宿へと戻り、着替え類を用意する。
そして宿の女将に公衆浴場の場所を尋ねる。
驚いたことに、レインは公衆浴場の場所を知らなかった。
そもそも、存在しているかも知らなかった。
だが、あるものとして話していた。
つまり、どの町にも公衆浴場があると言う前提がある。
町があれば、公衆浴場がある。
それが当然と思える大陸。
それほどまでにきれいな水が豊富にある。
やっぱりこの大陸こそが神に祝福された大地ではないのか?
あなたは真剣にそう思った。
どうしてエルグランドには水の神が居ないのだろうか?
いや、一応いると言えばいる。
暗い深海の恐怖を匂わせる類の神だけど。
さておき、レインの問いに女将は当然のように答えた。
つまり、公衆浴場がどこそこにあり、どういう浴場なのかと言う答えを。
浴場が当然ある上に、複数存在するらしい。
あなたはくらくらしてきた。
「行きましょ。料金がちょっと高くてもいいわよね?」
あなたは頷いた。
庶民向けの範疇なら大丈夫だろう。
サシャとフィリアの分はもちろんあなたが出す。
「水晶の輝きって言う浴場がいいらしいわ。
風呂で……食事……?
意味が分からない。
あなたは首を傾げた。
入浴中に食べるのだろうか?
浴場に食事処が併設なのだろうか?
浴場にわざわざ食事処を設ける?
いったい、なんのために?
疑問は尽きないが、それはさておき。
あなたたちはレインの先導で公衆浴場へと向かう。
辿り着いた先には、じつに立派な建物があった。
大きい。あなたが想像していた数倍は大きい。
めっちゃでかい。すんごいでかい。とにかくでかい。
建物の中に入り、料金を支払う。
料金は銀貨3枚。高いのだろうか?
「まぁ、高いと言えば高いわよ」
「相場よりはちょっと高い……くらいですかね? 地域によってはもっと高いこともありますし、ふつうかなと」
そう言うものかとあなたは頷いた。
奥へと進むと、まず出迎えたのは食堂エリア。
さすがに入浴中に食べるわけではないらしい。
満員というほどではないが、人でにぎわっている。
提供されている食事類はなかなか立派なものだ。
酒を飲んでいる者もいるようだ。
「へぇ、なかなか悪くなさそうね」
「すごいですね……こういう公衆浴場って始めて来ました……」
サシャは気後れしているようだ。
あなたは思わずサシャの手を握った。
あなたもはじめての場所で不安だったのである。
サシャもそれに気づいたのか、ぎゅっと手を握り返してくれた。
「まずはお風呂ね。さ、行きましょ」
そう言ってレインが向かった先は、赤い旗が立っている方の通路である。
上に文字が書かれており、あなたは何気なくそれを読む。
そして、あなたはその文字の内容に驚愕した。
女性用、と書かれていたのだ。
性別で風呂を分けているのだ! わざわざ!
男女同じなら使う水の量も燃料も半分で済むのに!
いや、男女別にわざわざ分けているのだ。
浴場の大きさも半分、燃料も半分なのかも。
すると、風呂はかなりぬるいのかもしれない。
なに、野外での水浴びに比べれば遥かにマシだ。
あなたは大きく期待をしないようにした。
通路を通って行くと、脱衣場へと辿り着く。
こうした部分は宿などでも見ていたので分かる。
手早く服を脱ぎ、脱いだ服は『ポケット』に放り込む。
あなたはドキドキと心臓を震わせながら、浴場へ繋がるドアを開いた。
むわりと湯気があなたを襲った。
暖かな熱気が裸身のあなたを撫ぜる。
落ち着け、落ち着け……
そのように自分に言い聞かせる。
そして、あなたは浴場へと足を踏み入れる。
そこには泳げそうなくらいに広い浴槽があった。
つるつるとしたタイル張りの床面。
木材による素朴な壁、イスや水桶。
床がいやにふわふわとしているような気がした。
浴槽の中では、数人の歳も様々な女性たちが思い思いに入浴を楽しんでいる。
「どうしたの? ほら、体を流さないと」
レインに促され、あなたは頷く。
あなたはふらふらしながらシャワーを浴びる。
熱い。ちょっと驚くくらいに熱い湯が出ている。
それを浴びると、土埃や汗が洗い流されていく。
「ご主人様、どうぞ」
サシャに渡されたのはソープだ。
体を洗うための薬液である。
石鹸とはなんか違うらしい。
何がどう違うのかは知らないが。
とろりとした液体を泡立てる。
それで肌を撫でるように優しく洗い流す。
ソープからは清潔ないい香りがする。
そうした後、浴槽へと浸かる。
肌に噛みついて来るような……。
そんな感覚を覚えるほどに熱い湯があなたを包む。
ウソだろう、現実にこんな施設が存在するなんて。
あなたはかつてシャワーに心底しびれさせられた。
だが、そんなものは序の口だったのだ。
こんなに大量の水を、熱いくらいにまで沸かす。
水も燃料も大量に消費する、すごい贅沢だ。
これが庶民向けの公衆浴場?
信じられない……。
これではエルグランドの貴族がバカみたいだ。
庶民向け以下の浴場で喜んでいたことになってしまう。
しかもここは女専用の浴場だ。
男専用の浴場も同等の規模のはずだ。
つまり、倍の水と燃料が費やされている。
5人も入れば精一杯のような大きさの浴槽。
そこに体温と同じ程度の暖かさの湯。
それがエルグランドの公衆浴場だ。
それですらも目も眩むような贅沢だ。
だというのに、ここではそれより広く、熱い湯が満たされている。
エルグランドでは貴族にだけ許された贅沢。
この大陸では庶民が楽しめる娯楽以下。
やはり、この大陸こそが神に祝福されている。
間違いない。あなたは確信した。
ならば、この大陸にウカノ様の信仰を広めるのだ。
水が豊かならば、作物も豊かに実るはずだ。
「どうしたのよ、嫌に静かね……こっちを見もしないし……」
「お姉様、具合でも悪いんですか?」
「あ、ご主人様、もしかしてお腹が空いてるとか?」
なにやら体調を心配されてしまった。
あなたはぎこちなく笑って、なんでもないと答えた。
ただちょっと、あまりの豊かさに圧倒されただけだ。
エルグランドでは到底味わえない贅沢を堪能した。
しっかり身を清め、あなたたちは湯から上がった。
贅沢に惑わされて、周囲の女性たちを目に焼き付け損ねた。
それは少々惜しかったろうか?
さておき。
あなたたちは湯上がりの肌にきれいな衣服をまとい、併設の売店なるものに足を運んでいた。
ちょっとしたお菓子や、冷たい飲み物が売っているようだ。
ガラスケースに陳列されているのは牛乳のようだ。
色合いが異なる牛乳があるのは味が違うのだろうか?
さすがに古くなっているわけではないと思いたいところだ。
「へぇ。カイル氏考案の味付き牛乳。キンキンに冷えてるらしいわよ」
しかし1本で銀貨1枚はぼったくりでは。
まぁ、嗜好品と言うことを考えたらそんなものかもしれないが。
あなたは試しに桃色をしている牛乳を購入してみた。
サシャは黒っぽいやつ。
フィリアは普通の牛乳。
レインはサシャと同じもの。
紙を押し固めて作った蓋を、棒の先端に針のついた道具で開封する。
きゅっぽん、と小気味いい音を立てて蓋が外れた。
あなたは鼻を寄せて、牛乳の香りを嗅いでみる。
特に悪くなっているという雰囲気はない。
ほんのりと果実の匂いがするような……?
意を決して牛乳を口に運ぶ。
すると、まろやかな乳の風味に混じって果実の甘味がとろけた。
桃だろうか? とろりとした甘味が実に美味だ。
あなたはついゴクゴクと飲んでしまう。
じつにおいしい。これは最高だ。
ほかの味も気になって、もう1本購入した。
フルーツ牛乳と銘打たれているやつだ。
フルーツとは言うが、何が入っているのだろうか?
「このコーヒー牛乳っていうやつも美味しいわよ」
とのレインの感想にあなたはそれにも惹かれた。
あなたはフルーツ牛乳を味わって飲み干した後、コーヒー牛乳なるものも購入した。
「そんなに飲んだらお腹壊すわよ」
この程度で腹を壊すほどやわではない。
あなたは笑いながらコーヒー牛乳の蓋を開けて、じっくりと味わった。
こちらも不思議な味わいだ。
これはどうも、シチュードティーに似ている。
おそらく牛乳でなにかを煮出して作っているのだろう。
香り高いが苦味を持つ液体……まぁ、コーヒーだろうが。
牛乳がそのコーヒーの苦味を中和してくれている。
そして、そこに砂糖をどっぷりとブチ込んでいる。
お菓子のように甘くて、しかし香ばしく、うまい。
なかなかおもしろい味わいだ。
ひとつ言えることは、おいしいと言うこと。
カイル氏なる人物は何度か名を聞いたが、食品関連での印象が強い。
よっぽどの美食家だったのだろうか?
「おいしいですけど、ご主人様の出してくれる牛乳の方がおいしいですね」
サシャはそんな感想をこぼす。
牛乳よりも、あなた自慢のペットのミルクの方がうまい。
褒められてしまうと照れてしまう。
あなたのペットたちも喜ぶことだろう。
しかし、風呂上がりによく冷えた牛乳。
この不思議なほどのうまさはなんなのか。
お湯で火照った体に冷たい飲み物が利くのは分かる。
しかし、冷たい水では味わえない幸福感がある。
風呂と牛乳。
この組み合わせを考案したであろうカイル氏。
彼はたしかな見識を持った美食家なのだろう。
「その、カイル氏考案の料理もあるらしいわよ」
コックが女性ならナンパのためにも食べるのだが、どうだろうか。
あなたは考えつつも、食堂の方へと向かうのだった。
食堂では、いくつもの調理場が壁際に並んでいる。
屋台のような形式で営業をしているらしい。
そこに向かって金を払い、料理を得る。
固定店舗でこそあれ、まんま屋台だ。
「宿屋の奥さん方が副業でやってるみたいですね」
確かにそんな感じの顔ぶれである。
恰幅のよい肝っ玉お母さんと言った感じの人が多い。
「適当に好きなものを買って食べましょうか。こういうのも楽しいわよね」
賛成。
あなたたちは思い思いに店をめぐることにした。
サシャとフィリアも、あなたが与えたお小遣いを片手に買い食いを楽しむだろう。
あなたも同様に、面白そうなもの、美味しそうなものを物色する。
眼についたものをあれやこれやと購入し、思うさま楽しむ。
なるほど、風呂場に食事処と言うのが分からなかったが、これは楽しい。
風呂場と考えるのがいけなかったのだ。
ここは風呂もある遊興施設なのだろう。
なんだったらもうここに泊まりたいまである。
さすがに宿はないようだが。
「日と時間によっては、なにか出し物もしてるみたいね。演奏とか歌劇とかをやるらしいわよ」
それはもはや貴族の遊びではなかろうか?
「かもしれないわね。こういうところを総合アミューズメント施設って言うらしいわよ。そこに書いてあったわ」
レインの指差す方を見やる。
なにやら石碑が壁に埋め込まれている。
近寄って読んでみると、この施設の来歴が記されている。
ここはカイル氏が考案し、設立した施設なのだとか。
風呂を中心に、食事と娯楽を提供し、ちょっとしたスポーツなんかもできる。
スポーツで汗を掻いたら風呂で汗を流す。
運動をして腹が空いたら食事を摂り。
疲れたらボードゲームでゆったりと遊ぶ。
そんな感じで1日楽しんでしまえるような場所を作りたかったらしい。
美食家と言うよりは、単純に道楽者なのかもしれない。
それでいて冒険者としても優秀だったのだ。
できれば会ってみたかったものだ。
「チャタラができる遊戯室もあるらしいわよ。あなた強いらしいじゃない。あとでやりましょうよ」
あなたはレインの誘いにもちろんと頷いた。
チャタラとはこの大陸特有のボードゲームだ。
6種類の駒を、8×8マスの盤上で交互に動かして、王をとったら勝ち。
1対1のものと、4人対戦形式があり、4人対戦ではサイコロも使う。
また4人対戦の場合は駒は5種類。
チェスに似ているが、違うところもあるボードゲームである。
ダンジョンに挑んだ後の骨休めにここを使うのもよさそうだ。
風呂も食事も娯楽もある。惜しむらくは娼婦がいないことだろうか。
さすがにサシャやフィリアと致すのもまずいだろう。
あなたにだってそのくらいの判断力はある。
そこらへんは不満だが、まぁ、ここで思う存分遊んだ後、宿でやればいいだけの話。
あるいは娼館に繰り出してもいい。ここは健全に遊ぶ場所だと考えればいいだけのことだ。
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