熊の胴体にナイフがねじ込まれる。
ぐりぐりと力尽くで毛皮が切り開かれる。
その下の腹膜までも切り裂くと、濃厚な血臭と内臓臭が立ち込めた。
「うっ!」
「うぶっ」
ナイフを差し込んでいたサシャが顔を背け。
覗き込んでいたレインが口元を抑える。
サシャは涙目になりつつも堪え。
レインは堪え切れずに、乙女的な尊厳を地面へと放出した。
あなたとフィリアにはそれを見て見ぬふりをする情けがあった。
解体の時に初心者が吐くのは定番のあるあるネタだった。
獣は季節や食性、また年齢や性別によってだいぶ臭いに差がある。
しかし、見た限りこの熊はオス。
時期は暖かさからして春先。
年齢は不明だが、若いということはなさそうだ。
臭い条件がたっぷりと積み重なっている。
その上、血抜きなんてものはしていない。
食べるために解体しているわけではない
血抜きなんて面倒臭いことはしていられない。
冒険者として価値ある素材を採集する際の解体は、どうしても臭いものなのだ。
「はい、口をすすいで、落ち着いてくださいねー」
「げほっ、おえ……う、うぅ……」
フィリアがレインに水で口をすすがせる。
吐いた後に口を水で洗うのは大事だ。
吐くと胃液が出るのは当たり前であるが。
これが口に残るとよろしくない。
酸で歯が悪くなるのだ。歯が悪くなると、力を振り絞れなくなってしまう。
健康な歯は健康な肉体を作るのである。
一方のサシャは吐かずに頑張っているが、涙目である。
まぁ、涙目でがんばれるだけえらい。
あとでたくさん褒めてあげなくてはいけないだろう。
「うぅぅ、ご主人様ぁ、い、いったいどこを回収すればいいんですかぁ?」
とりあえずは価値があるらしい、肝臓と
胆嚢は解毒薬としての需要がある。
肝臓には滋養強壮薬としての需要がある。
珍味として手、脳味噌、睾丸などにも価値があるらしいが。
それはとりあえずいいだろう。
「ううん、解体ってどうやれば……うーん……」
サシャは肋骨を叩き割り、内臓を引きずり出す。
そしてあなたが指示した部位を切り取っていく。
「う、うぇぇ……血でべたべた……」
あなたは魔法の水でサシャの手を洗い流してやった。
割と燃費が悪い。これはたぶんあなたの使い方が間違っているせいだろう。
まぁ、気にするほどの消費でもないが。
必要部位を採取された熊は悲惨な状態だ。
内臓を引きずり出されて殺されたかのような有様だ。
このまま放置すると他の獣を引き寄せてしまう
なので、可能ならば処分してやるべきだろう。
とは言え、埋めるのも面倒だ。
あなたは魔法で死体を焼き払った。
『ファイアボルト』を適当にパナす。
超強力焼尽光線が熊の死体を一瞬で焼き払う。
「うっ」
肉が焼け焦げ、毛皮の燃える臭い。
そして血が沸騰し、蒸発する臭い。
これはもしや、まずいのでは?
あなたはやってから思い至った。
サシャの顔色がサーッと悪くなった。
そしてうずくまり……サシャはよくがんばった。
吐き気に耐えてよく頑張った、感動した。
だが、最後の最後で台無しだった。
「う、うえっ、ご、ごめんなさ……ごめんなさい……」
謝る必要はない。
だれだって最初はこんなものだ。
あなただってそうだった。
初めて臓物がばら撒かれた場面に居合わせた時は吐いた。
エルグランドの民は凄惨な死体には慣れっこだが。
やはりはじめての時は吐いたり動揺したりするのだ。
「ご主人様も……」
誰だって初めから強いわけじゃない。
サシャはこれからなのだから、焦ったり謝ったりする必要はない。
「はい……」
サシャの頭を撫でて慰めてやる。
その一方で、レインにはもっと頑張れと適正な評価を下した。
「ええ……さすがに、自分でも情けないって分かってるわよ……次は、私が解体して見せるわ」
期待しているとあなたは頷いた。
何事も挑戦しなければ上達しない。
あなただって無数の挑戦の末に今がある。
挑む者にこそ幸があるのだ。
「それにしても、凄い火力ね……一瞬であんなに大きな死体を焼き払うなんて……」
魔法使いとしてはそちらの方に注目が行くらしい。
殺傷力に全振りしたエルグランドの魔法ならばこれくらいは容易いことだ。
「……獣を解体する魔法とかない?」
エルグランドの魔法にはない。
獣を粉々にしたり、消し飛ばす魔法ならいくらでもあるが。
解体する魔法があるとしたら、この近辺の魔法だろう。
むしろレインは心当たりがないのだろうか?
「うーん……ドルイドの魔法にだったら、そう言うのもある、かも? どうかしらね……いえ、変成系の術にそれらしいものが……生物素材はいけるかしら……」
ブツブツとレインがなにかの考察を始めた。
後で教えてもらおう。
「お姉様、処理は終わりました。どうします?」
内臓を処理していたフィリアがそう声をかけて来た。
サシャとレインが吐いてしまったので、休んでから帰ろうと提案した。
「まだいけるわよ」
「わ、私もまだがんばれます」
だめー。吐くと、精神的にも肉体的にも大きく消耗する。
そうしたコンディションの悪い状態で戦うのは危険だ。
避けられない状況でそうなることもあるが、この状況はそうではない。
帰ろう、帰ればまた来られる。
あなたはそのようにレインとサシャを
「……分かったわ」
「うぅ……次こそ、次こそは……」
納得してもらえたようだ。
あなたはとりあえず、『四次元ポケット』から各種の食材を取り出した。
パン、ミルク、チーズ、たっぷりのお砂糖と、あなた特製のブイヨン。
『四次元ポケット』ならば、液体も零すことなく運べる。
そのため、極めて贅沢なスープストックも持ち出せる。
ブイヨンを野外で利用するのは『四次元ポケット』ありきだ。
あなたはまず火をおこした。
その火でミルクを温める。
沸騰する前に砂糖をたっぷり。
パンとチーズも刻んで放り込む。
さらにブイヨンで味を調える。
それから遠火で3分ほど煮込む。
これで優しい味わいのパン粥が完成だ。
吐いた後の胃にも優しいパン粥で栄養補給をしてから帰ろう。
「あ、おいしい……すごく沁みる……」
「ただのパン粥じゃない……すごくおいしい……!」
レインとサシャはしみじみと喜びながら食べている。
フィリアはブイヨンの価値を知っていたらしく、こわごわと食べていた。
味の方には満足してもらえたようなのでよしとする。
「あ、あの、ご主人様。その、おかわり……いいですか?」
サシャがおずおずと申し出て来た。
あなたは残っていたパン粥を全部注いだ。
たくさん食べて大きくなりなさい。
そう言うと、サシャは嬉しそうに耳を震わせてパクパク食べた。
わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい。
あとできればエッチな子に育って欲しい。
やはりこう、胸は大きい方が揉み心地がいい。
なにごともでっかいことはいいことだ。
「お姉様のご飯、本当においしいですよね。料理店もやっていけそうです」
「客をえり好みするだろうから向いてないわよ」
レインの端的な評価にあなたは笑った。
まさにその通りである。あなたは客をえり好みする。
男を追い出しはしないが、女性優遇メニューやサービスをすることは間違いないだろう。
まぁ、そうしたところで店を十分に
さておき、そうしてお腹を満たしたところで
これからは町に戻るべく、
家に帰るまでが冒険である。
帰りつけないものは冒険者ではない。
「そうね、無事に帰ってこそ評価がされるというものね。油断せずに帰りましょう」
「がんばります!」
あんまり気負うと疲れるのでほどほどにね。
「あ、はい。えへへ……」
照れ臭そうに頭を掻くサシャは身悶えするほどかわいい。
あなたはサシャの頭を撫でて可愛がった。
ふにふにした耳が気持ちいい。手が天国に浸かっている。
「ふぁ……ご主人様に撫でられるの、気持ちいいです……」
だるんだるんに甘えた声でサシャが呟く。
じつに心臓に悪い声だ。最高に可愛い。
あなたは熱心にサシャの頭を撫でくり回す。
しばらくいちゃついた後、あなたたちは町へと戻るべく歩き出した。
行きはよくても帰りが怖い。
道が分かっているという安心感が油断を呼ぶ。
行きと帰りでは疲労度が違う。
疲れ切った状態で、価値の低い安心感を抱くのは危険なのだ。
だからこそ、まだいける、と言う予測は危険なのだ。
まだいけると言うことは、不調はあるけど進むことは可能である、と言うことだ。
帰りのことを計算に入れてその発言が出来る者は少ない。
常に万全でいられるほど簡単な話ではないが。
不調を感じたらそれを重要視する。
何事も命あっての物種である。
ただ無謀に突き進むだけでは三流である。
そう思いながら歩いていると、くい、と服の裾を引かれた。
そちら……後ろを歩くフィリアへと目線をやる。
すると、目線で巨大な木への注意を促して来た。
あなたは意識してその巨木の周辺を索敵した。
するとなるほど、前方の木陰になにかが隠れている。
ここはひとつ、咄嗟の時の対応でも見ようかなとあなたは考えた。
そのため、フィリアには頷いて見せ、サシャとレインの方へと視線をやった。
その動きだけで理解したのか、フィリアはかすかに頷いて見せた。
そして、樹木の横を通り過ぎようとした時。
その影から飛び出して来たのは熊だった。
先ほどの個体よりもさらに大きい個体だった。
その熊が一直線に狙ったのはサシャだった。
それを認識した時、サシャが咄嗟に取った行動はあなたをして満点を与えられるものだった。
つまり、あなたが先ほど貸し与えた石を投擲すると同時の抜剣。
石ころが直撃した熊だが、みじんも堪えた様子はない。
そのまま勢いを減じさせずにサシャへと向かっていく。
サシャが駆け出し、熊の振るう腕を地面に転げて回避
そして、熊の膝に当たる部分へと剣を叩き込んだ。
ほう、とあなたは感心した。
以前にサシャに教えた、集団戦における戦法のひとつだったからだ。
転がりながら相手の脚を斬りつけ、転がった隙はそのまま転がって逃げるか、あるいは仲間にカバーしてもらう。
つまり、これはサシャからの指示でもあるわけだ。
自分の
サシャも戦士としてこなれてきたものだ。
あなたは笑うと、サシャの指示通りカバーに入った。
つまり、あなたも抜剣すると熊へと立ち向かい、その腕を叩き切ったのである。
「熊!?」
背後からボウガンのボルトが飛んで来る。
それは狙い過たずに熊の体へと命中する。
ボウガンは重いので咄嗟に狙うのは割とむずかしいのだが。
フィリアは随分とボウガンの扱いに慣れているらしい。
「『熱線』!」
レインが放った魔法が熊へと直撃。
一瞬にして熊が火に包まれるが、すぐに火は消える。
魔法による火には、可燃物の要素がない。
火を支える要素がまったくと言っていいほどにないわけだ。
対象を炎上させることができればそれが可燃物となるが。
水気を多量に含んだ生物はなかなか燃えにくい。
加えて、魔法による火であるから、魔法への耐性、また生物の持つ内在魔力でかき消されてしまうのだ。
対象が燃えやすいか、あるいはその生命の火を掻き消せるほどの威力がなければ燃え続けはしないのである。
あなたはなるほどとうなずく。
なかなかに悪くない連携ではないだろうか?
サシャの咄嗟の対応は満点。文句のつけどころはない。
レインの対応はまぁ、満点はやれないが十分な点数はやれるだろう。
熊!? とか驚いていないで、『魔法の矢』あたりで応戦していたら満点なのだが。
さておき、熊は腕を切り落としたあなたを最大の難敵と見たのか、あなたへと注視する。
地面を転げて離脱していたサシャは熊の斜め後方に位置している。
さて、サシャはどう動いてくれるのか、楽しみである。
立ち上がって体勢を整えたサシャが熊へと襲い掛かる。
手にした剣を大上段に構え、狙うは肩。
頭を狙っても効果が薄いと考えているのだろう。
実際のところ、いまのサシャの腕力ならば頭を叩き割って一撃で仕留められるのだが……。
まぁ、頭骨と言うのはこれでうまい作りをしている。
剣筋を正しく立てなければ、叩き割れる威力があっても逸れてしまうことがある。
肩口を狙って斬り付けるのは確実な選択肢と言えるだろう。
サシャの剣が熊の肩口へと斬り込む。
そして、胸元まで一挙に切り下げた。致命傷である。
だが、まだ死んでいない。
野生の獣の生存本能はすさまじい。
生きている限りは危険だ。
サシャはそれを十分に承知している。
胸元まで食い込んだ剣が抜けないと見るや、即座に手放して離脱した。
なかなか悪くない。
あなたは反対側から切り込んで足を切り落とした。
しばらく待てば死ぬだろう。
あなたは同様に距離を取り、地面に転げて悶える熊を油断なく警戒した。
「あぅぅ、私の剣がぁ……」
サシャが悲し気にそんなことを言う。
サシャの剣は熊の体の下敷きになっている。
この大陸に来た当初、山賊から命ごと奪った代物なので価値はほぼゼロなのだが。
初めて手にした剣、という意味で言えば、思い入れ深いものかもしれない。
粗悪品なので、下敷きにされた衝撃で折れているかもしれない。
ちゃんとした高品質の剣ならば、あの程度の荷重を受けても曲がったりはしない。
正確に言うと、曲がるが、ちゃんと戻る。
剣と言うのは曲がるのが普通なのだ。
あなたはサシャにもっといい剣を用意してあげると伝えた。
そろそろ粗悪品の剣は卒業してもいいだろう。
ちゃんとした高品質の剣を与えよう。
「新しい剣を? ほんとですか?」
ほんと。こんなことで嘘は言わない。
ちゃんとサシャの体格にあった剣を与える。
今まで使っていた剣は、サシャの体格には合わない。
腕力で無理やり捻じ伏せて使っていたが、もうちょっと小ぶりな剣の方が合う。
「やった! 楽しみです!」
楽しみにしていて欲しいとあなたはサシャの頭を撫でた。
さておき、そろそろ死んだろうかとあなたは熊を見やる。動きはしない。
サシャに石ころを投げつけてみなさいと伝える。
「あ、はい」
言われた通り、サシャが石ころを熊へと投げつける。
ごしゃ、と鈍い音がするが、熊は動かない。
どうやら死んでいるようだ。
あなたは熊へと歩み寄る。
転がしてサシャの剣を回収してやるつもりだ。
熊の体へと手をかけたところで、熊が突如として動き出した。
恐ろしく機敏な動作で身を起こし、あなたへと腕を振るう。
あなたの頭部へと直撃する軌道だった。
常人ならば即死するだろう威力がある。
そうでなくとも顔を引き剥がされて致命傷。
騙し打ちとしてはこれ以上ないタイミングだ。
生死確認のための追撃を受けても反応せずに死んだふりをするとは。
この森の熊が知能に優れ、異様に悪辣だというのは確かだ。
あなたはこの森の熊の悪質さに唸った。
そんな考えの傍ら、あなたは熊の腕を受け止める。
そして、そのままベシリと腕を払い落す。
拳を握って、えいやと熊の頭部を叩く。
熊の頭部が爆散し、肉片と骨片が勢いよく飛び散った。
さすがに即死だろう。これで生きてたら怖い。
「ええ……」
呆れたような、信じ難いものを見たような。
そんな声が背後から聞こえた。
あなたは熊の死体を転がす。
そして、剣を引っこ抜く。
これが見事にひん曲がっている。
記念に取っておきたいなら持ち帰るが……。
どうするかとサシャへと尋ねた。
「ええと、べつに必要ではないかなと……」
あなたは剣をそこらへんへと放り捨てた。
町まで持ち帰って下取りしてもらえれば多少の金にはなるが。
べつにその程度の金が欲しいとは思わない。
次に、あなたはレインへと解体するようにと伝えた。リベンジと言うわけだ。
「ええ。今度こそやってみせるわ」
その後、レインは2回ほど乙女の尊厳を放出した。
解体そのものは無事に成功させたので、まぁ及第点か。
文字数はどの程度が好ましいですか?
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2000文字前後
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3000文字前後
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4000文字前後
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5000文字前後
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6000文字前後
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7000文字前後
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8000文字前後
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9000文字前後
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1万字前後