【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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独自解釈マシマシ。解釈違いにご注意を。


一番兎は『正義』へ跳ねる

 

「それじゃあ……改めて、順を追って話をします」

 

 垣間見せた狂気の片鱗をまばたきする事で消すと、カシスは再度口を開いた。

 その群青と曙色の瞳には、もう“自分でも何をするか分かりませんから”と語った時の色は残っていない。

 

「まず、サオリさんは知っての通りだとは思いますが、私たちが調印式の日に下された命令は『ベアトリーチェの守護』でした。きっと、あの人が向かってくると分かっていたんでしょうね」

 

 そんな、安心するどころかむしろ不安になるような切り替えをしながら、灰髪の少女は訥々と語った。

 

 普段は立ち入る事すら禁じられているはずの至聖所で、待機を命じられたこと。

 黒ずくめの人物が、訪れたこと。

 圧倒的な暴力に、蹂躙されたこと。

 けれども、その人は決して自分たちを傷つけたりしなかったこと。

 化け物に変化したベアトリーチェが、それでもあの人に敵わず、最後の一手を打ったこと。

 

 そして────死に行くはずだった自分を庇ってあの人が死んで。その亡骸を辱めるように死を確認させられて。

 

 

 その直後に、“子ども達のために”と口にしながらあの人が蘇ったこと。

 

 

 そうして、圧倒的な力で自分たちを救ってくれたこと。

 

「そこからは……サオリさんの方が、詳しいと思います。ベアトリーチェだった怪物はトリニティの方へ逃亡して、そこで討ち取られました」

 

 そう締めくくり、横たわる少女は静かに呼吸を整えた。

 話の終盤、マクガフィンの死と再誕の前後辺りで乱れた息を、心を鎮めようとするかのように。

 

「……一つだけ、質問をしてもよろしいでしょうか。あなたは、マクガフィンさんは亡骸をそのままに蘇ったと仰いました。それはつまり、新しい肉体を得たという事……なんです、よね?」

 

 ここに来て、初めてある少女の口が開かれた。

 問い掛けの形を取りながらも多分に希望が籠められたその質問への答えは、しかし。

 

 頭を振る事による、否定であった。

 

「月雪さん、でしたか。あなたが何を期待しているのかは知りませんが……今のあの人は、生身の肉体を持っていません」

「それは……」

「神秘で編んだ像を、身体として動かしているんです。きっと……肉体を捨てたんだと、思います」

 

 それがどれだけの苦痛だったのか。どれだけの喪失であったのかは、私には想像もできません。

 そう続けられた言葉には、読み取ることもできないほどの、いくつもの感情が籠められていた。

 

「そんな……じゃあ、もう助からないんですか? あなた達を救けたというマクガフィンさんは、もう……何か手は残ってないんですか!?」

「ありません。あの人自身が、それを望んでいませんから。あの場所に埋まっていた亡骸まで失われた今では、更に可能性は無いでしょう」

 

 断言。

 きっぱりと、あるいはすっぱりと。

 

 きっと何度も考えて、その度に同じ結論に至ってきたのだろうと分かる。そんな、諦めの色が強い断言。

 

 しかし、その言葉に含まれていた無視できない内容に、サオリが質問を差し挟む。

 

「ちょっと、待ってくれ。あの場所には……バシリカ跡地には、マクガフィンの遺体が埋まっていたのか?」

「はい。そしてそれが、私たちがあの場所に近寄ることを止めていた理由の半分でもあります」

 

 そうして追加で語られたのは、あの至聖所には何か良くない物と繋がる窓のような物があり、崩落によって壊れたその窓の代わりにマクガフィンの遺骸がソレを押し留めていたという事実。

 それを予想していたのかは定かではないが、彼は死して尚その全てを用いて子ども達を護ってくれていたという、どこまでも哀しい真実であった。

 

「私が預言者と戦っている間に、あの人の遺骸は持ち去られていました。私が意識を失う直前辺りに、あの人は『そのために、色々と準備してきたから』と言いながらバシリカの跡地へと向かっていました。だから、きっとどうにかしてくれたんだと思います」

 

 視線を窓の外に……自身が救われたその場所に向けながら、灰髪の少女はそう締めくくる。

 室内を、鉛のように重い沈黙が満たした。

 

 誰も、何も口にしない。

 口にできない。

 

 窓の外の曇り空が、一同の心情を代わりに告げているようだった。

 

 

────────

 

 “少し気分が良くないので、風を浴びてきます”。

 そう言ってテントから出た月雪ミヤコは、ふらふらとアリウス分校の自治区を歩いていた。

 

 何か、目的があるわけではない。

 気分が良くないのは事実ではあるが、それは風を浴びる事でマシになるような手の物ではない。単に、一人になりたかったがための方便だ。

 

 だから、この散歩とも呼べぬ彷徨に、目的など欠片も無い。

 

「…………」

 

 静かに黙したまま、荒廃した街並みを眺める。

 想像だにしていなかった、光景を。

 

 静かに黙したまま、新たに知った事実を思う。

 想像だにしていなかった、現実を。

 

 少女は、唯々静かに、何も語らずに。

 

「……はぁ」

 

 けれども、ぽつりとその口から溜息が零れる。

 深い、深い、沈み込むような溜息が。

 

(酷い、街並みですね)

 

 酷い、本当に酷い景色だ。

 右を見れば、全体を植物に侵食された家屋が緑の隙間に元の灰色(石材の壁)を覗かせている。

 左を見れば、壁面に穴を開けた建物が黒々と大口を開けてこちらを見返している。

 

 少なくともこの中で暮らしたいとは思えないような、そんな光景。

 “酷い”なんて二文字では、たったの三音では、薄っぺらくてまるで足りない。そんな街並み。

 

 それが、何度見ても変わらない少女の感想であった。

 

 けれども、それ以上に少女の心を揺らしたのは。

 感情を、掻き立てたのは。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()宿()()()()()()だった。

 

 そう。

 ミヤコが目にしたアリウス分校の生徒は、これでもマシになったと語っていたのだ。リーダーがサオリに代わってから、少しずつ……本当に少しずつではあるが、生活に希望が持てるようになったと口にしていたのだ。

 

 それが、どうしようもなく月雪ミヤコという少女の心を揺らがさせた。

 

 

 そもそもの話。

 彼女にとって、アリウス分校の生徒とは『犯罪者』であった。

 

 つまりは、悪であったのだ。

 

 それが彼女の認識であり、彼女の世界におけるアリウス分校の扱いであったワケである。

 

 もちろん、彼女とて“情状酌量”という言葉を知らぬ訳ではない。

 現在アリウス分校の自治区に残っている生徒は、最終的にはエデン条約調印式に纏わる混乱を鎮める側に回ったという事実も、ちゃんと知っている。

 

 けれども。

 それはそれとして、アリウス分校に在籍していた全ての生徒が調印式の襲撃に参加した事には変わりない。

 

 報道のカメラ越しではあれど、確とその目で確認したのだ。

 ならば、彼女たちが犯罪者であるという事実は覆りようが無い。

 

 やむを得ない事情があれど、その後にどんな行動を取っていようと。

 それで判断を鈍らせるようでは、SRTの名を……“いかなる状況においても揺らがない正義”を志す事などできないと、少女はそう思ってさえいた。

 

 そう、思っていたのだ。

 

 なにせ、SRT特殊学園とは『Special Response Team』────特別対応チームの名を冠する、キヴォトスの法執行機関における最高学府であるのだ。

 背景事情などに惑わされず犯罪は犯罪として対応できなければ論外であるという考えは、少なくとも間違いではないだろう。

 

 もちろん、先に述べたように彼女とて“情状酌量”という言葉を知らぬ訳ではない。その意味や意義についても、しっかりと理解している。

 ……少なくとも、彼女自身はそう思っていた。

 

(なんて、それこそお笑いですよね)

 

 こみあげる自嘲に応えてか、その白い頬が歪む。

 この地を訪れて────この、どこまでも生々しいビビッドな(灰青色の)現実を前にして、見えてきた自分は。何も知らない、温室育ちの子どもでしかなかった。

 

 現実を前にした少女は、そう、過去を想うのだ。

 

 

────────

 

 少女にとって、世界とは善と悪とがきれいに分かたれた物であった。

 あるいは、憧れである『正義』が、強く輝く物か。

 

 ともかく、少女にとって正義や善、それに悪といった諸概念はとても重要な物であった。

 なぜならば、彼女は『正義』に憧れたから。

 

 いついかなる時も、そしていつまでも揺らがない。変わらない。

 そんな正義(FOX小隊)に、憧れたのだから。

 

 故に、彼女にとって正義とはとても重要な存在であった。

 それこそ、自身の世界の中心にそれを置くぐらいには。本当に大切で、譲れない存在であったのだ。

 

 けれども。

 その光は……綺羅星のような、その瞬きは。

 

 夜闇に呑み込まれるように、いつの間にか消えてしまっていた。

 

 

 

 始まりは、いつの事だったか。

 振り返ってみれば、きっとそれは随分の昔の事なのだろう。心の中で、少女はそう独り言ちる。

 

 随分と昔。

 SRTの廃校が告げられて、しばらくの事。

 

 憧れであったはずの────正義の象徴であったはずのFOX小隊が、連邦生徒会を襲撃した。

 何故そんなことをしたのかも、そもそも先輩達に何があったのかも、分からない。

 

 当人たちは姿を晦ましたままなのだから、分かりようがなかった。

 

 ただ……手元には、襲撃があったという事実だけが残された。

 SRTの規則を考えるまでも無く、明らかな犯罪である。百人に聞けば百人が揃って答えるような、そんな明確な悪行である。

 

 それを、よりにもよって憧れたるFOX小隊が行った。

 きっとそれを知った時点で、心のどこかが軋みを上げ始めていたのだろう。

 

 改めて、少女はそう自己分析する。

 自身の“正義”が揺らぎ始めたとすれば、きっとその時が最初だと。

 

 もちろん、それは簡単に認識できるような物ではなかった。

 あの先輩達に限って、という信頼もあるのだから、当然の話だ。それこそ、こうして改めて『正義とは何か』という命題に直面しなければ気付けないほどの……容易く目を逸らしてしまえる程度には、小さな軋みであったのだ。

 

 

 次に少女の“正義”が揺らいだのは、それからしばらくの事。

 SRTを離れ、RABBIT小隊だけで作戦を行うようになった最初の頃であった。

 

 つまりは、ブラックマーケットでの一件である。

 

 ホドと呼ばれた白磁の機兵との戦闘において、少女はその場に居合わせた他校の生徒と共闘する事になった。あるいは、他校の組織と。

 名を、便利屋68と美食研究会。

 

 共にその悪名が広まっているような、ゲヘナ学園という高校を象徴するような二つの組織である。

 まあ、とどのつまりは犯罪者だ。

 

 けれども、そんな少女たちは驚くほど意欲的に手を貸してきた。

 ホドという人智を超えた侵略者を撃退し、街を守る……つまりは“正義”に分類される行動を、その“犯罪者”たちは迷いなく選択したのだ。

 

 もちろん、そこには打算があったのだろう。

 彼女たちにとってブラックマーケットがどれだけ重要なのかは知らないが、一般的な生徒よりかは遥かにブラックマーケットに縁があるのだから。

 

 そもそも、守ろうとしたブラックマーケットは犯罪者の巣窟である。

 

 だから、これも()()()()()()範囲であった。

 理由を付けてしまえるような────

 

 ────あるいは、“アレは本当に善行であったのだろうか”と疑問を抱けるような。そんなレベルであったのだ。

 

 けれども、その次は。

 あるいは少女の“正義”が完全に揺らいでしまった、決定的な引き金は。

 

 現在の時間軸となるアリウス分校は、その範囲を逸脱していた。

 

 

 

 

 

 先に述べたように、少女にとって、アリウス分校とは悪に分類される存在であった。

 情状酌量の余地があろうと、エデン条約調印式の襲撃という大犯罪を犯した時点でそれは間違いない。

 

 それが、アリウス分校の自治区を訪れるまでの少女の認識であったのだ。

 だが、実際に見てみてどうだろうか。

 

 この酷い環境を強制されて、更には生殺与奪の権まで握られて。

 その圧政を敷く独裁者に命令されたとして、逆らえずに罪を犯す事は“悪”なのだろうか。

 

 それを裁く事は、はたして“正義”なのだろうか。

 

 もちろん、規則の話をするのであれば……法律の話をするのであれば、アリウス分校は悪で、それを裁く行為は正義なのだろう。

 だが規則がそうであったとして、それに唯々諾々と従う事は本当に“善い事”なのか?

 

 それを自信を持って肯定する事など、アリウス自治区を見た後の少女にはできなかった。

 できるわけがなかった。

 

 そこに加えての、マクガフィンの真実である。

 

 各地で指名手配されている彼は、世間的に言えば単なる犯罪者だ。

 けれども、彼は実際には子どものために行動しており、更にはその身を挺して子どもを死から救ったと言うではないか。

 

 それに、事実として少女自身もバシリカ跡地という危険地帯に────かつて、そこを拠点にしよう近付いたアリウス過激派の生徒が軒並み発狂しかけたという、超級の危険地帯に近寄ることを止められたのだ。

 その際の言動はまるで信頼に値しないような物ではあったが、少なくとも少女がマクガフィンに助けられたという事実は揺らがない。

 

 相手にどんな思惑があったのかも、そもそも何を行っていたのかも分からないが。

 少なくとも、手元に残されたその事実は揺らぎようがない物なのだ。

 

 各地で大犯罪を繰り返してきた指名手配犯が、自分たちを危険から遠ざけたという事実は。

 

 “悪”に分類されるであろう存在が、“善”に分類される行動を取ったという、その事実は。

 

 

 純然と、一切の揺らぎなくそこにあって。

 だから、彼女の“正義”は揺らいでしまったのだ。

 

 

────────

 

 想起は終わり、しかし出口のない思考は終わらない。

 ぐるぐると、るらるらと、とめどなく思考は巡る。

 

 正義とは、何なのか。

 悪とは、何なのか。

 

 いつまでも変わらない正義とは……あの日、自身が夢見たヒカリとは何だったのか。

 

 思考は巡る。

 出口(答え)はどこにも無く、ひたすらに振り出しへと戻り続けながら。

 

 いっそ考えるのを止められたら楽なのに、なんて思っても。

 武器のように何も考えず、ただ命令を実行するだけでいられたら楽なのに、なんて思っても。

 

 思考は、巡る。

 巡り巡る。

 

 ふと、その中で。

 

(足音……?)

 

 誰かが近付いてくる、気配がした。

 

 

 

「やあ、久しぶり……ってわけでも、ないか」

 

 投げかけられた最初の言葉は、そんな挨拶とも呼べぬ物だった。

 詳しくは分からないが、少なくとも安物では無いと分かるスーツ。その上に羽織られた連邦生徒会製の外套は、段々と色濃くなってきた夜闇にも負けない白い色。

 

 これまで何度も見てきた先生が、そこに立っていた。

 おそらく、預言者が現れたという事でアリウスにまでやって来たのだろう。

 

「私に……何か、ご用でしょうか」

 

 周囲には誰もいないような、アリウス自治区の中でも酷く荒廃した辺り。それが、私の座り込んでいた場所だ。

 だから……こうして現れたという事は、何か用があるのだろうというという予想の下の問いは、しかし思っていたよりも刺々しい調子になってしまった。

 

 内心が、声に乗ってしまったのだろうか。

 

「いや、そうじゃなくてね。実は、色々と考えながら歩いていたら、気付いたらこんな辺りにまで来ちゃってて。それで、ミヤコを見つけたから」

「……先生も、そうだったんですね」

「って事は、ミヤコも?」

 

 毒気を抜かれる調子に、コクリと首肯を返しながら応じる。

 この様子からして、もしかしたらこの大人もマクガフィンについて話を聞いたのかもしれない。

 

「……私は、正義に…………テレビの画面越しに見た先輩たちの姿に憧れて、SRTへ入学しました」

 

 そんな事を思って、気付けば声が漏れていた。

 何故かは分からない。気の迷いかもしれないし、あるいはこの悩みに対する答えが欲しかったのやもしれない。

 同族意識、というやつかもしれない。

 

 けれども、不思議と言葉は止まらなかった。

 

「それぐらい、あの時の先輩たちは眩しかったんです」

 

 過酷な状況にも決して折れない、強い信念と厳格な規律に。

 どんな悪人をも一撃で制圧できる、圧倒的な力に。

 悍ましい敵の前でも揺るがない、大胆な勇気に。

 

 そして何よりも────いつまでも変わらない、正義に。

 

「その眩しいまでに鮮烈な輝きに憧れて、私はSRTになりました」

 

 あの日の光景は……テレビに映されたFOX小隊の姿は、今でもありありと思い出せる。

 あの日の、あの情景こそが私の原点だから。

 

 でも。

 

「でも……正義とは、何なのでしょうか。あの日の輝きは、嘘だったのでしょうか」

 

 あの日、自分が何に光を見出したのか。

 何を眩しく思ったのかは、まるで思い出せなくなっていた。

 

「いつから、だったのでしょうか。思い出せなくなったのは」

 

 正義とは、理にかなった正しい道理のこと。

 あの日の先輩の言葉が、リフレインする。

 

 でも、それが分からない。

 正しいとは何なのか。何をもって、正しい事は『正しく』なるのか。

 

「正義とは、いったい何をもって正義となるのでしょうか」

 

 独り言とも、質問とも取れる言葉。

 吐き出し切ったソレを攫っていくように、冷たい風が吹き抜けた。

 

 光も熱も、何もかもを奪っていってしまいそうな、そんな冷たい風だった。

 

 ザワ、と家屋を覆った植物が揺れ、カラカラと小さな石ころがそこから滑り落ちる。

 そんな些細な音だけが周囲を満たして……数秒ほどの沈黙の後、先生は口を開いた。

 

「それは……とても、難しい問題だ。とても……それこそ、大人でも簡単に答えを出せないほどに」

 

 風はまだ強く、耳元を轟々と鳴らしている。

 けれども、その静かな声は不思議とよく聞こえた。

 

 凛とした声、とでも言うのだろうか。自然と聞き入るようにしながら、ぼんやりと思う。

 

「私も、たまに考えるんだ。特に、最近は。正しい事って、何なのかなって。私の行動は、正しかったのかな、って」

「…………」

 

 これまで見てきたどの表情とも違う、抱えた悔恨を思わせる静かな表情。

 どこか弱々しくも感じられる、そんな表情。

 

 隣に並ぶように座った先生の顔を見ながら、何となく意外だと思って、理解した。

 この大人も、自分と変わりない人間なのだと。

 

 きっと、普段ならこの人は前向きな言葉を語ったのだろう。自分とは違う……自分では考え付かないような、“大人”としての言葉を。

 けれども、それは決して自分のように悩まないわけでも、ましてや一切の弱さを持っていないなんて事を指すわけでもないのだ。

 

 この人も同じ人間で、同じように弱さを抱えて、悩んでいるのだ。

 

「もちろん、私は私の思う最善を選んできたって自信はある。……でも、もしかしたら別の方法もあったのかもって思ってしまうんだ。もしかしたら、どこかにもっと良い……みんなが笑い合えるような選択肢が、あったんじゃないかって」

 

 そして、だからこそ。

 

「何が正しかったのかなんて、結局のところ一つしか選べない私たちに分かる事じゃない。もしかしたら、これは悩むべき事じゃないのかもしれない。とても辛くて、苦しい事だしね」

 

 だからこそ────その芯の強さは、際立つのだ。

 

「でも……ううん、だからこそ」

 

 そこで言葉を切って、先生は立ち上がった。

 

「だからこそ、それから目を逸らすべきじゃないんだと……『正しさ』を考える事から逃げ出すべきじゃないんだと、私は思うんだ」

 

 見えなくなった顔の代わりに、視界の端で外套の白い裾が揺れる。

 けれども、その奥の両足は、欠片も揺れていなかった。

 

「何が正しかったのか。何が正しいのか。正義とは何なのか。それを考え続ける事は……うん、きっと宿題なんだ。人生の、宿題」

「人生の……宿題…………」

「うん。答えがあるのか、もしあるとしてその答えに辿り着けるのか。それは分からない……きっと辛くて苦しい道のりになるんだろうって事しか、分からないけれど。でも、目を逸らすべきじゃないんだ」

 

 顔を、上げてみる。

 外套の裾を辿って、その顔まで。

 

 視線を、見上げるように。

 

「……っ」

「きっと、不可能は無い。どんな事にだって、可能性は残っている。だから、私はそれを考え続けるんだ。何が善い事なのか、何を選べばいいのか。それを考えて選択する事こそが、私のするべき事だから」

 

 思わず、息を呑む。

 呑んでしまう。

 

 だって、そこには……見上げた先には、普段の先生の表情なんて無かったから。

 余裕を思わせる笑顔でも、あるいは指揮を執る際の真剣な表情でもなく。そこにあったのは、必死に自分に言い聞かせるような、ギリギリの顔だったから。

 

「……それに、手がかりが何も無いわけじゃない。たとえば、道に迷った人を案内してあげるだとか。老人に席を譲ってあげるだとか。死を受け入れてしまった子に、それ以外の道を教えてあげるだとか。それはきっと、少なくとも『悪い事』ではないはずなんだ」

 

 けれども、()()()()()()()()()

 ギリギリでも、自分で自分に言い聞かせるようでも、まだ折れてはいない。

 

 その芯は、まだ真っ直ぐに残っている。

 

「何事にも一律に当てはめられる正しさは無くても……その時、その場所、その状況に応じて正しさが変わるのだとしても。それでも、私は諦めない。諦めたくない」

 

(……眩しい、人)

 

 自然と、そんな事を思う。

 

 あの日に出会った憧れに、勝るとも劣らない光。それを前にして、少し目を細める。

 “諦めたくない”と口にしているように、それがどれだけ困難かは理解してるのだろう。それでも、この大人は立つのだ。

 

 考える事を止めないのだ。

 

(なら……私は、どうなのでしょう)

 

 振り返ってみる。

 考えてみる。

 

 何が正しいのか。何が正義で、何が悪なのか。

 先生に倣って、もう一度。

 

 アリウス分校は、罪を犯した。

 それは揺るぎようの無い事実だ。

 

 ならば、アリウス分校は悪なのか。

 

(違う。そんなわけがない)

 

 少なくとも、今もここに残って明日に希望を託しているあの人達は。救いの手を与えられず、自分自身の足で立ち上がることを決めた、あの人達は。

 悪ではないはず……いや、悪であるわけが無い。

 

 この環境を前にして……アリウス分校の現実を見て、それでも彼女たちが悪いと言うのなら、きっと、それこそが悪だ。

 

 

 マクガフィンは、罪を犯した。

 いくつもの自治区で、指名手配を受けるほどの罪をいくつも。

 

 ならば、彼は悪なのか。

 子どものために戦っていると救われた子どもに言われ、事実として子どものために命を落とした彼は。“悪”であるのか。

 

(これも、違う)

 

 たしかに、彼は“正義”として語られる人物ではないのかもしれない。

 その奥に崇高な理念があろうと、犯罪という手段を取った事は褒められる事ではない。

 

 それでも、誰かのために戦う人物が……誰かのために命を懸けられる人が、悪であるはずが無い。

 悪として蔑まれていいわけがない。

 

 だって、その動機はきっと間違っていない筈なんだから。

 その始まりが、誤っている筈がないんだから。

 

 

 アリウス分校を、そしてマクガフィンを……彼ら彼女らを一面的な正義で裁く事は、きっと本当の『正義』ではない。

 

 では、何が悪なのか。

 何が誤っているのか。

 

 それは、きっと。

 

 

(この……社会だ)

 

 

 そんな環境が生まれてしまう……こんな人達が、生まれてしまう。

 そんな社会が、世界こそが誤っているのだ。

 

 だから────私が真に倒すべき悪は、きっとそれだ。

 

「……それは、とても苦しい答えだ。それを為すのは、きっと何よりも苦難に満ちた茨の道になるよ?」

 

 考えてみて、自然と答えは出た。

 今なら自信を持って言える。これが、私の答えだ。

 

 だから、答える。

 “それでも、君は世界が間違ってると言うのかい?”という問いに、強く。

 

「ええ。きっとこれは、青い理想だと思います。子どもの尺度でしか見えていない、実現なんて夢物語な。そんな、答えだと思います」

 

 一度そこで言葉を切って、立ち上がる。

 先生に並ぶように、全身から力を引っ張り出して。

 

「それでも────それでも、これが私の答えです。誰かが罪を犯す事を強いられる環境が生まれる、何の報いも得られずに死んでしまう人が生まれる、そんな世界は間違っている。そんな物が、正しい訳がない」

 

 先生の語るように、きっとこれは苦難に満ちた“正義”なのだろう。

 

 成果なんて全然見えない、誰にも認められず、口に出される事もない“正義”なのかもしれない。

 ともすれば、価値のない物だと、意味のない徒労だと言われてしまうような。

 

 自分でだって、これがどれだけ無謀な試みなのかは分かる。

 それでも。

 

「それでもっ!! 私は、この景色は間違っていると思ったんです! この景色が正しいわけがないって! そう思ったんです!!」

 

 肺の中の息を全て吐き出すように、思いっきり叫ぶ。

 みっともない声で……掠れて裏返って、空回りした声で。それでも。

 

 世界に、自分を刻み込もうとするように叫ぶ。

 

「青臭い夢だって分かってます! 子どもじみた理想だとも! それでも、これを『仕方ない』なんて諦めて、形だけの規則に従った“正義”になんて私はなりたくない!!」

 

 あの日の輝きを思い出す。

 取り戻す。

 

 眩しかった先輩たちが、何を誇りに思っていたのかを。

 あの日に夢見た、どこまでも純粋な憧れを。

 

 正義の、光を。

 

「これが私の────月雪ミヤコの、答えですっ!!!」

 

 後は、踏み出すだけ。

 再び立ち昇った……再生を終えた光の柱に照らされながら、睨み付けるように瞳に力を入れながら。

 

「先生、力を貸してくださいますね?」

 

 跳ねるように、私は一歩を踏み出した。

 

 

 




 個人的に、初期のミヤコって正義やSRTに対する漠然とした憧れはあるけど、具体的な『正義とは何なのか』や『SRTとはどう在るべきなのか』みたいな踏み込んだ所までは目を向けられていないと思うんですよね。
 まあ、高校一年生の少女ですし。というわけで、拙作では強火の現実が襲い掛かった結果原作とは少し違った答えをミヤコは出した形となりました。


最後になりましたが、かーずん さん、評価付与ありがとうございました!
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