【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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再誕(reboot)

────────

 

 暗転。

 極彩色。

 

────────

 

 ふと、目を開いた。

 何があったというわけではない。ただ、何となく今まで目を閉じていた事を自覚したから、瞼を上げた。それだけだ。

 

(…………?)

 

 はて、ここはどこだろうか。

 開いた視界には、何も映らなかった。あるいは、暗闇だけが映った。

 

 前後左右に上方下方、どこを向けども黒一色。濃淡も、明暗も、一切の変化が見当たらない。

 というか、そのせいで方向感覚すら覚束ない。

 

 既に俺は、今俺が向いている方向がどの向きだったのかすら判別できなくなっていた。まあ、どの方向も変わらないという意味では大して変わりないのかもしれないが。

 

「俺、何してたんだっけ?」

 

 気まぐれに声を出してみる。

 案外冷静さは保てていたが、こういうのは何もしなければ最終的に気が狂ってしまうというのが相場だからだ。

 

 

 その根拠は、何一つとして思い出せないけれども。

 

 

 何も見えないが喉と耳は存在するらしく、聞き慣れた声が聞き慣れたままに聞こえてくる。

 しかし、声だけは聞こえるのに残響であったり環境音であったりは一切聞こえてこない、というのは……なんとも不思議な感覚だ。

 

「あ、あ、あー。……やっぱ変な感じ」

 

 一先ずこのままいても何も変わらないと判断すると、俺は歩いてみることにした。

 とはいっても、足を動かしている感覚こそあるものの自分の姿すら見えない状況では、本当に歩けているのかすら定かではないのだが。

 

「にしても……なーんにも見えねえな」

 

 しかし。半ば無意識的に予想していたが、やはり体を動かしても何も起こらない。

 思い立ったタイミングで声を出してみるも、そちらにも変化はない。

 

 今のところ不安感は一切無いのだけが幸いだろうか。まあ、これを幸いと言っても良いのかは分からないけども。

 

 

 いっその事、次は全力で走ってみようか。

 それは、脇に逸れたままの思考でそんな事を思ったタイミングのことだった。

 

「あん……?」

 

 不意に、黒以外の色が視界の端を横切った。

 どれだけの時が経過したのか分からないが、体感では既に数時間が経過している。それだけの間何の変化も無かったのだし、どうせ気のせいだろうと思いながらも視線を向けてみると。

 

「マジじゃん」

 

 そこには、浅葱色の光を放つ蝶が、まさしくパタパタといった感じで揺蕩っていたのだった。

 明らかに非現実的な光景へ何度か瞬きを繰り返すも、やはり目の前の現実は変わらない。いやまあ、元々最初から非現実的ではあったけども。

 

 その蝶は俺が見ていることに気付いているのかいないのか、ゆらゆらと不規則に舞い踊っている。

 

「付いてってみるか」

 

 何と無しに────本当に何と無しに、そう呟いてみる。こういう場面でこうして現れたのなら、それは案内人だと相場が決まっているからだ。

 それがなんでなのか、記憶は何も見当たらないけれども。

 

「…………」

 

 無言で浅葱色の燐光を追う。

 俺の言葉が聞こえたのか、蝶の動きは不規則ではなく────それこそ、まるで俺を先導するかのようなモノに変化していた。

 この先に何かがあるのだろうか。

 

「……? あれ、何だ?」

 

 そんな思いと共にキョロキョロと周囲を見回していたからだろう。進行方向に対して右の方に、何かが揺らめいているのが目についた。

 

 あえて言葉にするのならば、オーロラと表現するのが最も近しいだろうか。

 無数の()が、混ざりあって黒に成る直前のような状態で()りを放っていた。

 

「……視るなって? 分かったよ」

 

 目を凝らすようにそちらを見ていると、蝶に叱られてしまった。どうやらアレは視ない方が良いらしい。

 

 

 ……? なんで今、彼女の言っていることが分かったんだ?

 

 

 流しそうになっていた疑問点に行き付いた辺りで、気付けば視界が光に覆われていた。

 

「わっ、眩っ────」

 

 

────────

 

 暗転。

 透き通る青春の青。

 

────────

 

 ふと、目を開いた。

 何があったというわけではない。ただ、友人に話しかけられたから、瞼を上げた。それだけだ。

 

「はよっす、彩土! 朝から相変わらず眠そうだな!」

 

 視界の中央に映るのは、いつも連んでいる友人の姿。

 二年連続で同じクラスになり、二年連続で出席番号が連番となった。そんな、少しだけ稀有な縁で結ばれた相手。

 

「俺は夜型なんだっつーの。つか、そう言うお前は相変わらず騒がしいのな、■■。朝練はもう終わったのか?」

 

 一つ前の席に横向きに座り、人の机へ堂々と肘を置いて占領する親友に言い返す。

 ぶっきらぼうな物言いだとは自分でも思うが、今さら取り繕ったところで逆に心配されるのがオチだ。それに、これぐらいの距離感が一番心地いい。

 

「おう! 今は丁度大会の切れ間の何とも言えねー期間だからな、朝練は短いんだよ」

「ふーん、さいで」

「ハハッ、自分から聞いといて興味なさそー」

 

 ケラケラと笑う■■に、軽く口角を上げて答える。

 

 

(…………?)

 

 違和感。

 なんだろうか。何かを忘れている気がする。

 

 僅かな頭痛と共に襲ってきた妙な感覚に首を傾げるが、しかし心当たりは何も無い。

 

(何だ?)

 

 軽く思索を巡らせてみるも、何かを思いつくよりも先に話しかけられる。

 

(まあ、気のせいか)

 

 大方、昨夜の夜更かしのせいで変な感覚になっているだけだろう。そう結論付け、俺は会話の方へ意識を向け直す。

 

「そーいやさ、ブルアカやった? 昨日最終編更新されてたよな」

「エンディングまでな。あれはヤバすぎた……そっちはやったのか?」

 

 問い掛けると、■■は若干の残念さを滲ませながら首を横に振った。

 

「いんや。後もーちょっとぐらいまで進めたんだけどな……最後まで攻略する時間が足りなかったー!」

 

 恨めし気な視線を向けられる。

 文芸部の幽霊部員として悠々自適な生活を送る俺とは違って、■■は運動部所属、それもスタメン常連の優秀なプレイヤーだ。

 

 オフシーズンとはいえ朝練も控えているとなれば、夜更かしも程々で切り上げるしかなかったのだろう。

 

「フハハ、羨ましかろう。これが半帰宅部の力だ」

「うっぜー」

 

 そこまで読み取った上であえて煽ってやる。

 再び上がる笑い声、それは朝礼前の喧騒の中ではありふれたモノ。

 

 だというのに、何故だろう。

 そんな日常が、こんなにも幸せに思えるのは。こんなにも鮮やかに見えるのは。

 

 こんな些細な幸福が、何よりも得難いと感じるのは。

 それが子どもたちから奪われるだなんてあってはならないと、憤っているのは。

 

(戦場帰りの兵士じゃあるまいし……今日は早めに寝るか)

 

「そだ! 今日の放課後練は先生の都合で早く終わるらしいしさ、その後彩土の部屋行ってもいいか?」

「まあ……いいけど」

「…………!? あの自室に人を招かないことで有名な彩土が乗った!?」

 

 昨日読んだばかりの最終編について感想を語りたかったのもあり答えると、■■は大仰に驚いてみせた。

 そんなに意外か?

 

「んなこと言ってっとやっぱやめるぞ」

「おっと、それは勘弁」

「あー、後。分かってると思うけど」

「騒ぎすぎない、だろ? さすがに室長サマの部屋でやりすぎたりしねーって」

 

 月一ぐらいで行われる、いつも通りのやり取り。

 最早この流れも様式美となりつつある。

 

「そーいやさ。来月には冬休みだけど、彩土はどうすんだ?」

「あー、どうしよっかね」

 

 文脈もへったくれもない、思い付いた内容を駄弁るだけの雑談。

 けれども、やっぱりこれぐらいが性に合っている。

 

「部誌に全く手ぇ付けてないし、しばらくそっちやってから帰ろーかね」

「めっずらしー。いつもなら『幽霊部員だから』って踏み倒していくじゃん」

「……ただの気まぐれだよ。どうせまた気が変わるだろーし」

「んじゃ久々の薪浪彩土センセーの作品が読めるわけだ。楽しみにしとくぜ!」

「人の話を聞け、おい」

 

 なんとなく、実家に帰省するタイミングをずらさなければならないような気がして。そんならしくもない事を口走っていた。

 

 本当に、今日はどうしたんだろうか。妙なことばっかりだ。

 

 

「ととっ、もう時間か。んじゃ放課後、約束な!」

 

 どうやらもう朝礼の時間になっていたらしく、ガラガラガラ、と教室前側の戸を開けながら担任が入ってくる。

 それとほぼピッタリに鳴る予鈴の音。今日も先生は几帳面だ。

 

(まあ、いっか。これでいいんだし)

 

 何かを忘れている感覚に必死に蓋をしながら、瞼を閉ざす。

 そうだ。これでいいんだ。

 

 最後の瞬間。

 スマホのロック画面、壁紙に設定しているホシノとユメ先輩のツーショットイラストが、ニコリと微笑んだ気がした。

 

 

────────

 

 暗転。

 爆ぜる炎の赤。

 

────────

 

 ふと、目を開いた。

 何があったというわけではない。ただ、階下から叫ぶ母の声が聞こえたから、瞼を上げた。それだけだ。

 

「彩土ー? そろそろ起きなさーい」

 

 シパシパと何度か瞬きを繰り返す。

 カーテン越しに差し込む眩しい光に目を馴染ませながら頭の上へ目を向けると、枕元のディジタル時計には『am 10:11』の表示。

 階下からはふわりとみそ汁の香りが漂っている。

 

 どうやら、少しばかり寝すぎてしまったようだ。

 まあ、今は冬休み中だし多少自堕落に過ごしていても問題無いんだけど。

 

「彩土ー? 起きてないのー? ……ちょっと■■、彩土の様子見てきてくんない?」

「えー? お兄の事だしどうせまた夜更かししてただけでしょー」

「今降りるー!」

 

 再度、階下から呼び掛ける母の声。ついでに妹と母の会話まで聞こえてくる。これまでの経験からして、これ以上遅れると雷が落ちてきそうだ。

 霞がかった寝起きの頭でそんな事を考えながら、寝間着から適当な服へ着替える。

 

 普段は迷わず芋ジャージを手に取っているのだが、生憎今は洗濯後の乾燥中。冬という季節もあり、着れるのは最低でも明日になるだろう。

 正直あれが一番落ち着くんだけどなぁ……見た目は死ぬほどダサいんだけど。

 

 毒にも薬にもならないコトを思いながら、トタトタと階段を降りる。

 降り口すぐ近くの洗面所で軽く顔を洗い、その後キッチンへ。いつも通りのルーティンだ。

 

 そうして辿り着いたキッチンで、朝食を受け取り────

 

「冬休みだからってちょっとダラけ過ぎじゃないの? こんなのでちゃんと室長できているのかしら…………」

 

 エプロンを着た、母の姿。

 いつも通り、記憶通りの姿。

 めちゃくちゃ美人ってわけじゃないけど、おせっかい焼きな優しさが滲んだ……たった一人の、母の姿。

 

「……ちょっと、どうしたのよ彩土。何かあったの?」

「あれ…………?」

 

 気付けば、頬を雫が伝っていた。

 その事に気遣わしげな視線を向けられて、だから咄嗟に「なんでもない」と言おうとして。

 

「なんっ、でも……ない」

 

 嗚咽が抑えられず、言葉が切れ切れになる。

 何をやっているのだろう。こんなのではさらに心配させてしまうだけではないか。

 

「何か嫌な事でもあったの? 言いにくい事なら無理に聞かないけど……どうにもならなくなる前に言いなさいね。母さん、頑張っちゃうんだから」

 

 事実、そんなことを言わせてしまって。

 珍しくお茶らけたような言い方をしているのは、きっとその分の優しさの表れだ。それが、どうしようもないぐらい嬉しい。

 

 こうして、また会えた事が。

 自分が心配されているという事が。

 自分が愛されているという事が────恨まれたりせず、肯定されている事が。

 

「ありっ……がとう。母さんっ」

「なんにもやってないわよ。それに、家族なんだから当たり前でしょ?」

 

 何故か込み上げてきた涙が収まるまで、おおよそ5分ほど。その間、母は何も言わずにいてくれた。

 静かに頭を撫でられて……何年ぶりだろうか。こんなにも穏やかな気持ちになれたのは。

 

 

 

 そうして温め直した朝食を持って、キッチンを出ると。

 

「えっと、お兄……何があったか知んないけど、無理はしない方がいいよ?」

「彩土。爺ちゃんはこういう時にどうするのが正解か分からんが……喧嘩のやり方教えてほしかったら言うんだぞ。色々仕込んでやるからな」

「お爺ちゃん!?」

「ちょっとお義父さん!? 彩土に余計な事教えないでくださいよ!?」

「なんじゃ、婿入りしてきたんならどっしり構えんか。……というか、そう言うお前も昔は荒れておったろうに」

「色々ツッコミどころが多すぎるんですけど!? てかその事は黙っといてくれるんじゃなかったんですか!?」

「年寄りにぎゃあぎゃあ叫ぶでないわ。まったく────」

「あなた。あんまりオイタが過ぎればどうなるか……分かっていますよね?」

「…………はい」

 

 戸口の辺りにまで来ていた妹と祖父にそんなことを言われ、リビングからは父の叫びが聞こえてきて、更には祖母まで出てきていて。

 みんな、俺の事を心配しているのがはっきりと分かって。

 

「ハハッ…………うん。ありがとう、みんな。■■も、祖父ちゃんも、祖母ちゃんも、父さんも。本当に、ありがとう」

 

 それは。思わず笑いが零れてしまうほど、幸せだなって。

 

 

「そういえば、昼から母さん達ちょっと出かける予定なんだけど……彩土はどうする?」

「んー、一緒に行こうかな」

 

 ハムエッグを乗せたトーストを頬張りながら、ぬるま湯みたいに幸せな日常へ浸かりながら、母の言葉に答える。

 何故か分からないけど、今日は家に残らない方が良い気がしたから。

 

(そう。これでいいんだ)

 

 

 

 最後。

 瞬きの瞬間、窓の外の空色が、緑がかった明るい青色に染まったように思えた。

 

 

────────

 

 暗転。

 砂面に煌めく陽光の黄色。

 

────────

 

 ふと、目を開いた。

 何があったというわけではない。ただ、柴大将の呼びかける声が聞こえたから、瞼を上げた。それだけだ。

 

「どうしたんだい? アヤト君。ボーっとしてたみたいだけど」

 

 油と、豚骨と、味噌と、醤油と────色々な要素がないまぜになった、懐かしい柴関の香り。

 もう戻る事のできない、第二の『家』の匂い。

 

(……?)

 

 なんだか、酷く記憶が……いや、思考が曖昧な気がする。

 ぐちゃぐちゃしているというか、脈絡が無いというか…………そう、まるで何かと混線しているような感じ。

 

 それでいて、同時に『何か思い出さない方がいい事を忘れている』みたいな感覚もする。一体どうしたのだろうか。

 

「おーい。もしかして、体調悪いのかい?」

「あっ、いや、そんな事はない……んですけど」

「そうかい? 無理はしないでおくれよ、心配だからね」

「はいっす」

 

 ひとまずそう答えて、俺はいつもの業務に戻る事にした。

 柴さんには申し訳ないが、どうにも今の心地を言葉で表現するのは不可能なような気がしたからだ。

 

 この感覚の原因を突き止めさえできれば色々と分かりそうな気はしたが、その必要条件が満たせていない以上はどうしようもない。

 

 それに、感情と行動を切り離すのは慣れている。

 少なくとも仕事に支障をきたすことは無いだろう。

 

(……? 今、なんか変な事考えなかったか?)

 

 直前まで考えていた事が思い出せない。連想ゲームのようにあれこれと考えている時にはよくある事だが、今はそれですら奇妙に思えてしまうのだから……うぅむ、中々に重症かもしれない。

 

 上の空の思考のまま、しかしテキパキと配膳や注文を熟す。

 3ヶ月もここでお世話になっているのだ、この程度は体に染み付いている。

 

 しかし、やはり柴大将には見抜かれてしまったようで。

 

「アヤト君。そろそろピークタイムも終わるし、ちょっと休んどきな」

「えっ、でも……」

「まだ居る人たちは俺一人でも十分対応できるさ。それとも、年寄りの言葉は信用できないかい?」

「……その言い方は卑怯じゃないですか。分かりました、ありがたく休まさせてもらいますね」

 

 ひらひらと手を振る大将に軽く礼をすると、俺は裏に引っ込むことにした。

 

「やっぱ大将は優しいな……聖人か?」

 

 なんとなく妙な心地を吹き飛ばそうと戯けて、けれど誰もいない部屋に響く空虚さに顔をしかめる。

 むしろ逆効果だったようだ。

 

「ま、とりあえず休むか」

 

 さすがに横になるのはマズい……というよりあらぬ心配を柴大将にかけそうなので、椅子の背もたれに体を預ける。

 

 ゆったりとした体勢でぼんやりと思考を回して、どれだけ経った頃だろうか。

 多分、30分も経っていないとは思う。

 

 ガチャリ、と戸を開く音と一緒に、空腹を刺激するような匂いが鼻腔をくすぐった。

 見れば、膳を持った柴大将の姿が。

 

「大将……?」

「ひと段落着いたから、お昼持ってきたよ。調子は戻った?」

 

 チャーシューを一切れ減らし、かわりに煮卵のトッピングされた醬油ラーメン。隣には半チャーハンも並んでいる。

 俺がよく食べている取り合わせだ。

 

 膳を机に置くと、柴大将は自分の分も取ってくると言って部屋を出た。

 数秒の後、再び戸が開かれる音と共に味噌の香りが部屋に漂う。一緒にバターの匂いもするため、どうやら今日の柴さんの気分は味噌バターコーンだったらしい。

 

「お待たせ。さ、食べようか」

「はい!」

 

 空腹感が訴えるままに手を合わせ、箸を取る。

 

(……あ、そういえば。今日は日課の神秘の周辺探知してないな。…………まあ一日ぐらい大丈夫か)

 

 何故か今日だけはサボったら駄目な気がしたが、構わずにラーメンをすする。心配なら後でやればいいだろう。

 

「やっぱりアヤト君は美味しそうに食べてくれるな……作ったコッチも嬉しくなるよ」

「だって美味いんですもん!」

「ハハッ、そうかい」

 

 幸せの温もりの中、どうしても拭えない違和感から目を逸らせないままに、柴大将と話す。

 

 

 視界の端、部屋の隅に飾られた花瓶の中で。

 デルフィニウムの淡い水色が、微笑むみたく揺れた気がした。

 

 

────────

 

 暗転。

 転移した直後の俺を助けてくれた、風紀委員長の瞳の紫色。

 

────────

 

 暗転。

 ゲーム画面一杯に描画された草原のドットが放つ、眩い緑色。

 

────────

 

 暗転。

 寒さの厳しい雪山で、望遠鏡を覗く少女たちと見上げた夜空の藍色。

 

────────

 

 暗転。

 賑やかな祭りと頭上に下げられた提灯の橙色。

 

────────

 

 暗転。

 極彩色。

 

────────

 

 ふと、目を開いた。

 何があったというわけではない。ただ、()()()()()()()()から、瞼を上げた。それだけだ。

 

「あー、あー。よし。にしても……結構、色んなパターンがあったんだな」

 

 グッパッと拳を握って開いてしながら、何と無しに呟いてみる。

 何も見えない暗闇の中だが……いや、暗闇の中だから。その理由は、はっきりと記憶にある。

 

「まあ、ここまで戻ってこれたなら関係ないか」

『よう』

 

 一人で呟いていると、不意に背後から声をかけられた。

 何度も耳にした、俺自身の声。分裂した人格だと思っていた、俺を嘲る調子の声。

 

「お前は────ああ、そういう事か」

『さっすが俺同士、話が早くて助かるな』

 

 振り返ると、そこには黒いオーラを纏った俺が立っている。

 鏡で何度も見てきた面だ。

 

 どうやら、あの声の俺は色彩の中にいたらしい。

 

『ここは色彩の中。いくつもの(世界)が、可能性が混ざり合って黒色になった場所だ』

 

 やっぱり。

 

「……ん? って事は、さっきまで視てた世界も可能性自体はあったのか」

『なんだぁ? ただの幻覚だとでも思ってたのか?』

「いや、明らかに俺に都合良すぎたもん。疑うだろ」

『あー、なるほど。そりゃあ、あの人が頑張ったんじゃねーの?』

 

 スルスルと、打てば響くように言葉が返ってくる。

 まあ、俺同士なら当然か。

 

『さて、アイスブレイクもこんなもんか。それじゃあ聞くが────戻るつもりか?』

「分かってるだろうに……当然だ。色々思い出したし、何よりあんな中途半端じゃ投げ出せない。そもそも、2年前に言ったろ? “始発点までは”って」

『忘れて折れかけてたクセによく言うぜ。その度に呼びかける羽目になったんだからな?』

「……まあ、それは悪かったよ」

 

 ヘラヘラと、数年来の友人のように言葉を交わす。

 まあ、実際に2年間は連れ立っていたようなものだし、それもあながち間違いじゃないのかもしれない。

 

『まあ、いいさ。ここでの記憶はある程度吹っ飛ぶだろうから、覚えておきたいことは覚えとけよ』

「何の解決にもなってねぇ……」

『そんなもんだろ?』

 

 “覚えておきたいことは覚えておけ”なんていう某環境大臣構文のようなアドバイスに、少し愚痴を溢すが。返答自体には同意せざるを得ないため、肩を竦めながら頷きを返す。

 実際、俺はそこまで几帳面な奴じゃない。コイツが居なければ、原作知識もかなり覚束なくなっていただろう。

 

『そんじゃ、ま。行ってらっさ────とと、言い忘れかけてた。色彩は既にお前の世界に向かってる』

「分かってるよ」

『だから、その時は頼むからオレを殺してくれよ』

「分ぁーってるって」

 

 原作において、色彩は黒色で描かれていた。

 “色彩”なんて色が散りばめられてそうな名前なのに。最終編において、シロコが『……不思議な光が見える……黒……いや、虹……?』と零していたにも関わらず。

 

 けれど、違ったのだ。

 “色彩”だから黒色になっていたんだ。無数の色が混ざってるから。

 

 他にも、引っかかっていた部分はあった。

 例えばベアトリーチェは『解釈されず、理解されず、疎通されず────ただ到来するだけの不吉な光』、あるいは『目的も疎通もできない不可解な観念』と色彩の事を評していた。

 

 つまり、色彩とはただ全てを消し去る……滅びを齎すだけの現象なのだと。

 しかし、もしそうならば色彩に滅ぼされた世界はどうなるのだろうか。消え去ってしまうのだろうか。

 

 いや、きっとそうではない。

 これは滅ぼしてるわけじゃなくて、触れた物を呑み込んで混ぜ合わせているんだ。

 

 だから、黒色になる。

 

 いくつもの色が、可能性が混ぜ合わされて、最終的に黒色になる。

 そうでなければ────色彩がただ滅びを齎すだけの現象ならば、それに触れたシロコやプレ先が無事でいられるはずが無い。

 それに、色彩を利用していた無名の司祭たちが生み出した『名もなき神々の王女』は、最終的にはすべての神秘をアーカイブ化するための存在であった。

 

 ならば、色彩もそれに類する存在であった可能性は、十分にある。

 

 

 そして、色彩の内側にいるという事は、きっと(コイツ)もそうなのだろう。

 

 向こうで死んだ後、俺は色彩に触れていた。何でかは分からない。

 ただ、その時に俺はココに保存されてしまった。だからここには(コイツ)がいる。

 

 その上でなぜ俺がキヴォトスに転移したのかは分からないが……決定的だったのは、やはりデカグラマトンに定義された事か。

 それによって、色彩に保存された(コイツ)とマクガフィンになった俺との間にpathという形で繋がりが生まれてしまった。

 

 まあ、そのお陰で保存された原作知識を視れるようになったりしたんだが……おそらくその辺りはダアトとしてのテクストも影響してるんだろう。

 

 ともかく。結果として、色彩はpathを辿る事ができるようになっている。

 というか辿られてる。

 

「やっぱ嫌か」

『当然だろ。誰が好き好んで色彩呼び寄せるカスになりたがんだ』

「そりゃそうか。んじゃ、もう行くぞ?」

『……大丈夫なんだな?』

「多分? ま、忘れかけてた事も思い出せたし、やるべき事も生えてきたからな」

 

 多分ってお前なあ、なんて呟く声を背中に、一歩を踏み出す。

 

 

 気付けば、背後の気配は消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

「しっかしまぁ……本当に色んなパターンがあったんだな」

 

 色々な感慨を抱えながら、改めて呟く。

 いくつもの……本当にいくつもの可能性(ifの話)を視た。

 

 冬休みに実家に帰省しなかった世界。

 火事のあった日に家族と出かけた世界。

 ユメ先輩を救けに行けなかった世界。

 そもそもアビドスじゃなくて別の自治区に降り立っていた世界。

 

 本当にいくつもの、()()()()()()()()()()世界を、可能性を視た。

 

「でも、結局それは“有り得たかもしれない”って話でしかない」

 

 そうだ。

 だから、俺はここまで戻ってこれた。

 

「そう。もしかしたら、こんな苦しみを知らずにいられたのかもしれない。味わわずに済んだのかもしれない」

 

 でも。

 

「でも、そうはならなかった。────いや、違うか」

 

 ()()()()()()()()()

 最初の一歩は、救けたいって思いだったんだ。

 

「まあ、たしかに……途中までは偶然の産物だったさ」

 

 冬休みに実家に帰ったのも、火事に巻き込まれたのも。

 それに、アビドスに降り立ったのも。

 

「でもな────でも、途中からは俺の選択なんだ」

 

 神秘を鍛えた事も、ユメ先輩を救おうと動いたことも、マクガフィンになる事を決めたのも。

 その全部が、紛れもない俺の選択だ。

 

 ああ、だから。

 だからこそ。

 

「有り得たかもしれない可能性(ifの話)になんか縋ったりしない。これが俺の選択で、これこそが俺の生きる意味だ」

 

 全部を肯定する事はどう足掻いてもできない。

 後悔ばかりだし、今だってあの日の景色は脳裏にこびりついたトラウマだ。

 

 でも、否定をしては駄目なんだ。

 だって、この全てが俺の選択で、そしてその結果なんだから。

 

 全ては俺の意思で、そして願いだったんだから。

 だから、誰よりも俺はそれを否定しちゃ駄目なんだ。

 

 一つ頷くと、更に一歩を踏み出す。

 随分と……本当に随分と久々な感覚だ。

 

 周囲を覆う黒色は、少しずつ白みつつあった。

 

 

────────

 

「────っと? あれ、まだ戻れない?」

 

 そうして視界が真っ白に染まり、さあ戻ろうかと思ったのだが。

 その状態のまま、変化が固まってしまった。

 

 はて、これはどうすればと悩む俺の前に、パタパタと浅葱色の蝶が現れる。

 

「────っ。そっか、わざわざまた来てくれたのか」

『────────』

「謝らないでくれ。なんとなくコレは忘れる気がするけど、でも、貴女が生きてるって知れただけで俺は十分救われたんだ」

 

 神秘と恐怖を宿し、そこに知性(おそらく原作知識の影響もある)と激情(多分この人を救けようとした時のアレコレ)が加わった事で『第二のデカグラマトン』判定を受けた俺には、最終的に2つ分のpathが繋がっていた。

 それだけで、俺の選択は無意味じゃなかったと思える。

 

『────────』

「そうじゃない? 俺をまた辛い場所に送る事になった? ……フフッ、それこそ謝らないでほしい。だって、コレは俺の選択なんだから」

『────────』

「いいんだよ。そもそも、最初の一歩を……貴女のために駆け出したあの時の事を思い出せたんだ。だったら、ここで折れるのは嘘だろ?」

『────────』

「ああ、うん。そう言ってもらえる方が嬉しいよ」

 

 蝶の姿が薄れると共に、視界を満たす白色が眩しくなる。

 どうやら、時間のようだ。

 

『────────』

「うん。行ってくるよ────ユメ先輩」

 

 

────────

 

(……?)

 

 何かを忘れたような気がする。

 でも、不思議と気にはならない。ポカポカしたような胸の温かさがそうさせるのだろうか。

 

(……ま、いいか。それよりも、こっからだ)

 

 もう一歩、強く足を踏み出す。

 気付けば、視界を染める白の向こう側に至聖所の光景が見えてきていた。

 

(答えはずっと昔に……一番最初の一歩を踏み出した時に、出ていた)

 

 ふと、セイアに投げかけられた問いが脳裏を過ぎる。

 

 “自分の行動が無意味だと思うことは無いのか”

 

 そうだ。

 無意味だとも。無意味でいいんだ。

 

(だって、最初から全部俺のエゴなんだから。それでいい)

 

 更に先へ、一歩を踏み出す。

 強く、強く。意思を基に、決意を籠めて。

 

 視界が晴れる。

 白色が舞い散り、至聖所へと世界が戻る。

 

 

「────還ってきたぞ。ベアトリーチェ」

 

 

 今、ここに。再誕は果たされた。

 

 

 

 




今回は透明文字じゃなくて白文字にしたので、ダークモードにするだけでも読めるかも? なんて呟いておいてみる。

最後になりましたが、椎木 さん、コーラナメナメ さん、ルイズ さん、kaigin さん、綾奏 さん、シュガーちゃん さん、にゃんすけ さん、asaia_2 さん、評価付与ありがとうございました!
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