凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

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αの外伝です。本編終了後の話なので読了後推奨


今、あなたを越えるとき【α】

~遥side~

 

 水面が揺らぎ、太陽の光がさして目を覚ます。土曜日ということもあって俺の仕事は休みだが、千夏はどうしても休むことが出来ない仕事が入ってしまったみたいで、恵を実家の方に預けるなり、朝早くから早々に出かけてしまった。

 

 結婚してからずいぶんと時間が経った。恵も随分と大きくなり、保育所に通うようになった。こうして変わり続ける、代り映えのしない平穏な日々が続いている。

 

 眠たい目をこすりながら、無意識のままにポストの中を確認する。その中に、触りなれない紙が一枚紛れ込んでいたことに気が付く。

 その表面には、丁寧な字で「果たし状」と書いてあった。その文言を見て、俺は盛大なため息をつく。

 

 年を取り、文字こそ丁寧になったが、こんな回りくどい文書を送ってくるのは俺の知る限りでは一人しかいない。名前は書いてなかったが、間違いないだろう。

 

 折りたたまれた一枚の紙をゆっくりと開く。そこには待ち合わせ場所と時間が漏れなく記入されていた。

 

『今日13時、空洞のあった場所で、お前を待つ』

 

 なんとも古典的な呼び出しだろうか。それこそ電話の一本でもくれればいいだろうに、ともう一度ため息をつく。

 けれど、こうして呼び出したわけだ。それ相応の理由があるのだろう。俺はそう汲み取って、手紙をテーブルの上に置いた。

 

「・・・なんか、変わってないようで安心したよ」

 

 ため息が尽きて、ようやく笑みが漏れた。

 

---

 

 時間通り、指定された場所へと向かう。昔おじょし様が無数に埋められていた空洞だ。今ではもう、その中に入ることは出来ない。

 

 思えば、あのお舟引きからももうずいぶんと経った。あの日から海の全てが変わって今の日々が始まったのだと思うと、感慨深い。

 感傷に浸っていると、遠くに腕を組んでふんぞり返っている果たし状の差出人がいた。俺を見つけるなり、大きな声を挙げる。

 

「遅い!」

 

「時間通りだろうが・・・。こんな風に呼び出して、なんの用なんだよ、光」

 

 近くまで寄って、俺はその名を呼ぶ。こうしてみると光の背丈もぐんと伸びて、いつの間にか俺より大きくなっていた。それだけの年頃になったのだ。

 

 光は鋭い目をしたまま、俺に一言放った。

 

「お前を殴りに来たんだよ、遥」

 

「・・・はぁ?」

 

「というわけで、一発俺にぶん殴られろ」

 

「いや待て待て、流石に話が急展開だし、お前に殴られる理由なんて毛頭ないぞ」

 

 まあ、理由などなくてもむしゃくしゃして殴りかかってくるような奴だっただけに、何も言えないわけだけど。

 俺がため息をつく間もなく、光は一歩踏み込んだかと思うとまっすぐなこぶしを俺の方に向けてきた。完全に不意打ちだったが、とっさに体が動いてそれを躱す。

 ・・・どうやら、本気みたいだ。

 

「不意打ちかよ・・・さすがに怒るぞ?」

 

「・・・悪い、今のはさすがになしだな」

 

 素直に謝っているように見えるが、どこか自分に言い聞かせているだけのようにも見えた。こいつは一体、何がしたいというのだろうか。

 

 ふぅ、と小さな息をついて少し頭の冷えた光が冷静に言葉を放つ。

 

「理由は・・・ちょっと言えねえ。けど、俺はお前を殴りたい。殴らないといけない」

 

「なんだ? 嫉妬でもしてんのか?」

 

「・・・ないわけじゃないけど、それは違う。これは俺のための闘いなんだよ」

 

「・・・ほんと、変わんねえよなお前も」

 

 ただ喧嘩したいだけなのかもしれない。・・・それならそれでいいだろう。

 本当は誰一人傷つけたくはないが・・・傷つけられることを望んでいる奴が目の前にいるなら話は違う。望み通り、答えてやるのが優しさだろう。

 

 覚悟を決めた俺は、首の骨を鳴らして腕をまくって前に構えた。・・・久しぶりに童心に戻って、殴り合いのけんかにしゃれ込むとしよう。

 

「言っておくが、殴りたいと言われてはいそうですかと言ってやるほど俺は優しくないぞ。殴りたいなら、自力で殴って見せろ」

 

「ようやく本気になったか。・・・そうだよ、お前と勝負したかったんだよ」

 

 光も心底嬉しそうな表情で身構えた。・・・こんな嬉しそうに喧嘩をする奴があるかよ。

 

 ピリピリと空気が張り詰める。どちらかが一歩踏み出せば、すぐに時が動くだろう。

 そんな中で、先に動き出したのはやはり光の方だった。さっきとは違う、鋭い一撃が顔面に向けて放たれる。

 しかし身構えていればそれをいなすのは余裕で、左手で払いのけるなり留守になっていた腹部の方に少しだけ力を抜いた拳を向けた。

 みぞおちを殴らないように直撃した俺の拳だったが、光は苦痛の表情一つ見せることはなかった。少し距離を取って、より一層笑みを浮かべる。

 

「やる気満々じゃねえか」

 

「負けず嫌いなんだよ、俺も。特に、お前にだけは負けたくなかった」

 

 その一言とともに、遠い昔を思い出す。

 小学生のころ、何度こいつと殴り合いの喧嘩をしただろう。無意味だと思っても逃げ出すのは嫌で、戦うなら勝ちたくて、ずっと光と喧嘩をしてきた。負けたことは一度も記憶にない。

 

 両親がいなくなって心に余裕がなかった俺は、ギラギラと輝いた瞳で前を向く光をうらやましく思っていた。冷めたふりして我慢してみても、嫉妬の思いはぬぐえずにいた。

 

 だから今、純粋に楽しいと思える。あの頃の負けたくないという思いに、雑念がないのだから。

 

「お前もやけに楽しそうじゃねえか!」

 

「そうか? ・・・そうだな、楽しいよ」

 

 大人になってからこんなことをするとは思ってなかった。きっと他のこともそうで、童心をどんどん忘れていくのだろう。

 だからこうして過去に引き戻してくれるこいつがありがたかった。その礼として、今は全力で相手する。

 

 気がはやった俺は自分から仕掛けに行った。踏み込みをワンテンポ遅らせて、回避が出来ないようにして殴りつける。

 

「・・・そんな攻撃何とでもなるんだよ!」

 

 大きな声を挙げたかと思うと、光はさっきと同じ個所でパンチを受けきった。不意を突かれたわけでもない今回はのけぞりもしない。俺の右腕を左手でがっちりと掴んで、空いている右腕をまっすぐ飛ばす。

 

 絶好のカウンターチャンスだった。

 

 まずいっ・・・左で受けきれるスピードじゃ・・・!

 

 掴まれていれば逃げることも出来ない。左手で弾くにはスピードがありすぎる。

 

 勝負あり、だった。

 

 

 渾身の力が込められた光の右腕は俺の左頬あたりを直撃する。掴まれた腕が同時に話されて、俺はその場に倒れこんだ。立ち上がることもできたが、この一撃で自分の負けを悟る。

 

「・・・俺の勝ち」

 

「ああ、負けでいいよ。反撃する気も起きねえ」

 

 数年前までは年の差もあって負ける気がしなかったが、今成長真っ盛りのこいつにピークを過ぎつつある俺が勝てるはずがなかった。

 

 ジンジンと頬の方が痛みを覚える。すぐに冷やさないと腫れてしまうだろう。

 

「・・・うし、満足した! ありがとな遥! 俺帰るわ!」

 

 満面の笑みで、光は引き返していく。終始この殴り合いの理由を聞けなかったことにため息は尽きなかったが、まあそれもいいかと単純に笑うことが出来た。

 

---

 

 

「いらっしゃい。・・・遥、その湿布どうしたの?」

 

 カランコロンと音一つ。俺の顔を見た美海が最初に放った言葉はこれだった。

 

「光に殴られたんだよ。・・・あーくそ、時間が経つとやっぱり痛いな。とりあえずアメリカン一つ」

 

「了解、ちょっと待ってね」

 

 ずいぶんとなれた手つきで美海はコーヒーを淹れる。差し出されたコーヒーのクオリティもマスターのそれと相違なかった。2号店と呼んでいいだけのレベルだ。

 

 俺が一口すすったあたりで、美海は誰もいないのをいいことに隣に座った。そこで俺は光から何か聞いてないか美海に尋ねる。

 

「なあ美海、光から何か聞いてないのか?」

 

「どっちだと思う?」

 

「・・・なんか応対の仕方までマスターに似てきたよな」

 

 いたずらっぽく笑んで、俺の反応を楽しんでいる。この風景は大学生のころ何度も見てきた光景だ。

 そして、はぁと穏やかな息をついて、ことの真相を語る。

 

「光、この間言ってたの。近々まなかさんと結婚したいって」

 

「それで?」

 

「だから強くなる覚悟が欲しかったんだって。誰にも何にも負けない強さが」

 

「なるほど、だから」

 

 実際、光はこれまで一度も殴り合いで俺に勝てたことはなかった。だからこそ越えたかったのだろう。

 その強さを欲しがる理由は、聞かなくても分かる。

 

 大切な何かを守るために強くなりたい。そういうことだろう。

 

「馬鹿だなあいつも。俺以上に手ごわい敵なんてこれから先たくさんいるっていうのに」

 

「だから、自分の知る中で一番強いやつを倒したかったんじゃないかな?」

 

「褒められてるのか? これ」

 

「さあね」

 

 もやもやとしている気持ちを流し込むように、残ったコーヒーを一口でクイッと飲み干す。料金を置いて立ち上がり、痛む頬をもう一度抑えた。

 

「当分千夏ちゃんにネタにされちゃうね」

 

「恵にもな。・・・あーあ、恰好つかねえな。リベンジでもするか」

 

「いいんじゃない? たまには挑戦者で」

 

「はは、そうだよな。・・・ごちそうさん、また来るわ」

 

「じゃあね」

 

 美海に手を振って店の外に行く。夕焼けが遠く海の方に見えていた。それを遮るように、人影がまた一つ。

 

「・・・なんだよ、光」

 

「一つだけお前に言い忘れてたことがあってよ」

 

「なんだ?」

 

「余興、楽しみにしてるからな」

 

 何を言い出すかと思えば、そんなくだらないことだとは思わなかった。

 けれどそれが嬉しくて、なぜか、心から嬉しくて、つい声を少し大きくして答える。

 

「任せとけ。最近とんでもない芸を練習してるからな」

 

「お前が?」

 

「おかげさまで飲みの席が多いんでな、楽しみにしとけ」

 

 それから俺は拳をすっと前に差し出した。光がそれに合わせるように拳をぶつける。

 いつまでたっても、こいつは変わらずにいてくれる。今日の殴り合いでそれを分からせてくれた。

 

 

 だから俺も、こいつに望まれる俺のままでいよう。時折こうして拳を合わせて、それを確かめてみてもいいかもしれない。

 

 そして次は、ちゃんと勝ってみせる。俺は一生、お前の前を歩いて見せる。

 

 

 幼心が再び火を灯した。

 

 




 心が痛い話ばっかり書いていてもあれなので、今回は閑話休題、幸せなお話を一つ。光を書きたかったと言えばそうだけど、実は二号店美海を書きたかったのが本音だったりします。
 といったところで、また次回。
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