「あと2秒……!」
覚醒するなり叫んで、喉が千切れそうだ。
乱雑にリオを引っ掴んだ手が、抱え上げてすぐさま逃げの体勢に入る。
一度、二度、三度と跳べば、リオのいた部屋が盛大に吹き飛んだのが分かった。
「なんだありゃ……」
「ローが呑気にノックなんかしてるから……!」
「お前がしろって言ったんだろうが!」
噛みつきながらも、ローは背中にリオを背負い直して駆け出した。
「島の状況は分かるか!?」
「だいたいは!」
変な感覚だ。さっきまで心の中でローと話していたと思えば、現実で島の状況を見聞色で探っていた記憶もある。クラッカーの襲来から、またかなり時間が経っているようだ。
サニー号が着港して、上陸した皆は二手に別れて行動を開始した。
片方がブルックと、恐らくミンク族が一人。
もう片方がルフィ、ナミ、チョッパーにこれまたミンク族が一人。確か、ゾウで最初に襲って来てたウサギのミンクだろう。それから、ロー。
ブルック側は城下町に向かったようだが、ルフィ側は裏手から城を目指し、何やら戦闘に巻き込まれたようだ。恐らく、その辺りでリオが昏倒し、ローがこちらに注力した。そのせいで色々手間取っていたような感じはある。
最終的にルフィは今、将星の一人、クラッカーと絶賛戦闘中。現在時刻は空が白み始めた明け方。
「ゲェ、クラッカーのやつ、なんか言ってた?」
「おれは聞けてねェが、多分な」
何か言い合いになっていた、というくらいしかローは把握出来ていないらしい。ほぼリオにかかりきりだったろうから、仕方ないだろう。
本当にあの後向かったのか。で、ローは途中で抜けて単身リオのところまで、と。
「ともかく、こっちはこっちで逃げよう。ルフィもクラッカーくらいならいけるでしょ」
「ルートを指示しろ。どこに向かえばいい?」
「ちょっと待って、視る」
トン、とローの肩を叩いて準備させる。さっきまで死にかけていたお陰で殆ど未来視が出来ていなかったが、集中すればいけるだろう。
ひとまず、と城から離れるために走り出したローの背中で、左目を開く。
「……おやァ」
「あ?」
バチン、と走った最初の光景に、リオとローは一瞬固まった。
未来に気を取られた瞬間、今度は現在からの警鐘が鳴る。
「……飛んで!」
「ッ!」
能力が行使され、直前までいた場所が抉れ飛ぶ。もう追いついてきやがった。
慣れてないローの分、リオが今を見るサポートをしないといけない。というか、今必要なのは半日後だとか、明日の未来ではなく、数秒後。
命の危機が、目前に迫っている。
「カタクリ……!」
「思ったよりは動き出しが早かったな、メルリオール」
その視線がリオと、しがみついているローに向けられた。
「なるほど、そいつか」
キュルリと絞られた瞳孔が獰猛に輝く。
リオはすぐに右目を開いた。少しズレるが、ローも両目の視界があった方が良い。
同時、覇気を纏った腕が振り下ろされた。
「シャンブルズ!」
「わ」
空中に跳んだ体に慌てて抱きつく。傷を負った腕がズキンと痛んだ。
「ごめん、私が伝えるべきだった!」
「持てるか?」
「うん」
ローの大太刀、鬼哭の鞘を差し出され、左手に握り込む。リオの握力もかなり怪しいが、ローはリオが背中からずり落ちないよう片手で支えている以上、協力しないと刀が抜けない。
抜き放った鞘は申し訳ないが放っておいて、ガキンと嫌な音を立ててぶつかった両者に身を竦める。
ここはROOMの中だというのに、攻撃が通じてない。
濃密な覇気に、リオもバチバチと未来視を繰り返す。武装色を纏い、モチに変化した硬くて柔らかいという矛盾した腕が、あらゆる角度からリオたちを襲う。
「左、抑えて!」
向こうも視えている。けれど、リオの方が先を視れる。
「ッ!」
回り込んできた攻撃をガード。その未来が視えたことで次の手を打ち始めたカタクリに対し、リオがまた先を視る。そうやって、リオは10年もの間この男から生き延びてきた。
「視えてるね? 私が見せてるものを、視えた順に対処して」
「簡単に言ってくれるッ!」
そして、ローが対処する。弾丸のように襲いくる小さなモチを撃ち返して、ローはカタクリの背後に回り込んだ。
「メスッ!」
「遅いッ!」
また、ガキンとぶつかり合う。そこに、リオが白鳴を混ぜて弾き返した。体が動かなくても、ただぶら下がっているだけのお荷物じゃない。とはいえ、ローの負担になっているのは事実だ。
「次、必ず避けて……。3、2、1」
リオのカウントと共に、必死にカタクリの攻撃を捌いていたローが大きく飛び退いた。その鼻先を、カタクリの腕が抉っていく。これは受けれない。
いくら未来視で先を行っていても、リオを背負って片手のローでは限界が来る。
「こっちにかかりきりでいいの、君」
だから、リオはそう口を挟んだ。手を緩めないカタクリに、「崩れるぞ」と言い放つ。
「ホールケーキ城は崩壊する」
ガン、とまた覇気同士がぶつかり合い、一方的に弾かれた後。彼は声と思考で問いかけた。
『何処まで視えた』
「戯言を。惑わすつもりか?」
リオに未来視をさせても嘘を吐く、と宣言したのはこちらだ。
『嘘かどうかは分かるはずだ』
「結婚式の日に」
『また面倒事を……!』
「だから今は見逃せ、と? 結婚式までまだ日取りはある」
「そっちで私の未来視を心から信じているのは、君しかいないだろ」
『こっちもサンジを取り返すまで、出ていくつもりはない』
「知れたことをいちいち話すな」
リオを支えるローの手に、グッと力が篭った。言葉以上に交わされているカタクリとの会話の片鱗が、ローにも流れ込んでいる。
「……リオ」
「うん」
これは、上手くいく。結婚式までリオとローは逃げ延びる。
カタクリと戦うのはここじゃない。コンディションの悪い中戦ってどうにかなる相手じゃない。
「マムはどうせ結婚式に夢中だろ」
「……島から出た瞬間に、殺しに行く」
言い放って、カタクリは背を向けた。相変わらず行動が早い──というのは、リオが言えた言葉じゃないだろう。
未来が視えたからには行動を起こさないといけない。
その、どこか焦燥感にも似た想いも、彼とリオの共通項だ。
世界というのはよく出来たもので、視えた瞬間動き出しても間に合わないくらいのタイミングでしか、未来を視せてこない。
歩き出そうとした足を止めて、少し振り返った視線がローとリオを見た。
「変わったな、メルリオール」
「…………」
「弱くなった。昔のお前なら、生存だけを理由には動かなかった。そいつのせいか」
そいつ、と槍玉に上がったローを宥めるように溜息を落として、リオは緩慢に首を振った。
「目を背けないで」
「…………」
数秒間の後、無言のままその姿は消えていった。
島を出るなとは言われたものの、ローとリオはひとまずサニー号を目指した。城の裏手で隠れ続けるのは流石に無謀だし、そもそもリオの体調がそれを許さなかった。
「2回目だろ、その毒。耐性もついただろうが、体力が落ちている」
「うん……」
アドレナリンが抜ければ、残ったのはあちこちに負った傷と高熱だけ。折れた足をぶら下げて運ばれながら、リオはローの背中で朦朧としながら頷いた。毒による熱と怪我による熱が重なって拗れている。治療には船の設備が必要だ。
「ゾウで仕入れた薬草がまだ残っている筈だ」
「うん……」
「無理はするな、寝ていろ」
「ん……」
リオを背負い直したローが、「結婚式までに少しでも回復しておけよ」と声をかけた。
微睡んでいく。
変わったな、と繰り返したカタクリの言葉を思い返した。
確かに、変わった。
かつてのメルリオールは、誰かに任せるということをしなかった。全て自分がやらねばならないと思っていた。
理想の自分であるために。
誰かの背中で微睡むような時間を、自分に許さなかった。必要とも思えなかった。走って、走って、前のめりに倒れこんで動けなくなるまで走り続けることだけが、メルリオールとしてある意味だった。
それを、変えたのは誰だろう。
「ありがとう、ロー……」
囁いて、今度こそ逆らうことなく眠りに落ちていく。
変わっていくもの。変わらないもの。
変わることが正しいとは思わない。同じように、変わらないことが正しいとも。そして、正しいことが、善でもない。
どちらを選ぶか、だ。
リオの中ではもうすぐ、ちゃんと整理出来るだろう。
覚醒は一瞬だった。目を閉じて、開いただけのように思う。
サニー号の医務室のベッドで、リオは泥のように眠っていた。
「起きたか」
「うん」
上半身を起こせば、水の入ったコップが差し出された。
腕の痺れは殆ど取れている。鈍痛は仕方ないとして、物を持つくらいは出来る。
飲み干して、軽く身体の調子を確認した。この島に来てから一睡もしていなかったのが響いているが、元々傷の治りは早い方だ。流石にまだ歩けないが、それを除けば及第点だろう。
包帯は綺麗に巻き直されていて、両足にはギプスがはまっていた。なんの配慮か、両目にも包帯が巻かれている。
「時間は?」
「だいぶ経った。もう午後だ。さっき少し目を使ったが、気付いたか?」
「ん、待って……」
意識を向けて、未来を拾い直す。ルフィの方か。
「……大丈夫そうだね。ジンベエが助けに来る」
「待つか?」
「うん。私たちはチョッパーの方に合流かな」
あちこち状況が動いている。ルフィとナミが捕まっているが、逃げ出せる未来は視えている。同じくブルックも捕まるが、これも助けられそうだ。
チョッパーはミンクと一緒に鏡の中。仔細はわからないが、大丈夫そう、と。
「まだ、時間に余裕はありそうだね」
「さっきもやったが、少し整理しておきたい」
それから、未来視に慣れておきたい、とも続けてローは眼帯に触れた。
確かに、戦闘になるなら未来視は避けられないだろう。
「いいよ、ローの方の目を開いて。目を持ってるだけじゃ、視たいものは制御出来ないと思うけど、基本的には近くから視てくから大丈夫かな」
「現在が疎かになる、と言ってた理由がよく分かった。おれの方は感情自体を直接拾ってねェ筈なのに、自分の視界より未来視に意識が向く」
「ある程度は、慣れかなァ」
解かれた眼帯から、少しずつ未来視が届き始めた。この状態で会話をするだけでも、ローにとっては良い訓練になるだろう。
「分かった。で、さっきのがカタクリだな?」
「うん」
「おれが思い切り睨まれてたのは?」
「そうだっけ? 理由は知らないけど……。あ、そうかァ、多分……あー……」
「なんだ」
言い淀んだリオは、深呼吸してから口を開いた。
「知っての通り、奴らは『マムの血筋』を何より重視するから。一旦脅しとして、そのォ……。別の種を孕んでいるかもよ、ってね、言っておいたの」
冷めた視線が向けられた。
「その無駄に思い切りのいい所、短所だからな」
「はい」
「まァ、それで先延ばしになったんならいいが」
「どうかな。口からでまかせだって決めつけられたよ。でも、そしたらローが出てきたからおや、と思ったんでしょ」
昔のリオ、もといメルリオールからは出てこない言い訳に訝しんだのは事実だと思う。
どう、考えたのか。表出する事なく処理された思考のうちに少し思いを馳せてから、ローに向かって手を伸ばした。
「それとも、『真実』にしてくれる?」
そうすれば、リオの問題は先送りに出来る。
ピシリと固まったローは、思い切り唇を噛んでからリオの額をペチリと叩いた。
「ふざけるな」
「怒られたァ」
「怪我人を相手にする気はねェぞ、おれは医者だ」
「ふふ、うん。言ってみただけ」
それに、と続けてローはそのまま手を動かして、リオの右髪を浚っていく。そこには、エースに貰った髪ゴムがある。
「お前は少し、気が多すぎるな」
「……嫉妬?」
「まァ、これはいいとして」
溜息混じりの声に笑って、ローの手に自分の手を重ねる。緩く握ってみたり、指の間をなぞってみたり。
「言ったろ。
「……なんだ。もっと簡単に全部奪い尽くせると思ったのに」
「少しはお前も苦労しろ」
「困ったなァ」
もう一度リオの額を叩いて、ローが身を乗り出した。ベッドに片腕を着くから、ギシリと軋む。
彼が開いた右目から、大人しく寝転がっている自分の顔が近付いていく。
「え」
「黙ってろ」
低い声で唸って、視界が閉じた。
身構える隙もなく、少しカサついた感触が、唇に触れる。
何を。されているかは理解している。
だって、リオの力はそういうものだった。
昔からだ。人間が心を動かせば動かすほど、その感情と情景を伝えてくる。見ず知らずの人間の見ず知らずの人間に対する好意を。いくらでも視てきた。そのせいで己の恋が定義できないほどに。その感情を、嫌悪するほどに。
いくらでも経験してきた。疑似体験だとしても、同じように、無理矢理リオの心は動いてしまう。
だから。ローの指摘は正しい。
リオは、どうしても『他人事』のように捉えてしまう。
はずなんだが。
自分のものじゃないかのようにバクンと鳴った心臓が、無駄に血液を全身に送り始める。馬鹿になってるんだ。そのせいで、絶対に顔が真っ赤になっている。
触れるだけで離れていったローの首を掴もうとして、急に動かしたせいで引き攣れるように痛んだ。
「待っ…………た。ズルい。狡いそれは」
支えるように伸ばされた手を掴んで、自分の目に巻かれた包帯を解いてくれと首を振る。何をして欲しいか分かっているはずなのに、ローは少し勿体ぶってから解いた。
「どうだ? 先は長そうか?」
「ロー、君っ……! クソ、自分だけ顔隠しやがって」
「は、悪くないな」
ニンマリと笑ったローはまた、リオの知らない顔をしていた。
ちょっとくらいイチャイチャさせとこうかなって……