第十七話 推しは心のエナジードリンク
「また大変な事実に気がついてしまった」
俺は椅子に深く腰掛けたまま、天井を仰いだ。
考えれば考えるほど、胃の奥がじわじわと痛む。これは怪我の後遺症じゃない。精神的なやつだ。
「……」
向かいの席では、Mr.3が黙々と本を読んでいる。
完全に無視だ。視線すら寄越さない。俺は深く息を吸い、腹に力を入れる。
「また、大変な事実に気がついてしまったんだよなぁ!!」」
今度は腹の底から声を張り上げた。
奴は突然の大声に驚き、椅子からひっくり返ってしまう。
「うるさいガネ!!」
即座に返ってくる怒声。どうやらちゃんと聞こえていたらしい。
俺は満足げに頷いた。
「聞こえてないと思ってな」
「聞こえた上で無視しているんだガネ!!」
「それでなMr.3。俺、最近推し活が出来てないんだよ」
「聞こえた上で無視してんじゃないガネ!!」
「言っても無駄よ、Mr.3」
横で絵を描いていたミス・ゴールデンウィークが、いつも通りの平坦な声で助言を入れる。
視線は紙から一切離れない。本当に俺に、興味が無いようで、いつも通りだ。
「この人、爆弾人間だから」
「何にも答えになってないガネ!?」
そんな彼女のいつも通りのテキトーな話を聴き流し、俺は身を乗り出した。
「聞いてくれよ。推し活ってのはな、心の健康に必要不可欠なんだ」
「はぁ……なんの話だガネ」
観念したようで、お茶を手に取り、2人で向かい合うように椅子に座る。
「戦闘、任務、借金、怪我、裏切り、世界の闇。そういうのを一旦忘れるための“精神の避難所”だ」
言い切ると、ようやくMr.3が手を止めた。
嫌な予感がしたのか、眉間に皺が寄る。
「……で?」
「バロックワークスの社員を、アイドルとしてデビューさせようかと」
「……はい?」
間の抜けた声が漏れる。
それも無理はない。この世界には、推し活というのは、普及していないだろう。
そんな中でのアイドルを生み出す。そんな無茶をしようとしているのだから当然だろう。
「歌って踊って、笑顔振りまいて、世界をちょっと明るくする感じで──」
「説明を足しても意味が分からないガネ!!」
机を叩かれる。
ミス・ゴールデンウィークが、ようやくペンを止めてこちらを見た。
「誰を?」
「3人組ユニット予定。ミス・バレンタインと、ミス・ウェンズデー。あともう一人は交渉中」
「エージェントに何させようとしとるんだガネ」
Mr.3はこめかみを押さえ、重いため息を吐いた。
その反応はもっともだ。戦力配置だの作戦だのを考えている人間からすれば、今の俺の提案はどう考えても脈絡がない。
だが、俺は珍しく真剣だった。
──推し活が出来ていない。
それはつまり、心の余裕が削れているということだ。
余裕がないと、人は無茶をする。
無茶をすると、判断を誤る。
判断を誤ると──死に近づく。
「なぁ、Mr.3」
少しだけ声を落とす。
ふざけた調子を消し、真面目な色を混ぜる。
「組織にとって一番危険なのは何だと思う?」
「……急に何の話だガネ」
「焦りだよ」
それは俺が体験したこと。
強さを求め、強さだけが俺の力だと、誰かのためにとただ強くなることだけを生き甲斐にしていた。そして、ティーチとの戦いで死を受け入れた。
焦って、焦って、ただがむしゃらに争い続けた結果の先だ。
「追い詰められた人間は、結果だけを見ようとする。過程を切り捨てて、無理を通す。そうやって、生きて来た奴が行き着く先は死だ」
Mr.3は言葉を挟まず、黙って聞いている。
ろうそくの火が、微かに揺れた。
「だから、息抜きは必要なんだ。仕事の効率とか、士気とか、そういう話じゃない。ただ、息を吸える余裕が必要だ。余裕があるから、冷静でいられる。冷静だから、命を拾える」
そこまで言ってから、Mr.3を見る。
彼は腕を組み、顎に手を当てて、難しい顔をしていた。
「……なるほど、そういうことなんだガネ」
納得したような、だが念のため確認するような口調。
「つまり、その三人を集めるのは、エージェントたちの精神的ケアと、組織の安定を──」
「あと、アイドル衣装のミス・バレンタインが見たい」
「絶対そっちが本命だな!?」
「ステージ衣装。フリフリ系。絶対に似合うと思うんだよなぁ」
Mr.3の顔から、みるみるうちに理解と感心の色が消え、代わりに虚無が広がっていった。
Mr.3は頭を抱えながらも、完全には否定しきれない様子だった。
たぶん、俺の最初の話が“それっぽく”聞こえてしまったのが敗因だ。
「……で、本当にそれだけカネ?」
「ん?」
「貴様、前々から昇進を蹴ってると、ミス・オールサンデーから聞いているガネ。何が企みでもあるのカネ?」
一瞬だけ、俺は視線を逸らす。
そして、いつもの軽い笑みを浮かべた。
「それは交渉成立してからのお楽しみってことで」
Mr.3は何も言わなかった。
ただ、深いため息を一つつく。
「……好きにするガネ」
「よし、じゃあアシスタントよろしく。小道具とか蝋で作ってくれると助かるんだよ」
「手伝うという意味じゃないガネ!?」
部屋の隅で、ミス・ゴールデンウィークが小さく笑った。
たぶん、この時点で。
もう止められないところまで来ていた。
「で、まずはミス・ウェンズデーだな」
「そもそも、バロックワークスにアイドルが務まるのか疑問だガネ」
Mr.3の呟きはもっともだった。
ミス・ウェンズデー。常識があり、真面目で、敬語が板についている。なんでこの会社に入ったんだろう。というのがまず思い浮かぶ系の女の子だ。
そんな子にこれからスカウトしてみるが、まぁ、一筋縄ではいかないだろうな。
────
というわけで、ミス・ウェンズデーのいるウイスキーピークへとやって来たわけだ。
「アイドル、やらない?」
「……はい?」
ミス・ウェンズデーの元へとやって来て単刀直入に聞いてみた結果、きれいに固まった。
一拍遅れて、今聞いた言葉を頭の中で反芻しているのが分かる。理解しようとして、理解を拒否して、もう一度確認する。その過程が、表情にそのまま浮かんでいた。
「え、えっと……すみません、今、何と……?」
「アイドル」
言葉を探すように視線が泳ぐ。
否定したいが、失礼にはなりたくない。断りたいが、話を最後まで聞くべきか迷っている。そんな“真面目な葛藤”が、そのまま態度に出ていた。
「……あ、あの、私、戦闘員でして……」
「知ってる」
「諜報とか、潜入とかが主で……」
「うん」
「歌とか踊りとか、そういうのは……その……」
「魅惑のメマーイダンサーなのに?」
「それは忘れてください!!」
間髪入れずのツッコミ。
勢いはあるが、声が荒れていない。感情をぶつけるというより、場を正そうとしている。やはりちゃんとしてる。
だからこそ、俺は思わず満足げに頷いてしまう。
声のトーンを落とし、人の気配がないのを確認してから続けた。
「ミス・ウェンズデー。君は、自分がどういう評価されてるか知ってる?」
「え?」
予想外だったのか、わずかに目を瞬かせる。
「真面目。気配りが出来る。頭が切れる。声が通る」
「そ、それは……仕事として当然のことを……」
「あと、表情が柔らかい」
その瞬間、動きが止まった。
言葉にする前に、無意識で触れてしまったらしい。
「……そう、ですか?」
「自覚ないやつほど、客観評価は高い」
「いえ、その……」
視線を逸らし、口元がわずかに緩んでいる。照れと戸惑いが入り混じった反応。
「安心しろ。最初から完璧にやれなんて言わない」
「……でも」
「むしろ、出来ない前提」
「え?」
「出来ないやつが、練習して、失敗して、少しずつ形になる。その方が、人は目を向ける」
ミス・ウェンズデーは、はっとした顔をした。
感情ではなく、“理屈”として腑に落ちてしまったのだろう。
「それにだ。これは表の顔だ。裏の仕事がなくなるわけじゃない。むしろ、目立てば目立つほど、裏は動きやすい」
諜報員の思考回路に、ぴたりと噛み合う言葉。
彼女は唇を噛み、視線を落として考え込む。
「……それって」
「組織にとっても、悪くない」
今度は、冗談を削った声で言った。
俺の言葉に、沈黙で返す。経ったのは、数秒。
長いようで、決定的な時間。
「……その……」
ミス・ウェンズデーが、おずおずと口を開く。
「もし、仮にですよ? 仮に参加するとして……本当に、私で大丈夫なんでしょうか」
不安による確認。
それは、同意の一歩手前。ここまで来たらあとはそっと、そえるだけ。
「大丈夫じゃない」
「大丈夫じゃないんですか!?」
「でも、そういうもんじゃないか?」
「えっ」
「完璧な人も、もちろんかっこいいさ。でも、成長する奴もいた方が、人生って楽しいと思う。それに、後輩ポジションは貴重だぞ」
話はもう、完全に“業務”になっていた。
「……あの、他の方はやると?」
「ミス・バレンタインは説得済みだな。あともう1人は説得中かな」
ミス・バレンタインに話した時は、どうせ断られると思っていた。
だが、意外にも返事はあっさりだった。
「なんでもやる」と言って、本当に“なんでもやるとは思わなかったが。
怪我で無理は出来ないし、やることもないから──というのが本人の言い分だ。前向きなのは大変ありがたい。
「……少し、考えさせてください」
「もちろん」
俺は即答した。
あまりにも即答すぎて、彼女の眉が一瞬だけ揺れた。
「期限は?」
「1分」
「考えさせる気がない!?」
「即断らないってことは、ちょっと惹かれてるんだろ? なら、今決めた方が後悔しない」
「うっ……」
時間を稼ぎ、距離を取る。理性的で、実に彼女らしい“逃げ方”だった。
俺は指を一本立てる。
「安心材料を一つ足す」
「まだ何かあるんですか……」
「歌とダンスは、最低限でいい」
「……は、はぁ」
「立ち位置は“真面目後輩枠”。基本、頷いて、驚いて、ツッコむ」
「それ、普段の私では……?」
「君は嘘が苦手で、ボロが出やすい。下手に作るより、素の方がずっといい」
「うっ……ま、まぁ、役作りが不要なのは、ありがたいですが……」
ミス・ウェンズデーは頭を抱えた。
額に手を当て、深呼吸を一つ。
「……条件があります。私、センターはやりません」
「了解」
「無茶な演出はしません」
「守る」
「任務が最優先です」
「当然」
三つ、きっちり確認してから。
「……それでも」
彼女は小さく息を吐いた。
「それでも、断れない状況を作ったのは、Mr.5ですよね」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めてません」
だが、声に拒絶はもうなかった。
「……仕方ないです」
観念したように肩を落とす。
「参加します。期間限定で」
「ありがとう。助かるよ」
俺は彼女と固い握手を交わした。
──────
ミス・ウェンズデーの説得が終わり、最後のメンバーの元へと向かう。
その子との出会いは偶然だった。
1年前。ベガパンクの元で修行していた時のこと。ベガパンクの研究区画、その隅っこ。
用途不明、動作確認中とだけ書かれた映像電伝虫が、ぽつんと棚の上に置かれていた。
「なんだこれ」
暇つぶし半分でスイッチを入れたのが、運の尽きだった。
映像が揺れ、ノイズが走る。
次の瞬間──音が、流れた。
歌だった。
澄んだ声。力強いわけでも、技巧的なわけでもない。
なのに、胸の奥に、すとんと落ちてくる。
映像は乱れ、音もノイズが多く、聞き取りづらいはずなのに、
それでも、画面の向こうの少女は、確かに“歌って”いた。
──いや。
歌に、縋っていた。
「……」
気づいたら、息を止めていた。
曲が終わり、拍手も、歓声もない。ただ、静かに、シルエットが俯く。
その黒いシルエットの中で唯一見えたのは、その瞳だけ。
知っている。こういう目をした人間を。
生きる理由を、外に探している目だ。
「……会いてぇな」
自覚はあった。完全に、余計なお世話だ。
だが、一度芽生えた衝動は止まらなかった。
──エレジア。
映像電伝虫のデータに残っていた地名だ。