【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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変わる筋書き、変わらぬマイルストーン

 

 D.U.郊外、乾いた渓谷沿いのとある施設にて。

 向かい合うように立つ複数の人影が、言葉を交わす。

 

「いやぁ、助かったよ。これ以上の説得材料は今持ち合わせてなかったからな」

「……それで、私たちは何をすればいいんだ?」

 

 変わらず飄々とした調子を保ちながらも、どこかほっとしたように語る青年。そんな彼に、改めて七度ユキノは問いかけていた。

 

 

 

 

 

 結局、少女たちは彼から伝えられた『大人の企み』に乗ることにした。

 現実を前に悟った気になっても、それでも消せなかった────いや、捨てきれなかった熾火が再び燃え上がったのだ。

 

 もしかしたら、なんて程度の可能性であろうと。それは目を逸らすにはあまりにも眩しくて、そして何よりも魅力的に過ぎた。

 あるいは……彼女たちは、夢を捨てて子どもをやめるには失っていない熱が多すぎた、と言ってもいいだろう。

 

 それだけ、その計画は綺麗だったのだ。少なくとも、幾度と繰り返した犯罪行為や今のD.U.の光景に心が軋んでいた少女たちには、その提案を蹴ることはできなかった。

 それこそ、まるで悪魔に取り引きを持ち掛けられているようだ、なんて頭の片隅で思ってしまっても。

 

 

 それに、なんだかんだマクガフィンからは悪人の気配がしない事も少女たちには大きかった。

 そう、この話を持ちかけてきた黒ずくめの青年には、かつて彼女たちが検挙してきた悪人に特有な空気感がまるで無かったのだ。

 

 本当にあの危険な指名手配犯なのか、その名を騙る別人なのではないか……なんて疑念が浮かび上がるぐらいには、彼は誠実であった。

 なにせ彼は、SRTの復活において何が妨げになっているのかといった前提部分から計画に乗る場合のデメリット、更には本当に上手く行くのかも未知数だという点まで丁寧に、そして包み隠さずに説明したのだ。

 

 挙句の果てには、どんな些細な物であろうと少女たちの疑問には全て解答する始末である。その際に頭を悩ませる様子が何度か見えたことも含めて、驚くほどに彼は真剣であった。

 

 これでは、むしろ悪人ではなく自分たちの護るべき善良な市民の方が近しいだろう、というのが少女たちの正直な感想だった。

 

 

 そして、だからこそ少女たちは────FOX小隊は彼を、そしてかつて抱いていた夢をもう一度信じてみようと決意したのだ。

 

 

 とはいえ、夢を諦められない子どもであろうと彼女たちは馬鹿ではない。

 わざわざこうして接触してきたという事は、相手にも何かしらの目的があるだろう……なんて思考は当然のように浮かび上がる。

 

 というより。以前から大人の世界を垣間見ることの多かった彼女らにとっては、そうでなければむしろ異常事態なのだ。

 取り引きとはすなわち相互にメリットがあるものであり、そして現状は自分たちにしかメリットが示されていない。となれば、ここから何かしらの相手の要求が来るのだろう。

 

 そんな思考の結果が、最初の『何をすればいい?』という質問だったのだが。

 しかし、その答えはまるで想定外な物であった。

 

「いや? 別に何かしてほしくて話持ちかけたわけじゃねーし……まあ、強いて言えば鞍替えしてもらうこと自体が目的ではあるけど…………」

「……は? いや、他にも何かあるだろう? じゃないと、なぜこの話を持ちかけてきたんだ」

「だから最初に言ったろ? ただの思い付きだって」

 

 あっけらかんと、平然と、どこまでも適当に告げられる言葉たち。

 その様子は、何よりも雄弁に彼の言が真実であることを示していた。

 

「てか、ここで何か要求したら意味ねーだろ。何のためにこの話持ちかけたんだ」

「いや、でも……」

「あのなあ。いくら君らが三年生で、そんで色々と社会を覗いてきたんだとしても、結局君らはまだ学生で子どもなんだ。そんな余計な事にあくせく気を回すんじゃないよ」

「…………」

 

 二十には少し届かずともそれなりに長く重ねてきた人生で、初めて対面するタイプの存在。そんな彼を前に、少女たちは言葉を失う。

 一から十まで徹頭徹尾『子どものため』と語る青年は、彼女らにとってそれだけ衝撃的であったのだ。

 

「そんじゃ、コレ、さっき言ってた計画を企んでる大人の連絡先な。(マクガフィン)から話を持ちかけられたって言えば邪険には扱われんと思うから」

「ま、待ってくれ! このままじゃ、その……」

「……はぁ、義理堅いと言うかなんと言うか。じゃあ、一つだけ言伝でも頼んでおこうか。アイツと合流したら、こう言っておいてくれ」

 

 “別にお前の事は恨んじゃいないさ。それに、お前の選択で救われた命もあるんだ。あんま俺の事は気にすんな”

 

「……分かった」

「うん、頼んだ。後は君らが望むように生きてくれたら、それだけで俺には十分だ。君らなら、悪い方向には向かわないだろうしな」

 

 そうとだけ告げると、青年はその像をかき消す。

 まるで幻のように、あっけないぐらいに。

 

 けれども、少女たちの胸には再び宿った熱という痕跡が残されている。たった今の出来事が、マクガフィンという存在が幻想ではないという証拠が。

 

 

 

「みんな……今さら意見を翻した私の事なんて、信用できないかもしれない。でも────」

「何をまだうじうじ言ってんのよ! この選択は、私たちみんなの選択でしょ?」

「そーそー。それに、私たちがユキノを見限るわけないじゃん。ずっと一緒にいたんだしさ」

 

 改めて隊員に向かい合うよう振り返ったユキノに、クルミとオトギが言葉を返す。

 この程度で信頼関係が崩れると思われていたのなら心外だ、と言外に告げる二人に、ユキノは驚いたように目を見開き。

 

「ユキノちゃん。大丈夫。だから、また一緒に頑張ろ?」

「────っ、ああ」

 

 最後に、そう微笑みながらニコが差し出した手をしっかりと握るのだった。

 

「FOX小隊、行動を開始する」

『了解!!』

 

 少女たちの待つ明日は、きっとまだまだ眩しい。

 

 

────────

 

 場所は移り、D.U.はヴァルキューレ警察学校の本部。

 突如市街地になだれ込んできたカイザーPMCの大軍と青天の霹靂のような戒厳令によって騒然としていたその場所は、ようやくざわめきが収まりつつあった。

 

 とはいえ、残念ながら、それはあまり喜べない物だったのだが。

 なぜならば、その原因は『自分たちにはできる事など何一つとして無い』という諦めにあるのだ。それを喜べる精神性の持ち主は、少なくともヴァルキューレには在籍していなかった。

 

 さりとて、戒厳令が彼女らの上位組織であるサンクトゥムタワーから発令されている以上は、事実としてヴァルキューレ警察学校という組織にできる事は一つもない。

 さらに言えば、ここ最近の犯罪率の増加や資金難などの影響もあり、生徒たちのやる気は軒並み大きく削られている。この状況で希望を見出せという方が無理があるだろう。

 

 

 さて、そんな中、公安局長という最も矢面に立つことになりそうな役職に就いている少女はと言うと。

 

「……それで、名は?」

「あなたのようなお方に名乗れる名は無い、しがない一般人です☆ っと、あらら、逆効果」

 

 上層階の窓を突き破って侵入してきたガラベーヤを纏う大人に対して、取り調べを行っていた。

 

 

 

「さてさて、どうやらアイスブレイクはお好みではないようですので。さっさと話に入らさせていただきますか」

 

 数分ほどが経過し、カンナが頭を痛そうに押さえ始めた頃になって、ようやく繋ぎ手と名乗った大人は本題を切り出した。

 決して無視することのできない、そんな本題を。

 

「貴女方に現在不足している武器類や弾薬、爆弾、その他医薬品などの物資類を提供させていただきたい」

「────っ!?」

 

 戒厳令の発令中という物々しい市街地を抜けてここにまで辿り着いている時点で、少女は目の前の大人が只者ではないだろうと想定していた。

 それでも内心の驚愕を表に出してしまったのは、ここまで大きく出られると思っていなかったからか、はたまた別の要因か。ともかく、彼女が分かりやすく驚いたというのは明らかな事実であった。

 

「……ヴァルキューレという組織を、一時的でも賄えるだけの貯えがあると?」

「さすがにそこまでは。とはいえ、資金難ながらも警察組織として運営できるだけの物資は既にあるでしょう? それと合わせれば……そうですね、最盛期の8割付近あたりまでは賄えるかと」

 

 どこか呆れた色を強めつつあったカンナが、公安局長としての鋭い表情を覗かせる。

 そこまでの資本力があるならば、そもそもノーマークであるはずがないのだ。だが、少女にはこんな胡散臭い白ずくめの大人など見た記憶がない。

 

 ────まあ、十中八九ロクでもない手合いだろう。

 

 そんな思考の帰結に伴って変化した『狂犬』の空気に、けれども繋ぎ手は欠片も動じない。なにせ、彼の今の拠点ではこんなもの日常茶飯事なのだ。

 

「ふむ、おそらく貴女の懸念は私の所属が明らかでない、という点でしょう。あるいは、公安局がマークしていない存在がそこまでの貯えがあるという点かもしれませんが。まあ、どちらであっても大差はありませんね」

「……よく、分かってるじゃないか」

「ああ、お気を悪くしてしまったようで。先手を取るのはほとんど癖みたいな物なんです、すいません。とまあ、こんな事はどうでもいいですね」

 

 どうにもやり辛い手合いだと顔をしかめるカンナに謝りながら一度言葉を切ると、改めて繋ぎ手は続きを語った。

 

「貴女の懸念は、当たっていると言って問題無いでしょう。なにせ、私が今活動しているのはブラックマーケットですから」

「……なるほど」

 

 そら見たことか、と胸中で零しながらカンナは相槌を打つ。

 ブラックマーケットの住民など、ロクでもない手合いの代表例のようなものだ。少なくとも、警察組織が関わるべき相手ではない。

 ……いや、取り締まるという意味では関わらなければならない相手かもしれないが。

 

 ともかく。

 少なくともこの取り引きに応じる余地は無いと、少女は口を開こうとして────しかし先手を取られるように言葉を投げかけられる。

 

「カイザーとの癒着の件もあります、好印象はないでしょうが……もう少しだけ、話を聞いていただいても?」

 

 そんな、半ば脅しとも取れる言葉を。

 

「……なんのことでしょうか」

 

 こんな状況で切り出してくる時点で無意味だろうと半ば思いながらも、せめてものポーズとしての意味も込めて韜晦するカンナ。

 しかしながら、やはりそんな彼女の分析は当たっていたようで、対面の大人は『まあ、ひとまず貴女は何も知らないという事にしておきましょうか』なんて肩を竦める。

 

 最初から変わらない気安い調子は、そのままこの状況が彼の想定通りであることを示していた。

 

「さて、こんな不毛な言い合いをしたいほど暇ではないので、話を進めましょう。実はですね、私、武器などの他に情報も扱っておりまして」

「…………」

「それでですね、こんな面白い物があるんですよ」

「これは……っ!」

 

 そう言ってガラベーヤの裾から取り出されたのは、いくつかの印刷された書類だった。

 

 ただし、防衛室長が横領を行っていた事や、カイザーコーポレーションと癒着していた事を示す証拠としての書類であったが。

 

 それに驚愕を示すカンナに、繋ぎ手は続ける。

 

「ご覧の通り、ヴァルキューレ警察学校の資金難とその原因については把握しています。本来ならば供給されているはずの経費が供給されていないのですから、現状も当然の結果でしょう」

「それで、貴様がカイザーとなり変わって癒着しようとでも?」

「まさか! あんなのと同じレベルにまた落ちるとかごめんですよ」

 

 それならどういうつもりだと睨み付ける少女に、白ずくめの大人はにわかに真剣さを滲ませながら語った。

 

「いえね、実は近いうちに防衛室長の件に関しては公表しようと思ってまして。そうなれば、貴女方の資金難も解消されるでしょう?」

「……つまり、料金は後払いで構わないと?」

「話が早くて助かりますね。で、こちらが目録です」

 

 正直な話、既に事は自分の一存で決められる範疇を逸脱しているというのがカンナの感想であった。が、今は薄れているとはいえ、カイザーとの関係がどこまで根を張っているのかも未知数である。

 

 ────あるいは、この大人もそれがあるから自分に接触してきたのかもしれない。

 

 そんな、少しだけ本筋から外れた思考が少女の脳裏を過ぎった。

 

「正直に言ってしまいますと、この話を持ちかけるのに貴女以上の適任はいませんでした。とはいえ、こちらの都合で迷惑をかけていることもまた事実。悪いようにならないよう調整するのは、私にお任せください」

「…………はっきりと言ってしまえば、そもそも貴様の事を信用できない。この目録、相場よりも二割ほど安くなっているだろう? 貴様のメリットが見えてこない」

「まあ、道理ですね。しかし、実はあるんですよ、メリット」

 

 そう言って続けられた言葉は、カンナの予想だにしなかった物であった。

 

「そんな事が……」

「やりますよ。ええ、何が何でも。私怨も多分に含まれてますが、あの企業は少々やり過ぎていますから」

「だが、しかし……」

 

 たしかに、そうなればこの取り引きには相互にメリットのある物になる。その事実を認めながらも、けれども少女は決断が下せずにいた。

 カイザーとヴァルキューレの癒着が早い段階で切れたことで諦められずにいた、『正義』を志す心が叫んでいるのだ。

 

 本当に、これでいいのだろうかと。

 

 しかし同時に、彼女は理解していた。この場で綺麗事を吐いたところで、得られる物など一つとしてありはしないという事を。

 今のヴァルキューレには圧倒的に────あるいは、絶望的なまでに────武力が欠如しているのだ。力の無い者に、綺麗事を口にできるような権利は用意されていない。

 

 どれだけ内に高潔な信念を抱えていようと、結局のところ、外に影響を及ぼせなければそれは偶像以上の何物かになれたりはしないのだから。

 何かを語ることができるのは、それ相応の力を持つ者だけなのだ。

 

 そう揺れ惑う少女に何を見たのか、白ずくめの大人は溜息を零すように呟いた。

 

「……やはり、私では先生さんのようには行きませんね」

「先生と、お知り合いなのですか?」

 

 問いかけるカンナに、繋ぎ手は苦々し気な様子を隠しもせずに返す。

 

「ええ、まあ。ですが、できるのならばそれは話したくない事でした」

「それは、どうして……?」

「今、貴女の内心では『先生の知り合いならば信用できるかもしれない』という思いがあるでしょう。いえ、それを否定するつもりはありません。それが彼の人徳のなせる技なのですし」

 

 ならば何故、と少女は訝しむ。

 

 最初からそれを打ち明けてくれていたのならば、ここまで悩む必要もなかったかもしれないのに……なんて内心の不満が透けて見えるようだ。

 あるいは、知り合いと言っても敵対者など悪い方向性での知己なのか、という疑念だろうか。

 

 ともかく、そういったマイナス方面の感情を読み取ると、訥々と白ずくめの大人は内心を語り始めた。

 

「ですが、彼の名を出して得た信用とは、つまりは私の力で勝ち取った信用とは全く別の物になるのです。彼の名にあやかっただけの結果ですからね。まあ、結局のところは私のわがまま、エゴなんですけれども」

 

 そう肩を竦める姿からは、しかし隠し切れない無念が滲んでいた。

 本当に、可能ならば先生の名は出したくなかったのだろう。

 

 そう思って────そう感じ取って、スルリと少女の口からは内心が零れ出ていた。

 

「カイザーとの癒着を黙認していた時点で何を、と思うかもしれませんが。これでも、私は『正義』という物を諦め切れていないのです」

「ヴァルキューレに在籍なさっているんです、道理ですね」

「……ですが、この社会においてそんな信念は無価値な物でしょう。飯の種にもならない」

 

 そこまで言葉を紡いで、自分が何を言いたいのかよく分からない事に気付いた少女が口を閉ざす。

 諦めさせてほしいのか、それとも奮い立たせてほしいのか。そもそも、自分はなぜこんな個人的な事を口にしたのか。

 

 綺麗事をどうにか通そうとしていた彼に希望を見たのか、同族意識を抱いたのか、はたまたそれ以外なのか。

 

 自身でも掴めぬ感情に戸惑いながらも、しかし外に出た言葉を取り消す事はできない。少女は、じっとりと纏わりつくような沈黙に耐えながら変化を待った。

 

 そうして、十数秒ほどが経つ頃だろうか。お茶らけた空気の一切を消した繋ぎ手が、口を開いた。

 

「抱いた綺麗事を諦めたくないという感情と、現実を前にしては無価値だという理性。どちらも、道理です。ええ、そのどちらもが正しい物だ」

「…………」

「きっと、先生ならば『無力な偶像であっても、それに向けて一歩を踏み出す事が大事なんだ』と語るのでしょう。あの方はどんな状況でも最善の理想を諦めないでしょうし、何よりこれもまた一つの真理ですから。最初の一歩が無ければ、その先に続く物もまた無い」

 

 そこで言葉を切ると、ですが、と白ずくめの大人は続ける。

 

「ですが、私は彼ほど理想の中を生きることはできません。彼ほどの傑物ではないのでね。故に、現実社会では綺麗事が無価値だという貴女の考えも肯定します」

「……では」

「時に、尾刃カンナさん。大人とはどういったものだとお考えですか?」

 

 諦めを口にしようとしたカンナに割り込むように、問いかけが放たれる。

 一見、今の話題とは何の関係も無いように思える問いが。

 

「……そう、ですね。自身に課された役割を不足なく果たせる存在、でしょうか」

 

 戸惑いながらも、自分なりの答えを口にする少女。

 しかし、それに対する反応は、まだまだ甘いと告げるかのような笑い声であった。

 

「……その、そう的外れな事を言ったつもりはないのですが」

「ああ、失礼。たしかに、それも大人の一側面ではあります。ですが、真の大人とはそれだけでは終わりません」

「真の、大人…………?」

「ええ。正確には、自分の役割を────そして周囲の世界を自身の望む形に変えられる存在。それこそが『大人』として語られるべき人物なんですから」

 

 “もちろん、必要な諸々を果たした上での話ですがね?”

 そう茶目っ気を覗かせながら続ける姿は、どこか眩しくカンナには映った。

 

「理想を諦めるのは嫌だ。偶像ではなく現実を見なければならない。結構、大いに結構。一度言いましたが、どちらも間違いではない。だからこそ、私たちは遠回りをするのです」

「遠回りを……?」

「まずは自身に近い場所から。理想には程遠く、繋がっていないようにも見える場所から、少しずつ世界を変えるのです。現実を理想に近付けるために。だって、諦めるのは嫌ですからね」

 

 あっけらかんと言われた、思わず笑ってしまいそうになる言葉。

 もはや子どものわがままのようにも映る最後の一言は、けれども芯を強く感じさせる物であった。

 

「そのために周囲を利用してやる、ぐらいに考えておけばいいんですよ。難しく考えすぎずに。あるいは、自分の感情に正直に」

「なる、ほど……」

「これは私の持論ですけどね。人間とは、感情で目指すゴールを定め、そして理性でもってそのための道筋を作る生き物なんです。大人なんて、それを上手くやって尤もらしく見せてるだけですよ」

 

 最後にそう諧謔を繋げる姿からは、たしかに自身が思い浮かべていたような『大人』の像は存在しない。そう思うと、自然と肩の力が抜けるのを少女は感じた。

 

(諦められない理想のために、周囲を使って少しずつ現実を変える、か)

 

「……ん?」

 

 そこでとある事に気付き、堪えきれないとばかりに思わず吹き出すカンナ。

 

(なんだ。先生はこう言うのでしょう、なんて言っておきながら、結局ほとんど同じことをこの大人も言ってるじゃないか)

 

 何が『私は彼ほどの傑物ではない』、だ。十分すぎるほどじゃないか。

 

「そちらの言いたいことは了解した。それでは────」

 

 久々に心から笑えている事を感じながら、少女は口を開くのだった。

 

 

 

 

 先生たちと合流し、連邦生徒会長代行からの命令の下に大手を振ってヴァルキューレが行動を開始するのは、その30分後の事であった。

 

 

 

────────

 

 場所はまたまた移り、キヴォトスのどことも知れぬ深い場所にて。

 構成員の一人を亡くしながらも探究を続ける大人たちの組織が、会合を行っていた。

 

「……複製で完成された聖徒の交わりは1期。アンブロジウス、バルバラ、ヒエロニムスは問題なく起動できるが、彼の『聖人』の影響を大きく受ける。そして、残るグレゴリオはまだ準備が終わっていない────と」

「怪談の無限図書館はまだ始まったばかり……そしてアミューズメントパークのマジシャンも…………まだしばらく、時間が必要そうですね」

「デカグラマトンの預言者に関しては、契約の隙を突いて理解者『ビナー』に審判者『ケセド』、そして栄光『ホド』のpathを確保しましたが……少しばかりイレギュラーがありました。もしかすると、また押さえ返されるかもしれません」

 

 忍び寄る色彩という終焉に、復活目前となりつつある無名の司祭。

 それらの脅威に対抗するために、それぞれの用意した“備え”の確認を行う大人たちからは、しかし拭えない無念の色がかもし出されていた。

 

「……キヴォトス中の、数多の神秘が消えてゆくのですね」

 

 やがて、それに耐えられなかったようにゴルコンダが零す。

 だが、それには反論が返される事となった。マエストロである。

 

「そう悲観する必要はないかもしれん。なにせ、この箱庭には如何なる運命か『聖人』の現身が存在しているのだからな。既に彼の者も行動を開始しているのだろう?」

「ええ。そして、その煌めきを追う事こそが私たちの探究です。その果てが暗闇であろうと、存分に観測するとしましょう」

 

 そう黒服が締め括り、会合が終わりを迎えようとした瞬間。

 

「……ん?」

 

 空間に孔が開いたように、黒々としたナニカが大きく広がる。

 そして、それに黒服が違和感を抱いた時には、全てが手遅れであった。

 

 孔を通り抜けて降り立った、大人のように見える狼耳の少女。それが、有無を言わせぬ速さで手に握る愛銃を構え────即座に引き金を引いた。

 

「くっ……まさか、色彩が!?」

 

 結果もまた、即座に現れる。

 それぞれに被弾し、無視できないダメージを受けるゲマトリアの面々。驚愕を露わにしながらも彼らは退却を選択しようとし……しかしそれよりも早く動いた襲撃者が回り込む。

 

 その姿からは、確実に息の根を止めるという意思が透けて見えた。

 

 対するゲマトリアに打てる手はなく、もはや自分たちの命運もここまでかと諦めが覗きつつあった。それだけ圧倒的な差があったのだ。

 

 

 だが。

 だがしかし。

 

 ここが彼らの墓場となるのかと言えば、それは否であった。

 

「おいおい、随分と殺意が高ぇな」

 

 張り詰めた場の空気にそぐわない、呆れたような調子の声。

 同時に、ゲマトリアの前に黒ずくめの影が像を編む。

 

「何が原因かは知らないが、悪いな。コイツらにはまだ出番が残ってるし、何よりも俺は借りがあるんだ」

「マクガフィンさん……」

「おら、さっさと逃げろ。かわりにこれでババアの件はチャラな」

 

 何か言いたげにする黒服にそれだけ言うと、マクガフィンは意識を切り替える。分体であるこの彼にとって、シロコ*テラーとは片手間で相手できる存在ではないのだ。

 

「…………感謝します。それでは」

 

 

 

 そうして、いよいよ二人だけとなった室内。

 刺すような一触即発の緊張感が高まるそこに、声が響いた。

 

 ただしそれはマクガフィンではなく、シロコ*テラーのものであり。

 

「お前が……お前がッ!!」

「おいおい……どうしたってんだよ、コレ…………!?」

 

 明らかに平静ではないと分かる声であった。

 変転した舞台は、まだまだ変化を続けていく。果てに行き着くのは、いつになるのか。

 

 

────────

 

「ここ、は……?」

 

 数時間ほどの昏睡から覚めた先生の第一声は、そんな戸惑いの言葉であった。

 

「先生!」

「ようやくお目覚めになりましたか、先生。……よかったです」

「ミヤコと……リンちゃん? どうして……?」

「誰がリンちゃんですか。…………はぁ、その様子ですと、ひとまずは大丈夫そうですね」

 

 RABBIT小隊を通じて先生を送り届けた“彼”の事を共有されていても、やはりその胸中では不安が渦巻いていたのだろう。

 呆れたようなリンの姿からは、しかし安堵の色が濃く滲んでいた。

 

 

 

 

 

「……そっか。そんな事が」

 

 数分後、二人から現在掴めている情報の全てを伝えられた先生は、静かにそう零した。

 既にそこにあるのは普段の日常で見せている穏やかで優しい姿ではなく、鉄火場において現れる手練れの指揮官としてのソレである。

 

 それはすなわち、彼がすぐに意識を切り替えるほどに状況が切羽詰まりつつあるという事を指し示している。

 まあ、現状は何もかもが後手に回らせられているのだ。その事は、考えるまでもないだろう。

 

「……リン。他の室長は?」

「交通室と調停室の二名のみが。その他の連邦生徒会のメンバーについては、別の場所に飛ばされたようです」

「なるほど……それじゃあ、質問なんだけど、この戒厳令をどうにかする方法って何があるの?」

「そうですね……何はともあれ、まずはカイザーから行政制御権を取り戻す必要があるかと。方法としては、サンクトゥムタワーにまで向かい私が行政権限を行使する事で取り戻す、というのが一番の正攻法でしょうか」

 

 とある青年の識る物語とは異なり、この世界において連邦生徒会では不信任決議案は議決されていない。その流れは起こってはいたが、議案の提出までは事態が進んでいなかったためである。

 それ故の解決策をリンは提案したのだが、しかしそれにはすぐに反論が返される事となった。

 

 ただし、それは思わぬ人物によってではあったが。

 

「その方法は、あまりおすすめはできないな。今のサンクトゥムタワー周辺はカイザーPMCの大隊が詰めている。あそこを攻略するのは骨が折れるだろう」

「セイア! それに、ミカとヒナも!」

 

 部屋の扉を開けて入ってきたのは、百合園セイアに聖園ミカ、それに空崎ヒナという錚々たる顔ぶれ。

 一様にどこか疲れた様子を見せる彼女たちが語るところによれば、現在のサンクトゥムタワーは“物々しい”なんて表現では足りないような状況であるらしく。

 

 この三人が揃ってでも脱出に少し手間取ったという辺りからも、その酷さが窺えるだろう。

 もっとも、彼女らの疲労の大部分は結局捕獲できなかったマクガフィンによる物らしいが。

 

 ともかく、そうなっては別の方法を模索するしかない。

 もちろん、最悪の場合はサンクトゥムタワーに突撃することも選択肢の一つではあるが、如何せん味方の数が少ないのだ。

 さらに言えば、たった今合流した三人は立場もあるため、戒厳令下では派手に動きづらいというのも大きかった。セイアの予知を活用すればある程度隠密行動もできるだろうが、やはり本来の力量からは大きく制限されてしまうだろう。

 

 

 そんなわけで考えた先生たちの結論は、“増援を確保した上で行政制御権を掌握しているシャーレを奪還する”というアロナの考案した作戦となった。

 シャーレの方にも同規模のPMCが詰めている事は予想できるが、サンクトゥムタワーとシャーレビルとでは総面積にかなりの差がある。誤差レベルかもしれないが、まだこちらの方が攻略しやすいだろうという目算によるものである。

 

 また、サンクトゥムタワーを上って行くよりシャーレの地下へ突入する方が短期間で目標を達成できる、というのも大きかった。

 

 そして、その上で、足りない戦力を『連邦生徒会長代行であるリンからの要請』という形でヴァルキューレを動かす事で解決する。

 これが、作戦の概要であった。

 

 

 

「ただ……他の室長が心配ではありますね」

「……だね」

 

 最後の懸念としてミヤコが零した言葉に、先生は短く返す。

 転移の下手人がマクガフィンである以上は安全は確保されているのだろうが、しかし安否を確認できたワケではない。加えて、護衛などがいるわけでもない。

 

 アユムとモモカに関しては、セイアほどの隠密は不可能なミカとヒナがここに残るため、心配ないのだが。

 そんな風に言葉を交わす二人だが、突如としてミヤコのインカムに通信が入った事で状況は一変する。

 

 その、発信源とは────

 

「え……ユキノ先輩っ!?」

『突然の連絡ですまない、ミヤコ。今の状況は把握しているか?』

「え、ええ。じゃなくて、今までいったい────」

『それについては後で全て話す。……必ず。とにかく、たしかミヤコは先生と関わりがあったな』

 

 そう言って告げられたのは、この事態の解決に協力したいという申し出と、そして連邦生徒会の室長たちを発見したという報告であった。

 

『私たちの事は信じられないかもしれないが……』

「大丈夫、私は君たちを信じるよ」

『……。…………!? その声は!?』

「初めまして、私は先生。君たちの申し出、とてもありがたいよ。ぜひ、受けさせてほしいな」

 

 

 

 斯くして配役は揃い、シャーレ奪還作戦は開始される事となる。

 戒厳令が取り消されるのは、その2時間後の事であった。

 

 

 




 裏話の暴露。
 実は先生が寝ていたベッドはミヤコが普段使っているベッドだったりします。


 最後になりましたが、東海道/奏多 さん、モブ読者W さん、NY太平洋 さん、かまたき さん、ハピエン主義者 さん、らわやま さん、評価付与ありがとうございました!
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