ルッキズム・サイコロジズム 作:クリオネの姿焼き
この世界は変だ、と漠然とそんなことを思う。
魔法も魔術も何もなくて。精霊も妖怪も存在しなくて。およそ全ての事象には原因があって、式が存在する。
なのに。たった1つだけ。誰にも説明できない現象が、誰の身体にも宿っているのだから。
「やっぱりさ、
「そりゃそうだろ。世界で一番美しい顔ランキングの常連だぞ。ここ3年は不動のトップ。黄金比が歩いてるようなもんだ」
二人の男子高校生――山本と森田が小声で話すのは、この2-Aの教室へと足を踏み入れた少女のこと。名を、
顔が小さいとか、鼻が高いとか、肌が綺麗とか、髪が艶やかだとか、出る所は出て引っ込む所は引っ込んだモデル体型だとか……そんなことは当たり前。
すれ違えば10人中10人が振り返る……のも軽く超えて。彼女が歩く先に10人の人間がいれば、100人の人間が彼女を見るために集まる。あらゆる美辞麗句、辞書の中のあらゆる称賛の言葉が彼女の前では掻き消されてしまう。そういう存在こそが彼女。
身長、体型、顔、髪、声、歩き方――或いは雰囲気などというものまで。彼女を構成する全てが完全にして完璧、黄金の数式の上に成り立っている。彼女は正しく“美しさ”という
「歩く黄金比は草。……でもさ、それって要するに世界で一番性格ブスってことだろ?」
「性格ブスなんてもんじゃねぇよ。ランキング上位なんて要するに犯罪者だから。俺はあの噂も本当だと思うぜ」
そんな彼女を目で追いながら、二人の男子生徒――山本と森田が小声で話す内容は、決して彼女の美しさに対する僻みや妬み嫉みの類ではない。
心根の美しさと、容姿の美しさ。それらが明確な反比例関係にあることは、誰が証明するでもなく誰もが知っている。眠るときは目を閉じるとか、そういう当たり前。わざわざ先生に教わるでもなく、生きていく中で自然と身につけていることだった。
つまり。
名実ともに“世界で一番美しい”顔の少女である美久月は、同時に、世界で一番醜く汚らわしい心根の少女なのである。
「あー、ダース単位で人殺してるって話か。両親も殺したとか聞いたけど。あれマジなん?」
「証拠はないみたいだけどな。でも、あいつの周辺で不審死が相次いでるのは事実なんだぜ」
山本と森田だけではなく、教室中、あるいは廊下も含めて、誰も彼もが似たり寄ったりな会話をしていた。だから、きっと、間違いなく、それらの声は美久月の耳にも聞こえている。
しかし彼女は、一切の抗弁をしなかった。立ち止まることも、ましてや涙を流すことも無かった。彼女は唯、一瞬、ちらと流し目で周囲を見やる。それだけだった。その一瞥だけで十分だった。眼差しに見惚れて、誰もが言葉を失ってしまったのだから。
そのまま、まるでランウェイを歩くように。美久月がモデル顔負けのウォーキングで颯爽と進む先は、教室の前方。教卓の真正面――学生たちの座りたくない席ランキング堂々の第一位の座席。
自分の座席へと座る――ためではない。そもそも彼女の座席は教室の一番後ろの窓際席。座りたい席ランキング殿堂入りの座席を、彼女は強引な手段で獲得していた。
ならば何故、彼女は自分の座席ではない場所へと向かうのか――決まっている。その席に座る少女へと用があるからに他ならない。
彼女は真っ直ぐ進むと、目当ての人物へと向けて、その美しい口を開いた。
「あら
「……申し訳ございません、美里さん。一身上の都合で、学校から特例として認めてもらっています」
応じる少女の名は、
誰も座りたがらない席へ、“それならば”と自ら進んで座るような心優しい少女。
この、僕のもう一人の幼馴染は、常に“この世で最も醜い”とされる顔をパンダの
恥ずかしいから――ではない。
逃げているから――でもない。
唯――自分の顔を見た誰かが不快な思いを抱くことが無いように。
そう考える、少女だった。
「ふーん。特例、そう……。でも大丈夫よ、私はちっとも気にしないから」
すると。
美久月は嗜虐の悪意を一杯に浮かべて。
それでも美しすぎる顔のままで。
お面へと手をかけ、そのまま剥ぎ取る――
「やめろよ」
――寸前、僕は美久月の手を押さえつける。
彼女が優子の所へ向かって歩いていくのを見て、こういう事態になることは予測できていたから。保育園の頃からの付き合いの僕たちの間には、こういう、どうしようもなく嫌な信頼があった。
「ありがとうございます、
「いいよ、気にしないで」
「……相変わらず格好いいじゃん、
「美久月。今さら君に何か言うつもりはないけど、少しは大人になりなよ。人は容姿が全てじゃない。美しいからって何しても許されるわけじゃないぞ」
優子と美久月。二人を引き離すように間に割り込み、美久月へと相対する。
相も変わらず至近距離から見ると尚一層美しい少女は、僕の言葉に――身の毛もよだつほど美しく――笑った。
「確かに容姿が全てじゃないわ。でも、とっても大切。違う?」
「……それは」
「容姿で採用される職業って沢山あるでしょう? 顔が良ければお金が稼げるわ。私ほどの美しさがあれば生活に不自由することなんてない。恋愛だって上手くいく」
「必ずしも、そうとは限らないだろ。例えば顔採用だって、生まれつきの容姿じゃなくて……」
「じゃあ聞くけど、光」
少しでも理論立てて説明しようとするのは、多分、僕自身が彼女の言い分をどこかで認めていたからだ。
だから――
「貴方、その子の顔で勃つの?」
――遮って発せられた彼女の直球の言葉に、僕の思考は一瞬、確かに空白となった。
「…なっ、最低だぞ、美久月!」
「即答できてない。答えになってない。それが答えよね、結局」
直後、美久月は僕のネクタイを掴んで力いっぱい引き寄せた。美しすぎる彼女の顔が視界を埋め尽くす。香りが、声が、吐息が、あらゆる感覚器官に『美』が雪崩れ込む。思考が凄まじい勢いで侵食されていく。まるで脳が溶かされていくようだと、漠然とそんなことを思って、それで――
「おーい。青春してるところ悪いんだが、授業始めていいか~?」
――担任である女性教師の、常と変わらぬ気だるげな声を合図に、美久月は僕から離れる。
それを残念だと、そう思ってしまう自分がいることを、僕は認めざるを得なかった。
「先生、私は体調が悪いので保健室に行ってますね」
「そうか、お大事にな~、美久月。んじゃあ、授業始めるぞ~」
僕の反応に満足したのか、それとも興味を失ったのか。
美久月は明らかな仮病で教室から出ていった。あの美しい歩き方で、颯爽と。
僕はその後ろ姿から目を離すことができなくて。優子の「光さん。私は気にしていませんから」との言葉にもマトモに返答できず、メデューサに睨まれたように固まり続けて、それで――
「痛っ!?」
「授業始めるつってんだろ~」
――先生に出席簿で後頭部を殴られて、ようやく現実へと引き戻された。
〇後書き
需要があれば続けたいです。
でも、各所から怒られそうなので、ひっそり続けたいです。