意識が浮上する。
「ん…………」
呻いて、ピクリと指先を動かすも、それ以上動かない。少し前も、こんなことがあった気がするが、思考が纏まらない。
頭の中がガンガンと痛みを発していた。
状況を把握するために目を開こうとして、慌てて瞑る。サングラスが無い。
そうだ、思い出した。
ゾウで攫われて、リオは今虜囚の身だ。感覚を研ぎ澄ませば、緩やかに揺れているように思う。海の上だろうか。
ふかふかのベッドの上に寝転がっていて、不自然に体が動かず、呻き声以上の声を発することも出来ない。
ややあって、物音が響いた。リオの覚醒に気付いたのだろうか。部屋の前まで足早に動いた気配が、無造作にドアを開く。
「思ったより元気そうだな?」
『目ェ……ついてんのか? この陰険襟巻マッチョ野郎が』
心の中で並べた罵倒に鼻で笑って、その男は乱暴にドアを閉めた。流石海賊、この程度ご挨拶でもないらしい。
仕方がないので、億劫ながらも片目を開ける。ぼんやりとした左目の視界に、べらぼうに背の高い男が映った。
赤紫の短髪、鋭い眼光、口元を隠す襟巻き。肌に突き刺さるような強大な覇気。
ビッグ・マムの次男。No.2の呼び声高い、完璧な男。
シャーロット・カタクリ。モチモチの実の能力者で、ゾウで襲ってきた白い物体の正体。つまり、こいつがリオを攫った男だ。
『何の用だよ』
「……お前が読心を許すのは珍しいな」
『そうじゃないと……喋れないからなァ。誰かさんのせいで』
カタクリは世界有数の見聞色の使い手で、気配察知や読心もお手の物。加えてそれ以外の色もトップクラスだ。まァ見聞色はリオの方が凄いけど。
「毒を盛ってある。逃げ出そうなどと考えんことだな」
『悪趣味……』
「島に着けば抜く。ママ相手にその無様は晒すなよ」
もうすぐホールケーキアイランドだ、と言ってカタクリはどかりとベッドサイドに腰掛けた。確かに、空気に甘い匂いが混じっている。
ホールケーキアイランドはビッグ・マム海賊団の勢力圏、
よろず、と付く名の通り、あらゆる種族を受け入れ、全種族の平等を謳うお菓子の国。
確かに平等だ。ビッグ・マムという怪物に国民全員が命を握られているのだから。
とはいえ、承知の上で移り住む者も少なくない。新世界では特に、明日の命も知れない国が多いからだ。
『一応聞くが。……私以外に手ェ出してないよな?』
「さてな」
『あァ、ならいい』
舌打ちが返った。読み取った限りではひとまず、リオとその前に連れていかれたサンジ以外は無事らしい。
コン、と硬い音がする。
『……なんだ?』
「あ?」
『ん……? いや、なんでも。しかし、ホールケーキアイランドねェ……。お里が知れるって言葉知ってる? 楽しみにしてるよ』
溜息混じりに首を振ったカタクリは、組んでいた腕を解いてリオを見下ろした。
「よく考えりゃ、生きてさえいりゃあいいんだ。手足は要らねェな?」
「……ッ」
呻き声が漏れた。
ドン、と重苦しい覇気が部屋中を襲う。
ただでさえ動かない手足が、その重みで潰れていくようだ。
『やって、みればいいさ……。私の未来視にどこまで影響があるのか、私も知らないからな!』
欲しがっているのはマムだろう、と告げれば、威圧はやや収まった。やはり、マムの意向に逆らうことはしたがらない。
「……まァいい。いつまでその反抗的な態度が続くか見ものだが。……プリンの式が終わればお前の番だ。何をすべきかは分かるな?」
『お前たちのために未来視をするつもりはない。それに、どうやって私が嘘を吐いていないと判断するつもりだ? 真偽のわからぬ妄言で、精々踊ってみせろ』
こいつらは、リオの未来視が欲しいのだ。
メルリオール時代、それなりに衝突があった。初めは小競り合いに近いものだったが、一度この男が乗っている時に接触したのがまずかった。
通常の鍛え上げた見聞色の範囲を超える未来視をしていることに気付かれたのだ。
それからというもの、叩きのめしたリオを連れ帰る素振りを見せたところを命辛々逃げ延びる、なんて事を何度繰り返したか。
リオが負った死ぬ思いをした傷の半分くらいはこいつのせいな気がする。
向こうも海兵相手は面倒だと思ったのか諦めたように見えたが、リオが海賊になったなら話は別ということらしい。
リオが油断していたのは確かだが、ここまで直接的な手段に出るとは思わなかったのだ。
これが、単なる収集アイテムとして狙っているならまだマシだったのに、と溜息を吐く。海賊王への道に、未来視なんぞ必要だろうか。
カタクリはリオの片目を覗きこんで、感情でも確かめるように目を細めた。
「そちらはあくまでついでだ。もっと確実な方法がある」
『……私の故郷を調べたんなら分かるだろ? お前たちの望みは果たせない』
『さて、それはどうだろうな』
その手が、無造作にリオの腹部に置かれる。
「一度では無理でも、十や二十、それ以上ならどうだ……?」
ググッと、リオの腹が圧迫されていく。体格差も相まってかなり苦しい。
『ッは、悪趣味な……!』
吐き捨てれば、すぐにその手は退けられた。気遣っているのではなく、どうでもいいのだろう。
「丸くなったな、メルリオール。昔のお前なら死ぬ気で噛み付いて、無駄死にしていた所だ」
『お前が言うなよ……』
カタクリの苛立ちと、リオの苛立ちがパチリとぶつかった。
似たような方向に見聞色が伸びているせいか、視線を合わせるだけで言葉以上の交換が起きる。
一言先も、二言先も、それ以上もお互い読めるから、むしろその上で一つずつ会話を繰り返すほど。
だから嫌なのだ、と嫌悪を送り返して目を閉じる。
根っからの海賊である。船長の言葉には従い、敵に厳しい。
手段を選ばず、悪業に心を痛めない。海賊だ。
けれど、本人の気質としては義を重んじ、身内に甘い。
話の通じない男ではないのだ、これで。
だから嫌だ。ドフラミンゴみたいなどうしようもない奴の方がやりやすい。
「……精々働いてもらうぞ。なに、一生とは言わん。それまでは好きなだけその汚い口で喚いているがいい。分かっているだろ?」
期限は明白、と吐き捨てて、カタクリはリオの元から去ろうとする。
「お前の力を継いだ子供が、生まれるまでだ」
──どうやらこれが、リオを求める理由らしい。
『セクハラじゃん……言ってて気持ち悪いとは思わないの?』
「口を閉じていろ」
「あれ、思ってはいるんだ。君も相変わらずだなァ……」
背中に向けて投げかけてから、リオは少し思案して自分の口を開いた。
「そも、今……。私の腹が空いていると思ってるのか……?」
正確には発音出来ていない。けれど、両者の間に声は不要だ。
バッと振り返ったカタクリは、心底嫌そうに「もっとマシな言い訳を考えろ」と唸った。
「調べればすぐに分かるぞ」
「はは。漸く表情を崩したね。なら調べてみなよ……。その時間さえあれば、私には十分だ」
もうすぐ、と聞いた通り数時間もすれば錨が降りた。
深夜だったらしく、未だ動けないリオは鏡を通って城内に運ばれた。
鏡の中の世界とを行き来できる能力者がいるらしかった。戦闘力はともかくかなり利便性の高い能力だ。
「明日はプリンの結納、明後日は結婚式だ。夜が明けたら今日のうちにママに謁見する」
『オエ〜』
エアでうめいたリオに、苛立ちながらカタクリはベッド脇でピヨピヨ鳴いていた小物たちを纏めて握りつぶした。
「面倒な……」
気分が悪い。この島に近付いてからずっとだ。ただでさえ弱っているのに。
ドレスローザの時と同じだ。人間じゃないのに、人間がいる。ビッグ・マムのソルソルの実によって魂を与えられた動植物やお菓子、無機物たち。通称、ホーミーズ。
対人間に特化し過ぎたリオは、こういった類のものが苦手だ。声が聞こえるのに、人じゃないと理性が警鐘を鳴らす。ビッグ・マムの船ですら出くわす度に気分が悪くなっていた。
片付けてくれるならありがたい。このコンディションなら下手すると吐いて窒息もあり得る。
カタクリはそれから豪快にドアを外して去っていった。
いいのかそれ。まァ、どうせ逃げられはしないんだけど。
取り残されたリオの方も、特にやる事もないというか、出来ることがないので素直に寝転んでおく。自意識で体を動かすことは出来ないのに、悪寒で勝手にブルブル震えているし、熱もあるらしい。
心配することもない。ルフィももうすぐ到着する。四皇との正面衝突には時期尚早だが、手ぶらで帰ることにはならないだろう。彼は、そういう星の元に生まれている。
その時にリオがどうなっているかは分からないけれど。
まァ極論、四皇に狙われて生きて逃げれたら儲け物だ。
夜が明ければ、使用人らしき女性が一人部屋に入ってきた。
あれやこれやとリオの身支度を整えて、椅子の上に放置して去っていく。そうすれば今度、渋面のカタクリがリオを引っ掴んで廊下を歩いた。
リオの監視なんぞさせられて、こいつも可哀想に。多分、リオが一晩中眠らなかったせいで同じく徹夜の憂き目にあっている。こいつが一番警戒しているのは、リオが舌でも噛んで自害することだ。
俵抱きにされ、裸足の足を揺らす。
趣味がいいのか悪いのか目を瞑ったままのリオには分からないが、ざっくりと胸元の開いたドレスを着せられているらしい。エースに貰った髪ゴムだけはちゃんと身につけていたが、それ以外の全ては行方不明だ。
『おい待て、着いたら毒抜くんじゃないのか?』
「まだ動けないのか」
『生憎、君らみたいな超人じゃ……』
少し体を揺らし、なんとか口を開く。
「いや、そりゃァ……。少しは、動けるが。屠殺場に送られる豚じゃねェんだぞ!?」
おい、と力なく腕を叩いたリオを気に留めず、スタスタと歩いたカタクリは、この一家に相応しく巨大な扉の前で立ち止まった。
因みにこの状況でリオがさして警戒していないのは、むしろいつでも一息に殺され得るからだ。するだけ無駄という。海軍時代はいつもそんなんだった。
死にたいわけじゃないし、死ぬつもりもないけれど、出来る事がないなら下手に労力を費やすだけ無駄だ。──というのは、やっぱり情が無いのだろうか。
古馴染みはいつもリオの事を感情が豊かと称するけれど、彼の前でなければ実際はこんなものだ。そもそも長年狂犬をやって来たのだし。
「良かったな、盛ったのは象も死ぬ毒だ。豚ならとっくに死んでる」
「良くねェよ……!」
掠れ声の反論は届かなかった。道理で、頑丈な自負のあるリオの体がこのザマなわけだ。
ノックの後開かれた扉の向こうでは魂の入った食器やらお菓子やらが歌い狂っていた。趣味が悪いし気分も悪い。が、そうも言ってられない。
自分の足で歩け、と降ろされてフラついた足で数歩進む。
「おお、良く来たね、メルリオール」
「本名、知ってるだろ……ビッグ・マム」
あんたが調べたんだから、とその巨体を見上げた。
最低限、自前の左目だけは開いておかないと対処しようも無い。半ば瀕死状態で未来視どころでは無いが、未来を視なくても無数に分岐した死の結末が手に取るように見えた。
四皇、ビッグ・マム。40人以上の夫に80人を超える子供を持つ海の女帝。孫まで入れると何人家族になるのやら。リオの目に、その異様な風貌が映る。
巨人族の血は引いていないと聞く。たしかに、純血の巨人ほどの長身ではない。
けれどもそれがかえって恐ろしいのだ。一体何をどうしたらこんな怪物が生まれるのか。
その頭上には天候を従える女の異名通り、魂の入った太陽と雲が浮いていた。
マムは機嫌が良いのか、リオの言葉に特に反応を見せず、カタクリに「お前も同席していきな」と声をかけている。
「さァ、朝食だ。お前の席は用意してある。先約があるから、お前のためのお茶会はもう少し先だけどね」
マムの言葉と共に動き出したホーミーズたちがリオを食卓へ誘導し、カトラリーが自ら並んでいく。退席するタイミングを失ったカタクリはリオの左前に、マムは正面にくる配置だ。
断ったらどうなるんだろうか、なんて思いながら席に着く。恐らく、また気絶させられて部屋に詰め込まれるだけだろうが。
「……サンジの式が、明後日だって? ったく、趣味が悪ィ」
「あァ、ヴィンスモークのことかい。お前も同じ船に乗っていたね。なんでもあの海上レストラン『バラティエ』の元コックだとか」
「あー……。彼はスイーツも得意だよ。殺してしまうのは……もったいない」
「そうかい?」
言っても伝わらないだろうな、と思いながら震える手でスプーンを持った。威圧感とホーミーズの持つ魂とでとても食事の気分ではない。
カタクリも、義務感で席についているが、食事をする気はなさそうだし。奴は口にコンプレックス、というかトラウマがあるので、家族以外の前で襟巻きを解かないのだ。
割と可愛い口をしているんだけどな、なんて考えていることを悟られたら横からぶっ飛ばされて上半身と下半身がサヨナラしてしまう。
なんとか歌っていないスープにスプーンを突っ込んでるうちに、マムはペロリと山盛りの食事を平らげていた。これから食後のデザートだという。
「少食だね、そんなんでやっていけるのかい?」
かけられる言葉も、リオに負わせる役目を思ってのことで、純粋な心配じゃない。
「…………何度も言ったが。私の未来視は遺伝性じゃないし……そっちが思っているほど、便利でもない」
「今日はプリンのドレスを選び直そうと思っていてね。ついでにお前のも選んでやろう」
「聞いちゃいねェ……」
マムにとっては、捕まえて来たリオを息子の誰かに充てがうのは確定事項らしい。意志を確認する、なんて手順がすっぽ抜けているのはなんとも海賊らしい。
どうもちゃんと式を挙げようとしているあたりがビッグ・マムらしいか。それもただパーティを開いてお菓子を食べたいだけだろうが。
「ママ、こいつのためのお茶会は開かないと言っただろう。面倒なものを呼び寄せる」
「おや、そうかい」
「名目はこいつじゃなくてもいい。代わりに、プリンの結婚式に劣らないくらいのスイーツを作らせよう」
二人の会話を聞き流しながら、ガタガタ揺れる手でスプーンを口に突っ込む。
流石、食にこだわりがあるだけあって、スープ一つとっても手が込んでいる。サンジには遠く及ばないけれど。
一週間ほぼ飲まず食わずだったので嫌でも飲み込まないと流石のリオでも死ぬ。とはいえ歌ってる奴らはどうしても食べられない。
「一応聞くけど、相手は……。あー、なんでも」
疑問を舌に載せる寸前、左前から強烈な殺気が届いた。古傷が痛む。
「ん? なんだい、変な奴だね。あァ、それよりメルリオール、お前右目はどうした? この間まで潰れてはなかったはずだよ」
「潰れちゃいねェ……色々あったんだよ。お前たちには関係ないだろ」
「無いことは無いさ。お前の目には役立ってもらわないといけない。勿論、プリンが覚醒するのが一番だけどね」
「覚醒……?」
プリンとは、サンジの結婚相手だったか。三十五女ならまだ相当若いはずだ。種族は、父親が分からないことにはなんとも。
「なんだ、自覚がないのかい? これだけ新世界にいて、
「
無いのか、確かに。
どんなものかは知っているが、実物を自分の目で、となると無いかも知れない。
アラバスタや空島では寄り付かなかったし、ゾウでは目を塞いでいた。海軍時代も、特に興味を示さなかったし。
「読めないぞ? 私は」
「ロジャーの奴は石の声を聞く、なんてふざけた力でおれの集めた
「出来ねェよ、何言ってんだ……」
ニタリ、と笑ったビッグ・マムはひょい、とリオの首根を掴んで目の前に引き寄せた。
「出来ないかどうかは、見てみれば分かる。お前だって、同じDの名を持っているだろう? しかも、ロジャーの息子と同姓だ!」
「だから、私はロジャーとは関係ないし……! そんな力はない!」
「三つ目族の息子がいれば良かったんだけどね、生憎といるのは娘だけだ。仕方ないから色々と試してみるしかない。ほら、そこのカタクリなんて、お前とは十年来の付き合いだろう?」
「話を、……聞け!」
ギリギリと首が絞められていく。ホーミーズたちがキャッキャと囃し立てる声が耳障りだ。
「勿論、お前が読めるのが最良だ。余計な時間を使わなくて済むからね」
そういえば、とわざとらしく前置きして、「今お前が宿にしている連中、麦わらだが、来てるらしいじゃねェか」と続く。
「随分と気に入っているらしいね? 一つずつ首を置いていけば、少しは協力的になるかい?」
「ッハ、……!」
「とはいえ、おれも出来ないことを強要したりはしないさ。別にお前にとっても悪い話じゃないだろ? 家族が増えるのはめでたいことだ。お前に何か損があるかい?」
笑いながら、マムはパッとリオの体を落とした。テーブルに落下して、クリームやらチョコレートやらに突っ込む。
ガン、とテーブルを殴りつけてリオは大きく息を吸った。酸素を取り込んで、咳き込みながら「クソ」と吐き捨てる。
「家族……? 奴隷の間違いだろ」
見なくても分かる。ニッコリと微笑んだマムの手が、リオに向けて思い切り振り下ろされた。