「――では、よい聖杯戦争を」
深々とお辞儀をし、一人の魔術師が邸宅を去っていった。
魔術師は外来からの魔術師、此度の聖杯戦争の参加者である。
「あぁ、健闘を祈っているよ」
それを見送る、初老程度の男性が一人。
彼もまた、魔術師である。
この土地のセカンドオーナーを務め、彼もまた、聖杯戦争に関わる者の一人であった。
恰幅のよく、身なりも整っていることから、それ相応の家柄を有することが解る。
しかし、男はその醜悪な顔を歪め、如何にも侮蔑の混じった顔で毒づく。
「……まったく、才を鼻にかけた若造だ。所作の全てに無礼が染みている。それも全く意識すらしていないのだろうな」
男は踵を返し、邸宅の中を歩きながら、先ほどの青年を想起する。
魔術師の元を訪れた青年は若くして時計塔で名を馳せる秀才魔術師である。
かの“魔法使い一歩手前”とされた魔術師には及ばずとも、現代においては名のある魔術師の一人である。
――男からしてみれば、それは面白く無い。
実に面白く無いのだ、これが。
とりわけ、男には魔術師としての才能がなかった。
別に魔術刻印に限界が来ているわけでもない、ただ単純に、“たまたま”彼は才能を有さなかったのだ。
一種の個人差である。
とはいえ、本家長子ということもあってか、彼は家督を継ぎ、セカンドオーナーの地位に付いている。
しかし、この地に大きな霊脈は無く、たまたまここ数年は魔力も潤沢であるが、それだけだ。
日本の辺鄙な一都市のセカンドオーナーにしかなれなかった男は、自身以上の才を持つ者に非常に大きな劣等感を抱くのである。
「何が、魂食いは許せない、だ。そんなもの、放っておけばいい。最悪、問題に見た偽善者《バカ》が勝手に何とかするだろう。討伐の際には礼装でも渡せばいいのか? 勝手に持っていけ、それで恩が返せるならな」
――まったくもって恩着せがましい、と男は憤慨する。
青年は魔術師として実にまっとうであった。
また、実に謙虚であり、自分の立場を鼻にかけることもしない。
それが、とにかく男の癪に障る。
「あのような男が、こちらに対して敵意がないといった所で信用できるものか。ふん、まぁ、今この場で切りかからなかったことくらいは褒めてやろう」
男はセカンドオーナーである。
少なくとも、霊脈の最も大きい場所を陣取っているのだ。
これに踏み込もうという者はいないだろう。
――さて、と男は歩行の速度を上げた。
目指す場所に迷いはない。
この家の一室、使用人が暮らす離れに近い場所だ。
とはいえ、その使用人達は聖杯戦争開始直前であるために、今は邸宅を離れているのだが。
別に親切心ではない、誘拐され、この邸宅の情報を抜かれることを防ぐためだ。
かくして、そこにたどり着く。
そこは他の一室よりも、幾分装飾が豪奢であった。
元々この邸宅は男の商才――男は魔術師としての才能が壊滅的である代わりに、類まれなる商才に恵まれた――による財故か、言ってしまえば成金趣味の調度品が多い。
そこはその頂点と言ってよいほどの過多な華美が施されている。
それもこれも、この場所は“商談”にも使われるためだ。
男は何の了解も得ること無く、その場に立ち入る。
中に人の気配があるが、それは男の既知たるところだ、気にすることはない。
――中では、一人の少女が待ち受けていた。
とにかく派手な部屋の修飾の中でも、ひときわ豪華な天蓋付きのベッドに、まるで人形のように腰掛けている。
年齢は十二かそこら。
顔立ちは日本人のものだが、髪はシルバーブロンドである。
異様なほど丁寧に手入れされたそれは、人を吸い寄せるかのように、妖しく光る。
微動だにせず、中に入ってきた男を見とめると、
「――いかがいたしましたか」
と、あまりに機械的で抑揚のない声で問いかける。
――その瞳に、光はなかった。
男はわざとらしく、ふんと鼻を鳴らし侮蔑の視線を向ける。
「鼻につく娘だ。不快だな、今すぐ湯を浴びてこい」
「かしこまりました」
「くれぐれも本邸の風呂を使うな、離の使用人用の物を使うのだ。貴様のような娘の入った風呂など反吐が出る」
「かしこまりました」
言われてすぐに、少女は立ち上がり、パタパタと出入口へ急ぐ。
歩いてなどはいられない、どんな叱責が飛ぶかわかったものではないのだ。
――少なくとも、少女が唯一人間らしい所作をするとすれば、それだろう。
それが表情ともなれば、もっとそれらしいタイミングがあるのだが。
今は凍りついたような無表情である。
下手な笑みで媚を売るよりも、その方が滑稽であると、男は考えている。
「失礼致します」
そう告げると、少女はその場を退出した。
周囲に気配はなく、静寂が部屋の内へ満ちる。
「……クク、クク」
男は先程の少女の姿を思い出し、実に愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
「あぁ、愉快、愉快極まりない。あの娘の表情、私の言葉に何一つの反抗もない。――あれは、実に“いい”」
男の言葉は、下卑に満ちたものである。
――しかし同時に、それ以外の意味をも持つ。
もはやそれは、男が女に向けるような、一種の劣情とも言え――――
「……“主人”、少しよろしいか」
そこに、一人の女性が煙のない所から現れる。
気配は感じられなかった。
――無理もない、男は気分を害されたとばかりに女性へ向けて視線を向ける。
「――何用だ、“アサシン”」
女性――彼女はアサシンである。
簡素ではあるが、しっかりとした生地のドレス。
恐らくは、西欧の出であろうサーヴァント。
無論、男はその真名を把握しているが、ともかく。
「何用、などと、とぼけたことを言いなさる」
芝居がかった、独特な口調でアサシンは言う。
――実に癪に障る。
聞き用によっては、それは聞くものを惹きつける話術の撓ものであることが知れるだろう。
しかし、男からしてみれば、そのような理知的な言論は、実に妬ましいものである。
男もまた、天才的な商才を有する身である。
とはいえ、それは例えば機運の見極めだとか、駆け引きの巧みさによるものだ。
彼に、アサシンのような人を惹きつけるカリスマに近い話術は存在しない。
「“マスター”に対する外道――それすら劣る畜生の如き所業。見逃すにはあまりに下劣が過ぎる」
「ふん、アレは私のモノだ。どうした所で貴様の関与するところではあるまい」
――アサシンが活躍した時代、愛人や娼婦といった類は、今以上に当然の存在であったはずだ。
それ自体は、別にアサシンも否定はしない。
「あぁそうだろうとも。“主人”は豪商の類だ、女を囲うのもさしておかしな話ではないだろう。使用人に手を出した程度ならば、私も知る所ではない、だがな――“マスター”は」
――アサシンは、あの少女を“マスター”と呼ぶ。
対して、男へは“主人”という呼称を使う。
従者アサシンの契約上の主人はあの少女なのだ。
――“主人”という男への呼び方は、言ってしまえば契約者の上司であるから、そういった呼び方をしているのである。
アサシンは続ける。
男はそれを、実に楽しそうに聞いていた。
「――マスターは、貴方の“娘”なのだぞ」
男、実に外道である。
それは彼の感性にも言えるが、何よりもそれが決定的かつ邪悪であるのは、この点だ。
男には娘がいる。
正式な娘ではない、海外のある女性を“乱暴”した際に、偶然生まれたというだけだ。
それを男は引取――魔術師としての才能をこの少女に見出した。
その胸中は非常に複雑である。
少女は、男が“飼う”ために連れてきたのだ。
ついでに魔術刻印を引き継がせ、更に次の代につなげる、そのための道具という認識であった。
しかし、少女は実に優秀であったのだ。
魔力回路の本数は実に数百に及び、その質もトップクラスである。
これを愉快に思えるほど、男は悪党ではなかった。
男は少女を“人形”に変えることにした。
そしてその“味”は、実に極上であった。
自身の手の中で賞味されるそれは、男に至福の快楽を与えた。
「あぁ、まったくもって怖気が走るな。これが単なる童女趣味であれば救われただろうよ、貴様は単なる気狂いで済んだだろうよ」
「……」
男は何もこたえなかった。
それをアサシンがさせなかったのだ。
「しかし、貴方はそれを逸脱している。自分の血が流れている娘を、単なる道具として手篭めにするなど、それはもはや畜生、人ですらないな」
「貴様……」
男の感情が、実に解りやすいど怒りにぶれる。
もはや男には正気と呼べる理性すらあるまい。
――それを征するように、アサシンは続ける。
「おっと、良いのか? 確かにマスターは主人の命令ならば聞くだろう。マスターに命令し私に自害しろと、そう命令することも可能だろう」
――だが、それよりも早く、アサシンが男の首を刈り取ることも、また可能なのだ。
「――――ッッッッッ1」
男の顔が、解りやすいほど憤怒にまみれた。
それをしないのは、マスターである少女が、男を拠り所としてしまっているからだろう。
最悪なことに、少女はこの男がいなければ精神が崩壊してしまうよう、“調整”されている。
この男の実に不出来な点は、それを魔術に頼ってしまう点だろう。
自分自身の手で精神を破壊することができなかったのだ。
「……先ほどの魔術師、あれに襲撃をかけろ」
男は、アサシンに向けて、そう命じる。
アサシンの顔を一秒でも見ているのが我慢ならない。
加えて、コレ事態は別に何ら問題はない。
「情報を集める程度でよい、いいな?」
「否はない。それが私の運用法だからな」
アサシンもその命令に応じた。
ここで拒否しても、その後本来のマスターである少女から、改めて命令がくだされるだけ。
つまり、そんな面倒なこと、アサシンもゴメンだ。
加えて言えば、この選択、アサシンとしても間違いではない、という判断だ。
「――それで、“どちら”だ?」
「“槍”だ。態々本来の得物を晒す意図は薄い、精々勘違いさせてやれ」
「承知した」
部屋の外へ歩き出し、同時。
――瞬間、アサシンは驚くべきことをする。
彼女――アサシンは女性である。
――はずだ。
しかし、
――そこにいたのは、まさしく槍を手に持つ男性であった。
男装などでは断じて無い。
完全に、“男性となっていた”のである。
そしてその数瞬後、アサシン――改、“ランサー”はその場を飛び出した。
狙うは先ほど互いに情報が出揃うまでの“停戦”を誓い合った魔術師である。
――アサシン。
その者は無性である。
それを操るは人形の少女と、その父たる外道の男。
この街を管理する、セカンドオーナーの陣営である。
♪
『――だから、どうかあの人を救って下さい。これは私の個人的な我儘です。それでも、どうか』
――手紙には、そう結ばれていた。
男――赤紫羅弓弦は嘆息する。
手紙は長野のある退魔師一族の当主から送られてきたものだ。
この一族とは、瀬場がきちんとセカンドオーナーを担っていた頃からの付き合いだ。
正確には朝海へ向けて送られてきたものだが、そのまま弓弦に流されてきた。
「余計なもの……とは言わないが、随分なものを背負わせてきたな、朝海嬢」
無責任なことに、魔力不足を補うための礼装が同封されていた。
後は全部任せた、という朝海の言外の言葉が、それには込められているような気がしてならない。
手紙にはこう書かれている。
二年ほど前から保護していた混血の男性が反転してしまい、そのまま逃亡してしまった。
その後は周囲の人間に敵対的な種族を遅いながら、現在は今回の聖杯戦争開催地に潜伏しているらしい。
「ほぼ間違いなく、この聖杯戦争には参加してンだろォな。……察するに、信州戸隠の九頭竜が原型か。ってーと――キャスターとして召喚されるならともかく、バーサーカーとなるとなぁ」
思いを馳せるのは、この聖杯戦争を騒がすことになるであろう、鬼の存在。
――コレを何とかするのも、弓弦の仕事となりそうだ。
「――何を悩んでいるのだ、マ……赤紫羅弓弦」
その横から、中性的な声音が飛び込んでくる。
――アーチャー、真名をヘズ、正確にはそれと同一視される神代の英霊ホテルスである。
一瞬マスター、と呼びかけたものの、本人としては非常に複雑な心境なのだろう。
即座に本名へと呼び変えた。
アーチャーに、前回の聖杯戦争の記憶はない。
しかし、記録はある。
記録の中において、アーチャーが最も複雑な感情を覚えた相手。
客観的な視点においても、かなり微妙な感情を覚えるようだ。
「この聖杯戦争のことについてだよ。情報を集める限り、この戦争も大概濃いからな」
「……ふむ、今のところ出揃っているのは、我らを含めて三騎、か?」
「ほぼ四騎さね。バーサーカー、だろうなぁ。キャスターなんて生温いことにはならんか」
そう言って、やれやれと肩をすくめる。
――そんな弓弦の手にあった手紙を、アーチャーが覗きこんでくる。
「あ、おい」
「なんだこれは、……手紙か?」
「朝海――キャスターのマスターが寄越したもんだ」
キャスター――一年前の聖杯戦争のキャスターだ。
そのマスターの物とみて、アーチャーは中身を検分する。
弓弦はそれを止めようとするが、むしろ見せたほうがいいかと、すぐにやめた。
言っても聞くようなタイプではない。
目の見えず、こういった物を読み取ることができないアーチャーに、軽く弓弦は語って聞かせる。
「今から数日前のこと、この街に“反転した混血”……まぁ、要するにやばいバケモノみたいなもんがやってきて、潜伏しているそうだ。それを捕獲、もしくは排除しろ――と」
言いながら、アーチャーの様子を伺う。
とはいえ、特に反応は見られない。
どうやら情報を処理しかねているらしい。
無理もない、混血なんてものをアーチャーはよく知らないのだし、バケモノ、とはいっても、そのバケモノに対し、義憤を燃やすべきかはまだわからない、というのが実際だ。
――他人ごとと聞いてはいないだろう。
なんだかんだ言って、アーチャーはお人好しだ。
他者が被害を被るなら、それを止めようと思うのが彼/彼女である。
「ただ、少し面倒なのが、これがある退魔師一族の依頼だってことだな」
「退魔師……」
「魔術師とはまた違う――それほど違うものでもないが――術法を操る一族だな。で、これが厄介な所で――その混血、最後に確認された時、手に令呪が浮かんでいたそうだ」
「……聖杯戦争の参加者となるのか」
――つまり、斃すべき敵。
それがハッキリした時点で、アーチャーの意識は、一度固まった。
「――ただし」
けれども、それに水を指すような弓弦。
実に抑揚の在る、引きつけられるテンポであった。
自分の言葉が、相手に与える影響を彼は非常によく理解しているのだ。
「その混血には家族がない、同類すらも全て絶えた。この世でただ一人となってしまった生き残りなんだ」
「…………」
「不幸に自分以外の全てを呑まれた。そしてそこを退魔師一族に拾われたのだ。別に魔を滅するだけが仕事ではないし、当主が文字通り“若かった”からな」
「……そうか」
アーチャーは、それだけで大凡の想像がついたのだろう。
そしてそれは間違いなく真実だ。
ひとりきりになってしまったひとでなし。
それに対し、当主である少女――瀬場朝海と同年齢だ、そして、朝海のように、頑固なまでの意思を確立することは、その少女には難しい。
経験不足、というのが大きいだろう。
「せめてもの救いは、あの退魔師一族が、心の底から善良であること。――当主の個人的な願いを、敢えて見逃す程度には、な」
「……マスターというのも、いろいろあるのだな」
「まぁ、そォだな」
同意はする。
アーチャーには馴染みが無いだろう。
前回の聖杯戦争、背景はどうあれ、参加者は全員、魔術師であった。
参加者というくくりだけで見れば驚くほど全うな聖杯戦争である。
それが普通なのだろうが――七人ものマスターを無作為に選ぶ時、魔術師だけが選ばれないこともある。
魔力を持った一般人、そういう人間も、候補には選ばれる。
そういうことだって無いことは無いのだから。
「他のマスターも、きな臭いといえばきな臭い。この街のセカンドオーナーはその典型だし、あのライダーのマスターも異様なほど経歴が“魔術師然”としすぎている。もう少し個性というものはないのか、個性というものは」
「いや、後者はどうだろうな。……そういうものか?」
「個人的な考えだが、こういう奴はいろいろ腹に抱え込んでるもンだ。ま、それに踏み込むのは俺の仕事じゃネーがな」
――それに、と。
「この街にはあの人もいる……か」
「――あの人?」
「そのうち会うことも在るだろうさ。今は気にしなくてもいい」
言って、弓弦は思索にふけり始める。
――何となく、これ以上の会話は期待できない気がした。
アーチャーが霊体化し、その場から消え去ると。
そこには、静寂のみが残っていた。
・無性とかいうわかりやすすぎるヒントの西欧アサシン。
・既に名前出てるアーチャー。
アサシンのマスターの親父(対外的なアサシンのマスター)の畜生っぷりは個人的に気に入ってます。
もし本編があればどんな悲惨な目に合わせてやろうか。