凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

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これ一年間温めてたってマジ?


太陽が香るころ【α】

~遥side~

 

 喫茶店を出て、だらだらとした足取りで歩き出す。この街のはずれの方はどうも坂が多い。大学生のころは平気でひょいひょいと歩いてはいたが、近ごろは足に妙なけだるさを感じてしまう。まだ、卒業してほんの数年だというのに。

 

 それに、この坂を上りきったとて、その場所にその人たちがいる保証などは微塵もない。ただの散歩にしては、いささかリターンが見合っていないような、そんな気がする。

 けれど構わず歩き続ける。小刻みに息を吐いて、足先まで力を込めて。

 

 たどり着いた場所で、俺は相も変わらず感嘆の言葉を吐いた。

 

「・・・やっぱりいつ見てもでかいよなぁ」

 

 この場所に最後に来たのはいつだろうか。用事がない時はほとんど立ち寄らないようにしていたから、やはりあの事件の時以来になるのだろうか。

 若さがにじみ出ていた当時の自分の姿を思い返して、少々頭を抱える。

 

 そして視線を落とした時、後ろから聞きなれぬ声が聞こえた。

 

「ねえ」

 

 聞き馴染みは、正直存在しない。あの頃からずいぶんと時間が経ったのだから。

 それでも、俺はその空気感と、太陽のような香りを、未だに忘れてなどいなかった。だからはっきりと、その名前を呼んでは振り向く。

 

「・・・急になんだよ、陽香」

 

「よかった、覚えててくれたんだ」

 

「あんな大層なことがあって、忘れろって言う方が無理だろ。・・・それより」

 

 改めてその立ち居振る舞いを見る。日野家の令嬢ということもあって、身だしなみは細部まで整っている。ただ、内側に秘めている活発さ、その原点のエネルギーはそんな外装では隠し切れないようだ。

 

 本当に、あの姉妹の両方を詰め合わせた存在だ。

 

 しばらく陽香を眺めていると、後ろの方から息を切らせた真冬さんが追いかけてきた。こちらはさすがに見てすぐにそうだと認識できるくらいには変わっていない。

 

「はぁ・・・やっと追いついた」

 

 ヘロヘロになりながら、真冬さんはゆっくりと顔を上げる。その先にある俺の顔を見ては口を開けて驚いた仕草を見せ、そしてゆっくりと口の端が上がる。

 

「島波さん、ですよね」

 

「はい、ご無沙汰しております。・・・といっても、もう名字は変わっちゃいましたけど」

 

「そういえば結婚していましたね」

 

 先ほどと似たようなやり取りには、どうしても苦笑いをせざるを得ない。俺が千夏と一緒にいたという事実を知っている人たちであれば案外納得は行くだろうが、この人や陽香、西野先生らからすれば俺は「島波」なのだろう。

 

「それで、今日はなんでこちらに?」

 

「いや、ただの散歩ですよ。久方ぶりに一人で街に来たので、思い出巡りみたいなものです。・・・といっても、こんな都合よく二人が出ているとは思わなかったですけど」

 

 それより驚きなのは、こうして二人がSPの一人もつけずにどこかに出かけていたことだろう。前の荘厳な雰囲気を知っている俺からすれば変わった景色と言わざるを得ない。それに対して真冬さんはクスリと笑った。

 

「なんかもう、全部一回壊してしまおうと思って。これまでの堅苦しい制度全てを」

 

「はあ・・・。え、いや、いいんですか? そんな簡単に」

 

「もちろん、主人とも相談はしました。でも、馬鹿らしいじゃないですか。ありのままに生きていくことも許されないほどの堅苦しい生活なんて」

 

「でも、真冬さんのご両親は・・・」

 

 当然反対するだろう。自分たちが長年積み上げてきたものを取っ払って、新しいものを始めようとする子息など。もちろん、俺はこの人の親ではないからそんな感情など上手に図ることは出来ないが。

 俺が言い淀んでいる中で、それを汲み取った真冬さんは冷たい表情で笑んだ。

 

「知りませんよ、そんなこと。今、権限を持っているのは私ですよ? 退いた人は、次の世代が何をするのも見守るべきではありませんか?」

 

「それはまあ、そうですけど・・・」

 

 俺の知っている真冬さんとは全く違う言葉に、少しだけ背中がぞっとする。あの一件で色々と吹っ切れたのだろう。真冬さんさえもが、鈴夏さんのそれに似てしまっていた。まあ、それはきっといいことなんだろうけど。

 真冬さんはなおも意味深げな表情をしながらも、今度は柔らかい声音で語った。

 

「なんて、ちゃんと相談はしました。もちろん反対はされましたけど、二人ももうずいぶんと歳を取っちゃいましたからね。私が理論整然と並べたら、すんなり受け入れてくれましたよ。勢いと衝動に任せるだけというのも、案外ダメなものなので」

 

「あはは、小さいころの俺に聞かせてやりたいですね・・・」

 

 苦笑いを作ろうとしても、うまく笑えない。あの事件を解決しようとしていたころの俺は、今まさに真冬さんが言っている「勢いと衝動だけに任せている人間」だったのだから。

 

 そうして、在りし日に思いを馳せる。色々なことがあって、負の感情が立て込む毎日ではあったが、過ぎてしまった今となってはあれも思い出の一部に昇華されてている。

 

 感傷に浸り、一人ぼーっと遠くの森を見つめる。そうしていると、服の端がひょいひょいと引っ張られた。俺の話が詰まらなかったのだろう、少し拗ねたような表情をした陽香が待ち構えている。

 

「・・・」

 

「悪い、別に放っておこうなんてつもりじゃなかったんだ」

 

「そう? よかった。ね、私、こんなに大きくなったんだよ?」

 

 褒めて褒めて、と言わんばかりに体を動かして、陽香は微笑む。

 ああ、あの状態から本当によくここまで育ってくれた。

 それは言葉ではなく、行動で示そう。

 

 あの頃からほんの少しだけ大きくなった手で、陽香の頭を撫でる。陽香は嬉しそうな表情だけ浮かべて、ただされるがままの状態でいた。

 

「そういえばさ」

 

 ひとしきり終えたところで、陽香は俺を見つめる。

 

「遥お兄ちゃん、子供がいるんだって?」

 

「ああ、そうか。そういえば直接連絡してなかったな。そうだよ、もう二歳になる」

 

「すっかりお父さんって感じだと思ったら、やっぱり」

 

 そうか、今の陽香から俺はそう見えるのか。歳の離れたお兄ちゃん、などではなく。

 それが少しだけ嬉しくて、でもやっぱり時の流れを感じて、寂しくも思う。

 

「そっか、そんな風に見えるんだな、今の俺って。なんか嬉しいような・・・寂しいような」

 

 少しだけ間を置くように空を見上げ、深い息を一つ吐く。俺ももう歳を取ってしまったのだと、ちょっとだけ残念がるようにしながら。

 けれど、それまで。こんなに晴れやかな気分の日に、陽香や真冬さんに暗い顔など見せたくなかったから。

 

 ・・・ああ、そういえば。

 

 ついさっき会った高坂さんのことを思い出す。二人にあの人のことを伝えて何になるのだろうと思いもしたが、あの人なりに変わろうとしている事は、知っておいて欲しいと漠然と思った。

 

 それに、よろしく伝えておいてくれとも言われている。

 

 確かに罪は罪だ。けれど、それを乗り越えなければ人間はやっていけない。あの人の今と潔白を伝えるだけの義理があると思った俺は、二人にそれを打ち明けることにした。

 

 きっと今の二人なら、それを理解してくれるだろうから。

 

 俺の表情に先ほどまで存在していた柔らかさが消えたことに気が付いてか、陽香は眉を顰め、少々心配そうに尋ねる。

 

「・・・どうしたの? 遥お兄ちゃん」

 

「ああ、いや。ちょっとね・・・。うん、ついさっきの話なんだけど」

 

 一瞬だけ言いよどんだ俺は、息を飲んで、はっきりとその名前を口にする。

 

「高坂さん、さっき会ってきたんだ。・・・陽香や真冬さんは思い出したくないだろうけど、陽香の命を狙ってた、あの人だよ」

 

 やはりと言うべきか、たったその一言で、場の空気は凍り付く。真冬さんの表情が一瞬曇ったこと、陽香が少しだけ息を飲んだ事、それを俺は見逃さない。

 だから、その続きは素早く口にする。

 

「俺が言うのも変な話だけどさ、あの人、しっかり更生してるよ。多分もう、復讐だとか、そんなことは考えてない。俺が保証する」

 

「・・・うん。大丈夫だよ、遥お兄ちゃん」

 

 先に口を開いたのは陽香のほうだった。気が付けば、凛とした黒い眼が俺の方を向いている。

 そして、その瞳はすぐに細まった。いたって普段通り、かつて俺が見たことのある表情を浮かべて、陽香は俺に微笑んだ。

 

「ありがとね、あの人の話をしてくれて。・・・確かにね、怖い思いをしたし、今でも時々あの頃のことは夢に見るけど、誰にだって人生があって、それぞれの事情があること、私はもう知ってるから。だからもう、怒ってもないし、怯えてもないよ」

 

「・・・大きくなったんだな」

 

「そうかな? 私なんてまだまだ子供だよ。・・・でもね、変わろうとする気持ちがある人の足を引っ張りたくなんてないし、そんなみっともないことをする人にはなりたくないから」

 

 ああ、本当に大きくなった。

 

 心の底からそう思えるほどに、目の前の陽香がまぶしく見える。きっと真冬さんや旦那さん、周りの人たちに大切に育てられたのだろう。どこまでも純粋でまっすぐな子に育っている。それはやっぱり、嬉しくて。

 

 ひとり感傷に浸っていると、ようやく真冬さんが口を動かした。それもまた、陽香に似た表情で。

 

「あの方は今、何をされてるんですか?」

 

「クリニックで事務の仕事をしているそうですよ。昔からの友人の方と一緒に」

 

「そうですか。・・・なんか、不思議ですね」

 

「不思議?」

 

「あれだけのことがあって、許せなくても当然のことをされてるのに・・・、今は、純粋な気持ちであの人のことを応援したいと思ってるんです」

 

 胸に手を押し当てて、真冬さんは凛と語る。思えば昔からこの人はそうだった。あの頃は胸の奥に秘めていただけで、相手に真摯に向き合いたいという強い芯を持っている人だったと、改めて思わされる。

 

 俺は、こんな素敵な人たちと知り合いになれてよかった。

 少し傾き始めた太陽が、俺たちを照らす。そこに優しく、懐かしい香りをのせながら。

 

 その温かさに包まれて、一つ息を吸って吐き出す。来た時よりも更に晴れやかになった心で、俺は真冬さんに先ほどの返答を行う。

 

「きっと、間違いじゃないですよ。・・・陽香も言ってましたから。変わろうとする人の気持ちを穢したくないって。きっとそれと同じなんです。真冬さんのその思いは正しいですよ」

 

「そうですね」

 

「もしよかったら、どこかの機会であの人に会ってあげてください。本人も気にされていたので」

 

「ええ。・・・もう少し時はかかると思いますけど、絶対に」

 

 頷いた真冬さんを疑うことは野暮だろう。

 

 心地の良い沈黙が包む空間に、俺の咳払いが一つ。長いこと立ち話に突き合わせてしまったのもあるし、そろそろお暇しなければならないだろう。そうは言っても、この人たちも忙しい立場の人だ。

 

「それじゃあ、俺は・・・」

 

 刹那、俺の服の裾が引っ張られる。そこにいたのは、やっぱり無邪気な表情をした陽香で。

 

「ね、せっかくだから色んな話聞かせてよ。こんなところじゃなくてさ、家で」

 

「うーん・・・、いいのか? それで」

 

 逃げるように真冬さんに視線を合わせるが、そこにあった表情は全てを肯定する慈愛のものだった。

 

「ちょうどお休みなんです、私たち。せっかくなので、お茶にしませんか? 家で、にはなりますが」

 

「なら、お言葉に甘えます。・・・俺も、色々と聞きたいので」

 

「よし、決まりだね。それじゃ、行くよ!」

 

「あっ、ちょっと・・・!」

 

 

 そうと決まれば陽香の行動は早く、俺の裾を掴んでいた指を解くと、瞬く間に俺の手をがっちりと捕まえた。逃げられないようになったところで、目の前にそびえる自分の家へと俺を連れ去っていく。

 

 そのアグレッシブさ、元気の良さは、子供のそれだ。常識や知識を身に着け、だんだんと大人になりつつある陽香ではあるが、根っこの部分はまだまだ子供なのだろう。

 でもきっと、それが正しい。急に大人になることなど大して良いことではないし、出来ればあってはいけないものだから。

 

 長い時間をかけて、ゆっくりと大人になっていけばいい。陽香にはその資格も素質もある。きっと、俺と違う生き方が出来る奴だ。

 

 苦笑いは少しだけ。いつか自分の子供がこうなって欲しいと思いながら、俺は手を引かれるがままに日野家へと向かう。

 

 

 いつまで経っても、太陽の香りが残る場所へ。




お久しぶりです。白羽凪です。
この一話、構想自体は1年と半年前から存在のですが、なかなかうまいことまとまりませんでしたね。とはいえ大事なキャラの大事な幕間なので、完成させることが出来て良かったです。ある種のリハビリみたいなものですね。

またどこかで気が向いたらこの作品の短編を書こうと思います。その時にお会いしましょう。

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