【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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 ちょいと試験的に、新しい書き方で書いてみました。
 多分もうやりません()


幕間:大人のお話

 

 さてさて、どうもどうも。

 初めまして……ではありませんし、二度目まして、でもありませんし…………。まあ、ここは無難に『こんにちは』とでも挨拶をしておきましょうか。

 

 さて、今日は私の話をさせていただくという事で。わざわざ時間を取っていただき、恐悦至極で……え? そんな前置きはいいから早く本題に入れ?

 …………せっかちですねぇ。

 

 おっと失礼。

 分かりましたから、そう剣呑な気配を出さないでいただけますと。私なんて肝も懐も小さいんですから、そんな風に凄まれますと、恐ろしくて恐ろしくて。

 

 …………とまあ、おふざけもこの辺りで収めましょうか。

 時間が余って余って仕方が無い、なんてワケでもないですしね。

 

 

 それでは改めまして。

 私の昔話を、始めさせてもらいましょう。

 

 くだらない大人の、つまらない昔話を。

 

 

 

 私が元々住んでいた場所は、キヴォトスでも一際栄えた自治区でした。

 いえ……一際と言うか、もはやキヴォトスで最も大きな自治区だったんじゃないですかね。今では、まるで想像もできないかもしれませんが。

 

 ええ。本当に、あの頃は栄えていたんですよ。嘘みたいでしょう?

 

 環境自体は中々に過酷な場所でしたが……だからこそ、とでも言いましょうか。

 自然の美しさや、それに、人々の営みの力強さをとてもよく感じられる場所でした。まあ、それは今も変わらないかもしれませんが。

 

 

 まあ、とにかく。

 そんな自治区のとある街で、私は一つ、企業を率いていたんです。意外かもしれませんが、これでも昔は私も社長だったんで……え? 別に意外ではない? むしろ率先して人を扇動して動かしていそう?

 

 …………そうですか。

 なんというか、悪評の成分が多いような気もしますが……いいでしょう。話を戻しましょう。

 

 それで……ええと、そう。

 私は、とある企業の社長だったんです。まあ、別段、大企業だったわけではないのですが。

 

 社員も、そこまで多くは無かったですし。何よりも、身内が寄り集まっていつの間にかできていたような企業でしたから。

 表現としては、それこそ中小企業と呼ぶのが的確だったでしょう。

 

 とはいえ、それでも技術力には自信がありました。

 私自身もそうですが、集まったメンバーが誰も彼もバカみたいな連中ばっかりでして。深夜のノリで既存の理論を裏切る新技術を考案したり、あるいはシステムを構築したり、なんて事も何度かあったぐらいでしたからね。

 

 実際、会社はその自治区の学校の校舎からはかなり距離があったんですが……それでもと、生徒さんから装備の依頼を受ける事も珍しくありませんでしたし。

 

 更に言えば────その自治区でも最大手と呼べる企業さんとも、何度か共同のプロジェクトを行ったりしましたしね。

 例えば、都市開発の一環としての大規模送電施設の設計・建設ですとか……それに、初期の頃ではありますが、鉄道開発事業にも携わっていたんですよ?

 

 まあ、知名度はそこそこあったんじゃないですかね。

 

 本当に、懐かしい話です。

 元々は地元の何でも屋、技術屋みたいな風になあなあで始まったというのに、そこまで成長したんですから。

 

 よく……本当によく、ここまで来れたよなぁ、なんて仲間内で話したのも、数えきれないぐらいで。

 

 あぁ、本当に。本当に、懐かしい。楽しかったなぁ……。

 

 

 おっと、失礼。どうしても、この話をすると感傷的になってしまうんです。

 陰気よりか、軽々しいぐらいの調子な方がいいっていう事で、普段はなるべく気を付けているんですがね。

 

 ……え? どうして、さっきから話す内容が全て過去形になっているのかって?

 

 目敏いですね。

 

 

 ええ。察していらっしゃるかと……いえ、そもそも最初の時点で分かっていらっしゃったかと思いますが。まあ、私が話した内容が全てです。

 

 何もかもが歴史の波に飲まれた────いえ、歴史の流れで風化した。

 そんな、泡沫のような過去のお話です。

 

 その場所が栄えていたのも。

 私と仲間たちが仕事をしていたのも。

 

 私が、そこで過ごしていたのも。

 

 全て、一から十までの何もかもが、過去の事なのです。

 

 

 ……今でも。目を閉じれば、簡単に思い出せます。

 

 月も翳った真夜中だというのに、橙の炎がそこかしこを赫々と……それこそ、まるで真昼のように照らしていました。

 崩れた家屋の隙間からは、かつての隣人だったモノが零れ出ていて。

 怒号のように飛び交う声と、言葉も忘れて泣き喚く誰かの叫びが、嫌に鮮やかに響いていました。

 

 そして。そんな地獄の中を、悠々と見下ろすかのように。

 地を舐める橙にも、灰と煙の黒にも染まらずに、真っ白なままにあの化け物は私たちを睥睨していました。

 

 ただひたすらに無慈悲に。無機質に。無関心に。

 何もかもを平等に、無用として灼き滅ぼして。

 

 白磁の大蛇は、まるで天上から下界を見下ろすみたく眺めていました。

 

 ええ。たった一夜にして、私たちが住んでいた街は……私たちの世界は、消え去りました。

 どこまでもあっけなく。幼子が、いらなくなった玩具を放り捨てるように。

 

 全ては、何の感情も見せない、何の熱も持たない灰となって砂に埋もれたのです。

 

 ならばなぜ私は生き残っているのか、と言いたげな顔ですね。

 いえ、謝罪は結構。その疑問はもっともですから。

 

 とはいえ、そこに劇的な理由はありません。

 運命だとか、奇跡だとか、そういった物語のような何かはありません。

 

 言ってしまえば、仲間たちの……あのバカたちの献身と、ほんの僅かな運です。少しでも何かがズレていたら、私はここに居なかったでしょう。

 はい。私は仲間に庇われ、無理矢理外に放り出され、そして砂に潜って隠れただけです。私自身にできたことなど、何一つとして存在しない。

 

 惨めに、無様に、どこまでも醜悪に。

 地を這いつくばって一人だけ生き延びたのが、私です。

 

 

 

 そこからは、簡単でしたね。

 なにせ、何もかもを失ったんですから。金だとか土地だとか、そういった即物的なアレコレだけでなく、当時の私の全てと言っても過言でなかった仲間たちまで。

 

 何もかもが無くなった────命だけを拾った無様な抜け殻に、できる事など一つも無い。

 

 きっとやろうと思えば、自治区の別の街にでも拠点を移して活動する事も、不可能ではなかったのでしょう。あるいは、別の企業に身を寄せるだとか。

 何かしらの方法で残る事はできたのだろうとは、思います。しかし、私にはそんな意欲さえ残っていなかった。

 

 最低限、仲間に庇われた分は生きなければ、なんて義務感はありましたが。言ってしまえば、それだけです。プラス方向の何かなど、一つとして存在しない。

 私には、生きるために必要な熱の一切が欠如していたのです。

 

 故に……何もかもに価値を見出せず、ブラックマーケットにふらりと入って。落ちて、堕ちて、零落れました。

 

 ただ憎悪に身を焦がれ、無力感に苛まれ、さりとて何を為すわけでもなく。

 日々を無為に、無価値に浪費する。

 

 どうやら、私は貴方達から過分な評価を受けているようですが。あの頃の私は、他の大人と何も変わりませんでした。

 他者を顧みず、求めるとすれば自らの利益のみ。

 

 きっと私は……もし、あのまま進んでいたのなら。より強大な誰かに蹴落とされて消されていたか、あるいは無理な復讐を試みて盛大な自殺をしていた事でしょう。

 

 それぐらい、あの頃の私は零落れていたのです。

 

 ええ。ですから、私はあの頃に一度死んだのです。

 少なくとも、仲間たちと居た頃の名は名乗りたくありません。……いえ。必要に差し迫られでもしない限り、私はかつての名は使いません。使う面目が無いのです。

 

 おっと、また話が逸れてしまいましたね。

 どうにも、歳を取るとこうなってしまうようで。

 

 失礼しました。

 

 

 

 さて、話を戻しましょうか。

 確か、私が零落れていた頃の話でしたね。

 

 何度も言っていますが、あの頃は酷いものでした。

 犯罪行為など当たり前、時には誰かの人生を大きく狂わせた事もありました。何らかの形で落とし前は付けさせていただきましたが……まあ、言い訳にもなりません。

 

 私には恨まれるだけの理由がありますし、それで攻撃されても文句は言えません。その頃に繋いだコネのお陰で今の立場があると思うと……中々に皮肉な事ですが。

 

 ともかく。そんな風に、かつての日々など見る影もないほどに成り下がって。誰かを幸福にするどころか、誰かを不幸にばかりしながら。

 しかし私は、そのかつての日々に……『黄金色の日々』に縋りついていました。

 

 まったくもって、どこまで零落れたら気が済むのかという話ですが。

 

 まあ、端的に換言するのであれば。

 あるいは、具体的に言うのであれば。

 

 私は、暇さえあればかつて街があった辺りに出向いて、仲間たちとの日々を穢すような追憶に浸っていたんです。

 本当に、思い出すだけでも腹立たしいぐらいですけどね。当時の私は、そんな底辺にまで堕ちていたのです。

 

 

 そんな、ある日の事でした。

 私が再び立ちあがるきっかけが────信念を蘇らせる出来事が、あったのは。

 

 

 その日は……失礼、その日“も”。私はいつものように砂漠にまで出向いて、過去を冒涜する自慰めいた追憶をしていました。

 そんないつも通りの行為をして、昼過ぎ辺りだったと思います。一度ブラックマーケットにまで戻ろうかと、私は帰路に就いたんです。

 

 その道すがらですね。突如として、何か、大規模な戦闘音のような物が聞こえてきました。

 

 不審でしたね。

 最初に言いました通り、その場所が栄えていたのは昔の事です。少なくとも、その付近の街など一つも残っていませんでした。

 

 その上、私が居た辺りは特に衰退が酷かった辺りで……まあ、砂嵐によって何もかもが埋もれた辺りだった訳です。

 

 当然ながら、怪しさを感じますよね。

 

 

 そうして向かった先に、あの人は……()は、居ました。

 

 

 戦闘音の源は、かつてその自治区の学校が校舎を構えていた辺りでした。

 まず最初に見えたのが、私から全てを奪った白い大蛇です。

 

 ええ。最初は、仄暗い歓びを感じましたね。なにせ、アイツはこれまでどれだけ探っても発見できなかったんですから。

 ようやく仇敵の姿を捉えられたとなれば、その感情も一入でした。

 

 ですが、すぐに話は変わる事となりました。

 何故だと思います?

 

 ……分からない? まあ、そうでしょうね。

 というか、もし言い当てられてたら引いてましたし。当てられなくもないんでしょうが。

 

 それでは、解答発表という事で。小さな青年が、あの大蛇と戦っていたのです。

 それも、当時のあの高校の生徒会長を庇いながら。

 

 

 ……眩しかったですね。本当に、眩しかった。

 何も為せず、惨めに逃げ延びて零落れた私にとっては。あの時の彼の姿は……誰かを護りながらあの白磁の大蛇に立ち向かう姿は、まるで太陽のようでした。

 

 砂色の地平線から昇る、どこまでも眩しくて綺麗な。

 全てを優しく照らし上げて、新しい朝を告げるような。

 

 そんな、太陽のようだったんです。彼は。

 

 その姿に、その光景に私はしばらく見惚れていました。

 けれども、気を取り直したんです。早く、誰か増援を呼ぶべきだ、と。

 

 一人で奴に勝てるわけがないと思ったのと、彼に触発されて何か行動したくなったからです。

 その結果は……まあ、最低最悪な悲劇を生んだのですが。

 

 

 話を、進めましょう。

 そうして誰か、増援になってくれそうな生徒さんを探した私でしたが。運が良かったんでしょうかね。

 

 あるいは、運が悪かったのか。

 

 10分も経たない内に、当時の生徒会副会長を見つける事ができたのです。ええ、貴女です。

 当時は、まさに天啓だと思いましたね。

 

 そんなわけで、私は必死に話しました。

 砂に埋もれた旧校舎の辺りで、事件が起きている事。生徒会長が危険な事。それと、誰かは知らないが、現場にはもう一人だけいて、その人も危険な事。すぐにでも援軍が必要な事。

 

 焦りだけが先行して、要領の得ない拙い説明でしたね。

 後から思えば、もう少し伝え方があっただろう、と。それだけは、今尚褪せない後悔です。

 

 ともかく、それでも非常事態だというのは伝わったようで、彼女は凄まじい勢いで駆け出しました。

 報告者────つまりは私ですね。それに土地勘があったために、説明だけで現場までの案内が不要になったのも大きかったのでしょう。

 

 絶対に付いていけないような、本当に凄まじい速さでした。

 

 そんな訳で私は一人置いてかれてしまい……そして、私が再度現場に戻った時には全てが終わった後でした。

 生徒会長は血を吐いて倒れていて、あの人は背を向けて逃げるように走っていて、副会長はソレを憎悪を籠めた眼で見つめていました。

 

 詳細は分かりませんが、おおよそ全てが最悪な形で終わったのだと……何をするにも手遅れになってしまったのだと。そう理解するには、十分すぎる光景でしたね。

 全て、私の行動のせいで。

 

 私の選択のせいで、何もかもが台無しになったのです。

 

 その時に、私は決めたんです。

 こちらにも気付かない様子で副会長が生徒会長を背負って駆け出して、その結果、たった一人砂漠に取り残されたあの瞬間に。

 

 希望を見せてくれたお礼として、そして、せめてもの罪滅ぼしとして、最大限彼の助けになろうと。

 全てを捧げる覚悟で、彼の道を応援しよう、と。

 

 ですが、私は彼が命を捨てるのを肯定できるほど狂信しているわけではありません。

 そもそも、大人よりも先に子どもが死ぬだなんて、あってはいけないでしょう?

 

 

 ────それでは、改めて自己紹介をさせていただきましょう。

 

 

 私の名は『繋ぎ手(connecter)』。

 ブラックマーケットと外とを繋げる窓口であり、恥知らずにも彼を、アヤトさんをこの世に繋ぎ止めようと足掻く、下らない大人です。

 

 そして、改めてお願いします。

 どうか。どうか、彼を止めてあげてください。

 

 私では、できませんでした。もう私には不可能なんです。

 

 彼の芯にまで踏み込むことができなかった、彼の負荷にならないように緩く縁を繋ぐ事しかできなかった、私には。

 もう、手遅れなんです。

 

 だから、お願いします。

 自分だけを頼みとし、自分を食い潰すように────自分を燃やすように進む彼を、どうか止めてください。

 

 生徒の中でも特に意識されていた貴女なら、生徒でない大人の中で唯一特別視されていた貴方なら、きっとまだ可能性があるはずなんです。

 

 そのためなら、私の全てを捧げましょう。

 金も、地位も、技術も、何もかもを差し出します。

 

 ですので、どうか。

 どうか、お願いします。

 

 小鳥遊ホシノさん。そして、先生。

 あの人を、人のまま止めてください。成り果てて、果てにまで至ってしまう前に。どうか、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 というわけでようやくのネタバラシ回となりました。

 繋ぎ手君はこんな事があったからアヤト君にご執心だったんですね。まあここまでの事があってそうならないワケがないとも言いますが。

 ちなみに、以前どこかで語った気もしますが、原作時空における彼は本人の読み通り無茶な復讐をビナーに試みて死亡しています。だから、アヤト君に脳を焼いてもらう必要が、あったんですね()

 

 なんて冗句はさておき、いよいよ回収する内容も粗方回収できたので、そろそろ拙作は最終編へと突入いたします……のですが、来週から一旦更新ペースは週一に戻させてもらいます。

 途中から毎日更新をする予定ですので、その準備のためですね。どうかご理解を。

 

 ではでは〜。

 

 

 

 

 

 

 


 

「お、勘定かい?」

 

 席を立ったシロクマの獣人に、右目に傷を付けた犬の獣人が声をかける。

 

 かつて店舗を構えていた頃よりはかなりこじんまりとはしてしまったが、こうしてお客さんとの距離が近くなったのは悪くない────なんて事を思いながら、店主である犬の獣人は朗らかに勘定を行う。

 

「えーっと、煮卵トッピングの醬油ラーメンに半チャーハンだから……950円だな」

 

 そう告げつつ、不意に彼の胸中には疑問が過ぎった。

 

(……なんか、引っかかるんだよなぁ。いったい何だ?)

 

 それは、例えるなら喉に小骨が刺さった程度の疑問であった。

 少しだけ首を傾げる何かはあるものの、おそらく数分もすればそれも薄れていくだろう。

 

 しかし彼にとって幸福であったのは────あるいは不幸であったのは、その疑問の淵源に辿り着いてしまった事であった。

 

(ああ、そうか。アヤト君とほぼ同じ食べ合わせだったのか)

 

 二年と少しの時が経とうと色褪せない、摩耗しない記憶。

 ほんの少しの間の同居生活であったというのに、存外、自分はあの生活を気に入っていたらしい。そんな感傷が、自然と彼の胸中に浮かび上がる。

 

(そういや、このお客さん、食べ方もほとんど同じだったな)

 

 彼の特徴的であったのは、セットで付けたチャーハンの食べ方だった。数口に一度、彼は味変として醬油ラーメンのスープと合わせてチャーハンを食べていたのだ。

 元の時点で十分に味は付いているはずだし、正直そこまでしたら味が濃すぎるんじゃ……なんて思った事もあったが。あの青年はそれをとても美味しそうに食べるものだから、彼は毎度肩を軽く竦めながらそれを眺めていたのだ。

 

 まあ、チャーハンもベースの味付けに醤油は使っているし、そこまで相性が悪い訳でもないというのもあったが。

 

(懐かしいねぇ……)

 

「大将? あの、お代…………」

「あ、ああ! 済まねえな。あいよ、950円ちょうど。まいど!」

 

 不意に襲ってきた過去の記憶に頬を緩めながら、差し出された代金を受け取る。

 しかし、そんな内心がバレたのだろうか。客は立ち去らず、一つ質問をした。

 

「大将? どうかしたんですか?」

「ああ、いや……少しだけ、懐かしいもんを思い出してな」

 

 他の客が一人もおらず、更には今は普段バイトをしている少女もいない……つまりこの場は完全に二人きりだったというのも大きかったのだろう。

 あるいは、それだけ自分の様子が露骨だったのだろうか。

 

 なんて思いながら、彼は続きを語る。

 

「お客さん、初めて見る顔だから知らないかもしれねえが……実は、今は屋台でやってるけど、ウチは昔店舗を持っててな。そんで、住み込みのバイトが一人いたんだ」

「……っ。へぇ、どんな奴だったんですか?」

「いい子だったよ。本当に」

 

 本当に、いい子だった。

 いつも元気で、笑顔で、見ず知らずの大人をすぐに信じるぐらいに純粋で。何か事情はあったようだが、それでも十分過ぎるぐらいにいい子だった。

 

 今でも目を閉じればその笑顔が思い出せるし、その耳には自身の名を呼ぶ声が残っていた。

 

「でも、今はいないみたいですが……そんなにいい子だったんです?」

「まあ、そうさな。客観的に見れば、恩を踏み倒して姿を晦まされたような別れではあった。でもまあ、俺はあの子が悪い子だったとはどうしても思えねえんだ。だから、きっと何か“やむにやまれぬ事情”ってのがあったんだよ」

 

 軽く眼を閉じ、肩を竦めながら彼は口角を上げる。

 その様子からは、信頼の色がありありと覗いていた。

 

 しかし、そんな風に気障っぽく見せたのが良くなかったのだろうか。瞼の暗闇の奥から、彼は思いもよらぬ声を聞く。

 

 

「…………ありがとうございます、柴さん。このキヴォトスで最初に貴方に会えたことは、俺にとって間違いなく幸福な事でした。そして、最後まで何も話さずに行くような不幸者でごめんなさい」

「アヤト君っ!?」

 

 

 驚いたようにその目が見開かれ、さっきまでただの客として立っていたはずの人物の姿を映す。

 はたして、そこには。

 

 見慣れない衣服に袖を通しながらも、間違いなく件の青年と同一人物だと分かる男が立っていた。

 

「貴方がまだ俺の事を覚えていてくれて……信じてくれていて、嬉しかったです」

「アヤト君なのかい? これまでいったい…………いや、それより」

「ラーメン、相変わらずめっちゃ美味しかったです。これで、一つ未練も無くせました」

 

 驚愕に焦る言葉を遮るみたく語ると、青年は深く頭を下げ、そして急いだように踵を返す。

 

「柴さん。本当にごめんなさい。そして、ありがとうございました」

 

 転瞬、瞼を突き刺すがごとき光が周囲を覆い────次の瞬間には、黒ずくめの影は消え去っていた。

 まるで幻のように、一切の痕跡を残さずに。

 

 ただ一つ残された証拠は、950円のお代のみ。

 

「アヤト君……君は、いったい」

 

 見上げる空は、どこまでも青く澄んでいた。

 

 




最後になりましたが、季節風 さん、評価付与ありがとうございました!
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