凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

5 / 10
時系列的にはβ外伝のプロローグ後の別視点です。
本編を読んでいない方はネタバレ注意!
(β外伝とはほぼ関係がないので、あくまで本編推奨です)


そして、針はゆっくりと【β】

~遥side~

 

「ね・・・、今日はもう解散にしない? もちろん、二人がまだいたいって言うなら付き合うけど」

 

 目覚めてから数分後の千夏に言われた言葉に、俺はしばらく黙り込んだ。

 

 事故後の長い昏睡から2年が経った今日、千夏は目覚めてくれた。そのことはたまらなく嬉しかったが・・・、腹の奥底に黒い影がいることに俺は気づいていた。

 

 けど・・・なんだ、この感情は。

 

 今すぐには分からない、けれど絶対に分からないといけない感情がある。それをこの場で探ってしまっては、混乱が残ったままの千夏に迷惑をかけてしまうことになる。意を決した俺は迷わず千夏の言葉に頷いた。

 

「・・・そうだな。寝起きに詰めかけるのも負担になるだろうし」

 

「それに、時間ならこれからもいっぱいあるから。・・・そうでしょ? 千夏ちゃん」

 

 俺の隣で、美海が迷いない声音で答える。俺なんかとは違い、純粋に千夏の顕在を喜んでいるのが分かった。

 皆思うところがあるだろうが・・・それを一番見せていないのは美海みたいだ。

 

 千夏は美海の言葉を素直に受け入れ、少し明るい声音で振舞う。

 

「うん。・・・だから、二人がまた会いに来たいときに会いに来て。私はそれを待ってるから」

 

 その言葉を汲んで、俺は美海と二人で病室を後にする。「またね」と約束をしながら。

 コツ、コツと歩きなれた病院の床を鳴らす。さっきまで浮足立っていたように見えた美海の足取りも、いつの間にか元通りになる。

 

 暗い空気が漂う。病院の中も、帰り道中のバスの中でも、家に着いても。 

 何かを言い出そうとしては、それが失言だったらどうする、と踏みとどまる。あたりさわりのない会話も嫌がって、いよいよ無言のままで俺たちはここまで来てしまった。

 

 そして家のソファに俺が腰かけたところで、美海はついに口を開く。

 

「よかったね、本当に」

 

「・・・ああ、よかったよ。本当によかった」

 

 普段なら軽々しく動いてくれる口先も、今日はずっと硬いまま。もはや何を言えばいいのか分からなくなって、脳がパンクしているのかもしれない。

 そんな俺の向かい側にいる美海は慈愛の瞳を浮かべていた。どこか、憐みも交えながら。

 

 そして、ポツリと呟く。

 

「もう・・・いいんだよ?」

 

「何が・・・」

 

「遥、さっきからずっと泣きそうな顔してる。自分で気づいてないと思うけど」

 

「・・・あ」

 

 美海に指摘された瞬間、自分が泣きそうな顔をしていると自覚した瞬間、張り詰めた緊張の糸がプツリと切れたかと思うと、目頭がジーンと熱くなってきた。

 

「くそっ・・・泣くなよ・・・!」

 

 心の言葉が音を纏う。

 俺には泣いていい資格なんてない。あの日、自分のエゴで千夏を傷つけ、こんな目に合わせてしまった日から、そう誓っていた。

 俺は被害者なんかじゃない。れっきとした加害者で。

 

 だから、涙と無縁の日々を送ると誓った。自分で見つけた幸せという答えに、涙はいらないと割り切っていた。

 なのに・・・なのになんで今更・・・!

 

 おかしくなりそうで、頭を抱えて下を向く。ここまで感情の処理が出来ないなんてことが、この2年間あっただろうか。

 

 ・・・もしくは、この2年間、ずっと感情を閉ざしていたのだろうか。

 そんな自覚はないが、ここまでくると疑心暗鬼になる。俺はこの2年間、ちゃんと美海を幸せに出来ていただろうか。一緒に歩いてこれただろうか。

 

 ますますおかしくなって、呼吸が乱れそうになる。

 

 それをつなぎとめてくれたのは、やっぱり美海だった。

 

「いいんだよ、もう泣いても」

 

「だめだっ・・・! 俺にはそんな資格が・・・!」

 

「私が許してるの。・・・それに、ここにいるのは私たちだけ。何を言っても私たちだけしか知らない空間なの。・・・誰も、何も聞いてないから」

 

「っ・・・!」

 

 限界は、もうすぐそこにまでやってきていた。

 涙の堰が壊れた瞬間、俺はやや慟哭にも似たような叫びで、心の声を露わにした。

 

「なんでこんなことになってしまったんだよ・・・!!」

 

 第一声は、実に2年前の感情だった。

 

「本当なら、もっと素直な心で美海のことを愛してあげたかった! こんな何かに遠慮して慎ましく幸せになることなんて嫌だった! もう、全部が嫌だったんだよ・・・!!」

 

「遥・・・」

 

「一緒に生きようなんて言っておいて、この心の嫌なところ、全然見せようともしないで! ・・・情けないにもほどがあるだろ・・・!」

 

 感情はぐちゃぐちゃで、脈絡もない言葉が連続する。

 また自分であれこれと抱え込んでしまったことへの後悔、あの日の事故への後悔、怒り、この2年間の不甲斐なさへの怒り、虚無感。

 

 抱え込んでしまっていてはまたいつか壊れていたかもしれない感情の全てを、俺はここで吐き出した。

 保さんが与えた罰の重さに、ようやく気が付く。忘れないということが、どれだけの傷を負うことになるのか、俺は知りもしなかったんだ。

 

「好きでたまらない美海のために、なんて思って、俺は何をしてやれた!? 今日だって暗い顔をして心配させたって言うんだぞ! この2年間、どれだけそんな思いをさせてるんだよ・・・!」

 

 もはや独白。いつのまにか隣で背中をさすってくれている美海のことを気にも留めず、ただただ自分の不甲斐なさを吐いた。

 

 それから・・・ようやく次の本心が現れる。

 

「・・・よかったよ、本当に」

 

 その次の言葉を脳が理解する。それだけは、絶対に言ってはならない言葉。

 

 あっ。

 

 だめだ。

 

 言うな・・・!

 

 言うな・・・・・・!!

 

「これで・・・やっと俺たちは動き出せるんだな」

 

「・・・」

 

 ようやくハッとして、涙で腫らした瞳で美海の方を見る。複雑そうな表情を視線が捉えると、たちまち俺の体から血の気が引いていった。

 

「あっ・・・違う・・・これは・・・」

 

 必死に弁明してみようとするが、何も思い浮かばない。真っ白になった頭は次の言葉を作り出してはくれなかった。

 この言葉は、俺たちのこの2年間を全て否定してしまう言葉。ずっと懸命に生きてきた美海の全てを、否定する言葉。

 

 絶対に、言ってはいけなかった。

 

 しばらくの無言。沈黙がただ痛くて、目を逸らしたくなる。

 やがて、ゆっくりと息を吐き終えた美海が口を開いた。

 

「・・・それが、遥の本音?」

 

「・・・」

 

 肯定を意味する沈黙を、美海は確かに受け取った。

 かと思うと、目に涙をいっぱいにため、俺を優しく抱擁した。

 

「・・・ありがとう。こんないっぱいいっぱいの感情、私にぶつけてくれなくて」

 

「・・・え?」

 

 予想していた言葉と真逆のそれを聞いて、俺はしばらく固まる。美海は涙交じりの声で続けた。

 

「私は、遥が何かを思ってることを知ってた。でも、聞きたくなかった。ずっと遥が抱えて、踏ん張ってくれたから、今日まで私は生きてこられたんだよ?」

 

「・・・でも、それって」

 

「うん。本音を知りたいって思う時もあったよ。・・・でも、遥の後悔を聞いたら私はきっと、・・・ううん、絶対に立ち直れなかった。千夏ちゃんを傷つけてしまった後悔は、きっと私より遥の方が大きかっただろうから」

 

 だから、ありがとうと美海は締める。それからしばらくは、二人でわあわあと泣きあった。自分の立ち位置と、感情を確認するように。

 

 そして俺は確信する。

 

 結局、俺たちはまだただの子供に過ぎなかった。結婚なんて縁でお互いを保っては見たものの、大人になんて慣れていなかったのだ。

 

 誰かに打ち明けるのが怖くて、一人自分の感情を抱え込み暴発寸前になっていた俺と、聞きたくないと蓋をして自分の心を守った美海。今回はたまたまそれが功をそうしただけで、共に生きる者同士としてはあまりにも寂しすぎる関係だ。

 

 ・・・だから、なりたい。

 

「・・・なあ、美海」

 

「なに?」

 

 お互い泣きつかれて霞んだ声だ。それにようやく苦笑いを浮かべて、俺は続ける。

 

「・・・なりたいよな、大人に」

 

「うん」

 

「なりたいよな。・・・本物の、夫婦ってやつに」

 

「・・・うん」

 

 お互いに自覚していた弱さ。これを乗り越えていくには、もう一度踏み出す必要がある。少なくとも、今の俺たちは何一つ持ち得てなどいないから。

 

 だから、誓わなければならない。

 その答えは、すぐに表れた。

 

「・・・明日、一緒に出掛けてくれるか」

 

 

 

 目指す場所は一つ。まだ、叶えていない約束を叶えるんだ。




 作者です。
 例によって本編をまた読み返しているのですが、そういえばここってどういう感情だったんだろう、といったところを今回は書いてみました。一応これも短編2話設定なので、もう少しだけ話は続きます。
 ・・・ぶっちゃけた話、罪の意識を背負ったまま幸せになることは難しいと思いますよ。誰かを傷つけて、その傷つけた人と時間をおいて対面したとき、自分の記憶に残ってる「傷つけた瞬間」がフラッシュバックすることはよくあると思いますし。
 だから人は忘れるんですけど、遥は保さんから与えられた「忘れるな」という罰がありますから。それ相応の辛さはもちろんあります。

 ちなみにここ数か月で一番の手ごたえでした。次回に続きます。
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