【本編完結】黒く濁った罪を背負って   作:RH−

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※作者注:同時更新の二話目となっております。必ず前話を先に読み、そしてその選択に納得をした上でお読みください。

あと、演出の都合上、今話は数話分の文字数となっております。まあ、最終回なのでお目こぼしいただければ幸いです。



奇跡は続いて、終わらずに

「……分かった。貴方の提案を呑むよ、黒服。それで、私は何をすればいい?」

 

 まるで永遠にも思える数秒の後、先生は黒服の手を取った。

 その胸中にはいくつもの感情が渦巻いている。これで本当にいいのかと悩みもしている。

 

 例えば、これはただの自分のエゴなのではないのか、とか。

 彼は欠片もこんなことを望んでいないのではないのか、とか。

 彼がその命を懸けてまで創り上げたこの世界を、この状況を、博打で崩してしまってもいいのか、とか。

 そもそもの人の理、生き返らないはずの死んだ人間を蘇らせてもいいのか、とか。

 

 つい先ほどの引き留めるような感覚も、その心を迷わせる大きな要因だ。

 

 しかし、それでも先生には止められなかったのだ。諦め切れなかったのだ。

 これほどまでに子ども達のためを想って、その命を擲ってまで行動してくれた彼を。その最期をより良いハッピーエンドにしてあげる事を。

 

(だって……ここまで頑張ったその最期が、こんな死に方(終わり)だなんて。あんまりじゃないか)

 

 立ち上がり、迷いを振り払うように一歩を踏み出す。その姿からは、ついさっきまでの弱々しさが嘘であったかのような力が漏れ出ていた。

 そんな先生を見て、少しだけ眩しい物を見るみたく“ほう”と息を吐いて。黒服は、質問に答えた。

 

「まずは器の復元と経路の確保でしょうね」

「器と、経路」

「強制的に反魂を果たすのであれば、楔、あるいは目印となる肉体は必要不可欠です。デカグラマトンからどうにか手に入れる必要があるでしょうね。そしてその上で、彼を構成していたいくつものテクストを象徴する物を集めて、魂を降ろすための経路を作らなければなりません」

 

 黒服の言葉をまとめると、現在のマクガフィンは意識も何もかもを手放し、魂だけをエネルギー体のようにしてどこかを漂っていると推測できる、という事のようだ。

 さして、その魂を引き戻すためには、器と経路は必須なのだのか。

 

「ただし、現在彼の魂がどこを漂っているのかは分かりません。それこそ、色彩の内側である可能性すらもあります。蘇生の際には、相応の波乱があるでしょう。生徒の皆さんの協力も必要かと」

 

 そこまで言い切ると、黒服は“では、私も自分の用意を進めますので”と踵を返した。

 暗がりへと進むその背中は、宵闇に溶け込むように。まるで幻のように消えていく背中に、先生は一つ質問をする。

 

「ねえ、黒服! 君は、どうしてこんな提案をしたの?」

「まあ、色々です。恩を売っておきたいという打算であったり、研究対象としての彼の希少性を勘案したり。色々ですよ」

「……本当に、それが全てなの?」

「…………強いて言うのならば。恩返し、ですかね」

 

 “こういうところで無駄に鋭いのは、貴方の苦手な部分です”と、そう続けて。やはり、真剣な調子は崩さずに。

 黒服は、立ち去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなでも、私だって恩を覚えるんですよ。マクガフィンさん」

 

 夜闇に紛れるようにしながら、声は一つ。

 その脳裡に過ぎるのは、ゲマトリアがシロコ*テラーによる襲撃を受けた時の事。ベアトリーチェに関してはそれ以前に既に清算し終えているはずだというのに、わざわざ『その借りを返す』と守られた瞬間の事。

 

「まあ、これがはたして恩返しになるのかは分かりませんが、ね。ククッ」

 

 カメラのフラッシュライトみたく、あるいは走馬灯みたく。その胸中に去来したいくつもの感情が、瞬いて。

 けれどもやはり、それらを外部へ現像させたりはせずに。

 

 飄々と、黒服は歩を進めるのであった。

 

 

────────

 

 先生が黒服の手を取ってから、一夜が明けて。

 

「……え?」

「うそ……」

「ね、姉さん! これ……!」

「はい、アリスも確認しました」

「……なるほど。やはり聖人の逸話をなぞるならば、明日こそが」

「本当、なの? セイアちゃんが考えてた事が、本当にできるの……?」

「…………アヤトさん、を?」

 

 朝一で連絡を受けた少女たちは、飛び起きるように行動を起こした。

 

 一人になってからも溢れ続ける涙を堪えきれず、泣き腫らすみたく眠りについた桃髪の少女も。

 そんな彼女を想って、そして自己嫌悪と罪悪感に縛られるようにして、ずっと空を見上げていた浅葱色の髪の少女も。

 何かを堪えるみたく徹夜でゲームをする姉を、珍しく止めもせずに隣に居続けた少女も。

 そんな妹の優しさを受けて、いつまでも後ろを向いていてはならないと顔を上げつつあった少女も。

 昼夜も忘れるように古書館へ籠って、過去の伝承をあさり続けていたキツネ耳の少女も。

 そんな彼女を手伝って、参考になりそうな本を片端から運んでいた薄桃髪の少女も。

 何かが起きない限り、バシリカ跡地でずっと祈るように手を組んでいた灰髪の少女も。

 

 皆が、雲間から覗いた光のようなその希望を信じて。

 青年の足跡を辿るように、少女たちは彼の何らかの側面を象徴する物品を集める。

 

 

《アビドス自治区・とあるラーメン屋》

 

 朝一に訪ねてきた少女から伝えられた話を受けて、店主である大人は腕を組んでいた。

 

「……ホシノちゃん。俺はただのしがないラーメン屋の店主だ。世界の終わりだとか、聖人だとか……正直、そういうのはよく分からない。あの子と過ごした期間も二、三ヶ月ぽっちで、もしかしたら君たちよりも関係は浅いかもしれない」

 

 思ったことを思ったままに紡がれる言葉は、だからこそ何よりも彼の内心を明らかにする。

 口調や態度が普段とそう変わらないはずだというのに、その印象がガラリと変わっているのは、きっとその真剣さがピシリと立てられた背筋みたくまっすぐだからだ。

 

「でも、しばらく前にあの子がウチのラーメンを食いに来てね。“ごめんなさい、ありがとうございました”って、笑いながらどこかに旅立って行ったんだ」

 

 射貫くような鋭さは無いが、しかし姿勢を正させるような貫禄はある。そんな眼差しの中に、ゆらゆらと漂うように温かな色が浮かび上がった。

 偲んでいるのか、悔やんでいるのか、あるいは。まだまだ若い少女が視線だけから汲み上げるには複雑すぎる感情を湛えた瞳が、挟まれたまばたきで一度隠れて。

 

「────俺は、お客さんを笑顔にできるラーメンを提供したいと思ってる。それは、あんなモンじゃないんだ。あんな、悲しさを堪えるようにくしゃくしゃになった笑顔じゃないんだ」

 

 再度開かれた瞳には、今度こそ射貫くような鋭さが。

 強く、そして何よりも真剣に。それでいて、どこか託すように。

 

 そんな目をして、柴大将は語った。

 

「さっきも言った通り、教えてもらったことはよく分かってない。でも、これがあの子のためだってなら何も問題ないんだ。なんにも。大人が子どもに言う言葉じゃないけれど……頼んだ、ホシノちゃん」

「────っ、はい!」

 

 手渡されるのは、古びた一着のエプロン。

 汚れは少ないのに色が褪せているのは、すなわち着る人がいないまま長い時が経ったことを示している。けれどもまったく駄目になっていないのは、きっと手入れがしっかりとされていたからだ。

 

 それを、柴大将の想いごと受け取るように抱きしめて、小鳥遊ホシノは席を立った。

 

「────ホシノちゃん! 君だって、ウチの大切な常連さんなんだ! 怪我、しないようにね!」

 

 背後から響いた声に、どうにかもう一度“はい”と返事をして。

 どうしてか滲んで仕方が無い視界を拭いながら、少女は歩を進める。

 

 そこに、もう弱さや脆さは欠片だって残っていなかった。

 

 

《アビドス自治区・廃墟群の一角》

 

「えっと……たしか、この辺りに…………」

 

 寒々しい廃ビルの光景に似つかわしくない、どこかぽわぽわした調子の声。

 それに従うように、浅葱色の少女があちこちへと動く。

 

「あれぇ……?」

 

 先生から伝えられた可能性のお陰か、少しだけ沈み込むような暗さの薄れた少女。

 2年の眠りに落ちる以前の明るさには遠くとも、そのきざしが少しだけ覗きつつある彼女は、しかしそのアホ毛を垂れさがらせるようにしてシュンとしていた。

 

「おかしいな……pathで見ていたのだと、確かにここに置かれてたはずなんだけど」

 

 ゆっくりと、もう一度慎重に周囲を見渡す。

 キョロキョロ、と言うよりジロジロと形容するべきその視線は、それが少女にとってどれだけ重要なのかを表している。

 

「う~ん……」

 

 もう一度。

 唇を尖らせるようにうなりながら、細めた両目の上、おでこの辺りに右手を乗せて。

 

 いっそベタなまでの────あるいは、人によってはあざといまでの────仕草で、辺りを見回して。

 

「……あっ! もしかして!」

 

 何かを思い付いたみたく、右手の方に積もる瓦礫の山をかき分ける少女。

 似通った景色の中に、僅かながら記憶との差異を覚えたからである。

 

 はたして、そこには────

 

「あった……! あった!!」

 

 黒地に梔子の華が白で描かれたシンプルな文箱と、その中に収められた三通の封筒。すなわち、青年が念のために遺していた手紙であった。

 

「よかったぁ……」

 

 ギュッと、幼子がぬいぐるみを抱きしめるみたくソレを両手で包んで。

 目尻を少しだけ潤ませて、少女は安堵する。なにせ、これを青年が書いてる最中はpathを狭められていたせいで、中身に関しては彼女自身も知らないのだ。

 

 その手紙に託された意味を考えれば仕方のない事ではあるが、だからこそ喜びも一入になるというもの。

 

「よし。ちょっと時間かかっちゃったけど、ちゃんと全部集められた」

 

 事前に同じ廃ビルの中で探し出しておいた、この世界には存在しないはずのボタン。青年が、このキヴォトスに降り立った瞬間に着ていた服の断片。

 それを文箱と一緒に大切に抱えて、梔子ユメは廃ビルから外に出る。

 

「待っててね、アヤト君。今度は、きっと私が────」

 

 pathを通して見た、かつての青年の始まりとなった景色。

 それにコクリと頷いて、少女は彼女にとっての最初の一歩を踏み出すのであった。

 

 

《ブラックマーケット・外郭》

 

 動く者は生徒たちだけではなく、無法の街たる闇市にも。

 

「えっと、確かここにも……っと、やっぱりありましたね」

 

 がさごそと、暗がりの中を小さく丸い光が蠢く。

 ヘッドライトのか細い明かりだけを頼りに動くのは、隠密性を重視した野戦服らしき装備に袖を通した影。

 

「いやぁ、久々に引っぱり出してきましたけど、やっぱり動きやすいですね」

 

 こそこそとした振る舞いや周囲の荒廃した様子は、どこか盗掘家や廃墟漁りのような印象をその大人へと貼り付ける。

 とはいえ、ある意味ではその評価も間違っていないのだが。

 

 事実として、彼がいる場所は放棄されてから久しく、そして彼はそこに残された物品を持ち出そうとしているのだから。

 まあ、一つ言う事があるとすれば、それは彼こそがこの土地の持ち主であるという事なのだが。

 

「しかし、しばらく見ない内に荒れましたねぇ。仕方のない事ではあるんですけども」

 

 しばしの休息として周囲を見回して、ほうと息が漏れる。

 隆盛と衰退とは彼にとって馴染みのある物ではあるが、やはり慣れるものでもないのだろう。トレードマークにもなっている白のガラベーヤを珍しく脱いだその背中には、煤けたような暗い色が浮かび上がっていた。

 

 だが、時の流れの無機質さに何かを覚えども、その背が立ち止まることは無い。

 託された物。抱えた義務。そして何よりも、ある意味呪いのように手元へ残り続ける罪悪と夢。それらがあるからこそ、彼は進むのだ。

 

「アヤトさん……人は、そう簡単に一人(独り)になれるものではありません。繋がりというのは、やはりどこかに残っている物なんです」

 

 それは時に人をがんじがらめに縛る枷のように。

 あるいは、行動の自由を阻害する軛のように。

 

 そして────その人がそこに居ることの証明のように。

 

 それは過去であり、足跡であり、歴程であり、そして未来なのだ。

 失ったと思っても、その心に繋がりは残り続ける。

 

 それを誰よりも知るからこそ、『繋ぎ手(connecter)』を名乗る大人は頷き。

 

「それでは、休憩がてらの独り言もこの辺りで。次は、ミレニアムですかね」

 

 残したままになっていた、十字架状にスリットの入った仮面。

 “マクガフィン”を象徴するソレを懐へと収め、彼は次の目的地へと向かうのであった。

 

 

《トリニティ自治区・通功の古聖堂》

 

 尖塔の頂上付近を、親鳥から離れて飛ぶ練習をし始めた雛のように、ふらふらと動く三人の少女。

 頼りなくも映るその飛行は、しかし決して地には墜ちずに続く。

 

「どう、かな……アリスちゃん、ケイちゃん。できそう?」

「……! はい、ようやく視えました!!」

「ありがとうございます、ミカさん。もう少しですので、お願いしますね。姉さん、行きますよ?」

 

 瓜二つな姉妹を抱える薄桃髪の少女は、人間三人分の重みをその翼で支えながら問いかけた。

 柔らかな頬に伝う汗が、太陽の光をきらりと反射する。

 

 しかし、そんな彼女の実に1時間近くにも続く努力は、ここに結実した。

 

「────私は王女。私は勇者。そして、アリスは誰でもないアリスです」

「────私は鍵たる侍女。私は妹。そして、私は誰でもないケイです」

 

 かちりと、パズルのピースがはまるように、あるいは鍵が鍵穴へと差し込まれるように。

 天真爛漫な姉としっかり者な妹の雰囲気が、切り替わる。

 

「アリスが要請します。魔法使いさんのために、この手へ光を」

「ケイが承認します。あの人のために、この先へ奇跡の続く道を」

 

 解き放たれた光は、されど散らばりはせずに一ヶ所へと凝縮していく。

 寄り集まり、束ねられ、編み上げられ、極光を纏いながらやがて太陽の如き光を放ち────

 

「よし……アリス!」

「はい! 掴みました!」

 

 声に従って、明るさを絞られるみたく光が薄れる。

 残されたのは、天童アリスの右手と天童ケイの左手に握られるようにする、不思議な結晶。白色なようで半透明で、それでいて中心にはオーロラの如き光彩が揺らめいている。

 

 すなわち、彼の青年を表す神秘の結晶体。

 

『────よし。どうやら成功したみたいだね。それじゃあ、次はアリウスのバシリカ跡地になるが……大丈夫かい?』

「はい! まだまだ行けます!」

「ありがとうございます、セイアさん。あなた達の手配が無かったら、どれだけ移動にも時間が掛かっていたか」

 

 “構わないさ、私たちにできるのはこのぐらいだからね”と答えて、少しだけ苦々し気に肩をすくめるようにして。

 百合園セイアは、聖園ミカへと言葉を贈る。

 

『そういうわけだ、ミカ。負担をかけてすまないが、アリウスまで二人を送り届けてくれ。あそこまでなら車より君の方が速い』

「このぐらい余裕だもん。まっかせて、セイアちゃん! アリスちゃん、ケイちゃん、舌噛まないように気を付けてね!!」

 

 まるで巡礼みたくキヴォトス各地の青年の足跡を辿りながら。

 少女たちは、それぞれにできる事を最大限に果たすのであった。

 

 

《アリウス自治区・バシリカ跡地》

 

 寒々しいアリウスの中でも、ことさら閑散としたバシリカ跡地。

 色々な要因で近寄る者の少ないそこで、灰髪の少女は跪くように両手を組んでいた。青年の『聖人』としての側面を何よりも象徴する槍は、抱えられるようにして少女の胸元に。

 

 静謐な空間で陽光を背に浴びながらの姿は、修道女か、あるいは使徒か。宗教画のような独特の厳かさと共に、少女はじっと両手を組む。

 

「……やはり、ここに居たか」

 

 ザリザリと砂利を踏む音と、ダウナーな声。

 重くはないが厳粛ではある静寂を裂いて、静かに響く。

 

「サオリさん、ですか」

 

 姿勢はそのままに、顔を向けもせずに少女は答えた。

 ともすれば対話の拒絶、悪意の表れとも取れる態度であったが、しかしそれに気を害した様子もなく名を呼ばれた少女は返す。

 

「ああ。少しだけ、話があってな」

 

 再度、ザリザリと砂利を踏む音。

 しかし、距離が近付いたからか、両者の鼓膜は別の音も拾う。

 

 衣擦れの音、そして呼吸の音。

 風さえ止んでいるそこにおいては、僅かな音でさえよく目立った。

 

「カシス……」

「私が迷っているから、ですか?」

 

 こういった場面に慣れていないからか。少しだけ迷うように言葉を紡ぐサオリへと、しかし少女は固い調子のままに返す。

 続く言葉を奪い去っての質問は、やはり対話を拒絶するように。静かな空間へと、残響を残した。

 

「ああ。私は、先生からの連絡にお前が悩んでいるのだろうと思ってここに来た」

「ご心配、感謝します。ですが、これは私が自分で────」

「────カシス。自分でも分不相応だとは思っているが、これでも私はこの自治区を治める生徒会長としての役を務めている」

 

 今度は態度だけでなく言葉にまで表れた拒絶の意思に、けれども割り込むように声は響く。

 一度粉々に折れて、その後に眩しいまでの光に打ち直された……そんなサオリの強さを示すように。

 

「だから、私はこの自治区の責任者として言うぞ。“望むままに生きろ”、と」

「────っ! あなたに、何が分かるんですか!!」

 

 いよいよ振り返った少女が、叫ぶように不快感を口にする。

 キッと睨み付ける様は、しかし涙を堪えるようにも。その声が震えていたのは、きっと間違いではないのだろう。

 

 いや……きっとそれは声だけでなく、その全身もまた。

 

 弱いようで、罅が入っているようで、しかし抱えた想いの強さを示すように。

 少女は、叫ぶ。

 

「私にとっては、あの人が全てなんです! あの人の望みにだけは、絶対に背きたくないんです!! たとえ何を、私自身の感情を裏切ることになっても! あなたに────救ってくれた人がまだ生きているあなたなんかに、何が分かるって言うんですか!」

 

 よく見るまでもなく、その目の縁は腫れている。

 喪失と共に晴れる事のなくなった雨が、ずっと溢れ出しているから。

 

「ああ、そうだ。私には分からない。私を暗闇から引き上げてくれた二人は、まだまだ元気に生きている。……でもな、私にはこれだけは分かるぞ。お前が、揺れ動いている事だけは」

「────っ、ええ! そうですよ!! 私はあの人にまた逢いたいって、生きていてほしいって思ってます! 想い続けてます!! でも、それがあの人の望みじゃない可能性があるのなら」

「それを、マクガフィン自身が口にしていたのか? 眠りにつかせてほしいと」

「それ、は。それは…………」

 

 激情に駆られる少女とは対照的に、サオリの声は冷静なままに。

 ゆっくりと、それこそ突き付けるみたく質問を口にする。

 

 けれども、そこに氷みたいな冷たさはない。だって、それは全て少女のための言葉なのだから。

 相手を思い、そして慮って紡がれる言葉から、熱が抜け落ちることなんて有り得はしない。

 

「……カシス。結局のところ、私たちは信じたいものしか信じられないんだ。世界は虚しいばかりなのか、そうではないのか。これから先の未来に幸福はあるのか。そして、あの人が何を望んでいるのか」

 

 温かさは、染み込むように。

 やはりゆっくりと、語りかける言の葉の調子と同じように。

 

「もし挑戦してみて、それであの人の望みと違っていたなら謝ればいいんだ。だって、言葉を届けられるんだから。……それとも、あの人は赦してくれないような人なのか?」

「…………それは、違います。違いますけど、でも、それは」

「カシス。私たちは、まだ子どもだ。それこそ、他の学校の生徒よりもずっと幼いぐらいに。きっと、私たちはもっと卑怯でわがままなぐらいでいいんだよ」

 

 それぞれに感情は違おうと、互いに距離を詰め合ったからだろうか。

 手を伸ばせば容易く届く近さで、サオリは語りかける。

 

「それに……そうだな。もしあの人が眠っていたかったなんて言うようなら、そんなことを二度と口にできないぐらい幸せにしてやればいいんだ」

 

 ともすれば『当たって砕けろ』とも受け取れる、彼女にしては珍しい種類の言葉。

 ほんの少しだけ冗談の色が滲んだそれは、きっと彼女の変化の証で、そして何よりも少女の背を押したいという想いの表れで。

 

 だからこそ、これ以上ないほどに胸を打つのだ。

 

「そんな、こと……私なんかには」

「これは先生の受け売りだがな。『この先に続く未来には、無限の可能性がある』んだそうだ。誰かに遠慮したり、自分を卑下する必要もない。きっとお前にだってできるさ、カシス」

 

 ようやく上を向いた少女の瞳は、潤みながらも波が凪ぐように。

 群青の虹彩に浮かぶ曙色の瞳孔は、夜明けのようにも映る。

 

「……カシス。行きたいんだろう?」

 

 返事は遠く、沈黙はじっとりと。

 けれども、揺れ惑いながらも、少しずつ輪郭がはっきりとし始めるように。

 

「…………はい」

 

 小さく、少女の感情は答えとして静けさを引き裂いた。

 

「なら、行くんだ。自分の想いに蓋をする必要はないんだ。それに、私たちの事を気にする必要も」

「いいん、でしょうか……」

「誰が何と言おうと、私がいいと言ってやる。アリウスの生徒会長が。お前が私たちを気にかけて守ろうとしてくれてることは知ってる。でも、私たちは、そしてここはお前の家であって、お前を縛る枷じゃないんだ」

 

 抱きしめるように、背を撫でるように。もう一歩ぶん二人の距離が縮まって。

 密やかなまでにゆっくりと、両者の時は流れる。

 

「好きに生きろ、カシス。それが、お前が自分の人生に持つべき責任だ」

「……ありがとう、ございます。本当に」

「もう、迷いはないな?」

「はい! 行ってきます、サオリさん!!」

 

 斯くして、少女は旅立つ。

 青年の一つの終わりと、一つの始まりとなった場所から。

 

 そのターニングポイントを象徴する、槍を携えて。

 

 再誕の時は、きっとすぐそこに。

 

 

《D.U.区内・シャーレオフィス》

 

 全ては、大恩ある青年をこの世界に取り戻すために。

 キヴォトス全体で見れば少ないかもしれないが、それでも幾人もの少女は力を尽くした。

 

 そして、その流れは生徒たちだけではなく。

 彼自身との契約によって確保した聖骸を管理する三人もまた。

 

「……これ、はっ!?」

 

 デカグラマトンが最期の“データ収集”を行うために先生へと送り付けた携帯端末。

 以降はだんまりを決め込んでいたソレが、目を覚ましたみたく突如として光を放つ。画面に表示されたのは、D.U.郊外らしき座標の情報。

 

 考えるまでもなく怪しくはあったが、しかし先生は迷わずに指定場所へと向かう事にした。

 虎穴に入らずんば、というワケではないが、いつかはこの相手とも接触しなければならなかったからである。

 

 

 

 そうして先生が向かった先に待っていたのは、ホシノが見たと言っていた三人の真っ白な幼女たち。

 そして、五体満足に復元された黒ずくめの遺骸であった。

 

「……いい、のかい?」

 

 ここまで露骨に示されて読み取れないほど、先生は鈍感を極めているわけではない。

 それ故の問いに、しかし答えは肩をすくめるように。

 

「いやいや。良い悪いの話をするなら、間違いなく悪いでしょ」

「ですね。いくら欲しい情報は粗方収集した後とはいえ、この聖骸を手放すことは間違いなく私たちにとって喪失になりますから」

「で、でも……ダアトお兄さんが死んだのは、私たちのせいでもありますから。だから、あなた達に任せてみます。私たちは儀式に参加する事はできないでしょうし……」

 

 そう言って、マクガフィンの聖骸を差し出す三人。

 彼女らにとっても青年の末路には思うところがあったのか、その姿からはどこか暗い色が覗いていた。

 

「……分かった。ありがとうね」

 

 受け取った重みは、どこか軽いようで、しかし。

 そこに自らを支えようとする働きが無いからこそ、ずっしりとした感触を先生に与えた。

 

 命が抜け落ちたからこその軽さと、それがかつて人間であったからこその重さと、いくつもの感情と。多種多様なソレらが混ざり合った冒涜的な感覚は、どこまでも生々しく“死”を突き付ける。

 その全てを抱えるように受け止めて、先生は踵を返そうとして。

 

「あ、ちょっと待って」

「……? どうしたの?」

 

 呼び止められる声に、もう一度振り返る。

 声をかけたソフの手元には、さっきまでは無かったはずの本らしきナニカが。

 

「これ、渡し忘れてた」

「本……題名は、“天路歴程”?」

「ダアトの『知識』を、残されていた記憶から可能な限り復元したものです」

「えっと……たぶん、これは私たちしか確保できない要素だと思ったので」

「……何から何まで、本当にありがとう。きっと、成功させてみせるね」

 

 少しだけ滲み始めた視界をそのままに、改めて深く礼をすると、先生はその場を立ち去るのであった。

 これにてすべての準備は整い、再誕の儀は執り行われる事となる。

 

 決行は、翌日。

 奇しくも、青年が幕引きを終えてから三日目となるその日に。

 

 その果てに待ち受ける物は、はたして。

 

 

────────

 

「それじゃあ、改めて流れの確認をするよ」

 

 そんないくつもの積み重ねを経て。

 いよいよ決行目前となった儀式の確認を、先生たちは行っていた。

 

 場所はアビドス郊外、青年の始まりの場所となった廃ビル前の広場。

 

「まず、前提条件になっていた器と経路の確保は完了している。だから次に、彼と魂のpathで繋がった事のあるユメ、ホシノ、プレナパテスがそれを使って経路を励起、器に彼の魂を降ろしていく」

 

 集まっているのは、計八名の少女と二人の大人のみ。

 彼との関わりが深い者以外の立ち入りが禁じられた再誕の儀式は、最小限の人員で行われようとしている。

 

 ある意味発起人でもある黒服もまた、全ての手順と青年との契約で確保・保管していた神秘を先生へと託して、この場にはいない。

 

「ただ、彼の意識は深い眠りについている状態らしい。おそらくだけど、彼を構成する要素を戻そうとする度に、その力だけが制御を離れて暴走するだろう。みんなには、それを彼に戻すために無力化してもらいたい」

 

 了解の返事は短く、きっかり7個分。

 しかしどれもピシリと揃って、周囲へと響いた。

 

「黒服の分析だと、三位一体のテクストを踏襲するのなら戦闘は3回。つまり、彼の要素が3回に分かれて襲い掛かってくる。確実に、かつてないほどの脅威になるはずだ。最初から全力を出すつもりで戦おう」

 

 各地から収集してきた彼を象徴する要素、すなわち経路を象る触媒となるいくつもの品々を。

 そして、幾何学的に配置されたそれらの内側で、聖骸を取り囲むように瞼を閉ざすユメたち三人を改めて見て。

 

「それじゃあ────始めよう。マクガフィンの、薪波アヤトの復活を」

 

 遂に、儀式が始まる。

 

 

────────

 

 夜明けからしばらく、中天高くとはいかずとも十分高くにまで太陽が昇った頃。

 先生たちの集まる廃ビルからは数kmほど離れた、しかしやはり朽ちたビルの屋上にて、二人の大人が会話していた。

 

「おや、これは……」

 

 空を見上げて、いつも通りの白のガラベーヤを身に纏う大人が呟く。

 視線の先では、水面に墨汁を垂らしたかのように、空の一点から円状に広がる黒い雲が。

 

「始まりましたね。しかし、良かったので?」

 

 そんな呟きに応えるように、こちらは黒のスーツに袖を通した大人が返す。

 常の飄々とした空気を保っているようにも見える姿からは、けれども指先のこわばりなどの形で緊張が滲み出ていた。

 

「彼は、その旅路の最期が近付いた頃に『自分は本来この世界には存在しなかった』と語っていた……でしたよね?」

「ええ。おそらく、彼だけの持つ『知識』における世界を正史として考えていたのでしょう。それが何か?」

「いえ。彼がそうなら、おそらく私も同じ種類の存在なのだろう、と思いまして」

「ああ、なるほど。つまり、自分があの場に臨むのは相応しくないと」

 

 身も蓋もない黒服の物言いに、数秒ほど沈黙を挟むことで不満を訴えて。

 繋ぎ手は、“まあ、そうですが”と小さく返した。

 

「ついでに言うのならば、私があの場にいたところで足手まといになるのが精々でしょう」

「ふむ、それもまた道理ですね」

「……なんと言うか、今日はやけに辛辣じゃないですか?」

「おや、慰めて欲しかったので? なでなででもしてあげましょうか?」

「遠慮しておきます。ええ、心から」

 

 ピシャリと拒絶の言葉が響いて、それが空に溶けると共に沈黙が帳を下ろす。

 吹き荒れる風の音と、それに攫われるように靡くガラベーヤのバタバタという音だけが、存在を主張するように目立った。

 

 その中で、再度白ずくめの大人が言葉を紡ぐ。

 

「それに────」

「それに?」

「こうして、内側だけじゃなくて外側にも目を向ける存在は必要でしょう?」

 

 “念には念を、じゃないですけれど”なんて続けて、肩をすくめて。

 少しだけシニカルに、繋ぎ手は笑ってみせた。

 

「ククッ、それも道理ですね」

 

 視線の先、いつかの日のように地上から伸びた光の柱を。もっと言えば、それを辿るように降りてくる光の塊を見て。

 やはりこちらも皮肉気に、黒服は笑ってみせた。

 

 ドクン、と、鼓動を刻むように光の塊が蠢いた。

 

 

────────

 

「来たっ!」

 

 じっと瞑目し深くまで未来を見通していたセイアが叫び、刹那、天上からゆっくりと降りてきていた光の塊が弾ける。

 静電気が爆ぜるみたく分離した一欠片は、夜空に軌跡を刻む箒星のようにどこかへと飛び去ろうとして────

 

「逃がしません!!」

 

 天童アリスが撃ち放ったレールガンによる一撃が、逃げ去る光を叩き落とす。

 

「よし、アリス、ケイ! そのままお願い!!」

「はい! 先生!」

「それでは、後は任せます」

 

 姉妹が向かう先は、東の方角。

 撃ち落とされた光の塊がいる場所。

 

「待て……今の翼、天使? それに、東? 三つ……まさか」

「セイア?」

「……先生。もしかすれば、想定以上の苦戦になるかもしれない。覚悟しておいてくれ」

「……分かった」

 

 これから続く未来の趨勢を決める戦いが、遂に始まった。

 

 

────────

 

《戦闘区域・東》

 

 遥か高空から叩き落とされた聖霊へと、二人の少女が駆けよる。

 小柄な体躯と地面に引きずるまでの長い黒髪、およそ身体を構成するほとんど全てが瓜二つである姉妹は、唯一違う部分である青と赤紫の瞳を交わして。

 

「────」

「────」

 

 それだけで意志の全てを疎通したかのようにコクリと頷き、その動きを切り替える。

 前に出るのは、赤紫の瞳の少女。

 

 すなわち、天童ケイ。

 

「起きろ、rector」

 

 命令に従い、銘を呼ばれた少女の愛銃が変形する。

 銃身は半ばから(あぎと)を開くように上下に分かれ、その隙間から覗く内部機構がユラユラと赤紫の光を妖しく放ち────しかし、変化は終わらない。

 

 少女の赤紫の瞳が一際強く虹彩を煌めかせ、溢れ出た神秘がグリップからスキャンするかのように銃身を覆う。

 

「解析完了。ジウスドゥラよ、ここに在れ」

 

 銃口から抜け出るようにした神秘が、少女の空いた左手に収まり、そして。

 宣言された通りに、輪郭を編む。

 

 それは有り得べからざる奇跡。

 それは存在し得なかった実体。

 

 けれども、彼女たちが掴んだ新たなる可能性(在り方)

 

 

「名付けるならば────モード:デュアル」

 

 

 最後に弾けるように光が瞬いて、その両の手には全く同じな銃が一つずつ。

 まるで同期しているみたく光を揺らめかせるソレは、すなわち二つが全く同じ物であることを示している。

 

「行きますよ、rector。コード:ピアーシング(貫通特化)!」

 

 貫通力に性能を極振りしたエネルギー弾が、その両手から無尽蔵に放たれる。

 光芒を残しながら突き進む弾丸は美しく、あるいは光を反射する雨のようにも。けれども雨などとは比べ物にならない破壊を、着弾箇所へと与える。

 

 すなわち、聖霊が身を隠している瓦礫と神秘の壁へと。

 

 そして────

 

「ジウスドゥラよ、道を固定してください」

 

 妹のブチ抜いた道を、姉の手繰る力が固定化し。

 

「行きます。光よ!!!」

 

 光の奔流となって、レールガンの銃口より破壊の嵐が撃ち放たれる。

 周囲へ広がるは、余波となった熱と衝撃、それに巻き上げられた粉塵。銃身をジウスドゥラによって固定(保護)できるようになったことで出力の上限が跳ね上がったその一撃は、十全にその力を発揮した。

 

「……やりましたか!?」

「アリス、それ、フラグです。やめてください」

「そんなぁ……」

 

 どこか和気あいあいとした調子で言葉を交わすアリスとケイだが、しかしその目は欠片だって笑っていない。

 そも、今目の前にいるソレはマクガフィンの力が暴走した存在であるはずなのだ。

 

 これまで自分(生徒)たちに向けて振るわれていたのがどれだけ手加減された結果のものであったのか理解している彼女らにとって、この程度で聖霊が斃れるなど笑えないジョーク以上の何物でもない。

 

 そうして身構えること数秒、ようやくソレが何の属性が暴走した存在であるのかが露わになる。

 

「ケイ、これって」

「なるほど、死者蘇生による再生力でしたか」

 

 半透明の光の実体が、うじゅると蠢くようにその肢体を復元する。

 その身を構成する光の実に8割近くが消し飛ばされていたはずだというのに、何の支障も無いかのように再生が進んでいる様は、神秘的を通り越していっそ冒涜的なまでに映る。

 

 大本である青年でさえ不可能であるはずのソレは、すなわち聖霊が独自に獲得した新たなテクストによるものであった。

 癒しの力を元にソレが重ね掛けしたテクストは、東を守護すると言われる大天使の力。

 

 つまりは────三大天使とも呼ばれる、ラファエルの癒しの権能。

 

 故に、ソレは無尽蔵の再生力を有している。

 文字通りに()()()の。

 

カミノミワザヲ、オソレヨ

 

 ニタリと笑うように、身体の9割を回復させた聖霊が起き上がり、反撃としてその力を振るおうとする。

 掲げられた右手を中心に周囲一帯の上空を覆う光の奔流は、張り巡らされた蜘蛛の巣のようにも。

 

「アリス……」

「ケイ……」

 

 物理的に討伐など不可能なその存在を、そしてその力を前に、姉妹は顔を見合わせる。

 その顔に浮かび上がるのは、強張りか、苦渋か、あるいは諦念か────

 

「どうやら、過大評価しすぎだったみたいですね」

「というより、今回はアリスたちがレベリングしすぎたパターンですね!」

 

 否、断じて否である。

 むしろ、呆れたように二人は笑うのみである。

 

 何故ならば、このキヴォトスにおいてこの二人だけは聖霊を容易に葬れる存在なのだ。

 

 

「「プロトコル ジウスドゥラの瞬き────限界突破(オーバーロード)」」

 

 

 ピッタリ重なった声が響いて、それで終わりであった。

 今にも解き放たれんとしていた敵の攻撃も、残りの欠落も埋めようと進んでいた再生も、何もかもが固まる。

 

 いや、それだけでない。

 風の流れ、音の響き、原子の移動……そして、時間と空間。この一帯のみ、何もかもが固定されたのだ。アリスとケイが解放した『プロトコル ジウスドゥラの瞬き』によって。

 

「────」

「────」

 

 止まった時の中で、少女たちにだけ分かる一秒が経過し。

 目配せと同時に、解除が実行される。

 

 カシャン、と何かが砕ける音が鳴った。

 

「うわぁ! っとと」

「やはり、一秒が限度ですね」

 

 大きく飛び退いた二人の視線の先、ついさっきまでジウスドゥラの瞬きによって固定されていた一帯は。粉々に砕けて、そしてぽっかりと空いた孔のようなナニカに吸い込まれていた。

 内部と外部との齟齬を解決するために、世界がその領域を創り直そうとしているのだ。

 

 結果として、その場にあった物は何もかもが完全に壊れることになる。

 無尽蔵に再生し続ける光のヒトガタでさえも。

 

 それが、世界の理であるからこそ。

 

「やはり、危険すぎますね」

「ですね。アリスたちも、退避が遅れたらきっと……」

 

 広がる惨状を前にツウと冷や汗を伝わせ、二人は『やはりこの使い方は封じるべきでは』と頷き合う。

 

 

 何はともあれ、かくして三つの内の一つ、聖霊は撃破されたのであった。

 

 

────────

 

「アリスとケイは成功したようだね」

 

 東から戻ってきた光が青年の肉体へと吸い込まれたのを見て、セイアが呟く。

 その声を聞きながら、しかし先生は何も答えないで。冷静に、状況の変化を確認していた。

 

(経路を構成する触媒から、本とボタンが消えた……か)

 

 となれば、と先生は続けて思考する。

 

(さっきのが三大天使の一柱だとすれば、次はおそらく)

 

 とくん、とその身に戻った癒しの力が青年の鼓動を蘇らせ。

 再度、未だ中空にある彼の魂から一つの欠片が弾けるように飛び立った。

 

「っ! どうやら、アレは私も行った方がよさそうかな?」

「たぶんそうなるかな。頼める?」

「なに、問題は無いさ」

 

 光を追いかけて、セイアが駆け出す。

 その方角は────西。

 

 

────────

 

《戦闘区域・西》

 

 瞼を閉じて、廃ビルの上層階でじっと精神統一を行っていた灰髪の少女が、何かを感じ取ったみたく身動ぎした。

 ゆっくりと開かれた瞳には、夜空に煌めく星々のような光が散らされている。

 

来たか……

 

 烈火の如きドスの効いた声からは、普段のどこか弱気にも映る色は欠片も見られない。

 むしろ、受ける印象としてはその真逆。そのまま何もかもを燃やし尽くしてしまうのではという苛烈さが、今の少女からは滲み出ていた。

 

 それこそ、何を差し置いても消さなければならない仇敵を前にした復讐者のようなソレだ。

 

 おそらく、浅葱色の少女から渡された手紙によって決意が高まっていたところに、聖霊という地雷のような存在を視てしまったからなのだろう。

 

「えっと……カシスちゃん?」

「ああ、すいません、ミカさん。安心してください、あなたには傷一つだって付けさせないように戦うので」

 

 戸惑ったようなもう一人の声に、少女は一転して常の平静さで答える。

 切り換えの速さは元々の彼女の特徴ではあるが、やはり初めてそれを目の当たりにする者にとっては異様に映るのだろう。返事を受けた聖園ミカは、バッキバキに引きつった笑顔で『そ、そっか。頼もしいなー、なんちゃって』とたどたどしく答えた。

 

 数秒ほど、気まずい沈黙が漂う。

 ひゅー、なんて調子はずれの音で空っ風が吹き抜けた。

 

「……」

「……」

 

 目を合わせてしまったからこそ逸らせなくなった状態で、少女たちは見つめ合って。ニコリと灰髪の少女は笑った。

 ほっと、場の空気が弛緩したように見えて。

 

 ダァン、と。

 ノールックで少女が引き金を引いたSRが銃弾を吐き出す派手な音が、室内に鳴り響いた。

 

「ありがとうございます、ミカさん。やはりお優しい方なんですね。それじゃ始めましょうか。アレを殺せばいいんですよね

 

 撃ち落とされたらしい父なる神へと、僅かに残る窓ガラスを蹴破って少女が飛び降りる。

 先よりも風通しの良くなった室内を、再び“ひゅー”と馬鹿にするような音で風が流れて行った。

 

「あ、あはは……どうしよセイアちゃん。助けて」

 

 やはりビキバキに頬を引きつらせて、薄桃髪の少女もまた窓から飛び降りるのだった。

 

 

 

 

 

 銃撃音と、マズルフラッシュ。

 一定のリズムを保って存在を主張するそれらは、すなわち少女の攻勢の苛烈さを示している。

 

「なあ、おい。あの人は、誰よりも私たちの事を想って、そしてこの世界の未来を案じていたんだ」

 

 淡々と、けれども凄まじくドスの効いた声で、遺蘇迓カシスが呟く。

 ハイライトの消えた瞳は、しかしどうしてか奥側で揺らめく炎を幻視させた。

 

「そのあの人の力を持ち出して、勝手に使って、騙って────それで、オマエは何をしようとしているんだ?

 

 やはり淡々と、灰髪の少女は呟く。

 身を焼くほどの激情が一周回ってしまったかのような、あるいは灰に燃え尽きてもなお消えなかった熱を思わせるような。そんな、静かさで。

 

ナンダ、コレハ!?

 

 思わず、父なる神が叫んだ。

 そもそも、ソレが有している権能は『未来を知識として識っている』という要素から派生した三大天使の一翼、ガブリエルとしての託宣の力なのである。

 

 いや、もっと分かりやすく言うのであれば、父なる神の持つ権能は……口にした事象を未来に確定させるという因果律の操作、あるいは因果の逆転にこそあるのだ。

 

 そんな存在が一方的に攻撃を受けているという事象が、どれだけ異質であるか。

 

ソレハ、アタラナイ

 

 今もまた、ソレは託宣の力を用いてカシスによる銃撃を回避しようとする。

 回避しようとして────

 

はぁ? 烏滸がましいぞ、なあ

ッ!? ナゼダ!?

 

 屈折させたはずの銃撃が再度捻じ曲がり、光のヒトガタへと襲い掛かる。

 飛び跳ねる様は、起こった事象が信じられないようにも、命中した銃弾の痛みに喘ぐようにも。

 

 とはいえ、これは仕方のない事でもあるのだ。

 なにせ、遺蘇迓カシスの瞳は父なる神を捉え続けているのだから。

 

「知ってるか? この目は、あの人がくれたんだ。この(神秘)は、あの人の痕跡なんだ。あの人が啓いてくれた眼で、あの人が授けてくれた神秘なんだ」

 

 引き金が引かれる。

 吐き出された銃弾が、銀の跡を中空に残して踊る。あらゆる神秘を貫き、そしてあらゆる神性を否定する、そんな神秘を煌めかせて。

 

「なあ、知ってるか? その神秘は本来、もっと綺麗で、美しくて、眩しくて、温かくて、そして寂しい色をしているんだ。そんな醜い色じゃなくて。誰よりも高くにまで飛び立つようで、誰よりも深みに縛られたあの人の神秘は、もっと綺麗なんだ。それをお前は貶めて、何をしようとしている?

 

 いっそ美しいまでのその光景は、しかし少女の異質さを────もっと言えば、その内に抱えた歪なまでの想いの強さを際立たせる。

 

「分かったか? 分かったな。よし分かっただろうなら早く死ね。いいから死ね。命なきモノがあの人の遺した世界を壊そうとするな」

 

 しかし、そんな烈火の如き少女の色に、別の感情が混ざりこむ。

 

(火力が足りない……一撃で全て消し飛ばせるだけの火力が無いと、意味がない)

 

 翳りにも似た色は、じわじわとその身を侵食するように。あるいは、視野を狭めるように。

 末端から染み込んで、やがては中枢まで覆い隠してしまうのだろう。

 

(槍が……槍さえあれば、こんな奴…………!)

 

 ある意味、遺蘇迓カシスという少女の代名詞ともなっていた槍。

 彼女の神秘をより純化させた力を纏うその槍は、今は青年を取り戻すための触媒として用いられていた。そして、触媒であるからこそ、儀式が終わる頃にはこの世界から消え去っているだろう。

 

 それ自体には、少女も納得していた。

 薪浪アヤトという救世主を取り戻すためならば、彼女はいかなる代償であろうと喜んで差し出すのだから。また、槍の力の強大さについても少女は正確に理解している。

 

 故にこそ、再誕の儀式に協力することを決めた瞬間に遺蘇迓カシスは槍を手放したのだ。

 

 が、今だけは手元に槍が無いことが何よりも惜しい。

 そんな硬直に陥り始めた戦場に、しかし変化が訪れる。

 

「カシスちゃんっ!」

 

 彼女に遅れることしばらく、同じように廃ビルから飛び降りてきた聖園ミカである。

 バサバサと風に遊ばれる薄桃の髪は箒星の跡のようで、しかしその腰の翼が広げられていることが彼女が墜落しているわけではない事を示している。

 

アタマカラオチテ、オマエハシヌ

「────っ! ミカさんっ!!」

「わっ、キャッ!?」

 

 が、突如としてその軌道が変わる。

 彼女だけを狙ったかのような風が吹き付け、そして意思を持っているみたくその身動きを縛り付け。頭から叩き付けようとするみたく、身体の向きを回転させる。

 

「やばっ」

 

 目の前に迫りくるアスファルトの地面を見て、サッと血の気が引いたように少女の顔色が変わった。

 その歯がガチガチと鳴らされることは無いが、しかし青い顔は十分に少女の内心を表している。どうしてか利かなくなった身体の制御も含めて、彼女にとって現状は背筋へ冷たい物を感じるには十分だったのだ。

 

 だが、そんな戦場に更にもう一つ、変化が乱入する。

 

「よっと。我ながらナイスタイミングだね」

「セイアちゃんっ!」

 

 獲物を狙う肉食動物みたく跳びかかり、そのままミカをお姫様抱っこの形で空中から攫ったのは、彼女が目を見開いて叫んだ名の通り。

 今では唯一となった、未来を把握して筋書きを変えることが可能な人物。

 

 すなわち、ティーパーティーが一翼、サンクトゥス分派の首長を務める百合園セイアである。

 

「遅れてすまなかったね、ミカ」

「ううん、大丈夫!」

 

 “すまないが、この姿勢、体格的に厳しいものがあるんだ。降りれるかい?”と続けて、セイアはミカを地面に降ろし。

 改めて、少女は父なる神へと視線を向けた。

 

「どうやら、君も未来に関する能力を持っているらしいね。さて、なら存分に読み合いをするとしようじゃないか。ねえ?」

 

 ゆらりと細められた瞳は、常の平静さを保つ声とは裏腹に内側の熱を透かしているようで。

 彼女の色々な要素の強さを代わりに告げるように、妖しく光を放つ。

 

フリソソゲ、ウメロ

「ミカ、上」

「おっけー」

 

 小手調べとばかりにソレが廃ビルの崩落を引き起こし、セイアがミカに指示を飛ばして瓦礫を叩き壊してもらう。

 だが、少女たちの行動はまだ終わらない。

 

「カシス」

「分かってます、ええ」

 

 引き金は再度、踊るように。

 つい先刻の焦燥を名残すら見せずに、もはや軽やかなまでの調子で灰髪の少女が銃撃を行う。あらゆる神性を穿つ弾丸が、吸い込まれるように父なる神へと命中、再度その身を跳ねさせた。

 

 その光景を、自身が予知したとおりの世界を確認すると……百合園セイアは、コクリと微かに頷いて。

 

「さて、それじゃあ……少し、私も限界というのを超えてみるとしようじゃないか」

 

 開かれた瞳は鮮やかに。

 かつてないほどに輝く虹彩は、すなわち少女の神秘の高まりを示している。

 

ホシガオチ────

「ミカ、隕石」

「また?」

ッ!? ナゼ!?

 

 最速の後の先は、相手から行動の余地を奪い去る。

 それは、因果の逆転によって未来を書き換える存在を相手にしても例外ではない。

 

「カシス、ありったけを叩き込んでくれ。それで終わる」

「了解っ、です!!」

ッ!?

 

 セイアの指示に従い、カシスが余力の一切を残さない攻撃を敢行。SRから放たれる銃弾だけでなく槍状に整形した神秘すらも使用しての全力攻撃は、嵐のような暴威を撒き散らして父なる神へと襲い掛かる。

 

「ミカ、2時の方向に最大火力を」

「おっけー!」

ッ!?!?

 

 そして、咄嗟に回避した方向には、まるで待ち構えるような形で降り注ぐ極大の隕石と。

 

「────あの人のために、祈るね」

 

 鮮烈なまでの輝きを放つ、聖園ミカの姿が。

 

「悪いが……チェックメイト、だよ」

 

 かくして、いっそ呆気ないまでに父なる神は討ち取られたのであった。

 

 

────────

 

「……最後は、私たちの出番だね」

 

 オッドアイの瞳を細めて、桃髪の少女が空を見上げる。順調な攻略とは裏腹に、青年の魂は未だ中空高くにあった。

 まるで、頑なに拒もうとするかのように。

 

「それでも、私はあなたの手を取るよ。あなただって好き勝手にやってきたんだから、このぐらいのわがままは許してね?」

 

 脳裡に過ぎるのは、青年が遺していたとユメに手渡された手紙の文面。

 どこまでも優しくて、どうしてそこまで気が遣えるのに死を選ぶんだと問い詰めたくなるほど優しかった言葉たち。

 

 だからこそ、彼女はエゴを通すことを選んだのだ。あなたがそうならば、私だって好きにしてやると。

 目を閉じて改めてコクリと頷くと、少女は再度口を開いた。

 

「ユメ先輩、プレナパテスさん。それじゃあ、任せてもいい?」

「まかせて、ホシノちゃん。きっとあの子を連れ戻してみせるから」

「うん。だから、そっちはよろしくね。シロコも、お願い」

「ん。私も、ちゃんと顔を合わせてお礼を言いたいから」

 

 動く人影は二つ。

 魂を降ろすための経路を作っていた小鳥遊ホシノと、色彩に関連する存在としてその神秘を触媒に提供していたシロコ*テラー。

 

 ともに大切な人を青年に救われた少女たちが、南へと弾けた最後の光の塊を追いかけるように駆け出した。

 

 

────────

 

《戦闘区域・南》

 

キタカ

 

 先の二体から学習したのか、あるいは別の思惑があるのか。

 最後の一体である神の子は、待ち構えるようにして中空を佇んでいた。

 

ワタシハ、モットモシュニチカシイ

 

 南の守護天使たるミカエルのテクストを獲得したソレに、特異な能力は備わっていない。無限の再生力も、因果の逆転も、何も。

 ただひたすらに強く、強く、そして強い。

 

 それこそが天使の軍を率いる守護者たるミカエルの属性であり、そして『聖人』たる青年に最も近しい神の子たるソレの特性であるのだ。

 

ヨッテ、シレンヲオコナオウ

 

 有する力の強大さを示すようにソレは腕を広げ、光背のように神秘を散らす。

 あるいはそれは審判者のようであり、救済者のようでもあり。

 

 だがしかし────

 

「何言ってるのか分かんないけどさ、とりあえずブッ飛ばせばいいんでしょ?」

「それ、シンプルで分かりやすくていいね、ホシノ先輩」

 

 少女たちは、その姿を前にしても僅かにも立ち止まらない。

 むしろ牙を見せるように笑って、二人は愛銃を持ち上げ。そして、同時に引き金を引いた。

 

ヨカロウ

 

 狼煙のかわりみたく、衝突した互いの攻撃が光を散らして。

 最後となる戦いが、始まった。

 

 

 

 閃光が舞い踊る。

 繰り広げられる戦闘とは裏腹に優美に映るソレは、その場の全員の力量の高さを示すように。そして同時に、戦いの苛烈さを引き立てるようにも。

 

 どこまでも鮮やかに、神秘は流れる。

 

(おんも)たいっ、なぁッ!!」

ヨイ、ヨイゾ

 

 箱舟にて小鳥遊ホシノが至った境地、すなわち可能性の共存と励起は、箱舟という環境があってこその力である。

 だがしかし、その時の感覚は彼女へといくつもの物を残していた。

 

 例えば、身体強化の倍率や肉体そのものの強度。

 異様に鋭くなった直感。

 体外で凝縮した神秘の頑丈性。

 そして、他人の神秘を貫く感覚(コツ)

 

 これらを駆使するホシノは、もはや他の生徒とは隔絶した域にまでその力量を伸ばしていた。

 しかし、共闘するシロコ*テラーもまた食らいついている。

 

 彼女も、戦ってきた戦場の経験値で言えば他の生徒とは比べ物にならないほどなのだ。その上で、彼女は現在進行形でホシノの動きから神秘の扱い方を学習しつつある。

 大切な先輩後輩の遺した武器による多彩な動きも含めて、彼女はこの戦場に立つに相応しいだけの力を示していた。

 

 そして、そこに加えて。

 

「ホシノ先輩!」

「ナイス!」

 

 投げ渡されたSGを左手で受け取ったホシノが、左右両の手で散弾を撃ち放つ。

 桃色の光を纏う弾幕は、彼女の至近距離にある何もかもを等しく消し飛ばした。

 

 右手に握る彼女本来の愛銃であるEye of Horusに比べていくらか色が褪せている左手のソレは、すなわちシロコ*テラーの持つ遺品たるSGであることを示している。

 そう、彼女は、一時的にホシノへと受け継いだ複数の遺品を投げ渡す事でその攻勢に幅を与えていたのだ。

 

 両者が高い実力を持ち、その上でそれがよく見知った武器であるからこそ可能な連携。

 その効果の程など、まさかの正面から押し込まれつつある光のヒトガタを見れば分かるものだろう。

 

「そこっ!」

 

 いよいよクリティカルにヒットしたホシノによる攻撃が、その身の3割を消し飛ばす。

 対する神の子は、いつかの白ずくめの青年みたくドサリと地へと吹き飛ばされて。

 

スバラシイ。ナラバ、サイゴノシレンダ

 

 何事かを呟いて飛び跳ねるように起き上がると、宙へと飛び去った。

 向かう先は北の方角、青年の魂が降りる光の柱が屹立する場所。

 

「なっ、待て!!」

 

 目を見開いた桃髪の少女が駆け出し、そのまま走ること数秒。

 光の柱のすぐそばでやはり待ち構えるみたく飛行していたヒトガタは、彼女ともう一人、浅葱色の少女を見下ろして。

 

シュヨ、オカリシマス────仰ぎ見よ、知識の瞬きを

 

 見定められた二人の対象を中心に、周囲を光が満たした。

 

 

 最後の試練。それは、真に薪浪彩土を蘇らせるに足るだけのモノを少女たちが有しているのかを調べるために。

 力が示されたのならば、残るは精神性のみだ。

 

 二人の少女は、別々に心象世界へと飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

────────

 

《???・???》

 

 暗闇の深く、ありふれた高校の教室。

 

 辺りは静寂に満たされている。どちらかと言うならば、なんて枕詞を付けるまでもなく不気味な様相だ。

 きっとそれは、黒色をベタ塗りされたかのような窓の様子と、教室前方だけを点滅しながら照らす蛍光灯も影響しているのだろう。

 

 過呼吸に喘ぐ吐息みたいな不規則さの光に照らされるのは、きっかり40個並べられた机と椅子、そしてダレカの奥にポツンと置かれた教卓のみ。

 教室前方の大きな黒板も、後方の少しこじんまりとした黒板も、何も記されていない綺麗な状態で広がっている。まるで、周囲の黒色に同化するように。

 

 あるいは、中央に立つ少女を取り囲むように。

 

 太陽が。否、光全てが失われた結果としての黒色は、いつまでも変化を起こさずにそこにある。

 窓の外の景色は暗闇に沈んで久しく、そこに何があったのかさえも記憶から摩耗させるように。

 

 それは、正しく心象風景と呼ぶべきものであった。

 宿主が消え、伽藍洞の暗闇に堕ちた。先に続くものなど何一つとして存在しないような、そんな景色だと。

 

 その教室の正面、教卓の手前あたりにダレカは佇んでいた。

 俯くように顔へと影を作る姿から表情を読み取る事はできず、明滅を繰り返す蛍光灯もあってか、その容貌の詳細を掴む事もまた。

 

 どこまでも不気味に、あるいは不吉に、ダレカは立ち続けている。

 

 

『もう、やめてくれ』

 

 

 不意に、声が響いた。

 一つの“おしまい”を過ぎ去ったからか、分かりやすいまでに幼さの戻った弱々しい音。生者には決して出せないその音色は、間違いなく招き寄せられた少女のものではない。

 

「あなた、なの……?」

 

 目を見開いての声は、酷く頼りなく。信じられない物を見たように、掠れて震えながら教室へと響いた。

 溶けるように薄れ行くその音は、少女の内心を何よりも雄弁に。

 

『もう、いいだろ。これ以上、何をしろって言うんだ?』

「────っ!」

 

 けれども、それを受けてもダレカの主張は変わらない。

 どこまでも等身大に、その内心を吐露し続ける。どこまでも弱々しく、拒絶の言葉を繰り返す。

 

『なあ、俺は十分やったじゃないか。このまま眠らせてくれよ。それが一番楽なんだ』

「違っ────私たちは、そんな」

『違わないだろ? このまま動かなければ、漂うようにしていれば、何も傷付かないで済むんだ。俺は十分に得たし、十分にやり切った。なら、もういいじゃないか』

 

 沈み込むように俯きながらの言葉は、少女の目を大きく見開かせて。

 そして、今にも雫が溢れ出しそうなほどに潤ませた。

 

 ダレカの心情を伝える声は、それが心から零れたものだからこそ響き渡る。

 伽藍洞の教室にも、受け手となる少女の心にも。嫌に目立つように、はっきりと。

 

 

『何かを得れば、いつかは何かを失うことになる。大切な物、大切な事。家族も、友人も、日常も、幸福も、全てが変化の連続だ。全てが喪失の連続だった。なら、もういいじゃないか』

 

 

 止まらない淡々とした響きは、けれども必死に叫ぶようにも。

 放っておいてくれと、ダレカは語り続ける。訴え続ける。

 

 もう十分頑張っただろう、と。

 なら、もう眠ってもいいじゃないか、と。

 

 得る物が無くとも。この先に続く未来は無くとも。

 大切な物は残せたはずだ。後に続く子ども達に希望は遺せたはずだ。

 

『だから、もうやめてくれ。もう十分だ。もうたくさんだ』

 

 ダレカの胸中を流れるのはいかなる情景か。

 痛みか、苦しみか、嘆きか、献身か。その歴程を構成した総てが、そのままダレカの身を病のように苛む。

 

「────それ、は。それは……」

 

 少女が、口を開いて閉じてと連続させる。

 

 はくはくと、地上に揚げられて酸素を求める魚のように。

 あるいは、呑み込めないモノにえずくように。

 

 微かに零れた言葉は、文になり損なったまま溶けて消えた。

 

 

 それは、間違いなくダレカの言葉であった。

 一部分だけを切り出された物かもしれないが、しかしそれは間違いなくダレカの叫びであったのだ。

 

 もうやり切っただろうと。

 後は眠らせてくれと。楽にしてくれと。

 

 そんな、何よりも純粋で、だからこそ何よりも心を引き裂くような。

 薪浪彩土の心にある、感情であった。

 

 

 だからこそ、どう言葉をかけるべきか少女は分からなくなってしまったのだ。

 その事実が、その感情が理解できてしまったからこそ。

 何もしないでくれという叫びを(自分達のエゴでしかないのだと)、理解してしまったからこそ。

 

(……あ)

 

 けれども、ふと。

 その脳裏に、一つの情景が浮かび上がる。最後に少女へと向けてくれた、薪浪彩土の笑顔が。

 

 そして、それだけで少女たちには十分だった。

 

「ごめんね、苦しかったよね」

 

 謝罪の言葉はゆっくりと、染み込むように。

 ぎゅっとダレカを包みこむ腕と同様に、優しさに満ちて。

 

「頑張ったね。本当に、ありがとう」

 

 同じ心象風景ではあっても、少女たちは全く別の位相に送られている。

 だというのにその行動が重なったのは、偏に青年への想いの強さ故だ。

 

 

 そしてそれは、行動だけではなく。

 贈る言葉もまた、重なり合って紡がれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

────ホシノ。“人は一人で生きていけない”、その考えを君が失わずにいられるように祈っておくよ。

『ひとりぼっちにさせちゃって、ごめんね。寂しかったよね。辛かったよね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 小鳥遊ホシノの、そして梔子ユメの言葉は。

 ゆるりと穏やかに、教室へと響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

────俺はユメ先輩を殺した。俺がユメ先輩を殺した。それが事実で、それだけが事実なんだ。

『あなたがユメ先輩を救けてくれたの。あなたが私を、みんなを救ってくれたの。それが、たった一つの事実なの』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紡がれる言葉は優しく、苦しむ青年を癒そうとするように。

 あるいは、黒色にその身を覆う呪いを解こうとするように。

 

 

 

 

 

 

 

 

────俺はマクガフィン。ここに居るのは、君たちの敵で、討たれるべき悪だ。

『あなたは誰よりも優しくて、子ども達みんなの味方で、そして生きている人間だよ。私と同じ、みんなと同じ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その響きは密やかで、あるいは静やかで、そして甘やかで。

 その思いの丈を代わりに伝えるように、ゆっくりと。

 

 

 

 

 

 

 

 

────そこに物語がある以上、誰かが悪にならなくちゃいけない。なら、それは俺が適任なんだよ。

『世界は、物語みたいに単純じゃない。あなたが悪になる必要なんて……これ以上頑張る必要なんてないの。ただ生きているだけでも、何も悪くないの』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞳を閉じて、ゆっくりとその背中をさするように言の葉を贈る少女は、気付かない。

 ダレカの顔を覆っていた影が、ゆっくりと薄れ始めていることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

────どうか、俺を赦そうとしないでくれ。

『誰がなんて言っても、私があなたを赦すよ。あなたに最初に救われた私が。たとえ世界があなたを否定しても、ずっと私はあなたのそばにいる』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 窓に張り付けられていた黒色が。青年を覆っていた黒色が。溶けるように、照らされていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

────ごめんな、ホシノ。

『ごめんなさい、アヤトさん。本当に、ごめんなさい。そして、ありがとう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは朝焼けのように。

 沈んだ太陽が、やがて顔を上げるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

────俺は、この生涯は間違いなく幸せだった。

『見ていて。きっと私が、私たちが、もっとあなたを幸せにしてみせる。眠っている暇なんてないって思っちゃうぐらいに、きっと、もっと』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈まない太陽は、存在しない。

 きっといつかは夜が来て、暗闇に沈むことになる。

 

 けれどもそれは、明けない夜も無いということなのだ。

 沈んで、また昇って。その繰り返しこそが世界で、その繰り返しこそが人生なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

────大丈夫だよ、ホシノ。君は強い子だ。きっとまた笑える。紛れ込んだだけの俺なんかに足を取られないで、自由に生きていけるさ。

『大丈夫だよ、アヤトさん。あなたがもう立ち上がれないって思うのなら、私が護ってみせるから。あなたが強い子だって言ってくれた、私が』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、白みはじめる。

 暗闇も、黒色も。言葉を受けて、変化をして、そうして。

 

 眩しいぐらいに、照らされて。

 眩しいぐらいに、満たされて。

 

 

 

 

 

 

 

 

────バイバイ、ホシノ。きっと、幸せになってね。

『お別れなんて、絶対にしない。私は、あなたと一緒に幸せになるんだから。あなたと一緒じゃなきゃ、幸せになんてなれないよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恥ずかしいまでに真っ直ぐな言葉は、けれどもゆるやかな微笑と一緒に。

 痛いぐらいに抱きしめる腕は、その温度は、互いがそこにいることを分かりやすく示している。

 

 窓の外から差し込む朝日に照らされての笑顔は、青年がこれまで見てきた物の中で何よりも美しかった。

 

 だからこそ、その手は動いて。

 抱きしめる身体を、抱きしめ返すように。おずおずと躊躇いながらも、抑えきれないみたいに。

 

 

『いい、のかな。俺、生きてても……あなた達と一緒に、生きても』

『うん。いいんだよ。あなたはもう頑張らなくていいの。もっと幸せになっていいの』

 

 

 その声は、はたして外に響いたのか、心の内側を震えさせたのか。

 一つだけ言えることは、きっと。

 

 薪浪彩土という青年が、瞳から雫を溢れさせたということだ。

 

 

『だから、起きて。あなたも一緒に、生きよう? この世界を。この、青く透き通った日常を』

『うん……うんっ!』

 

 

 そうして、教室を光が照らして。

 眩しく、優しく、温かく、光が満たして────

 

 

────────

 

 魂が降りる。

 拒絶するように中空で止まっていた光が、ゆっくりと聖骸へと注ぎ込まれる。

 

 つう、と、その目尻から光の粒がこぼれ落ちて。

 

 曇天を裂くように、光が溢れ出た。

 

 

 

 

「おはよう……おはようっ!」

「アヤトさん……っ!」

 

 瞳を焼くような光が薄れ、吹き荒れた風も治まって。

 心象風景から抜け出た二人の少女は、飛びつくように左右から青年を抱きしめた。ゆっくりと、横たわっていた上半身を起き上がらせた青年を。

 

「ユメ、先輩……ホシノ…………じゃあ、あれは」

「夢なんかじゃないよぉ! 全部私たちの想いなんだから!!」

「よかった……本当に、よかった…………っ!!」

 

 まん丸に眼を見開いた青年は、自分を抱きしめる温かさが信じられないように。

 もっと言えば、少し離れた辺りで涙ぐむ二人の大人も、遠くから駆け寄ってくる幾人もの少女たちも信じられないように。

 

 けれども、何よりも嬉しそうに。

 そして、幸せそうに。

 

「ああ……俺、生きてるんだ……! この、世界を……!」

 

 目元を隠すように顔を覆う右手の隙間から、雫がこぼれ落ちる。溢れ出る。

 とめどなく、堪えきれないように。

 

「生きていて……もう、苦しまなくてもいいんだ…………!」

 

 涙は伝播するように、全員に広まっていく。

 差し込む太陽の温かさに照らされる雫の色は、何よりも青くて、どこまでも透き通っていた。

 

 その身に背負っていた、黒く濁った罪を洗い流すように。

 この世界を象徴するように、祝福するように。

 

 

 どこまでも眩しく、輝き続けた。

 

 

「ねっ、アヤトくん! 幸せになろうね!」

「私たちと、一緒に!」

「────っ、うん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして奇跡は果たされ、ただの人間である薪浪彩土は目を覚ました。

 きっと、その先にはまだまだ苦難が待ち構えているのだろう。あるいは、それはこれまでの歴程にすら並ぶほどの物になるかもしれない。

 

 けれども、きっと大丈夫なのだ。

 青年は、そして少女たちは一人ではないのだから。ならば、きっとどんな夜が訪れても朝はやって来るのだ。

 

 何度だってそうして、繰り返して、彼らは幸せを掴むのだ。何気ない日常に隠れるようにしている、ほんの少しの奇跡と一緒に。

 

 

 故にこそ、最後の言葉は祈りの言葉で。

 どうか、その行く先に最大限の幸が有らんことを。

 

 

 

 

 ~fin~

 

 

 




 これにて、拙作『黒く濁った罪を背負って』は完結となります。後書きに関しては無限に書けそうだったので割烹の方に投げました。興味があればそちらに。
 それではみなさま、これまで約一年近くのご愛読、ありがとうございました! 続話や次回作があれば、またその時に!

 では!!
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