凪のあすから~heart is like a sea~短編集   作:白羽凪

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千夏が事故に合わなかった世界線、通称γルートです。
シリーズ化するつもりはないので本当に数話限りですが、ぜひ楽しんでいってください。
「手繰り寄せた幸福」の続編です。


第百九十話γ あなたの知る世界の先は

~千夏side~

 

 二人の背中が、どんどん遠く離れていく。

 二人は私次第だって言ってくれたけど、その背中を見逃せば、私はもう二度とそこに帰れないような気がして、心が痛い。

 

 きゅっと胸を抑える。アドレナリンで抑え込んでいた熱が再び体に回り始めて、今にももう崩れてしまいそうだった。

 でもそれ以上に崩れてしまいそうと思ったのは、あまりにも寂しいからで・・・。

 

「行か、ないでよ・・・」

 

 どうにか音が出るのを抑え込みながら、振り返ることもない二人の背中を見届ける。立っているのもつらくなった私はいよいよ崩れ落ちてしまう。

 

「私、頑張るって言ったけどさ・・・どうすればいいか、分からないんだよ・・・!?」

 

 自分勝手なことを言っているのは分かっているつもりだ。

 だけど、この心の内をちゃんと言葉にしなければ、もうやっていられなかった。私がこれから歩んでいかなければいけないのは、そういう道だということに昨日気が付いたから。

 

 そして、目線の先でずっと追っていた二人の背中が曲がり角で消える。それと同時に私はぱたりと手を地面に落とした。

 

「いやだ・・・やめてよ・・・」

 

 放っておかないで。

 それを伝えたい相手の影は、もうなかった。

 

 本当に、私は一人になっちゃったんだ。

 その現実を認識した瞬間、箍が外れて、より大粒な涙がこぼれる。

 

「嫌ぁああああ・・・!」

 

 声にならない慟哭が響いたのは、それから間もなくだった。

 

---

 

 壁やガードレールに手を置きながら、ゆっくり、ゆっくりと歩を進めて自分の家へと引き換えす。さっき一瞬だけバランスを崩してしまったことが根っこに残っているみたいだった。

 

 そして十分も歩けば涙は枯れたみたいで、変わりに割れんばかりの頭痛がやってきた。元あった体調不良と相まって、体の節々が悲鳴を上げている。

 ただ、それと同時に現実はだんだんと理解できるようになっていた。二人に自分の全てを吐き出せたこと、それが悲しくも正解であったことを心に言い聞かせてようやく、私は平常心を保てていた。

 

 だから、家にたどり着いた時にはもう、私は出る前の私と同じに戻っていた。

 

 ・・・ああ、ダメだな。こんな無理しちゃ、いけないのに。

 

 私が間違え続けた一年と数か月は体にすっかりしみついているみたいで、私はまた、気丈に振舞おうとしていた。今回はその直前で自分がおかしくなっていることに気が付く。

 

 でも・・・お母さんの前で泣きたくないよ・・・。

 

 ずっと心配かけてばかりいたお母さんに、これ以上心配はかけたくない。だからこれまでの私も気丈に振舞おうと心掛けていたはずだ。

 そっちの方面でも、正解が分からない。私はどうやって、私の大切な人に向き合っていけばいいのか。

 

 いつの間にか心は素直になることを忘れていたみたいで、取り繕われた外皮はそう簡単には剝がせないようだ。

 

 だから無心で、扉を開ける。

 

「ただいま」

 

「おかえり、千夏。・・・大丈夫? 本当に」

 

「うん。・・・だけど少し疲れたから、ちゃんと休むね。・・・よいしょ」

 

 お母さんの顔も見ないまま、ぶらんと垂れ下がったような足から靴を引っぺがして、ふらふらとリビングに向かう。今一人になってしまうと、私は永遠の孤独に囚われてしまうような気がした。

 

「・・・あれ?」

 

 視界が大きく、ぐにゃりと歪む。でも、泣いているわけではない。

 今度は体のふらつきが大きくなる。そのころにはもう意識なんてなくて、ただ視界の先にぼんやりと映るソファだけを見据えて、体を動かした。

 

 そして。

 

 ソファに背中をぶつけたと同時に、私の意識は薄れていった・・・。

 

 

---

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・。

 

  

 長い眠りについていたような気がする。一年、いや二年ほどだろうか。

 

 けれど実際そんなことはなく、ゆっくりと瞼を開いた私の視界に映る日付は、遥君達と会った次の日だった。

 

「・・・あ」

 

 掠れた声を挙げる。その声で、私のベッドの隣のパイプ椅子に腰かけ、すうすうと寝息を立てていたお母さんが意識を取り戻す。

 

「千夏・・・!?」

 

「お母さん、ここは・・・」

 

「・・・病院よ。千夏、昨日のことは覚えてる?」

 

「えっと・・・家に帰ってからは・・・ほとんど・・・」

 

 ぼんやりする頭でどうにか最後の記憶を漁ろうとする。

 しかし、記憶を取り戻すより先にやってきたのは鋭い痛みだった。数秒経って、左の頬がジンジンと熱を帯び始める。

 

 ゆっくりと顔を上げると、目の端に涙を光らせたお母さんが立っていた。そこでようやく、私がぶたれたのだと気が付く。

 

「無理しないって言ったじゃない!」

 

「お母さん・・・」

 

「なんで・・・なんで私たちに何も言ってくれないの!? こんなにぼろぼろになるまで無茶をして・・・そこまでして、何を隠したかったの!?」

 

「違っ・・・!」

 

「お母さんたちは・・・千夏にとってそんなに頼りなかったの!!?」

 

 今まで一度も見たことがないような剣幕で詰め寄るお母さんに、私は思わず言葉を失った。

 けれど、その中にあった最後の一言で、私の目は覚める。

 

 一番の味方がすぐそこにいてくれたというのに、私は一人になってしまったと思い込んで、不幸だと嘆いてたんだ。

 

 罪悪感に苛まれながら、私は今度こそと思いゆっくり口先を動かす。一言一言を、狂いなくお母さんに伝えるために。

 

「違うの・・・。大好きだから・・・伝えたくなかったんだよ」

 

「・・・」

 

「遥君がいなくなって、みんなすごく寂しがってた。・・・だからせめて私だけでも、元気でいないとって思ってたの。・・・複雑な心なんて見せて、二人を不安にしたくなかった。お母さんに、お父さんに泣き言を言っちゃったら、きっと全部壊れちゃうって」

 

「千夏・・・、でもそれは・・・」

 

「うん、分かってるんだよ。・・・全部、全部間違いだった。だから今こうして、私はお母さんを泣かせちゃってる。言わなかったことで迷惑をかけちゃってる。・・・ねえお母さん、私は・・・」

 

 あっ、ダメだ。

 また心が泣き出している。せめてお母さんの前では泣かないって決めていたのに、突きつけられた現実に打ちのめされて、悔やんで、寂しくて、悲しくて、泣いている。

 

 それが形を帯び、頬の方を伝う。それでも何とか喉を震わせ、私は言葉を紡いだ。

 

「せめて・・・お母さんと、お父さんだけには・・・笑っていて欲しかったんだよ」

 

 たとえ間違いだらけの選択だったとしても、その心だけはずっと変わらなかった。だから今、苦しくて、苦しくて仕方がない。

 

 一番大切にしたかった思いに対して、一番ダメなことをし続けていたのだから。

 

「ごめん、ごめんね、お母さん・・・!」

 

 耐え切れない悲しみに両手で顔を覆う。涙がこらえられないのなら、せめて声だけは挙げたくなかった。

 

 そんな私を、お母さんがふんわりと包む。柔らかく広げた両腕が、真正面から私を捕まえた。

 

「・・・娘にこんなことを言わせちゃうなんて、お母さん失格だよね」

 

「そんなこと言わないでよ・・・! 悪いのは全部私なんだからぁ・・・!」

 

 だから・・・。

 

「だから・・・ちゃんと叱って。ちゃんと諭してよ・・・。じゃないと私、また間違えちゃうよ・・・」

 

「・・・そう、頑張ってみる」

 

 お母さんはもう自分を卑下するようなことはなく、一つ咳ばらいをして、いつもと違わぬ優しい言葉を吐いた。

 

「・・・千夏。あなたが思うより、世界はほんの少しだけ優しいのよ」

 

「うん」

 

「そして、あなたが思うより、あなたの周りの人はずっと強い」

 

「・・・うん」

 

「だから、あなた一人だけが頑張る必要なんてない。手を差し伸べたら着いてきてくれる。困っていたら、誰かがあなたに手を差し伸べてくれる。そうやって手を取り合って生きていかなきゃ、私たちは歩けなくなるよ」

 

 そうだ。だから私は今ここで立ち尽くしている。

 けれど、そこに手を差し伸べてくれる優しい人も確かにここにいる。

 

「その道の途中で、時々誰かがいなくなってしまうことはある。・・・遥君が千夏からいなくなったように。・・・私のお父さんが、私のいないところでいなくなったように」

 

「そんなときは・・・どうすればいいの?」

 

「簡単なことよ。・・・いっぱい泣いて、喚くの。・・・でもね、最後には必ずそこに手を差し伸べてくれる誰かがいるの。その手を取って歩いていけばいい。そうすれば私たちは一人じゃなくなる。・・・生きていけるのよ」

 

 手を差し伸べてくれる誰か。

 今、私の目の前にその人はいる。今はその手を大事にとって歩いていけばいい。その世界の道中にきっと、同じように手を差し伸べてくれる人を待っている人がいるかもしれないから。

 

 お母さんの胸に、顔をぎゅっと押し当てる。馴染んだ匂いが鼻孔をくすぐったと同時に、心が穏やかさを覚えた。とても柔らかくて、安心できる。

 

 そうすると、言葉は自然と漏れた。くぐもった声が、包まれた世界の中に生まれる。

 

「やり直せるかな、私」

 

「やり直せるよ。・・・やり直さないと、ダメ」

 

「うん。・・・私、やり直したいよ」

 

 もちろん、過去に戻って何か変えることが出来るわけではない。人間にはそんな力など備わっていないから。

 でも、もう一度スタートラインに立って歩き出すことは出来る。私はそうやってやり直したい。変わっていきたい。

 

 その道の先に、遥君や美海ちゃんがいるかは分からない。これまで歩いてきた私の道とは全く違うものなのだから。

 きっと酷く寂しく悲しい門出だ。お母さんが言ったように、泣いて、喚く日々が続くかもしれない。

 

 でも、この道の先にも幸せがあると信じることにする。きっと手を差し伸べてくれる誰かがいると、それを待っている誰がいると信じたい。

 

 だから、今だけは・・・。

 

「ごめんなさい、お母さん・・・!」

 

 

 今度こそ私は、わあわあと声を挙げて、泣いた。

 

 

 

 




こっちを本編にしてよかったのでは、と思うほど今書いている話がしっくり来ています。あの時の自分は多分、刺激を求めていたんでしょうね。
もちろん、βルートも好きです。ただここまで来た以上どうにかしてγルート世界線での「あの人」を書きたい・・・。

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