「セイアちゃんは……未来を視るの、止めたんだっけ?」
薄桃色の髪をした少女と、大きなキツネの耳をした少女。
二人の間に広がる沈黙を打ち破ったのは、そんな些細な疑問だった。
「……ああ。戦闘時などはともかく、普段は視ないようにしているね」
「そっか。制御できるようになったんだもんね」
「それもあるし、単に未来の言いなりになってやるのに腹が立ったのもある……意外かい?」
「あはは、ううん。昔のセイアちゃんとは違うかもしれないけど、今ならセイアちゃんらしいって思うよ」
同じティーパーティーに所属していたが、少女たちがこうして二人きりで会話をするのは久方ぶりのことであった。
仲違いしていたのではなく、やむを得ない事情があってのことだったが。
「その……ありがとね。私のために色々考えてくれて」
「……礼を言われることじゃないさ。結局、彼の思惑に乗るしかなかったんだし」
少女の片方、聖園ミカには外患誘致を始めとした多数の嫌疑がかけられていた。それこそ、事が明るみになればトリニティの政治体制が揺らぐだろうと思えるほどには。
しかしながら、今のトリニティにはそんな動きは欠片も見られない。
なぜならば────
『マクガフィンを許すな!! トリニティの威光に泥を塗った罪人に、正義の下に鉄槌を!』
一連の騒動は指名手配犯『マクガフィン』による犯行であったという情報が一般生徒に広まってしまったからだ。
遠くから響くデモの大合唱が示す通り、今のトリニティの流行りは反マクガフィン運動であった。おそらく、襲撃があった夜に居合わせていたパテル分派の生徒たちが火付け役になったのだろう。
問題は、セイアが協力を取り付けるために根回ししていたこともあって各組織のリーダーは事件の真相を知っていたことであった。
最終的には救護騎士団の蒼森ミネがほぼ反対レベルの賛成、正義実現委員会の剣先ツルギが若干反対よりの賛成、シスターフッドの歌住サクラコとティーパーティーの百合園セイア、桐藤ナギサが苦々し気な賛成といった形で議論は落ち着き、聖園ミカの罪には箝口令が敷かれる事となった。
正確には、公平性を保つメリットよりも起こる混乱によるデメリットの方が上回った結果、受け入れざるを得なくなったとも言うが。
何はともあれ、そうなったからには裁判が終了するまでは余計な不信を招かないようにしようと、二人は接触を避けていたのだ。
そもそもの原因を考えれば、こうして改めて話す二人が気まずくなるのも仕方のない話であった。
とはいえいくら気まずくともそのままではいられない。
いつかは関係性を修復しなければならないというのもあるが、それ以上に二人の立場が問題であるのだ。
単純な話として、トリニティの意思決定機関────もっともホストとして最終決定権を持つのはセイアだが────の一員である二人がギクシャクしたままでは色々と困る上、仲直りのために時間を割いて遊ばせておくだけの余裕もトリニティには無いからだ。
そんなわけで一つ深呼吸をすると、薄桃色の少女は覚悟を決めた表情で頭を下げた。
「改めて、お詫び申し上げます。百合園セイアさん……本当に、申し訳ありませんでした」
壁にかけられた時計の音も、遠くから響くデモの声もなぜか聞こえない。そんなジットリとした沈黙が、室内に満ちる。
そのまま固まったような時間が過ぎること数秒、ようやく謝罪を贈られた少女が口を開いた。
「心情としては、顔を上げてくれと……その謝罪を一方的に受け取る資格は私に無いと言いたい」
「…………」
「その上で言おう。聖園ミカ、君の謝罪を受け取り、ここで私は君を赦すと」
驚いたように、そしてどこか救われたように顔を上げるミカ。
分かりやすく『本当に赦してくれるのか』と書かれたその表情に肩を竦めると、対面の少女は照れ臭そうに続ける。
「一連の事件に関しては私も責任を感じているんだ。だからそんな顔を向けないでくれ、心苦しくなる」
「で、でも……っ!」
「取り返しのつかない地点にまで行き着いていない限り、どんな人間にも救済の機会は与えられるべきだ。それとも、アリウス分校の救済を目論む私がこの選択をする事は意外かい?」
茶目っ気を出した笑みと共に放たれた質問に、少女は『ズルいなぁ』なんて胸中で零した。そんな風に問われてしまえば、否定などできるはずがないからだ。
「私たちは互いに未熟だったんだよ、ミカ。君はもう少し物事を深く考えるべきだったし、私は悟った気になって諦めるべきじゃなかった。だから、この件はこれで手打ちだ」
「────っ、ありがとう、セイアちゃん」
感極まったように瞳へ雫を溜める少女へ、キツネ耳の少女は少し困ったように微笑むのだった。
「さて。本心としては君が落ち着くまで待ってやりたいんだが、立場のこともある。サクサク行こうじゃないか。他にも用があるんだろう? ミカ」
「あはは……セイアちゃんには敵わないなぁ」
「予知がなくても勘は鋭いほうなんだ。それで、何が聞きたいんだい?」
「全部。アリウス分校の事も、彼────マクガフィンの事も」
ミカの言葉にティーカップをソーサーへとカタリと戻すと、セイアは真剣な表情を作る。
「覚悟はあるのかい? そこには君にとって望ましくない……辛い現実が待ち構えているよ?」
「それでも。向こうに救われる気がなかったとしても、私は一度手を差し伸べたの。向こうに別の思惑があったのだとしても、私はこうして救われたの。だから────」
一度瞼を下して。
吐き出す息と共にその金の瞳を開きながら。
嘗ての無邪気さを離れ、凛々しく決意に染まった表情で聖園ミカは告げる。
一つの終わりとなる────そして、一つの始まりとなる
「もう、私は何も知らない無邪気なお姫様ではいられない。たとえ茨の道でも……この先に苦難が待ち構えているのだとしても、進むよ」
迷いの無い強い瞳で言い切る。
果たして真実を知った彼女が伸ばす手は届くのか、それを視ることは『預言の大天使』にもできず、それを識ることは『例外の体現者』にもできず。
しかし、一人の少女が成長して歩み始めたという事実だけが、そこにはあった。
────────
「リーダー……らしくもない顔で悩んでるみたいだね」
トリニティ総合学園とゲヘナ学園との間に結ばれる平和条約、エデン条約。その調印式の延期が正式に発表されてからしばらく、アリウス分校自治区の端にて。
ちょうど座れるような瓦礫の上に腰を下ろし、何を思うでもなく一人居た錠前サオリ、彼女へと戒野ミサキが話しかけた第一声がそれであった。
「ミサキ……例の薬の投与は?」
「午前中に終わった。リーダーは、昨日だっけ?」
「ああ。不調は無いか?」
「むしろ無いのが気持ち悪いぐらい。前よりも調子が良くなってるし……アレ、何なの?」
自分から振った話題ではあるが、少しばかり顔を顰めるサオリ。
ミサキの疑問はもっともであるが、サオリにもそれに答えられるだけの知識は無かったからだ。
「マダムは『聖人』の神秘の“複製”と言っていたが……」
「ま、そのお陰で力が上がって百合園セイアの予知も誤魔化せるようになるらしいし、良いけどね。何かデメリットがあったところでどうでもいいし」
吐き捨てるように呟かれた最後の言葉に、別の感情で更に顔を顰めるサオリ。
すると、ミサキはそんな彼女の顔をのぞき込みながら続けた。
「ほんと変わったね、リーダー。……いや、この場合は戻ったって言う方が正しいのか」
「……?」
「前までは、そこまで感情を表情に出さないようにしてた。訓練から離れたプライベートでも」
その指摘に思い当たることがあったのか苦々しく表情を歪めそうになり、それこそが言われた事だと今度は取り繕おうとするサオリ。
そんな面白い反応をする姉に珍しく少し笑いそうになりながら、ミサキは『そういう所だよ』と告げた。
「…………」
「まあ、何の影響かは想像できるけどさ。あの大人でしょ?」
思わず黙り込む横の少女へと、ミサキは続ける。
彼女自身も、以前より少しだけ饒舌になっていることに気付かぬままに。
「私も何回か顔を合わせたけど、随分と個性的だったもんね」
「まあ、そうだな」
「……はあ。今、リーダーが何に悩んでるのか。当てようか? このままマダムに従っていていいのか、でしょ?」
「それは────っ、ああ、そうだ」
思わず否定を口にしようとし、しかし見つめる瞳に確信の色が浮かんでいることに尻すぼみの肯定を返す。
以前では考えられないようなサオリの様子に色々な感情を覚えながらも、ミサキは軽く溜め息を吐きながら告げた。
「好きにしたらいいんじゃない?」
端的な、これ以上ないぐらいに分かりやすい肯定の言葉を。
「……え?」
「私はアリウス分校でも、ベアトリーチェでもなく、リーダーに付いていくよ」
「いい、のか? 下手をすれば……」
どうにか続けないようにした言葉は、『追われる可能性がある』だろうか。それとも『死の危険がある』だろうか。
どうせ似たような内容なのだろうと溜め息を吐くと、珍しく少し怒りをにじませてミサキは続ける。
「私は誰でもないあなたに救われたんだよ、姉さん。どれだけ後ろ向きでも、私がこうして今生きてるのは姉さんのおかげ。だから、私は姉さんに付いてくよ」
それだけで十分だったのだろう。
見開かれた薄い青色の瞳には、信頼と少しばかりの驚愕の色がありありと浮かんでいた。
「そう、か」
「うん。それに、どうせリーダーが居なくなったら死ぬだろうし、私」
「……流石に、笑えないぞ」
「……ごめん。ああ、そう言えば。ヒヨリと姫も話したそうにしてたよ」
「そうか。後で二人の方にも行っておくよ」
その言葉に短く了承の言葉を返すと、ミサキはその腰を上げた。
悩むのならば、今は一人の方が良いだろうと思ったからだ。
「リーダー。どうなっても、私はあなたを恨まないから。だから、好きに生きればいいよ」
最後に残した言葉に答える声はなく。
しかし姉が頷いた事を後ろ姿から確認すると、少女は立ち去るのだった。
────────
錠前サオリが槌永ヒヨリへと話しかけた時、彼女は世紀の発見をしたタイミングであった。
「ヒヨリ……ミサキが、お前が何か話したさそうにしていたと…………どうした? なぜ、震えてるんだ? 何かあったのか!?」
「サ、サオリさ~ん……聞いてください! 前までこのキノコは食べたらお腹を壊してたんですけど、あの薬を打った後だとそうならないんです!!」
「お前は……はぁ」
心配して損をしたという気持ちと、こうも容易く感情を掻き乱されるようになったのが『変わった』と評されたのだろうなという諦めにも似た得心。
ないまぜになった心で『はたしてこれは良い変化なのか』などと思いながら、サオリは溜め息を吐く。
「以前はともかく、今はある程度物資は安定しているんだ。そんな危ないものを口にするなら私の所に来い」
「でも、それじゃあリーダーの分が減っちゃうんじゃ……」
「…………私はマダムに隠して貯蓄している物資の事を言ってたんだが。おい、まさかそれだけでは足りないなんて言うんじゃ……ない、よな?」
普段から気弱に見えて図太かったり食い意地が張っていたりするのを思い出し、自信を失って尻すぼみになる言葉。
それに対する答えはブンブンと首を左右に振りながらの否定であったが、案外そうなったら自身の食料も
どちらかと言えばありえそうな未来に、再びサオリの口から溜め息が漏れる。
「えへへ……それで、えっと。リーダーは、私に何か用ですか?」
「聞いてなかったのか……ミサキが、ヒヨリが私と話したさそうにしていたと言っていたんだ」
「あ、そうだったんですか。すいません」
「…………別にそれはいいんだが。それよりも、まずはそのキノコを捨てろ。おい、食べようとするんじゃない」
話を聞いていなかったことに謝罪しつつ、しかし手元のソレを頑なに口へ運ぼうとするヒヨリと、それに苦言を呈するサオリ。
コントのようなやり取りは、最終的に折れたヒヨリが渋々キノコを手放す事でようやく終わった。
(いや……というかそのキノコ何なんだ。改めて見たら白の斑点が浮いた赤い傘に……柄の辺りには目みたいな模様が付いてないか? 絶対ヤバいやつだろ)
なお、その際に改めてキノコを見たサオリは
閑話休題。
ともかく、軽く咳払いを挟むことでサオリは話の流れを元に戻す。
すなわち、当初の目的であったヒヨリとの対話である。
「んん、それで、何か言いたい事でもあるのか?」
「その……最近、リーダーの様子がおかしい気がしまして。それで、もしかしたら…………」
「クーデターでも企んでいるんじゃないか、か?」
「それはっ────はい……そうです」
あまりにも直球な物言いに否定の言葉を返そうとし、しかし結局のところは同じ事だと最後には肯定を口にする空色の髪の少女。
その姿からは、普段の気弱な様子からは考えられないような覚悟を感じられた。
「もし────もし、私がソレを画策していたとして。その様子だと、お前は反対なのか?」
「そりゃあ、みんなの苦しみが減るのは良いことだと思います。良いことだとは、思います。でも……それでどれだけ変わるんですか?」
クーデターの意義に納得は示しながらも、少女は反論を口にする。
「たしかに、世界は苦しいだけではないのかもしれません。美味しい物やファッション誌なんかも貰っちゃいましたし。でも、それはあくまでも特別な例で、“私たちの”世界の話じゃないんです」
「……」
「人はいつか死ぬもので、生は苦しみの連続。それだけじゃないのだとしても、その事実……その真実からは目を逸らせません」
自分自身も同じように語っていたことを思い出し、小さく顔を顰めるサオリ。
同時に、少しばかりの得心もまたその胸中に去来する。彼女自身もまた、その呪縛からは逃れられていないのだ。
「だから……こう言っちゃうと酷い言い方ですけど、私は他の人のためにこれ以上の苦しみを背負いたくはないんです。サオリさんやミサキさん、アツコちゃんのためならともかく……ただでさえ辛いこと、苦しいことで溢れてる人生なら、せめて自分や大切な人のために生きたいって私は思っちゃうんです」
「…………」
「それに、私は弱い人間なんです。みんながサオリさんのように強い人ならともかく……そうじゃない人に、私はあまり期待を持てません。クーデターってことは、きっと辛い戦いになりますよね? 昨日まで、一応とはいえ隣にいた人と戦うんですから……そうなったら、きっと誰かは裏切っちゃうって私は思うんです」
「なる、ほど」
クーデターを起こせばアリウス分校を裏切った側になる私が言うのも変な話ですけど、と頬を掻くヒヨリに、サオリは小さく納得を返すしかできなかった。
彼女の語った想いや心配は、どれも的を射ているものばかりであったからだ。
少なくとも、軽々に否定できるようなものではなかった。
「本当は、これまで守ってきてもらった分手伝います……って、言えたら良かったんだろうなあ、とは思います。ごめんなさい」
「いや。そもそも、そんなために私はヒヨリたちを守ったんじゃない。言われた内容も、どれも分かるものばかりだったしな。だから、そう気に病むな」
なおも申し訳なさそうにする少女へ懐からチョコレート菓子を渡してやることで『気にしていない』と示しながら、サオリは考えを深める。
(難しいものだな……まだまだ、私自身も考えが足りていない)
美味しそうにチョコレート菓子を頬張るヒヨリが「あ、そろそろ私は射撃訓練なので……」と立ち去るのを見送りながら、少女は一人悩むのだった。
「どうするのが……正解、なんだろうな」
────────
アリウススクワッドの最後の一人、秤アツコは、なんてことのないコンクリートの地面を眺めて立っていた。
「姫……こんな所にいたのか」
彼女を探していたサオリは、そう声をかけながら内心首を傾げていた。はて、この場所に何か興味を惹くような物があるだろうか。
『サオリ……私に、何か用?』
「……いや。例の薬、姫もそろそろ投与されるかと思ってな」
マダムに声を封じられているために手話でそう返す少女へ、サオリは咄嗟に話題をごまかしてしまった。
たしかにそれについては気になっていたが、しかしこうしてアツコを探していた本音は自分がどうするべきか相談したかったからのはずだというのに。
『私は他の子たちの経過を見てからだから、まだしばらく先になるかな』
「そう、か」
ベアトリーチェは、件の薬品の投与に関しては珍しいほどに慎重であった。特に、ロイヤルブラッドであるアツコへの投与に関しては。
『心配?』
「まあ、そうだな。今のところは問題も出ていないとはいえ、まだあれが安全だと決まったわけでもないしな」
『やっぱり、前より素直になったね。サッちゃん』
「っ、姫……!」
『ふふっ、ごめん。でも、きっと大丈夫だよ』
そう言って見下ろしていた銃痕の穿たれたコンクリートから視線を上げると、アツコは柔らかな調子で話す。
『だって、あの薬からは優しい雰囲気がしたから。至聖所の奥にいるモノと似た気配も混ざってたけど……でも、きっと大丈夫』
「姫……?」
『ごめん、うまく伝えられないや』
そう謝る柔らかな葵色の髪をした少女に、サオリは何と返すべきか分からずに口を噤んだ。
彼女の語る優しい雰囲気というのに覚えがなかったのもあるし、そもそもバシリカはともかく至聖所まで足を踏み入れた経験がほとんど無かったためである。
そう黙り込む彼女に、しかしアツコは調子を崩さずに話す。
『ところで……サオリが本当に聞きたかったのは、そんなこと?』
「…………はぁ。姫はお見通しか」
『これでもサッちゃんとは仲が良い自信があるからね』
降参だと手を挙げるサオリに、どこかおどけるように少女は返す。
けれどもその悩みを言い当てはしない辺り、きっと彼女は自分の口からそれを聞きたいのだろう。
そう思うと、サオリは意を決したように口を開いた。
「実は、分からなくなったんだ。自分が何をするべきなのか……いや、そもそも何が正しいのかが」
そうして語られたのは、随分と弱々しい────ともすれば、あのアリウススクワッドを率いる錠前サオリが語ったのかと思ってしまうような言葉。
これまでリーダーとして隠してきた、一人の少女としての言葉であった。
「最初は、このままじゃ良くないんじゃないかと思った。けれど……ミサキと話をして、自分の責任、背負うことになる物の重さを感じた。ヒヨリと話をして、目を向けられていなかった物も見た」
『それで、分からなくなっちゃった?』
「情けない話だがな」
ミサキに付いていくと……遠回しに命を預けると言われ、自身の考えていた事の重さを再認識した。
ヒヨリに嫌だと……他の人の苦しみまで背負いたくはないと言われ、他者の考えを理解した。
現状は、綱渡りに近しい。
いつベアトリーチェによる引き締めが────見せしめの粛清が起こってもおかしくはない。
それは間違っていると思った。
そうではない世界を見たことで、人が容易く死ぬ世界はおかしいんじゃないかと思った。
そんな中でも抗い続けていた少女を思い出して、次は自分の番かもしれないと思った。
そんな中にわざわざ踏み入って、危険を鼻で笑うようにアレコレとお節介を焼く大人を見て、もしかしたらと思った。
けれども。
ならば何が正しいのかという問いに、少女は答えられなかった。
これまでの閉じきった世界に色々なものが入ってきて────色々なものに急に触れたことで、少女は何をするべきか分からなくなったのだ。
『サッちゃんはさ、何がしたいの?』
「────え?」
そんな少女の……サオリの答えを求める質問に、しかし返ってきたのはまた別の質問であった。
けれども、そんな問いを放った少女からふざけたような雰囲気が出ることはなく。むしろどこまでもまっすぐに向き合おうとしている真剣さだけが、その姿からは感じられた。
『サッちゃんは、きっと今のアリウスが良くないって思ったんだよね。それはとても素晴らしいことだけど、でも、それがサッちゃんがしたいことなの?』
「それは……どう、なんだろうな」
『多分、今のサッちゃんは“やるべきこと”に押しつぶされて“やりたいこと”が分からなくなってるんだと思う』
「……」
見透かすような言葉に、しかし苛立ちが生まれたりはしない。
自分でも見えていなかった内心が、少女の言葉で浮かび上がってきたからだ。
『サッちゃん、知ってる? 私も随分昔に聞いたんだけど、世の中には“やらない後悔よりやる後悔”って言葉があるんだって』
「やらない後悔より、やる後悔……」
『うん。でも、それを聞いた時思ったの。結局のところ、どっちを選んでも後悔しちゃうんだな、って』
なんとなく理解できるような言葉に呑まれそうになっていたサオリは、そのアツコの言葉で目を見開く。
『だから……どうせ後悔するのなら、今できる限り悩んで、納得できる後悔をするべきだって私は思うの』
「納得できる、後悔」
『何をするべきか、何をしたいのか。そこに納得して選択したのなら、きっとその後悔にも納得できるんじゃないかな』
声の……音の無い言葉だというのに、そこには隠し切れない優しさが滲んでいた。
そんな彼女の想いを受けて、サオリはこれまで目を向けていなかった部分へと思考を巡らせていく。
(私は……救われたい、のか?)
“自分”を探す少女の問いに答えが見つかることはなく、静かに日は沈んでいく。
寄り添うように並んだ二つの影だけが、時間の経過を────その問いの深さを告げていた。
────────
「~♪ ~~♪」
ボロボロに崩れた廃墟が並ぶ寒々しい道を、一人の少女が鼻歌と共に歩いていた。
「仕込みは上々。上振れこそしなかったが、下振れもしていない」
まさしく計画通りだ、と口元に弧が描かれる。
にんまりとしたその笑みを残したまま、誰に言うともない呟きは続く。
「とはいえ、万事が万事想定通り、とも行かなかったか」
脳裏に思い浮かぶのは、
繋ぎ手が仕入れた情報によれば、彼の神秘の複製とやらを色々と加工し一部のテクストを強調させた“合作”とのことだが……問題はアリウス分校の戦力が想定よりも少しばかり高くなってしまった事だろう。
(その分、こちらから提案するつもりだった特殊武装の配備を取り止めたが……制御し辛くなったのだけが少し面倒か)
繋ぎ手がデザインしている武器類には、実は二つの種類が存在していた。
一つはマクガフィンや今の自分たちに渡されている、外向きには存在していない────即ち彼が独自に編み出した未公開の新技術をつぎ込まれた物。
技術者としての実力を極限まで突き詰めた、謂わば信頼の証とも呼べる物だ。
それに対し、アリウスやかつての自分たちに卸されていたのは現行の技術から作製できる範囲の物。もちろんそこらの市販品よりは十分優れているのだが、どうしても前者に比べれば見劣りしてしまう。
しかし特に注目するべきはそこではなく、こちらの種類の武器に関してはある種のセーフティーが用意されていることであった。
というのも、後者の武器には細工が施されており、いざという時には繋ぎ手のボタン一つで機能不全に陥るようになっているのだ。
(本当はそれで戦況を操作する計画だったんだが……まあ仕込み自体はできたのだし、それで満足するべきか。下手に動いてこちらの思惑が露見する方が困る)
アリウスの主力部隊、そのリーダーの姿を脳裏に浮かべ、軽く肩を竦める少女。
神薬製処以外にもいくつかマズそうな物が準備されているらしいが、ひとまず彼女に毒を仕込むことはできた。
何かもう一つ、きっかけとなる出来事が起きれば。
きっと、彼女は動くだろう。
(少々酷ではあるが、あの子には乗り越えてもらわなければな)
常人と比較して自身はいくつかネジの外れている人間だという自覚はあったが、そんな少女から見てもこの環境は異常なものであった。
(そもそも温泉が一つも無いとはどういうことだ! なんて冗句は置いておくとしても。流石にこれを放置しておくのは寝覚めが悪い。まったく、面倒なことに巻き込まれたものだ)
悪態を吐くようにしながらも、少女の口元から弧が消え去ることはない。
「まあ、たまには正義の味方ごっこも悪くないだろう」
とはいえ本質的には部外者である自分や繋ぎ手が軽々に革命を起こすワケにはいかない。
人は自分で勝ち取った物は惜しむが、与えられた物にはそこまでの熱量を持てないのだ。
故に毒を仕込み、種を蒔き、仕込みをした。
いざという時に援護できるよう内部に食い込み、意識に入り込み、証拠も色々と押さえた。
(一番の上振れは調印式よりも前にクーデターが起きることだったが……さすがに望みすぎたか)
まあ計画に支障が出ていないのには変わりない。
未だ見えない答えを探す少女を思いつつ肩を竦めると、少女はこれまでの回想を終える。
「そういうわけで、調印式の襲撃は失敗してもらわなければな」
トリニティは総力を挙げて事に当たっている。
正義実現委員会は当然として、特に警戒するべきはシスターフッドだろうか。繋ぎ手だけでなく自身の諜報網を使っても大した情報が得られなかったのは少しばかり厄介だ。
「それに、会場が古聖堂であることを利用してかなりの戦力を送ってきてるようだしな」
「それ以外にも、聖園ミカや百合園セイア、蒼森ミネといった単騎でも厄介な生徒が揃い踏み、と。中々愉快な顔ぶれじゃないか」
危険なのはそれだけではない。
「我らがゲヘナからは、風紀委員会と万魔殿の合同軍と。いやはや、あの二組織が協調路線を取るだけでここまで厄介になるとは思っていなかったな」
元々あのゲヘナの治安を維持してきた風紀委員会に万魔殿の人員が加わったことで、今の彼女たちは役職に就いていない一般生徒でもあまり油断できない戦力となっていた。
「それに……風紀委員長も出てくるみたいだしなぁ…………」
これまで一貫して浮かべられていた笑みに、ここにきて初めて陰りが出る。
武力・知略を問わず小手先の技が通じない彼女は、少女にとって天敵とも呼べる存在であるためだ。
「更に更に、そこに続くのがシャーレの先生にミレニアムの『
最早この面々を相手にして勝つ方法がどこにあると言いたくなるような状態であるが、やはり少女の顔に浮かぶのはどこまでも不敵な笑み。
アリウスの兵力もまた高いというのもあるが────
「まあ、精々好きに掻き乱させてもらうさ。アリウスに乗じるのなら、予知にも対策が取れるしな」
彼女たちの基本戦術は、敵と真正面から殴り合ってやるほど誠実ではないのだ。
「さぁ、諸君。準備はできているな」
漸く辿り着いた目的地、アリウス分校の自治区を少し出たあたりにある廃墟の一軒家。
その地下に繋ぎ手が造り上げた基地の扉を開き、大きく声を張り上げる。
「準備万端だよ、部長!!」
中で待機していた部員を代表して、普段は現場班長を務めている少女がそれに応える。
しかしながら、その風貌は普段とは掛け離れていた。
いや、それは彼女だけでなく全ての部員が同様である。
即ち、動きやすさと通気性を……つまりは温泉開発のし易さを優先した普段のタンクトップ姿ではなく、黒と灰を基調とした防護服で全身を覆っているのだ。
更には顔を隠すという意味も兼ねてガスマスク────当然ながらアリウスの物とはデザインが異なる────までが用意されている。
もはやどこの特殊部隊だと言わんばかりの姿であった。
「向こうの動きは?」
「繋ぎ手さんの予想通りですね。見かけ上は代表者の防衛が厚くなってるように見えますが、実際はすぐに反転できるような攻撃的な陣形です」
「ならばアリウスは?」
「基本は繋ぎ手さんに伝えられていた通りですが、スクワッドを含めた数部隊の配置が変わっています」
「まあ想定通りだな。会場付近の監視網は?」
「ミレニアムの二人に押さえられてますね。死角となるルートを複数用意している以上、私たちにそこまで関係ないですけど」
手早く状況を確認する少女たち。
どうやら、ほとんどの状況は彼女たちの想定通りに運んでいるらしい。
「マクガフィンに関しては結局見つからなかったが……そこは臨機応変に対応するしかないな」
そう締めくくると、自身もまた同様の装備を身に纏う少女。
「さて────それじゃあ諸君、仕事の時間だ。好きに荒らすとしようか」
『はい!!!』
楽園の名を冠するエデン条約。
その調印式は、あと数時間後に迫っていた。
最後になりましたが、N.T.C さん、燐兎 さん、評価付与ありがとうございました!