部下たちに離れたところでの待機を命じたリオは、麦わらの一味への警戒は解かなかったものの、ローの存在により一気に態度を軟化させた。軟化と言うのは、立って息をしているのを認めた、と言うレベルの話だが。
リオの場合、相手が海賊であるかどうかで警戒をしているのではなく、また違った視点を持つが故に警戒が解けないのだろう。襲いかかっていないだけかなり許容している方だ。特に、この時代のリオであれば。
「おれの見立てだと、このリオは16か17くらいの頃だろう」
いくつだ、と視線を落とせば、落ち着かない様子のリオはぷいと視線を逸らした。
目の前のリオは腰元に二挺二刀、恐らく服の下に隠しているだろう白銃に無数のナイフと見た目はかなり物々しい。
ローの知る現在のリオは一挺一刀のみ。なんならシャボンディで会った時は何本かナイフを所有しているだけだった。
銃であれ剣であれ、修めるには時間がかかる。その点、リオは本人こそが最大の武装であるが故に、武器は補助でしかない。
一定の間隔で動く眼球こそが、リオをこの海で生き永らえさせたもの。そして、この年齢から長らく海に縛りつけたもの。
「いまは16」
「だそうだ。色々言いてェことはあるが、ちょうど10年前だな。どうやらこれが若返りの噂の正体らしい」
言いながらローは離れたところで纏まっている麦わらの一味の方へ振り返った。この状況で五月蝿そうな船長などは海楼石の手錠が解かれておらず、まずはその辺りの交渉からかと嘆息する。
「その、見ただけで年齢が分かるってのはこう……」
「なんというか、トラ男くんだから許されている感じよね」
「真面目な話くらい真面目に聞け!」
ウソップとナミに怒鳴りかえしたローは、傍でピクリとリオが震えた為にまた視線を戻した。
「どうした」
「い、やァ……。その」
また目が泳いだ。先ほどからあまり視線が合わない。
身長のせいもあるだろう。普段にも増して視点が低く、地面に着きそうな正義のコートがあまりにも懐かし過ぎて眩暈がする。
とは言え、ローが問うても答えが返ってこないのは、例え現在のリオが10年前の姿をしていたとしても異常事態だ。リオはローの患者として質問には正確に答える習慣があるし、明言を避ける事はあっても結論を後回しにするタイプではない。ようはせっかちなのだ。
「ローは、私からすると10年後のローってことか?」
「そういうことになるな」
「ここ、新世界なんだが……。あァ、そう、か。背ェ、伸びたな」
この荒っぽい口調も今となっては懐かしい。
それ以降完全に沈黙したリオに対して、ローは湧き上がる焦燥感を意識的に飲み下した。これは恐らく、ローの感情ではない。一人の人間には抱えられないほどに溢れたもの。そして、繋がった右目から雪崩れ込んだもの。
そもそも何故リオはこの姿になっているのか。ローは目の前にいるのが本物のリオであると断言できる手段があり、それ故に幻覚の類ではないと判断できる。
島の噂からして若返りが事実であり、目を離したほんの一瞬でなんらかの事故によりその水を摂取することになったのだとしても疑問点は残る。
目の前にいるのはまさしく10年前のリオそのものであり、それ以降の記憶を保持していないと言うのが一つ。それがこの現象の法則なのだと納得することにしたとして、では彼女が連れていた海兵たちは何者なのか。
直前までこの島に人間の気配が無かったことは確実で、姿を消した次の瞬間若返ったリオが数多の部下を連れて現れた。
一つ、荒唐無稽で、尚且つ納得できる説がある。それを確かめるにはまず、表には出さずに焦りまくってショート寸前のリオをどうにかしなければならないだろう。
「リオ、最後におれに会ったのはいつだ」
「え、あ。……一週間前」
「近ェな。まァいい。その間何処か怪我してねェか、見せてみろ」
鬼哭を手渡して、代わりに軍帽を取り上げる。普段そうしているように瞳を覗き込み顔色を確認する素振りを見せれば、まず強張っていた肩が下がった。これで一つ。
リオと接する上で、モノを渡すという行為は非常に重要だ。リオの為に選んだモノを贈る、もしくは自身の大切なモノを預ける。こういった情を先んじて目に見える形で渡すことで、リオの警戒ラインが一気に引き下げられる。
与えられたものを返すだけの機械、とローですら口にしたことがある。これを嫌ってローは極力リオにモノを渡さなかったわけだが、鬼哭の鞘を握り締めている手を見る限り効果は明白だ。
「外傷はねェな」
「う、ん。でも、さ……」
「言っていいぞ」
「っ」
努めて沈黙を保っている一味の面々が今はひたすらに有り難かった。ローの前で言いたいことを濁し続けるのも、不安げに瞳を揺らして見せるのも、16のリオは絶対にしなかったことだ。重ねて言うが、これは異常事態だ。
無謀で、尊大で、己の理想をひたすらに信じて突き進む。それに少し疲れた時にローの元へやってきて、無邪気にはしゃぎ回っていたのがかつてのリオだ。ローはきちんと、己がどのような役割を果たしていたのか自覚している。どんな精神状態にあろうと、リオはローに会えば前を向けるのだ。
それなのに、この有様。ならば理由は一つだろう。根幹が、揺らいでいるからだ。
「ロー……」
「仕方ねェな」
名前一つで口籠ったリオに肩を竦めて、能力を行使する。
差し出した掌の上にROOMを展開し、ゆっくりと押し広げて二人がすっぽりと入る広さまで。
「なに?」
「おれたちの出した音は全て消えるの術、だ」
戯けてみせたローに瞬いたリオは素早く手術室の範囲を見渡して、漸くクスリと笑った。
「本当か?」
「外に出て試してみてもいいぞ」
「言ったな? じゃあ試してくるからローは腹太鼓でもしてて」
「するかよ」
検証は麦わらの一味を一瞥しただけで済んだらしい。今思えばこの歳から他人の聴覚情報すら読み取る恐ろしい精度の見聞色だ。そもそも、これを見聞色と分類して良いのかどうか、その力の一端に触れたローは疑問に思っている。
「ロー、あのね。さっきから右目が全然見えないんだ。それにこの島に来てから、ローも、あいつらのも、先の未来が全く視えないんだけど。ローなら、治せる?」
やっと口に出された言葉は、口調以上の嘆願が載っていた。この時代のリオにとって未来視の力は自身の証明であり、旧友との繋がりであり、正義の手段でもあり、良くも悪くも存在価値そのものと呼んでも良いものだ。
これが人知れずリオがパニックになっていた理由であり、制御出来ずローに流れ込んでいた焦燥感の発生源でもある。
ここで対応を誤ると下手すれば人格が崩壊するレベルの一大事ではあるが、これもローには対処出来る。
「ああ、問題ねェ」
「本当?」
「お前が本当におれの知る過去のリオなら、おれの時代のお前が問題なく未来視をしていた以上、治るのは確定と見ていいだろう。恐らくこの島による異常で、原因が明確にあるはずだ。お前の力に例外はねェよ」
気負うことなく肯定して、もう一つリオがずっと気にかけて焦っていた原因に触れる。つまり、ローの右目を覆う眼帯を。
「お前の右目ならここにある。話すとややこしくなるんだが、多分同時に存在できねェ縛りか何かだろう。こっちのリオは存在自体が弾かれたらしいが、目の方は本来の持ち主より俺の方が優先されたらしい。原因までは推測出来ねェな」
言いながら眼帯を解く。ローの視界は増えなかったが、目の前のリオはそうじゃない。視線を合わせてやれば、大口を開けたリオが右手と左手を交互に持ち上げた。初めて鏡を見た猿のような動きだ。
「え!? 私死んだ!?」
「縁起でもねェこと言うな! 弾かれたって言っただろ。さっきまではその辺にいたんだ」
「そ、そう。ローが怪我したわけでも、ない?」
「おれのはお前が持ってる。おれの時代の、だがな」
言われた言葉を飲み込もうとしたリオは、失敗してただパチパチと瞬きを繰り返している。
「あ、あの。10年後のローと私って……。私の計画だと海兵と海賊として毎日ドンパチやってる筈なんだけど」
「お前それ正気の時に立てた計画か?」
「うるせェ!」
明言は避けたが、リオのことだ。ローの思考を盗み見て、顔面が面白いぐらい赤くなって青くなって、最後に白くなっていく。
「お前相手だと隠し事が出来ねェのは面倒だな。まァ未来のお前の様子を見るに、タイムパラドックスは考えなくてもいいらしい」
能力を解除して、今度こそ完全にフリーズしたリオを前に麦わらの一味を呼び寄せる。未だ海楼石に囚われた面々は置いておいて、まず第一にナミが駆けつけたので、これ幸いとリオの前に立たせた。
「残念ながら、これがお前の未来だ。こいつらはお前の所属する海賊船のクルー。おれはその──簡単に言えば同盟相手。分かったらまずは錠を解いてくれ。いい加減麦わら屋の視線が鬱陶しい」
「ちょっとトラ男!? その事実リオには刺激が強過ぎるんじゃない!?」
「隠せねェんだから仕方ないだろ。おいリオ、深く考えるな。お前に視えていない未来なら、お前にとってこれはあくまで可能性の一つだ」
そういう理屈で割り切ることができるだろう。少なくとも、この時代のリオであれば。
考え方が極端過ぎるのが良い方にも悪い方にも働く。
「そういう、こと、なら……? いやあり得ねェだろなんで私が海賊に……?」
「そう言うならお前と仲が良い海賊をあげてみろ」
「仲は良くないよ! ま、まァいい。一旦忘れることにする。お前らは迷い込んだ一般海賊……! ってことで、島内の行動許可くらいはやろう。どうせこの島一般人いねェからな」
首を振って瞬時に持ち直したリオは、心配そうな表情で自分を見ているナミに不機嫌そうに目礼をして手錠の鍵を取り出した。
これでようやく話が先に進みそうだ。
「ようやく酷ェ顔が元に戻ったな」
「酷いってなんだよ。ったく、おいお前ら、さっさと能力者共を連れて来い」
「ありがとうリオ! サンジくん、連れてきて!」
後方に声をかけたナミは「あ」とすぐ振り返って「ごめんなさい! 色々と順番間違えちゃったわ。まだこっちのことを知らないんだものね」とリオに頭を下げた。
口を挟むまでも無かったか、と静観することにしてローはリオの手から鬼哭を取り上げる。抵抗はなかったので、軍帽をナミに手渡した。
ワラワラと寄ってきた一味の全員が顔を見合わせて、手錠を解かれたルフィが一歩前に出る。
「おれはルフィ、海賊王になる男だ!」
「は?」
自己紹介されたことに気づいて、受けたものを返すリオが反射的にし返そうとしたことを察して、ローは一人遠い目をした。この悪癖が今のリオから失われたのか、意識的に抑え込んでいるのか、念の為確かめた方が良いかもしれない。
どちらにせよ、この場でリオの返答はなされなかった。
「よろしくな、『
はい、とナミが軍帽を手渡して、「あたしはナミ。御高名はかねがね伺ってるわ。新世界で最も有名な海兵、メルリオール准将」と笑う。
「そ……そう? まァ私はいつか『すべてを救う』海兵だ。悪いことさえしなきゃお前たちだってその対象。未来を信じて精々悪事を為さないように慎ましく生きるんだな!」
「ええ。あんたがすべてを救うところ、あたしたちはみんな楽しみにしてるわ」
ポカンと口を開けたところからじわじわと嬉しさに顔が緩んで行き、顔を隠すように軍帽の鍔が引かれて、それじゃあ勿体無いと思ったのかすぐに手が離された。
「…………。うん!」
花が綻ぶように、と表現するのは自分らしくないだろうか。
自分の夢を肯定された。
『メルリオール』にとってそれは、どんな賛辞よりも胸に響くものだと理解している。
自分がどんな表情を向けていたのか、自覚がないままにローの背中をいくつかの掌が同時にぶっ叩いた。
「おい! おいトラ男!」
「ちっちゃいリオかわいい〜〜!!」
「罪な男だわ……」
「やめろ! そこまで小さくもねェだろうが!」
吠えて、次々に始まったリオへの自己紹介が一巡した頃にその肩を引いて少し距離を取らせた。
「どうかした?」
「こいつらのことは深く考えなくていいと言ったし、こっからお前が理想を抱えてどう歩いていくかも自分で決めりゃあ良い。海兵だろうと海賊だろうとそれ以外でもな」
ただし、と断りを一つ。
「おれとお前の関係についてはしっかり脳に刻んでおけよ。お前の所属がなんであれ、最終的におれのところに落ちてくる以外の未来はおれが認めねェ。忘れるな」
その揺れるブラウンの瞳の奥に、自分が映っている。そのことにどれほどの価値があるのかを、よく知っていた。
リオはローの言葉がどう言う意味合いであるか、考える前に思考を落とした。全く、厄介な女だ。
代わりに愛だの恋だのという、リオの理解出来ない感情を含ませた言葉を発したローだけを視て、その口元を綻ばせる。
「ドフラミンゴ、倒したの?」
答えないローから何を読み取ったのか、リオも口にはしなかった。
「それは悪くない。悪くないね。私のこれまでとこれからの計12年は、決して無駄にはならないわけだ」
それは変わらないのかと、笑い出したい気分になった。10年前。ローがスワロー島を飛び出して海賊になった頃。リオに何も告げずに海に出た。
どれほどの葛藤があって、どれほどの絶望があったのか、ローは知らない。何もかもを棚上げして、先延ばしにして、ローとリオは北の海で数多の時間を過ごした。
ローとリオとが出会って12年。海軍に入隊してからも、そのくらいか。時代に区切りを打つ時に彼女があの日を選ぶことを、あの日自分に向けて成された『すべてを救う』という宣言が確かにここにあることを、ローは何よりも得難いと感じていた。