凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

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γ版松原との出会いの話です。続けるつもりは・・・今のところ未定です。


第百九十一話γ 小さなカウンセラー

~千夏side~

 

 あれから一年の時が流れた。高校を卒業して初めての夏が訪れる。

 あの日から順風満帆、というわけにもいかず、一か月の入院を経て私は退院することとなった。想像以上に私の体は壊れていたみたいで、体調の回復を終えてもしばらくの間はメンタルのケアの方が行われた。・・・その職場に遥君もいたけど、一度も話すことはなく。

 

 ありがたかったのは、高校に戻ってから私のことを気にかけてくれる人がちゃんといたこと。私の様子がずっと変だったことを気に病んでくれていた人もいたようで、私はそうした周りの人たちの支えを感じながら、高校を卒業した。・・・その間に、何回美海ちゃんと話したかは覚えていない。おそらく、数えるほどもなかったような気がする。

 

 もちろん、それらを寂しいと思う気持ちはあった。だけど一か月、また一か月を時を重ねていく中でそうした現実にちゃんと向き合えるようになった自分がいたのも、また事実。

 

 私は、自分を大切に出来るようになった。周りのみんなに思われている自分を。

 

 そうして海の世界へ飛び込んだ。実家よりも少し離れた、海辺の小さなアパートを借りての一人暮らしだ。

 本当は、海に拠点を構えることも考えていた。でもそれ以上に、私を思ってくれる人たちが陸にいることを思うと、その心はすぐさま変わった。

 ちゃんと話して、二人も快く送り出してくれた。だから、何も心配事なんてない。

 

 でも・・・。

 

 やっぱり、まだ寂しいな。

 

---

 

 海での仕事を終え帰宅するなり、簡単な夕食。

 もちろんそのあとにやることなんてなくて、私はいつものように行き馴染んだ堤防へと向かった。この家を借りたのは、この場所が近かったことも理由の一つだ。

 

 夜の生ぬるい風を受けて、少し冷えたコンクリートに上って腰かけ、それから昔と何一つ変わらない様子で、昔から大きく変わった海を眺める。

 

 そんないつも通りのことをしようと思ったが、今日は先客がいた。この場所を知っている彼とは違って、全く見ない顔だ。

 

「・・・まさか、こんなところに人が来るなんてなぁ」

 

 私だけの特等席だと思っていた場所に人が入っていることに、思わずそう呟いてしまう。

 その声が耳に入ったのか、堤防の上にいる男の人はこちらを振り返った。目線があった私は苦笑いを浮かべて、少し頭を下げる。

 

「・・・どうも」

 

「この場所に、何か用ですか?」

 

「用・・・なんてことはないですけど、特等席なんです、ここ。私の」

 

 対抗意識が芽生えたわけではないが、少しだけムッとして言い返す。男の人は「あー・・・」とだけ呟いて、人二人分ほど右によけた。その隙に、私は割って入る。

 

 改めてその人の顔を見る。遥君よりは少し年上そうに見えた。

 

「ここ、お好きなんですか?」

 

 隣から声がかかる。私は目線をそっちにやらずに、ぼんやりと月影を映すだけの海を見つめながら答えた。

 

「そうですよ。・・・綺麗ですよね、ここから見える海って」

 

「え、ええ。・・・今日、初めてここに来ましたけど、そう思います」

 

「ならいいです」

 

 独り占めしたい気持ちよりも、同じ景色を誰かと共有したい気持ちが勝った。私はその人を受け入れ、改めて顔を見つめる。

 

「水瀬千夏です」

 

「松原、聡です。・・・千夏ちゃん、でいいですか?」

 

「好きな呼び方で大丈夫ですよ。・・・あ、でも年上なら年上らしくため口で話してくださいよ」

 

「・・・了解」

 

 あまりそういうことが得意ではないのか、松原さんは苦笑いを浮かべた。その瞳の奥に光がないのが、少し気がかりだ。

 

 そこで、私は気づく。この人も何かに迷って、この場所に来たのだと。

 

 もしかしたら、この人もあの時の私のように、手を差し伸べてくれる誰かを待っているのではないかと、そんな早とちりまで思ってしまう。

 

 でも、そんなことは今はどうでもよくて、私はただ、この場所に導かれた松原さんと穏やかな気持ちで話をしたかった。これも、何かの縁だから。

 

「松原さん、でしたっけ。・・・この街の生まれじゃないですよね?」

 

「うん。・・・もっとずっと遠いところから来たよ。もう一年と半年くらいになるかな」

 

「どうですか? この街」

 

「最初は怖かったけど・・・思っていたよりずっと素敵な街だなって思ってるよ。閉鎖的って聞いてたのが嘘みたいだ」

 

「それ、もう十年以上前の話ですから」

 

 そうなんだ、と相槌を打って、松原さんは気さくに笑う。この穏やかな面構えは見たことがあるようで、少し違う。

 思えば、こうして全く縁のない男の人と話すのも初めて、そう思うと少しだけ体が強張った。軽くだけど、緊張している。

 

 その緊張を悟られないように、私は変わらぬ調子で話を続ける。

 

「お仕事は、何を?」

 

「トラックのドライバーだよ。・・・そういえば」

 

「え?」

 

「記憶違いじゃなければ、僕は千夏ちゃんを見たことがある気がするんだ。それも、去年のこの時期に」

 

「・・・あー」

 

 わずかだけど、覚えている。

 あの日、私がこれまでの私の全てとお別れをした日、一台のトラックが通過したような気がする。その時のドライバーとでもいうのだろうか。

 

 そんな偶然・・・。・・・まあ、この街なら起こり得てもおかしくはないか。

 

「・・・ぷっ、はは」

 

 それがおかしくなって、急に吹き出してしまう。突然不自然なリアクションを取られた松原さんは眉を顰め、それを問った。

 

「何か変なことでも?」

 

「いや。・・・この街は奇妙な縁だらけだなぁって思って」

 

 思えば、遥君との初対面もこの下の海で頭をぶつけたことからだった。同じ学校に通うことになっていた以上、美海ちゃんの縁の中にいた以上、遅かれ早かれ彼とは出会うことになっていたんだろうけど。

 

 だから、私は本能的に、この人を知りたいと思った。

 ぐいぐいと距離を詰めることがおこがましいことだとは分かっていても、興味本位には勝てない。

 

「ね、松原さんは、どうしてこの街に?」

 

 ふとした何気ない質問。だけど、その言葉はどこかまずかったようで、松原さんの表情にさっきまで浮かんでいた柔らかな笑みが一瞬にして消えた。

 

「・・・逃げてきたんだよ。ちょっと、地元で色々あってね」

 

「・・・。女ですか?」

 

「勘が鋭いね、正解だよ」

 

「女ですから」

 

 この人からは、優柔不断さの類は感じられなかった。だからいじめや大きな失敗ではないだろうと思ったのだ。

 でも、それ以上に真面目。とすると、誰かに騙されたのだろうと思うのはたやすかった。

 

「婚約直前に浮気をされてね、すべてに嫌気がさしてここに逃げてきた。それだけのことだよ。その点、選んだのがこの街でよかったとも思ってるよ。みんな優しくて、心が落ち着く」

 

「・・・その割には、表情が晴れてないと思うんですよ」

 

「ま、気づいちゃうよね。・・・うん、この間その彼女がこっちまでやってきてね、復縁を迫られたんだ」

 

 晴れない表情の理由を聞いて、私は返答に悩んだ。

 

 松原さんがこうして後ろ向きになっているのは、きっと逃げだしてきたからじゃない。彼女に裏切られたこと”だけ”でもない。

 そうしたしがらみが一生断ち切れないことに、悩んでいるからだろう。

 

 私の思った通りの正解が、ほどなくして語られる。

 

「もちろん彼女、・・・美浜を嫌いになったわけじゃない。でも、一度裏切られた美浜をすぐに信じることもできない。だから、返事を保留にせざるを得なかったんだ。それじゃ何の解決にもならないっていうのにね」

 

「・・・なるほど、よーくわかりました」

 

 ああ、この人は、ひどく私に”似ている”。

 誰かのための自分と人生を括っている。だから、心の奥にいる自分の声に気が付かないでいるんだと。

 

 そんなこの人に、私が言えることは、出来ることは。

 まっすぐな気持ちで、手を差し伸べること。私は今、心の奥底からこの人のためになりたいと願っている。

 

 その気持ちに根拠も理由もないけど、ただ大切にしたいと思った。

 

 だから、言葉を投げかける。私という種を植える。

 

「松原さんは、今一番何を思ってるんですか?」

 

「僕が、思ってること・・・」

 

「多分、その彼女さんを切り捨ててこの街に残る道を選んでも、あなたが一人になることはないですよ。・・・この街は、そうした誰かを見捨てないやさしさで溢れているので」

 

「・・・」

 

「もちろん、彼女さんをまだ愛しているというならもう一度やり直してもいいと思います。・・・また裏切られるのは当然、怖いと思いますけど。・・・だからですね、一番何をしたいか、それで決める、でいいと思うんですよ。もっとわがままになっていいんです」

 

「わがままに、か。・・・そうだね。それは僕になかったことだと思う」

 

 優しさは時に誰かに利用されてしまう。そこから崩れだして、すべてが終わってしまうこともある。

 だから、根底に「自分が一番したいことは何か」がないといけない。それはアイデンティティともいい、わがままともいう。

 

「もしそれで選んだ道に迷うことがあるようなら、またここに来てください。私でよければ、話を聞くくらいはできますから」

 

「・・・健気なんだね、千夏ちゃんは」

 

「いえ、誰にでも手を差し伸べることが出来るほど、私は健気じゃないですよ。・・・私と似た、あなただから、手を差し伸べたいと思ったんです」

 

「・・・そっか。なら僕も、腹を括らないとな」

 

 松原さんは少しだけ吹っ切れた表情を浮かべて、グーっと体を伸ばした。そのまま立ち上がって、踵を返す。

 

「ありがとう、気が楽になったよ」

 

「いえ。・・・全部、いい方向に転がるといいですね」

 

「うん、僕もそう思うよ」

 

 手を振って、松原さんは少しだけ速足で去っていく。私はその背が見えなくなるまで手を振って、小さく息をついた。

 

 

 ・・・今、ようやくあの日お母さんが言っていたことが分かった気がする。

 これが多分、手を取り合うことなんだろう。

 

 

 その行く末など想像出来はしないけど、この穏やかな心地がただ気持ちいい。そのやさしさに触れて、私は生きていきたい。

 

 

 そうすれば、私はまた二人の世界と結ばれるのかな。




 補足をすると、γ世界線において松原聡は鴛大師を大切に思う気持ちがβ世界線より薄いので、美浜を突っぱねることが出来なかったということになります。だからここで千夏が種を植えた、と。
 ここから先の展開は未定ですし、そう長々と書くつもりはありません。多くは語らず、です。
 それでも時々更新はするかもなので、その時はぜひよろしくお願いしますね。
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