今まで俺は環境を利用して戦って来た。
ハックの時も、Mr.1の時も、そう。ボムボムの実の力を引き出せず、俺の能力じゃ相手を倒せないと思っていたからだ。
でも、今は違う。
ボムボムの実は、ちゃんと強い。俺が、それを信じてやれば、答えてくれるほどには。
ティーチとの戦闘も、これが最後の攻防になるだろう。
俺は一歩踏み込む。ミス・バレンタインが再び横につく。
彼女は俺の手を強く握りしめて来た。
……握りしめて来た?
「って、えぇぇぇぇぇ!!!」
「うっさい」
──あいえぇぇぇ!? 手、なんでぇぇ!?今日、握手会だったっけ!?
その瞬間、足元の感覚がふっと軽くなる。
「お? 体が……軽い?」
「今、あなたの“重さ”を1キロにしてる。動きやすいでしょ」
「軽くも出来るのか」
「私が触れてる間だけね。手を離せばすぐに戻るわ。だから、離すんじゃないわよ?」
「危ないぞ?」
「誰に言ってんのよ」
バレンタインの唇がいたずらっぽく笑うと、ティーチの方を指差した。
「行くわよ。私たちでアイツの闇を破る」
バレンタインの拳が軽く俺の肩を小突く。
緊張がわずかにほぐれ、夜の海風が吹き抜けた。
「男と女がイチャイチャしやがって」
「うらやましいか?」
「ちげぇわ!! 真面目にやれって言ってんだ!!」
──いつだって真面目だ。今の俺のテンションは最高潮!!今なら天すら割れるな、モーセのように!!
あ? モーセは海だったか? そんなことはどうでも良いか!!
「
俺はミスバレンタインをお姫様抱っこし、飛び上がった。
軽くなった体が、空気よりも滑らかに跳んだ。
空中を走る感覚は、まるで羽が生えたみたいだ。
体重が軽いということは、それだけ爆発による推進力が増す。
空中で何度も爆発し、軌道を変える。相手にこちらの目的を悟らせないように。
「いくら早く動こうが、オレの闇は全てを呑み込む!! 黒渦!!」
奴の能力により、空中を動く俺の動きが止まり、俺
だが、俺は冷静に対処する。
腕に意識を集中する。炎が道標となるように、一筋の螺旋を描く。
そして、掌の周囲に、空気がひずむ。微細な流体の壁が作られ、渦を巻く。
風車、ドリル、台風、DNA。回転は、あらゆるものの力になる。
回転と、爆発のエネルギーを合わせれば、闇の引力すら打ち抜ける!!
「捻れろ!
お互いの技がぶつかり合う。俺の拳が闇に吸い込まれる瞬間──ティーチが眉をひそめた。
奴の闇が吸い込むように迫る。だが、俺の拳の周囲では、空気の層がねじれて、爆炎が回転しながら奴の闇と拮抗している。
「何だ…? 一体何をして……?」
「お前の闇の力は、能力者に能力を発動させない力なだけで、能力者が生み出したものを消すことは出来ねぇだろう?」
「だが、オレの闇はあらゆるものを吸い込む。何故、吸い込めねぇ?」
「無敵の能力なんてあるわけねぇだろ。ただの勉強不足なだけだっ!」
ブラックホールっていうのは、引力という一方向への歪みだ。そこへ回転という渦の歪みを加えれば、歪みが乱れ、引力が弱まる。
大きな川の流れでも、渦の中心には逆らえない。流れがどれだけ暴れても、渦が強ければ全部巻き込まれるように。
だから、俺は拳を回転させながら突き出した。螺旋状の空気層が拳を包み込み、圧力を閉じ込める。
「ミス・バレンタイン!!」
彼女がいるのは上空。爆歩で移動中に、彼女は空中に飛び上がっていたんだ。それは俺とティーチの真上。
俺が起こす爆発で、対空し、チャンスを窺っていたのだ。
俺の声で、彼女が急速落下。
彼女の手がティーチの肩口に触れた。
重さは弾丸のように加速する―ふつうなら、この一瞬で決まるはずだった。
だが、ティーチは“重さ”そのものに怯まない。
「おっとォ……重くすんのはもう分かってんだよ」
闇が再構築される気配がする。
バレンタインは悟る。──また抜けられる。
一度失敗している技を、同じままでは通じない。
だが、俺は彼女に視線を送る。すると、彼女は信じて頷いてくれる。
「よそ見すんなよ、ティーチ!!」
闇が肥大する。それはもう、回転がどうのとか言うレベルではない。周りの木々が、大地が奴の体に引き寄せられ、飲み込む。
だが、爆発は止まらない。
爆発する成分を生み出す。爆発する。生み出す。爆発する。その繰り返し。だが、1回目よりも多く、爆発を起こす。何度でも何度でも何度でも!!
「あぁ? な、なんだ、爆発が大きくっ!?」
「テメェの闇はさぞすげぇんだろがな。飲み込まれるよりも多く爆発を起こせば、何の問題もねぇ!! 」
「力技かよ、脳筋野郎が!!」
「しらねぇのか? 筋トレっていうのは、化学に基づいた立派な化学だ。つまり、これも科学ってことだぁ!!」
「それを脳筋って言うんだよ!!」
爆発しない“爆圧”が、バレンタインの触れている肩に沿って流れた。
ティーチの体幹を、逃げに使う方向とは真逆へ押し返すように。
二段階の“逆向きの力”。
「ぐッ……!」
重さに耐えきれず、ティーチが膝をつき足が大地に沈む。
バレンタインの指先が、触れたまま離れない。
「て、てめぇ!!」
「さぁ、潰れなさい!!」
彼女の手には、逃げられない。
闇は俺が抑えた。彼女を狙えば、俺の爆発が襲う。闇を展開はもう出来ない。今度こそ!!
その瞬間──背筋が凍った。
悪寒。
見聞色とは違う。ずっと戦って来たものが分かる命の危険を知らせる勘。
だが、俺じゃない。
黒ひげを必死に抑え込む彼女へと視線を向ける。彼女は気がついていない。
奴の闇が、足元に広がっているのを。
「逃げろ!!」
「え?」
「……
ティーチの低い呟きのあと、大地が光を生み出した。
爆炎。
轟音。
圧力。
骨が砕けるような衝撃。
爆発が島全体を飲み込んだ。
────
気がつけば、吹き飛ばされ、地面に転がっていた。木も、雑草すら一本も生えない大地へと変わっていた。そこへ、落ちてくる雪。その冷たさで目が覚めた。
少し気絶してしまっていたようだ。額に強く痛みを感じる。
──っ! 俺の爆発を闇に溜めて、一気に吐き出したのか。やられた。闇にそんな使い方があったなんて。
視界が揺れ、鼻の奥が痛い。鉄の匂い。
耳鳴りが続いて、世界が全部遠い。
それでも、倒れている彼女だけは、はっきり見えた。
「……バレン…タイン……?」
雪の上に横たわっていた。
片腕が妙な角度で、血が地面に流れていた。
それだけで、胸が焼ける。
「ゼハハハ……お前の爆発がアイツを殺したんだ。見事じゃねぇか、ジェム」
どこからか現れたティーチの声が空気を震わせるたび、俺の頭の奥で何かが軋む。
違う。
そんなはずは……。
でも、指先が震えて、足が動かない。
胸の中で何か黒いものが膨らむ。
脳裏に、別の光景が一瞬走る。
白い服の人間が、倒れた女性を踏みつけていた。
冷たい床。泣き声。血。
誰だ。
いつの記憶だ。
わからない。
なのに、目の前のバレンタインに、全部が重なった。
「……はぁ…はぁっ…っ!」
ドクンッ、ドクンッ
肺が細くなる。
心臓が暴れる。
呼吸が合わない。
「……俺が、…弱いから……」
悔しさで心臓を何度も叩く。自分が許せなくて、怒りでどうにかなりそうで。
ドクンドクンドクンドクンドクン。
胸が焼ける。
心臓の周りに微細な爆圧が連続して走る。
血流が引きちぎられたように加速し、筋肉という筋肉に酸素が叩き込まれる。
視界が赤く染まる。
そして、世界の速度が、落ちた。
「……なんだァ?」
ティーチが眉を動かす。
俺の身体から白い蒸気が立ち上っていた。
気化ではない。血流の異常加速で、体温が一気に跳ね上がっている。
一歩踏み出すと、足が地面を砕く。視界からティーチの姿が“消える”。
「ぐおっ!?」
ティーチが反応した時には、俺の拳はすでに奴の懐にあった。
殴るつもりなんてなかった。ただ、手が勝手に動いた。
拳にまとわりついた爆圧が、ティーチの胸骨を内側から鳴らした。
「なんだ!? 急に、速度がぼっ!?」
ティーチの体が横に弾け飛ぶ。雪が爆圧で蒸発し、白い霧が立ち上る。
自分でも“何をしたのか理解できない。
──心臓が張り裂けそうだ。
胸の奥で爆弾が暴れ続け、筋肉を裂きながら力を押しつける。それを見たティーチが愉快そうに壁から飛び出す。
「なるほどなぁ……テメェ、自分の心臓を爆発させて、血流の速度を上げてやがるのか。なんで血管が破裂しねぇのかわからねぇが、血涙に、鼻血、自滅技だな。体が持つわけがねぇ」
「はぁはぁはぁ…っ!」
──体が暑い…手の震えが止まらねぇ。普段の爆発の圧力での筋トレのお陰で、なんとか使えてる。
でも、少しでもコントロールが乱れたら、血管が破れて、内出血どころの騒ぎじゃ無い。出血多量で、確実に死ぬ。だが──
「……テメェを…ぶっと…ばすのには…十分だろうが」
「ゼハハ……ゼハハハ!! なら、魅せてみせろよ。お前の可能性を!!」
クラウチングスタートの構えをとる。最高速で、最高のスタートを、反応出来ない速度で。俺自身を爆弾とする。
地面に指をかけた。雪が体に触れら前に弾け飛ぶ。指先の温度が異常すぎて、雪が蒸発すら追いつかない。
呼吸をするたび、肺の中で圧が生じる。息を吸うだけで頭がクラクラする。酸素を取り込みすぎて、逆に身体が悲鳴を上げているのに──
止まらねぇ。
止められねぇんだよ。
ティーチが笑ってるのがわかった。だが、あいつの声が遅い。音すら追いつかない。
大地が爆風で抉れ、視界が真っ白に伸び、次の瞬間には、ティーチの眼前。だが、ティーチは備えていた。
「オレの闇が手のひらだけだと思うなよ?
黒い闇が反射的に広がる。
だけど──そんなものは関係ねぇ。
俺は、既にそこにはいねぇんだ。
奴が見ていたのは残像。急加速と、クラウチングスタートの構えで、直線にしか来ないという予測。その僅かな読み間違えが、隙だ。
直線に進んだと同時に足元を爆破、奴が闇を作り出すよりも早く、奴の頭上へと飛び上がっていた。
俺は拳を握り、爆発で心臓の鼓動をさらに跳ね上げた。
拳を振り抜き、奴の背中へと叩き込む。
「ぐっ……が……ッ!!? 」
地面が割れ、大地に沈む。更に追撃だ。ティーチが起き上がるよりも早く、考えるよりも速く、鼓動が俺を前へと突き進む。
「ちっ!」
──体の反射速度に思考が追いついてねぇ。あの黒いのがティーチなのかも分からねぇ。黒い何かが見えたら、反射的に攻撃してる。神経がすり減る。脳が焼き切れそうだ。
それでも、止まらない。
ティーチに起きあがろうとした瞬間、俺は爆風を自分の背中へ叩き込んだ。背後が爆ぜて、俺の体が弾丸のように加速する。
そして、俺の膝が奴の顎に突き刺さった。
「がっ……!!」
ティーチの体が耐えきれず、膝をついた。
──もうひとおs……っ!?
一歩、足を踏み出した。瞬間、心臓に激痛が走った。爆ぜるたびに遅れ、鼓動と鼓動の間に、空白ができる。
——あ、これ。
わかる。
これは、限界だ。
喉の奥が焼けつき、肺が空気を拒む。雪の上に、赤い点が一つ、また一つ。
次の瞬間、鼻から、口から、耳の奥から、堰を切ったみたいに血が流れ出す。
「……がっ、くそ……」
視界が傾く。膝が笑うどころか、完全に裏切った。
倒れるまでがすごくゆっくりに感じる。妙に、静かだ。
胸の奥で暴れていた爆圧が、ゆっくり、ゆっくり、薄れていく。
心臓の痛みが、遠のく。
……ああ。
もう、戦わなくていい。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が、ふっと軽くなった。
逃げていい。もう動かなくていい。殴らなくていい。守れなかったことも、これ以上増えない。
——楽だ。
その安堵が、頭の中に広がった瞬間。
んなもん、いらねぇんだよ!!
踵を爆ぜさせ、爆発の反動で、無理矢理右足を前へ出す。絶対に倒れてはいけない。その意思だけで、人はまだ動ける。
「まだ、動くか!?」
自分の思考に、ムカついた。
楽?
逃げていい?
ふざけんな。
歯を噛みしめると、噛みしめた歯の隙間から血が線を引く。
腹の底から、怒りが湧いた。ティーチではなく、自分にだ。
拳を強く握ってみるが、力が入らない。けどな──
「ここで……楽になろうとしてんじゃねぇぞ、臆病者が」
踵を爆ぜさせるが、小さく、制御も雑だ。いつもの十分の一も出てねぇ。それでも、身体が前に出せた。崩れかけた体を、爆圧で無理矢理支える。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、血が、だらだら落ちた。
「ちっ…」
鼓動が、うるせぇ。胸の内側で爆発してやがる。なのに、止まらねぇ。止める気もねぇ。
「ゼハハハ……しぶといな。普通ならもう死んでる」
「うるせぇ」
自分の声が低くて、荒れてるのがわかる。頭に血が回りすぎて、言葉を選ぶ余裕なんざ欠片もねぇ。視界がやけにクリアだ。
舞う砂煙も、ティーチの顔のシワも、全部ムカつくほど見える。
「人の仲間転がしといて、よく笑ってられんな……クソデブ」
「ゼハハハ! 余裕がねぇなァ!」
一歩踏み出すだけで、地面が砕ける。脚が勝手に前に出る。止まる理由が見当たらねぇ。心臓がまた一段階、強く爆ぜた。頭の奥がカッと熱くなる。
「……生きる気もねぇが、負ける気はもっとねぇ」
──まだ、動ける。それだけで十分だ。
俺は、前を向いた。自分でもわかる。足の血管が破裂してる。
脚部の血管を守っていた爆圧制御が崩れたせいだ。
心臓を直接爆ぜさせる技は、あまりにも繊細で、ほんの一瞬の乱れが、命取りだ。
──だが、そんだけだ。
進め。立ち止まることを考えるな。
俺は血に濡れた地面に指を突き、再びクラウチングスタートの構えを取った。
「そんな、あからさまな攻撃、受けるわけねぇだろ!!」
ティーチが闇を引き寄せ、身を翻そうとする。
「……なら、躱せないようにしてあげる」
その声は、俺のものじゃない。ティーチの背後。空気を裂くように、黄色い影が滑り込んだ。
「て、テメ──「ニーライト…」うっ!?」
今まで、何回も、何十回も、これを打って来た。
これは、初めて出来た技だから。爆発のコントロールが効かない今でも、出来る技!!
「
何も考えず、セーブせず、力の限り膝を爆発させる。
拳がティーチの腹部にめり込み、拳の内側で炸裂した“内爆”が、ティーチの胸骨を内側から打ち鳴らす。ティーチの巨体が、雪原を抉りながら吹き飛んだ。
爆発の勢いで肩が外れ、だらんと垂れる。
「っ! ジェム!!」
「近寄るな!!」
「え?」
──体中が熱い。汗が小さく爆発している。血も流れすぎてる。爆発の制御が出来ねぇ。また、爆発に巻き込んでしまう。
「いや! そんな出血量、すぐに医者に見せなくちゃ!」
「無理だ……それに」
ガラガラと音を立てる音。彼女も気がついたようで、ハッと後ろを振り返る。そこには、ティーチがゆっくりと立ち上がる姿があった。
「嘘…」
「流石に効いたぜ……」
ティーチの声は、まだ余裕を残していた。
息は荒いが、倒れない。
——そうか。
殺しきれなかったか。
……まぁ、いい。
「離れてろ、バレンタイン」
息を吸うだけで、胸が焼ける。
心臓が、もう一度爆ぜようとしている。
「いや! あんた、アイツを道連れに死ぬ気でしょ!? そんなの私が許さない!!」
「流石、よく分かってるな……でも、大丈夫。安心してくれ」
わかってる。
自分が一番よくわかってる。
視界の端が暗くなり、音が遠のく。
身体の感覚が、少しずつ薄れていく。
言葉が、胸の奥に突き刺さる。
ティーチが、愉快そうに笑った。
「ゼハハハ、さぁ、覚醒してみろ、ジェム!!」
「降参。俺の負けだ」
降参。その言葉を言ってしまった瞬間、熱が一気に消えた気がした。血も、汗も、線香花火のような火花が消え、落ち着く。体は激しくだるいが、このまま立ち続ける。
「……は?」
ティーチが間の抜けた声を出す。
「聞こえなかったか?降・参。白旗。ノーコンテスト。試合終了だ」
俺は片手をひらひら振る。
正直、腕を上げるだけで視界が回る。
「いやいやいや、待て待てジェム。オレはいま、覚醒イベントを期待してたんだが?」
「悪いな。今日は臨時休業だ」
「臨時休業!?」
「心臓がストライキ起こしててな。これ以上働かせると、過労死で訴えられる」
ティーチが口を半開きにして固まる。
「……お前、ここで冗談言える余裕があんのか?」
「余裕はねぇ。余命がチラついてるから、テンションだけ上げてる」
膝が笑う。
立ってるのも限界だが、それでも背筋は伸ばす。
「ほら見ろ。血、出過ぎだろ?これ以上やると、絶対に死ぬ。それでも、お前は倒せねぇ。その確信がある」
ティーチが頭を掻いた。
「いやぁ……参ったぜ。お前は、自分の命はどうでもいいタイプだと思っていた」
「さっきまではな。気が変わったんだよ」
彼女の本音を聞けた。俺の隣に並びたいという彼女の願いを叶えるためにも、俺は死ねない。俺が思っていたよりも、俺の命は俺だけものじゃないって思えたから。
「お前は強さを求めていた。覚醒は、お前の強さをさらにもう一段上げる力だ。それを簡単に諦めると?」
「嗚呼」
即答だった。
視線の先で、バレンタインが息を詰めて見ている。
俺は安心させるように、笑顔を浮かべる。彼女が笑っていられないなら、俺の自己満足でしかない。だから、俺は、ここでは死ねない。
「俺にもやるべき事がある。それが済んだら、お前の部下でもなんでもなってやるよ」
ティーチは数秒黙り込み──やがて、腹の底から笑った。
「ゼハハハハ!!いいぜ、ジェム!!」
闇がゆっくりと収束していく。
「オレもまだ無名の男だ。お前が入りたいと願うほどの男になって待っててやるよ」
「ああ。その時は心臓もブラック企業から解放しとく」
「なら、これを渡しておく」
そう言って、渡して来たのは1枚の小さな紙切れだった。
「なんだこれ?」
「ビブルカード。これさえあれば、ログも入らずにオレの元へとやって来れる。来たくなったらいつでも来い、歓迎するぜ?」
そう言い残し、ティーチが背を向け、闇の中へ溶けていく。
……その瞬間、力が抜けた。
「っぶね……」
膝が折れる前に、誰かに支えられる。
「……馬鹿」
顔は背けているが、低くて、震えた声。ぐすんと鼻をすする音が僅かに聞こえる。
俺は弱く笑う。
俺は彼女をよく泣かせてしまう。君の笑った顔が見たいのに、いつも間違えてしまう。
「ごめんな……それと、ありがとう」
返事はなかったが、強く掴まれた腕の力が、答えだった。