未来が視える元海兵が麦わらの一味について行く話   作:テロン

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この海の歩き方
どのように生まれてきたか


 

 

 

 

「ちょ、眩しっ! いくらなんでも眩しすぎ!」

「そうは言ってもねェ……」

 

 

 邪険にするように手を払ったメルリオールを前に、義父が溜息を吐きながら能力を引っ込めた。なんてことない戦闘前の一幕だ。どちらの背にも正義の文字があって、近海にいた両者が合流することは珍しくなく、いつもなら最前線を駆けているはずのメルリオールがこういう時ばかりは背後でウロチョロしているのも珍しくなかった。

 

 

「そうもピカピカ光られると、お父さんが光ってんのか未来が光ってんのか分かんなくなるじゃん。なんの未来かなって注視してたら髭面のおじさんだった時の私の気持ち考えたことある?」

「お前はもう少し現実の方を見た方がいいと思うけどねェ……」

 

 

 首を振って遠くに見える海賊船の方に視線を移した黄猿は、その後も光を避けるでもなく背後に立ったままのメルリオールをいつものように放置していた。文句をつけているわけではないと知っているからだ。

 

 

「まあ、目印にはなるから良いんじゃないの」

「父親を誘導灯がわりにしないで欲しいねェ……」

「本望でしょ」

 

 

 4つの頃、この光を見つけて海に出たのがメルリオールだ。それからずっと、この光と同じような未来に向けて走り続けている。

 

 

「お父さんは、そういう救い方なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺れる。

 

 

 

 ゆらり、ゆらりと揺れる。

 

 

 

 玉虫色の世界で、だんだんと片側に回転していき、気付くと元に戻っている。

 波に揺られているようにも、人に揺さぶられているようにも感じる。

 

 

 

 何かを考えようとすると、一つ紡ぐごとに霧散していく。

 

 

 

 ──────。

 

 

 

 沈む。

 

 

 

 沈んでいく。ゆっくりと。

 

 

 

 ドロリとした粘性の液体が、顔を、鼻を覆っていく。

 

 

 

 

 息が、できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コン、と硬い音がした。

 板を叩くような。

 

 

 目を開けば、真っ先に青い海原が飛び込んでくる。夏島を想起させるような力強い日差しに、眩いばかりの白い雲。

 波は穏やかながら、陽光を反射してキラキラと煌めいている。

 

 

 けれど、そのどれもが偽物だった。

 

 

 時が止まったように、動かない海面。吐息の音が響く静寂。潮の匂いのしない海。温度のない日差し。

 

 

 矯めつ眇めつ眺めて、強張っていた肩をゆっくりと落とす。

 

 

「満足したか?」

 

 

 声は、後ろから響いた。

 

 

 コン、と。また、硬い音がする。

 

 

 直感的にノックの音だと思ったが、実態はテーブルを指の節で叩いた音だった。

 

 

 そこは船の上だった。船首も、船尾も、霧に包まれたように見通せない。マストに掲げられた帆の模様も分からない。

 海へ視線を戻せば、快晴。

 

 

 声がした方へ振り向けば、一人の人間がテーブルの片側に座っていた。

 顔は見えない。体格もボヤけていて、男にも、女にも見えた。

 

 

 思えば、声色からも特徴が読み取れなかった。聞き覚えのある声だと思ったが、名前までは出てこない。

 

 

「座れよ」

 

 

 ボヤけた腕でも、向かいの椅子が示されたことは理解できた。白いテーブル。相手が座っているのは黒い椅子。こちらにあるのは、白い椅子だ。

 

 

「君は……」

 

 

 声を出せることに、少し驚いた。無音の世界だ。自分の声がいやに響く。

 

 

 返事はなかった。

 

 

 しばらく待って、諦めて椅子を引く。甲板を擦る音もしなかった。

 

 

「ここは何処だ? 君は誰だ? 何故私はこんな所にいる?」

 

 

 あたりを見渡して、ボヤけた人物──言い難いから、靄と呼ぼう。靄の答えを待つ。

 

 

 コン、とまたテーブルの天板が鳴らされる。

 

 

「お前の方こそ、どうなんだ? 例えば名前。年齢、性別、職業、趣味、嗜好。誰何するなら自分が先に答えろよ」

 

 

 名前。自分の。

 

 

「私は……」

 

 

 言いかけて、口を閉じた。靄の誘導に従って、個人的な情報を開示するのは良くない気がする。まずは現状を少しでも把握するべきだ。そもそも、靄が人間だとも思えない。

 

 

「本当にか?」

 

 

 嘲笑うような口調だった。

 

 

「本当にそれが理由か? 分からないのではなく?」

 

 

 偽物の海を見る。澄み渡った色をしているのに、海中が見通せない。ガラス細工のように、波の形だけがあるのだ。

 

 

「そんなことはない。私は……。私は……?」

「ほら」

 

 

 また、靄が笑った。表情など全く見通せないというのに、嘲われていることだけはハッキリと認識出来る。

 

 

「お前は自分が誰なのか分からない。だから、ここが何処なのかも分からない」

 

 

 言い聞かせるように言って、靄は「一つ、教えてやるよ」と続ける。

 

 

「ここは現実ではない」

「そんなことは分かってる……!」

「本当に?」

 

 

 また、同じ言葉だ。

 

 

何が現実かも、分からないのに?」

 

 

 こちらが黙れば、靄はそれ以上口を開かないようだった。

 

 

 偽物の空を見上げる。雲は動かず、太陽は肌を灼かず、ペンキで塗りたくったような青空が広がっていた。

 

 

「本当の青空は、もっと薄ぼけている。晴れた日の陽光はうざったいくらいだ。海も、青一色じゃないし、ベタついた風の匂いがする」

「そうか」

 

 

 モヤはあっさりと頷いて、それからこちらを指差した。

 

 

「では、一つお前のことが分かった。お前は、海を知っている」

 

 

 自分の体を見下ろす。椅子を引いたと思っていた手も、甲板を踏みしめていた足も、全てがボンヤリとした霧に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは現実ではない」

 

 

 既に聞いた言葉だ。靄はこちらの苛立ちを気に留めずに、動かない海原へと視線を向けた。

 

 

「では、ここは何処か」

「それを聞いている」

「少しは自分で考えてみろよ」

 

 

 自分で。心の中で復唱して、同じく海原に視線を向ける。この空間で、霧に邪魔されずに認識できるのはこの海と空くらいだ。

 

 

 海を、知っている。この海が偽物であることが分かる。本物の海を知っているから。

 

 

 今分かるのは、それくらいだ。では、ここは何処だ。現実でないのなら。

 

 

「夢の中、か……?」

 

 

 靄はやんわりと微笑んだだけだった。何故、ボヤけて見えない人物の表情が読めるのだろう、と頭の片隅で考える。

 

 

「夢……。そうか、夢。つまり、私は夢を見ていて。だから、君は私の夢の登場人物だ」

「そう思うなら、そうかもな」

「……違う?」

「さァ。お前がそう思うなら、違うんだろう」

 

 

 靄はこの問答に興味がないようだった。海を眺める視線は動かない。

 

 

 こちらを向かせようと、テーブルに手を突く。その手はどるん、と突然流動化した天板に飲まれ、かけた体重の分だけバランスを崩した。

 

 

「は?」

「あァ、そういうこともある」

 

 

 靄は軽くそう言って、こちらの足元を指差した。

 

 

「ところで、良くそんなところに立てるな」

 

 

 その言葉に、慌てて足元を見下ろす。霧に包まれた足は、言われた途端に甲板に沈み始めた。

 

 

「待ッ!」

 

 

 抗うこともできず、突然実体をなくした船を突き抜けていく。船を抜ければ、下は海だ。

 ガラス細工の海は、けれどとっぷりと体を飲み込んだ。鮮やかなばかりの青が、水面から遠ざかっていく。星空のような水中の、水の重さだけが記憶の中に似ていた。

 

 

 溺れている。肺から息を吐き出して、水ばかりを飲んで。腕を懸命に伸ばして、水面をめがけて足掻く。これ以上は、息が続かない。そうだ、あの時もこうして──。

 

 

「何をしているんだ?」

 

 

 ふと気付けば、また甲板の上だった。テーブルを挟んで、靄の前に座っている。不恰好に突き出した腕は、変わらず霧に包まれていた。

 恐る恐る天板に触れれば、冷ややかな木の感触がする。

 

 

「今のは……」

「気にするな。お前が制御できるものじゃない」

「私の夢の中なのに?」

「なら、ここは夢ではないんだろう」

 

 

 ここは固形で、流体だ。

 そう言って、靄はまた海を見た。

 固まった波。温度のない日差し。

 

 

「良かったじゃないか。また一つ、自分のことが分かった」

「自分のこと……?」

 

 

 そうだ、と靄は頷く。

 

 

「君は、溺れたことがある」

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢じゃないのなら、ここは……。もしかして、私は死んだのか? 溺れた記憶があったのは、死んだ時の記憶で、ここは死後の世界、とか」

「面白い推測だ」

 

 

 靄は頷いて、「今のお前が持つ情報から絞り出せる、一番単純な推論だな」と続けた。

 

 

「また、違うと……?」

「さァ。だが、遠のいたのは確かだろう。死後の世界があるのなら、そこはもっと渋滞しているはずだ」

「君は、そう思うのか」

「否定するか?」

「いや。……確かに、そうだ。ここには私と君しかいない」

 

 

 首肯する。生きている人間より死んでいった人間の数の方が多いのだから、こんな広々とした空間は与えられないだろう。

 ならば、もっと個人的な。

 

 

「……あァそうか。波のようでいて時に形あるもの。溶けて揺れる、冷えて固まる……」

 

 

 空を見上げ、それから海を見る。

 

 

「ここは、私の心か」

 

 

 冷えて固まった光景。時たま、緩んで流体になる。

 

 

「それがお前の結論か?」

 

 

 靄は少し可笑しそうに言って、「では、次だ」と腕を広げた。

 

 

 初めに問われたのは三つ。ここは何処か。靄は誰か。何故ここにいるのか。

 

 

 ここは心。では、靄は。

 

 

「君は、私の心が生んだもの。この海も、この空も、この船も私の記憶から生まれたもの……。なら君も、私の記憶から生まれたもの。私の記憶に一番染み付いたもの。……つまり、私だ」

「慣れてきたな」

 

 

 瞬けば、靄は小さな人の姿になった。

 酷く、幼い。さっきまで背丈は大人ほどだったと思ったが。

 

 

 3つか、4つの幼女は、その歳に似つかわしくない、陰鬱な表情を浮かべている。

 薄汚れた簡素な服を纏っているが、食事は充分なのか健康そうに見えた。

 幼女はぺた、ぺたとテーブルを叩いて、「なるほど、お前はこの年頃までのことは思い出せたんだな」と吐き捨てる。

 

 

「先は長そうだが」

「君は私だが……私が何者かは、まだ分からない」

「そういう事だな。せいぜい、自分を思い出せ。この姿は見えてるんだろ?」

「……そう。私は南の海の、小さいけれど、栄えた島で生まれた」

 

 

 空を見れば、カモメの鳴き声が聞こえるようだ。

 

 

 穏やかな島だった。

 海を見れば、水平線の先に白い砂浜が見える。そう、ちょうどあのような。

 

 

 美しい海と空。

 飢えを知らない国。

 やがて、滅ぶ島。

 

 

「それしかないのか? 生まれ故郷なのに」

「さァ……。滅ぶまで、私はその島のことをきちんとは見ていなかった」

 

 

 だから、偽物なのだろう。記号としか記憶していないから。

 

 

「両親の顔も曖昧で……きっと私は、薄情な奴なんだ」

「お前が言うなら、そうなんだろう」

「そう……。受け取ったものがないと、返しようがないから。彼らは、私に現在(いま)を見せるほどの存在では、なかった……」

 

 

 酷くされた記憶はない。ただ、先ばかりを視ていた。見ているものが違いすぎて、同じ目線に立てなかった。

 

 

「では、また一つだ。お前は、お前に情を向けた相手にしか情を返さない、非情な人間だ」

 

 

 幼女はそう言って、空気を弾くように遠くの島に向けて指を鳴らした。

 

 

 燃えていく。島が。

 絵のように固まった風景が、燃えて消えていく。

 

 

 チロチロと揺れる炎は、やけにリアルだった。

 

 





謎の空間におりますが、新章開幕です。
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