雪が降る。
雪とは空気中の塵を核に出来上がるものらしい。雪の降る地域は空気が綺麗だと考えれば良いのか、それとも遥か上空の汚れまで地面に積み重なっていると考えれば良いのか。
確かなのは一つ。雪は、純白だ。
「こりゃあ、雪じゃねェよ」
「そうなの?」
ああ、と頷いたローがマグカップ片手に呟いた。窓辺に噛り付いていたメルリオールは毛布を頭から被ったまま振り返る。暖かなリビングの片隅では暖炉の薪がパチパチと音を立てて炎を揺らしていた。
昨日の夕方になって押しかけたメルリオールは、腹が抉れるような大怪我に適当に包帯を巻きつけていて、それはもうガミガミと怒られたものだ。オペが終わって絶対安静を言いつけられたせいで、窓から外を眺めるくらいしかやることがない。
「絶対安静ってのはベッドから身を起こすなって意味だからな。お前いつも聞かねェけど」
「もう動けるし。ローが大袈裟」
「碌に寝やしねェ」
「そっちだってベポたちみたいにぐっすり寝るタチじゃねェだろ」
メルリオールは日に3時間も寝れば良い方で、大体は徹夜か1、2時間の睡眠だ。限界が来ると勝手に眠るのだから普段はそこまで気にする必要はない。というようなことを考えていたのが伝わったのか、ローが席を立ってこちらに歩いてきた。
ベッド脇からメルリオールを挟んで窓の外を眺める。
「また部下を外に放置してきたのか?」
「いや、近隣の基地に向かわせた」
「そうか。見ての通り外はかなり冷え込んでる。寒さが苦手なお前じゃなくても堪えるだろう」
ふうん、と返してまた窓の外に視線を戻した。青空が見えるのに、雪が降っている。
「だから雪じゃねェよ、細氷だ」
「同じじゃねェの? 氷が降ってくるって」
「相変わらず情緒がねェな。ダイヤモンドダスト。聞いたことねェか?」
「ダイヤモンド?」
宝石の名を冠した現象の名を聞いて、窓枠に手を伸ばす。パチンと鍵を開けばローが慌てたように手を伸ばして来るが、メルリオールの方が素早い。
「さっむ!!」
「そう言ってんだろうが! おいやめろ傷に障るッ!」
「見て」
窓枠から身を乗り出して、冷気の張り詰めた大気に手を伸ばす。青く澄み渡った空から届く陽光で、チカチカと辺りが光った。氷の結晶が太陽光を反射してるらしい。
「綺麗……」
差し伸べたメルリオールの掌にキラキラ光る結晶が舞い降りる。けれどもそれは、触れた瞬間に消えてしまった。肌に当たった氷の粒の感触が、冷気と共に指先の感覚を奪っていく。
雪は静かで、冬は寂しく、寒さは命に牙を剥く。だが、メルリオールはここにいる。
包帯塗れの腕をローがむんずと掴んで室内に引き戻し、ピシャリと窓を閉めた。手にしていたマグカップを両手に包ませて、ついでに包帯の緩みを確認している。普段は素っ気ない態度でも、根っからの医者なのだ、この男は。
「余計なことしやがって」
「だって綺麗だったぞ。ローもそう思うだろ?」
「……。まァ。白くて、キラキラしてるやつ、なァ……」
「なに?」
目を眇めたローが、メルリオールを見下ろしながら仕方なさそうに首を振った。
じん、とマグカップの熱に痺れる指先で、メルリオールはクスリと笑う。
「寒いから帰るの明日にしようかなァ」
「3日は寝てろと言っただろ」
「ふふ。嘘、昼になったら帰る。次は、さ」
言葉を切って、メルリオールはゆったりと目を閉じた。
「あんなふうにキラキラしてる宝石、みせてあげるね」
「要らねェよ、見飽きた」
「え、そんなしょっちゅう起きるの? ダイヤモンドダストって」
「いや……そうじゃねェが。まァだいたい、月に一度くらいは」
そうなのか、メルリオールは初めて見たが。
ぱちくりと瞬いて、メルリオールはふにゃんと笑う。今回は、来るなとは言われなかった。言われたって来るし、本気じゃないと知っているけれど。
「んじゃあ、別の面白いモン持って来るな。また来月に」
「ああ」
2年。2年、だ。メルリオールがあの島に通ったのは、たったそれだけの歳月だった。
突然崩れたその日々に、メルリオールは既に一つ、『気付いてはならないこと』を悟っていた。
「そろそろ時間?」
パチリと目を開いて、腰の銃に手をかける。それだけで眠気が吹き飛ぶように訓練されていた。
立ち上がろうとするメルリオールを制して、いつのまにか抱き込むように背中に回っていたローがギリギリまで山頂に留まることを提案する。この山が火山になるところを近くでみたいらしい。
「でも私、部下を置いてきてるから。一旦戻んないと」
「電伝虫くらい持ち歩いてんだろ」
「艦に居たら良いんだけど、見た感じ結構外出て遊んでんだよなァ」
「良いのかそれで海軍は」
昼の間の行動は指示していない。夜間の自由時間がない分好きにさせてやってるというか、もう手詰まりでしてもらうことがないというか。
水平線を見ればもう日は沈みかけで、一旦戻っている時間はなさそうだ。子電伝虫を取り出して出た奴から簡単な報告を聞く。島の中を麦わらの一味が探索していたようで、何人かが鉢合わせて案内を兼ねて同行していたらしい。
普段なら叱るところだが、島の中じゃ倒しても捕縛しても半日でリセットなのでなし崩し的に不戦協定が敷かれており、何をしてようが咎めるつもりはない。
「自分は棚上げか?」
「私は全部視えてるから。……普段は、だけど!」
夜も自由行動を言いつけて電伝虫を切り、山頂の端まで移動する。緑の山の時も何度か登ったが、よく見ると山頂の中央が僅かに窪んでおり、これを強調すれば火山になるのだろう。見せたくないもの隠す為にせっせと土を被せたような感じだ。
「ホワイトは初め上空に出現するんだったな?」
「うん」
「今回あれは無視でいい。麦わら屋たちもそれぞれ確かめたいことがあるだろう。お前は手を出さずに観戦に徹しろ。視るのが仕事だ」
「えー」
「文句を言うな」
すげなく切り捨てたローはメルリオールを抱き抱え、いつでも飛び出せるように呼吸を整えた。
そうしてまた、夜が来る。
突如として世界が闇に呑まれ、島の中央が赤く光り始める。グツグツと煮えたぎるような音がするのは幻聴だろうか。
「退くぞ!」
グラリと地面が揺れた瞬間、叫んだローがメルリオールを連れて瞬間移動した。上空から火口を斜めに見下ろすところに飛んで、入れ違うように爆音が響く。
毎回、同じ流れだ。夜が来て、火山が正体を現し、噴煙の中から白い光が漏れ出す。
「ホワイトだ」
強烈に発光する白い人影が、緩慢に辺りを見渡す。初めて世界を知った赤子のようなぎこちない仕草だ。斬りかかりたくなるのを抑えて、自由落下する中その姿を視界に捉え続けた。
見れば見るほどムカつく姿だった。男か女かも分からないのっぺらぼうなのに、妙に癪に触る。
多分周りの人間がメルリオールに従わなかった時の癇癪と同質だろう、行く手を阻んでいるのは事実だし。
「巨大化するのはどのくらい経ってからだ」
「一撃いれてからかな。放っとくと数分かかる」
「ならこれでまず第二ステージか」
ローの言葉と同時、ビーチの方から強大な覇気が立ち上り、弾丸のように人影が飛んでくる。次いで、巨人のような拳が掲げられた。
麦わらの船長だ。ゴムの体と言っていたから風船のように膨らませたのだろう。ただ何故か「ごめんなー」とデカイ声で尾を引くように叫んでいた。なんだあれ。
ハンマーのようなそれが勢いよくホワイトに叩きつけられ、無防備な体がひしゃげるのがよく見えた。
左腕と胴体が折れ曲がり、中身にあたる白いぶよぶよが堰を切ったように溢れ出す。重力には従わず辺りに散らばって、自らの血溜まりに浸かるように抱き込まれていく。
普通の人間なら死んでいるような体のまま、ホワイトは変わらず首を左右に回して周囲を見ていた。
そして、ある位置で首の動きが止まる。輪郭しか分からないその人影と、目が合ったと直感した。辛うじてどちらを向いているか判断できる程度の輪郭なのに、ホワイトは確かにメルリオールを見ていた。その口が何のためにか開いていく。
「FUUU─────」
嗤っている。どうしてか、そう思った。
ぶわりと周囲をローの能力が包んで、直後昨日立っていた場所と同じ木の上に移動する。
「ぜってェ煽ってるよあれ」
「ホワイトがか?」
うん、と頷いて巨大化していくそれを見上げる。荒れ狂うような熱波が襲うが、対抗するように背後から銃弾や剣圧やらがホワイトに殺到していった。ローの言いつけによるとメルリオールはこれに参加してはいけないらしい。どういう取り決めなのか、カタクリも参戦していない。普段なら憂さ晴らしとばかりにボコボコにしていくのに。
代わりと言ってはなんだが、近付いてくる姿を視て振り向いた。
「よっと、今夜は大人しくしてんのか。メル」
「エース、お前こそ大人しいな」
「おれか?」
昨日の再現のように隣に降り立ったエースが、楽しそうに寄り掛かろうとくっついてきた。
「おれ、最近は別にあいつに突っかかってねェぞ。メルとカタクリのおっさんくらいだろ、毎度律儀に戦ってんの」
「はあ? やる気あんの?」
「やる気っていうか。ホワイトっていくら殴っても殴った感じしねーし、意味ないんだろ。カタクリのやつだってストレス発散で殴りにきてるみたいだし」
おれだって色々考えてんだぜ、と無邪気に笑う。
「それに、あんま殴りたくねェしな」
「……いつもホワイトの周りウロチョロしてんだろうが」
「だってメル、そうじゃねェと構ってくれねーじゃん」
「ガキーー!!」
頭を掻きむしって、ぴょんと枝から飛び降りた。
「あ、おい!」
「放っとけ、バツが悪いんだろ」
「うるさいぞロー!」
着地して、邪魔な二刀を腰から取ってその辺に放り捨てる。じきにここもマグマに呑まれるが、散発的な攻撃音が鳴り響いている以上、この夜ももう長くはない。
エースに言われなくたって気付いていたけども、全然知ってたけども、どうやらホワイトを倒してもこの異常は解決しないらしい。いやほんと、気付いてたけど。
「あんの野郎、じゃあ毎度殴りに来るんじゃねェよ、何が『お前はあれとでも戦っとけ』だよ嘘じゃんかァ!!」
支給品の銃二挺も地面に叩きつけて上着の内側に手を差し込んだ。
こんな安物ではなく、メルリオールが有する武器と言ったら一つだ。
左手で、高らかに掲げて、誰にでも分かるように宣言する。これは象徴で、警告で、メルリオールの正しさそのものだ。
「間違ってないよね、ロシナンテ」
そうだと力強く肯定してもらえる気がした。真っ白に装丁された銃を引き抜いて、狙いをつけるでもなく銃口を空に向ける。
引鉄を引く必要はなかった。メルリオールはまだ正すべき未来を視てはいない。
代わりにバチンと音が鳴る。メルリオールにしか聞こえない音。メルリオールにしか伝わらない感情。メルリオールにしか救えない未来。
それは視るための力だ。メルリオールの使命で現実を塗り替えるための力だ。なら視ればいい。それだけ。
ホワイトも、それと戦う海賊たちも、静観する海賊も、部下も、この島の草木の一つ一つ、小鳥の足跡に至るまで。
個人的な感情に引き摺られてホワイトばかりにかまけていたのは認めよう。近視眼的になっていた。本来現実なんてもうとっくに
誰にも視認出来ない白い雷が島全体を覆って。
自分が最後にマグマに呑まれたのか、はたまた誰かに避難させられたのか、メルリオールには認識出来なかった。