《トリニティ自治区・通功の古聖堂地下》
「これは……凄まじいっ! 戒律の守護者、その正当なる末裔による“戒命”に起こされた太古の影もそうだが……何よりも、この地では疾うに途絶えたはずの『忘れられた神々』とは異なるあの瑞々しい神秘!! ベアトリーチェに協力を要請された時は気乗りしなかったが、今思えばあれこそが導きだったのだろう!」
岩肌の目立つ洞窟のようなその場所には、常の静謐さとは異なる騒がしい声が響いていた。
「何度か黒服から採取した神秘の複製を依頼されていたが、あれの本質は全く違う場所にあったのだ。いや、残滓となった神秘に含まれるテクストも含めた全てが本質なのか? しかし……後付けされた属性を本質と呼ぶには…………だが、後付けされたテクストも元は彼の存在から見出された物だ。つまり、大本の属性自体は最初から存在していた訳で────」
その音源であるタキシードを着た双頭のマネキン人形は、自身に奇異の視線を向けられている事すら気にしないように続ける。
「いやしかし、後付けされたテクストは『忘れられた神々』のそれに近しい物もある。中核にあるテクストがそうでない以上……だがしかし、今は後付けされたテクストの方が主張を強めている。……分からない! そもそも有り得べからざる二種の神秘の共存を果たし、更に恐怖までをもその身に宿しているのだ! 素晴らしい!! ここまで難解な存在を────ここまで見事な芸術に出会ったのは初めてだ!」
と、そんな彼へと一人の少女が近付く。
アリウススクワッドのリーダー、錠前サオリである。
そのまま声が届く距離にまで近寄ると、少女はおずおずといった様子で話しかけた。
「その……マエストロ殿、だったか。そろそろ移動をしたいのだが」
「────む。ああ、そうであったか。少し取り乱してしまったようだ、申し訳ない。それでは、早く『太古の教義』の下へと向かおうか。今は創作意欲が掻き立てられて仕方が無い、その上で用意していた“複製”の素体も共鳴を起こしている。事前に用意していたものよりも数段良いものを創れそうだ」
そう告げると、マエストロは今度は先を急ぐように先頭に立って歩を進める。
とはいえやはりその様子からも見て取れるように、その熱は中々冷めないようだ。まるで授業を行う教師のように少女たちへ語りかける姿からは、隠し切れない興奮が滲み出ていた。
「して、諸君らは“神秘”についてどれだけの知識を有しているのだね」
「いえ……その、私たちは現場で戦うのが仕事ですので」
「なるほど。ああ、それと……無理に敬語を使う必要はない。形だけを整えた物は一見美しいようにも見えるが、しかしその本質が伴っていなければ結局はただの張りぼてにしかならないからな」
代表として彼の問いに答えたサオリにそう返すと、改めてマエストロは続きを語る。
「まず一つ断っておくと、これは私の解釈であって万人の正解となる訳ではない。その上で語ると、神秘とは即ち信仰心の集積にして終端なのだ」
「……はあ」
「しかし一口に“信仰”と言ってもその分類は多岐にわたる。場所に対する信仰、現象に対する信仰、何らかの人物、あるいは存在に対する信仰……救いを求めての信仰もあれば天罰を願っての信仰もある。漠然とした対象へ向けられる事もあれば、具体的な一個の存在へ向けられる事もある」
既にミサキやヒヨリは脱落し、話を聞いているのはアツコとサオリの二人だけになっているのだが……その事に気付いているのかいないのか、彼の語る話が終わる気配はまだ見えない。
「そして、この信仰の違いは神秘の違いにも影響を齎した。つまりは────名もなき神々と忘れられた神々だ。この二つは同じ“神秘”に分類される力を宿しているが、しかし同時に全く違う原理を基にして存在するのだ。そして、それ故この二つが両立されることは無い」
「…………」
「思うに、彼の存在は本来は名もなき神々に分類される存在なのだ。あの神秘のテクストを見る限り……おそらくは“死者蘇生”、少なくともそれに類する奇跡を────つまりは現象を下地にした神秘をあれは宿している。しかしながら、その後に起きたテクストの後付けが問題であった。元々進行していたのかデカグラマトンによる干渉がきっかけになったのかは定かではないが、結果としてあれは“聖人”というテクストを帯び始めている」
つらつらと並べられる言葉は既に十分な事前知識を要求する域にまで達している。
これがもし黒服やゴルコンダであれば興味深く相槌を入れたり、あるいは独自の考察を返す事も可能であったのだろうが。少なくとも、少女たちがそれをするのは非常に困難なことであった。
と、そんな彼女たちの様子に何を思ったのだろうか。
分かりやすく例を取ろうか、と切り出すと、少しだけマエストロは語り口を変える。
「神秘は諸君ら生徒であれば誰もが有しているが、例えば預言の大天使などと呼ばれた百合園セイア、それにロイヤルブラッドである貴公などは神秘の力を色濃く宿している。これらは、飽くまでもその個人を前提とした神秘なわけだ」
「その、個人を……」
「そうだ。予知という現象があるから百合園セイアは特殊な能力に目覚めたわけではなく、百合園セイアが百合園セイアであるが故にあれは予知という能力を宿しているのだ。これが、忘れられた神々の神秘だな。だがマクガフィンと名乗るあれは全くの逆であり、奇跡を────即ち現象を基にした神秘を振るっている」
ようやく冷静さを取り戻し始めたのだろうか。
そこで一度言葉を切ると、マエストロは大きくその歩幅を緩めた。
「とはいえ……神秘、あるいはその属性というのは固定化されている物ではない。分かりやすい例を挙げるならば“恐怖”への反転だが……まあ、今は余談だ。ともかく、今重要なのは行動によって神秘は変化し得るという点。だが、本来ここには明確なルールが存在する。つまりは名もなき神々と忘れられた神々の分類の話だ。端的に換言してしまえば、この二つは決して相容れない存在なのだ」
「しかし……マエストロ殿は先ほど『共存を果たしている』と仰っていたのでは?」
「そう、そこなのだよ! 素晴らしい質問だ!!」
一種の“授業”を行うマエストロに対し、彼が最初に語っていた独り言────随分と大声であったためおそらくだが────を思い出して質問をするサオリ。
その内容が琴線に触れたのだろうか、双頭のマネキン人形は再び興奮に熱を注がれたかのように問いへ答えた。
「そう、彼の特異な点は其処にこそ存在する! 彼の者は名もなき神々に近しい存在であるというのに、その行動によって聖人の────つまりは忘れられた神々に近しい性質のテクストを発現せしめようとしているのだ! おそらく、元々の神秘と聖者という存在の相性が良かったのもあるのだろうが……その他にもいくつかのテクストも付与されている」
「つまり……マクガフィンを名乗るあの人物は、異常であると?」
「その表現は正しくないな。方向性は近しいが、異常と言ってしまうとそこには歪みがある事になる。そうだな────表現するならば『例外』といった所か。なぜならば、あれは通常と離れた状態が正しい形になっているからだ」
と、マエストロが満足気に語った瞬間のことであった。
一同の頭上を、何かが青白い燐光を残して通過したのだ。
「────今、のは!?」
「リーダー、やばいんじゃないの? だってあっちは……」
視界の端でそれを捉えたスクワッドの少女たちは、動揺も露わに言葉を交わす。
なぜならば、ソレが向かっていた方向はカタコンベの……アリウス分校の自治区があるのだ。
しかしながら、事件は更に重なる。
『スクワッド! 何をやってる!? 次の兵力の確保はまだなのか!?』
片耳に装着したインカム越しに、地上で戦闘している部隊からの怒号が届いたのだ。
「どうした……何があった!?」
『ユスティナ聖徒会が無力化されたんだよ! 今はまた再生し始めてるけど……ミサイルも飛行船も防がれたし、現場の士気は崩壊レベルだ!!』
「なっ!?」
想定外の驚愕に襲われ、少女たちの胸中に迷いが生まれる。
通信の様子からして、地上はかなり切羽詰まった状況に追い込まれていると予想できる。しかし、たった今自治区へと向かうナニカを確認したのだ。
当然ながら、アリウス自治区と『太古の教義』とは正反対の方向にある。どちらかを取れば、もう片方については捨ておくしかない。
自治区の防衛か、攻勢に出るための複製の確保か。
どちらを選ぶべきか、その迷いが、少女たちの動きを縫い留める。
そして、この混沌とした鉄火場においてその時間は致命的であった。
「っ! 次は何だ!?」
岩肌に木霊して、いくつもの足音が駆けるように近付いてきたのだ。
そうして5秒も経たない内に、足音の主が姿を現す。
が、しかし。
「
転瞬、その内の一人が桃色のポニーテールをなびかせながら目の前に移動。
運動エネルギーをそのままに活かしてシールバッシュを敢行し、さらにはその盾越しにSGを撃ち放つ。
「グッ────!?」
当然ながら心構えもできていなかったサオリは正面からその攻撃を食らい、大きく体勢を崩してしまう。
しかし少女の攻撃は終わらない。
大きく踏み込んだ右足を軸として回転すると、周囲のスクワッドを纏めて盾で吹き飛ばす。
更にはおまけと言わんばかりに発煙弾を落とされ、視界を麻痺させられ────
「い、いない!?」
「たぶん、通り抜けられちゃいましたね……どうしましょう…………」
混乱が晴れる頃には、向かってきていたはずの集団は忽然と消え去っていた。
そして、畳み掛けるように状況は変化する。
「今度は誰だ!?」
再び聞こえてきた複数人の足音に、苛立ち紛れにサオリが零した。
とはいえ、その他の面々もまた似たような様子である。
というより、そもそも一同の視点からすれば『一番問題が起きて欲しくないタイミングでイレギュラーが連発し、挙句の果てには通り魔に襲われた』というような状況なのだ。
これで苛立つなと言う方が無理があるだろう。
そんな一同が待つこと数秒、先ほどの集団が向かってきたのと同じ方向から、再び別の集団が姿を現す。
「なるほど……懲りないものだな、アズサ」
「ああ。私は諦めが悪いんだ、知ってるだろう? ……たとえ何度膝を突こうとも、私は手を伸ばすよ」
一月と少しばかりの時を置き、再び相見えた二つの集団。
戦いの時は、すぐそこにまで迫っていた。
────────
《古聖堂地下・カタコンベ入口》
「いやぁ、わざわざこんな所まで追いかけられるとは思ってなかったよ。アビドスから遥々ご苦労な事だ」
黒々とした地下墓地の入り口を背にして、黒ずくめの青年はそう切り出した。
しかしその飄々とした姿に気を緩める人物は一人もおらず、誰もが硬い表情で彼を見つめる。
「……嫌われたものだな。まさか返事さえ貰えないとは」
それに何を思ったのか、小さく肩を竦めながら彼は続ける。
どこまでが本心か窺えないその様子からは、百合園セイアが語っていたような激情は見えてこない。
しかしきっとそこには彼の想いがあるはずだと信じると、集団の中から一人、桃色の髪をポニーテールに纏めた少女が口を開いた。
「セイアちゃんから聞いたよ。あなたは未来を識っているんだって。……ユメ先輩の時も、そうだったんでしょ? 助けようとしてくれて、でも────」
「いいや違うさ。そも、ユメ先輩の危機を識っていたならもっと早くから手を打っていたに決まっているだろう? ……だから、違うんだよ」
そう返す彼の姿に嘘を吐いているような様子はない。
しかし、嘘を吐いていないからといってそれが真実を語っているという事にもならないのだ。
更に言うのならば。
「そう言うのならさ。せめて、目を合わせて話してみてよ」
仮面越しにこちらを見るマクガフィンは、一度として目を合わせていないのだ。
それでは、まるで話したくない事があると言っているようではないか。
そんな思いと共に告げた言葉には、どうやら多少は効果があったようで。
俺の視線が見えているわけでもないだろうに、と返す彼の様子には、少しだけ感情が滲み始めていた。
「私は……ううん、私たちはあなたが敵じゃないって、助けてくれてるんだって信じてる。きっと2年前のユメ先輩の時もそうだったんだって」
「……やめろ」
「もしそうじゃ無いっていうのならさ……教えてよ、あなたの事を。あなたに何があって、こんな事をしてるのか」
「…………やめてくれ。どうか、俺を赦そうとしないでくれ」
頭を押さえるように俯く青年へ、ホシノはあと一押しと語りかける。
「今日までの間に、あなたについて色々と調べてきた。アビドスで私たちを陰ながら助けてくれていた事も、ミレニアムでアリスちゃんに助言していた事も、ゲヘナでカイザーだけを潰せるように動いてた事も、トリニティで何をしてきたのかも。たしかに、あなたは私たちの前に現れる時は悪役のように振る舞っていたけど……でも、陰ではずっと私たちを助けてくれていた。そうなんでしょ?」
「……はぁ。ああ、そうか」
「────っ! やっぱり、そうだったんだね!? あなたは、ずっと」
私たちのために戦ってくれてたんだ。
そう続けようとして、けれども、少女がそれを口にしなかった。
否、できなかった。
「いよいよもって、贖罪の機会すら失われた、か。まあ、逃げ続けてきた俺にゃあお似合いの末路ではあるか」
何事かを小さく呟きながら、頭を押さえていた右手を除けた青年が顔を上げる。
空間が、痛いくらいの緊張感に満たされ始める。
「────ホシノ。もし、君のその推測が真実だったとして。しかし、それを証明できる存在は居ないんだ。俺はユメ先輩を殺した。俺がユメ先輩を殺した。それが事実で、それだけが事実なんだ」
「っ! 違っ、ユメ先輩はまだ────」
「違わないさ。だって、それだけが残された純然たる事実なんだから。たしかに、もしかしたら俺はユメ先輩を助けようとしていたのかもしれない。でも、そうはならなかった。そうはならなかったんだよ。だから、このお話はここでお終いなんだ。そんな誰も幸せにならない真実なんてどこにも存在しないんだ」
少しずつ、少しずつ。
黒ずくめの影から漏れる圧力が、大きくなる。
それは、まるで────。
「アヤト、君……?」
「違うさ。俺は
それはまるで、覚悟を決めてしまったようで。
嫌な儚ささえ伴いながら手を広げる姿は……それこそ、自ら死へと向かう殉教者のようで。
「誰も知らない、誰の認知にも無い真実は存在しないのと同義だ。だから……事実だけを見なよ、ホシノ。俺はユメ先輩を殺し、いくつもの自治区で罪を犯してきた指名手配犯だ」
「違っ、違うっ! きっとあなたは────」
「君のその優しさは美徳で、そんな君の事は好きだった。君に赦されてしまった事は少しだけ嬉しかった。でも、
未練を振り切るように。
感傷を噛み締め、そのまま噛み砕くように。
青年が、構えを取る。
「そこに物語がある以上、誰かが悪にならなくちゃいけない。なら、それは俺が適任なんだよ。苦しくても、辛くても、それでも。それでも! ……分かってくれよ。俺を赦そうとしないでくれ」
「────っ!! この、分からず屋!!!」
対話は決裂し、向かい合う両者に残された選択肢は一つしか無くなった。
互いの願いが相反する以上、どちらかがどちらかを止めるまで、打ち破るまで止まらない。
「絶対に止めてやるっ! 止めてみせる!!」
「俺は止まらないさ。もう止まれないんだから」
感情の籠った叫び声と、諦めの籠った冷めた声。
対照的な声を皮切りにして、両者が動き始める。
「────っ! 厄介な!!」
先手を取ったのは、対策委員会の側であった。
静かに機を窺っていたセリカがまずは動き出しを潰すように狙撃を挟み、さらに生じた隙を引き延ばすようにノノミが弾幕を展開する。
とはいえ黙って攻撃されるマクガフィンではない。回避のモーションに合わせて体を回転させるように腕を振るい、神秘の鋼線による反撃を行おうとする。
が、しかし。
「なっ!?」
鞭のようにしなりつつあった腕が、弾かれたようにあらぬ方向へと動く。
否、事実として弾かれたのだ。
砂狼シロコによる正確無比な狙撃によって。
そうこうしている間にホシノが至近距離にまで接近し、SGによる大打撃を与えようと試みる。
「チィッ!」
大きく舌打ちを挟みながらも、しかしマクガフィンは回避に専念するしかない。一撃でノックアウトまではされないだろうが、彼にとってもSGによる一撃というのは軽いものではないからだ。
更に言えば、よりにもよってそれがキヴォトスでも最強格であり、尚且つ色々と因縁のある小鳥遊ホシノによる攻撃なのだ。身体的にも精神的にも、それを受けるのは危険すぎる。
加えて厄介なのが、後衛としてホシノの援護を行う残りの対策委員会の面々であった。
ホシノ単騎が相手であったのなら、それこそリロードのような反撃に転じる隙が生じてくる。しかし、彼女たちが狙撃や弾幕の展開を行うせいでその間も回避をするしかないのだ。
もちろん、多少の被弾を覚悟するのであればホシノ以外の攻撃を回避する必要はない。なんならマクガフィンは肉を切らせて骨を断つタイプの戦い方……言葉を選ばずに言うのであればそういったゴリ押しをこそ得意としている。
欠損といったレベルの大怪我でなければ自前の神秘で修復できてしまえるからだ。
しかしながら、ここで対策委員会と戦うのは彼の計画に無いイレギュラーである。つまり、今後の事を考えれば余計な消耗はしておきたくないのだ。
(どうする……本命が未知数である以上、消耗を避けるのは必須。だが、こうして手を拱いて時間をかけるのもマズい。既に罠は張ってあるが…………)
対策委員会の連携の巧みさが想定以上であった事に、少しずつ焦燥が積もり始めるマクガフィン。
しかし、焦燥に襲われているのは彼だけではなかった。
(……今のところは当初の作戦通りに抑え込めてる。でも、あと一押しが足りてない。多対一の経験値の差?)
開幕から息もつかせぬ飽和攻撃をしかけ、何もさせずに完封する。それがホシノ達が立てていた作戦であった。
そして、現在の戦況は思い描いていた通りに進んでいる。
しかしながら、ゲヘナにて相対した時に見積もったマクガフィンの予想戦力であれば、既に回避に苦しさが見え始めるはずの頃合いなのだ。
実際、その前提でホシノは作戦を立てていた。
それが少しずつであれども覆されつつあるという現状は、決して歓迎できるものではない。
「……」
「……」
SGの弾切れに合わせて振り抜かれた左ストレートが盾と鈍い音を立て、その衝撃で距離を取った二人の視線がぶつかり合う。
とはいえこの硬直は本来長引くものではない。他の対策委員会メンバーによる援護が入るからだ。
その信頼があるからこそ、ホシノは安心してリロードを行う。次は少しギアを引き上げて仕掛けようか、と思考を回しながら。
しかし、忘れてはならないのは今相対してるのはマクガフィンであるという事であった。
どれだけ精神的に不安定になっていようと、その戦闘力はキヴォトスでも最上位に君臨できるほどの存在なのだ。更に言えば、その経験値は多対一の戦闘へと非常に偏っている。
軍隊として統制されたカイザーPMCを相手に2年以上の時を戦ってきた……そんな彼が、わざわざ先へと歩を進めるのを止めて待ち構えていたのだ。
もちろんそこには『これ以上先にまで追いかけられるのは困るから』といったような思惑もあった。
しかし、彼女たちはそれでも“あのマクガフィンが待ち構えていた”という事の意味をもう少し考えるべきであったのだ。
そして、その誤算はここに来て牙を剥いた。
「うわっ!?」
可愛らしく悲鳴を上げながら、包囲網を狭めていた黒見セリカが膝を付く。
声に反応して注目の集まったセリカには、しかし外傷などは見られない。それこそ、何かに躓いてこけたと言っても信じられるような姿だ。
(何が────まさか!?)
一体何が起きたと思考を巡らせ、そこでホシノが最初に気付く。
「トラップ……やられた」
苦々しい言葉の通り、セリカの足元にはちょうど爪先辺りの高さに神秘の糸が張られていた。見れば、いくつか他にも周囲に張り巡らされているのが分かる。
おそらく、自分たちが到着するまでの間に仕掛けていたのだろう。
ともかく、ここから先は足元にも注意しなければとホシノは意識を改める……が、事ここに至ってそれは些か悠長過ぎた。
「
「嘘……!?」
青白い燐光が駆け抜けると共に、気付けば黒ずくめの影に目の前にまで踏み込まれていたシロコが小さく驚愕を呟く。
それでも咄嗟の判断で照準を合わせようとするも、即座に左腕で銃身を払い除けられ、更には続く右手で引き金を抑え込まれてしまう。
「シロコちゃん!!」
「シロコ先輩っ!」
ここに来て硬直から復帰したホシノが強く右足を踏み込み、アヤネが支援ドローンによる体当たりを行おうとするも────
「遅い」
言葉通り、目にも止まらぬ速さでシロコの両腕を神秘の鋼線で拘束し、更にはアヤネの放ったドローンを羽を斬り裂くことで堕落させながらマクガフィンが悠々と退避する。
対策委員会優勢で進んでいた盤面は、ここに来て大きく揺らいでいた。
(このままだと、流れを完全に持ってかれる……なら!)
「
転瞬、言葉と共にホシノの姿が掻き消える。
否。
「なっ────!?」
まるで瞬間移動したかのように、マクガフィンの正面にホシノが現れる。
目を見開きながらの驚愕が、地下空間に響いた。
マクガフィンとの戦いで目覚めた新たな境地、神秘による身体強化。
伏せ札として残しておいたソレを、彼女は解放したのだ。それも、完全には物にしたとは言い難い段階にまで出力を引き上げて。
「ぐぅっ……!」
噛み殺した声が小さく漏れる。
短時間であろうとも、現在の彼女の身に余る力はその全身を蝕み、内側から自壊させる。
しかしその甲斐あってか、今のホシノはマクガフィンを正面から押し切っていた。
「はああぁぁぁああああああ!!!!」
(牽制射はいらない! 確実に当てられるタイミングじゃないと弾が無駄になる!!)
《Eye of Horus》と盾にまで神秘の強化が及び、明確な攻撃力を持った鈍器として振るわれる。
掬い上げるように押し出すシールドバッシュ。
打ち上げられた彼の身体へ、鋭く銃身が突き出される。
「っ
がら空きになった懐に刺突が突き刺さり、彼の口から漏れた声が耳朶を叩く。
(今!)
即座に右腕を引き戻し、引き金を強く押し込む。
至近距離から放たれた無数の散弾は、しかし彼が咄嗟に展開した神秘の布によって防がれた。
「な、ら!!」
反動を堪え、打ち上げられた彼が着地すると共に足払い。
体勢を崩し自身へ覆いかぶさるように倒れる黒ずくめの影へ、即座に第二射を放つ。
(躱された────!?)
しかし当たらない。
不安定な体勢の中、まるでスライドするかのようにマクガフィンの身体が左へと動く。
(神秘の、糸……!)
「逃がすかぁぁああああ!!」
今度はSGの反動を殺さず、右半身が引き下がる動きを活かし、回転するかのように左腕を振るう。
その手に握られているのは、これまであらゆる攻撃から持ち主を守り続けていた盾。
「はぁっ!?」
その先端から刃のように鋭く伸びた神秘が放出され、神秘の鋼線を根元から断ち切った。
吃驚する彼に構わず、そのまま身体を回転させ切って右腕を振るう。
重い手応えが腕に掛かると同時に、銃身に強かに打ち付けられたマクガフィンが吹き飛ぶ。
(三発目!!)
地面を転がるマクガフィンへ、容赦なく三射目が撃ち放たれる。
「いっ────!?」
遂に、その身体を散弾が捉えた。
しかしまだ油断できない。この程度で止まるほど……止まってくれるほど、彼は容易い相手ではない。
「お返し……だぁああ!」
(やっぱりね)
飛び跳ねるように身体を起こした黒ずくめの影が、大振りの一撃を放つ。
卓越した戦闘センスでそれを読み切っていたホシノは、広がるように迫りくる神秘の鋼線をその間を通り抜ける事で回避。更に強く踏み込み、轟音と共に開いた距離を零にまで詰め直す。
(この人は、正式な訓練を積んでいない。現場の経験だけでここまで来た)
「なら────」
本来、押し込まれている場面は一度距離を取って流れを切るべきである。そんな中、対面する青年が選んだのは────応戦。
全てホシノの読み通りであった。
大きく振り抜かれた右拳を舞うように躱し、照準を合わせずとも当たるような至近距離で引き金を引く。
(四射目!)
「なっ!?」
しかし、攻勢に出てから初めてホシノの口から驚愕が漏れた。
なぜならば────
「はずれ、だ!」
右腕を振り抜き無防備になったはずの彼の身体が地面を離れたかと思えば、ブレるように回転して左脚による後ろ回し蹴りを繰り出したのだ。
(糸……!? いつの間に!?)
咄嗟に防御した盾越しの視界に映ったのは、彼の身体の各所に取り付けられた糸であった。
体系化された訓練を受けておらずとも、彼がキヴォトスに降り立ってからの戦闘経験は膨大なものとなっている。その中で編み出された彼独自の動きは、簡単に牙城を崩せるほど容易い物ではなかったのだ。
だが、ここで仕切り直されるワケにはいかない。
思考が切り換えられると共に、盾を握る左腕から余計な力が抜ける。
衝撃を“受ける”のではなく“流す”。剛に対する柔の防御である。
更にまだホシノの動きは止まらない。
盾の上を滑るように流される左脚の先に、返し構造のようにコの字に凝縮された神秘が実体化する。
黒ずくめの影が、空中で不自然に止まった。
「っ! チイッ!」
盾の上で
しかし、動作に移るまでの一瞬の硬直は見逃されない。
盾の位置をズラすことで更に体勢を崩しながら、ホシノが《Eye of Horus》の照準を合わせる。
「五発、目っ!!」
「────っ、ガハッ!」
がら空きの懐に、散弾が叩き込まれる。
戦闘が始まって以来初の、クリティカルヒット。痛烈な一撃に、マクガフィンの口から空気が吐き出される。
(行ける! 次の一回を叩き込めば────勝てる!!)
天秤が傾く。
様々な要因に動きの精彩を欠きつつあるマクガフィンに対し、ホシノはまだまだ絶好調……どころか、彼との戦闘を通して更なる成長を見せつつあった。
恐るべきはその観察眼と適応力だろう。
マクガフィンがかなりの訓練を経て身に付けた『神秘の実体化』を、彼女はこの戦闘だけで物にしつつあるのだから。
(撃たれたか……痛いな。全身が軋んでる。いや、肉体だけじゃなく精神もか?)
被弾の衝撃で宙を浮きながら、マクガフィンの脳裏を場違いな思考が過ぎる。
ホシノの姿も、洞窟の岩肌も、何もかもが見えなくなるような一瞬。
(あー、もう限界が近いか? このレベルで神秘の籠められた一撃なら、回復挟まないと次で落とされそうだな)
どこか他人事のように思考を巡らせる青年の指先が、ピクリと蠢いた。
(でも……)
「でも、まだ終われないんだわ」
まだ、死んでいない。
この
きっと防御を止めれば、彼女の攻撃で自分は死ねるだろう。
けれども────
(こんな俺でも赦そうとしてくれる優しい子に、人殺しの罪なんて背負わせるワケにゃあ行かねーよな)
そうだ。
死に切る瞬間、自分の生を諦めるその最期の一瞬までは。
「止まる事は、許されない」
言葉と共に、スローモーションの世界が等倍へと戻る。
彩度が蘇り、全身を苛む痛みが再び走る。
「
刹那。
その全てを置き去りにして、マクガフィンが動く。
固まりつつあった戦況が、その反対側へと天秤を傾ける。
否。
その反対側へと
(っ! 急に動きが変わった!? いったい何が起きたの!?)
空中を
宙から見下ろすように体を向けたマクガフィンが、わざとらしいまでに明確な
「────っ!」
その硬直はどれだけの間であったのか。
数秒か、数瞬か、はたまたコンマ数秒だったかもしれない。
しかし、彼女は身体を止めてしまったのだ。
「悪ぃな」
「っ!!」
これに関しては、彼女が悪かったわけではない。
どれだけ相手の事を信頼していようと、生物の反射として殺意を向けられれば身体は硬直するものだ。むしろ直ぐに照準を合わせようと動けただけ彼女の優秀さが出ているだろう。
しかし、その数瞬の動きが問われる二人の戦いにおいて、その硬直は致命的であった。
「今回も、俺の勝ちだ」
放物線を描くようにその黒ずくめの影がカタコンベの入り口へと吸い込まれ────そして、その入り口が振るわれた神秘の鋼線によって崩落を起こす。
最早そこから奥へと進むのは不可能だろうと、一目で分かってしまうぐらいに。
《Eye of Horus》から撃ち放たれた弾丸は、届かなかった。
「…………」
荒れ狂う無数の感情を抑え込むように唇を噛み締め、ホシノはさっきまでカタコンベに繋がっていた瓦礫の山を眺める。
(また……)
かつてないほどに、その背に迫れたという感覚がある。
おそらく誰よりも、彼の喉元にまで迫れたという実感が。
(また、私は……)
最後の一瞬、殺意を向けられた瞬間に止まらなければ────踏み込めていれば、きっとこの手は届いていた。
しかし。
「……届かな、かった」
勝利条件の差である。
彼はおそらく自分たちの追跡さえ阻止できれば何でも良かったのに対し、自分たちは何が何でも彼を止めなければならなかった。
それを理解したホシノにとって、最後の瞬間に躊躇ってしまったのは『お前の信頼などその程度で揺らぐ物だったのだ』と突き付けられているようにさえ感じられた。
事実、結局最後まで彼は自分たちを傷つけていないのだから。
「……でも。でも、次はきっと届かせてみせる。絶対に」
何度も経験したことだと決意を改める彼女は、気付いていない。
否、知る由もなかった。
これが、薪波アヤトを────マクガフィンを
この機会を逃した自分にできることは、最早彼を■してあげる事ぐらいである事を。
最後になりましたが、シュガーちゃん さん、えふえふ さん、Alicemetic さん、評価付与ありがとうございました!