未来が視える元海兵が麦わらの一味について行く話   作:テロン

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どのように生きていくか

 

 

 

 

 島が完全に消えてなくなった頃。周囲の光景に少し変化が起きた。

 空と海は変わらず偽物だが、色に深みが出た。日差しにも現実味がある。

 

 

 ふとマストを見上げる。カモメを模したMの文字。船首も、船尾も、霧が晴れて見通せるようになった。

 

 

 ここは、軍艦だ。

 鼻を擽る鉄と火薬の匂い。慌ただしげに行き交う軍靴の音。変わらず人の姿は無いが、気配はある。

 

 

 前の席に視線を向ければ、もう幼女はいなかった。そこにいたのは、15、6の少女だ。

 無人の甲板で足を組んだ少女は、随分と成長した姿で勝気そうに笑っていた。

 

 

「いい気分だ」

 

 

 少女はそう言って、「何かをしたくなる」と笑う。一転、興味深そうにこちらを覗き込んで、また椅子に座り直す。落ち着きがない。

 

 

 改めて、少女を眺める。暑苦しい、軍服を着込んだ軍人だ。

 

 

 肩より上で短く切り揃えられた髪は、薄い金髪を黄色く染めている。目深に軍帽を被り、肩には体格より大きめなコートを羽織っていた。

 中に着込んだ軍服は上着、シャツ共に輝かんばかりの白で、ネクタイはマリンブルーだ。テーブルに投げ出された右手には革のグローブが嵌められている。この手で、銃や刀を扱っていた。

 軍帽の鍔で影のかかった目元は鋭く、濃いブラウンの瞳は酷く淀んでいる。

 

 

「ろくな人生じゃなさそうだ」

「そう思うのか?」

「いいや。ある意味、幸せだったと思う」

 

 

 島を出て、海軍という組織を知った。

 自身の力を知って、それと向き合う生き方を知った。

 

 

「得がたい友を得た。当たり前に私を愛す者たちを得た」

「じゃあお前は、それに何かを返したのか?」

 

 

 少女はコン、とテーブルを叩いて、「情を向けられたのなら、返すんだろう」とつまらなそうに言う。

 

 

「……返そうとはした。だから君が、そのコートを手にしている」

 

 

 少女はその言葉に顔をしかめて、肩にかけたコートを脱いだ。テーブル乱雑に放られたことで、正義の文字が歪んでいる。

 

 

「これが、恩返しか?」

「そうだ」

 

 

 首肯する。

 そう、その力ですべてを救えると言われた。誰にも否定されなかった。

 死んだ友人に恩を返すなら、彼の望みを果たすしかない。

 

 

「だから、海兵になって……。それしか道がないと思った。望まれていると思った」

 

 

 言い訳のように呟くのを、少女は「少なくとも当時のお前はそう思ったんだろうな」と流して、背もたれに身を預けた。その体からズルズルと力が抜けていき、だらしなく頭を上に向けている。

 

 

 コートの皺を伸ばそうとした左手は、何にも触れなかった。

 

 

「だって、楽しかったんだ。私にしか出来ないことがあって。やるべき事もそのための手段もこの手にあって。信じた正義のためだけに一本道を走り続けるのは、()で……。それはつまり、()しかった、ってことだ」

「ふうん」

 

 

 相槌に、「溺れたのはこの頃だ」と呟く。右手もコートには触れず、しかしテーブルは通り抜けない。

 何とかして、このコートを自分のものにしたかった。その衝動が何処から湧いてくるのかは知らない。あの頃も、こうして正義のコートを取り戻そうと食ってかかった。

 溺れかけたところを救われて、恩を感じて。

 

 

「けれどお前は、彼らには何も返さなかった」

「それは……」

 

 

 なんてことをしてくれたんだと言わんばかりに、少女は顔を歪めていた。テーブルの上の二文字と同じように。

 

 

 せめて、皺だけでも伸ばしたい。テーブルの上で、浮かべた両手の間に正義の文字が踊っている。

 

 

「すべてを救うなど、お前の情は本当にそこにあるのか? 何を返すんだ? 全世界の人間は、お前にどんな情を向けた?」

「……私は、それでも海兵だった」

「ならお前は自己認識を改めるべきだ」

 

 

 文字を見つめ続けていると、だんだんと何が書かれているのか分からなくなってくる。

 グシャグシャの文様が何かの顔になって、突如パクリと口を開き、飲み込まれた。

 

 

 真っ暗だ。

 

 

「…………」

 

 

 コン、とテーブルが叩かれる。

 

 

 微動だにせず座っていれば、その音と共に世界は元に戻った。

 

 

「お前はただ楽な方に流されているだけで、情すら持っていなかった」

 

 

 少女の視線が海に向く。追いかけて海面を見下ろして、唇を噛み締めた。

 

 

 船が、ゆっくりと波に揺れ始める。帆が風を受け膨らみ、少しずつ、何処かへ向かって動き出す。

 

 

 波間には夥しい数の海賊旗が漂っていた。よく見れば、海賊旗だけでなく国旗や軍旗、時にカーテンやテーブルクロスのようなものもある。

 

 

 どれも、見覚えがある。

 

 

 自分の正義が轢き潰していった者たち。

 救ったもの、救えなかったもの、打ち倒したもの、取りこぼしたもの、自分がいなければ救われなかったもの、いなければ、救われたもの。

 

 

 遠く、海面に、一人の男の姿があった。

 

 

 目深にフードを被っていて、顔は窺えない。

 僅かに覗く口元は、能天気に笑みを象っていた。

 

 

 その手が、ゆったりと一つの海賊旗を振っている。丸く、満面の笑みを浮かべたジョリーロジャーがこちらを見つめていた。黄色い潜水艦の、姿はない。

 

 

「海兵なら、海賊は全て捕まえればいいだろう。けれどお前は、あの旗にはそうしなかった」

 

 

 少女は責め立てるようにコン、と机を鳴らした。男は、飽きもせずずっと旗を振っている。

 

 

「威嚇射撃すらせず、身分すら隠して、拠り所にした」

 

 

 責め立てるように、ではない。明確に、少女はこちらを糾弾していた。

 その瞳に、激しい怒りが垣間見える。

 

 

「それが楽だったからだ」

 

 

 そこに、理屈はない。

 

 

 あの偉大なる海賊にですら、溺れたところを救われた、という恩を押し付けないと礼の一つも出来なかった。

 何が違ったのか。きっと、そこに説明できるような理屈はないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 男とジョリーロジャーは、船が波に揺られていくにつれてだんだんと見えなくなった。

 

 

 代わりにポツ、ポツと海面に火の手が上がり始める。海自体が燃えているのだ。

 いつの間にか日が陰り始め、海中の火だけが頼りになる。

 

 

 確かに、身勝手だった。

 

 

 過去の記憶を詳らかにしていくにつれ、痛感する。

 

 

 自分が情を向けなかった事を相手のせいにして、それを自分の生き方と定めて。何が正しいのか、何をしたかったのかを考えず、楽な方へと流されていった。だから一貫しない。

 

 

 特別、唯一、例外、稀有。

 

 

 どんな言葉でも、正当化できない。

 

 

「君は、どうしてだと思う?」

 

 

 少し背の伸びた少女は、未だ怒りを顔に貼り付けたまま「ふざけるなよ」と吐き捨てた。

 

 

「お前の感情の話だろう、なぜ他人に聞く」

 

 

 パチパチと、火の粉の弾ける速度が上がっていく。やがて海一面が真っ赤に染まった。

 船にもだんどんと炎が侵食してくる。さっきまでの人の気配も感じ取れない。

 

 

 炎の中で、とうに見えなくなった海賊旗を思う。

 自分の中では明確にしなかった、特別な思いがあったのは事実だ。けれど、それがなんであるか考えることをしなかった。

 

 

 考える必要があるとも、思わなかった。

 

 

 言葉にすれば、きっと単純だ。

 

 

「……初めて、未来を視て助けられた人だから」

「助けた? なんの話だ」

「二人で助けるんだって言われて……。私は、それに従った」

「何処まで私を苛立たせれば気が済むんだ。お前は何もしていないだろう」

「そう、何もしていない。ただの言葉一つだ。あいつの功績を、あいつが『おれたちで』と言っただけ。だけど救われる気がした。どれだけ失敗を積み重ねても、会うほどに肯定してくれる気がした」

 

 

 こんな身勝手な思いを、恋と呼べるだろうか。

 

 

 だから、自罰だったのだろう。

 

 

 自分から、彼の元へ足を運ばなくなった。

 

 

 甲板を覆っていた炎が、ドロドロとした液体となって天を衝く。マグマの柱だ。嫌な熱気が肌を刺す。

 

 

 テーブルの上に、ぼと、ぼととマグマが降り、広げられていたコートが焦げていく。

 

 

 それを守る事もせず、眺めながら瞬きをした。決して、傷付けるためのそれではないのだ。正しさは時として人を傷付けるけれど、それ以上を助けるからこそ、()()()と謳われる。

 燃え尽きたコートが消えると同時に、甲板のマグマも消えていった。

 

 

「そして、私は逃げた」

 

 

 少女は、もう成人した女になっていた。変わらず真っ白な軍服に身を包み、目深に軍帽を被っているが、その背中に正義の文字はない。

 無表情に黙り込んで、相槌すらも打たなかった。

 

 

 焼かれ、ボロボロになった船は波に逆らわず、漂流していく。

 

 

「この頃にはもう、恩返しという気持ちもなかった」

 

 

 何も考えず、視えた通りにだけ動き続けた。

 

 

「その方が、もっと楽だったからだ。言い訳はいくらでもできる。……変えるための力じゃなかったってのは、今でもそう思うし。精神構造的に無理があったとか、環境とか、立場とか。だから、それでも立ち向かってやろういう気力は、湧いてこなかった」

 

 

 言葉を切って、船外を見渡す。

 

 

「いや、それも自分のせいか」

 

 

 女は答えない。

 船の外は、真っ暗闇だった。

 

 

「何もかもに蓋をして、先送りにして、気付かないようにして」

 

 

 パチパチ、と残り火が背後で揺れた。

 そっと手を差し出せば、飛びつくように掌に乗る。熱くはない。いつだって、あの子の炎はそうだった。

 

 

「そうして、守られていた」

 

 

 それを良しとしていた。これもまた、罪と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 椅子から立ち上がり、船の縁まで歩く。手すりの先は、塗り潰されたように見通せない。

 カンテラのように左手の炎を掲げても、吸い込まれるような闇があるだけだ。

 

 

「それで、いいのか」

 

 

 ようやく、女が口を開いた。

 

 

「お前が言った通りだ。こちらの方が、楽だぞ」

 

 

 振り返れば、彼女は町娘のような格好をしていた。

 背中あたりまで髪を伸ばし、地毛の白金を晒し、女らしく化粧をして。若者らしい私服に、歩きやすそうなサンダルを履いている。

 

 

 そんな時代は、自分にはなかった。一線を退いて、やったことと言えば小さな小屋の中で横たわるくらい。

 東の海で、心残りに苦しみながら、誰とも会わず、このまま年老いていくのかと思っていた。このボロボロの軍艦と共に、流されるままに。

 

 

「そうかもね」

 

 

 首肯して、炎を乗せた掌を見つめる。体を包んでいた霧は消えて、肌が見えていた。

 短く切り揃えた髪は、女と同じ白金だ。白いシャツに紺のスボンだけの簡素な格好で、編み上げたブーツだけは軍服を思わせた。

 

 

「私は、海を知っている」

 

 

 言いながら、片足を欄干にかける。目を開いた時、最初に見据えていた方角だ。

 

 

「海がどれだけ美しく、人を惹きつけるか知っている。水平線の煌めきも、その先を夢想する興奮も。海にこそ、夢があった」

 

 

 海に出たからこそ、数多の出会いがあった。どんな悲劇も、どんな喜劇も、この海の先に繋がっていると知れた。その全てが自分を形作っていて、決して悲観的なものではない。

 

 

「私は、非情な人間だ」

 

 

 生きてきた中で、自分のものと断言できる感情は殆ど無かった。受けた分だけ、と定義しておかないと、返すことすらしなかった。

 

 

 友人から貰った『正義』、養父から貰った『色』、師から貰った『マント』。一方的でも、受けた、としておいて非情な自分を誤魔化していた。

 

 

 恩も、畏敬も、親愛も、友情も。決して何かの対価として捧げるべきものではない。

 

 

 けれども、何を受けたのかすら分からなくなることに恐怖して、物や信念として身に纏った。

 

 

「そんなことだから、分からなくなるんだ」

 

 

 そんなことだから、北の海の少年は、言葉もモノも、何もくれなかったんだろう。

 

 

 手すりを超えて、闇の中に身を投げる。

 

 

 落ちていく感覚は、ほんの少しだけだった。

 丁度海面のあたりで、サクリ、と。ブーツが雪を踏む。

 

 

 しんしんと、闇の中に雪が降っている。

 

 

 左手の炎がやや大きくなって周囲を照らせば、寒さが和らいでいった。

 ずっと先まで、細く雪原の道が続いている。一歩踏み外せば暗黒に落ちていきそうな中、足は竦まなかった。

 

 

 サクサクと雪を踏みしめる。この道が何処に続いているかは、何となく分かっていた。

 まだ見えないけれど、そちらに光が灯っているから。光を見て、歩き出したのが、リオだから。

 

 

「私の名前はリオ。南の海で生まれ、偉大なる航路(グランドライン)へ入り、メルリオールとして正義を掲げた海兵」

 

 

 時たま、北の海へ向かい、こうして雪道を歩いた。

 

 

「やがて、東の海で隠居しようとした」

 

 

 けれどもそうはならなかった。1年もしないうちに麦わら帽子の少年に出会い、また海に出たからだ。

 

 

 前方から、眩しい光が差し込んだ。日が昇ったのだ。太陽が常に東から昇るように、進むべき方向も一つしかない。

 

 

 炎がフラフラと掌から離れ、明滅し始める。やがて、ふつ、と消えて赤い石になった。髪を梳かし、一部伸びた部分を括る。

 

 

 左腰に銃が、右腰に刀が収まった。

 

 

 立ち止まり、肩にかかったマントを揺らす。裏側が黒で、外側が白。Mの文字をあしらった丈の長いマント。

 

 

 目の前で、太陽の船がリオの乗船を待っていた。

 

 

「私は海賊。麦わらの一味の参謀。私は私の正義を掲げるために、海賊として生きていく」

 

 

 ここはリオの心。

 さて、ここまで自分と向き合ってきたが、何故こんなことになっているのだろうか?

 

 

「確か、ゾウに着いて……」

 

 

 サニー号に乗り込んで、薄く雪の積もった甲板を歩く。

 

 

「そうか、攫われたのか」

 

 

 女子部屋の戸を開いて、自分の荷物の元へ。まだ荷ほどきが終わっていないカバンを開いて、手配書を纏めていたファイルを引き出す。2年前のものだし、ここで見れる以上全て記憶しているということだけど、頭の中の整理にはもってこいだ。

 

 

 真ん中あたりから始まる大量の手配書の束が、ビッグ・マム海賊団。船長以下、その幹部の殆どがマムの子供たちだ。古参だけあって、傘下の海賊や繋がりのある裏組織も多い。

 ペラペラと捲って溜息を吐いた。

 

 

 彼らが隙をついてリオを攫った。

 ただ問題はその前、サンジの婚姻か。

 

 

 ファイルを閉じ、部屋を出る。

 

 

「さて、兎にも角にもここを出ないとな」

 

 

 メインマストの近くまで降りて、空を見上げた。雪に手を伸ばし、積もっていくのを見つめる。

 

 

 鍵は、この雪だ。リオの心を開く鍵は、いつだって彼が持っているから。

 

 

「行くのか?」

 

 

 背後から届いた低い声に、目を伏せた。

 右目の瞼に触れる。

 

 

「今の私には、誰に強制されるでもなく、やりたい事がある。会いたい人がいる。見たいものも、伝えたい言葉もある。それだって、()しいことだろ?」

「そうか」

 

 

 彼は、抱えた大太刀の柄でコツン、と床を鳴らした。

 すると、甲板に積もっていた雪がスルスルと集まり、一つの門を形成していく。鍵穴一つのシンプルな扉だ。

 

 

 扉に手をかけ、押し開いていく。

 

 

 最後に、ここで言っても詮無いことだけど、と笑いながら後ろを振り返った。

 

 

「寒いのは苦手なんだ。もう、雪道を歩かせないでくれよ。ロー」

 

 

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