私は飛ぶ。
大気の壁を引き裂き、重力の頸木を引き千切り。
空を飛び越え、私はその先へと飛ぶ。
なにも聞こえない。
音を超えて、私はすべてよりも速く。
空が暗くなり、やがて黒い世界が訪れる。
オレンジ色の混沌はどんどん近付いて来る。
それは私へと、ひどく緩慢な動きで手を伸ばして来る。
あまりにも加速し過ぎた私にとってはそう見える。
その手を掻い潜って、私は超える。
その混沌、『アルメガ』の懐に入り込み。
そして、私は切り札を切った。
『
この世界を覆うごく当然の理を遮断・反転させる冥界の大秘術。
展開された結界内部において、生命の基本原理を反転させる。
あらゆる死に逝く者を生に立ち返らせる禁忌の秘儀。
この結界の内部において、既存の物理法則は一切意味を成さない。
生命にはある種の上限が存在する。
エルグランドの秘された迷宮、タルタロスにはその上限を超える特異な作用が存在する。
30倍速と言う上限を超えることができるようになった。
身体能力の限界値、魔力、生命力の限界までもが飛躍的に拡張される。
だが、それにもやはり、限界はある。
私はここ数年、自分の能力の伸びを感じていなかった。
技術はまだまだ磨く余地があるし、十分に鍛えることが叶う。
だが、身体能力や速度は、これ以上伸ばせないとわかる。
かつての限界の、おおよそ1万倍。それが私の限界。
その速度の限界値こそが、以前タイトに語った上限。
すなわち光の速さのおよそ100分の1と言う速度だ。
それ以上はなにをどうやっても速度を鍛えることができない。
ここに魔法で速度を上乗せするなどはまだ可能ではあるが。
なにをどう足掻いたところで、10倍以上の上乗せは不可能だ。
それがタルタロスで得た私の限界の理なのだ。
私がこの大陸にくる以前、ナラカの攻略に凝っていたのはこれが理由だった。
タルタロスよりもさらに危険な迷宮、ナラカ。
そこの100層や1000層に到達することができれば。
さらなる生命の上限に至ることができるのではないかと。
あいにく、あまりの難度に攻略は停滞中だったが……。
どうにせよ、今の私の限界値は光速の1パーセント。
それが私の身体能力の限界であり、生命の限界なのだ。
魔法で目いっぱいに強化しても、それが5パーセントそこらになるだけ。
なにをどうやったところで、それ以上にはならない……。
「でも理を遮断すれば違う!」
私は自分の体表に『根之堅洲國死返法』を展開する。
魂にかかる超絶の負荷が私を苛む中、私はその出力を高める。
この世界を覆う法則、物理法則を遮断し、それを超越する。
私の肉体は、生命の上限から脱する。
私に嵌められていた足枷が外れていく。
光の速度ですらもが、私にとって超えられる壁となる。
私の中で眠っていた真の力が目を覚ます。
私の肉体は限界など知ろうとはしていない。
ただ、それを表現する術を知らないだけなのだ。
私の中にはたしかに訓練の成果があった。
光の速さの1パーセントよりも速くなろうと鍛えた成果。
私の中に眠っていた真の速度が、理の遮断で目覚める。
そして、覚醒病によって目覚めた私の血脈の力。
私の速度を更に力強く増幅してくれる古代妖精の翅。
私は光をも超越して、飛ぶ。
私は時空を駆ける超光速の翅。
『根之堅洲國死返法』による理の遮断・反転。
「物理法則があるから光より速くなれないなら、物理法則を無視すればいい!」
『根之堅洲國死返法』を用いた切り札とはそれ。
速度の上限を取り払って、究極にまで加速する。
それによって私以外のすべてが止まる。
光よりも速い超光速に達すれば最強なのではないか。
私の切り札とはそれ。あまりにもシンプルな発想の直線運動。
何度だって言おう。
エルグランドにおいては努力でゴリ押しするのが基本だ。
発想の直線運動こそが最大の近道だと誰でも知っている。
速度を鍛えるのがいちばん強いのだから、それを鍛えまくるのが最強に決まっている。
その果てが超光速だというなら、超光速になれるようにがんばればいいではないか!
時の止まった世界の中で、私は飛ぶ。
『根之堅洲國死返法』の負荷はすさまじい。
1秒でも早くこれを解除しなくてはいけない。
私の体感時間で5秒程度。それが限界なのだ。
「はぁぁっ! これで全世界の女は私の物だぁぁぁ――――!」
私はそんな勝利の宣言をして。
『アルメガ』へとあまりにもシンプルな打撃を突き込む。
私の拳が『アルメガ』に触れて。
そして、私は異様な感触に押し返された。
なにかがおかしい。
そう理解するよりも速く。
私の身体が不可思議な力で押し返される。
私が飛ぶよりもなお速い速度で。
私の身体が今まで通って来た道筋を逆戻りし。
間近に見えた月が遠ざかり、私は吹き飛ぶ。
失敗した。
そう理解するよりも速く、私の身体は地面へと激突していた。
どこかで私をあざ笑う声が聞こえた気がした……。
「ごほっ……げほっ、ぐぅぅぅ……!」
光よりもなお速く私は地面へと叩きつけられた。
それにもかかわらず、足元の地面に傷はかけらもない。
私が理を遮断・反転させているために正常に物理作用が働いていないからだ。
私は半ば無意識に『根之堅洲國死返法』を解除する。
魂にかかっていた超絶の負荷が消え去る。
だが、すでに魂を押し潰していた痕跡までもが消えるわけではない。
瀕死でこそないが、私はきわめて重篤な後遺症を負っていた。
「ご主人様!」
「サ、サシャ?」
声をかけられて、私はすぐ傍にサシャがいることに気付いた。
正確に元の場所に……つまり、アノール子爵領に叩き返された?
「ご無事ですか! いえ、失敗したんですか……?」
「ご、ごめんね……相手の方が、げほっ……い、1枚、上手だった、みたい……」
「お母様、気を確かに持ってください。これを嗅いで」
「ぐえーっ! 臭ぁ!」
カル=ロスが強烈な臭いのするものを嗅がせてきた。
この独特の刺激臭は鹿の角から造る気付け薬だろう。
痛みや疲労による朦朧状態の回復、また眠気覚ましとしても使える。
冒険者必携の品とまではいわないが使いでのある道具ではある。
「なにがあったのですか?」
「わ、わからない。攻撃を加えた瞬間、体が押し返される感触がして……」
「空間回航……いえ、運動量反転……いずれにせよ、クライアントの攻撃を反射するか、屈折させるかしたようですね」
「対処方法は?」
「超光速攻撃ですからね。さしも『アルメガ』と言えど無限のエネルギーを叩き込まれては負荷に耐えられない。おそらく、その系統は完全に破壊されたはず……2度目はありません」
「お母様」
カル=ロスの目線は「もう1回いける?」と語っている。
「イケるよ。体は、めちゃくちゃしんどいけどね。まだ、動ける。戦える」
以前に使った時よりもいくらか後遺症はマシだ。
パンサラゲア神の時よりもさらに負荷は弱い。
ただ、『根之堅洲國死返法』を短時間に2度使う……。
その禁断の2度打ちが、私にもたらす負荷は想像を絶する。
生きて帰って来れる気はしなかった。
「しかし、その体では……」
カル=ロスは私の状態をかなり正確に理解しているようだ。
もう1度使うことはできる。そして、戦うこともできるだろう。
でも、先ほどよりもずっと猶予は少ない。次は3秒使えるかどうか。
もっと至近距離で使わなくてはいけないし。
後遺症のせいで身体能力は劇的に低下してしまっている。
本調子の時の半分あるかどうかというところか。
しかもそこにハチ毒の後遺症と、媚薬の効果まである。
実際のところは3割あるかないかと言ったところ。
返す返すも媚薬を打たれた瞬間に『アルメガ』が復活したのが痛い。
「ごめん、カル=ロス。助けてもらえるかな」
「おまかせください」
私の申し出に、カル=ロスは即答した。
「私たちは『アルバトロス』。勝利の栄光を運ぶ不墜の翼です。私たちがあなたの翼になります。至近距離までお連れします」
カル=ロスの差し出して来た手を握る。
腕を引き起こされて私は立ちあがる。
周りを見渡せば、そこには仲間たちがいた。
EBTGも、『ハンターズ』も『世界樹の王』も。
私を見つめていた。私が助けを求めるのを待っていた。
「みんな、力を貸してくれる?」
私がそう問いかければ、みんな笑った。
答えはなかったけれど、意味は伝わった。
そして、私たちは今度こそ戦いに挑む。
私たちは冒険者だからね。
1人で戦うのは英雄のやることだ。
冒険者はよってたかって相手をボコるもの。
人間とは集団の生き物だ。
化け物を打ち倒すのはいつも人間だ。
『アルメガ』にそれを教育してやろうではないか。
「まずは接近します。『グレーター・テレポーテーション/上級転移』の準備があります」
アルトスレアの頼れる冒険者、ジル・ボレンハイム。
彼とも彼女ともつかないジルの申し出に従って、私たちはジルの手を取る。
その一瞬後、私たちはひどくさびしい岩塊の上に立っていた。
すぐ近く……そうはいっても宇宙空間のスケールなので、何万キロも先。
そこにオレンジ色の沸騰する混沌、『アルメガ』の姿があった。
ここは月面、私たちが女神に見立てる寂しい岩の塊だった。
月面なせいで呼吸ができなかったので、私はがんばって息を止める。
しかし、その一瞬後に私たちへと各種の保護の魔法がかかる。
「月面に飛ぶとは思わなかったわ。前の、『インメタル』の時と同じなのでしょう?」
コリントの手による保護魔法が私たちの命を保護してくれた。
『ハンターズ』と共に滞在していた彼女の援護は心強い。
「そして、あの時のことを思えば、役者が不足していますね。『次元門/ゲート』」
「あら、じゃあ私も『次元門/プレイナーゲート』」
そして、2人が次元を超える門を形成する。
形成された2つのゲート、その1つから飛びだす2つの影。
その影を確かめて、私はその懐かしい姿に笑った。
「おやおやなんだい、もしかしてまたあのパサファロンとかってところかい!?」
「いや、ここは物質界のようじゃな」
「エルマ! セリアン!」
「おお、おぬしか。久しいのう」
小柄なエルフの少女がそう言って笑う。
そして、遠方に見えるオレンジ色の混沌、『アルメガ』を見やった。
エルマが目元を揉んで、そのヘテロクロミアの眼をしばたたかせた。
「わしの幻覚かのう」
「あたしも見えるから本物だね」
なんて、のんきなことを言う2人。
「あれを倒さないと、世界が滅んじゃうんだ」
「助けろと、そう言うことじゃな?」
「頼られちゃあ助けないわけにはいかないねぇ」
2人はあっさりと頷いてくれた。
「あんたも助けてくれるんだろ? 友達甲斐のあるやつだねぇ、あっはっは」
「うっせー。俺は愛を大事にする女なんだよ。お風呂屋さんでの自由恋愛推奨派だぜ」
そして、もう1つのゲートから姿を現していた友人。
私がほんのちょっと前にボルボレスアスに送っていった狩人、ハウロ・G・ヒータ。
「ごめんね、ハウロ。また呼び出しちゃって。全部終わったら、お礼するから」
「お泊りコースで勘弁してやるよ」
「大サービスするよ」
「なら、手伝ってやるよ」
ハウロは笑って頷いた。
ああ、本当にいい狩人だ。
豪放で、豪快で、力強い。
ボルボレスアスの狩人。
こういう狩人に人は命を預ける。
ボルボレスアスの民は狩人を信じている。
狩人たちが自分を助けてくれると。
狩人たちが命懸けでそれを証明して来たから。
「まずは体表に取りつく。そして、心臓部まで向かう。前回と同じですね」
「前回はやれた。なら、次もやれる。そうね?」
ジルとコリントが不敵に笑う。
いつも無表情なジルには珍しい笑顔。
意気込み十分な冒険者の面々に『アルバトロス』チームが『アルメガ』への対策指示を発する。
「まずは精神の保護のために『空白の心』をお願いします」
「あれがないと精神を操られます。そして、私たちは最後の強化を」
「カル=ロス、例のブツを」
「ええ」
カル=ロスが『四次元ポケット』を開く。
取り出したのは……小ビンに入った薬液、ポーション。
あれは……私が使ってる小ビンだ。未来の私がカル=ロスに与えたポーション?
いや、それとも、私が以前にカル=ロスにあげたポーション?
「みんな!! “抗体ポーション”キメろォォ!!」
カル=ロスがポーションを『アルバトロス』チームへと投げ渡し。
全員が一切の躊躇を見せずにそれを飲み干した!
ポーションには独特の呪いの波動を感じる。
覚醒病抗体ポーションが呪われていれば、覚醒病を促進する。
つまり、覚醒病を発症する。
だが、あれはエルグランドの無茶な混血がなければ意味がないはず。
そう思った私の前で、『アルバトロス』チームの身体に異様な変化が起き始めた……。
文字数はどの程度が好ましいですか?
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2000文字前後
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3000文字前後
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4000文字前後
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5000文字前後
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6000文字前後
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7000文字前後
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8000文字前後
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9000文字前後
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1万字前後