学園都市の一角、どこにでもあるような公園だった。
普段は子供達がいるはずのそこは、戒厳令の発令により、真っ当な人間の姿は何もない。
代わりに遊具に混ざる形で、数々の兵器の残骸が奇怪な形のオブジェのように並んでいた。
美的センスの欠片もない冒涜的光景を生み出したのは、人間ではなく邪神と獣。
即ち、ストレンジャーたるナイアと、それが率いる金色の少年だ。
そして、それと相対するように、もう一人。
猫の耳のような癖毛の少女が、両手に二丁拳銃を構え、神に挑むように立っていた。
「やあ、思ったよりも随分と早かったじゃないか」
まるでエンネアが自分からやってくると解っていたかのようにナイアは言った。
両手を広げて招くように。もしくは獲物を捉える顎のように。
「君も懐かしいんだろ? 戻りたいんだろ? あの狂おしくも麗しい無限螺旋のアーカムへ!
神に犯され魔人を孕む快楽を、魔人を産み落とし食い破られる快楽を、また再び三たび何度でも、未来永劫過去永劫に無限に味わい続けようじゃないか!」
「誰が望むか」
吐き捨てる。
曲がりなりにも魔人の一人であるエンネアは、邪神にとってはそれがアイだと理解が出来る。
破壊したい。破壊されたい。穢したい。穢されたい。人間が持ちうるありとあらゆる感情を、それを越える名状しがたい意志を憎悪を執着を、流し込んで流し込まれてドロドロの混沌に混ざることが人間ならざるもののアイだと、それを求める心を知っている。
けれど、今の自分はそれを知っていても望まない。
何故なら、
「エンネアは、九郎とした約束を守れるエンネアになってから再会したいんだ」
次が来たらもっと強くなりたいと思っていた。
けれど、その「次」が本当に来た時、自分は震えてしまったのだ。
可憐な女の子のフリをやめて親切な人たちを守るべき場面で、先に庇われてさえしてしまった。
この身は魔人であって英雄ではないから、勇気が出せないのは仕方ないのかなとすら思ってしまった。
けど、限られた英雄以外でも人の魂は輝いているのだと、『普通の高校生』にあっけらかんとそう言われてしまったら。
「自らを滅ぼすことでしか決着をつけられないと思っていたエンネアは無限螺旋に捨ててきた。
選ばれたヒーローだけでなく誰もが運命を切り開いていいというのなら、エンネアは九郎に会う前にそれになりたい」
だから、
「お前とはここで決着をつける! 乾かず飢えず無に帰れ、邪神ナイアルラトホテップゥゥゥゥ!!!!」
「はっ、随分と吠えるじゃないか! 魔人の代替と闇に吠える我を前に、来るがいいさ『暴君』が!!!」
◇
そして戦いが始まった。
(ナイアルラトホテップの今の肉体は、この世界に侵入する為に通常の人間規格!
邪神としての問答無用の力は無く、魔術らしきものも単純な眷属招喚程度しか利用できない!
つまり────撃てば殺せる!)
狙うは初撃から大火力。
右手の
「おお怖い怖い、か弱い僕は守ってもらわなければ死んでしまう!」
ナイアの背後、ごじゅぼぎゅるる! と名状しがたい音を立てながら、虚空から異形の怪物が二体招喚される。
獏に甲虫の手足と羽をつけたような生物と、ヒトデに獣の足をくっつけてテトラポッドみたいにした生物。
その二体のうち、甲虫の形をした側が、異形の姿には似合わないぐらいにスムーズに呪文を詠唱し、エンネアの銃撃を防御する。
マスターテリオン・ハザード。
この世界最強の魔術師の同位体が、邪神の騒狗と化して、別の世界の最強の魔術師と渡り合う。
『のんきり・のんきり・まぐなあど』
『ろいきすろいきすろい・きしがぁるきしがぁすず』
怪物二体が異形の祝詞を口にする。
血の雨のようなドス黒い赤色の槍の群れがエンネアに向けて放たれる。
「そんな簡単な魔術、ディスペルするのに指の一本も必要な、」
余裕のセリフを途中で切り捨て、エンネアは咄嗟に後ろに飛び退いた。
ほんの一瞬前に存在していた座標に、槍の群れが突き刺さり爆発する。
(なんで!? 構成は筒抜けなのにディスペルが効果を発揮しない!?)
不可解だった。
エンネアの知っている魔術は式だ。適切な解呪を行えば雲散霧消する筈で、それどころかエンネア程の術師であれば相手からその制御を奪うことすらも容易い。血の槍も本来ならば方向反転して異形二体を襲っていた筈なのに。
「残念なことを教えようか。ここは無限螺旋の世界とはまた違う位相の世界なんだよ。
だから当然、魔術のルールも君が知っているものと完全に一致している訳ではないんだ」
「……ッ」
舌打ちをする。
手持ちの二丁拳銃は幸い機能するようだが、手札の幾つが暴発の危険を孕んでいるのかわかったものではなくなった。
一足す一が二ではなく四とか八とか二百五十六になるかもしれない状況で複雑な方程式を解けと言われるようなもの。
世界の違いが暴君の牙の枷となる。
「ぼけっとしててもいいのかい?」
「………ハッ!」
殺気を感じて咄嗟に右手の
背後から忍び寄っていた金色の少年の抜手が紙一重のところを貫いていく。
「シィッッ!」
すれ違い様に左手の
しかし放った弾丸は半分は金色の少年の展開した障壁によって防がれて、残りはあらぬ方向に飛んでいく。
(向こうはこっちの世界の存在をベースにしているから、魔術が使い放題ってわけか!)
こちらの特技は封じられ、相手は多勢で万全状態。体感することがなかった圧倒的な不利状況。
けれども、その程度がなんだという。
自分が知っている青年はいつだって自分より強大な敵に立ち向かい、不屈を続けてきたのだから!
「ふぅん。随分といい表情をするじゃないか。摘み取るのが随分と勿体なくなってきた。──ああ、残念だ」
ナイアの声に振り返る。
そして目にしたものは、タコのようなまだ知らない怪物と、視界一面を埋め尽くす量の汚濁な触手──!
「しまっ、三体目────っ!」
無数の触手がエンネアを捕らえて縛り上げる。
四肢を、首を、細い腰も、全身をくまなくぬめりと腐臭が覆い尽くす。
「あっ……あああ……ああああああああああああああああああああっ!?」
少女の姿は完全に三体目のタコ型マスターテリオン・ハザードの触手で隠されて、絶叫だけが外に響く。
絡まる触手はエンネアの抵抗を許さない。暴発覚悟で魔術を練ることもさせないように、吸盤から魔力を吸い取っていく。
強引に、一方的に、徹底的に、無慈悲にそして容赦無く、少女の躰だけを残して魂と尊厳を搾り取ろうと締め上げる。
「そもそもね、君がこの世界に現れることができたのも、元はと言えば僕のおかげなんだよ?
僕はこの世界の黙示録の獣を名乗った魔術師に干渉して、同位体であるこの大導師殿の代替を生み出した。
そして
君がここにいるのは、そうやって世界が辻褄合わせをしたからなんだよ」
つまり、
「元を糺せば無限螺旋での世界でもこの世界でも、君を生み出したのは実質的にこの僕だ。
グレートマザーの言うことを聞いて、生まれてきた意味を果たそうじゃないか!」
これが邪神。これが邪悪。これがナイアルラトホテップ。
体も命も宇宙の全ては嘲笑い玩弄するものに他ならないと、言葉と態度が表している。
「うぐ……あぁ……んぁぁはははははははあ! ────やなこった」
そして、触手が爆発した。
術式で編まれた無数の触手が、方程式の残滓となって散っていく。
「頑張った自慢を誰かにしたいのは解るけれど、あまりにも時間を与えすぎだよ。
世界が違うから方式も違う?
だけど出力される結果は同じなんでしょ?
だったらエンネアは、そこから式を逆算できる。そしたらディスペルにだって、当然のように手が届く」
かつて学園都市の超能力者は、
この世界の最強が出来ることであるならば、異なる世界の最強もその程度のことは行えて当然に決まっている────!
「それじゃあ退場してもらおうか邪神と眷属! お前たちを殺すのに相応しい、最強魔術を見せてやる!」
両手の二丁拳銃に、先程までとは段違いの魔力がこもっていく。
絶殺の意志が神気となって具体的な圧を帯びていく。
「術種選択────
かつての世界で彼女が使っていた「存在そのものを抹消する」大魔術。
それをこの世界の方式でアレンジした、正真正銘今生み出されたばかりの、彼女自身のオリジナル。
その効果は、「ifの可能性の抹消」。
基底世界にあり得ざるものをただの幻想として殺し尽くす、絶対最悪の追儺魔術。
邪神の使徒を鏖にする呪詛を、左手の
『にょもまびゃもなぎ』
『にゃもむにゃもめ』
『にゃるらー』
三体のマスターテリオン・ハザードが間の抜けた叫び声を上げながらそれぞれ一撃で粉砕される。
残った三発の銃弾は金色の少年へと殺到し、邪神の陰謀の核を砕こうと唸りを上げる。
が。
ドカドカドカッ!と銃弾の質量に見合わない派手な音が響く。
金色の少年がかざした障壁が必殺の弾丸を受け止める音だ。
「残念だったね!」
「いいや、これでいい────!」
欲しかったのは、この一瞬の隙だ。
「これで今度こそさよならだ、ナイアルラトホテップ────!」
地面を蹴る。細い体躯が跳ね上がる。
そのまま邪神に飛びついて、右手の
……。
…………。
………………。
「いやいや、本当に残念だったね。悲しいぐらいに残念だとも」
「そん、な、今のお前は普通の人間規格のはずなのに」
放ったはずの銃弾が、邪神の肉体を粉微塵に吹き飛ばすはずだった銃弾が、何もない空間に停められていた。
そして唖然としたことが、今度はエンネアの隙だった。
四肢と背中に焼きごてを当てられたかのような、苦痛と焦熱。
金色の少年のはなった魔術によって束縛されたのが、動かせない体でもって理解できた。
「ふふふ、」
嘲ける声を漏らしながら、ナイアは自分の開いた胸の谷間から、一冊の本を取り出した。
「
「魔道書の……『原典』の防禦機能……」
魔道書は尋常の方法では破壊不能の核にも例えられる特級呪物。
そして、その特徴は、擁する知識を伝達しつづけるためならば、どんな不条理だって起こすこと。
「それじゃあおかえり、我らが『暴君』。またしばらくの永劫、お世話になってもらうからね」
金色の少年が、捕えられた少女の後頭部を掴み、主人の代わりにそこに魔術式を流し込む。
「おっ……あぁ、アアアアあぁぁあアあアぁあああああああ────!」
油断をさせるためのポーズではない、本物の絶叫をエンネアが上げる。
勇気を振り絞った少女の努力はこれでおしまい。全ては邪神の思惑の中に収められる。
(九郎……そして当麻……ごめんね……)
薄れゆく意識の中で少女が思い出す二人のヒーローが、