湿った空気が肌にまとわりつく。樹洞の壁は苔やキノコで覆われていてほんのりと甘い腐葉土の匂いが漂っていた。足元には根が絡み合い、場所によってはツルリと滑りそうな湿り気のある粘土質の土が広がっている。
ん? キノコ? キノコといえば食べ物じゃないんですか? おひとついただいて、と。はむはむはむ。
うん、特に味はしないけどまずくはないかな。何個か持って帰るか。そうやって道草を食いながら滑りやすい足元を踏み外さないように慎重に進んでいくとぽつぽつと無数の小さな光る点が視界に入ってきた。
--うん?
なんだろうと思って天井を見上げると無数の小さな光点が星空のように散らばり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「あー、いや、眩しいわ!」
俺は自分に<
壁伝いに進みながら奥へ奥へと進むにつれて次第に下り坂になっていった。よーく耳を澄ませばはるか彼方から水の音が聞こえる。となると、この先は水脈に繋がっているのかもしれない。潜水ができるスキルを持ってないから奥に行くのは危険かも。ほかに道はあるかな? 周りを見回すとちょうど目の届く高いところに横穴があるのを見つけた。壁をよじ登って横穴の中に入る。
中は立って歩くには狭かった。頭をぶつけないように屈みながらそろりそろりと進んでいくと大きな空洞に出た。地面にはコケのようなものが一面に広がっていて奥行きは広い。天井は高く、そこから微かに乾いた土の匂いが漂ってきていた。こんな大きな空間を照らし出す天井の星空に感動しながら横穴から空洞に降りる。
ぼけーっときれいな景色を眺めていたら不意に足元が「ザクッ」っと鳴った。何かを踏み抜いた感じがした。動物の骨が転がっていた。
「?」
そこには鳥や、小型の動物、魚のような骨もが無造作に転がっていた。形が崩れているものもあるが、中には明らかに肉のついた最近のものもある。
「ボス部屋っぽい雰囲気だな」
よく集中して空気を嗅ぐとかすかに獣の臭いが混じっていた。生き物の気配はないが、ここで何かが食事をしていたのは間違いない。
気を引き締めてさらに進むと、向こう側に小さな光条が差しているのを見つけた。辿るように先を見上げたら縦穴ができていた。頭上の壁の割れ目から水が滴り落ち、ポタポタと音を立てている。
「神々しいな」
ふと、視線を巡らせたときだった。
ずるっ……。背後から粘ついた何かが落ちる音がした。俺はすぐに後ろを振り返る。そこにいたのは--巨大な影。暗い洞窟に差し込んだ日光のせいでその影をはっきりと見極めることはできなかった。
影が動いた。ずるり、とした音を立てて。
動きは遅い。だけどその影からは溢れ出すような殺意を感じた。
俺は影の正体を掴み取るとその何とも言えない感触に眉をひそめる。ぐちゃっという音を立てたそれをゆっくりと天井から差し込む光条にかざすと。
それは--ウサギの耳を短くして顔を不細工にしたようなネズミのような異形だった。瞳は赤黒く濁り、毛並みは腐ったようにゴワついていて、蝙蝠のような翼も生えている。
そして、その口元からは滴るようなドロドロの紫黒い液体が垂れていた。
「マジ、きっしょ」
「ギャルルルルルルル!!!」
異形の怪物は唸るように低い鳴き声を上げた。
そして、次の瞬間--。咆哮とともに、怪物は狂ったように俺の手の中で蠢いた。
「うわっ」
ぐちゃぐちゃという気味の悪い感触に思わず俺は手を離してしまう。異形が牙を剥き、獣じみた声を上げながら俺を挑発してくる。まるで笑ってるみたいに。あまりの気味の悪さからじっと様子を見ていたら目の前の怪物が二匹に増えていた。
「「ギャルルルルルル!!!」」
獣特有の腐臭が鼻をつく。血に飢えた瞳。そして確かに感じる二匹分の気配。こいつはただの怪物じゃない。分裂・増殖することで獲物を追い詰め、貪ることしか考えていない狡猾な怪物だ。まあレベルは大したことなさそうだけど。
俺はよくわからない液体でぐちゃぐちゃになった手を振って汚れを落とす。息を吐き、冷静に弓を取った。
「じゃあの」
矢を一本、番える。
そして矢尻を異形の額に向けた。
次の瞬間。音を置き去りにした矢が宙を切り裂く。異形の頭部が消し飛び拳二つ分くらいの大きな体が地面に崩れ落ちた。
そのまま微動だにしなくなる。そしてもう片方の異形に視線を移した時。
「ギョロロロロロロ!!!」
洞窟の奥からさらに数十体の異形が飛び出してきた。そしてその異形が更に分裂・増殖した。数を揃えても無駄なんだけどな。心なしか目の前の異形が醜く笑っているような気がしないでもない。
「はぁ」
俺は目の前に転がってる異形を踏み潰すと溜息をついた。範囲攻撃用の弓は持ってきてないんだけどな。うーん、この洞窟を破壊しない程度に威力を落としてかつ敵の大群を殲滅できる魔法はというと。
第六位階魔法に丁度いいのがあった。第四位階に威力を落とした下位互換の魔法があるんだけど目の前の大群全部を範囲内に収めるのは無理そうだし。ここはこの魔法でいいでしょ。
「<
魔法を発動した瞬間に洞窟の天井を埋め尽くしていた異形の怪物が可視困難の音波攻撃に飲み込まれていく。顎を少し引いてみれば何となく空気の歪んでいる場所が移動していくのが分かった。魔法攻撃中は範囲座標の変更ができるんだ。これは新しい発見だな。アプデの新要素かな?
ボトボトと魔法攻撃に晒された異形から墜落していくのは少し面白かった。でも魔法発動中は口が開きっぱなしなのはなんか間抜けっぽいな。おっといけねえ。考え事をしながら範囲をずらしたから撃ち漏らしが出ちゃった。照準を合わせてっと。
最後の一匹が、俺の動きを見極めるように警戒しながら距離を取る。無駄だぜ? 逃げ惑う最後の異形に向けて無慈悲な一撃を放つ。
あっ、やべ。
最後の一撃は異形の体を浮かしながらそのまま洞窟の壁へと突き刺さった。
--けたたましい音を立てて壁がえぐられていく。
うわあああ。洞窟壊れちゃう。そんな俺の心配をあざ笑うように派手な破砕音を立てながら壁に亀裂が走った。
「やっちまったなあ」
壁の表面に広がるひび割れ。
それはまるで、生き物の血管のように洞窟全体に広がっていく。
--そして。ズドォォォォン!!! という音を立てて壁が崩壊し、巨大な穴が開いた。
崩壊した壁の向こう側にはまるで異世界のような風景が広がっていた。
眼前に広がるのは、果てしなく続く青い水たまり。ザザザと音を立てて白い糸くずみたいなものが砕ける様子が見えた。
足元は断崖絶壁。洞窟にできた穴は崖に突き出るようになってて、先はほぼ真っ直ぐ下へ落ちている。
俺は、しばらく言葉が出なかった。
「……うわぁ」
俺は無意識のうちに、足を崖の際まで進める。太陽の光を受けて輝く俺の髪を風が撫で上げる。生臭いけど爽やかな香りが俺の鼻をくすぐる。静寂の中、水の塊が岩肌にぶつかる音だけが響いていた。
下を覗き込むと、水面までの高さは手探りで降りるのが億劫になるくらいある。もしあんな大きな水たまりに落ちたら一発で終わりそうだけど不思議と恐怖はなかった。
ただただ、家に帰ったような安心感があった。
しばらく、その場で景色を眺め続ける。
そして、口から零れるように言葉が出てきた。
「……冒険って、やっぱいいよな」