未来が視える元海兵が麦わらの一味について行く話   作:テロン

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海賊

 

 

 

 

「おい、まだこんな所にいたのか」

 

 

 声に、瞬きをする。いつの間にか、だだっ広い雪原のど真ん中に立ち尽くしていた。夢、或いは──。

 

 

 違うな。目を閉じれば、ベッドに倒れこんでいる自分を知覚できる。これが現実。薄くはあるが、意識を失ってはいない。

 

 

 目を開く。そう、ここはリオの心。昨日と同じ現象だ。

 

 

「そうだ、生憎とな。お前、死にかけでもしたか?」

 

 

 リオ、と名前を呼んで目の前の青年は僅かに首を傾げた。

 

 

「ロー……」

 

 

 辺りを見渡して、もう一度ローに視線を戻す。昨日、最後にその姿を取ったからって、なにも続きから再現しなくてもいいのに。

 

 

 雪空の下にしては寒そうな格好で、ローは大太刀を抱えて立っていた。ゾウで別れた時の格好だ。右目の眼帯は、同じものが今リオの右目にも巻かれているようだった。

 半分の視界の中、突っ立っているリオの前で後ろを向き、ついてこい、と言わんばかりに歩き出す。

 

 

「……ちょっと島の様子を確認しようと思っただけなんだけどな」

「現実のお前は、そうしてるんじゃねェか?」

「そう。……この2年、自己対話は繰り返してきたつもりだけど。こうやって心の中に入り込む、みたいな経験は初めて。しかも短期間に2度も」

 

 

 言いながら、後ろに続いた。リオの格好は城の部屋で着替えた服からいつものシャツとズボンに白マントにはなっていたが、寒くて仕方ない。

 

 

「だから、死にかけてねェか聞いただろ」

「あァ……。毒は打たれたね。動けないくらいには……。そうか、昨日も条件は同じか。瀕死の実感はなかったけど……」

「死に瀕した人間が走馬灯を見る、なんてよくある話だろ。心も記憶も、どうやら大して違いはねェらしい」

 

 

 言って、ローは寒空を見上げた。

 

 

 なんの目印もなくても分かる。ここは、スワロー島だ。

 かつてリオが何度も歩いた雪道。心とは道理の通らない場所だけれど、時折記憶が顔を覗かせる。

 心に染み付いた記憶。或いは、記憶から滲み出したものを心と呼ぶのだろうか。

 

 

「着いたな」

 

 

 思案しているうちに、ローは一軒の家の前で立ち止まった。雪原の中にあまりに唐突に現れたが、その辺りの整合性は気にしても仕方ない。

 こちらも、見覚えのある家だった。ローが暮らしていた家だ。

 

 

 大人になったローが躊躇なくその家の扉を引くのがなんだか面白くて、リオは後に続いて駆け込んでいく。

 家の中は、最後にリオが見たそのままだった。他に人の姿はないけれど、生活感を感じる。

 

 

 肌を刺すような寒さからは解放されたが、流石雪国、家の中でも寒い。

 暖炉に火は着いていなかったが、薪は用意されていた。

 少し考えてから、リオは薪の上に左手を差し出す。

 

 

「エース」

 

 

 パチ、と火花が散る。火種がゆっくりと大きく成長していくのを見守って、リオは振り返った。

 

 

 テーブルに、マグカップが置かれている。

 ローは行儀悪く足を組みながら、ソファーの上でコーヒーを啜っていた。

 

 

「私の記憶から生まれたにしては君、態度がデカイね」

 

 

 椅子に座って、両手でマグカップを包む。

 まだ飲み口の欠けていない、スマイルマークの描かれた赤いカップ。

 変な気分だ。またこの家で、ローと会話している。

 

 

「……おれの家だ」

「まァ、そうなんだけど」

 

 

 頷いて、コーヒーを口に含む。懐かしい味がした。

 

 

「さて、今度はどうしたら出られるんだろうね」

「さァな」

 

 

 チラリとローを見るが、寛いでいるばかりで視線は合わない。

 ローが鍵なのは確かだろう。けれど、ここに来た理由にリオが死にかけ、というのがあるのなら、その状態からある程度回復するまでは戻れないのかもしれない。

 

 

「本物はもうワノ国に着いたのかな」

 

 

 ローは答えなかった。そりゃそうか、これはローの姿を取っているだけで、究極的にはリオの自己対話だ。リオの知らないことは話さない。

 

 

「カイドウのことも考えないといけないし、むしろそっちの方が問題なんだよなァ……」

 

 

 溜息を吐いて、少し目を瞑った。現実のリオは相変わらず、浅い息をしながら寝転んでいる。

 

 

「まずは目の前のことから考えろ。先のことを今考えても仕方ない。お前の悪い癖だな。視える分、常に先へ先へと向かっちまう」

「うん……」

 

 

 目の前のこと。サンジと、リオの脱出。

 

 

「やっぱり、ジェルマ側に武装させるのが一番かなァ」

「……何故だ?」

「なんでってそりゃ、利害が一致してるから」

 

 

 口に出して整理しろ、ということかと理解して、リオは「この結婚を同盟だと思っているのはジェルマだけだ」と続けた。

 

 

「ビッグ・マムは婚姻によって傘下を増やすことが多い。自分の子供たちと、傘下に入る海賊団の船長や幹部との縁談を組み、血筋という強権で支配する」

 

 

 サンジの婚姻でまず問題になったのがこれだ。

 麦わらの一味としての婚姻か、それともヴィンスモークとしての婚姻か。前者なら麦わらの一味は強制的にビッグ・マム海賊団の傘下入り。後者なら、サンジは一味を抜けることになる。

 

 

「これはマムがジェルマの科学力を欲したからこその婚姻だ。よって今回は後者。サンジを麦わらの一味として扱うと都合が悪い。結婚相手はヴィンスモーク家の三男じゃないといけない」

 

 

 とはいえ、サンジの意思は伴っていない。だから、最初は断ろうとしたはず。

 

 

「多分サンジは何かで脅されて、従わざるを得なかったんだろうね。脅したのはジェルマの方なのかも。この婚姻が為ればジェルマは四皇の後ろ盾を得て、マムはジェルマの科学力を手にする。でもこれは、些か対等じゃない」

「……ビッグ・マム側は、欲しければ奪えばいい」

「そう。多分ジェルマの兵力、かな。欲しいのは。それから研究者。彼らを支配するヴィンスモーク家はお呼びじゃない。なんせ恭順する未来が見えないからね」

 

 

 ドス黒い悪意を持って、ビッグ・マムはヴィンスモーク家を排除するだろう。その中には、新郎であるサンジも含まれている。盛大な結婚式で、騙された者たちの最期を嘲笑い、勝鬨をあげる。

 

 

 そんな絵図を描いていることを知らせれば、結婚式自体はナシに出来るかもしれない。ビッグ・マムの怒りをジェルマ側になすりつけられたらベスト。そうなれば、サンジは一味に戻ってこれるはずだ。

 邪魔されたマムは怒るだろうが、何も打ち倒す必要はない。この島から逃げ切るだけの時間を稼げばいいのだ。

 

 

 とはいえ、逃げるだけでも一苦労だ。こちらの戦力はリオの知る限りルフィにナミ、チョッパー、ブルックの4人に、案内人のペコムズを加えた少数。そもそも対ビッグ・マムでペコムズに期待は出来ない。

 

 

 リオが捕まったということで、あれからこちらに人員を多く割いたかもしれないが、それでも1人か2人か。全面戦争なんてとんでもない。

 一方、結婚式ということでビッグ・マム側は厳重な警備と最大戦力を揃えている。今は少しでも手が欲しい。

 

 

「ローは、昔北の新聞で連載してた『海の戦士ソラ』って知ってる?」

「ああ……!」

「あれ、目的はプロパガンダだけど、内容は事実に沿ってるから。ジェルマは戦力になる」

 

 

 リオが頼むとその場で戦闘開始だけど、と付け加えると、ローは少し浮かした腰をソファーに沈めた。

 

 

「何?」

「お前……!」

 

 

 そのまま空を仰いでいる。

 

 

「ジェルマ66にも喧嘩を売ったのか……」

「そりゃあ……。だってあいつら基本戦争してるし。でもちょっとだけだよ? あれで加盟国だし、表立って喧嘩売ると怒られるから、私なりに裏から手を回して依頼ごとポシャらせたり……。いや、ま、まァ間違えましたでゴリ押して攻撃しなかったかと言われるとそうなんだけど……」

「あァ……」

 

 

 呻いて、ローは何か言いたげにリオを睨みつけた。なんだよ。

 

 

「まァ……ともかく。上手くいけば勝つのは無理でも、逃げることはできる、かも」

「疑問形か?」

「確実な方法があったら四皇になんかなってないよ」

 

 

 溜息を吐いて、ローは「結婚式までにジェルマの協力を取り付ければいいんだな?」と念押しした。

 

 

「うん。でも多分、内部からじゃないと接触はできないだろうなァ」

「それは何とかなるだろ。黒足屋の身内だろ?」

「そうだけど……」

 

 

 サンジと折り合いが悪いからこうなってるのでは、と思ったがローの方は話は終わったとばかりに「それで?」なんて急かしてくる。

 

 

「黒足屋の方は結婚式自体を無効にすればいい。じゃあお前は? お前は何の為にこの島へ連れてこられた? どうすれば解放される?」

「それ、今必要?」

 

 

 ローは怪訝そうな顔をしたが、リオの方こそ変な気分だ。

 

 

「サンジのついでに拾ってもらえれば、それで終わりなんだけど」

 

 

 呟いて、リオはマグカップを下ろした。ローも片手のそれをテーブルに置いて聞く体制に入る。

 

 

「今はちょっと動けないけど、向こうだって殺す気は…………。ない、んだから、しばらくすれば動けるはず」

「こと健康状態において、お前の自己評価ほど当てにならねェもんもねェが」

「そう? じゃあ、ピンチにカッコよく登場したかったけど、ルフィたちに迎えに来てもらえる方に賭けよう」

 

 

 その為にはなんとか居場所を知らせないといけない。

 

 

「私の場合、白鳴をバチバチさせるのが一番分かりやすいんだけど、多分無理だよね」

 

 

 未だ監視を続けているカタクリの未来視に映って、奴が制止にすっ飛んでくるだろう。

 

 

「そこは大した問題じゃねェ」

「え、そうかな」

 

 

 ローに少し苛立ちが混じってきているのは分かるが、と首を傾げる。気付いていないだけで、リオも焦っているんだろうか?

 

 

「お前の脱出に、障害になるのは受けた毒だけか?」

「うーん……」

 

 

 動けさえすれば、カタクリ含めマムの子どもたちと全面衝突……。うーん、無理。

 ただ、クラッカーの話しぶり的に、リオのことを子供たちにも周知していないかもしれない。カタクリも妙なものを呼び寄せるからお茶会はしない、と言っていた。

 

 

 とはいえ、カタクリとクラッカーが来るだけで詰むが。

 

 

「でも、カイドウとの戦いの前には乗り越えないといけない壁だしね」

「早合点するな。さっきから理由を聞いてるだろ」

「……早合点っていうか、ようは私との子供が欲しいんでしょ?」

「あ?」

「ん?」

 

 

 ドスの効いた声に、流石のリオもおかしいと思い始めた。誰が好き好んで記憶に罵倒させるんだ。

 

 

「待って、ロー。ここは私の心なんだから、君は私の心が作り出した幻だよね?」

「そう思いたいならそれでもいいが?」

「はァ?」

「子供、子供か。それで?」

「いや、え、なんで……?」

 

 

 慌てて目を閉じて、現実の方へ意識を向ける。薄皮一枚隔てたそこは、特に代わりはない。

 

 

 目を開けば、不機嫌なローが苛々とテーブルを指で叩いている。

 

 

「誰だ。ビッグ・マムには息子が46人いたな? 既に結婚している奴もいたはずだ」

 

 

 言いながら、ローは一度テーブルを思い切り殴りつけた。

 

 

「柄悪……」

 

 

 思わずボヤけば、頭上からドサドサと紙束が落ちてきた。どういう仕組みだ。

 ローの手で手際よく分類されていくのは、昨日リオが開いたファイルの中身だ。

 

 

 億越えの賞金首の手配書が次々と並べられていく。オーブン、ダイフク、スナック、モンドール、クラッカー、ペロスペロー、そしてカタクリ。

 手配書の出回っていない息子たちも、わかる限りで個人的にまとめた資料があったりもする。

 

 

「で?」

「いや、結婚とかそういう話じゃないし。だったらもう少し話が複雑だから……」

 

 

 サンジもそうだが、リオの場合も婚姻という形を取られると一味を離脱しない限り傘下入りということになってしまう。ただ、マムたちはリオを麦わらの一味とはみなしていないみたいだ。

 ルフィのことを『お前が宿にしている連中』と呼んでるくらいだし、『メルリオール』が海賊になった、というのを信じていないのか、誰かの下に着く性質と思われていないのか。

 

 

「質問には正確に答えろと言わなかったか?」

「分かりませーん」

 

 

 即座に返して、リオは両手を上げた。

 

 

「あ?」

「本当だって! 聞こうとしたら怒られたんで知らない!」

「誰に?」

「カタクリに」

 

 

 ペラ、とローの手がカタクリの手配書を持ち上げた。

 

 

「こいつか?」

「うん。でも、そいつの可能性が高そうだね。見ようによっては私と似たような力があるから」

「お前と?」

「そう、短期的な方だけど、未来視がね。見聞色が得意なんだよ」

「……同質の力を混ぜることで未来視の力を高めようとしているのか? お前のそれは遺伝性じゃねェだろ?」

「私もそう言ったよ! でも、Dの血があればロジャーみたいに歴史の本文(ポーネグリフ)を読めるはずだとかなんとか!」

「ニコ屋はともかく、Dにそんな力はねェだろ」

「だから言ったよ私も! でも話聞かねェし。あんまり強くいうとそれはそれで利用価値なくなって殺されるじゃん!」

「まだ何もされてねェんだな!?」

「そうだよ、サンジの式が終わってからだって!」

「馬鹿が! それを先に言え、あと何日だ!?」

 

 

 最後は怒鳴り合いになって、リオは「明後日!」と怒鳴り返した。

 

 

「まァ、それまでに何とか逃げようとはしてみるけど。ローの言う通り動けないし、無理に動けば寿命縮めるだけだし」

「お前、まさかこのまま助けが来なかったら仕方ねェなんて思ってねェよな!?」

「ルフィは来るよ、絶対に! でも私の方が命は保証されてるし、こっちは多少間に合わなくても仕方ないよ」

「お前ッ、自分が何をされようとしてるのか、自覚がねぇのか!?」

「あるよ、何、私が何も知らないと思ってるの!?」

「何で知ってんだよ!」

「うわ! 危なッ!」

 

 

 耳元をカップが通過した。背後でガシャンと割れる。

 

 

「ちょ、何!? おい、ティーンじゃないんだぞ、私らいくつだと思って……」

「誰だ!?」

「誰だ、じゃねェよ! 知ってんだろ、こちとら初恋拗らせてんだよ! そっちだって同じだろうが! そもそも私の未来視に年齢制限とかないから、小さい時から顔も知らん相手のソウイウのは昔から視せられてきて……。ああもう、そうじゃなくて! どういう行為かも何を望まれてるかも知った上で話してるよ。でも、死ぬわけじゃないでしょ!? 四皇相手だ、一から百まで望み通りに終わる訳ない! 海賊だって海兵だって変わらない。時には何かを切り捨てることも必要で、私は、ずっとそういう海で生きてた!」

「目的を遂げるためなら何を犠牲にしても良いって? どうしたらそんな考え方になるんだ、この極論人間が!」

「それと何が関係あるのさ!」

 

 

 ガン、とテーブルを殴りつければ、テーブルどころか家までもがゆらゆらと揺らいで、フッと消えた。雪原に取り残された二人が、フーフー言いながら睨み合っている。

 

 

 なんで喧嘩になるんだろう。こういうことがしたいわけじゃないのに。

 ローと話すのは好きで。けれど、彼はたまにリオが理解できないところで怒り出す。リオもきっと、ローの理解できないところで怒ってる。

 

 

「だいたい、君が言ったんだろ、死なれると困るって! だから一番死なない方法を考えてるんじゃん!」

「一から十までして欲しくねェことを羅列しなきゃなんねェのか!?」

「だから、何が嫌なの!? 死ぬつもりは私にだってないよ。それ以上君に何か関係がある!?」

「あるだろ、ふざけんな!」

 

 

 数歩分の距離を詰めたローが、リオの胸倉を掴み上げた。ギラギラと光る片目は、顔の距離が近くなると眼帯に遮られて見ることが叶わない。

 

 

「麦わらの船に乗るのはいい。奴を海賊王にするのもいい。好きに夢を見て、好きに叶えりゃあいい。なぜおれがそれをお前に許しているか、分かるか?」

「……分かんないよ。なんでローの許しが必要なの!? 君だって好きにしてるじゃん。何も相談せずに海賊になったじゃん。私が好きにしてて何が悪いの!?」

「お前がまだ分からねェからだ。どうしたいか、どうありたいか!」

「それはだから、ラフテルを目指すって言ってるじゃん!」

「それは良いって言っただろ。おれとお前の話だ! 自分の気持ちに名前をつけれただけで、先のことなんかなんも考えちゃいねェ! 別に急かすつもりは無かったさ。お前におれを見るつもりがあるなら、それで良かった!」

 

 

 けれど、とローの手が震えたのがわかった。

 ここまで感情的なローを見るのは、いつぶりだろうか。

 ここが心の中だからか、リオには自分の感情が剥き出しになっている自覚はある。ローもそれに引き摺られているのか、或いは彼自身も、剥き出しの心なのか。

 

 

「一人で生きてるんじゃねェんだ、おれたちは! 何のために右目を渡したと思ってる! それにおれがどんな気持ちを込めてるか、お前はちっとも分かっちゃいねェ!」

「分かってるよ……! 私だって、分かってるから目を渡したんだ!」

「分かってねェ! 分かってねェから、生きてるだけでいいなんて言えるんだ! 他に欲しいものなんていくらでもあるだろうが!」

 

 

 他。ローが生きて、リオを見ていること以外に、他。

 

 

 固まったリオの周囲が崩れ落ちていく。円形に残った雪の舞台以外は、真っ暗闇だ。ゴウゴウと吹雪の音色が耳元で騒ぐけれど、それ以上に心臓がバクバクと鳴っていた。

 

 

 リオから摘出した右目は、リオの未来視を制限するためのものだ。

 それをローに渡したのは、リオが未来を視てしまっても、一人で抱え込まないようにするためだ。

 

 

 でもそれだけなら、リオの右目にローの目を入れる必要は無いはずだ。何らかの形で、ローがリオの目を持っているだけでいい。

 

 

 ローは目を渡す時、『形に残す』と言った。

 

 

 リオは今まで、受け取ってきた気持ちをモノの形にすることに固執していた。

 特に、側にいない人からの。

 

 

 目の届く距離にいなくても、忘れないように。ちゃんと、気持ちを返せるように。

 

 

 知っていて、その上で彼が形に残したのは、リオが理解出来ると、リオが返せると思ったから。そして、自分は側にいられない、という宣告でもある。

 

 

 2年前のマントはリオの正義を肯定するため。じゃあ、今回の目は。

 

 

 ローがリオのことを好きなのは知ってる。だってリオがそうだからだ。

 自分の目で世界を見たかったのも、ローを見ていたかったからだ。目の交換を提案された時も、悪く無いなと思った。リオの目がローの右目に入っていれば、ローがリオを見る度に、ちゃんとリオを見ていることが分かるから。

 

 

 それは、彼もだろうか。ローにも、自分を見ていて欲しいなんて願いがあるんだろうか。

 

 

 見ているだけで、満足なのだろうか?

 見てもらえるだけで、満たされたと言えるだろうか。

 

 

 欲しいもの。リオが、求めるもの。

 

 

「言っても、ローはくれないじゃん」

 

 

 リオにも、渡せないものはある。

 

 

 惚れた腫れたは腐る程見てきた。『あなたが世界のすべて』なんて、リオはとてもじゃ無いけど言えない。ローだってそう。『あなたのために全てを捨てられる』も無理。『あなたがいれば他に何もいらない』も同じく。

 

 

 だってリオたちは海賊だ。欲しいもの、やりたいこと、求めるものがあるから海賊をやっている。

 

 

 それが欲しいなんて言われても渡せないし、貰えるとも思ってない。そうじゃなきゃリオはリオじゃないし、ローはローじゃない。

 

 

 だから、これ以上発展しようがない。今が最上。

 

 

「それでいいじゃん」

「それじゃあ、海賊じゃねェだろ。おれたちはもう、海賊なんだ、リオ。何も切り捨てるな。欲しいもんは欲しいと言え。楽に与えられると思うな、奪い取るくらいの気概でいろ!」

 

 

 おれはそのつもりでいる、と告げた目は海賊の目だった。

 

 

 リオの知らない顔だ。いつも仕方なさそうに、ちょっぴり嬉しそうにリオを迎える顔じゃない。

 この雪原で、ローがしていた顔じゃない。

 もう、リオたち二人は海に出て、世界を知って。この雪原でモラトリアムを続けていた頃の二人じゃない。

 

 

 言葉通り、ローは奪い取るつもりだ。リオから、何かを。──いや、何もかもを。

 

 

 リオの自由を許すのは、いずれそれが自分の手中に入ると確信しているから、それまで泳がせているだけだ。

 だから今、当のリオが他人に奪われることを仕方なしとしていて、途轍もなく怒っている。

 

 

「じゃ、じゃあ。君が自分で、助けに来ればいいじゃん!」

 

 

 リオのこの言葉が、ローにとっての一番の地雷だったらしい。発した瞬間歯を噛み締めたローは、リオを突き放して拳を握り込んだ。

 

 

「なんで来てねェと思ってんだよ!」

 

 

 喉が千切れそうな絶叫に、慄く。

 

 

「え」

「だいたい、なんでお前は妄想と現実のおれの区別もつかねェんだ! あげく、子を作らされそうだ? それをおれには関係ないだと!? お前は、おれを、何だと思ってるんだ!」

 

 

 短く切るように言って、ローがリオを睨め付ける。

 

 

「いやあの、妄想じゃ……」

 

 

 その勢いに思わず後ずさって、足場がもう僅かしか残されていないことを悟った。

 

 

 ズンズンと歩み寄って、ローはまたリオの胸倉を掴み上げる。どれだけ無理な体勢にされても、苦しくはない。

 

 

「いいか、おれ以外の男と関係を持ってみろ、そいつを殺しておれも死ぬ」

「ちょ、ふざけんじゃねェぞ! 死ぬとか、冗談でも口にするな!」

「お前に言われたくねェよ!」

「ハイ……!」

 

 

 反射的に返事をして、リオは反論しかけた口を噤んだ。リオは自分の死を盾に脅したことはなかったはずだけど、そういうことじゃないのだ。

 

 

 そうか、来てるのか。ローは。

 リオのことを、案じて、他が手につかなくて。大事な作戦の前なのに、投げ出して来ちゃったのか。

 

 

 それからリオはローに向かって手を伸ばした。眼帯が、スルリとほどけていく。

 その下にあるのは、リオの目だ。自分の目が、この男の一部になっている。

 

 

「ごめん」

 

 

 ちっとも申し訳なさそうじゃない女の顔が、リオの右目に映った。ローが、リオを見ている。

 

 

「そう思うなら少しは態度に示せ」

「して欲しいの?」

「いや……残念ながら、おれが欲しいのはここで腹から反省するような女じゃなかった」

「君の言うこと、多分半分くらいしか分かんない」

「あァ、知ってる。全部分かるようじゃ苦労してねェ」

「うん」

 

 

 だけど、と囁いた。

 

 

「君から私の欲しいものを全部奪うって、魅力的だね」

 

 

 何が欲しいのか、正直リオにもよく分かっていない。他人に倣いたくもない。

 与えられてばかりのリオだけど、本当は与える方が好きだ。少しでも多くの人に平和と安寧を。そこから始まったのが、リオだから。略奪は、リオの性質じゃない。

 

 

 けれども、確かに。欲しいものはたくさんある気がする。何もかもを奪い去り、蹂躙する獣性が、彼を目の前にした自分の中に、埋まっている気がするのだ。

 

 

「……奪われても、嫌じゃないの?」

「もう奪ってるだろ」

 

 

 ぶっきらぼうな言葉に瞬けば、ローの手が胸元から離れて、同じようにリオの眼帯に伸びた。ほどけても、リオの視界は増えない。

 

 

「そうだね。……ローは、私のこと大好きだもんね」

 

 

 ゴチン、と軽く頭突きをされて、ローが仕方なさそうに笑った。

 

 

「ほらな」

 

 

 奪うのも、悪くねェだろ?

 

 

「ほんとだ」

 

 

 視線が合って、お互いの視界にお互いがいて、己もいて。

 悪くない気分だ。

 

 

 瞬けば、また元の通りのだだっ広い雪原だ。

 あまりディティールが細かくないのは、あくまでリオの心に準拠しているからだろう。けれど、ローは本物、と。

 呟いて、その顔を見上げた。

 

 

「なるほど、この目か。未来視が伝播するのは分かってたけど、心まで混線するんだ。どこまで見えてた?」

「殆ど全部だろうな。そういう『目』なんだろ、お前のは。一回他人の感情を自分に転写して、映像電伝虫みてェに映し出す。厳密には目で見てるんじゃなくてお前の言った通り、映像の形で周囲に伝播させてる。だから視界を共有してるんじゃねェのに、おれにも同じ光景が見えてる」

「なるほど、映す対象が私の心なら、未来視と同じく来れるのか」

 

 

 納得してる横で、ローは少し苦い顔をしている。漏れると不味いと思ってるんだろう。

 今まさにリオの力が狙われている状況で、本人がいなくても力を発揮できると知られたら。

 

 

「隠し通せよ?」

「なんでそこは分かんないのさ」

 

 

 君じゃないと発動しないよ、と続けてリオはニッと笑った。

 

 

 コン、と硬い音がする。雪原の向こうから。

 鳴らすものなんて何処にもない。幻聴だ。

 

 

「待ってるから、早く来て」

 

 

 言って、リオは後ろを振り返った。何もない。けれど、確かに音が響いている。

 

 

 ドアをノックする音。ずっと心の中で響いていた音。

 

 

「聞こえるでしょ? ずっと五月蝿いの」

 

 

 迎えに来て欲しいのだ。リオの心は、向こうからドアが開かれるのを待っている。

 

 

 いや。それだけではなくて。

 

 

「ああ、そっか。これ…………。私の、未来か」

 

 

 未来視。

 いつかどこかで生まれる感情に共感し、紐付いた五感の一部まで伝播するもの。ずっとこの空間に満ちていたもの。

 預けた片目によって、リオは自分を見ることが出来るようになった。

 

 

 ならば、リオの視界に映る『すべて』に、今はもうリオ自身が含まれている。分かたれた鏡は確かに己を映し、初めて自分の姿を知った。

 

 

 今はまだ音だけが響く、不完全なもの。だけど、それでいいのだ。

 リオはもう、夢を叶える力を手に入れた。願った未来を現実にするための努力が、メルリオールとして生きていくということ。

 

 

 であれば。

 リオはこの力を、『見る』ではなく、『見せる』方に使わなければならなかったんだろう。だから、これで正しい。そんな直感があった。

 

 

「ご丁寧にノックなんかするはずねェだろ」

「意外とするじゃん、君は」

 

 

 納得してなさそうなローはチラリと雪原を見渡してから溜息を吐いた。

 

 

 途端、雪が蒸気を上げながら溶けていく。足元がぬかるんで、瞬く間に水溜りに、そして池、湖と広がって。

 海になった。

 塩辛い風、磯の匂い、波の音、照り返す日差し。

 

 

 中途半端に空中に浮かんで、能力者のローはすぐ下の海に変な顔をしている。

 

 

「まァ、これならまだ楽か……」

「え?」

 

 

 聞き返したリオに、ローは不満そうに「雪原も悪くはねェだろ?」と呟いた。

 

 

「え、もしかして雪が降ってたから出てきたの?」

「雪原を歩かせるなと言ったのはお前だろうが」

「あァ、それで迎えに来たの……」

 

 

 聞こえていたならそうか、と頷いて、リオは海原を見渡した。

 今度は、ディテールも細かい。リオはもうずっと、海と共に生きているから。

 

 

「おい!」

 

 

 一歩、足を踏み外す。落ちようと思えば一瞬だ。驚いたローが手を伸ばすより早く、海面へ飛び込んだ。消える直前、呆れた顔に微笑んでリオは水中を潜っていく。その先に、ポッカリと開いたドアを目がけて。

 

 

「ったく」

 

 

 なんて、呆れ声に笑った。

 

 

「追いかけるだけで一苦労だ、こっちは」

「それが好きなんでしょ」

 

 

 言い返して、扉を潜る。

 

 

 薄らと意識が覚醒していく。戻ってきた、という感触があった。同時にずっとここにいた、という感覚も。

 

 

 コン、と硬い音がした。

 

 

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