【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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奇跡の先、選択の時

 キィ、と、小さく金属の軋む音が鳴る。

 なんという事のないソレだが、しかし辺りが静寂に満たされていたからだろうか。その音は、嫌に大きく辺りへと響いた。

 

 とはいえ、その場に居るのは先生ただ一人のみ。

 誰かに文句を言われることは無い。……もっとも、だからこそ先の音は目立ったのだが。

 

 

 場所はシャーレ近くの公園。

 日中は散歩や外回りの合間に休憩しようとする者たちで程々に賑わっているそこも、日も跨ごうかという深夜では静けさに包まれている。

 

 そもそも、休日はまだまだ遠い平日の深夜なのだ。その上でキヴォトス全土を未曾有の大災害が襲ってから数日しか経っていないとなれば、やはり外出する者も少なくなるものだろう。

 

 そんなぽつねんとした静寂の中で、先生はブランコに腰を下ろして頭上の街路灯を見上げていた。

 自販機で買った缶コーヒーを手の平で弄ぶ姿は、ぼうとした様子も相まって酷く頼りなく映る。

 

 思わず“心ここに在らず”と表現したくなる有様であったが……しかし、その言葉は正しく先生を表してもいる。彼の心はここではなく、追憶と思索の渦に飲まれているのだから。

 

(マクガフィン……)

 

 胸中に響く名は、もういなくなった人のソレ。

 名乗る人物が消えて、いずれは掠れて薄れていくのみである名前。

 

 それが、今は酷く鋭い刃のように先生には感じられて。思わず溢れ出るように、溜息が漏れる。

 

 その目に涙が浮かんではいない。

 その口から嗚咽が零れはしていない。

 

 ────その心は、折れてはいない。

 

 情が無かったワケではない。むしろ、よっぽど深かったぐらいだ。

 ショックが無かったワケでもない。とある少女ほどではなくとも、平衡感覚が揺らぐ程度にはマクガフィンの真実は衝撃的であった。

 

 正しく、明かされた青年の歴程は先生へと影響を与えていた。

 

 それでも折れ切ってはいないのは。心に罅が入るようでもどうにか保てているのは。

 偏に彼が大人であるからで、そして何よりも託されたからだ。

 

 そう。先生は、死を受け入れ、その道を選び取った青年から託されているのだ。

 自身亡き後の世界を。これからもずっと続いていく子ども達の明日を。

 

 故にこそ、折れるわけにはいかない。顔を上げていなければならない。

 それが遺された者の義務で、託された者の責任なのだから。

 

 

 しかし、その信念だけで乗り切れるほど容易い物でもなかったのだろう。

 先生は、冬の星座みたく辺りを照らす街路灯を見上げて、どうにか少しずつ内心のアレコレを嚥下していた。

 

 

 それは正しく悔恨であり。

 それは正しく無力感であり。

 それは正しく悲嘆であり。

 

 何か他に選択肢はなかったのだろうか、と過去を追憶し。マクガフィンという青年を追想し。

 そうして一時間以上の時が経って、それでも苦い感触は心から抜けきらなかった。

 

「……やっぱり、君も子どもだったんじゃないか。私の護るべき。私が、手を差し伸べるべき」

 

 思わず漏れ出た言葉は、先生が最も衝撃を受けた部分であった。

 そう。先生は、青年と対話を重ねる内に少しずつ思っていたのだ。あるいは、期待してしまっていたのだ。

 

 もしかしたら、この人物は元々普通の存在ではなかったのかもしれない、と。

 

 青年がキヴォトスに降り立った時の年齢が高校二年生のソレであったことは、彼自身の口から聞いていた。しかし……いや、むしろそうだからこそ先生はそう思わずにはいられなかったのだ。

 なにせ、彼の青年にはいくつもの特異性があったのだ。

 

 例えば、その身に宿した尋常ならざる神秘であったり。

 子ども達のために、苦痛を呑み下してでも悪役を演じようとする在り方であったり。

 そもそものキヴォトス外からやって来ているという点であったり。

 起こり得る未来を知識として有していた事であったり。

 死すらも乗り越えて願いを果たそうとする意志の力であったり。

 

 最後の対話となった列車での会話もまた、それを強める要因となっていた。

 

 それぐらいには、マクガフィンという青年は普通でなかったのだ。普通の子どもにはできないような在り方をしていたのだ。

 だがしかし、それはただの幻想……否、彼自身が押し付けていた妄想であった。

 

 マクガフィンは、そして薪波アヤトという青年は元々ただの子どもで。重ねて言えば、キヴォトスの子ども達よりもよっぽど荒事になれていなくて。

 それこそ、先生自身と同じぐらいには脆い存在であったのだ。

 

 彼の在り方に特異性を感じたというのならば、それはそのまま彼を襲った悲劇の異質さと同義である。

 

 一度死を経験したのならば、命に対する価値観が重くなって当然だ。

 この世界を生きる子ども達を想っているのならば、その在り方が先生と近しくなるのは当然だ。

 

 その上で大切な子どもを殺してしまったと思ったならば────成程、その在り方は自らの命を擲つような尋常ならざるモノにもなるだろう。

 

 それこそ、先生に近しいどころか先生よりも純化されたようなソレに。この世全ての悪を引き受けるような殉教のソレに。

 

 故にこそ、先生は悔いるのだ。

 もっと、何かあったのではないかと。どうにかその手を掴んで、悲劇から引き上げる事ができたのではないかと。

 

(……マクガフィン。君は、本当に幸せだったのかい?)

 

 プレナパテスが見たという、そしてユメが見届けたという青年の最期を想って、先生は瞼を閉じる。

 

 ああ、けれどもそれはどちらであっても変わらないのだろう。

 そんな最期を選ばせた事が、そしてソレを幸せに思わせた事が、大人として恥じ入るべき事なのだから。いっそ傲慢にも映るかもしれない考えだが、しかし先生はそう思わずにはいられなかった。

 

 

 いくつもの思考は、感情は、その追憶に従うように流れていく。

 遠く、深く。現実ではないどこかへと。

 

 と、そんな風に苦い心地を巡らせていた時の事であった。

 

「失礼。隣、よろしいですか?」

 

 不意に、そんな声が響いたのは。

 

「えぇ……どうぞ」

 

 心ここに在らずな先生は、“わざわざブランコで隣を聞くなんて、随分と変な人だな”なんて思いながら曖昧に返事をして。

 そのまま、ぼうっと街路灯を見上げていた。

 

「ククッ、彼の聖人の歴程は随分と堪えたようですね。先生?」

「……? …………っ!? 黒服!?」

「ええ、ご無沙汰しております。調子はいかがですか、と聞くのが社交辞令なのでしょうが……今回は、むしろ聞く方が失礼になりますかね」

 

 飄々と、いつも通りの調子で当たり前に話しかける黒服。

 どこか馴れ馴れしくも映る調子で言葉を投げる姿は、しばらく前の動乱で手傷を負っていたとは思えないほどであった。

 

「しかし、貴方も随分とお優しいことで。彼は、貴方の護るべき『キヴォトスの生徒』ではないでしょうに」

「……黒服。もし君がそれを本気で言っているなら私は貴方を心底軽蔑しなければならないし、あえて言っているのだとしても貴方の評価を数段落とさなければならないのだけれども。それでいいのかい?」

 

 キィ、とブランコを軋ませながら腰を下ろす黒服に対して、ギロリと。

 言葉の冷たさとは裏腹の視線。

 

 憤怒という熱を焼べられたソレは、覇気とでも形容するべき見る者を気圧すような迫力が籠められていた。

 が、それを受けてもなお黒服の調子は揺らがない。

 

「おや、これは手厳しい。しかし事実でもあるでしょう? 薪波アヤトが子ども()()()のだとしても、それは生徒ではなかった。マクガフィンが悲劇の果てに生まれ、そしてその果てへと旅立ったのだとしても、既に彼は子どもではなかった。その歴程とはすなわち、彼が自らを襲った苦難を前に考え抜いた結果の物なのです。それを『選択肢が無かったが故の子どもの視野狭窄だった』と言うのは────彼への侮辱に他なりません」

 

 こちらもまた、丁寧な言葉とは裏腹に覗く感情は強い色。

 信念に裏打ちされた響きは、黒服にとってもマクガフィンという存在が大きな意味を持っていることを端的に示している。

 

 理解できない部分は多々あれど、彼もまた殉教の道を貫き通した青年へと敬意を払っているのだろう。最期の在り方が鮮烈で、そして揺らぎの無い物であったからこそ。

 

「…………」

「…………」

 

 両者ともに睨み合うように、とまではいかずとも、漂う緊張感は着実に気配を強め始める。

 じっとりと満ちる静寂は、風の流れる音だけを強調して響かせた。

 

「……たしかに、私の考えは彼への侮辱でしかないのかもしれない。どんな形であれ、彼は覚悟を胸に悔いなく旅立ったんだから」

 

 先に口を開いたのは、先生の方。

 先ほどとは違ってどこか弱々しい調子で言葉を紡いだのは、きっと全てが手遅れであるからこそなのだろう。その胸に渦巻く重く粘ついたソレをゆっくりと吐き出すように、先生は黒服の言葉に同意を示した。

 

 けれども、彼の言葉は終わらない。

 

 ずっと掲げ続けてきた信念があるからこそ。そして何よりも、彼が『先生』であるからこそ。

 

「それでも、私は彼の終わりを幸せだったと認める訳にはいかないんだ。たしかに、マクガフィンはその終着点を納得して選んだのかもしれない。彼の成し遂げたことは誰からも称賛されるべき素晴らしい事でもあるんだろう」

「……では、今一度問うとしましょう。なぜ? その事を理解していながら、どうして貴方はなおも否定を口にするのですか?」

「単純な話だよ、黒服。それは、本来『その世界の責任を負う者』が果たすべき事だからだ」

 

 先とは違ってどこかゆるりとした響きでその言葉が語られたのは、きっとその信念が強固であるからこそなのだ。わざわざ強く言い切ったりしなくとも問題ないほどに。

 

「彼はまだまだ若かった。たとえ高校生(子ども)としての年齢を過ぎていたとしても、既に大人として扱われ始める頃だったとしても。まだまだこれから沢山の事を経験して、そうして“大人”になるはずだったんだ」

「……なるほど。故に、あなたは」

「ああ。彼の最期を、(先生)は恥じるんだ。彼にそんな道を選ばさせてしまった……背負わせてしまったことを。まだ果たすべきではなかった責任を果たさせてしまったことを。誰よりもまず、(大人)は恥じるんだ」

 

 言葉は静やかに、空気へ溶け入るように。

 それでも確かな何かを、刻み込むように。

 

 再び沈黙が戻って、数秒。

 先生の言葉を理解できたのか否か、何かを咀嚼するようにコクリと頷くと、黒服は改めて口を開いた。切り替わるように漂うのは、どこまでも真剣な雰囲気。

 

 そうして、本題は切り出された。先生にとって、決して無視することのできない提案は。

 

「なるほど。それでは、アイスブレイクは十分に堪能したという事で……先生、私は貴方に問いましょう。マクガフィンは、沈み行く箱舟と共にその歴程へ終止符を打ちました」

 

 

 ────そんな彼を再度引き戻せる可能性があると言えば、貴方はどうしますか?

 

 

「っ!? それは……本当、なのかい?」

 

 大きく目を見開き、躊躇いがちに問いかける。

 そんな風に、これ以上ないほどにまで内心を外に出してしまったのは、それだけ投げられた問いかけが衝撃的であったからだろう。

 

「蘇生、あるいは反魂、あるいは復活。────あるいは、再誕。私が提示する可能性とは、ソレです」

 

 ククッ、といつも通りの笑いを間に挟んで。

 黒服は、そんな先生へと畳み掛けるように語る。

 

「そもそも、本来ならば今の状況こそがおかしいのです。人の身から『聖人』にまで至り、最期には『新たなる色彩』にまで至っていたはずの彼が死んでいる、という現状が」

「それは、どういう……?」

「ああ、失礼。そうですね……先生にも分かりやすく言うのであれば、特撮ヒーロー作品において主人公が死んだまま最終話を迎えている、とでも表現しましょうか。あるいは、太陽が突然崩壊した、とでも」

「つまり、有り得なくはないけど基本的に起こり得ない……ってこと?」

 

 先生の確認に頷くと、“お約束”を破っているとも言えるでしょうね、と黒服は繋げる。

 

「まず前提として、聖人とはその存在の中核に復活の逸話を持つ存在です。もちろん、それ以外にも色々と要素はあるわけですが……多くの人が思い浮かべるのは、まずそのテクストでしょう」

「まあ、それは。たしかに……」

「そして、その上で彼は色彩を千切り取って取り込むことで新たなる色彩にまで至りました。つまり、我々とは異なる次元にまでその存在を昇華させたのです。これが簡単に死ぬとは、私には到底思えませんね」

「…………」

 

 返答は無く。

 遂には黙り込んでしまった先生であったが、しかし話し手である大人は気にした様子もなく続けた。

 

「さらに加えるのであれば……このキヴォトスには、触媒となる彼の神秘がまだ漂っています。デカグラマトンの預言者たちがいくらか消費したようですが、それで消え去るほど生温い存在ではありませんからね。故に、本来ならばマクガフィンは蘇っていてもおかしくない……いえ、むしろ蘇っていなければおかしいぐらいなのです」

「じゃあ、なんで────」

「彼自身がそれを望んでいないから、でしょうね」

 

 そこでブランコから立ち上がると、何かを食い縛るように唇を引き結ぶ先生へと黒服は問いを放った。

 

 

「さて、それでは改めてお聞きしましょう。マクガフィンの復活が可能である理由は説明しました。ここまで条件が整っているのならば、こちら側からのアプローチ次第で彼を強制的にでも蘇らせることも可能でしょう。先生、どうしますか?」

 

 

 向かい合う両者の間に……否、周囲一帯に静寂が下りる。

 風の音も、虫の音も、あるいは街路灯のハム音も。何も聞こえない。そこにあるはずの呼吸音でさえも。

 

 その中で思わず、先生は黒服の手を取ろうとして。

 半ば無意識に、希望へと縋り付こうとして。

 

「────っ!」

 

 ナニカに引き留められるように、裾を引っ張られた。

 

「ただし、先に言っておきましょう。これを行ったとして、確実に彼が還って来ると断言する事はできません。加えて、その過程には必ず危険が伴います。ともすれば、箱舟の襲来に並ぶ厄災を招く事もあり得るでしょう。それを理解した上で、ご決断ください」

 

 黒服の忠告も耳に入らない様子で、先生は自身の右腕の方をじっと見つめる。

 残滓とも呼べる僅かな力で、しかしたしかに、()()から引っ張られたみたく止められた腕を。

 

(私は……どう、すれば…………)

 

 

 




先生は

黒服の手を取る
 黒服の手を取らない
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