その日の道楽者は、散々だった。
どぶに足を突っ込み、加えたシャボン玉用のプラスチックパイプをカラスにとられ、挙句の果てにはバナナの皮を踏みつけて思いっきりすっ転んだ。
待ちゆく人には、最初のうちはへらへらと笑ってくれていたが、だんだんと笑いから同情の視線に変わっていった。
半分街の道化みたいな奴が笑いや空気を美味しくしていけなくなって気まずくさせたら終わりだよ。
我ながら、自分のツイてなさに心から落胆し頭を抱えたところで一つの解決策が頭によぎった。
「よし、ショッピングに行こう」
ものを買う、消費するという行為は人の心に大きく作用する。
例えば、金額の大きいものを買う時は大いに悩んだ後に決断する。
これにより悩んでいる間はどうするべきか非常に頭を悩ませ、自分の心に結構な負担がかかったりする。
生きていく末の金銭や、自分の今持ち得るものを対価にするのだから、当たり前のことだ。
小さなものでも、なにかしらのものを買うことで自分の欲望をある程度満たすことで多少心の余裕をもたらしてくれる。
だから、買いに出かけるのは悪いことではない。
そこに生クリームのパックが安売りされているのが悪いんだ……
賞味期限近いからって半額なのは素晴らしいことなのだ。
あるのがいけない……! あるのがいけない!
「……何をしているんだ?」
「早死にRTA」
「今すぐにやめろ」
なんか青ちゃんに見つかって10パックほどを棚に戻された。
2パックは残してくれるのはさすがに温情効いてて助かる。後で生クリームにしてこの温情返さなきゃ……
「青ちゃんおっすおっす。まぁ随分なところで会ったね」
「そう言いながら買い物カゴの中にまたパックを入れ続けるな」
折角のばったり出会いなものなので、そのまま青ちゃんの買い物にも引っ付いて行くことにした。
「都楽」
「なんしょうか」
「なぜ水筒を振り続けているんだ?」
青ちゃんが僕の手元を指さすが、そこにはシャカシャカと降られている自分の水筒の姿だけであり、何ら不思議なものはない。
「この中には、さっき買ったクリームが入っている」
「そうか……」
「なんならここに砂糖も入れた」
「プロテインの感覚で生クリームを作ろうとするな」
「兄弟みたいなものじゃない?」
「少なくとも対極の位置だと思うが」
厳しい言葉が飛んでくる。相変わらず青ちゃんとの会話では切れ味鋭いやり取りをさせてくるので飽きることがない。
「青ちゃん、買うものは他にある? 多めに買おうと思ってるなら荷物持ちくらいはするけど」
「いや、他に早急に欲しいものはない。気持ちだけはいただいておく」
「おっけ。僕さこれからちょーっと違う所向かおうと思ってるんだけど、一緒に来る?」
「折角だ。俺もついていって良いだろうか」
「いいよー。まーた青ちゃんにお気に入りスポット知られちゃったな」
そうと決まれば話が早い。
レジに通し終えた買い物品を鞄に詰めて、青ちゃんの方に振り向いた。
「……嫌だったか?」
「違う違う。こんなに自分のこと開示する事ないから、新鮮な気分なのさ」
自己のことをこんな風に多く言うのは、道楽者始めてからは久しくなかった機会だ。
「青ちゃんさ、前に過去にクラシック系を経験しているって言ってたけど、因みにどれだった?」
「いや、気分を害してまで聞きたいわけじゃないからさ。あんまり」
「……バイオリンと、ピアノだった」
「そっか……」
「辛いものではなかった、と言うと嘘になってしまうが……」
「……飲む?」
「飲まないが」
「そっか」
青ちゃんの顔が少しだけ曇ったものになる。
自分が踏み抜いてしまったものとはいえ、芳しくない空気になってしまった。
「僕もさ、ちっさな時に色々と触ったことはあるんだよ」
「伝説なんてものができる前からいた『宝船』って人達にお世話になってね」
「宝船は、多種多様な音楽に手を広げては拡大していった集団でね。その中には楽器関係に手を伸ばしてたんだ」
「とはいえ、青ちゃんが経験したようなガッチガチのクラシックってやつじゃない。どちらかといえば、ロックにスウィングジャズにブルース」
「言ってしまえば、二つ位昔の古い大衆音楽って奴が、楽器関係だと良くやってたんだ」
「当然、ガキンチョで大人の真似してあれこれ触ってたらさ。当然色々注意されるわけじゃん」
「ただ、宝船のおっちゃんたちはみんなして叱るんじゃなくて俺にやり方を教えてくれた」
目を閉じれば、呆れながらも結局は教えてくれていた過去の光景が今でもいくつも蘇ってくる。
ギターをいじればアフロのおじさんが教えてくれる。
ピアノを弄れば工場勤務みたいなおじさんが教えてくれる。
何かを触れば必ず何かしらの人たちが教えてくれた。
「別にさ、青ちゃんの中の楽器の記憶を変えようなんてつもりは無いんだ」
「その時感じたモヤモヤと辛いことを無かったことにしてなんて無理に決まってる」
「だから、ちょっとした魔法を使って見ようと思ったのさ」
大きなモールから少し外れ、帰り道にポツンと下に伸びていた階段を降り、日に焼けて古ぼけた木製の地下の扉を開ける。
「よっす。来たよ東のおっちゃん」
「……おう。来たなクソガキ」
「同伴のいる前でその呼び方はやめてくれん?」
扉を開けて目に飛び込んでくるカウンターには丁度、世の父親くらいの年齢であろう店主が立っている。
店内は夕方近くである中で、既に室内はまばらに人が席に詰まっていた。
「……お前友達いたのか」
「レコード一枚抜き取られるのと謝罪どちらがお好みで?」
「悪かったからよせ」
「……この人は?」
「宝船のうちの一人。東岡剛(とうおかつよし)さん」
「僕はずーっと世話になってたから東のおっちゃんって呼んでる」
「アレだろ? そっちの子はクソガキにこんな寂れた所に連れてこられたんだろ?」
「自分で言ってて悲しくならない?」
「今更のことだ。俺たちはハナっから消されてるしな」
「はいはい妄言は酒入れてから言いましょうね……あのさ、東のおっちゃん。蓄音機とピアノ借りれる?」
「貸してやるが、うちは酒場だ。なにか頼んでからにしてくれ」
至極まっとうな言葉だった。
来店してタダで貸してもらおうは付き合いのある間柄であっても流石にまずい。
「わかったよ。カルピス2つ。こっちの青ちゃんにもお願い」
「あいよ。そっちの坊主もそこ座んな」
東のおっちゃんは僕らをカウンター席に手招いていて、僕らがありがたく座るとそのまま冷えた容器に入った飲み物が提供された。
「しかし、久しぶりに来たと思ったらお前がやるなんざ言うってのは驚いたな」
「ちょっとね、仕掛けたくなってさ」
「ずいぶん珍しいこともあるもんだな。お前がそれをするなんてのはな」
「マジで今日失礼合戦になってるね」
危ないね。久方ぶりに会う人間からも容赦ないのは話が違うじゃん。
「しっかし、何弾くってんだ?」
「ん? ああコレ」といって、先ほど自分が買っておいた中古のレコードをおっちゃんに手渡す。
「……お前はまた随分な骨董品を」
東のおっちゃんは、目を細めながらレコードのジャケットを眺める。
「青ちゃんさ、ピアノはお好きかい?」
「……まぁ正直好きかと言われれば、答えにくい」
当たり前の話だ。青ちゃんの話を聞いていて、逆に好きな方が少し心配になる。
とはいえ、今のは自分から踏みに行ったようなものなので10:0でこちらの過失だ。保険は下りるが温情はない。
「ピアノの弾き方と言っても、一概に伝統あるクラシック音楽を引くことだけが全てなわけじゃない」
「種類として、というよりも座学程度でしか知らないだろうから見せてあげる」
ボロボロに使い古されたピアノの椅子に座り、鍵盤の感触を確かめる。
「なんだお前。こっちの坊のジャンル童貞奪うために来たのか」
「一番最悪の言い方やめてね。そりゃあ、今なら動画サイトでポンポン出てくるわけだけど一発目の体験は生じゃないとわからんもんだよ」
「よりじゃねぇか」
「だまらっしゃい」
東のおっちゃんからのヤジをあしらいながらも、自分の中で感覚は思い出してきた。
正直、ここでやろうとしていることは自分のエゴ以外の何物でもない。
「坊主。本当にあれでいいのか? もっとこうお前たちの歳ならアニソンみてぇなものの方が珍しかったりすると思ってるんだが……」
「それでもいいんだけどねぇ……もうちょい自由めに弾いてみるかな」
楽器を用いる音楽ジャンルイメージの破壊という意味では、そちらでも確かに良い。
だがそれよりも、今の青ちゃんにとってノメちゃんが与えた本物のイメージ破壊と同等の威力を持つジャンルはこれなんだと勝手に思っている。
「……そうかよ。頑張んな。俺ぁミスっても鼻で笑う真似はしねぇよ」
「お気遣いどうも。嫁さんにうだつの上がらない優しいマスターさん」
「おうぶっ飛ばすぞ」
先ほど買ってきておいたレコードを再生するようにお願いし、僕は軽口を叩き合いながらピアノの前の椅子に座り、鍵盤に手を添えた。
〜♪ ~♪
円盤に刻まれた音楽は、針で読み取りながら流れていく。
買ってきたレコードは、海の向こうでは教科書になるレベルで有名なジャズプレイヤーの名盤。
曲名は、Autumn leaves。
かつてフランスのバレエ音楽として使われた曲を、英訳にして流行させた時の楽曲。
〜♪
鍵盤の上で僕の指は踊る。気づけば鼻歌も交じる。
自由だ。このジャズピアノの魅力の一つは、楽器一つで自由に表現が出来る。
自由だ。ジャズは楽しい。競争も闘争もそこに含まれない。あっても外野での酒の肴になる。
叩かれる鍵盤を横目に視線を他の席に移すと、他のお客たちは皆自分のピアノに聞き入っていたり、何故かドラムとサックスがいつの間にかに入っていた。
乱入してきた二人と視線が合う。どうやらセッションがお望みのようだ。
上等だ。覚悟しろと言わんばかりにテンポを上げていく。
気づけば裏で流しているレコードは止まり、指揮棒はいつの間にか僕に託された状態だった。
そのまま行こう。
各々の気のすむままで自由を謳歌しようじゃないか。
そう、自由だ。
この音楽は僕も聴衆もwin-winの関係になれるからだ。
止まらぬ音楽についにはボーカルまで入ってきた。こうなればもう止まらない。
辞めたくない。楽しい。自分の口角が上がっていく。
レコードの音はとっくに止まっているのに、鍵盤を叩く手は止まらない。
細胞が喜びの声を上げている。僕は今、人に、この場にいる人間の注目を集めている。
スマホで撮影もしてくれていい。
凄いと口々に言ってくれていい。
この瞬間を、刻み込んでくれ。
この瞬間に、何も無かったなんてことを言わないでくれ。
そんな少しマイナスめいた願望も、鍵盤の音がかき消していった。
音の枯葉の最後の一枚を、鍵盤の最後の一音で踏み終えた大きく深呼吸をする。
はっちゃけ過ぎた。それはもうすっごく。
一緒に走り抜けた人達と顔を見合わせれば、皆高揚した顔をしている。
それもそうだ。
アドレナリンどっばどばの状態で笑い合いながら労いつつ、周りの大人たちに手荒いチップを受け取りながら、強制冷却の為の賢者タイムに突入したところで青ちゃんの方をちらりと見やる。
青ちゃんは度肝を抜かれた様に、口を開けて驚いていた。
多分、二つの事柄に対して。
こんな音楽もあるのかという驚きと、それを僕がものすごい熱量で叩きつけてきた事への驚きで。
「どう? びっくりした?」
「……ああ。こんなに熱のある音楽が、即興で出来上がるのだな……」
「そりゃね。そこに音があれば、そこに熱があれば、後は勝手に組みあがっていくものだよ」
「それはね、どんなツールを介してでも伝えることができてしまえばこっちのものなのさ」
「それで、楽器で作り上げた即興ショーは如何でした?」
たっぷりの笑みで青ちゃんに問いかける。
「まだ、少し抵抗感はある」
「だが、楽器にはこんな使い方があったんだな」
青ちゃんは、何処かスッキリしたような顔で、僕にそう言った。
「今度は、俺にもジャズのやり方を教えてくれないか?」
「その言い方はナンセンスだぜ青ちゃん。ジャズってのはね……」
そういって僕らは日が傾くまで、少しだけ歳の前借りをして地下の酒場で大いに盛り上がった。
帰るときに、青ちゃんのお家からなにか怒られたりしないかななんて心の奥で冷や汗だらだらだったけど、何事もなく帰宅できたようだ。
その日の夜、青ちゃんから一つのメッセージが届いた。
『今度は、都楽の知る楽曲をレコードでも聞かせてほしい』
……また通うかな。レコード店。
唐桜 都楽(かざくら とらく)
実は好きなのはフリージャズ
青柳 冬弥(あおやぎ とうや)
最近知ったジャズはニューヨークの想い
すまんVRchatに沼った。
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