森の住人の朝は早い。水気を含んだ空気が肌を包み込み、葉の隙間から差し込む朝日が光の柱を作る。朝露で湿気を帯びた草木の匂いを肺に溜め込んで一思いに吐き出す。みどりの香りを全身に行き渡たらせた俺は手早く身支度を済ませた。
今日はウギンナードさんの領地からさらに西側を探索する予定だ。まだ見ぬ世界を想像するとワクワクが止まらない。
ダークエルフの子どもとはあの後別れた。この森が初心者マップだとは言えレベル一桁一人で散策するにはちょっと危険だと思ったから支援魔法をかけておいた。一回死んでも蘇生できるから保険には丁度いいよね。時間制限があるけど家に着く頃までなら大丈夫でしょ。さぁさぁ、出発ぅー!
木々の枝を飛ぶように移動しながらウギンナードさんの領地の先を目指す。濃密な緑の匂いに満ちた道を楽しみながら森の奥へと進んでいく。
俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「すぅー。はぁーっ」
この身体になってから、感覚が鋭敏になったのか、微妙な空気の濃さの違いを感じとることができた。森特有の湿った土の匂い、果実の甘い香り、どこかで咲く花の微かな匂い、生き物が発する匂い。すべてが混じり合って、独特の心地よさを生んでいる。
そんなことを考えながら朝陽の差し込まない暗い深い森を抜けると木々はさらに巨大になり、根の張り方も異様なものになっていく。
道すがら、森の景色に溶け込んだ爬虫類型のモンスターが長い舌を伸ばして大柄な男よりも大きそうな蝶を丸呑みにするのを見たり、異様に太くて長いツタに見えたものが、実はヘビ型のモンスターだったと気づいてビビったりもした。空では青い胴体を持つ巨大なトンボがけたたましく羽音を立てて飛んでいるし新規モンスターの多さに感動しつつ、ここらへんから初心者にはちょっと辛そうだなと思いながら探索を続けていく。
途中で沢を見つけたので、水を汲みつつ焚火をして一休みする。
滝壺では大きな魚が跳ね、そのまま空中を泳いでいた。
「えぇ……あいつ飛ぶのか」
なんとなく魔法を使って強さを測ったら個体差はあるけど大体レベル20くらいありそうだった。なんとなく目が合ったなと思えば素早い動きで水中に潜ってしまった。もうちょっと観察したかった。
さらに森の奥へ進むと木々が開けた場所に出た。そして鼻を突くような、なんだか懐かしい刺激臭も漂い始める。なんだろう? 俺が住んでいたアパートの外の匂いがするんだよな。重金属酸性雨が建物に当たって乾燥したのが地面の匂いと混ざったような。でも有毒性は感じない。あれに比べたらまだちょっと軽い匂いだし。
鼻を抑えつつ小高い丘になっているところから恐る恐る先を覗くとそこには赤黒い湿地帯が広がっていた。
「なんだ、あれ」
試しに足元の小石を水たまりに投げてみたら水しぶきをあげることなく小石が沈んでいった。なんとなく背中の力が抜けるような錯覚を覚えた俺はふと赤黒い液体の正体に思い至った。
「あれ、全部血じゃねえの?」
そういえば、ここにきてすぐに自傷できるか試したことを思い出した。あの時に手から流れた血に似ていることに気づいた。
「いや、まさかな」
さすがにこの湿地帯全てが血液なわけがない、よな。そう思いつつもこんなところを通りたくなかった俺は周囲を見渡した。頭上を見上げると、巨大な木の枝の上に何かがあることに気づく。木に登って様子を見てみるとバカでかい木の枝や獣の骨が組み合わされて乱雑な鳥の巣みたいなものがあった。
「でっか」
そこには小さな椅子くらいの大きさの卵があった。殻の色は白くて均等な間隔で赤い斑点がある。
ぐぅ~。お腹が鳴った。……、ちょうどお昼時だし食べてみるか。例の動画の体験版でも食べ物を見つけたらとりあえず食べてたし。チャレンジ精神は大事だよね。うん。
そうと決まれば早速火の準備だ! 俺は周囲を探索して火おこしに使えそうな素材を集めていく。なかなか大きい卵だから火力は強めにして、と。殻ごと火にくべたら後は待つだけ。
いいかなー? まだかなー? もういいかなー? 卵を触ったらかなり熱い。ちょっとだけ中を覗いてみよう。俺は手刀の要領で卵に切れ込みを入れた。すると中からおいしそうな湯気が溢れてくる。
「いい感じじゃないかな? いっただきまーす」
殻の中は明るい赤色になってて真ん中が黄色い。ふよふよした食感と頭が喜ぶようなおいしさがした。これはイケる! 俺は夢中で卵を貪った。うおおおおおおお! おいしい! おいしい! なんだこれは!? アーコロジーの中の奴らはこんなにいい食べ物を毎日食べてたのか! 羨ましい奴らだな!
「……」
もう無い。全部なくなった。無残に転がった卵の殻を眺めていたら溜息がでちゃった。
俺は徐に巣に残った卵をインベントリに収納した。これは今日の晩御飯にしよう。そう思ったら無意識に、にやけてくる。これは夜が待ち遠しい。さて、探索を続けるか。
「ギィィイイアアアアアア!!!」
--うん?
低く、地を震わすような鳴き声が響く。
俺は声のした方に振り向くと木の上に巨大な影が降り立っていた。
--人の女性のような、自然界で鍛え抜かれたような体、細長い手には鋭利な爪、方から延びる骨格には薄い赤色の翼。そして頭部は鳥類のような嘴を持った顔。大きさもかなりデカい。
まるで赤いペロロンチーノみたいだな。
そして、何より……。
赤いペロロンチーノの視線が無残に転がった卵の殻に釘付けになっている。
「……あー、ははは」
その瞬間、赤いペロロンチーノが目の前に飛び込んできた。ステップを踏んでその場から離れることで敵の攻撃をかわすと狙いを外した鋭い爪が地面を抉り、深々と突き刺さる。
「ふむふむ。レベル20いかないくらいか」
攻撃をかわされた敵はギラついた赤い瞳で俺を睨みつけた。いやあ、悪いとは思ったけどさ。そんなことを考えていたら両翼を大きく広げて金切声を上げてきた。周囲の木々がざわめく。
「ギィィィアアアアア!!! <
「お?」
不可視の衝撃波が俺の体をぽふっと叩く。しかし効果はいまひとつのようだ。
「ギィィィアアアアア!!!」
それでもなお血のような赤い瞳を俺にぶつけながら飛びかかってきた。かぎ爪が陽光を反射しながら鋭く振り下ろされる。
「よっと」
俺は器用に敵のかぎ爪攻撃をよけると足をつかんで背後に投げた。それだけで赤いペロロンチーノが血の湿地帯にべちゃっという音を立てて着弾する。もともと赤かった体が更に真っ赤に染まった。卵をもらったんだから命まで取るのはやりすぎだよな。そう思った俺はその場を後にしようとしたんだけど。
「ギィィィヨウオアアアアア!!!」
耳をつんざく咆哮とともに、赤黒く染まったペロロンチーノが再び魔法を放ってきた。完全に眼がもう逝ってるよあれ。
「ん?」
ぽふっという衝撃を待ってたんだけど実際に来たのはトントンっと手で押されるような衝撃だった。威力が上がってる? 確かナザリックに行った時に吸血姫がバーサーク状態になったことあったよな。血の狂乱だっけ? そういうスキル持ちなのか? まあいいか。向かってくるなら倒すまで。
俺はインベントリから月白色の弓を取り出して装備すると神聖属性が付与された矢をつがえて放つ。なんとなく神聖属性が効きそうだから選んだだけだ。
再び飛翔体勢を取っていた敵に矢が突き刺さる。そのまま地面に縫い付けられるようにして赤いペロロンチーノは断末魔を上げることなく息絶えた。
「さすがにあの中に入って素材をはぎ取るのはなあ。もったいないけど放置するか」
食後の運動もしたことだし探索を再開しよう。だけどなあ、この湿地は進みたくないしなあ。途方に暮れながら周囲を見渡すと大樹の根元に妙な空間があるのが目に入った。近づいてみると根が絡み合いながらもそこだけぽっかりと空間ができていた。奥を覗いてい見ると暗闇がどこまでも続いている。太陽の光が届くのは、入口からほんの少しだけ。その先はまるで黒が液体となって沈殿したような、完全な漆黒だった。
俺は口元が緩くなるのを抑えられなかった。人が余裕で通れそうなこの穴の奥には一体何があるんだろう。もしかしたら新規ダンジョンかもしれないし未知なる財宝が眠っているかもしれない。あるいは、単なるモンスターの巣かもしれないが……それでも探検する価値はある。
よし!
「<
俺はスキル<