凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

8 / 10
こちらはβルート派生、「もし千夏が事故に合わなかったら」という世界線のお話です。
明確に話がそれるので、γと設けてみました。長いこと書くつもりはないです。

といったところで、本編どうぞ。


美海√ IF
第百八十九話γ 手繰り寄せた幸福


~美海side~

 

 誰かが泣いている。

 誰かが叫んでいる。

 誰かが、横たわって血を流している。

 

 血色の悪い光景が目の前に栗広がっている。夢を見ているのだと私はすぐに気が付いた。

 

 泣いているのが、叫んでいるのが、横たわっているのが誰か、ここからではよく見えない。

 だけど妙にリアリズムのあるその光景が、夢と分かっていても脳裏に焼き付いて・・・。

 

---

 

 目覚めは朝の五時半だった。

 背中の方にうっすらと嫌な汗をかいている。目を閉じてももう眠りにつけるとは思えなくて、私はまだ重たい目をこすってゆっくりと体を起こした。

 

 隣では遥が穏やかな寝息を立てて眠っている。私が見た悪夢とは無縁の夢を見ているのか、それともそこよりもさらに深い眠りにいるのか。

 

「・・・なんか、思い出すな。あの日のこと」

 

 千夏ちゃんの記憶から消し去られた遥が、自棄を起こして死にかけたあの日。ずっと苦痛に歪んで、息も荒く、うなされていたあの日の光景とは真逆のものが今目の前に広がっている。

 

 それは紛れもなく、私が手繰り寄せた奇跡。ずっと望んでいた世界。

 千夏ちゃんという、私の中の大きな存在を振り払って手に入れた奇跡。

 

「・・・そっか。今日、なんだよね」

 

 そのために私はここに泊まりに来たんだ。千夏ちゃんと、もう一度会うために。

 この邂逅が最後になるのか、これからも続くのか私には分からない。私はその責任の全てを遥にゆだねてしまったんだ。

 

 寝室から離れて、リビングのカーテンを開ける。昨日、空に星が浮かんでいたのはどうやら嘘ではなく、雲一つない快晴が続いていた。それだけで、先ほど見た悪夢の嫌な気持ちが少しだけ薄れていく。

 

 ・・・幸せだな。

 

 もう幾度となく覚えた感情を、また胸に抱く。

 こうして緩やかな日常を送れるようになったことが、どれだけ幸せか。失うことと隣り合わせだった私と遥はきっと、その価値を分かっている。

 

 それと同時に、この日々とこの気持ちを失うことが、最近はたまらなく怖く思うようになった。何か小さなきっかけ一つで、壊れてしまうんじゃないかと。

 

「だめだな・・・こんなこと考えてちゃ」

 

 失うことが避けられないなら、今出来ることは決まっている。

 私はそれを逃さないように、慣れた足取りでキッチンへと向かった。

 

---

 

 時計の針が十一時三十分を指し示す。私はその分針の挙動を確認しては戻してを繰り返していた。当然、その落ち着きのなさは遥にも伝わる。

 

「・・・気になるか?」

 

「うん、・・・なんて言うかね」

 

 今朝の夢が、まだ脳裏に焼き付いている。今日一日は少なくともぬぐえそうにないくらい、私はあの光景を鮮明に覚えている。

 それが私たちのことじゃないと信じていても、どうしてもそう思いきれない。

 

 観念した私は大きく息を吐いて、この悪夢を共有することにした。そうしたって何かが変わるわけではない。分かっていても、一人で抱え込むよりは目の前の大好きな人に伝えたかった。

 

「・・・夢を見たの」

 

「夢?」

 

「誰かが事故にあっている現場で、誰かが泣いて、誰かが叫んでいる夢。そこで泣いているのは私じゃなかったけど・・・すごく嫌な気持ちだったんだ。今日みたいな日にこんな夢を見ちゃったことが、引っ掛かってて」

 

「・・・そうか」

 

 私の言葉はどれだけ伝わったのだろう。

 ただ、遥は優しく頷いて、私の背中にそっと手を置いてさすってくれた。大きな掌が上下に揺れるたび、自分の息遣いがゆっくりになっていくのが分かる。

 

 そして手を解いたかと思うと立ち上がって、私の前に手を差し伸べた。

 

「だったら、俺たちから千夏に会いに行くか。多分それは、一刻でも早く会いたいと思っているサインなんじゃないかな」

 

「分からないけど・・・、私は、そうしたい」

 

 ただ・・・。

 

「ただ、遥はいいの?」

 

「・・・怖いよ、正直。おかしくなってしまった千夏を見るのは正直もう沢山だ。今日が最後になるのも・・・本当は、嫌なんだ」

 

「遥・・・」

 

「でも、こればかりはもう俺たちがどうこう出来る問題じゃない。伝えるだけのことは伝えたんだ。俺たちに出来ることは、あとはもう待つだけだ」

 

 覚悟の決まった、強い目をしている。遥はこの先の人生から千夏ちゃんがいなくなる未来を、すでに見始めているのだろう。

 

 ・・・でも、でもね、遥。ずっと、今日まで千夏ちゃんに敵意をむき出しにしてきた私だけど。

 

 ・・・それでも、一緒にいて欲しいって、まだ思っているんだよ。

 

 そのラストチャンスが、今日。だから私は一刻も早く会いたいのだろう。

 これからに向き合うために。・・・千夏ちゃんの居場所が、ちゃんと私たちの近くにあると、証明するために。

 

 差し伸べられた遥の手を取る。繋がれた手はそのまま、私たちは扉をくぐり、家の前、海沿いに広がる緩やかな坂を下り始めた。

 

 会話はない。いらなかった。

 

 そのうち、遠くに千夏ちゃんが見えてきた。少し目線を下に落として、ふらふらと歩いている。

 

「千夏!」

 

 遥が叫ぶ。だけどその声は届かない。こちらに気が付いていないのか、千夏ちゃんはなおもふらふらとおぼつかない足取りを続けていた。

 

「・・・っ!」

 

 だから、私は走り出した。

 これまでのぎこちない距離感を全て壊すように、大げさなくらい距離を縮める。

 

「・・・あっ、美海ちゃん」

 

 そうして千夏ちゃんが私に気が付いた時、バランスを崩してか車道側に体が倒れ掛かる。私はありったけの力でそれを無理やり引っ張った。こちら側に体を傾けた千夏ちゃんがこけるのと同時に、私もしりもちをつく。

 

 一つ大きなトラックのタイヤの音が聞こえた後で、私は千夏ちゃんの方を向きなおす。その時ようやく、握っている手から伝わる嫌な熱に気が付いた。

 

「すごい熱・・・」

 

「ごめんね、迷惑かけちゃって」

 

 それからようやく追いついた遥が、目を細めて言う。

 

「こんなに体調悪かったなら、なんで・・・」

 

「・・・嫌だったから」

 

「え?」

 

「今日を逃したら、私の気持ち、一生、二人に言えないままになっちゃうかもって思って・・・、それが嫌だったの・・・!」

 

 千夏ちゃんは目にいっぱいの涙をためて、声を振り絞って自分の全てを吐露した。

 

「私、嫌な子だから・・・二人が幸せになるの、素直に応援できなかった。一人になるのが嫌だったから、なんとか二人の世界に割り込もうとしてた。元の元気な自分でいられたらって、ずっとそう思ってた。・・・でも、答えってそうじゃなかったんだよね?」

 

「・・・」

 

「私、馬鹿だから、二人の時間たくさん奪っちゃった。お母さんにもお父さんにも迷惑かけた。きっと、学校でもおかしくなったって思われてたんだよね? 美海ちゃん」

 

 危うく首を縦に振りそうになってしまったのをこらえて、私は苦し紛れにフォローを入れる。

 

「様子が変わったって思ってる子は、いると思う」

 

「そう、だよね。・・・嘘、つかないでいてくれて、ありがとう」

 

 千夏ちゃんは私の手を緩やかに解いて、ゆっくりと立ち上がった。ぼろぼろと涙をこぼしながら、だけど確かに笑って、私たちに語り掛ける。

 

「だからね、決めたの」

 

「何を、だ?」

 

「私は、二人の世界から離れるよ。それが一度になるか一生になるか分からないけど、多分もう、そこに私がいちゃいけないの」

 

「なんで、そんなこと・・・!」

 

 真っ先に口を開いたのは私だった。

 まさか、千夏ちゃんからこんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 

「そこにいたら、今の私は前に進めない。・・・二人の世界の中に、私自身の幸せを欲しちゃうの。そうしたら、また全てを壊しちゃう」

 

「千夏、お前は・・・」

 

「今の私はね、純粋に二人のことを応援したいの。来る大切な日に、ちゃんと二人におめでとうって言ってあげたい。だから・・・私は消えるの。二人が私の手が届かない所に行っちゃうために」

 

「そんなの・・・」

 

 そんなの・・・悲しすぎる。

 ここまで一緒に歩いてきたのに、やっと、本当の気持ちで向き合えると思ったのに、いなくなっちゃうなんて。

 

 でも・・・多分、これが正しい答え。

 

 千夏ちゃんは本気で、私たちから身を引くことを望んでいる。私たちが望んでも、進んで私たちの世界に入り込もうとはもうしないだろう。

 そしてそれが、今の私たちにとっての最適解。傷つきはするかもしれないけど、何かが大きく壊れることはない。

 

 これが、私が今手繰り寄せることが出来る、最大限の幸福なんだ。

 

 それ以上言葉はいらなくて、私は一度だけ遥を一瞥した。うん、と頷く遥はきっと、私と同じことを思っている。

 

「お前の言いたいことは分かったよ。・・・ありがとう、話せてよかった」

 

「うん、私も」

 

「・・・また、帰ってきてくれよ」

 

 遥の言葉に、少しだけ千夏ちゃんの瞳が光を取り戻す。けれど、それは一瞬のことで、千夏ちゃんは平静を装ってもう一度頷いた。

 

「うん。・・・だから、ちゃんと幸せになってね。美海ちゃんも」

 

「分かってるよ。・・・それじゃ、元気で」

 

 千夏ちゃんに背を向けた私は、遥の手を引いてもとの道を引き返していく。涙が今にも溢れそうなこの表情を、千夏ちゃんには見せたくなかった。

 私は、千夏ちゃんのいないところで幸せにならないといけない。もう、求めちゃいけないんだ。

 

 

 選んだこの道で、遥と二人で幸せになる。それが千夏ちゃんにかけられた呪いで、私たちの進むべきこれからだから。




 本編があまりにも不憫すぎたのもあって、このIFは絶対に書こうと思っていました。とはいえ、二人の世界から千夏が離れていくという本編構想と特に大きな変化はなく、二人と千夏はこれからだんだんと交わらなくなっていきます。それが速いか遅いかだけの話です。
 とはいえど、自分たちのせいで事故に合ってしまったという枷がない二人の物語は、本編よりは明るく進んでいくのでしょう。このIFの続きを書くかどうかは未定です。一話だけ予定があります。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。