分割する事もまあ考えたんですが……でも一連の話はこの形式で通した方が良いかな、と思ったのでこのままで行きます。どぞ。
あ、それと、前話の後書きでちょっとした与太話を追記しています。
別に読まないでも本編に支障はきたしませんが、ちょっとした補足のようなものですね。
「……先生。ナギちゃんから取引とか提案されなかった?」
こちらを安心させるためか、はたまた別の狙いがあるのか。この会合が自身の独断による行動であると、“それはそれでどうなんだ?”とも思える事を告げた少女は、アイスブレイクも挟まずに本題を切り出した。
トリニティでの初日、ティーパーティーのテラスにて『きちんとしないとダメだよ!』とナギサに言っていたとは思えないその様子からは、切迫と焦燥の色が滲み出ている。
「取引?」
それを読み取った先生は、あえて場の主導権をミカに預けたままにすることにした。
生徒に余計な負荷をかけないためであったが、同時にミカのスタンスを窺う事もできるという、実に先生らしい強かな手であった。
もっとも、要因として占める割合は前者の方が圧倒的に大きかったのだが。
「例えば、そうだなぁ……『トリニティの裏切り者』を探してほしい、とか」
「たしかに頼まれたね」
「やっぱり? ナギちゃんったら、予想通りなんだから」
はたしてそのことを理解しているのか、少女は軽やかな口調を崩さずに語り続ける。
呆れている、ともぷりぷりと怒っている、とも取れる口調だというのに、どこか不安定なイメージを抱いてしまうと先生は思った。
が、そんな彼女の態度は次の応答の後には崩れ去る事となった。
「何か詳しい情報……例えば理由とか、目的とか、補習授業部があのメンバーになった原因とか、そういうのは? もしかして、ただ“探して”って言われた感じ?」
「ううん。ナギサはちゃんと話してくれたし、私も納得した上で協力したいって言わせてもらったよ」
いくつか条件は注文させてもらったけどね、と続ける先生へ、スッと細めた眼をミカが向ける。
「────へぇ。あのナギちゃんが話したの?」
猜疑心も露わに呟かれる質問。
幼馴染であるが故に、ナギサの人をすぐに信じられない……悪く言えば小心な部分をミカは知っている。だからこその疑問だ。
「さすがに時間の問題もあったし、全部を聞けたかは分からないけどね」
対する先生は、その豹変に動じずにいつも通りを維持して答える。
特にやましいことがあるワケでもないし、そもそもやっとミカが素の表情を見せ始めたのだ。ここで逸ってはならないという自制の賜物であった。
(ど、どうしよう……)
こうなってくると、むしろ困るのはミカの側であった。
元々の予定では、先生にいくつかの情報をピックアップして伝えることでその行動に方向性を持たせ、盤面を自分に利するように整えるつもりであったのだ。
だというのに、それが前提となっていた『ナギサは重要な情報を伝えていないはず』という推測と共に崩壊してしまっている。
もともと腹芸が得意ではない彼女にとって、ここまで想定から離れた状況で臨機応変に動くというのは困難であった。
(どうしよう、どうしよう。どうすればいい?)
パニックに陥る、とまでは行かずともその一歩手前あたりにまで至り、譫言のように疑問を繰り返す思考。
しかしいつまでもこうしていられるわけではない。
単純に怪しまれかねないというのもあったが、時間的猶予もそう残っていないというのが大きかったのだ。
ホストではないとはいえ、彼女とてパテル分派の首長を務める重要人物である。いつまでもこうして自由に動けるわけではなかった。
「せ、先生は、ナギちゃんに何を言われて頼まれたの?」
結局、彼女ができたのは、なんとか当初の計画に近付けられないかと質問することぐらいであった。
もしこれで何もかもを洗いざらい話されていれば、自分から打てる手は無くなる。だが、どこかに付け入る隙が残っていれば、あるいは────
「エデン条約を目前にしたこの時期に、セイアが襲撃を受けたこと。それと……セイアがどうなったのかも。その上で、助けてほしいと」
「…………そっか」
はたしてその答えは、よっぽどの事が無ければあの幼馴染は語らないだろうという、事態の核心に迫る重要な情報であった。
それを先生に伝えたということは、つまりはそういう事なのだろう。
(そっか。ナギちゃん、先生を信じようって思ったんだね)
どんな手を打って、あのナギサの疑心暗鬼を打ち破ったのかは分からない。
自分では到底真似できないような手腕を発揮して、彼になら任せられると考えさせたのかもしれない。むしろ逆に、正面から素直に向き合う事で彼なら信じられると思わせたのかもしれない。
バカで隠し事が膨らみ過ぎた自分には、できなかった事だ。
(まあでも、これはこれで良かったのかな? 先生になら、ナギちゃんを任せられそうなんだし)
どうして、今になって。
(なら。次はアズサちゃんも守ってもらえるようにするのが、私の役割、かな?)
どうしてもっと早く来てくれなかったの?
「じゃあ先生は、トリニティの裏切り者が誰かはもう分かってるのかな?」
「…………」
私は、もうこんなになっちゃったのに。
「教えてあげよっか? それが誰なのか」
「ミカ?」
(ここでアズサちゃんの名前を出せば、きっと先生はあの子を意識して見るようになる。その上で守ってあげてほしいって言っておけば、あの子も先生に任せられる。だってあのナギちゃんが信じたんだもん)
どうしてこうなっちゃう前に来てくれなかったの? どうして私は救けてくれないの? 私が勝手なことをしたから? 私が考え無しだったから?
「それはね────」
たすけてよ、私も。
「ミカ、大丈夫?」
「────え?」
気付けば顔を正面から覗き込まれていた。
「すごい、辛そうな顔をしてるよ?」
視界いっぱいに広がる気遣わし気な表情。
黒く、然れど澄んだ瞳は何よりもその内心を告げていた。
「ど、どうしたの? 急に。きっと気のせいじゃないかな。だって私は」
「ミカ。無理しないで、辛い時は辛いって言っていいんだよ」
「────っ」
どうしてそんなことを言うの? 今さら、もう手遅れなのに。
「あ、あはは。変なこと言うんだね、先生。それに、先生はナギちゃんの味方なんじゃないの?」
「……? ああ、なるほど。たしかに私はナギサの味方だけど。けどね、私はミカの味方でもあるんだよ?」
「え?」
「私は『先生』だからね。だから、私は生徒たちみんなの味方なんだ」
あっけらかんと、そして自信満々に先生は言い切った。
嘘だ。建前だ。理性がそう叫ぶ。
だって、それは結局のところ誰の味方でもないという事だろうと。誰にでも良い顔をする人を、どうして味方だと信じられる、と。
けれども、同時に。
本音だ。本気だ。感情がそう叫んだ。
だって、目の前のこの大人は瞳が澄み切ったままなのだ。真剣な表情を崩していないのだ。だからきっと、彼は本気でそんな綺麗事を実践しようとしているのだろう。
(ああ、なるほど……。これは、ナギちゃんも揺れちゃうか)
なんとなく、この大人の芯を理解する。
同時に、こうやって他の学園の生徒たちも絆されてきたのだろう、とも。
けれども、今の自分にはこの大人は眩しすぎる。
「先生、トリニティの裏切り者はアズサちゃんだよ。あの子はアリウス分校の出身なの。ほんとはトリニティとの和解の懸け橋になって欲しかったんだけどね……だから、あの子のことを守ってあげて」
矢継ぎ早に言葉を吐き出す。
これ以上この密会が長引くとマズい事になるからだ。体裁的な意味でも、自分の精神的な意味でも。
(でも……うん、この人ならナギちゃんは任せられる。きっと守ってくれる。私はもう
「ミカ?」
「残念、時間切れ。詳しい情報はナギちゃんに聞けば分かるはずだから、ごめんね。それじゃあ、頑張ってね? 先生☆」
背後から呼び掛ける声から目を背けて、少女は眩しい場所から立ち去る。自分が次に打つべき手を考えながら。
その足取りは、ここしばらくでは珍しく軽やかになっていた。
なってしまって、いた。
────────
時は流れるように過ぎ去り、補習授業部の第二次特別試験が実施される日。
その日、聖園ミカはとある事情に頭を悩ませながら人気のない裏道を歩いていた。
(ちょっと困っちゃったな……)
その脳内を占めるのは、たった一つの議題。
すなわち、『いかにして二次試験を失敗させるか』という内容である。
当初の彼女の計画では、補習授業部は三次試験まで受ける羽目になると予想されていた。あの部が容疑者の集まりである以上、ナギサが色々と妨害工作を施すと考えていたからだ。
が、蓋を開けてみればナギサは先生を信じるかどうかで揺れ動いており、打つ手は中途半端なものになっていると来た。
試験会場が自治区端に変更されるといった名残が残ってこそいるものの、このままでは先生が手を貸す補習授業部ならば試験を突破してしまうだろう。
それでは困るのだ。
(このままじゃ、アズサちゃんを通してアリウス分校の動きを読めなくなる。それに、折角あの子がトリニティで笑えるようになってきたんだから。まだ補習授業部には残っていてもらわないと)
アリウス分校との繋がりはあるが、しかし彼女らは自分の目論見を超えて暴走する危険性がある。あるいは、陰で何か計画を立てられるかもしれない。
それを察知するには、所在が明らかであり、なおかつ先生の目が行き届いている補習授業部という存在が非常に重要であった。
とはいえ、今の正義実現委員会と自警団が巡回をしているトリニティで打てる手はほとんど無く。
唯一、しばらく前から自治区内に侵入しようとしていたゲヘナのテロ組織ならば攪乱できるのではと思ったが……どうやら向こうの風紀委員長にバレたらしく、現在は拘束されている状態なようで。
当然ながら目的から何まで全てが不明なマクガフィンを利用できるワケもなく、今のトリニティ内で彼女が打てる手というのはほとんど残っていないのであった。
「う~~~~」
髪を掻きむしったり爪を噛んだりといったみっともないことはしないが、しかし唸り声が漏れる程度には思い悩んでいる。
そんな彼女の前に、しかし立ち塞がる一つの影が。
「おやおや、大人に踊らされる哀れなお姫様じゃないか。悩み事でもあるのかい?」
明るい日差しの中、まるで白昼夢みたく黒く浮かび上がるシルエット。
開口一番に直球な罵倒を放ったのは、先も思考によぎった指名手配犯であった。
「随分な挨拶だね。昼にする挨拶は『ごきげんよう』なんだけど……そんなのも分かんないのかな?」
「ふむ、指名手配犯にまで礼儀作法を求めるとは。ティーパーティーというのはルールに厳格らしい。きっとアリウス分校のような危険要素は招き入れないし、立場にそぐわぬ考え無しな行動などしないのだろうな」
何が目的かは知らないが、こうして接触できたのは悪くない。そう冷静さを保とうとしていたミカであったが、流石にその皮肉は許容範囲を超えていた。
「なにが、言いたいのかな? 私、ちょーっと手が滑りそうなんだけど」
自然と、返す声が低くなる。
“返答によってはすぐさま叩き潰す”、そう言外に告げる警告であった。
が、それを分かっているのかいないのか。
黒ずくめの怪人は、ヘラヘラと小馬鹿にするように言葉を紡ぐ。
「いや、申し訳ない。この程度の皮肉も通じないとは思わなかったんだ。そうだな、分かりやすく言ってあげよう。無垢な願いを捻じ曲げられ現実逃避に行う黒幕ごっこは楽しいかい?」
「折るよ?」
判断は一瞬。
持ち上げられたミカの愛銃、《Quis ut Deus》の照準が合わせられると同時に、その銃口から数発の弾丸が吐き出された。
ただのSMGの連射であると侮るなかれ。彼女の膨大な神秘を一身に受け続けたその愛銃は既に変性しており、放たれる攻撃はどんな一撃であろうと
故に、それは訓練を受けた正義実現委員会の生徒であろうと当たり所が悪ければ一瞬でノックアウトされてしまうような凶悪さを有していた。
だが。そんな実力者であるミカへ相対する者もまた、無数の鉄火場を単騎で潜り抜けてきた確かな実力を有している存在。
蝶が舞うように軽やかに、そして危なげなく放たれた銃弾を回避すると、そのままにお返しだと言わんばかりにその腕が振るわれた。
とはいえ、彼我の間合いは銃撃戦のソレである。どれだけの力が込められていようと、本来ならば腕を振り回すだけでは何も起こりはしない。
「────っ!」
その上で、ミカが選択したのは横っ飛びの回避であった。
直感による判断である。
しかしただの直感だと馬鹿にはできない。
先にも述べたように、彼女は生半な正義実現委員会の生徒よりも遥かに優れた武力を有している。その上で、ティーパーティーの一席として多数の資料を閲覧できる人物でもあるのだ。
それこそ、彼と複数回衝突している正義実現委員会が『詳細不明の遠距離攻撃有り』と記した報告書のような資料だとか。
それらを無意識下で総合的に勘案した結果が、『直感』なのである。
「……ほう」
はたして、その結果は。
意外げに、そしてどこか称賛するような響きを伴った声を漏らしたマクガフィンの様子が、それを端的に表していた。
しかし、それを為したミカの胸中に達成感や納得の感情が浮かぶことはなく。
あるのは、『どうやってコイツを痛めつけようか』という攻撃性だけであった。なにせ、以前から不確定要素として警戒していた相手が、明らかに此方の内情を理解した上での煽りを行ってきたのだ。
感情の面でも合理の面でも『タダで生かしておいてはならない』と判断が下されるのは、半ば自明のことであった。
再び、ミカの愛銃から白銀の軌跡を描いて銃弾が放たれる。
先のような感情に引っ張られた雑な攻撃ではなく、確実に当てやすい
一連の攻防を経て、『一撃で敵を葬るのは不可能である』とミカの戦闘回路が判断を下したが故の牽制射である。
激情に駆られながらも冷静に相手の嫌がる事を実行する、そこに彼女の強さの一端が垣間見えるだろう。
とはいえ相手もさるものであり。
空中を吊るされるような不自然な動きでソレを回避すると、そのままに身を捻るようにしながらマクガフィンは再度その腕を振るう。
「よっと」
直感は危険性を訴えていなかったが、念のためその軌道上から回避するミカ。
僅かに漏れた言葉と同様、その動きに危うさは見られない。まさしく先の焼き増しとでも表現するべき光景である。
だが、しかし。
それが結果まで同じ光景を用意するのかと言えば、それは否であった。
「────ッ!?」
回避の途中。自由に身動きを取れない空中で、ミカの愛銃が強く引っ張られる。
一体何が、と視線を向けるもその先に映るものは何も無い。何も無いはずなのに、銃身は引っ張られている。
あまりにも不可解な状況に数瞬、少女の思考が停止した。
「やばっ────!」
たった数瞬、されど数瞬。
一秒にも満たないその間に、明暗は分かれていた。
「ふむ、どうやら見えてはいないと。となると、さっきのはまぐれか?」
余裕綽々といった雰囲気で、『どうやらしばらく前に見極められたせいで過剰に反応していたらしい』と続ける青年。
しかしその余裕が的外れかと言えばそんな事もない。
なにせ、今のミカは目に見えないナニカ、糸のような物に全身を拘束されているのだ。そうなった以上は、もはや勝敗は明らかになったとも言えるだろう。
「……おいおい」
ブチリ、ブチリと糸が引き千切れるかのような異音が裏道に響き渡る。
音源は地に横たわっている聖園ミカ────の、周囲の空間である。
それは、即ち。
「あはっ☆ さっきのがあなたの手品のタネなのかな? 随分粗末なものを使ってるんだね、お金無いの?」
マクガフィンによって形成されていた神秘の糸が、彼女の膂力に耐え切れずに千切れ飛ぶ音であった。
「まさかここまでのじゃじゃ馬だとは思っていなかったよ、まったく。これは骨が折れそうだ」
「骨だけで済ましてもらえると思ってるの?」
どうやら、戦いはまだまだ終わらないらしい。
────────
場所は移り、補習授業部と共に第二次特別試験会場へと歩を進める先生たち。
自治区端という辺鄙な場所へと会場が変わった理由────すなわち、遂には学園敷地内でもマクガフィンの姿が確認されたので安全を確保するため、というソレ────が単なる建前ではないと理解しているが為に、一同の雰囲気は険悪にはなっていなかった。
とはいえ、理由を理解できれば文句が浮かばないかと言えばそんなワケもなく。少しばかりピリついた空気が、彼女たちの内心をよく表していた。
(もしこれが数日前じゃなくて試験直前でのアナウンスだったりしたら、もっと酷いことになっていたんだろうなぁ……)
主にハナコが。
補習授業部の真実について伝え、結果ナギサのフォローを必死に行うことになった夜の事を思い出し、少しばかり呑気な事を考える先生。
あの時のハナコは少し……そこそこ…………いや、かなり怖かった。
普段通りの笑顔のはずなのに目が微塵も笑っていなかったのだ。むしろ逆に恐ろしいというのが彼の正直な感想であった。
と、その視線の先に別の生徒の姿が映り込む。
(アズサ……)
元々動きづらい表情をさらに硬く引き締めた白髪の少女、白洲アズサである。
「…………」
ミカからアズサがアリウス分校の出身だと聞いても、先生がその態度を変えることは無かった。
元々そうではないかと考えていたというのもあるが、何よりも彼女の在り方からは悪意を見出せなかったからである。
少なくとも、人を殺したというような経験をしているようには見えなかった。故に、先生はただ彼女を見守るだけに留めていた。
その中で膨らんだ『アリウス分校』への疑念、すなわち
(もし、生徒に対してそんな事をしているのなら────)
僅かに、先生の纏う雰囲気が変質する。
まだまだ証拠も何もないただの疑念であるが、しかしそれは見逃せる可能性では無いのだ。なにせ、それを見過ごさないための
が、そんな先生の感情が長続きすることは無かった。
生徒の前で考える事ではないと思ったから? 否。単純に、そんな思考を巡らせられるだけの余裕が消え去ったからである。
なぜならば────。
「あははっ☆ 逃げるしかできないの!?」
「お転婆もここまで来ると笑えないなぁっ!!」
先生たちが通っていた道路へ、壁や塀を破壊しながら二人の闖入者が現れたからである。
「ミカっ!?」
「え、先生!?」
驚きを内に留めておけず口から漏らす先生。
とはいえその思考までもが停止しているのかと言えばそうでもなく、既に視線は状況を把握しようと忙しなく動き回っていた。
(正義実現委員会の子たち……これは彼が無力化した感じか)
まず目についたのは、ミカたちがやって来た方向で倒れている正義実現委員会の生徒たち。外傷はなく、しかし全員が不自然に腕を後ろに回しているのを見るに、おそらくミレニアムの時のようにマクガフィンが無力化したのだろう。
次いで目に映るのは、途轍もない速度で黒ずくめの怪人を攻撃する薄桃色の少女の姿。ゲヘナにおける動乱時ほど本気でないように見えるとはいえ、あのマクガフィンと渡り合えている時点で彼女も相当の実力者なのだろう。
その上で先の焦ったような反応を見るに、ここで自分たちと鉢合わせになったのは想定外であった、という所か。
「ミカ、助力は必要そうかい?」
「……いいの?」
「私にとっても無関係じゃないしね。……それに、彼はどうやら私たちを通したくないようだし」
「おや、バレてしまっていたか。いや、ここはさすが先生だと称賛するべきか?」
「ここまで露骨にやられたらね」
一旦ミカから距離を取り、改めてこちらへと向き直って立ったマクガフィン。その姿から目を離さないようにしつつ、言葉を交わす。
突然すぎる事態に目を白黒させていた補習授業部の4人も、そのやり取りからどうやら現状を呑み込めたらしく。それぞれに手元の愛銃を握る強さが強くなった姿が、その戦意を物語っていた。
「これはもう少し本気を出すべきか」
────
二次試験開始まで残り30分と少々。
先生たちへと、新たなる試練が降り掛かった。
────────
暗闇。
自分の姿は見えるようで、しかしそれ以外の何もかもが見えない、そんな暗闇。
その中に一人、百合園セイアは座り込んでいた。
やろうと思えば机も椅子も、
(なぜ……君はそんな風にいられるんだ?)
音にならない独り言が、虚しく胸中で響き渡る。
最初は、ただ絶望というモノを知らないからだと思っていた。
奇跡はあると、世界は悪いコトばかりではないと語れるのは、自分が直面したような絶望を経験していないからだと。不思議な雰囲気を纏う事もあるが、きっとそうなのだろうと。
だって。
自分は、あんな風に強く在り続けることができなかったから。
だけれども、そうではなかった。
彼女は────いや、彼女
事実、セイアの心はポッキリと折れていた。
おそらく、元々弱っていたのもあるのだろうが。それでも、完膚無きにまで折れてしまっていたのだ。
少なくとも、彼女のような瞳を────『どうアレを避けよう』という弱気ではなく『どうアレへ立ち向かおう』と希望を含んだ強い瞳をすることはできなかった。
できたのは、こうして蹲るぐらいだ。
(どうして、君はそんなに強いんだ? 世界はこんなにも虚しいというのに)
“vanitas vanitatum et omnia vanitas”
まさしくその通りだ。
どこまで行こうと、何をしようと、全ては虚しい
そこまで思考が行き付いた辺りで、一つの言葉が脳裏を過ぎった。
“たとえ全てが虚しいことだとしても、それは今日最善を尽くさない理由にはならない”
「……そういえば、あの子も強い子だったな」
全ては虚しいと刷り込まれていながら、それでもと立ち上がる。立ち向かう。足掻き続ける。
そんな少女だった。
「たとえ全てが虚しいとしても、か……」
なんとなく、自分の心持ちが変わったのが分かる。
立ち上がろうと、足掻こうとは思えないが、同時に『何故そんなにも強くいられるのか』を知りたいと思ったのだ。
分からないならば聞いてみよう、と。
きっと彼女は変わらずに待っている。これまでと変わらずに、私が戻ってくるのを待っている。故に、聞きに行こう、と。
「おかえり、セイアちゃん」
一人きりの暗がりから踏み出した少女、セイアが『眩しい』と思う間もなく、正面からかけられた声。
優しい響きはいつものままに、しかし珍しく静かさを含んだ音色であった。
「……ただいま」
「えへへ。もう戻ってこないかもって思ってたから、こうしてお話しできるのは嬉しいや」
「そう、だね」
散文めいた、とりとめのない会話の応酬。
まさしくアイスブレイクと表現するべきと言える、そんなやり取り。
けれども、それがアイスブレイクだというのなら。
きっと、いつかは本題へと踏み込むことになる。
「どれだけ考えても、分からなかった。どうして君はそんなにも強くいられるのか。どうしてそんなに笑顔でいられるのか。だから、教えてくれないかい? 君のことを」
「……うん」
切り出したのは、セイアの側であった。
それを受けると、やはり静かな表情のまま少女は語り始めた。おおよそ一年ばかりの、二年ほど前に一つの結末を迎えた昔話を。
廃れていく
半ば押し付けられる形で祭り上げられた生徒会長の座で、必死に衰退へと抗い続けた事。
頼りになる、本当にかわいい後輩ができた事。
先の見えない毎日だったけど、それでも『もしかしたら』と思えた事。
その期待が裏切られ、最期の瞬間、一度折れてしまった事。
唯一、彼女が
(ああ、そうか)
長いようで短い、短いようで長い。
そんな少女の話を聞くにつれて、セイアの心は凪いでいった。
話の内容だけではなく。それを語る彼女の表情、纏う雰囲気、声の色、それらすべてを通して、理解したからだ。
(君も、そう変わらないのだな)
やがて少女の昔話が終わり、空間を再び静寂が支配するようになる。
けれども、不思議と気まずくはなかった。
「君は、怖くないのかい?」
ややあって、再びセイアが口を開く。
それは疑問の体を取っていたが、しかし確認に近いものであった。
「正直に言うと、すっごく怖いよ。アレに立ち向かえる未来は視たけれど、でも、その通りに行くかは分からないし。失敗したら、きっとみんな死んじゃうから」
少女の返答に対し、応える声は無く。
しかし、コクリと下げられたセイアの
「じゃあ、何もかもが無駄に終わってしまう
「それも怖かったね。きっとなんとかなるって信じてたけど、でも、結果がどうなるかは分からなかったし。……けど、私が歩いた足跡はきっと残るって思ってたから。いつか私の跡を継ぐ人が現れた時に、きっと無駄にはならないって信じられた。それに、後輩の前だったしね」
だから頑張れた部分もあるかな、と彼女は続けた。
たしかな芯を、信念を感じさせる声であった。
「それじゃあ……君は、楽園の実在を信じられるかい? 天上の幸福をもたらすが故に、誰にも証明されない虚しい楽園を」
「楽園、かぁ。どうだろ。私にとっては、生徒会として活動してたあの頃も十分楽園って言えるぐらいだったし。……うん、だから。きっとソレは、私たちが自分で決めて歩いて行くしかないんじゃないかな?」
いつかの雑談で話題に出された、楽園の存在証明。
ただの皮肉として語っただけであったはずのソレに、しかし彼女は真っ直ぐな答えを出していた。
楽園の在り処。
それを決めるのは自分で、そして歩いて行くのも自分自身なのだと。
再び、コクリと頷きが返される。
両者とも相手の反応に一切の不満はなく、ただ静かに問答を重ねていた。
「君は、どうしてそんなに強くいられるんだい?」
「それは……どうだろ。セイアちゃんはずっと私を強いって言うけど、実はそんなことないんだよ? 能天気で、騙されてばっかだったし。唯一自信があった『いつでも希望を諦めない』って事も、一度折れちゃったぐらいだし」
やはり、セイアは納得を示した。
そんなわけがないだろう、とも、自覚がないだけだ、とも思わなかった。
理解したのだ。
「それでも、立ち向かうのかい?」
「うん。あの子がまだ頑張っているから」
やはり、その
けれども。その光を直視できるようになった今ならば、その奥にあるものが読み取れる。
(恐怖は感じている。不安も抱いている。絶望感も理解している。私と同じだ)
“それでも、諦めない。諦めたくない”
「それにね。諦めちゃうより、希望を胸に歩いていく方が素敵だと思うから。でしょ?」
「ああ、そうだね」
たしかにその精神性は強くはある。
一本、ブレない芯が通ってもいる。
でも、自分と同じなのだ。絶望を感じないわけでも、不安を抱かないわけでもない。
それを彼女は認めて、抱えて、その上で『それでも』と立ち上がっている。どこまでも等身大な在り方で。
だから、こんなにも眩しく見える。
「君は、本当に凄いな」
「うぇえ!? セイアちゃんがデレた!? 正直、『君は馬鹿だな』とか言われるかと身構えてたのに…………」
「君は────もう! この良い雰囲気の中でそんな事を言うかい!?」
「だ、だってぇ……」
「……フッ、ハハッ」
「うへへっ」
カラカラと、どちらからともなく笑い声が上がる。
なんとも締まらないが、それがむしろ彼女らしい。
「まったく、折角凄いと尊敬しかけたのに」
「えへへ。でも、それで言ったらセイアちゃんも十分凄いんじゃないかな?」
「私が、かい?」
はて、何かそう凄いと評されるような事を自分はしただろうか。
思い当たるフシは無い。いや、まさかババ抜きの連勝でも言うんじゃないだろうな。
なんて思ったあたりで、なんて事のないように彼女が言う。
「だって、なんだかんだ言ってセイアちゃんも諦めてなかったじゃん」
「────え?」
「本当に諦めちゃってたら、
「……っ!」
(────ああ、もう。本当に、この人は。どうしてこう不意打ちに、こんな事を言ってくれるんだ)
思えば簡単な話。
やろうと思えば、自分一人だけの領域に閉じこもる事はできたのだ。あらゆる存在からの干渉を断ち切って、文字通りの独りきりになる事は。
でも、自分はそうしていなかった。
そうしていなかったのだ。
「はは、あははっ!」
声が漏れる。堪え切れない。
ああ、全くもって、なんて単純な話だったのだろう! どうしてそんな事実を自分は見落としていたんだ!
(答えなんて、最初から出ていたのか)
「────うん、ありがとう。君のおかげで進めそうだよ」
「
「
なんとも晴れやかな気分だ。
今ならなんだってできそうなぐらいに。本当に、晴れやかな気分だ。
「そっか。ちょっと、寂しくなっちゃうね」
「いつかはまた会えるさ。きっと向こうで。なんなら、私の方から会いに行ってあげるよ」
「ほんと!?」
「ああ。だから、早く起きたまえよ? これ以上は“おひるね”じゃ済まなくなってしまうからね」
「うへへ、そうだね」
元からここはセイアの夢の世界。
どこか別の場所を覗き見ているワケでも、捕らえられているワケでもない。自分の意思一つで目覚められる。
彼女との別れは、近い。
「そうだ! じゃあ、私からの餞別! あの子の神秘を分けてあげる!」
「それは……いいのかい?」
おそらく、向こうの身体が病弱であると話したことがあるが故の餞別。
とはいえ、それは文字通り彼女の“生命線”なのだ。そう易々と分けていい物なのか? そんな心配からの疑問は、『私はパスで繋がってるからね! それに、あの子の神秘だけなら私みたいにはならないと思うし!』という言葉で解消された。
稀有な縁で結ばれた、新しい友人。そのために張り切っているのだろう。
「あ、でも。もしかしたら、この前みたいに変な反応しちゃうかもだけど…………」
「それぐらい構わないさ。対価として見れば、むしろ軽すぎるぐらいだ」
伸ばされた彼女の手に自分の手を重ねながら、そう返す。
今さら、多少
最悪な終末を視て、『それでも』と前を向く人が目の前にいるのだ。ならば、自分だって挫けてはいられない。
顔を上げ、一つ、頷きを交わし合う。
それだけで十分だった。
(これは……凄まじいな)
途端に自分の内側へ流れ込んでくる膨大な神秘。
荒れ狂う暴流のようにも神聖な凪いだ河川のようにも思えるその力は、しかし彼女の肉体を凄まじい勢いで癒していく。
なるほど、彼女が2年もの間眠ったままになっても無事でいられるわけだ。そう納得してしまうぐらいには、その神秘は圧倒的であった。
「────っ!!」
が、その感嘆を打ち消す情景がセイアの脳裏を蹂躙し始める。
彼の帯びるいくつものテクストの内の一つ、『知識』。パスを通じているが故により強調されたそれが、未来を識るという彼女の神秘と共鳴しているのだ。
(三次試験────ミカ────アリウス分校────調印式────襲撃────巡航ミサイル────ユスティナ聖徒会────────それにこれは……なるほど、マダム、バシリカ、儀式────そしてあれが“色彩”か。それに……クズノハ、ね)
一度経験しているが故に、受け入れるのは早かった。
これが、彼が識る未来なのだろう。
(まいったな……これじゃ対価じゃなくてもう一つの餞別じゃないか)
叩き込まれた膨大な量の情報で頭蓋の内側がガンガン鳴るのを感じながら、しかし苦笑に似た笑みが零れる。
なにせ、それは今からの行動において値千金となる情報ばかりなのだ。自分が知り得なかった裏側まで含めて事態の全容の全てを掴めたとなれば、苦笑も漏れるというもの。
(そろそろ目覚めか)
向こうの意識が少しずつ戻ると共に、こちら側の身体が透けるように薄れていく。いよいよその時が近いのだ。
「本当に、ありがとう。この恩は、きっといつか返すよ」
「おおげさじゃないかな……私はそんな大したことはしてないよ。セイアちゃんが頑張ろうって思えたからだもん」
「それでもさ」
このままじゃ私の気が済まないんだ。
そうセイアは続けた。きっとどれだけ自分が影響を受けたのか語っても彼女は理解しないだろうと思ったが故の、押し付けのようなものであった。
「そっか。……あ、じゃあ、向こうの後輩に伝言を頼んでいいかな?」
「…………。君は、どうしてこんなタイミングで頼むんだ! もう時間がないぞ!?」
「ひぃん、ごめん~」
「いいから早く言いたまえ!! まったく……」
「それじゃあ────」
最後の最後まで締まらない彼女の調子に、最近では珍しく無くなった呆れ笑いが浮かぶ。
(何ともまあ、私も絆されたものだ)
「分かった。たしかに伝えておくよ」
「ありがとう。じゃあ────いってらっしゃい、セイアちゃん!!」
「ああ、行ってくるよ────ユメ」
振り返らなくても、きっと彼女は笑っている。太陽のような、優しい笑顔で。不思議と、そう確信できた。
パチリと、瞼を開く。
身体に圧し掛かる重力の感覚。何もかもが思い通りであったあの場所とは違う、神秘の制限された感覚。
なんとも懐かしい感覚だ。
小さな両手をグッパッと握って開いてしながら、小さく微笑みを浮かべる。
(本当に凄いな。久々の目覚めだというのに、かつてないほどに調子が良い)
大切な友人から受け取った餞別の力は凄まじかった。
この調子ならば、少なくともしばらくは自由に動けるだろう。
「セイア……さん? 目が覚めたのですか!?」
「ミネ、か。迷惑をかけたね」
「いえ、その程度はどうでも……それよりも、身体に異常はありませんか? 待っていてください、すぐに検査の準備を────」
「────ミネ。迷惑ついでに、少しわがままを言いたいんだが。構わないかい?」
「セイア、さん? いったい、何を」
「────なに。少しばかり、気に食わない悲劇をブチ壊してやろうというだけだよ」