未来が視える元海兵が麦わらの一味について行く話   作:テロン

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お久しぶりです。

以前どこかの後書きに書いたボツ番外編※です。出来上がってるのが半分だけなので前後編で。後編はそのうち。

※↓これ
──────────
実は
・幼少期かなりの長髪だったリオの髪を顎下くらいまで切り落とした人がいる
・『メルリオール』の名は『リオ』と『すべてを救う』の『オール』からなっているんですが、ここに「おれにとってお前は海だ」と言って海(MER)を付け足した人がいる
・リオ/メルを神として扱って信者(意訳)を自称していた人がいる
ついでにこれがすべて同一人物だ、というおまけを書こうとして「これホラーじゃないか?」となってやめたヤツがあります。

多分どれだけ勘が鋭くてもこの人がこんな爆弾過去持ちながら本編中リオに平然と接していたとは思わないと思うので……。

──────────

区分としては『知らない方が良かった話』なのでお蔵入りしてたのですが、折角なので。






おまけ番外編
信仰者の訣別・前編


 

 

 

 

 神を信仰していたことがある。

 打算的に、されども敬虔に。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女と初めて会うことになったのは、向こうがまだ七つになったばかりの頃だった。

 

 

 同僚が養子をとったと聞いたのはその3年前まで遡る。クザンはボルサリーノが職務の話のついでに子供を一人引き取って育てることになったと言った時、「へえ、そう」とあまりにも淡白な返答をしたことを覚えている。

 

 

 正直、他に言いようもなかったのだ。当時、あまりにも海は荒れていた。

 海賊王の処刑に端を発する大海賊時代の到来により、偉大なる航路(グランドライン)にはかつてないほどに海賊が殺到し、その殆どが略奪を当然とした。クザンを始めとした海兵たちは寝る間も惜しんで海を駆けずり回っていたし、毎日のようにどこかの支部の海兵が殺されたという報告が届き、それ以上に民が死んでいた。

 親を失った子供などごまんと──それこそ、五万できかないほど溢れかえり、その中の誰か一人を引き取ったのだと言われても、「へえ、そう」としか言いようがなかったのだ。

 

 

 だが流石にそれだけでは味気ないと思い、クザンは続ける言葉を模索した。

 

 

 ──どこの子なの?

 説明されても「へえ、そう」で終わってしまう。

 ──どうしてその子にしたの?

 他に身寄りのない子は沢山いるのに、という続きが言わずとも伝わってしまって気が重い。 

 ──面倒見る時間あるの?

 無いに決まってる。こっちだって手伝う時間もないのに、これじゃあまりに非情すぎる。

 

 

 それで、当たり障りのない言葉を何とか捻り出したのだ。

 

 

「どう、可愛いの?」

 

 

 その時、クザンはてっきり男の子だと思っていた。特にこれといった根拠があった訳では無いが、何となく彼が面倒を見ている子供の姿が頭にあったからかもしれない。あんな感じで、いつか海軍に入隊しそうな有望な子なのかね、なんて考えていた。だから、小さい子供に対して庇護欲が湧くとか、跳ねっ返りでカワイイとか、そういう意味合いで可愛いの、と聞いたのだ。

 なのでクザンの言葉を聞いた直後のボルサリーノの胡乱げな表情には首を傾げるだけだったし、その答えの意味もよく分からなかった。

 

 

「さあねェ」

 

 

 それだけ言って、ボルサリーノはその後養子の話をしなかった。であればクザンも特に追及することなく、その場はこれだけで終わった。

 ボルサリーノの養子が当時齢4つの幼女であると知ったのは、それから優に3年の月日が経過し、目まぐるしい日々がすっかり日常となった頃だった。

 つまり、今この瞬間である。

 

 

 この頃になればたまの非番に街をぶらつくくらいの余裕は生まれていて、マリンフォード城下をブラブラ歩いていた時に出会したボルサリーノに声をかけられた。少し時間を取れるかという言葉に昼から飲みの誘いかと頷けど、そこから先に進まない。はて、と首を傾げたクザンがふと足元に視線を落とした時に初めて、私服姿の同僚が子連れだったことに気がついた。小さな少女が、小猿か何かのように隣の巨人──これは彼女からすればという意味で──の右脚にしがみついて、恐る恐るこちらを見上げている。

 隠し子か、と聞きかけて記憶の端に引っかかった「黄猿が養子をとった」という話を寸前で引き寄せることに成功した。

 

 

「ああ、養子にとったっていう」 

「ようやく外に出れるようになったもんでねェ。わっしがいない時もこの辺で遊んでると思うから、見かけたら頼むよォ」

「そりゃまァ。どーもお嬢さん。オジサンはクザンってんだ。お義父さんの同僚……って言って分かるのかね?」

「もう七つよ。それに、海兵とは暫く前から会ってるからねェ」

「へえ」

 

 

 薄い金髪を踵の辺りまで伸ばした、浮浪児と見間違うような子供だった。

 浮浪児のようと言ったのは、身なりの話でも体つきの話でもない。

 確かに今年で七つと紹介されるには小さめなような気はしたが食事はしっかりと取れているようだし、長すぎるとはいえ風呂に入ってキチンと櫛が通された金髪は年相応に柔らかそうに見える。顔立ちもハッキリしていて可愛らしいし、不快感を与えるような点も、哀れっぽく見える点もない。 

 その、目だ。

 ただその目だけが、戦場で遺留品を漁る孤児のように昏くギラついていた。 

 

 

 その理由を正面から聞いていいものか、クザンの視線を受けたボルサリーノは無言の問いに気付いているだろうに何も言わない。相当な訳ありであろう。先程彼が「ようやく外に出れるようになった」と言ったのもその関係か。

 養子の話をされた時に他に何か聞いただろうかと記憶を探り、最後に向けられた珍妙な視線を思い出す。

 

 

 なんのことはない、あの時ボルサリーノは養子が女の子だということを言い忘れて、クザンも聞き忘れていて、それでいきなり幼女に向かって「可愛いの」なんて聞いてきたクザンを警戒するような視線で見ていたのだ。それで、当の本人はこの通り可愛いくはあれど目つきが野犬のようで、素直にそうといえなかったのだろう。

 などとこの時は納得したが、そういう話でも無かったらしいと知るのはまた少し後の話だ。つまり、ボルサリーノは当時本当に「その子は可愛いのか」という問いに答えることが出来なかったのである。

 再度見下ろせば既に少女は顔を引っ込めており、がっちりと父親の足に巻き付いた腕しか見ることが叶わない。ボルサリーノも、彼女に対して挨拶をしろと言い出すことはなく、好きにさせているようだった。

 

  

 そういえば名前も聞いてないなとぼんやり思いながら、クザンは特にそれを問うことはしなかった。わざと言わなかったのかもしれないし、忘れているのかもしれない。どちらにせよ、この場でクザンがもう一度この少女の顔を見ることはないだろうから、知らなくても支障がなかったのだ。

 話を聞くに、彼女は今海軍入隊を目指してサカズキに稽古をつけてもらっているらしい。そりゃまた贅沢な、という気持ちと、ああそれっぽい、という気持ちが同時に湧いた。

 自分でつけてあげればいいのに、とは思わなかった。ただ、サカズキとの稽古が続けていけそうになったから、自分に会わせることにしたんだろうなと思っただけだ。 

 あの瞳のまま成長するのであれば、随分と苛烈な海兵になるだろう。であればクザンのような奴を紹介すべきじゃない。目指すべきでもない。

 必要なのは適度な現実と強靭な正義だ。

 

 

 それで3年もてば御の字。

 5年を超えたら長持ち。

 10年もったら本物だ。

 

  

 それから適当な世間話をして、話が切れた辺りでボルサリーノは「それじゃ」と軽く言って踵を返す。いきなり動いたもんだからしがみついてた子は大丈夫かと視線を落とせば、驚いた風もなくトテトテと先導するように走っていた。 

 結局あの子は口を開かなかったなとボンヤリ見送って、「嫌われちゃったかねェ」なんて首を振る。

 そんな訳であの少女とクザンの初対面は挨拶とすら呼べないものであり、クザンはその少女のことを当初よくいる海賊に恨みのある孤児か何かとラベリングしていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりゃあーー!!」

 

 

 なんて、可愛らしい声に度肝を抜かれたのはそれから数日後のことだった。本部に帰投しアレコレと雑務を片付け、気付けば日が昇りそのまま休日に突入。帰って寝ようと重たい体を引き摺っていたクザンは、近道としてよく使う込み入った路地に入った瞬間、わけも分からないま文字通りひっくり返った。

 

 

「は……?」

 

 

 ジクジクと痛む脛から一旦意識を逸らし、空って青いんだなァ、と快晴のマリンフォードの青空を見上げながら呟く。

 本当に意味がわからなかった。

 ここは海軍本部マリンフォードで、自宅へ向かう道の途中で、同じく非番の海兵やその家族たちが行き交う平和な街中で、それで。

 

 

「わたしのかち!」

 

 

 勝ち誇ったように胸を張る少女が仰向けになったクザンに馬乗りになっているのも、自然系能力者の自分が少女の飛び蹴りで脛を痛めているのも、その結果ひっくり返っているのも、それから最後、確実に待ち構えてタイミングを見計らっていたであろう少女の気配が、その工程のいずれのうちにも、なんなら不格好な飛び蹴りがクザンの視界に入っていた時ですら、全く感じ取れなかったことも。意味が、分からない。

 

 

「油断してるつもりはなかったんだけどねェ……。どうした嬢ちゃん、オジサンに何か用?」 

「だって、この間会った時にはここを通るって決まってたから」

「ん?」

 

 

 話が、噛み合っていないような。

 見上げた少女は、数日前と殆ど変わらない姿をしていた。考えてみればそりゃそうなのだが、受ける印象があまりにも違いすぎる。

 

 

「だから、オジサンも話さないと伝わらない人でしょ。でもわたしはそうじゃないから。はじめましてじゃないんだ」

「どういう……」

「オハラで二人、逃がしてたよね?」

 

 

 何か、別の生き物がそこにいるような気がした。

 

 

「な、ん……」

「結構よくあることだけど、ずーっと死んでた時に生きてると、覚えてる。助けてくれて、ありがとう」

 

 

 頬をうっすらと赤く染めて、視線はガクガクと不自然に揺れていて、けれどもありがとうと告げる言葉に万感の思いが込められていた。まさに、地獄絵図から救われた人間の言い方だ。オハラの件が起きた時、この子が既にマリンフォードに住んでいたことは確実で、決して、あの島で滅びていった民では無い。

 

  

 一度口を開いて閉じて、「嗚呼」と呻く。これだけで、分かってしまった。なぜ先日一言も言葉を発しなかったのか、何故こんなにも澱んだ瞳をしているのか、何故他人の話を──まるで自分が助けられたかのように陶酔しながら感謝するのか。

 分かってしまえる脳があることが疎ましかった。

 彼女はあの時、いやそのもっと前から、「ずーっと死んでた」のだ。3年前のオハラで。或いは、この海のいずれの場所でも。

 嗚呼、なんという化け物がこの世に生まれ落ちたのか。

 

 

「お前さん……」

 

 

 続きを言葉にすることが、どうしても出来なかった。その理由はクザンをクザンたらしめているものであり、良心と呼ぶべきものであった。

 だが、意味は無いのだ。 

 彼女は『話さないと伝わらない人』ではない。彼女の中では万の言葉を汲み取って、同じく万の言葉を返しているのだから、それが現実に起きたかどうかは関係ない。だからわざわざ口を開く必要はなかったのだし──今、クザンが「神か何かか」と突き放すような言葉を言いかけたことだって、彼女はクザンが思い至る前に聞いている。

 

 

 そうした力を持つ者のことを、クザンはよく知っていた。己もその一端を行使する身であり、長きに渡る修練の末に届いた領域だ。他人の心を読み取り、触れないはずのものの外殻を捉え、聞こえないはずのものを聞き、見えないはずのものを見る。相手が思考する生命であれば、その知覚を掌握してすり抜ける。

 そうして、最終的にその認識は現在を飛び越え未来に到達する。

 

 

 絶対的な強者の証。未来視に至る見聞色使い。その完成系として、齢七つの幼子が真昼の太陽を背景に君臨していた。影が落ちた体に思わず手を伸ばして、呻き声と共に顔を覆う。 

 指先から得体の知れないものが流れ込んでくる感覚があった。中身まではクザンには分からない。けれども、その感覚には覚えがある。これが、凡百の覇気使いと彼女との間にある隔たりだ。

 

 

「心、か?」

()()()()聞きたいの? そうだよ、心が伝わってくるんだ」 

 

 

 技術の粋を極めた覇気使いが、時に相手の心情や知覚を元に数秒先を垣間見るように。 

 未来視を、している。常に不規則に動く瞳が、いつのものともしれない未来を観測している。起こり得る未来を、もしかすると変わり得ない未来を、観察ではなく──実体験として、『よくあること』と笑ってしまうくらいには、経験している。

 それは最早、心情や知覚などという末端の感覚ではない。その本人に成り代わると言っても過言では無い程の、共鳴だ。

 見聞色使いの中でも特に感受性の高い者が声に振り回されるのはよく聞く話で、それとは段違いのものが雪崩込みながら、正気を保っている方が恐ろしい。

 

 

「あってるよ」

 

 

 だから、これは定義として、人間ではない。

 他人の感情だけで構成され、意思が欠落した、容れ物だ。

 そう、本人が肯定した。 

 

 

 七つまでは神のうち。では、それを過ぎても力を失うことがなかったら?

  

 

 なんてものを拾ってきたんだと顔を覆った手を外せずにいる間に、少女は戯れにクザンの喉仏の上に人差し指を置いた。流石に力は込められなかったが、ほとほと意味が分からない。

 

 

「オジサン、10年後が視えるの?」

 

 

 だが、理由はあるはずだ。雲が雨を呼ぶように、雨が雷を呼ぶように、一つしかないレールの上で必然を体現している。この子は、そういうものだから。

 唐突な問いかけをした少女に視線を向けて、クザンはゆっくりと呼吸をした。上下する喉に合わせて、生きた人間の体温が揺れる。 

 この体勢のまま答えろと仰せか。

 それとも、喋るなというつもりで喉を押さえているのか。

 どちらでも良いと切り捨てて、クザンは口を開いた。

 

 

「10年もてば本物ってやつ、怒ってるの?」 

「怒るってどういうやつ? やってみて」 

「オジサンがお嬢ちゃんに怒る理由がない」

「そう。ならわたしにもない」

「……つまんねェ人生だな」

 

 

 ポロリと零れたのは本音だ。普段のクザンなら思っても口にはしないような類の言葉。飲み込んだところで聞こえてしまうなら、直接的口にした方が余程誠実だった。

 他人の心を垂れ流すだけの容れ物に、果たして存在価値はあるのだろうか。

 

 

「変なこと言うね」

 

 

 少女は動じなかった。カリ、とクザンの首筋を引っ掻いて、お前が言ったんだろうと目線で語り掛ける。

 澱んだ瞳の奥から、触れた指先を通じて何かがゆっくりと流れ込んでいた。 

 

 

 ()生って、人間に使う言葉でしょ。

 

 

 言いたいことは言ったのか、それで少女の指は離れていった。海楼石の鎖から解放された時のようにスッキリとした気分だ。今更ながら夜勤明けであることを思い出し、これ以上無いと思っていた疲労感が最悪を突きぬけて襲いかかってくる。

 

 

 それから少女はクザンの腹の上で僅かに身を捩った 。転げ落ちやしないかと咄嗟に片手を添えるように差し出して、ぞわりとした感覚に「ヤダねーこりゃ」と泣き言を吐く。

 さっきから、触れたところから五感が侵食されているような感覚があった。問題なのは、そのこと自体に少女が気付いていなさそうなところだ。というより、気付きようもないのかもしれない。

 

 

「子犬が、しんじゃったね」

「んあ?」

 

 

 ポツリとこぼされた言葉は、すぐには続かなかった。辺りを見渡すように体を起こした少女が、覚束無い足取りで立ち上がる。

 

 

「どうした嬢ちゃん。子犬って……飼ってたかなんか?」

「ううん」

「あー、なら野良の奴とか?」

「違う」

 

 

 飼ってもないし、見たこともない。

 呟きながら路地をフラフラと進んで、民家の壁にぶつかりそうなところでしゃがみこむ。

 そこで、知らない島の、知らない人間の飼っていた子犬が、死んだらしかった。

 起き上がって少女が頭をぶつけないように肩を引いていたクザンは、その光景に息を呑む。

 

 

 破落戸が執拗に子犬を蹴り飛ばしていて、少女と同じくらいの年頃の少年が叫びながらその間に体を滑り込ませる。抱き抱えた小さな命はとうに冷たくなっていたが、それを理由に少年が骸を手放すことはないだろう。

 

 

 あってはならない光景だが、この世界でいくらでも繰り広げられている光景だった。大人が見かければ咎めるかもしれないが、これを救うために軍は動かない。

 それを見ながら、少女は薄く微笑んでいた。彼女の視界にはまさにその目の前に勇敢な少年がおり、驚いて手を離したクザンの目の前には居ない。

 伝播したのだろうと思った。

  

 

 これはもしや、この子は単なる媒介であって、本質は……つまり、その気になればこれを無秩序にばら撒く爆弾ではあるまいか。

 

 

「だったらどうする?」

 

 

 全く楽しそうではない表情で、声色だけが悪戯げに、少女はゆったりとその手をクザンに伸ばす。こちらの未来を勝手に覗き込もうとしているのだと直感した。

 そしていずれ、空洞のままこの海を塗り潰すのだろう。

 

 

 この時クザンが「いやいやまさか」と一笑に付した懸念が見事大当たりで、後年彼女は養父もびっくりなピカピカ爆弾を超遠距離から撃ち込みまくる傍迷惑な怪物に成長するのだが、そんなことを知る由もない当時のクザンはただ「これって目をつけられたんだろうか……」と遠い目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 などと思っていたのは最初ばかりで、それから少女からの接触はなかった。クザンの方ばかり気になって普段より街をうろつくことが増える有様だ。これじゃボルサリーノの軽蔑も冗談じゃないぞと思い始めたあたりの頃。

 

 

「はい、お釣り」

「棚から落ちてくるよ」 

「気をつけて帰んなよ。お師匠さんによろしく」

「そういやァ、センゴクさんに貰ったおはぎを食べるの忘れて1ヶ月経っちまった! リオ、まだイけると思うか?」

「本部の3階にはトイレがない」

 

 

 凸凹な二人組が市場で買い物をしている所を遠目に見かけ、「相変わらずで」と苦笑する。クザンが街中で目にする彼女は専らこのような有様だった。

 まあ物の見事に会話が成立していない。それでも少女は危なげなくお使いをこなし、店員は慣れた風にそれを見送り、ついでに隣の青年も頓珍漢なことを口にしている。少女が不審がられないのはこの青年の影響が大きいのだろうとクザンは睨んでいた。

 そう、青年だ。

 特殊な事情があり過ぎる少女は、よくよく見てみればなんと普通の青年の友人がおり、殆ど会話が成り立っていないまでも一応日常生活は送れているようなのだ。

 

 

 軽く声をかけながら近寄って、「クザン中将!?」「やや、どーも偶然」「お買い物ですか?」「醤油がきれててね」なんてとりとめない雑談を交わし、そろそろいいかなと視線を落とす。

 初対面の時を思わせるような必死さで、少女は青年、ロシナンテの片足にしがみついていた。

 理由は判然としないが、あれ以降基本的にクザンに対する彼女の態度はずっとこれだ。あの時のことが嘘のように、身近な人間の後ろに隠れて顔も出しやしない。 

 

 

「一回だけちゃんと話してくれたことはあったんだけどねェ」

「襲いかかったと聞きましたけど……」

「そうそう、あんな感じの路地裏でいきなり襲ってきてね。言いたいこと言ってスタコラ帰ってったのよ」

 

 

 薄暗い物陰を指差しながら、クザンはその一度だけの邂逅を思い返す。

 始終こちらを振り回すような態度だった少女は、クザンがあれこれと考えを巡らせている間にシレッと帰って行ったのだ。いくらマリンフォードといえど子供が一人で彷徨くのは、と思ってその後をいそいそと追ったものの、追跡は完全にバレていたし、かといってこちらを一度も振り返ることなくそのまま真っ直ぐ自宅と思しきボルサリーノの家に入ったので、クザンは狐につままれたような心地で帰宅することになったというのがあの日の顛末だ。

 振り返ってみれば、クザンは蹴り倒されて喉元掴まれた上に放置されたわけである。

 

 

 おや、これはもしや本当に嫌われてるんじゃなかろうか。

 

 

「そ、そんなことはねェと思い、ますけど……」

 

 

 目下彼女の一番の友人であるセンゴク元帥の養い子も、断言は出来ないようだった。素直でよろしい。

 街中で見かける時は大抵この友人が隣にいる。恐らく、一人の時は会わないように避けられてるのだろうと思う。クザン相手にそれが出来るのは天晴れだが、そこまでされる理由についてはとんと知れない。

 もう一度腕だけ見えているのを見下ろして、なんだかなあと首を振った。

 別段嫌われてようが好かれてようが、それは構わないのだ。その性質からしてクザンが近くにいることに気付かないはずは無いが、同時に目の前にいるこちらのことは見えていない可能性も高い。何を口にしたところで聞こうと思えば聞けるし、他に気を取られていたらどんな大声を出しても聞こえやしない。

 

 

 究極、対人関係そのものについてを彼女は一切必要としておらず、この青年に懐いていること自体がエラーだろう。海兵志望ねェ、とその原因の大部分を担っているだろう青年を上から下まで見回して溜息を落とす。

 あまりにも出来すぎているというか……。あまりにも美しい志望動機だと思ったからだ。

 

 

 さて、と頭を捻っているうちに目の前の青年は何を勘違いしたか少女を振り返って「な? 別に嫌いじゃないよな?」なんて直接的に問いかけていた。それで嫌いと返された時はどうするつもりなのだろう。

 問われた少女の方は、少しだけ間を空けてからようやく顔をこちらに覗かせた。これまた、どういうつもりかは分からない。

 だがその顔を見てクザンは、そうかとここでようやく全てに納得することになる。つまり、最後の1ピース。可愛いのかと聞いたクザンに曖昧な返事を返したボルサリーノの真意を。

 

 

「お嬢ちゃんはさァ……。教祖とかやったら稼げそうだよね」

「またそれ?」 

 

 

 ようやく口を開いた彼女が本当にそう言ったのかは、よく分からなかった。言いたいことだけを直接脳にぶち込まれた可能性があったからだ。現に、既に視覚は勝手に弄り倒されている。

 

 

 そこに居たのは、無精髭を生やした中年のゴロツキだった。明らかに体格がおかしいことを承知の上で、クザンは少女の頭のずっと上、もしそこに成人男性が立っていたらそのくらいの位置に顔が来るだろうところを凝視する。居ない、そんなやつはここにはいない。だが、目の前にいる。

 次に、ソバカスの浮いた少女が立っていた。純朴そうな顔立ちが、大口を開けていることにより酷く歪んでいる。歓喜のためか、悲鳴のためか、それすら分からなかった。

 次に立っていたのは、最早人間ではなかった。巨人だろうと思う。最早どこを見たらいいのかも分からず、すね毛を眺めながら立ち尽くす。

 

  

 これは多分無意識だ。今後一生、彼女が己の所業を自覚する時は来ないだろう。

 彼女はただ、「自分に触れると良くないことが起きるらしい」とだけしか認識しておらず、ただ意識を向けただけで他者の知覚を己の感覚で塗りつぶしていることを知らない。認識出来ない。

 なぜなら、目の前の人間が同時に様々な顔をしていることは、彼女にとっては生まれついての常識だからだ。

 人付き合いには大いに支障が出るだろう。それこそ本当の顔がどんなだったか、今のクザンが少し自信を無くしてるくらいに。

 

 

「オジサン、足臭そうだから近寄らないの」

「コ、コラリオ! いきなり何言ってんだ!」

「おいおい適当言うんじゃないよォ。シャワー浴びてくるからちょっと待ってな」

「冗談だよ。オジサンの真似」

 

 

 合ってた? なんて澄まし顔でこちらを見上げる顔は漸く少女の顔をしていた。どうやらこの子供はクザンを手本に『適当な冗談』を学んだつもりらしい。三十路相手に些かパンチが効きすぎているが。

  

 

「だからだよ」 

 

 

 こちらの思考に対して返事を寄越して、相変わらずギラついた瞳の子供はこの世の果てでも覗いているかのように陶然と佇んでいる。

 

 

「オジサン、私に関わって傷付く覚悟がないの」

 

 

 だから口を開かないし、顔も見せないのだ。

 試しに自分がどういうものかを見せてみて、その結論に『人ではない』を持ってきたクザンを観察して、これはダメだと思ったから。

 全く、傲慢な話だ。 

 

 

「逆だろ、お嬢ちゃん。お前さんに、おれと関わって傷付ける覚悟がないんだ」

「へ?」

 

 

 そこで初めて、クザンはよいせと膝を折った。小さな少女とピッタリ視線を合わせて、驚いたように身を引いた所を片手で捕まえる。

 小さい体だ。クザンがその気になれば頭を潰すことも、半世紀以上氷漬けにすることだって簡単なくらい。

 人間が意図を持って他人に関わるということは、少なからず相手を変容させるということだ。その結果取り返しのつかない変化を生むことだってあるだろう。誰かの平穏を奪い取るかもしれないし、ただの木っ端で終わるはずだった人間が悪逆を成すかもしれないし、死ぬべきでない人間が死に至るかもしれない。

 そういう覚悟もなしに、他人に触れてはならない。

 

 

 けれども。

 失うばかりが人生ではないし、善行ばかりが人間ではないし、未来に怯える心を宥めるために人は他人を求めるものだ。

 だから、悪いと思いながらもクザンは手を差し伸べた。こうやって膝を折る人間が、この先の彼女には必要だ。

 

 

「あのね」 

 

 

 だが、少女はその手を取らなかった。動揺をすぐに押し隠し、息を詰めてクザンを見つめている。

 

 

「あのね、わたしはいつか『すべてを救う』から。だから、それは要らないよ」

 

 

 幼子にかけるような柔らかい言葉や心は必要ない。

 むしろ、彼女の方が幼子に語りかけるような口調だった。だがその目付きだけは、世界を手に入れると豪語する海賊のように悪辣だ。

 言うに事欠いてすべてを救うときた。曖昧で、荒唐無稽で、海兵相手に口にすべきでは無い言葉だ。この軍服を纏う誰もが、一人でも多くの人間を救いたいと願ってここにいる。それでも現実は無情に横たわるもので、いつか必ず理想を捨てて折り合いをつけなければならない。その折り合いというやつがどういうものか、既に少女は骨身に染みているはずだ。

 

 

 だってこの子は、飼い犬を殺された少年の悲哀に寄り添うと同時に、笑いながら子犬を蹴り殺した悪党に共鳴して笑っていた。どちらをも救うなんてどだい無理な話で、出来るとすれば悪党の前に誰とも関係の無い子犬を差し出す悪行だけだ。そしてその子犬は、この少女の姿をしている。

 

  

 目的の為に手段を選ばない高潔さと無情さは確かにこの歳でサカズキの弟子だったし、ひと匙覗かせる善良さは養父や隣の青年から受けてきたものだろう。

 こうなると知っていたし、こうであるべきだと思っていたから、クザンは取られなかった手を銃口のように突きつける。

 

 

「ならお前さんは今すぐその手を離すべきだ」

「中将」

 

 

 窘めるようにロシナンテが口を挟んだが、止める気はなかった。彼のズボンの裾を掴んだままの手に、「立場が逆だろう」と畳み掛ける。

 

 

「この手を拒むんならお前さんは孤高でないとならないし、誰よりも多く苦しまないとならない。その上で、何も感じてないような態度で傲慢に、ありもしない理想を語らなきゃならん。お嬢ちゃんにそれが出来るか?」

「……出来るよ」

「そう、それだ。出来もしないことを出来ると言え。己の所業で何が傷付くかなんて考えずに、轢き潰すつもりで前進しろ。そうやって一番先頭に出て、そんで一番先に死ぬんだ」

 

 

 軽く肯定して、苦虫を噛み潰したような表情の青年に構わず乾いた唇を舐めた。

 上手く、転がされているような気分だ。

 

 

 ──誰に?

 

 

 多分、それ以上口を挟まない心優しい青年に、状況が整ってからクザンに引き合わせた同僚に、もしくは正義という概念を仕込んだであろう気の合わない同僚に、それから、目の前の小さな神様と、これを生んだ運命とやらに。

 

 

「すべてを救う正義、ねェ……。とんでもなくバカバカしくて、それじゃあ何も掲げてないのと同じだ。だが、悪くはない。オジサン、最近まで『燃え上がる正義』を掲げてたんだけど、ちょうど新しい看板に悩んでたところでね。お前さんが本当にそのまま生きていくなら、おれも追従しよう」

 

 

 だから、これで正しい。周りの人間が須くこの子を人間として扱うのであれば、クザンくらいはその異常性に付き合ってやらねばなるまい。

  

 

「分かるかい。手前の夢はこうやって叶えていくんだ。嬢ちゃんが嬢ちゃんである限り、これ以外の道はない」

 

 

 幼子を神に仕立てて、その前に膝をついて人間性を捨てろと強要する。とんだ悪党の仕業で、だが誰かはやらねばならないことだった。

 言った通り、彼女が本当にこのまま生きていくのであれば。

 

  

 この子供を犠牲にして、確かに多くの人間は救われるだろうから。

 

 

「そんで? おれのカミサマ、お名前は?」

 

 

 一度聞いた問いを繰り返せば、少女はポカンとした表情で隣の青年の顔を見上げ、それからクザンに視線を戻した。

 

 

「オジサン、私の友達になるの?」

「あー、無いね、それは無い」

「……そう。ならいいよ。私はリオ。いつか、すべてを救うんだ。だから、オジサンの企みに乗ってあげる」

 

 

 企み、などと評しながらもリオは手を差し出した。触れた途端に乱れ始める五感に薄笑いしながら、クザンはその手に額を擦り付けるべきかと思案する。

 つまり、この小さな神さまの信徒の一人として。

 

 

 

 

 

 この時から数えて17年。クザンは神を信仰していた。

 打算的に、されども敬虔に。

 

 

 

 

 

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