「おい、メルリオール!!」
後ろからグイ、と肩を掴まれて、メルリオールは特に抵抗することもなく振り返った。
「ちょっと、スモーカーさん!」
「なに?」
煙草の煙が目に染みる。副官を連れたスモーカーは、マリンフォードの街を彷徨いていたメルリオールに詰め寄っていた。戦争に向けて各地の兵力が動員されている今、彼らがマリンフォードにいるのも不思議なことじゃない。
いつもの白マントの下に、これまた真っ白なスーツのような軍服を着込んだメルリオールを一瞥して、スモーカーは額にさらに青筋を刻んだ。
「何が
「スモーカー、君今階級は?」
「……准将だ」
「あー……将官なっちゃったかァ」
どうしようかな、と副官の方を見る。彼女は流石に佐官か尉官だろうが、スモーカーがこのまま引くとは思えない。
「アラバスタで言った通り、私は少将で、極秘任務の最中……って事になっていて佐官以下に開示できる情報はないってのも本当」
メルリオールの視線の意味に気付いたのか、スモーカーは一つ頷いて「たしぎ、少し外せ」と指示した。
「いや、私らが外そう。道端で話すことじゃない」
そう言い残し、メルリオールは先導する様に身を翻した。
「マリンフォードにこんな場所があったとはなァ……」
「クザンのサボり場所の一つだよ。まァ2年以上前にバレて、もう使ってないと思うけど」
言いながら、壁に背中を預けた。街を縫うように進み、辿り着いたのはポッカリと空いた空き地だ。椅子として使えそうな廃材も、まだ放置されていた。お互い適当に腰掛けて、少し離れて向かい合う。
「こういう話を他人にする事は無いんだけど。
メルリオールが「そもそも私は、入隊時に中佐だった」と切り出せば、スモーカーが眉根を寄せる。正規の手段で入隊し、順調に階級を積み重ねていった彼らのような将校からすれば、コネ入隊にしか見えないメルリオールはただの厄介者だ。
尤も、赤犬の弟子であることはともかく、黄猿の養子であることは周囲には徹底的に伏せられている。このご時世、何が弱みになるか分からない。やたらめったら海賊に突撃を繰り返すメルリオールが海軍大将の娘だなんて、口が裂けても言えないのだ。
「軍学校の飛び級でもなかなかねェぞ」
「その後1ヶ月で准将になった」
「資料は見た」
メルリオールの煌びやかな経歴のことだろう。多少盛ってはいるが、事実と言えば事実だ。大将付にするために最低でも准将にと定めた上層部によって、海軍の大勝する戦場、捕まえられそうな海賊の出現予想地、あらゆる場所に送り込まれ手柄を打ち立てた。10年ほど前の話だ。
「クザンに話を聞いたのなら、私の占いのことも聞いたでしょ。それが佐官以下に知らされてない情報ね。まァ当時は未来視って言って持て囃してたんだけど」
「あァ……」
「それを情報源に、先んじて大将を動かす。サカズキさん……赤犬についてた私は、まァ模範的な海兵じゃなかったけど、かなり目こぼしもされてた。あの頃は止まると死んでしまう魚みたいに、やろうとしていることを邪魔されるとそりゃあもう大層な癇癪を起こして暴れ回った。それでも未来視があるから大体は許されてた。……君に会ったのはこの頃かな」
「お前の軍艦に乗り合わせた。あれは確かに、大将赤犬指揮の作戦だった」
「少し話もしたっけ」
確かあれは
「あの時おれァ……目を疑ったぜ。一回りも下の餓鬼が、誰の制止も聞かず鬼みてェに海賊を追い立てて最前線を走ってた。狂犬メルリオールの謂れにも納得した」
「狂犬、ねェ……」
「お前の言葉を今でも覚えてる。『正義を背負う以上、足を止めてる暇はない』。全く、その通りだ」
今は違うようだが、とメルリオールのマントを見下ろす仕草に首を振った。
「…………結局、背負わないことにしたんだ、それ。私が背負う必要はないと気付いた」
「2年前から、だな? 配属が変わって、露骨に命令違反の出撃回数も減った」
「そう。まァそれでもやっぱり模範的な海兵じゃあなかったよ。相変わらず私の行動を止めようとするやつとか、船を出さないやつとか、ぶっ飛ばしてたし」
結果、腫れ物扱いだ。未来視のことも将官クラスは知っていたし、ある程度、以上は目こぼしされていた。
「ただ、結局前々から勧告されてた通り休暇を取ることにした。それが1年前かな」
「勧告だと?」
「直属の上司……まァ、黄猿からね。パフォーマンスは落ちてたし、休暇とか取ったことなかったのもあるし……あとはまァ、これ以上海軍を続ける理由がなかった。タイミングも良かったし」
ローの
ただ、あの時のメルリオールは休暇ではなく退役を願い出た。戻って来るつもりがなかったのだ。
しばらく間が空いた。ジリジリと短くなっていく葉巻を見ながら、メルリオールは「まァ、すぐ却下されたけど」と呟く。
「それが極秘任務扱いの正体か。なるほど、好き勝手にしてきたツケが回ったな」
「本当にねェ。何もしてないのに階級が上がって、形ばかりの任務を言いつけられて、めでたくメルリオール少将だ。だから、麦わらの船に乗ってたのは……マリンフォード近くまで戻るついでに任務を遂行していた、とは言えるかな」
「ほう?」
新しい葉巻に火を付けたスモーカーは、顎で続きを促した。
「視えた未来の報告が私に課せられた任務だった。とはいえ東の海の田舎に引っ込んで何が視えるんだって感じだけど……」
題目は何でも良かったのだろう。メルリオールの居場所が把握出来て、許可なくその場を離れることがなくて、必要な時に一本通信を寄越すことが保証されていればいい。
「麦わらの船が私のいた島にやって来た時、マリンフォードが戦場になる未来が視えた」
「今回のか」
「そう、だろうね。私がこの海に戻ってきたのは、この戦争が理由。
「じゃあ何故政府は対策を取らなかった」
「取ったと思うよ。ただ間に合わなかったか、不十分だったかだ。そもそも世界政府という組織が一個人の行った確証の無い未来視なんかで方針を左右されることはない。というか、すぐ上はともかく、もっと上は私の力を忌み嫌ってるような気がするし。仮に考慮に入れたとしても、まずもって根本的に対策の仕方を間違えている」
他人事のように言うメルリオールに、スモーカーは「理由は」と問う。
「お前の能力を一番近くで運用してきたのは政府だろ。今更対策出来ないだァ?」
「それは、上層部が私のチカラのことを未来視だと思ってるからだね」
淡々と言って、「君、覇気は知ってるんだっけ」と問うた。
「……概要は」
「ならいい。この世界で最も一般的な未来視は見聞色の覇気によるものだ。正確には未来予測、と言った方が正しいと思うんだけどね」
言いながら、メルリオールは拳を二つ前に差し出した。
「今から私は君を殴る。右か、左か?」
「利き手は?」
「左」
「なら左だ」
「うん、おそらくそうだろうね。実際はもう少し色んな要因が絡むものではあるけれど、これが覇気による未来視だ。相手に読まれていると考えた上で行動すれば、覆ることもある。例えば私が君の意表をつくために、右で殴りかかる、とかだ。特に未来視持ち同士の戦いになれば、お互い『初めに視えた未来』を元に新たに行動を起こすから、未来は常に変わり続ける」
メルリオールの『占い』も見聞色の延長であろう、と上層部は判断している。つまり、変わり得る未来だと思ってるのだ。
「そうじゃねェと?」
「覇気の延長なのは事実だと思う。まず起きないけど、ガス欠を起こすと滞るからね。けれども変わり得る未来じゃない。そもそも、私の力は本質的には未来視ではないから」
言いながら、メルリオールは自嘲した。このことをハッキリと口にしたのは、今が初めてだ。メルリオールの主義や、矜恃に関わるから。全部投げ捨てた今、こうやって自分を客観視できる。
「どういう意味だ」
「仕組みが違う、という話。私が視ているのは、人の心、彼らの生んだ感情だ。その矛先が未来にだけ向いているから、副次的に未来の光景を垣間見ることがあるというだけ。分かるかな。『未来に起きる出来事』を視ているんじゃなくて、『未来に何かが起こり、その結果居合わせた人がどう感じたか』を視ていて、ついでにその本人や感情に強く紐づいている光景が見える。だから、直接何が起きたのかは分かってないんだ。それこそ、死んだとか、怪我をしたとか、直接的な原因がそこにあれば分かるし、現場に大勢が居合わせた場合は推測も可能だけど」
「それがどうした。情報は武器だ。知ると知らないじゃ天と地ほども違ェ。だからお前は正義を背負ったんだろう」
「そう考えていたよ、私もね。何故私に自分の未来が視えないのか。それは、私に未来を変える力があるからだ。何故私に過去や今が視えず、未来でさえ現在に到達した瞬間消えるのか。それは、過去が変えられないからだ」
故に、視えている限りは変えられる未来だと考えた。
「でも違う。変わるとか変わらないじゃないんだ。今君の目の前にいる私がいきなり私以外の人間に変わることはないでしょう。私は所詮ただの鏡で、私に視えた以上それは『過去』であり、過去が変わることは無い。よしんばこれが本当に『未来』だったとして……。殴られることが分かっても、格闘の心得のない者はただ殴られるだけだろう? 未来を変えるにも力がいるんだ」
メルリオールはただ見えるだけだ。変えるための力は与えられていない。
自分の未来が視えないのは、ただ人間の目が自分を視るようには出来ていないという、至極単純な理由。鏡だけが鏡に写った自分を見れないのだ。見るためにはもう一つの鏡が必要で、この海にそんなものは無い。
「そういうわけで、政府は出来事に対する対策を練るんじゃなくて、起こってしまった後のことを考えるべきだ。まァ流石に、そろそろ気付くんじゃない」
誰にも覆せない状況になって初めて、その未来をメルリオールが検知する。
出来事に対してではなく、それを受けた人間の心情に対しての力である以上、対策を打ったところで変わるのは心持ちひとつだろう。そういう意味ではメルリオールの視たものは変わり得るし、そういう意味で変えたいわけではなかった。──のだと、思う。
「それで手前は変えることを諦めて、従うフリをしてると」
「フリじゃないんだけど。ま、そうだね」
「経緯は分かった。ならお前はこの戦争で何を企んでる? 戻ってきた以上、目的があるはずだ」
「やっぱり勘違いしているよね。君が想像するような事は何もないと思うんだけど。私は単なる忠犬だよ」
能無しの忠犬が、腹に何かを含むなんて有り得ない。計略とはメルリオールの正反対にある言葉だ。
「馬鹿にしてるわけじゃねェだろうな。自分の未来は視えないと言った、なんの思惑もねェとも言った。だが事実お前は麦わらの船に乗っていた。これは未来に従ったからか、それとも何か思惑があるからか。どちらにせよ、お前は既に一つ嘘を吐いている」
「なるほど、正しい指摘だ。でも嘘のつもりは無いよ。何もかもが解明されている訳じゃないんだ、そういうことだって起きるだろう。確かに、私にとっても初めての事だから見方を間違えている可能性はある。感情の視えない例外だ、どう受けとっていいものか、これに従うべきなのか、私だって結論を出しかねている。だとして、やってることはいつも通りのつもりだよ」
言葉を重ねる毎にスモーカーの眉間に皺が刻まれていく。求めていた回答では無かったからだ。
「自分を馬鹿にするのもいい加減にしろ。嘘はどちらもだ。お前は例外が無かったから今そうなってる。今更自分の未来を視る訳がねェ。理由があってこうしてるはずだ」
「そう、君の理解だとそうなるんだね」
「混ぜっ返すな。手配から現在まで、奴らの賞金額は類を見ないペースで上がり続けた。ローグ・タウンでおれに抑えつけられた男が、気付けば七武海を下し、海軍大将から生還し、政府直属の諜報機関とすら交戦してる。挫折らしい挫折も今回が初めてだ。何か裏があると勘繰るのが自然だろう。もう一度聞くぞ。何故お前は麦わらを選んだ? この戦争で何が起きる?」
「どれも彼らの実力でしょう。私は何もしていない。元より決まっていたことだ。私は確かに自分の未来を視た。それに従った。いまだってそう」
「言う気はねェと」
「もう一度言う必要があるかな。私は何も企んでいない。強いて言うなら、より近い所でこの戦争を見ようと思っただけ」
そうは見えない、と剣呑な視線が告げていた。
スモーカーの目には、メルリオールが違う人間のように映っている。
「最初に言ったはずだ。シャボンディを除いて、お前は麦わらの利になるよう立ち回っていた。お前も否定しないだろう」
薄く笑って、メルリオールは「毎度毎度死ぬような戦場に突っ込ませることの何処が利なんだか」と呟いた。
「考えられることはいくらでもあるが、もし本当に死ぬようなら手前は全力で介入した。だから今も奴らは生きている。違うか」
「何言ってんの。麦わらの一味はもう壊滅したよ。私は容赦なく彼らを裏切った。なんでだと思う?」
「そうする必要があったからだ」
「いいや。私がずっと彼らを視ていたから、自然とこうなったってだけ。私は周囲を取り返しのつかない未来に進ませる。だから何も視ないように長閑な田舎町で人と会わずに暮らしてたんだ。こんなのが近くにいちゃ迷惑だからね」
メルリオールは自分が善良な人間にとっては最悪な部類に入る人間であるという自覚があり、流されるようにその災厄を振り撒いている。その貧乏籤を引くのが誰になるか、メルリオールが選ぶ事はない。
メルリオールはずっと同じ話をしていて、けれどスモーカーは変わらず苛立ったように舌を打った。
「自覚がねェようだから言ってやる。もし手前が自己申告の通り未来に従うだけの人間だったとして、一味の壊滅も視えていたんだとして。変わらない未来に従うだけの木偶の坊なら、手前は
「うん?」
瞬いて、リオは自身の白い軍服を見下ろした。白、白、白。いっそ悪趣味なほど真っ白。まるで……。
そこで、バツンと思考を落とした。
メルリオールに考える脳は要らない。
「あー、なるほど、確かにそうか。良い指摘だ、スモーカー。気付かなかった」
「……。まァいい。自覚がない事はよく分かった。おれのミスだ、メルリオール。自分のことがわからねェ奴に手前の話を聞き出そうとしても意味がねェ、至極当然の話だ」
首を振って、スモーカーは咥えていた煙草を抜き去った。同じ仕草を、見たことがある気がする。
浅く息を吐いて、メルリオールは制帽を被り直した。光沢のある黒い鍔の部分を強く引き、立ち上がりながら真っ白なマントを揺らす。その背に正義の二文字は無い。メルリオールにとってそれは既に、ヒトが掲げるものでは無い。
それでも、生まれた時から抱えてきたナニカが、今もメルリオールの体を駆け巡っている。
メルリオールが纏う雰囲気が変わったことを悟り、スモーカーは顎を引いて立ち上がった。
「3962人。賞金額にして、のべ532億ベリー。人員損耗率限りなくゼロ。お前の功績だ、メルリオール。本部に報告してねェものも含めればもっと膨れ上がる。前に言った通り、おれはお前が掲げた正義が陰ることは無いと思っていた。あの頃、お前を知らない海兵はいなかった」
何を言われても、響くことは無い。
いくらか高いところにあるその顔を睨み上げながら、メルリオールは「お話はここまでだ、スモーカー」と吐き捨てる。
「君は精々、自分の正義を貫いてみせろ。信じる正義があるのなら、
そしてその正義が一人でも多くの人間を救うことを。メルリオールは心の何処かで、望んでいるのかもしれなかった。
次からようやく戦争開始です。
と言ってもそこまで長くならないです。