強い。だから乗り越えられた」

「そんなことないよ。うん、そんなことは全然ない。今の私がこうしてあるのは大切な後輩たちのおかげだし、先生のおかげでもある。私一人じゃ、きっといつか……随分昔に折れちゃってた」

 

 本心からそう語っていると分かるぐらいの、たしかな実感が籠められた言葉。

 ここまでの思いが籠められるという事は、きっとそれは真実なのだろう。少なくとも、()()()()()()()

 

 けれども、それが誰にとっても真実になるとは限らない。

 そして、たとえそれが真実なのだとしても薬になるとも限らない。

 

「でも……結局あなたは乗り越えられた! 私と違って!! 私だって頑張ってきた! 頑張って……きたのに…………」

 

 何がいけなかったのか。

 何が足りなかったのか。

 彼女と自分で、何が違ったのか。

 

 自分は弱くて、彼女は強かった。それでいいじゃないか。

 自分がダメだったから失敗した。それでいいじゃないか。

 

 だって、そうじゃなければ。

 ただ巡り合わせが悪かったからだなんて。ただ運が悪かったからだなんて。周りに“誰か”がいなかったからだなんて。

 

 自分の頑張りは足りていたのに報われなかっただなんて。

 

 

 

 惨め過ぎるじゃないか。

 

 

 

 激情は声を荒らげさせ、しかし過去を想起する脳は途端にその色をか細いものへと変化させる。

 まるで躁鬱のように乱降下するその音は、彼女が限界を超えてしまったコトを痛々しいまでに告げていた。

 

 そんなはた迷惑な叫びを聞いて、けれども対面の彼女は静かにうなずいた。

 

「うん。ヒナちゃんは頑張ってる……なんて、ちょっと前に会ったばかりの私が言っても説得力は無いかもしれないけど。でも、ヒナちゃんは頑張ってるよ。頑張り過ぎるぐらいに」

 

 直前の彼女が上げたソレとは違い、慈愛と優しさに溢れた言葉。

 けれども、そんなものでさえ今の彼女にとっては劇物となる。

 

 特に、ホシノ(憧れる人)からの言葉は。

 だから。そのまま、耳を塞いでしまおうと。もう何も聞かないで済むようにしようとしたのだが。

 

 しかしそれよりも先に彼女が口を開く。

 

「ヒナちゃんはさ、もうちょっと周りを頼るようにするべきだったんだよ。限界を迎えるまで一人で抱え込むんじゃなくて」

「それ、は…………アコたちの頑張りが足りなかったって、言いたいの?」

 

 どれだけ沈んでいようと、それだけは我慢ならない。

 あの子たちも頑張っている。十分働いてくれている。

 

 それだというのに、知ったような口で自分たちを語るのか。

 カッ、と頭が熱を帯びる。普段よりも心が弱っていても────いや、弱っているからこそ自制できなくなった怒り。

 

 

 そんな珍しく分かりやすいまでに表に出た彼女の感情に、しかしホシノは怯まずに続きを語る。

 相手の心に踏み込んで想いを伝えようとしているのだ。この程度で止まってなどいられようか。

 

「そうじゃなくってね……一人でいると忘れちゃいそうになるけど、人間が一人でできることなんて本来たかが知れているの。むしろできないことばっかり。もしそれで納得できないっていうのなら…………それ以上を望むのなら、私たちは周りの人に助けてもらわなくちゃいけない」

 

 様々な事を経験して。

 本当に色々な場所で得られた経験を通して出された、今の彼女の結論。

 

 “何かあった時は周りを巻き込まないよう自分一人で動く”のではなく、むしろ“何かあった時こそ周りを頼って解決策を探す”。

 

 ありふれた、ともすれば『当たり前』とも表現できる答え。

 けれどもこれが案外バカにできないものだ。

 

 自分だけではない。ミレニアムでも、ゲヘナ(ココ)でもそれができずに一人で抱え込んでしまった人を見てきたのだから。

 

 

「そうやって助け合って、私たちは生きていくの」

 

 

 万感の思いと共に贈った言葉は、多少は効果があったようで。

 モサモサとした白色の隙間から、鮮やかな紫色が覗かされる。

 

「これはリオちゃんが言っていた事なんだけどね。ヒナちゃん、知ってる? リーダーの仕事って他のメンバーに仕事を割り振る事なんだって」

 

 もちろん、それ以外にも色々とあるんだけどね。

 少しばかりの笑顔を浮かべながら、彼女はそう零す。

 

「それを聞いた時、なるほどな~って思ったんだ。たしかに、それはリーダーにしかできない仕事なわけだし」

 

 そう口にする彼女には、問い詰めるような色はまるでない。

 どちらかと言えば独白、独り言のような調子。

 

 だからこそ、それは沈み切った少女にも『自分はどうだったろうか』と考えさせる力を持っていた。

 

「結局、あなたが言いたいのは……私の頑張りは無駄だったっていうこと?」

 

 とはいえ、それだけでは上向かせるにはまだ足りない。

 深みに僅かに光が射した程度。薄ぼんやりとした道筋は見えても、そもそもの自覚が足りないのだからそれだけでは何もできない。

 

 けれども、確かな変化でもある。

 それを『これは重症だ』なんて思いながら、ホシノは理解した。畳み掛けるのなら今だ。

 

「うーん、そういうことでもないんだけどなぁ……」

「じゃあ、どういう…………」

「たしかに、リーダーとして足りない部分があるって事は伝えようとしてたけど。でも、それはそれとしてさ」

 

 

 

「ヒナちゃんがずっと頑張っていたから、今回の一連の事件はこの程度の被害で収まってる。違う?」

 

 

 

 こういう時は、下手に言葉を飾らず真っ直ぐに伝えるべし。

 先生から学んだ大切なコトの一つ。

 

「────っ!」

 

 はたして、その思いは伝わったのか。

 息を呑む音だけが美術準備室に響く。

 

「まずはその事を認めてあげよ? ヒナちゃんは頑張ってるって事を、ちゃんとその成果は出ているって事を。まずはヒナちゃんが褒めてあげないと」

「私は────私の努力に、意味はあった……?」

「そうだよ。そうに決まってるじゃん、まったく」

 

 流石にこんな前提部分から躓いてたとは思ってなかったよ、なんて呟かれた言葉は、はたして彼女の耳に届いたのか。

 きっと聞こえていたとしても、今の彼女には処理できなかっただろう。

 

 

 憧れの……いや、憧れだけでなく。畏怖や、同情や、警戒や、まぜこぜになったそれらを抱えていた相手に、認められた。認められていた。

 自分とは違うと思っていた彼女に。

 

 ああ、自分はなんて単純なのだろうか。たったそれだけの事で、心が浮つこうとしている。

 

「でも……さっきは」

「いや~、『だから周りにもっと頼るようにしよう』みたいな感じにつなげたかったんだけどね……上手くいかないもんだね。だから、貶すような意図は一切無いの。そこだけは信じてほしいかな」

 

 頬を人差し指で掻きながら、失敗を恥ずかしがるみたく照れくさそうに零すホシノ。

 その顔に浮かべられているのは、毒気も邪気も一切ない本当に静かな微笑であった。

 

 そんな柔らかな陽だまりを思わせる笑みに照らされるように。溶かされるように。

 抱え込んでいたモノが溢れ始める。

 

「私は……わたし、は。ずっと頑張ってきた」

「うん」

「ずっと、ずっと……辛くても、もうがんばりたくないって思っても」

「うん」

「他の……普通の子たちが遊んでいるのを羨ましいって思っても」

 

 告解のように呟かれる小さな言葉と、それに答える相槌の音。

 

「それは…………無駄じゃ、なかった?」

「無駄になるわけないじゃん。ヒナちゃんが頑張ってきた結果は、形としてここにある」

 

 どこまでも真っ直ぐに贈られる肯定の言葉たち。それは沈み切った彼女の心にたしかな光を射す。

 水面(みなも)から上がるのは、彼女の心に()灯る(ひらく)のは、きっともうすぐ。

 

「でも、マコトは…………」

「うーん、生徒会長ちゃんが何を思ってああ言ったのかは分からないけど。ヒナちゃんたち風紀委員会の仕事は治安維持なわけじゃん」

「……うん」

「だったらさ、多少は仕方ないんじゃない? 行政を担ってる生徒会の方が情報の重要度は高いわけだし」

「そうなの、かしら」

 

 はたして彼女は気付いているのだろうか。

 いつのまにか俯いていた顔が上がっていることに。消え入るようだった声にハリが戻ってきていることに。

 

「ね、ヒナちゃん。この事件が解決したらさ、どっか遊びに行かない?」

「……え?」

「ほら、頑張った自分へのご褒美ってことで」

「でも、私が抜けたら」

「ま~たそうやって頑張り過ぎようとするー。ダメだよ? たまには休まないと」

 

 先の『普通の子たちが遊んでいるのが羨ましい』という言葉から出された、ホシノの最後のひと押し。

 その是非なんて、揺れるように悩む少女の姿を見れば野暮というものだろう。

 

「いい、のかな」

「そうそう。後輩たちにも経験を積ませてあげないとだし。それに、華の女子高生は今年で最後なんだよ? 楽しまなくちゃ」

「それは……フフッ、そうね」

「あ、笑った! 落ち込んだ女の子を笑わせられるなら、おじさんのギャグセンスも捨てたもんじゃないね~」

「なに、それ。もう」

 

 花が綻ぶように、クスクスと、カラカラと漏れ出る笑い声。

 情報から想像していたよりも、ずっと気さくで、剽軽で、けれども優しい人。

 

 それにつられるように肩の力が抜けているのは、きっといいコト。

 彼女の言葉で、改めて『自分がいつまでも風紀委員会(ココ)に居られるわけではない』と気付いて、自分の重荷を後輩や仲間たちにも分けようと思えたコトも、きっと。

 

 

 だって、こんなにも晴れやかな顔で笑い合っているのだから。

 

 

 




最後になりましたが、しっぽお米 さん、カエさん さん、邪々丸 さん、KOOOU さん、だんごのお兄さん さん、タスマニア さん、龍紋夏月 さん、ーーーーーーーあ さん、yumeinu さん、アトラクトナクア さん、三山畝傍 さん、ふくもってぃ さん、シャウタ さん、評価付与ありがとうございました。
ここ数週間アホみたいな勢いでタスクが襲いかかってきたせいで御礼が遅れましたが、いつも励みになってます。本当に、ありがとうございましたm(_ _)m

そうそう、ここまで読んでくれたそこのあなた。実は明日も更新があります(小声)
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