「……え? …………わた、し?」
「……そう」
アトラ・ハシースの箱舟内部、中央に位置する第4エリアにて。
砂狼シロコは、邂逅した存在と言葉を交わしていた。
「どうして私が……幻?」
「違うよ。私はあなた。たしかにここにいる存在で────そして、あなたの未来。いずれあなたが辿り着く結末。それが、私」
「私の、未来……?」
言葉に無駄な装飾はなく、互いに必要最小限の内容だけが声に乗せられる。
その事が、否応なく互いに相手が自分なのだと実感させ、だからこそ反転していないシロコの疑問を深めさせる。これはいったい、どういう事だと。
けれども、その様子はシロコ*テラーにとっては劇毒そのものだ。
自分がどれだけ罪深い存在なのか。
自分がどれだけ恵まれた環境に生きているのか。
何一つとして理解せず、安穏と時間を浪費するその姿は。
どんなものよりも、彼女の感情を掻き立てる。
「そう。あなたは、いつか先生を殺して、こうして世界を滅ぼすために行動することになる。それが運命で、それがあなたの役割」
「…………え?」
こちらは対照的に。呆然と、信じられないように目を見開くシロコ。
とはいえ、この世界における彼女にそんな兆候は片鱗でさえ存在しないのだ。出会ったばかりの『私はあなた』と語る人物にそう言われたとして、どれだけの者がそれを信じられるだろうか。
その上で、この世界のシロコはまだ絶望するような状況に直面しておらず、さらには何度挫けようと『それでも』と立ち上がり続ける先輩の姿を見ているのだ。
そんな彼女がこの程度で折れるかと言えば、それは否であり────
「そう。やっぱり、まだ諦められないんだ」
故に、少女が選んだ返答は、一発の銃弾であった。
それに、まるで知っていたと言わんばかりにシロコ*テラーは頷きながら呟く。
呟いて────しかし、返された言葉に瞠目する事となる。
「諦められない? ……ううん、違う。あなたが本当に私なら、そもそもそんな選択肢なんて生まれないはず。だって、私たち対策委員会は誰一人だって諦めないから『対策委員会』なんだから」
そこで一度言葉を切り、何かを思い出すように瞼を下ろして頷いて。
改めて、少女は口を開く。
「どれだけ絶望的な状況でも。可能性なんて、ほんの少ししかないように思える状況でも。“それでも”って、立ち上がるのが私たち。諦めずに進み続けるのが、私たち」
その響きに納得したようにもう一度頷くと、シロコはどこか挑発的にも映る笑みを浮かべながら言い切った。
「だから────あなたなんか私じゃない。諦めたあなたが、私が至る結末なわけがない」
言葉は、宣言は響き、空間に飲み込まれるように消えていく。
朗々と自信に満ちた声は、けれども消えない物を残した。
そんな彼女を、砂狼シロコという少女の結論を前に。
目を見開いて固まったシロコ*テラーは、少しずつ、少しずつ表情を歪め────そして、最終的に能面のような無表情になって言った。
「……ああ、そう。そうか。なら、思い知らさせてあげる」
彼女にとって地雷とも言える、いくつもの事柄。
一人、また一人と消えて、その度にみんなの諦めが強くなっていったこと。
ほんの少しの可能性もなくなって、たった一人だけ残されて、絶望したこと。
現実から必死に目を逸らして、でも逃げられなくて、最期には生が終わることを安心しながら諦めたこと。
どれもこれも、彼女には今なお褪せない痛みで、傷で、“絶望”の象徴で。
だからこそ、それら全てを踏み抜いた
絶対に。
何があっても。
特に、この世界がどれだけ恵まれているのかを理解していない目の前の相手は。
動きは同時に、鏡合わせのように握られた愛銃が突き合わされ────少女たちの衝突は、始まった。
────────
舞台は地上へ移り、虚妄のサンクトゥム攻略戦。
その顕現やすぐさま半数が破壊されたことなどに混乱を深めながらも、どうにか第一巡を攻略した先生たちは、新たなイレギュラーに襲われていた。
すなわち────
「新しい、サンクトゥム……!?」
そもそも、第6サンクトゥムがバックアップ用のサンクトゥムであったことすら先生たちには青天の霹靂であったのだ。
それが、なぜか最初にマクガフィンが攻略した3本分は復活せず、さらには全く別の場所に新たに1本生えてきたとなれば……その混乱は推して知るべしというもの。
春先のつくしんぼじゃないんだからさぁ、なんて思考が過ぎっても文句は言われないだろう。
とはいえ、これは実はプレナパテスたちにとっても苦肉の策であった。
なにせ、せっかくゲマトリアを襲撃して確保したはずのデカグラマトンの預言者らが、いかなる方法によってか
そこには預言者を単騎かつ短時間で攻略できるイレギュラーがいたことや、そんな彼と繋がりがあり、なおかつ色々と興味もあった三人の幼女がコンタクトを図ったことなど……いわばいくつもの奇跡的な偶然が重なった影響があるのだが。
そんなことはプレナパテスたちにとって関係の無いこと。彼らにとって重要であったのは、デカグラマトンの預言者が奪取されたことで守護者が欠落し、実に半数もの『虚妄のサンクトゥム』が機能不全に陥ったという事実だけであった。
それ故、どうにかその三本に回されるはずだったエネルギーを部分的に切り離し、彼らは非常用として巧妙に隠蔽していたサンクトゥムを顕現させたのだ。
それが、起きた事象の絡繰りであった。
さて、何はともあれ起きてしまったものは仕方ない。
終末に抗う先生たちは切り替えてその対処に動かなければならないのだが……ここに来て彼らには重大な、あるいは致命的な問題が発生していた。
動かせる人員がいないのだ。
というのも、とある青年が危惧していたように、この世界ではバルバラやアンブロジウスといったいわば“雑兵”としてキヴォトス各地に展開されている複製にも強化が施されているのだ。
もちろん、色彩の干渉によって不純物が混ざったそれらは本来よりは────つまりはエデン条約調印式の時よりは────幾分か弱体化している。
が、現状はそれを補って尚お釣りが来るほどの物量で複製が展開されているワケで。
そこに加えて、キヴォトス各地で蜂起し半ば暴徒とまで化したカイザーコーポレーションの手勢らが、色彩に呑まれてその尖兵へと姿を変えつつあったことも大きい。
ただのオートマタ兵ならばともかく、パワーローダーやゴリアテ、はてにはネフィリムまで取り込まれてしまったとなれば、その脅威度は無視できないものとなる。
繋ぎ手がどこから引っ張り出してきたのか輸送用航空機を温泉開発部へと
青年の識る本来の流れよりもサンクトゥムの数が減っているはずだというのに先生たちが人手不足に陥りつつあるのは、そういった理由であった。
さらに言えば、新たなサンクトゥムが顕現したタイミングも最悪だった。なにせ、生徒に指示を出してしまった直後だったのだ。部隊再編などにかかる混乱を思えば、気も重くなるというもの。
とはいえここは腹を括る場面か、と先生が気を取り直した……そんなタイミングで、彼のインカムに声が届く。
『先生、提案があります』
「カシス……? どうしたの?」
声の主はアリウス分校の三年生、マクガフィンに並々ならぬ思いを抱える遺蘇迓カシスであった。
しばらく前に泣き腫らした顔で『ごめんなさい、言い訳はしません。……私は、あの人を見送りました』と先生やホシノに連絡した彼女は、現在はアリウス自治区の防衛に当たっているはずであるが、はたして。
『ヒエロニムスの攻略に、私が向かいます。槍を使えば、おそらく可能なはずです』
多重の意味で危険で、それでいて現状の打破の可能性も高い。
そんな策が、カシスの提案であった。
「それは、つまり…………」
『ヒエロニムスに向かっている部隊を全て下げてもらうことになります。あの槍は余波程度であっても私や天使派の子たちぐらいしか耐えられませんから。ただ、その分人手の余裕はできるはずです』
「……大丈夫、なんだよね?」
落ち着いた声色からは、不安定さは少しも見えない。
それでも先生が質問したのは────“死ぬ気ではないんだよね”と確認してしまったのは、偏に彼女の境遇を心配してだ。
けれども、そんな彼の言葉に対するカシスの答えは。
『先生、心配してくださるのはありがたいです。でも、私は言われたんです。“
馬鹿にするなとも言いたげな、強い言葉だった。
「……そっか。なら、任せてもいいかな」
それが内心の裏返しであることを、自分に言い聞かせる色が含まれていることを理解して、しかし先生は余計な内容を言葉に乗せずに返した。
そこに触れるのは不義理に過ぎるし、何よりそこに踏み込んでいいのは“彼”以外に存在しないからだ。彼女を救ったのが彼である以上は、先生であってもその『聖域』に踏み入る資格はない。
『ありがとう、ございます。……それと、すいませんでした。先生』
「ううん、私の方こそ。気にしないで」
少なくとも二つ以上の意味が込められた礼に短く答えながら、その胸中に疑問が一つ。
(……マクガフィン。子ども達を、世界を信じるのは良い事だけど。これが……この子の姿が、君の本当に望んでいたものなのかい?)
外に出なかった先生の疑問に答える声は、当然ながらどこにも存在せず。
ただ静かに、動乱と共に盤面は動き行く。
一つの結末に辿り着く、その瞬間にまで。
────────
場所は戻り、アトラ・ハシースの箱舟内部。
衝突する
少女の片側、元々この世界にいた方の砂狼シロコは、単純に相手の手強さに対して。
そしてもう片側、箱舟に乗ってこの世界にまで航海してきたシロコ*テラーは。
「なんで……なんでッ!!!!」
この何も知らなかった頃の自分とは決して埋まらない差が存在するはずだというのに、どうしてかシロコに抗戦されている事に対して。
この自分にはない事を経験し、そして知らないことを知っているはずだというのに、圧倒するどころか食らいつかれている事に対して。
忌々し気に、憎々し気に、そして羨まし気にシロコ*テラーは表情を歪める。
とはいえ、実のところ、シロコ*テラーの想定よりも強くなっている生徒というのは砂狼シロコだけではなかったりする。
なにせ、世界に紛れ込んできたどこぞのイレギュラーが『神秘を使う』という新たな分野の戦い方を持ち込んできたのだ。それも、一種の完成形とも呼べるクオリティの高さで以て。
それに対抗するために一悶着……いや、一つどころでなく幾度もの悶着を経たとなれば、当然ながら大抵は強くなるに決まっている。
それこそ、小鳥遊ホシノや聖園ミカ、百合園セイアを思い起こせば分かりやすいだろう。
もちろん、この三人が顕著なだけであって、それ以外の学園主力級の生徒も多かれ少なかれ影響を受けてはいるのだが。
そしてそれは、砂狼シロコという少女も例外ではなく。
元々の素質が高かったことに加え、数は多くないものの原典となるマクガフィンの戦いを見る機会があったこと、それに先輩が生徒の中では現状最も卓越した神秘の使い手であったこと。
これらによって創られた土壌は、その上でアトラ・ハシースの箱舟という特殊な環境によってか彼女の実力をさらに数段分伸ばしていた。
それこそ、銃撃に神秘を籠めての威力の底上げであったり、神秘を体内で廻すことによる身体強化であったりは当然として。
体外に放出した神秘を凝縮させることによって即席の盾を構築したり、あるいは空中に足場を置いたり、挙句の果てには見様見真似でのワイヤーアクションやトラップの作成など。
シロコは、とにかく発想力の至る限りを神秘で為しながらシロコ*テラーに応戦していた。
となれば────これが容易い相手となるはずもなく。
大きくでは収まらないほど地力で劣っているはずの少女がこうして食い下がれているのは、そんな理由によるものであった。
今もまた、シロコ*テラーが先輩の遺したSGによって広範囲を掃射したのに対し、シロコは構築した神秘を足場に空中へと身を踊らせて回避していた。
サマーソルトのように身を翻す姿は、ともすれば見惚れてしまうほどの力強さを伴っており、少女の実力の高さを否応なく理解させるものであった。
だが、まだ彼女の行動は終わらない。
放物線を描く軌道の先、地面から未だ遠く離れた地点に、通路の壁と壁を繋ぐように糸状の神秘が編まれる。
直後、右足からその勢いを欠片も緩めずにシロコは糸に触れ────次の瞬間、ベンと弦が弾かれるような音と共に、加速度をそっくりそのまま反転させたかのような速度で少女は射出。
向かう先は、当然ながら戦っている相手であるシロコ*テラー。
「……っ!」
その変則的な軌道に目を見開きながらも、しかしシロコ*テラーは愛銃である《BLACK FANG 465》を冷静に構えた。
正確に照準を合わせる姿からは未だ彼女の余力が残されていることを示しており、行動が制限される空中にいる間に撃ち落としてしまおうという目論見を物語っている。
「────は?」
が、次の瞬間、今度こそ彼女は声を漏らしながら固まる事となった。
呆然としたシロコ*テラーの視界の先に、シロコの姿はない。
いつの間に張り巡らせたのか、それともたった今展開したのか。彼女は、柔性に重きを置いた無数の神秘の糸を足場に空中を縦横無尽に駆けているのだ。
その速さは凄まじいの一言に尽き、もはや風切り音さえ鳴らしながら動くシロコの姿を捉える事はできない。陣地の中央に置かれたシロコ*テラーにできるのは、最大の警戒をもって相手の攻撃の瞬間を待つことだけであった。
しかし、この緊迫した戦場において後手に回るというのは、単なる言葉以上の意味を持つ。
「……ぐっ!」
響く銃声は一つ、漏れる呻き声もまた一つ。
すなわち、戦いが始まって初の被弾がシロコ*テラーの身に襲い掛かったということに他ならない。
「…………」
2秒か3秒か、ほんの少しの間だけ空間に静寂が満ちる。
被弾した左腕を抑えるシロコ*テラーは、俯きがちに黙したまま固まっており。陰になった表情を窺い知る事はできない。
対して、ようやくの手応えへ僅かに口角を上げるシロコもまた、空中での射撃を敢行したため追撃は行えず。靴底をすり減らすよう着地する少女から、再度の銃声が響くことはなかった。
「…………しまえ」
それは、彼女が、先の攻撃に際して着地してから照準を合わせるようでは対応されてしまうと判断したが故の空白だ。その結果がようやくの初撃であるのだから、きっとその判断は間違っていなかったのだろう。
だが、しかし。
「壊れてしまえ、何もかも」
この場において、その沈黙は、空白は、何よりもの悪手であった。
なにせ、シロコ*テラーに感情を爆発させるだけの猶予を与えてしまったのだから。
声どころかもはや音にすらなっていない叫びが空間を切り裂くように響き、刹那、万物を呑み込むかの如き
光も、音も、熱も、空間でさえ
全てを等しく、そして見境なく壊すその力は、中心たる少女の激情を何よりも分かりやすく示していた。
それだけ、彼女には我慢ならなかったのだろう。
彼女にとって、何よりもこの世の不公平を、不平等を、不条理を表している現状が。
いよいよ幼子が書き殴ったような黒色に顔を覆われた少女からは、もはやそこにどんな感情が乗せられているのかも読み取れず。
少なくとも負の方向性である事だけは確信できる、そんな彼女のいくつもの激情に呼応した恐怖の波動が、ただ大きく広がっていった。
そして、その影響は単なる破壊だけに収まらない。
そも、今はプレナパテスに奪われたとはいえ、彼女はかつて『色彩の嚮導者』だったのだ。そんな彼女が激情を暴走させたとして、影響がこの場限りで収まるなんて事があり得るだろうか。
世界は、混沌の中へと大きく加速し始めていた。
────────
まず“ソレ”が起きたのは、新たに顕現した一本の虚妄のサンクトゥムであった。
イレギュラーであるそのサンクトゥムを攻略するために配備されたのは、ヒエロニムス攻略に遺蘇迓カシスらが乗り出したために浮いた人員を再編成することで作られた部隊。
ただし人数は多くなく、メンバーはたった一小隊6人のみ。
すなわち、アリウススクワッドの4人と聖園ミカ、そして歌住サクラコであった。
守護者の詳細が分からない以上は、確かな実力のある生徒を少人数で向かわせる方が良い……そんな方針で選ばれた面々は、先生の信頼に応えるよう守護者として顕現していたゴズと戦っていた。
お世辞にも順風満帆とは言い難かったが、その攻略は着実に進んでいた。その選出理由にもあるように、彼女たち一人一人の実力が高い水準で纏まっているから、というのもあったが。
やはり何よりも大きかったのは、この戦場に新たに参入してきた存在による影響であろう。
つまりは────
「本体真ん中! 左右の1体は分身だから無視でいい!!」
「了解!」
保険として地上に残されていた、マクガフィンの分体である。
「だああ、ミカ! 前出すぎだっつーの!」
「でもあなたが護ってくれるでしょ!」
突如加勢してきた彼は、先生の指揮下に無いというのもあってか積極的な攻勢には出ていない。
しかしながら、彼の神秘において今顕在化しているテクストは『聖人』としてのソレなのである。つまり、ある意味ではその本領は攻撃ではなく守護や治療の方が正しいのだ。
そこに加えて、生徒たちは────特に、最前線で派手に暴れている聖園ミカは────彼との共闘という事もあってか調子が上がっている。
たとえ分体であろうとも、彼の側から協力を申し出てくるというのはそれだけ少女たちには大きかったのだ。
かくして戦況は進み、いよいよゴズの終わりも見え始めていた…………そんな、只中の事であった。
ぬるり、とソレが現れたのは。
そのシルエットは細く、そして縦に長い。
ある種の影絵のように引き伸ばされた姿は、否応なしに不自然さを孕んで他者に映る。
総身を彩るは守護者らと同様の銀河を思わせる黒色だが、しかしその異様であるのは、どうしてか奥側にあるらしい赤色が透けて見える点。
同色の燐光を粒子のように漂わせている部分からも、それが他の守護者たちと比較しても尚不可解な存在である事が読み取れる。
だがしかし、この場にいる者たちにとって何よりも衝撃的であったのは。
その像を構成する要素に、
例えばそれは、細長く醜悪な胴体であったり。
あるいは、枯れ枝のように鋭く伸びる腕であったり。
そして、その姿から見え隠れする赤色であったり。
既にこの世から消え去っているはずの存在をどうしても連想させるソレは、ぬるりと虚妄のサンクトゥムから姿を現し────
標的は最前線にいた薄桃色の少女、生徒側の最大戦力たる聖園ミカ。
「やば────」
思わず声を漏らしながら、回避は不可能だと防御姿勢を取る少女。
全身に神秘を纏う姿は、生来の頑丈さも相まって大抵の攻撃を無効化できるほどだが、しかし敵の攻撃はそれすらも貫通できそうなほどに鋭い。
だが、彼女に襲い掛かったのは。
トン、とでも形容できるような柔い衝撃だけであった。それこそ、
それに嫌な予感を覚え、すぐさま閉ざしていた瞼を上げたミカの視界に映ったのは。
「────あ、ああ」
自身を庇うように立つ黒ずくめの背中と、それを貫通した敵の腕であった。
声を漏らす少女の前で、呆気なく黒ずくめの青年は持ち上げられ、そしてゴミのように放り捨てられる。
『キャハハハハハ! これで私の勝ちだ! 私こそが支配者だ!! 世界の終わりと始まりの権限に手をかけた、この私こそが!!』
響く声は、紛れもなく死んだはずのベアトリーチェのもの。
それが、狙い通りに障害を排除できたと嗤う。生前にはまずしなかった、下品、下劣で、下賤な声を響かせて。
箱舟に乗る反転した少女の激情に、そしてこのサンクトゥム攻略戦に集まった少女らに呼応して顕現した、色彩に取り込まれ保存されていた一人の大人。
イレギュラーたるソレは、混沌と悲劇を加速させた。
────────
場所は移り、アビドス砂漠の最果て。
もはや中心街より自治区端の方が近いその場所にて、誰にも知られぬ間にソレは引き起こされた。
すなわち、新たなサンクトゥムの顕現という特級の異常事態は。
だがしかし、これを先生や生徒の誰にも察知できなかったのは仕方のない部分もあった。そもそも、このサンクトゥムに関しては完全なるイレギュラーであったのだから。
そう、このサンクトゥムはプレナパテスが作成したわけでもなければ、勿論
つまりは、これは誰の制御化にもない現象であり、そして奇跡的な偶然なのである。
この世界の誰よりも深く、とある少女が負の感情を抱いたこと。
彼女に記憶を読み取れる
そして、3本分ものサンクトゥムのエネルギーが、ほとんど手付かずの状態で放置されていたこと。
これらが噛みあってしまった結果こそが、新たなる虚妄のサンクトゥムの顕現であり────
────そして、誰にも制御できない守護者の誕生なのであった。
バチリ、と雷が音を立てる。
真空ではないはずの大気を爆ぜるように劈くその色は、その身を構成する“
それはその存在が、その超越的な神格が完全な顕現を果たしていないことを、あくまでもシロコ*テラーの記憶を模倣して象られた存在であることを示している。
だがしかし、それがどうでも良くなるほどの力を纏って、砂漠と嵐と雷そのものたる『神々の星座』は像を編む。
いつかの世界で“セトの憤怒”と呼ばれた、世界を滅ぼす存在であるソレは。
漆黒の雷で編まれた両手を、翼を広げて、吼え立てる。
響く声に呼応して再度雷が迸り、触れる砂面を黒色に染め上げる。
少しずつ光明の見えつつあった状況を揺れ戻すように、たった今、最悪のイレギュラーは顕現した。
────────
同時刻、色彩内部にて。
外界と隔絶されているがために時空が歪んだその場所で、実に三日近くの間繰り広げられていた戦闘に、初の変化が訪れる。
「────ッ! チィッ!!」
舌打ちを漏らしたのは、徒人の身から聖人にまで至りし青年……つまりはマクガフィンであった。その彼の視界の先では、色彩に操られたマクガフィンが大きく像を膨張させている。
そして刹那、青年の回避が間に合うかどうかという瞬間に────ポンッ、とどこかチープな音を立てて破裂。
これまでの示し合わせでもしていたかのような戦闘では見られなかったその攻撃は、否応なしに何かが起きたのだろうと理解させる物。
そして青年の側に変化があったのではないとなれば、その原因は容易く推察できる。
(色彩に何かがあったか……)
少しだけ考え込むよう、マクガフィンはその“何か”の中身を考える。
この混沌に過ぎる領域では、彼の持つ『知識』の力も無用の長物にまで成り下がっているからだ。それこそ、脳という器官を持たない彼であっても、下手に使用すれば膨大な情報量でしばらく処理落ちすることになるだろう。
「────っ!? はぁ!?」
しかし、そんな青年に突如としていくつもの情報が流れ込む。
新たに出現した2本のサンクトゥム。
守護者として顕現した、総力戦のボスでもないナニカたち。
そして、各地で凶暴化する色彩の尖兵。
色彩によって断絶した世界であっても切れる事のないpathを通じて、死に体ながら地上の分体が異常を知らせたのだ。
ここに来て、青年も順調に進みつつあった盤面が揺れ戻りつつあることを察知する。
が、そんな彼を引き留めるよう────あるいはここで取り込んでしまおうとするかのように、先ほど破裂した像が編み直される。
それも、一つではなく無数に。
「ああ、なるほどね? 魂を乗せてないからか。…………邪魔だな、退けよ」
絡繰りは単純である。
そもそも、再誕後のマクガフィンは神秘で編んだ像に魂を乗せなければ活動できないのに対し、色彩に保存され操られている彼にはそれをする必要性がないのだ。
なにせ、神秘で保護せずともその魂は色彩によって保存されているのだから。
さらに言えば、そうでなくともココは色彩の内側なのだ。多少の無茶程度ならば何の問題もない。
そして、先の自爆技もまたその点を活かした攻撃であったのだが……やはり、最も効率的な運用はこうして物量を用意することなのだろう。
すなわち、地上において彼が行っていたのとは似て非なる、全員が本体としての力量を備えた“マクガフィン”の群体を造り上げるという策である。
憤怒も露わに呟く青年からは、それに呼応した膨大な神秘が漂っていた。
『ノミコメ』
が、操り人形たる群体の像は、それに何かを覚える事もなく一斉に動く。操られているからこそ、そこに揺らぎが生まれたりはしないのだ。
かくして両者は動き、再度衝突が巻き起こる。
────ああ、だがしかし、一対一で互角であったのならば。こうも物量に差が生まれてしまえば、その結末は見え透いているだろう。
はたして、広がっていた光景は。
「────なあ、俺は退けって言ったんだ。分かったらさっさと死ねよ」
傷一つなく立つ聖人たる青年と、千切れ消し飛ぶ色彩のマクガフィンであった。
自身の死でさえ意志の力で覆し続けている彼を前に、この程度の不条理など足止めするぐらいが関の山なのだ。そも、今の彼にとって不条理とは乗り越えられる物であり、そして自身が乗り越えるべき物の象徴なのである。
そんな彼が、膝を突くワケもなかった。
今もまた、彼はその暴威を十全に振るいながら群体の中を突き進む。
打ち抜く四肢は衝撃波を生み出し、それを斬り裂きながら神秘の鋼線が流れるみたく巡る。まさしく一騎当千の語を体現するかのような姿は、これを止めるのはどんな存在であっても不可能だろうと思わせるほどだ。
けれども、彼はそこに少しだけ油断してしまった。焦燥で狭まった視野をそのままにしておいてしまったのだ。
“これを受けて無駄だと分かったろうに、どうして色彩は群体を補充し続けるのだろうか”という疑問を、深く考えずに流してしまったのだ。
答えは、奥の方に一体だけ離れて立っていたソレが示していた。
「なっ、それ────」
祈るように組み交わされていた両手が、大きく横に広げられる。
かつて、青年が再誕を果たす前。エデン条約が調印式会場『通功の古聖堂』の尖塔上にて、巡航ミサイルを迎撃するために彼が行ったように。
開かれたその両手の間には、スパークさえ伴って煌めく膨大な量のエネルギーが。恐怖だけでなく色彩そのものまでを一部抽出して生成されたソレは、蠢くように濁った光を揺らめかせる。
すなわち────
『────Apollyon』
彼の有する技のうち最大火力であるソレが、更に危険な段階にまで変容した物であった。
槍とも矢とも取れる黒く濁った光が、青年を貫いて十字架状の爆炎を咲かせる。
その後に訪れた静寂は、彼がいかなる行動をも取れなくなったことを示しており、場の趨勢が決したことをこれ以上ないほどに表していた。
黎明たる夜明けは、あまねく奇跡の始発点は未だ遠く。
立ち込める暗雲が、その道のりの険しさを告げていた。
最後になりましたが、シュガーちゃん さん、グリィィム さん、仔大猩々 さん、nyua さん、評価付与ありがとうございました!