悪魔の実 Sレア   作:もやしモン

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第五話 俺は死なないわ。貯金が死ぬもの。

 

「右肩アウト。左腕アウト。肋骨もアウト。スリーアウトね、チェンジで」

 

「こっちのベンチ、選手いないんだけど!? 交代したくても残機ゼロだよ!!」

 

 診断書を片手に、ミス・バレンタインが呆れたような顔でベッドの俺を見下ろす。

 俺はというと、毛布に顔をうずめながら、せめてもの反抗心で声を張り上げた。

 

「じゃあ試合終了、選手退場で」

 

「やだよ! 俺がいないとこの物語、ギャグ枠ごと消滅すんだぞ!?」

 

「何言ってんの?」

 

「ツッコんだのにその反応!? 裏切られた気分なんだけど!」

 

「……ふふっ、そんだけ大声出せるなら、死ぬことはなさそうね」

 

 窓から差し込む柔らかな光に照らされながら、ミス・バレンタインがふっと笑った。

 その笑みを見た瞬間、心臓がぎゅっと音を立てて縮むのを感じた。

 

「……キュン死にしそう」

 

 無意識に呟いた俺の言葉に、ビクリと反応したのはチョッパーだった。

 

「し、死ぬのか!? い、医者ー!!」

 

 バタバタと走り回ると思ったら、ピタリと止まり「オレだ!」と、慌てて聴診器を構え、ベッドの脇に駆け寄ってくる。

 額には汗、顔は真っ赤。なんなら、ツノまでぷるぷる震えている。

 

「だ、大丈夫か!? 呼吸はある!? 心拍数は、とても早い! マズい、キュンって何の病気なんだ!? 前例が……!」

 

「いや、落ち着け!? これはその……生きる力が溢れてる系のやつだから!」

 

「えっ、どっち!?」

 

「俺にも分からん!!」

 

 騒がしくもどこかあたたかい空気が、病室に広がっていった。

 俺たちがギャーギャーと騒いでいる一方、ミス・バレンタインはその様子を見ながら、口元に手を当てて肩を震わせていた。

 

「キャハハ……もう、バカばっか」

 

 ──その笑顔もまた、どこかあたたかかった。

 

 

 ────

 

 

 あの日から三日。

 ミス・バレンタインから、船で何があったかを聞いた。

 

 脱出は無事に成功し、ハックの指示で近くの島──ここドラム王国にたどり着いたらしい。

 奴隷たちはハックが保護することになったが、問題は気絶している俺。医者を見つけなくてはと困り果てていたところに、たまたま散策していたチョッパーが現れ、治療を引き受けてくれたという事だった。

 

「がーっはっは! ダチを運ぶのはあちしに任せてーん!」

 

 笑いながらも、運ぶときは丁寧に運んでくれたようで、チョッパーも褒めていた。

 あの人は冗談のようでいて、本当に頼れる男だ。

 

「これだけは覚えておいて。友情って奴は付き合った時間とは関係ナッシング!!」

 

 そう言い残し、すぐ別任務に向かったようだった。あっさり別れたのは、また出会えると確信しているのか、それとも旅に別れはつきものということだろうか。どれにせよ、あの人の事だ、また会えるだろう。

 

 ハックも俺が目覚めたのを聞き、島をすぐに離れた。連れ出した奴隷たちを安全な場所へ送り届けるために。

 出発前、電伝虫の番号を教えてくれ、「あとで連絡する」と言ってくれた。

 

「お礼しなきゃな」

 

「ちゃんと治ってからだぞ?」

 

 ベッドのそばでは、チョッパーがチリチリの毛をなびかせながら、メモ帳に何かを記録している。

 多分「突発性キュン死についてだの、鼻から火花が出る患者、再発例」とか、そういうやつだろう。

 

 ちなみに俺の口に突っ込まれてた体温計は2本目。

 1本目はくしゃみの爆風で爆発した。チョッパーの毛もちょっとだけ焦げた。ほんとごめん。

 

 そのとき、扉が勢いよく開いた。

 

 現れたのは、俺の命の恩人──ドクトリーヌことDr.くれは。

 

「ハッピーかい、若造」

 

「幸せですね、推しにあーんしてもらってるので」

 

「しないわよ」

 

 え?

 

「大した奴だよ。もう会話出来るなんてね」

 

 ドクトリーヌが、肘で俺の点滴袋を軽く揺らしながら言うと、チョッパーが先ほど書いていたメモをドクトリーヌへとみせる。

 

「右肩脱臼。左手に刺し傷。左前腕骨折。肋骨にヒビ。体に多数打撲傷。貧血と脱水症。治しがいがあったよ」

 

「あ、鼻水と鼻くそが爆発と追加しといたぞ!」

 

「いらないよ」

 

 あ、ちょっと落ち込んでるチョッパー。

 大事報告だったぞ! 自身持って!

 

「助けてくださりありがとうございました」

 

「別にいいさ。その分たっぷり金を貰えるんだからね」 

 

 生き延びたことを喜ぶには、全身が痛すぎるし、ツッコむには体力が足りなかった。

 

 ──けど、気になることがひとつある。

 

「……ドクトリーヌ」

 

「なんだい?」

 

「治療費って……いくら、くらい……?」

 

「ん?」

 

 ドクトリーヌは、カルテをパタンと閉じて、俺のベッドの足元に移動した。点滴の残量を確認して、それからまるで雑談のように口を開いた。

 

「1億ベリー」

 

「え?」

 

 えっ。

 

「い、いち……億……ベリー……?」

 

「緊急手術、内臓回復、骨接合、薬品、ベッド使用料。破損した体温計1本と、燃えた毛代込みだよ」

 

「体温計も!?」

 

「くしゃみで爆発させる患者なんか、想定してるわけないだろ」

 

 ぐうの音も出ねぇ。

 目の前の現実は、まさに破壊級。俺の心も財布も、残高ゼロの人生も、一撃で吹き飛ばされた。

 

「……ちなみに俺の財布っていくらあったっけ?」

 

「あんた借金あるって言って、会社の給金全部そこに送ってるって言ってたじゃない」

 

 ギギギと、からくり人形のように動かし、ドクトリーヌと目が合う。

 

「……金無いみたいです」

 

「じゃあ、借金追加だね」

 

「嘘だろおい」

 

 絶望顔の俺の隣にやって来たチョッパーが、気まずそうにベッド脇でモジモジしている。

 

「お、俺、ちょっとは薬草で節約したんだけど……」

 

「ありがとう、チョッパー……君は本当にいい奴だ」

 

「いや、そんな褒めても、何もでねぇぞ!」

 

 くねくねと喜びを体で表現しながら、白湯をくれるチョッパーが愛らしく思うが、それで癒せぬ傷もある。

 

 でも、時には諦めも肝心。

 俺は、静かに現実を受け入れた。

 

 そう、これはもう仕方ない。

 

 命が助かったんだ。感謝しなくてはならない。その対価が1億ベリーでも、仕方ないんだ。

 

 治療のダメージよりも、請求書の重みの方が致命傷になりそうだった。

 

 

 ────

 

 

 さらに追い討ちのように、会社からの連絡があった。

 

 ドラムから少し離れた孤島。寒さがまだ身体に残っていたけれど、それよりも胃の冷え方の方がヤバかった。

 

 未だ包帯は取れていないが、自力で歩けるまで回復した俺の元へと届いたのは、ミス・オールサンデーに報告せよという文だった。しかも、直接。

 

 ミス・オールサンデー。

 バロックワークスの幹部であり、ボスの右腕。

 

 古文書、奪えてねぇ。

 てか、偽物だったんだよ!?

 俺の手元にあるの、正直言って100均レベルのレプリカだぞ!?

 

 これ実は本物でしたー!ってオチに期待するしかねぇじゃん。

 

「ほら、行くわよ」

 

 ミス・バレンタインに連れられ、港に佇む一隻の船。その上に立つシルエット。

 

 長く艶やかな黒髪。

 ゆっくりと振り向く、整いすぎた横顔。

 深く刻まれた睫毛の影。黒曜石のような瞳。

 艶やかでどこか冷たい美貌と、仄かな威圧感。

 

「……来たのね」

 

 その声に、背筋が凍る。死んだ……これはもう死んだやつ。

 社長の右腕。ミス・オールサンデー。その瞳に、まだ笑みは浮かんでいなかった。

 船の甲板の上、空気が変わった。あの人が微笑んだ瞬間、空気が冷えたのか、俺の血が冷えたのか、もうわかんねぇ。

 

「それで?」

 

「ッ……!?」

 

 その一言で、体の震えが止まる。下手な真似をしたら、殺されると思ったから。下手な小細工はしない。ありのまま言うしかない。

 

「え、えっと……じ、実はですね……!」

 

 喉がカラッカラ。今、爆発能力があったとしても、汗すら燃やせねぇレベルの乾きっぷりだ。

 

「目的の古文書ですが……偽物でした。こちらがオークションに出品されていたものです……奴らは、客目当てにオークションを開催した奴です。奴隷たちは本物でしたが、物は全て偽物だと」

 

 オールサンデーは黙ったまま、ゆっくり髪を撫でる。一挙手一投足全てが何かが起こる前触れに見えて仕方ない。

 

 やばいやばいやばいやばい。

 なぜ何も言わない!? 今すぐ「死にたい?」とか言ってくれた方がまだマシなんだが!?

 

「海軍や政府関係者に見られては?」

 

「な、ないです。船も変えて、ドラム王国の医療拠点に逃げ込んで……そ、そこで借金が増えまして」

 

「ふふっ」

 

 ……え、今の、死神の笑み? それとも“命をとるのは後にしてやる”系の慈悲の微笑み!?

 

「あなた、失敗したと言ってたけど」

 

「ひゃい」

 

「本物と偽物の入れ替えに気づいて、それを報告できた。それだけでも価値はあるわ」

 

「……へ?」

 

「報告とは、命令を完了するだけじゃない。“ズレ”を伝えるのが大事なの」

 

「……あ、あの、それってつまり?」

 

「そもそも、あなたは勘違いしているわ。今回の任務を」

 

 話が何一つ入ってこない俺を見かねて、隣にいるミス・バレンタインが声をかけてくれた。

 

「あんたね、今回の任務の概要わかってる?」

 

「え? 黄金の古文書を入手するだろ?」

 

「正確には、黄金の古文書の()()()()()()()()に、入手するよ。あんたが持ってきた偽物で任務は達成しているの。問題はないわ」

 

「早く言って!?」

 

「あんたが、チョコレートフォンデュに夢中で、私の話をちゃんと聞いてなかったんでしょうが!!」

 

「そうでした……じゃあ、なんで俺たちをわざわざ」

 

「久しく会ってなかったからあなた達の状態を確認するのと、今回の任務で負った傷。それについての治療費をこちらから少し負担するためにね」

 

「え!? 本当ですか!?」

 

「オフィサーエージェントにはそれだけ価値があるの。それと、今回の報酬もあるから」

 

「ふ、副社長ーーー!!!」

 

 マジで神!! もうこの会社しか勝たん! バロックワークスバンザイ!! …………いや、そもそもこの会社で働かなければこんな苦労も無かったのでは?

 

「額は?」

 

「あー……1億なんですけど」

 

「なら、3千万ベリーは保証するわ」

 

 前言撤回。命をかける価値有り。社長、あなたについていきます。

 

 

 ────

 

 ──翌朝。

 

 俺は、人生で三本の指に入るくらい嫌な音で目を覚ました。

 

 カチ、カチ、カチ。

 

 秒針の音。

 規則正しく、逃げ場なく、命を刻む音。

 

「……起きてるね」

 

 声と同時に、影が落ちた。

 

 視界に入ったのは、見慣れた白衣と、見慣れすぎた鋭い眼光。

 ドクトリーヌが、腕を組んで立っていた。

 

「は、はい」

 

「なら、働けるね」

 

「飛躍がすごいな!?」

 

 起きてる=労働可能、の理屈があまりにも雑すぎる。

 

「心配しなくていい。重労働はさせないよ」

 

 にやり、と口角が上がる。

 こういう顔する奴の命令は、ろくなことがない。野球部だった時もそうだったが、先輩の命令は絶対の縦社会。顧問が入らない環境はクソの一言だったぜ。

 

「今日は、薬草の仕分けと、帳簿整理。それから――」

 

 指を折りながら、淡々と告げられる予定表。

 

「診療所の掃除。雪かき。薬の調合補助。あと、チョッパーの実験台」

 

「まだ怪我人なんですが?」

 

「だからちょうど良いんだよ。さっさと、働け」

 

 俺は天井を仰いだ。

 

 ────

 

 こうして、無事任務連絡を終えた俺たちは、ドラムへと帰還。副社長は治療期間も必要だろうと、次の任務まで時間をいつもより伸ばしてくれた。頭上がりません。

 ミス・バレンタインは、給料も入ったし、バカンスでもと別の島へと向かった。俺はと言うと────

 

「というわけで、金がねぇんだけど、何かいいバイト無いか? ハック」

 

「……何が"というわけ"なんだ?」

 

 場所は、ドラム王国。

 見舞いに来てくれたハックへとお礼も兼ねて、俺の手料理を振る舞っていた。診療所の厨房を借りて、今回は、クリームシチュー。寒い日にはシチューだろ。周りに人はいない。というより、いさせたくなかった。

 

「借金返せないので、何か私めに出来ることはございませんでしょうか!!」

 

 ザ・土下座。圧倒的黄金比。誰にも見られたくポーズを雪に体を埋もれながらも、姿勢は崩さず、冷たさすらも誠意に変えて行う。

 

「男が簡単に頭を下げるな……何故そんな借金なんか」

 

「ドクトリーヌにな、命を助けられた代わりに、命をかけて返さなきゃいけない額を請求されまして」

 

「命が助かってるのに命をかけるのか……?」

 

「額は1億だからな」

 

「……億?」

 

「でも、会社が3割負担してくれて、それでも7千万ベリーだけど」

 

「それで、雪国でバイトをしたと……?」

 

「そう、マジで。雪かきとか、老人介護とか、もう何でもやる勢い」

 

 ハックはひとつ、ため息をついたあとで腕を組んだ。

 

「……とりあえず、もう少し詳しく聞かせてくれ」

 

 俺は、土下座を解除しもう一度座ると、指を折って数えた。

 

「まず最初にやったのが、“雪像の設営”。あれな、見た目より重労働なんだ。スコップで雪を掘って、型枠に詰めたり、警備したり」

 

「報酬は?」

 

「このあったかいコート。カイロ10枚と、ホットミルク」

 

「……次」

 

「“かまくらの安全点検”。中で火を使ってる家族がいたから、爆発しないよう空気の通りを確認。報酬は干しリンゴと空き小屋。寝るくらいならいける」

 

「一応の住まいは確保しているのか。次は?」

 

「“トナカイの代役”」

 

「トナカイ……?」

 

「そっくりな動物が風邪ひいて、代わりに俺がソリ引いた。地元の子どもたち大喜びだったよ。『おっさん! 走れー!』とか叫んでな!」

 

「……それは、なんだ。君が四つ足で──?」

 

「まあ、その話はやめよう。報酬は飴玉と雪玉の直撃だった。痛かった」

 

 ドクトリーヌの所でチョッパーっと競ってみたが、流石本職。余裕で負けた。楽しそうだったし、良し。

 

「大道芸もやった。鼻くそ飛ばして即席花火やったら、めちゃくちゃウケたよ。報酬で、薪ストーブもらった」

 

「……で、いくら稼いだ?」

 

「家抜きで、合計『1805ベリー』くらい?」

 

「桁が違いすぎる」

 

「ちがうんだ、ハック。俺はがんばった。全力だった。でもな、全力って、金にならねぇんだよ……この国、善意で回ってんの……!」

 

 ポケットの飴玉がカランと鳴る。

 子供にもらった優しさすら、胸に沁みる。

 

 家がない俺に、色々優しくしてくれた方から「現金で1万くらい寄越せ」なんて言え無いだろ!

 おばあちゃんなんか、「いなくなった息子にそっくりでねぇ」なんていって、ホットミルクくれて。泣きそうだったわ。

 

「俺……このまま“借金系主人公”になんのかな……」

 

「ならん」

 

「え?」

 

「このままでは、というだけだ。努力は否定しない。ただ──金になる努力を選べ。パートナーのために命をかけられるお前なら出来る」

 

 驚いた。こんなに真っ直ぐに俺のことを見てくれているとは思ってもみなかった。罪悪感とかじゃ無い。純粋に俺を見て、評価をしてくれている。

 言葉に出してくれるだけで、心から安心出来る。信頼出来ると、そう思える。

 

「……嗚呼、やってみる」

 

「よし。やはり、それほどの大金を普通に得るのは途方のない時間がかかる。ならば、賞金稼ぎになるしかあるまい」

 

 賞金稼ぎか。確か、バロックワークスのフロンティアエージェントが稼いでいたと聞いたことがある。ウイスキーピークだったか。やはり、この世界は殺伐としているな。

 

「でも今の俺の実力じゃ、返り討ちだよな……」

 

「そうだ。だから、私が鍛える」

 

「え?」

 

「常にそばにはおれんが、しばらくこの近辺に滞在している。様子は見に来られる」

 

「本当か!? 」

 

「元はといえば、私の勘違いから始まった話だ。これでも魚人空手100段のハック。申し分あるまい」

 

「ありがとうございます!!」

 

 ────

 

 その日から、ハックによる修行が始まった。

 

「まずは飯だ。筋力をつけるには、吐いたものも食べるくらいの勢いで食え」

 

「おっす!!」

 

 目の前に並ぶのは、タンパク質の塊と炭水化物の山。

 冷えた体を支えるために、食べるしかなかった。俺は箸を握り、無心でかき込む。

 

「相手にダメージを与える拳の打ち方とはなんだと思う?」

 

「もぐっ!…っ普通に……強く殴るじゃダメなのか?」

 

「間違ってはいない。だが、ただ普通に殴るでは限界がある」

 

「そうなのか?」

 

「ならば、お主。座った状態で殴るのと、立った状態で殴るの。どちらが強いパンチを打てる?」

 

 実際にやってみると、明らかに立ってパンチを打った方が威力が強かった。座った方はパンチは短く、力が明らかに拳の先に伝わっていない感じ。

 

「立った方だった」

 

「それは何故だ?」

 

「立ってたら前に出ながら殴れるけど、座ってたらムリだから?」

 

「良いぞ。パンチというのは、足、腰、肩、そして、腕へと力を増幅して打つもの。座りながらでは、腕のみの力しか伝わっていないのだ。故に、鍛えるべきは──踏み込みだ」

 

「踏み込み?」

 

「後ろ足を蹴る。そして、前足で地面を強く踏み込む。そうすれば、前に向かうエネルギーが腰、背中を通り、拳へと集約される。流れるように、迷いなく、最短で」

 

「……つまり、その流れを体で覚えると」

 

「そうだ。魚人空手を貴様には覚えてもらうぞ」

 

「反復練習ね、うっす!」

 

 ハックはスッと立ち上がり、構えを取った。

 背筋が伸び、無駄のない所作。身体の中心に一本、芯が通っていた。

 

「魚人空手は、“水の流れ”を読む技だ。お前の爆発とは真逆の性質だが……逆だからこそ得られるものがある」

 

「つまり、苦手克服の時間ってわけか」

 

「そうだ。構えろ」

 

 俺は彼の構えを真似た。

 左足を前に出し、腰を落とし、両手を構える。

 

「魚人空手は、水を通して衝撃を伝える。だが水は海だけに流れてるわけじゃない。地面にも、大気にも、血潮にもある」

 

 言いながら、ハックが拳を引き、重く、しかし無駄のない動きで空を撃った。

 

 ──ドゥンッ。

 

 地面が脈打つように鳴り、足元の砂が跳ねた。

 

「……っ、今のが流れ?」

 

「“流れ”を捉え、打つ。それが基本だ。力で押すのではなく、力の導線を整える。爆発で流れを起こすのではなく、流れの中で爆発を起こせ」

 

 “導線”。

 

 そうだ。俺の爆発は、いつも一瞬のエネルギーを叩きつける“破裂”。

 

 でもハックの拳は、“線”になってる。

 一撃なのに、動きに“流れ”がある。

 

「じゃあ、俺の爆発も……“流れに沿わせれば”安定する?」

 

「おそらくな。制御が難しいなら、まず“爆発しないこと”から覚えろ」

 

「それって、“爆発人間”として根幹から揺らがない……?」

 

「黙って呼吸しろ」

 

「すぅ……はぁ……」

 

 基礎は地味。野球部をやってた時から知っている。だから、全然耐えられる。苦じゃない。むしろ、新しいことを出来て楽しいまである。

 

 “力を溜めて、爆破する”だけじゃない。

 “力を流して、通す”。

 

 イメージはある。右足を後ろに引き、左足を軸に据える。肩の力を抜き、腰を回すイメージで後ろ足を地面に踏みつけ──

 

「……はっ!」

 

 振り抜いた拳は、確かに“点”ではなかった。

 足から腰、背中、肩、肘、そして拳へ。

 導線が繋がり、衝撃が“線”として流れた感覚。

 

 地面が、ドゥン、と震えた。

 ハックには遠く及ばない。だが、確かに砂がふわりと浮いた。

 

「っ──!!」

 

 俺自身が一番驚いた。

 それは、今までのどれとも違う“感覚”だった。

 

「……今のは……」

 

 呆けたようにハックが呟く。

 その表情には、僅かに目を見張るような驚きと、深く唸るような静かな感嘆があった。

 

「……お主、格闘技の経験が?」

 

「いや、俺、野球部だったし」

 

 驚きつつ、拳を見つめながら、じわじわと込み上げてくるものがあった。これは間違いなく、俺の中の“何か”が変わった証拠だ。

 

「驚いたな……。まさか初見でここまでやるとは……」

 

 ハックが腕を組み、背筋を伸ばしたまま、しばらく俺を見下ろしていたが──

 

 やがて、ふっと微笑んだ。

 

「才能があるというより、“ちゃんと向き合ってる”んだな、お前は」

 

「もう彼女の影に隠れるのは嫌なんで」

 

「……お前に教えたくなった理由が、少しだけ分かった気がする」

 

 ハックがふと、そう呟いた。

 

「……俺、何かしたっけ?」

 

「“誰かを守りたい”って言ってた。そういう奴は、強くなれる」

 

「へへっ、じゃあ、期待に応えますよ。師匠」

 

「師匠はやめろ。こそばゆい」

 

 拳はまだ重く、体も不器用なままだ。

 

 でも──俺は、爆発だけじゃない力を今、手に入れようとしている。 

 

 いつもの筋トレとは違う。

 いつもが“足し算”なら、今は“かけ算”。それも、未知数×未知数だ。

 

 俺は──変わっていける。

 

 

 そして、今のことで確信した。

 

 

 俺の向き合うべきことが──

 

 

 

 

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