ご容赦をm(_ _)m
「……やっぱり、今回もあった」
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アビドス高校、そして対策委員会の抱える問題について聞き、「私もできる最大限の協力をするよ」と宣言してホシノたちの目を丸くさせた翌日。お昼をアビドスで有名だというラーメン屋で食べたその少し後。
キリキリと痛みだした胃をなるべく意識の外に追い出しながら、先生は胸中で叫んでいた。
どうしてこうなった、と。
事の始まりは今朝にまで遡る。
住宅街でバッタリ
「セリカちゃんのバイト先か~。だったら紫関ラーメンじゃないかな」
と言われ、その場の流れは『どうせならお昼に行ってみよう』となったのだ。
実際に柴関ラーメンに行ってみれば、ホシノの予想通りバイトをしていたセリカが可愛い反応を見せてくれたり、注文したラーメンもとても美味だったりと満足できるものだった。
その後の話である。
どうにも店内に入ってから店主の柴大将さんに見られている気がして、会計の際に「あの、何か私に用でしょうか?」と尋ねたのだ。勘違いだったら随分恥ずかしいことだが、その時はその時。このまま放置してもやもやし続けるよりかはずっとマシだ、と。
「ああ……いや、見ない顔だと思ってな。申し訳ない」
「いえ、大丈夫ですよ。それに、ヘイローを持たない“大人”というのは中々見慣れないでしょうし」
「そうでも無えんだが……うん、そうだな。ちょいと気になることがあるんだが、聞いてもいいかい?」
そうしてみれば、やはりその感覚は当たっていたらしく、何やら神妙な雰囲気で応じる柴大将。
てっきりただの物珍しさかと思っていた先生は会話が続いたことに少しばかりの意外さを感じつつも、今日は特に大きな用事が無いこと、そして何よりもセリカが普段お世話になっている相手だということで店主の要望を快諾した。
そこにはこんな何でもない場所で事件など起こるはずないだろうという油断もあったのかもしれない。
そして、その楽観のツケは高くついた。
「ありがとう。単刀直入に聞くが、先生はキヴォトスの外から来た人だったりしないかい?」
「ええ……そうですが。キヴォトスの外にご興味が?」
「いや、そうじゃなくてな。実は2年ほど前に、数ヶ月間だがキヴォトスの外から来たって言う子と生活してたんだ。急に居なくなっちまったんだが…………その子も先生と同じ
柴大将は何でもないように爆弾を落とした。いや、事実として彼にとっては急に居なくなった同居人を探すという意図しかなかったのだろう。
こちらにはそれ以上の意味があった、それだけだ。
2年前にアビドスから居なくなった男の人間。どこかで────具体的にはつい昨日聞いたようなフレーズに先生は固まったし、先生と柴大将が何やら話し込んでいるのを見て近付いていた対策委員会の面々も固まった。
さながらこの辺りだけ時間が止まったかのような状態だが、それに気付いていないのか柴大将は言葉を続ける。
「アヤト君って言ってな、ちょっとの間一緒に居ただけでも分かるぐらい良い子だったんだ。きっと何か事情があると思うんだよ」
さて、ここで一旦情報を整理しよう。
先生が昨日までに得られている情報としては、
・アビドス高校は莫大な借金を抱えており、それが原因でアビドス自治区は衰退しつつある
・アビドス最後の生徒会長であったユメは2年前に倒れたきりずっと意識が戻っていない
・ユメが倒れた現場にはおおよそ手掛かりと呼べる物は残っておらず、現場に居たという人ぐらいしか真実を明らかにする糸口は無い
・その人は自分と同じ男の人間であった
といったものだ。
そして柴大将が語った内容は、要約すると「2年前に
明らかに怪しい、というかそこまで条件が被っていたら十中八九同一人物だろう。
この時点で、先生の笑顔は普段のニコニコとしたそれから若干引き攣ったものに変化していた。ついでにさっき食べたラーメンが収められている辺りが痛み始めた。
具体的には胃の辺りが。
そんな訳でどう切り出すべきか悩む先生の脇をすり抜けて、一人の少女が柴大将に質問する。
「ねえ、柴大将。その居なくなった人の写真とかってない?」
「ああ、そりゃそうか。顔も分からないんじゃどうしようもない。ちょっと待ってくれ、二人で撮った写真があるから」
おそらく最も衝撃が大きかったであろうホシノである。
彼女はいつも通りの────それこそ、のほほんというような表現が似合うような────調子で話すと、生活スペースへと向かった柴大将を見送った。
その隣で待っている間にそれとなくホシノの様子を見てみるも、やはりその姿はいつも通り。なのに何故かその姿から今にも撃鉄が起こされんとする銃を幻視した先生の背を、知らず冷や汗が伝う。
ついでに、背後の対策委員会の面々からもどこか不穏な気配を察知してしまったことで先生の表情筋が痙攣を始める。
先生の胃がハッキリと痛みを訴え始めた。
そうして先生は胸中で叫んだのだ。
どうしてこうなった、と。
写真はどこかに仕舞ってあったのだろうか、それから数分ほど経過した頃になってようやく柴大将は戻ってきた。
「待たせたね、これがアヤト君だ」
柴大将がそう言いながら写真を手渡す。
彼が指差す先には、あまり特徴のない黒髪の青年が柴大将の隣で笑顔でピースしていた。当然ながら先生は見たことが無い。
ではホシノはどうであったのだろうか。
隣を見るが、身長差の関係でその顔を窺うことはできなかった。猫背ぎみな姿勢のせいもあるかもしれない。しかしその雰囲気は先ほどまでと変わりないままであり、空振りの可能性を思わせるものであった。
「この子、名字はなんて言うの?」
「ん? ああ、薪浪って言ってたよ。キャンプなんかで使う薪に、放浪するの浪で薪浪」
「ふ~ん、薪浪か。薪浪アヤト、ね。覚えたよ」
などという甘えた考えは、最後のかなりドスの効いた声で霧散した。
どうやら……予想通りと言うべきか、この青年が2年前ホシノが見た重要参考人だったようだ。
その後のことを語ろう。
幸いなことに、ホシノは昨日のようなプレッシャーを出さなかったため、柴大将やお客さんがパニックに陥るような事態にはならなかった。むしろ先生や対策委員会の皆の方が挙動不審になっていたぐらいで、彼女は変わらずに「色々あってちょうど私たちも探してた人なんだ。見つけたら連絡するね~」と柴大将に話していたほどだ。
しかしその普段通りの雰囲気とは裏腹に瞳はギラついた光を宿しており、声色も僅かに硬いように思えた。
そんなホシノを心配に思いながらも何と声をかけるべきか分からず悩む先生をよそに、アビドス校舎に戻ると彼女はふらりといなくなった。
すわ一人で手掛かり探しに出たのかと焦る先生だったが、そんな彼の下にノノミが訪れる。
『きっとホシノ先輩はここに居ます。先生、どうか話を聞いてきてあげてくれませんか?』
そう言って彼女が示したのは、中心街から外れたとある地点。砂漠の中に埋もれてしまったアビドス旧校舎であった。
────────
吹き抜ける風が地表の砂を巻き上げ、薄黄色に染まったその風が全身にまとわりつく。そこまで強くない風だというのにこうなっているのは、おそらく砂がかなりきめ細かなものだからだろう。
昼時を過ぎた現在の時刻はおよそ午後2時頃、丁度一日で最も気温が高くなる時間帯だ。まだ耐えられる程度とはいえ砂漠はかなり暑く、先生の額は僅かに水気を帯び始めていた。
「流石に暑いね……」
『現在の体感気温は28℃ほどでしょうか。先生、水分補給は忘れないでくださいね! ノノミさんが教えてくれた座標まではもう少しです、頑張りましょう!』
「うん」
周辺地図の最新データをダウンロードしたアロナの案内の元、先生は砂に埋もれたアビドス旧校舎へと向かっていた。目的は勿論、ノノミの頼み通りホシノの話を聞きに行くことである。
「にしても、凄い景色だね」
辺りを見回した先生がふと零す。
その視線の先では、砂に飲まれた無数の家屋が屋根などを覗かせることで存在を主張していた。僅かに残る道の跡を外れた遠くには、砂嵐に吹き飛ばされたのだろうか。『駄菓子』と書かれた看板が突き立っているのも見える。
普段はD.U.という都市部に住んでいるためにこういった自然の脅威に接する機会のなかったことを思えば、この反応も頷けるだろう。
『ですね。この辺りは砂嵐が最も強かった頃に襲われたようで……その分被害も特に重かったそうです』
どこか圧倒されたような声で応えるアロナの声を聞き、知らず止まっていた足を再び動かす。住宅街の名残がある分迷わずに済んでいるが、そこにあった筈の人々の営みを思うと少し足が重くなってしまう。
本質的には部外者である自分でもこう考えてしまうのならば、小さな頃からこの街を見ていた彼女たちはどんなに辛いのだろうか。
生徒たちのために、私は何ができるだろうか。
思索の海に飲まれそうになるも、遠くに一際大きな砂の影を見た先生は気を取り直す。おそらく、あれが旧校舎だろう。
『見えてきましたね。でも、ホシノさんはどこでしょうか』
「うーん、見当たらないね。近くを探してみるべきかな……」
「その必要はないよ~。まさかこんな所まで追いかけてくるなんて、先生って本当に物好きなんだね」
先生の呟きに答える声が右の方から聞こえてきた。出所を見れば、案の定と言うべきか、ホシノがこちらに向かって歩いてきていた。
「ノノミにホシノはきっとここに居るって聞いてね。それに、悩める生徒の話を聞くのも先生の仕事だからね」
「そっか…………ね、ちょっと聞きたいんだけどさ。先生って、よく『大人』とか『先生』だからって言うけど。先生にとっての『大人』って何?」
俯いたまま、ホシノはそう質問した。どこか刺々しいような、『大人』という存在への苛立ちが込められたような声色。
「そうだね……子どもを護り、導き、そして隣を一緒に歩く存在、かな」
初めて見せる様子と共に何の脈絡もなく聞かれた質問であったが、先生の口からは驚くほどするりと答えが出ていた。悩むそぶりさえ一切無く。
「先生なら、信じてもいいのかな……。ね、先生。ちょっと時間、貰ってもいい?」
そんな彼の声を聞いて顔を上げたホシノは、先生を連れて歩き始めた。
“彼女”が眠りについた、その場所へ。
────────
「これ……は…………」
旧校舎跡地に到着し、ホシノと合流した少し後。
小さな背に連れられて辿り着いた場所で、先生は言葉を失っていた。
“それ”は校舎の正面から逸れた右手側の辺りにあった。いや、広がっていたと言うべきか。
黒い、とにかくそう表現するしかない。星が消えた夜の底のような、煤が撒き散らされたかのような、漆で覆われたかのような黒色。炭化しているわけでも何かが被せられているわけでもなく、そのままの砂漠の砂が黒に変色している。
どれだけ見てもそれは砂であった。ここに来るまでの間にずっと歩いてきた、アビドス砂漠のきめ細やかな砂であった。
だというのに、その色はこれまでの明るく灰色がかった黄ではなく艶の無い深黒であり、さらに言えばどれだけ風が吹こうとも巻き上がらずに地に留まっていた。
そんな黒色が、真っ直ぐにずっと続いている。
明らかな異常。元々少ないとはいえこれまで疎らに見かけたはずの植物は一切無く、動物の姿も見受けられない。
「一体、何が……?」
「分かんない。対策委員会にはどこかに調査を依頼する余裕は無いし、中心街からは離れているから、住民の皆もこの場所のことはほとんど知らない。誰も調べていないから未知のまま、2年間ずっとこのまま」
「2年間? それって、もしかして」
背後から答える淡々とした声に振り返ると、ホシノは小さく頷いた。
「そう、ここがユメ先輩が倒れた場所。正確には、今私が立っている辺りがそうだね」
トントン、とつま先で地を叩くホシノ。しかしその辺りは目の前の異様な地帯とは違い、ごく普通の砂漠であった。
その事に先生が疑問を抱く前に、彼女は続ける。
「先生は多分、薪浪アヤトっていう手掛かりをやっと得られた私が一人で暴走しないか心配だったんでしょ?」
「それは……そうだね」
「やっぱり? でも、実際のところはよく分かっていないんだよね。あの時、ユメ先輩が倒れてた場所は黒色の地帯からは離れていた。それに、よく見てみて。黒色の地帯は奥に行くほど幅が広くなっているの。まるでこっち側から始まって、拡散していったみたいに」
改めて背後を見れば、確かに奥に向かう程その幅は広がっているように見える。反対に、手前側は細く萎んでいるようにも。
「次。先生、これは何だと思う」
ホシノがポケットから取り出した端末を操作し、何かを表示させる。
「これは……グラフ?」
「そう。アビドスで起こった、街に被害をもたらす規模の砂嵐の発生件数をまとめたの。対策委員会の皆で調査したんだ」
「砂嵐の……」
このタイミングで見せるということは、きっと何か関連があるのだろうと注視する。が、おそらくホシノが伝えたいのであろう情報は注意するまでも無く簡単に見つかった。
「2年前から急速に減少している?」
「そう。より正確に言えば、丁度ユメ先輩が倒れた月から大規模な砂嵐は殆ど発生しなくなった」
「…………」
「そしてもう一つ」
ホシノが砂嵐の発生件数をまとめたグラフから画面を切り替え、また別のグラフを見せる。こちらの変化はより顕著で、2年前からプロットされているデータが完全にゼロにまで落ち切っている。
こっちは私一人で調査したからさっきのグラフよりも信頼度は低いかもしれないけど、と彼女は切り出した。
「これはアビドス砂漠に居るって言われてた“ビナー”っていう化け物の目撃情報をまとめたグラフ。実態も分かっていない都市伝説じみた話なんだけど、なんでか2年前からパタリと目撃情報が止んでるの」
「それって……」
つまり、ホシノが言いたいのは『アビドスの砂嵐を起こしていたのはビナーであり、2年前薪浪アヤトがそれを討ち取ったが、その戦闘にユメは巻き込まれてしまった』ということだろうか。
「最後に、これ」
先生がそう質問しようとしたところで、ホシノは懐から小さな花を取り出した。
特徴的な形をした薄紫の花と、淡い水色の花。どちらも見たことのない花だったが、水色の花の色合いはどこかユメの髪の色に似ているな、と先生は思った。
「毎月、ユメ先輩が倒れた日にはここに小さな花束が置かれているの。これはその一部」
「それは、まるで……」
零れ出そうになった墓参りみたいだ、という言葉はどうにか飲み込む。それは言ってはいけない、彼女を傷つける言葉だから。
しかしホシノには伝わってしまったようで、彼女は悲しそうな顔で頷いた。
「ごめん」
「……ううん、私も似たようなことは思ったことがあるから」
「それでも、だよ。ごめん」
「うへ、先生は真面目だなぁ」
わずかに顔を綻ばせたホシノを見ながら、改めて先生は考えを整理する。
ホシノから聞かされたいくつかの情報の内、まず見逃せない事実は『2年前から砂嵐の発生件数が大きく落ちている』こと。これについては対策委員会全体で調べた内容である点、そして事前にアロナから聞いていた話とも合致することを踏まえれば事実であると見て間違いないだろう。
目の前の異様な光景や砂嵐の減少の始まりが丁度ユメの倒れた月であることも含めて考えれば、その頃に失踪した『薪浪アヤト』という青年が関わっているであろうことも予想できる。
ここで問題なのが、彼が一体どういった形で関わっているのかという点だ。
つまり、『ユメに危害を加えようと思っていたのか、それとも偶然だったのか』、故意か否かという点だ。おそらくホシノが「よく分からない」と言っていたのは、ここが不明瞭であるためにかの青年をどう扱うべきか決めかねているということだろう。
そして、ビナーの目撃情報やユメが倒れた日に供えられていた花を私に見せたということは、ホシノは薪浪アヤトを好意的に見ようとしている…………いや、そう思いたいといった所だろうか。
それが何故なのかまでは流石に分からない。
単にホシノの心根が優しいのか、後輩たちへ復讐なんかに囚われた先輩の姿は見せたくないのか、或いはそうとでも思わなければ衝動を抑えられないのか。
出会ってから1日も経っていない先生には、ホシノの内心を完全に読み解くことはできない。
しかし、この場で様々な情報を教えてくれたホシノの瞳の奥には昏い光が灯っていたようにも見えた。そのことを思えば────
「もし。もし、薪浪アヤトがユメを狙って傷付けたのなら、ホシノは…………」
そこで先生は気付いた。ホシノの自分を見る目に渦巻く感情、その中には不安げな色も含まれていることを。
……っ! 私は何を考えているんだっ。
『大人』で『先生』である私が、『子ども』で『生徒』であるホシノのことを疑う? 馬鹿馬鹿しい。私がやるべき事は、生徒たちが間違った道へ進まないように、少しでも後悔しないように一緒に考えてあげることだろう!
「うへ、やっぱりそこは気になるよね…………誰が何と言おうと、そうだったなら私は復讐を果たすよ。絶対に。先生は止めるかもしれないけど────」
「ううん、私は止めないよ」
ホシノの言葉に割り込むように否定を放つと、彼女の表情は諦観を含んだ乾いた笑みから口を大きく開けた驚愕へと変化した。
私としても、この発言は先生らしからぬ言葉だと思う。しかし、表面だけがつるつるして中身が空っぽな綺麗事で済ませるくらいならば、先生としての立場にそぐわなかろうが私自身の言葉を贈るべきだ。
彼女はたった一人でずっと悩んできたのだから。
「勿論ホシノに人殺しなんてしてほしくない。けど、ホシノにとって大切な人が傷付けられたのなら嫌に思うのは当然だし、ユメの容体を思えば復讐したいって思うのも理解できる。だから、ホシノが考えて考えて考え抜いた結果それ以外に道は無いって思ったのなら、私は止めない。止められない」
ホシノと目を合わせて話す。不思議なことに、口から出た言葉には途方もない実感が籠っていた。
「だけどね。できるなら、やっぱりそんな結末には至らない方がいい。だから、私にも一緒に考えさせてくれないかな? もしかしたら、もっと良い道も見つかるかもしれないしね」
三人寄れば何とやら、とも言うでしょ? 少しお戯けたようにそう語り終える頃には、ホシノは呆れるような笑みを浮かべていた。
「おじさんと先生だけじゃ一人足んないじゃん、まったく……でも、ありがとね」
頭を絞って言葉を探したが、結局はこれも結論を先延ばしにするだけの綺麗事だ。それでも、心からの言葉だということは伝わったのだろう。
はにかむように細められたホシノの瞳、その端の辺りが僅かに水気を帯びていることに気付かないフリをしながら、先生はそう結論付けるのだった。
────────
「薪浪アヤト、ね。覚えたよ」
リフレインする。
「ユメ……先、輩?」
リフレインする。
憎悪の籠った声が。
あの日の情景が。
がらんどうのように虚ろで、なのに昏い灯で満ちた橙と青の二色が。
「大丈夫。俺は大丈夫だ」
必死に言い聞かせるように呟く。
「俺はまだやれる」
こんな程度で揺らいでる暇はない。吐き気も十分マシになった。
「大丈夫」
大丈夫。リスクを冒してでも柴関ラーメンに潜入した甲斐はあった。まだまだ序盤も序盤ではあるが、現時点では殆ど原作通りに物語が動いていることが確認できたのもそうだし、先生の人柄もおおよそ掴めた。
ごく僅かな時間でも理解できるほどの善性を備えた彼ならば、きっと生徒たちを救うことができるだろう。
だから、俺がやるべきことはその露払い。先生が斃れれば、おそらくこの世界線はシロコが
そうならないように先生本人に襲い掛かる危機を排除し、そして原作の失敗ルートにも向かわないようにする。
その上で、できるならば原作以上のハッピーエンドを目指す。
そうすれば、多少は俺がキヴォトスに来た意味も生まれるだろうか。
馬鹿馬鹿しい、そんな自己満足は関係ないだろう。
切り替えよう。
柴関ラーメンにはいくつか盗聴器を仕込めた。あの場所はいくつかのイベントの起点になっている上、定期的に対策委員会が訪れる店でもある。
本来なら対策委員会の部室に仕掛けるのが最も良いのだろうが……この場合バレるリスクが高すぎる。そのことを考えれば悪くない選択だろう。
それに、柴関ラーメンは便利屋に爆破される場所でもある。柴さんを含め、ヘイローを持たない住民が巻き込まれれば怪我で済まないかもしれない。原作では無かったからといって油断はできないのだし、対処できるようにしておかねば。
…………本当はあのイベントは阻止しておきたい。死ぬほどお世話になった柴さんを思うならば、絶対に阻止するべきだろう。
だがそれをすれば重要なフラグが複数へし折れることになる。
先生はゲヘナ風紀委員会と繋がりを作れず、対策委員会も土地の権利がアビドス高校ではなくカイザーコーポレーションへ移っていることが把握できず、そもそもアビドス砂漠に作られたPMC基地でカイザーが何かを掘り起こそうとしているという事実を認識できない。
どれが欠けても詰みだ。最後の一つに関しては『始発点』編にまで波及しかねないほど重要なフラグである。
正体不明で、尚且つ正体を明かすことのできない俺が代役をこなすには確実に歪みが出てくる。何せこれらは『ブラックマーケットに所属する、カイザーコーポレーションと敵対している危険人物』というマクガフィンのテクストを大きく逸脱する行為ばかりなのだ。単にカイザーPMCを襲撃するのとは話が変わる。
他に手が無ければ迷わずやるが、こんな序盤ではできればやりたくない。
悲鳴を上げる心を無理矢理ねじ伏せながら、これから先の計画を再確認する。
そんな彼を照らすのは、小さなスタンドライトの冷たく弱々しい光だけであった。
最初期の構想段階では柴関ラーメン爆破事件は防ぐつもりだったのに、考えれば考えるほど阻止できなくなるジレンマ。なんであんな善人が酷い目に遭わななりゃんのりゃ……。
一応いろいろ考えたんですよね。本文でも書いているように、土地の権利ぐらいなら調べればいくらでも出てくるだろうしそれを印刷して届けてみるか……? とか風紀委員会の増援が無くても問題無いぐらい暴れるか……? とか。
ただ、それ全部やっちゃうと今の段階からシャーレにバチボコに警戒されることになるんでこれ以降のストーリへの介入が難しくなりそうなんですよね。というか現時点で既に精神状態ギリギリなアヤト君に更に負荷かけたらヤバいよな、なんならシャーレだけじゃなく他の学園からも探られることになるよな、と考えると流石に無理があるかぁ…………、となりました。無念。
ところで書いてて疑問に思ったんですけど、ビナーの報告書があったっていうアビドス旧校舎とホシノが誘拐されたアビドス本館って一緒だったりします? もしそうならこの世界線では違ったってことで大目に見てください…………m(_ _)m
最後になりましたが、のうこ さん、Mr.kk さん、アルカネイド さん、過負荷よりは大丈夫 さん、マゴヒメ さん、綿本流 さん、ひょろひょろもやし さん、ふくもってぃ さん、多田羅 さん、評価付与ありがとうございます!! 一気に増えててめっちゃびっくりしました(小並感)