しかしながら流石にフェザーンでも想定外の事態に情報の伝達が遅れ、帝国が誇る天才ラインハルトも対応が後手に回る事になります。
しかしそこはラインハルト。
すぐに建て直す事に成功しますが……
ゴールデンバウム朝銀河帝国元帥ラインハルト=フォン=ローエングラムは、その報告を聞かされて思わず立ち上がっていた。
報告をしに来たのは、彼の盟友。赤髪の長身で、非常に感じが良い男性であるキルヒアイス上級大将である。
豪奢な金髪と誰もが驚く美貌、長身、「アイスブルー」と呼ばれる程苛烈な青い瞳を持つラインハルトは。
他の誰よりも、この竹馬の友を信頼していたし。
事実キルヒアイスの能力は、ラインハルトの部下の中でも間違いなく最強。
ただ、ラインハルトが覇道の具現者だとしたら。
キルヒアイスは王道の具現者だったが。
それでいながら格闘戦の技量はラインハルトを凌ぐほどで、帝国軍の中では「トマホーク(この時代の肉弾戦で用いられる長柄斧)一本で成り上がった」と言われる暴威の権化、オフレッサー上級大将に次ぐ実力者だった。
この全く考え方が違う二人が、これほど緊密な仲の持ち主で。偶然にも近所の幼なじみとなったのは、まさに歴史と運命の悪戯。
そしてそれが故に。陰謀と暗殺渦巻く謀略の世界を乗り越え、此処までラインハルトが来られたのだとも言える。
いずれにしても。ラインハルトは苛烈な気性の持ち主で。
例え半身とも言える存在が持って来た情報でも、激怒していたが。
「同盟の軍勢が、侵攻してこないだと!?」
「はい。 同盟軍は我れらが領土に入り込むと、イゼルローン回廊周辺の無人星系を順番に占拠。 それらの星系を要塞化する作業と、その護衛に全力を投じている模様です」
「ふむ……これは何かあったと見て良さそうだな」
「恐らくは」
実は、ラインハルトはフェザーンから事前に情報を受け取っていたのである。
フォークという馬鹿者が同盟軍の軍師気取りで。見境ない侵攻作戦を仕掛けて来ると。
勿論他にもスパイ網を帝国軍は持っている。
イゼルローン回廊に空前の大軍が集結しているのは観測済だったし、明らかに大規模遠征の兆しでもあった筈だ。
フェザーンがこの情報をもたらしたのは、理由はわからない。
あの蝙蝠が、帝国にも同盟にもそれぞれすりより。
両者の争いの間で、富を蓄えてきたのはずっと昔からだ。
今更、それについて疑問にも別に思う事はない。
しばし考え込んだ後、ラインハルトは誰よりも信頼する親友にまず聞く。
「キルヒアイス、お前はどう思う」
「はい。 敵の指揮系統に致命的な問題が起きたのか、それとも我等を誘い出して迎撃軍を逆に叩く形にしたいのか、どちらかとみて良いでしょう」
「そうだな。 そもそも今回の敵の侵攻に対して、静観を決め込むようにと皆に告げたのは俺だ」
ラインハルトは焦土作戦の末に、帝国領内に引きずり込んだ敵を各個撃破するつもりだった。
過去にも似たような経緯になった戦争が存在したと聞いている。
ラインハルトほどの常勝の天才でも、セオリーは守る。
それだけである。
更に、焦土作戦を更に完璧にするため。同盟軍がくると想定される星域には、軍を既に派遣。
同盟軍の接近と同時に、あらゆる物資を引き上げて。同盟軍が占領した場合、住民に物資を食い潰させるようにも手配していた。
これにより、同盟軍の消耗は更に激しくなり。
更に頃合いを見て補給線を叩く事により。
占領地での暴動まで発生させ。
同盟の人間に対する敵意まで、民に植え付けることが可能になる。
ただ、この民草を意図的に苦しめる策は、キルヒアイスはいい顔をしなかった。
現在参謀として取り入れている人物、オーベルシュタインによって提案された作戦であり。
実際問題、幼い頃に極貧生活を経験しているラインハルトは。
自分と同じ思いを乳幼児までするという事をすぐに悟り、あまり良い気持ちはしなかった。
だが、自分やキルヒアイスと違う考えが出来る参謀の存在は貴重であったし。
何より効果的だと判断したから、作戦は採用した。
ラインハルトは、独立分艦隊を指揮するようになった頃。最初に、習った戦術の何が有効かを実際に試したことすらある。
それくらい好戦的な反面上昇志向も強く。
手元にアクの強い人材が揃ったのも、それが故だ。
「もう少し、同盟軍の動きを監視させろ。 それと情報収集だ」
「分かりましたラインハルトさま」
「うむ……」
何かあったのなら、それはそれでかまわない。
そもそも、「こうなると決まっている」等とラインハルトは考えていない。
今回は、敵があり得ない動きを始めたから怒りを感じただけ。
怒りはキルヒアイスと話している間に収まった。
同盟には、ラインハルトも認める知将、ヤンが存在している。
あの者が何かしらの動きをした結果、同盟軍が想定外の行動に出ているのであれば。ラインハルトとしてはむしろ望むところ。
むしろ、今後の楽しみの一つであった。
二週間ほどして、情報がほぼ確定する。
幹部会議がラインハルトの前で開かれる。元帥として帝国正規艦隊の半数を率いているラインハルトの麾下には、問題児だったり問題児だったり問題児だったりと色々な提督がいるが。
基本的にどの提督も、有能な事は間違いなかった。
キルヒアイスに指示したが、情報収集を担当したのはオーベルシュタインである。
若いのに髪に白いものが混じっており、目は義眼。先天性の病によるものである。今でこそ緩和されたが、昔の帝国では「劣悪遺伝子排除法」などという狂気の法が稼働していた。障害を持つ者や開祖ルドルフ帝から見て「健全では無い思考の持ち主」、具体的には同性愛者などを容赦なく殺戮する悪魔のような法であり。もしも昔だったら幼児の頃にオーベルシュタインは殺されていただろう。オーベルシュタインは「ドライアイスの剣」等と言われているが。一方で、その行動原理がゴールデンバウム朝への燃え上がるような怒りである事も知っている。
だから、周囲にどれだけ嫌われようと信頼していたし。
周囲の提督達も、オーベルシュタインを大嫌いなのが目に分かる程だったが、それでもラインハルトへの絶対的な忠誠心は苦々しく評価しているのだった。
「ローエングラム伯、同盟に忍び込ませていた間諜から連絡がありました」
「うむ、聞かせよ」
「どうやら同盟軍は今回、フォークなる男が私的に持ち込んだ作戦によって侵攻を決定した模様です」
「……」
呆れ果てた様子の提督達。まあフォークの無能さは既に諜報でラインハルトも知っていた事だが、私的に作戦案を持ち込んだとは。
民主主義という思想が銀河帝国では既に遙か過去のものとなっており、思想を理解していない者は多い。
だが、それにしても政治や軍事が腐敗しているかどうかくらいは一発で分かる。
同盟も腐りきっているな。
そう、大なり小なり帝国の腐敗によって苦汁をなめてきた提督達は思っている様子がラインハルトには理解出来た。
「政界とのパイプを強く持つフォークの手と、画期的勝利により権力を得たい者達による利害の一致。 それが今回の侵攻作戦のようなのですが。 どうやらフォークの身に重大な事件が起きたようですな」
「重大な事件とは具体的に何か」
ラインハルトの部下でもキルヒアイスについで特に優秀な二人。速攻戦術を得意とするミッターマイヤーと。攻守共に完璧に近いとも言われる金銀妖瞳、つまりオッドアイの野心家ロイエンタール。声を上げたのは、特にオーベルシュタイン嫌いを公言しているロイエンタールだった。
勿論、オーベルシュタインもその辺りは抜かりがない。
「内容については把握している。 フォークという男は取り巻き達と一緒に調子に乗って歩いている最中、階段でバナナの皮を踏んで後頭部を強打し、そのまま意識を手放したようだ」
「バナナの皮ぁ!?」
ミッターマイヤーが呆然と声を上げる。
他の提督達も皆、あり得ない事態に驚いているようだった。
普段は硬質の美貌を持ち、女漁りで有名なロイエンタールですら、顎が外れたような顔をしている。
ぶっと噴き出したのは、部下達の中でも随一の猛将と言われているビッテンフェルトである。
猪武者を絵に描いたようなビッテンフェルトには、このあまりにも奇なる現実は耐えられなかったらしい。
まあ、そうだろう。
ラインハルトも先に説明を受けたとき、数秒ほど思考停止してしまった。
気持ちは大いにわかる。
「そ、それでフォークを失った、というかフォークが自爆した同盟軍はどうして消極的になったのだ」
「フォークの作戦案を見直して、無謀である事に今更ながら気付いたのだろう。 提督達がもう一度会議を行い、作戦を決め直したそうだ」
「総司令官はどうしているのか」
「今回の同盟軍の総司令官はラザール=ロボスという男だが。 昔は切れ者として知られているが、現在では老人性痴呆症を疑わせるほどの有様だそうだ。 作戦会議の最中は昼寝をしており、作戦が決まった後は結果を全認した挙げ句また眠ったそうだ」
耐えきれなくなったらしく、更に何人かの提督が噴き出した。
コントか。
そう誰かがぼやく。
ラインハルトも同感である。
だが、それによって当初の殲滅計画が上手く行かなくなったのも事実。
このまま同盟がイゼルローン回廊の周辺を要塞化し、イゼルローン要塞と連動して動くようになったら面倒だ。
ラインハルトの最終的な目標は、全宇宙を手に入れる事。
此処で言う全宇宙とは、オリオン腕に存在している銀河帝国とペルセウス腕にある自由惑星同盟、更には帝国と同盟を繋ぐ二つの回廊のうち一つを押さえたフェザーン自治領の事だが。
ともかく、これらの統一が目標だ。
それには、勝ち続けなければならない。
何かしらの手を打ち、極めて堅実に足下を固め始めた同盟軍をどうにかしなければならないだろう。
作戦会議を開始する。まずは、意見を聞くべきだ。そうラインハルトが判断したのである。
最初に元気よく手を上げたのは、ビッテンフェルトだった。子供の様に目を輝かせている。この男は戦争がとにかく大好きなのだ。ラインハルトも戦争は好きだが、方向性はちょっと違う。
「ローエングラム閣下!」
「何か、ビッテンフェルト」
「是非先鋒を御命じください! 我が黒色槍騎兵の破壊力を持って敵群に打撃を与え、引きずり出して見せましょう」
「ふむ、案としては悪くないが……他に案は?」
幾つかの案が出てくる。
だが、いずれもがラインハルトを満足させるには至らなかった。
それよりも、問題がもう一つある。
帝国には現在、ブラウンシュバイク公を始めとする門閥貴族達が最大勢力を築いていて、反ラインハルトの意思を隠そうともしていない。
戦闘が長期化したり、敵の作戦……イゼルローン周辺の星域の要塞化が成功してしまうと。連中が何をするか分からない、と言う事だ。
不意に、オーベルシュタインが案を出す。
それを聞いて、提督達が唖然としていた。
「貴様、正気か!?」
「大いに正気だ。 それにいずれは敵になる連中だ。 今のうちに手を打って置いた方が良いだろう」
「そうだな。 それも確かだ」
ラインハルトとしても、異存はない。
ラインハルトの麾下には、この時代の帝国軍における俊英がほぼ揃っている。麾下に入れる事がまだかなわない人材もまだ何名かいるが、それもこの後には麾下に入れて行きたいものである。
ラインハルトが立ち上がる。
そして、陰気な顔をしているオーベルシュタインに、作戦の実施を命じた。
ラインハルトの元帥府に、怒鳴り込んできた者がいる。
作戦会議から、数日後のことである。
どうやら、オーベルシュタインの作戦が上手く行ったようだった。
乗り込んで来たのは、ブラウンシュバイク公オットー。帝国最大の大貴族であり、私的財産だけで一個艦隊相当の守備隊を抱えている凄まじい金持ちだ。
富の不公正が服を着て歩いているような人物であり。
現在の皇帝の孫が娘にいる。
つまり外戚という観点では、ラインハルトと同じだが。
元々帝国騎士と言われる最下級貴族だったラインハルトが、「姉の色香に狂った皇帝陛下により」のし上がった事を徹底的に憎んでいるらしく。今まで何度か暗殺者を送り込まれている。
その全てを返り討ちにしているが。
ともかく、通してやる。
元帥府に来たブラウンシュバイク公は、恰幅の良い人物であり、一応階級は元帥である。ただし実際の戦歴はごく僅かで、国内での内戦によるものだけだ。
階級も学歴も金で買うのが当たり前。
地球時代も、富裕層や既得権益層は「裏口入学」などと言う手段……要するに学歴をコネや金で買い、それで「優秀な教育を受けている」「コネも実力のうち」等という寝ぼけたことをほざいていたらしいが。
今の腐敗しきった銀河帝国では、裏口を使う必要もない。
貴族の格や現状の力関係にあわせて士官学校などでは成績が与えられ。実際には殆ど学校に行かずとも主席で卒業するものすらいる。
これが、「富裕層が受ける優秀な教育」とやらの現実だ。
実際問題、元帥であるブラウンシュバイク公は、大軍を率いていながら孤立して兵も少ない内乱軍の鎮圧に大苦戦した華麗な戦歴の持ち主である。
ラインハルトとしては、笑止極まりなかった。
「ローエングラム伯! どうして皇帝陛下からの指示に従わず、消極的な動きしかしていない!」
「それも作戦の故ですが、何か」
「ぬぬう、何という憶病な!」
憤激するブラウンシュバイク公。
どうでもいい。
憤激すれば周囲があわててくれるし、「空気を読んで」くれる。そしてブラウンシュバイク公の主観こそが正義。
そういう世界で生きてきた男だ。客観という概念そのものがないのである。
勿論ラインハルトは、冷めた目でその様子を見ている。それが、更にブラウンシュバイク公を噴火させた。
「敵軍が、我が領土である星系を狙っているという報告が来ている! 相手が烏合の衆とは言え、流石に数が多すぎる! 迎撃をしないのはどうしてなのか!」
「軍事上の機密故に応えるわけにはいきませんな」
「お、おの、おのれっ……」
「ブラウンシュバイク公」
ブラウンシュバイク公の腹心であり、ラインハルトも優秀だと認めている人物。アンスバッハ准将が、主君を嗜める。
鼻息荒く血管が切れそうな様子の主君の耳元に、何やら囁くと。やがて、ブラウンシュバイク公はふんと鼻をならして靴音高く元帥府を出ていった。
アンスバッハは、極めて有能な補佐役だ。
何度か会ったが、悪い印象を受けたことはない。
「失礼いたしました、ローエングラム伯。 今回の事は、お気になさらずに」
「かまわぬ。 それよりも卿も大変だな」
「私は元々ブラウンシュバイク家に代々仕えてきている身です。 これが仕事でありますが故」
だいたいの場合、無能で傲慢な大貴族を支えているのが、こういった腹心達だ。
だが、それらの腹心達も、既に無能な者が目立つようになっている。
確かアンスバッハの一族も、代々優秀だった訳でもないらしく。今の代のアンスバッハが図抜けて優秀であるだけらしい。
一礼して、元帥府を出て主君を追うアンスバッハ。
控えさせていたオーベルシュタインを、ラインハルトは呼んでいた。
「どうだ、上手く行っているか」
「は。 ブラウンシュバイクだけではなく、リッテンハイムにも同じような情報を流しておきました。 今監視カメラで確認していますが、案の定二人で皇帝に直訴する模様です」
「ふっ、好きにさせておけ」
「ご随意に」
リッテンハイム侯。ブラウンシュバイク公と同じく皇帝の孫娘を要する帝国の大貴族の一人。
一応現在はブラウンシュバイク公と協調する姿勢を見せているが、それはラインハルトという共通の敵がいるため。
今回、まとめて始末してしまうのがいいだろう。
そう判断したからこそ、オーベルシュタインの作戦に乗ったのだ。
キルヒアイスに後で話を聞いたところ、二人を倒す事に不満はないと応えた。
だが、二人の犠牲に多数の兵士達が巻き込まれるのは看過しがたいとも、正直に応えた。
この優しさはキルヒアイスの天性のもので。
苛烈すぎると自分の性格を自認できているラインハルトには、本当にまぶしいものだった。
だが、キルヒアイスも分かってくれた。
もしも内戦になれば、更に大きな被害が出ることは確定である。
更には、二人の大貴族には、同盟は数だけ集めた烏合の衆だという情報も既に流してある。
簡単なものだ。
主観でしかものを判断出来ない人間は、基本的に自分の都合のいい情報だけを鵜呑みにする。
翌日には一報が届く。
ブラウンシュバイクと、リッテンハイムが中心となり、ラインハルトの麾下にいない艦隊と。更には自分達に友好的な貴族とその私兵を集め。「敵に恐れを成して消極的になっている臆病者の」ラインハルトの代わりに、同盟軍を討つというのである。
皇帝はそれを許可したそうだ。
結果として、首都星オーディンから、次々に名のある大貴族と、編成もいい加減な艦隊が飛び立っていくことになった。
無理矢理この作戦につきあわされた面子の中には、いずれ麾下に加えたいと思っていた貧乏貴族でありながらたたき上げで此処まで出世したファーレンハイト中将や、同盟のビュコック提督と並ぶ戦歴を誇る帝国の宿将、メルカッツ上級大将がいたが。
まあ、あの者達がいた所で、バカ二人を御すことは不可能だろう。
一応形としてはメルカッツが参謀格として総大将のブラウンシュバイクを支える態勢になったようだが。
そもそも、宇宙に出た途端艦隊運動も何もない無茶苦茶を貴族達は始める有様で、この後何が起きるかは分かりきっていた。
これではメルカッツも苦労しているのは確実だ。そしてメルカッツが苦言を呈しても、貴族共は歯牙にも掛けないだろう。何しろメルカッツも、元々下級貴族から、苦労して成り上がったのだから。つまり大貴族にとっては、階級が上だろうが「自分より格下」なのである。それにメルカッツは殆ど政治的な工作をしない事で有名で、「つまらん男」と大貴族達に呼ばれているのだった。
そして、貴族共が「ピクニック」に出かけたのを見計らい、ラインハルトも立ち上がる。戦いの時だ。
既に元帥府には、部下達が集まっていた。
「これより、帝国領に侵攻してきた同盟軍を撃ち払う!」
「おおっ!」
此方は、帝国の俊英達。今の世代最強の精鋭達だ。
数だけ揃えたブラウンシュバイクの軍勢など、問題にもならない。
シャンパンがグラスに注がれ配られる。ちなみに下戸もいるので、アルコールの度数は極めて低めのものを敢えて選んである。
酒豪の方が強いとか、そういう妄想からだけはこの時代の者は解放されている。
まあ、多分それは良い事なのだろう。
ラインハルトが杯を掲げて、ぐっとシャンパンを飲み干すと。その場の幹部が全員それに習う。
そして、みんなで一斉に杯を地面に投げつけた。
「プロージット!」
ガシャンと割れる哀れな杯。
ともかく、これをやるのが帝国流なので、もったいないが仕方がない。後で元帥府の掃除は、小間使い達がするのである。
極貧生活を幼い頃経験しているラインハルトは、この習慣を止めさせるべきかなと一瞬思ったが。
まあ、今は別に良い。見た目は格好いいし、なにより士気も上がるし。
こういう無駄を排除するのは、帝国の権限を全て握ってからで良いだろう。
ブラウンシュバイク公が率いる烏合の衆、およそ艦艇十五万隻が各地で合流しながら、一応向きだけ保って同盟軍に対して驀進を開始。
その後を、まるで夜闇を舞う梟のように。
ラインハルトが率いる帝国の真の主力。艦艇十三万五千隻からなる九個艦隊が、牙を研ぎ終え出立を開始していた。
メルカッツ提督は、大きな溜息をつくと、自室に戻った。
そうだとは知っていたが。ブラウンシュバイク公の立てた作戦は幼稚そのもの。これはあたら十五万隻の艦隊を、放り捨てるようなものだった。
最悪の場合でも、全滅は避けなければならない。
それに、あの若き天才、ラインハルトがこの出撃を煽った節があるのが気になる。ひょっとすると。
ふっと、苦笑が老いた喉から漏れていた。
先に、ファーレンハイト中将を呼ぶ。
今回作戦に参加する中では、メルカッツも認める極めてまともな将軍だ。元々同じような貧乏貴族の出身者。門閥貴族以外では人権がないに等しい帝国というこの歪んで老いた国家における、理不尽を見続けた身だ。
先に話をしておく。
ファーレンハイトは速攻型の猛将で、最悪の場合血路を開くのにもっとも適した人物だった。
「今回の作戦は負ける」
「同感です。 あの大貴族ども、同盟の正規兵を貴族の私兵で相手に出来ると本当に思っているのか」
ファーレンハイトの言葉も当然だ。
大貴族達が自慢げにかき集めて来た自領の艦隊は、見た目だけしか立派では無い。
趣味に合わせて武装が偏っていたり、或いは無駄に金だけ掛けたのが明白だ。
ブラウンシュバイク公の旗艦ベルリンに至っては、盾艦などと言うものを装備させている有様である。
これは戦艦の両舷に、いざという時は盾になることだけを目的とした艦を据え付けたものであり。
当然中の人間ごと、最悪の場合は盾となって散る事になる。
こんな代物に乗せられる兵士がどう思うか。
そんな事すら、ブラウンシュバイク公は分からない。そもそも平民を人間とさえ思っていないのだから。
リッテンハイム侯も対抗して盾艦を有するオストマルクを作っていて、作戦時に旗艦とするようだ。
そして早くも、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は作戦上で対立を見せ始めていて。
どうにもならないのは、今から明白だった。
「如何に愚かな作戦が行われるとしても、兵士達に罪はない。 最悪の場合は、わしが殿軍を引き受ける。 その時卿には敵の包囲網の突破を頼む」
「了解いたしました。 しかし、このような作戦で死ぬ必要はありますまい。 最悪の場合は、敵に降伏を」
「そうだな、もしも余裕があったらそうしよう」
「……」
敬礼して、ファーレンハイトが去る。
天井を仰いだ後。メルカッツは家族に、今回はかなり厳しい戦いになる事。最悪の場合に備えておくことを。
それぞれメールにして送っていた。