未来が視える元海兵が麦わらの一味について行く話   作:テロン

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信仰者の訣別・後編

 

 

 

 

 

 

 

 その日は朝から、雨が降り続いていた。

 

 

 

「クザン」

 

 

 湿気った煙草に火をつけようと何度かライターを操って失敗して、それでも諦めずにカチカチと火花を散らす。

 カチカチカチカチと、掻き消えそうな音が草むらに落ちていく。

 なんでもない場所だった。人がその前に立っていなければ、誰も地面が小さく盛り上がっていることに気付かないだろう。掘ったって、その下には何も無い。

 少女が白いコートの裾を泥にまみれさせていなければ、それが人工物ということにも気付かれず、明日にはこの雨に流れて消えるだろう。

 そのくらいの感傷しか持てなかったのか、それとも自分に許せなかったのか、もしくは背後に佇むクザンがそうと望んだからそうしているのか、それなりの付き合いを重ねたクザンにも分からなかった。

 もしかすると、本人にも分からないのかもしれない。

 

 

 正解にほど近い所にいたであろう青年の訃報が入って、半日後のことだった。

 

 

 放っておけばいつまでもそうしているだろうと思ったから、クザンは大人しく知り合いを呼びに行った。この猛烈な雨の中、ずぶ濡れになった煙草に火をつける為だけに呼ばれた男は、島一つマグマの海に変える力を随分と器用に使って、多少短くなりつつも何とか煙を上げ始めた煙草を置いて帰って行った。

 火が消えるのは、一瞬だった。当たり前の話だ。傘も差していないのだから。クザンも、差し出さなかった。

 

 

 膝より長い金髪を揺らした少女は、消えた直後の煙草を素早くポケットに突っ込んで振り向いた。濁った瞳が力強くこちらを捉えて、薄く微笑んだ口元がクザンをたじろがせる。

 

 

 随分と綺麗に笑うようになった。他人の目を見ながら会話が出来るし、視線もあまりぐらつかない。他人の言葉を先読みして遮ることも減ったし、言動と表情を一致させることも覚えた。触れるだけで伝播していた力も、抑え込まれて随分経つ。

 それは今日死んだ彼女の友人や、家族らが作り上げてきたものだ。一つ難癖をつけるとするなら、あまりにも子供らしくないという点か。

 この人でなしは、あの日のクザンの言葉とは裏腹に、人間として育っていた。

 

  

 だがそれも、今日までだろう。 

 

 

「今後、二度と……。その白を汚してくれるな。取り零したものの墓前で立ち止まるな」

「うん。他でもない君が、そうあれと望むなら」 

 

 

 この日をもって、少女は幼年の揺籃を脱する。ここから先は、クザンが見据えていたものだ。

 寄りかかる柱を無くして、クザンの信仰を理解し、むしろ自分からそのようにあろうとするだろう。命も人間性も、唯一つの思想の為に費やす無私の奉仕者。いつかすべてを救う絶対者。

 もう一度口を開くまでの間に、あらゆるものがその顔から抜け落ちていった。 

 

 

「クザン、髪切って」

 

 

 強請るような口調で、何よりも強力な命令だった。バチリと空中を黒い雷が裂いている。

 覇王色の覇気。それを今この時、クザンの前で初めて覗かせた。彼女が覇道を見せつける相手は、まずクザンでないとならないからだ。

 

 

「仰せのままに」

 

  

 クザンの小さなカミサマは、13になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 であるからして、と目の前で繰り広げられていた退屈な議論が終息に向かうのを感じ取って、クザンは頬杖を着いていた身を起こした。凝った体を解すように肩を回し、同じ卓を囲んでいる同僚たちをそっと見渡す。

 クザンと同じ海軍中将が7名、少将が3名、大将全員と元帥までもが雁首揃えて一人の少女について議論をしていた。

 年齢、階級、所属、任務の振り分け、その全てにデカデカと特例の文字を引っ提げて、来年の春リオは海軍に入隊する。 

 

 

「対象はサカズキ中将預りとし、世界政府への叛意が見られた場合可及的速やかに処分することとする。異論がある者は挙手を」 

 

 

 誰も、使い潰すのだという態度を崩さなかった。

 一切の挙手無く決議された少女の待遇は、期限付きのものだ。 

 

 

 3年もてば御の字。

 5年を超えたら長持ち。

 10年もったら本物。 

 

 

 最初にクザンが彼女に下した評価だ。海軍上層部全員が、同じ結論を下している。

 遠からず、あの力に呑まれて壊れるだろう。それまでは使えるだけ使い倒して、壊れたらそこからは単純だ。どこまで人間として使い物になるかは分からないが、あの覇気の練度であれば誰かの下で戦闘員として運用すれば良い。どうせ元々視野が狭く一方向しか目指せない人間だ、良い具合に壊れれば命令を疑わず忠実な兵になるだろう。

 

  

 そうやって利便性を海軍に売り込んだのは、養父であるボルサリーノその人だった。試す価値はあると元帥が承認し、けれどもその施策が正式に採択されることになったのは、少女が「マリージョアについては不自然なほど見えない」と語ったからだ。クザンには知らされていない範囲で複数の手段を用いてその証言の裏取りが成されたらしい。真実と確かめられた時点で従軍が認められたと言える。

 逆に言えば、マリージョアまで及ぶと答えた時点でリオの首は飛んでいただろう。事実がどうなのか、クザンは知らないし興味もない。

 ともあれリオの異例の入隊が本決まりになった会議の後、その顛末までをとっくに知っていた彼女は平然としていた。

 

 

「想定通りだよ。お父さん……ボルサリーノ中将は私の『海兵になりたい』という要望に正しく応えてくれた。どう考えたって断った方が楽だからね」

「ああ。あとはリオちゃんが折れなきゃいい。うちの執務室に飾ってある『すべて救う正義』の額縁、さっさともぎ取ってってよ」

「逆でしょ、クザンが献上するの」

「はは、違いねェや。リオちゃんのお望み通り、えっちらこっちら運ばせてもらいますよ」

 

 

 クザンの手によって短く断ち切られたプラチナブロンドは、泡を食った養父によって一旦美容院に突っ込まれた後、人工物を思わせるような目に痛い黄色に染まっている。色については明らかにボルサリーノを意識したものだが、その長さについてはクザンの為だった。

 あくまで彼女を神として扱い、その正義に忠実に従うと豪語するクザンに、向き合わざるを得ないからだ。幼少期から一度も鋏を入れたことのない髪を握りナイフで雑に切り落とす間、自分も中々倒錯しちまったものだと自嘲すら出来なかった。切られたそれがクザンの自宅に眠っているので。

 道具として寄越したナイフを、覇気を込めてはいないとはいえクザンの身体に刺して渡した辺り、リオの方もあまり良くない成長をしている。

 

 

 だとしても、これが最善だ。

 そう信じているからクザンはふた回りも年下の少女の前に膝を折り、甲斐甲斐しくその要求に従い、好き勝手に理想を押付けバカバカしい正義を立てるように動いている。 

  

 

「そんで? 今日はなんでまたおれに会いに来た訳?」

 

 

 会いに来たのは自分の方なのに、クザンはそんなことを聞いた。会う会わないを決める選択権が、クザンの方にはないからだ。会いたくなければ身を隠し、そうでなければいつもの修行場所にいればいい。最近は空に一筋黒い稲妻を走らせるという贅沢な方法で呼び付けることを覚えていた。まずもって可視化された覇王色の覇気が日常で飛び交うという事態が異常なのだが、言ってもしょうがない。

 目下、リオは昔と変わらずクザンとの接触ペースは抑えているようではあった。呼び出す時も、買い物に付き合えだとか、修行の成果を見ろだとか、特に用はなく駄弁るだけだったりと、大したことは無い。

 リオとクザンが多少足を踏み外した関係であると知らない者からすれば年の離れた友人関係に見えるだろうし、それも一つの事実なのかもしれない。だとしても、お互いに望まれた立場は理解していた。

 

 

「私一人の話じゃないから、待ってたんだ」

「神様の話?」

「そう、ありがたーく聞けよ」

 

 

 おや、と思った。基本的にリオはクザンに神扱いされることを疎んでいるからだ。とはいえ腹は決まったのか、なんて考えていれば、彼女は「名前、変えようと思って」と続けた。

 

 

「名前?」

「そう。だから考えるの手伝ってよ」

 

 

 そうか、と頷いてクザンは「ならちっと場所を変えようか」と辺りを見渡した。6年前の、つまりリオと出会った当初の自分であれば彼女のやることなすことに疑問を呈していただろうが、もうすっかりそんなことは辞めてしまった。

 クザンはこの子の人間性に一切の注意を払わないが、逆にそうであるが故にその行動原理については誰よりも深く理解をしていたからだ。発する言葉、視線を向ける先、立ち止まる場所全てに理由があって、その意味を噛み砕いて追従するのが信徒というものだろう。

 

 

「場所は任せるよ」

「なら海上のサイクリングなんていかが?」

「勿論、クザンが漕ぐんだよね?」

「そりゃあねェ」

 

 

 ニシシと笑う少女が一体どういうつもりでそんな表情をとるのか、それはクザンには分からないのだ。

 

 

 

 

 

 

 ギコギコとチェーンの錆び付いた自転車を漕ぐ音だけが静かな海面に響いていた。謀ったような快晴に、常になく落ち着いた波。

 リオを後ろに乗せたクザンは暫く無言で適当な道を引いていて、リオは時折ポツポツと未来の話をしていた。彼女が正式に入隊する来春まで、その言葉を受けて動くのはクザンの仕事だ。通常業務とは別に行われるその巡回は、『燃え上がる正義』を掲げていた頃よりハードだった。とにかく凄惨な戦場だけを渡り歩くことになるからだ。

  

 

「それで? 候補はリオちゃんの方で見繕ってるんでしょ?」

「何が?」

「何がって、名前よ名前。どんなのにするの?」

「何言ってんの、君が考えるんだよ、クザン」

 

 

 はあ、と気の抜けた声を漏らしたクザンに、リオは直球で黒雷を轟かせた。なんという娘だ。それから、「例えばさあ」と背中を伸ばす。

 

 

「クザンが楽しいって思う時はいつだと思う?」

 

 

 いきなり話が飛んだが、リオの中では繋がっている話なのだろう。理由を問うことなく思案する。

 他人のことを聞くような口振りではなかったので、クザンは言葉にならない思考のうちで素早く天秤を揺らした。

 つまり、ここでだんまりを貫いて少女に全指摘される可能性を残すか、言っても構わないだろうものだけピックアップして話を流すか。後者を取る事にして、多少言葉を選び「今リオちゃんと話してる時とか、楽しいよ」と当たり障りなくやり過ごそうとする。

 こくりと頷いたリオは、クザンの逡巡に構うことなく「仲のいい人と一緒の時は楽しそうだよね」と言い換えた。

 

 

「あとは胸とかおしりの大きい女の人と話してる時とか」

「リオちゃんあのね、オジサンそれを年下の女の子に言われたくなかったんだ」

「それから、軍服に腕を通す時も」

 

 

 開きっぱなしの口を意識してカクンと閉じる。朝の支度を終えた時、仮眠中に緊急の呼び出しをかけられた時、初めて制服を支給された時。

 そして多分、深夜に引き攣った顔の少女に蹴り起こされて軍艦に駆け込む時も。

 

 

「リオちゃんから見ると、そうなるのねェ……」

 

 

 己は楽しんでいたのだろう。少なくとも、リオからすれば。

 喜、怒、哀、楽。彼女はこの単位でしか人間の感情を分類しないから、細々とした機微は全て『楽』に吸収されてるとしても。クザンはこの毎日を、楽しんでいたのだ。

 

 

「うん。だからだよ」

 

 

 なんとなくこの話の終点が見えてきて、クザンは暫く口を噤むことにしてペダルを踏む足を緩める。周期的に響いていた耳障りな金属音の頻度が下がり、すっかり話が終わったと勘違いしていたリオがその変化に当てられて続きを口にした。

 

  

「多分、クザンも知ってると思うんだけどさあ……。人を殺すのって、楽しいんだ」

 

 

 海面に一直線に引かれた氷の道を、暫く眺めていた。

 クザンには、この6年間で誰よりもリオの視界に近いものを見てきた自覚がある。この道のように真っ直ぐに、彼女が予言する世界中の惨劇を渡り歩いてきた。そうした寄り添い方を、していた。

 

 

 だから、彼女の言葉は正しい。

 例えば友人と余暇を過ごしたり、異性と駆け引きをしたり、そうしたことに楽しさを覚える人間がいる一方で、笑いながら人を殺める人間がいる。

 リオにとっては、そのどれもが等価値の『楽』だ。

 楽しんでいる人間から楽しみを取り上げることは、果たして『救う』と呼べるのか? 

 かと言って放置して、人が死んでいくのを見捨てることは、『救う』と呼べるのか?

 

 

 リオはこの矛盾に答えを出さなければならない。  

 

 

「クザンの中には、その答えがあるだろ?」

「買い被るねェ。正解なんかありやしないよ」

「うん。別にそれはどっちでもいい。けどね、私は君から貰うもので正義になろうと思うから」 

 

 

 それは多分、彼女なりの「ありがとう」だった。

 この子がこの子でいる限り、誰かを特別扱いすることは無い。出来ないのだ。だからクザンとリオが友人になるなんて以ての外で、有り得るとするならば損得や恩義の関係で繋がった相手か、それでなければこのように、クザンから一方的に捧げられる信仰でしかない。彼女から返されるものは、すべての人間に平等に注ぐべきものだ。そうした理想論で己を縛って、その通り狂信して生きていくしかない。

 それでもクザンの行動の意義を認めて、それが自分の為であると理解して、言語化出来ない好意の証として名前を差し出してきた。

 

 

 クザンは己の行いが正しいとは全く思っていない。

 だが、間違っているとも思わない。

 

 

 その内側に初めて触れた時のことを思い返す。

 他人の感情だけで構成され、意思が欠落した、容れ物。無作為にこの世界のすべてを覗き見る、理外の怪物。

 畏れたのは確かだ。それは少女の在り方にでも、行いでも、まして能力に対してでもない。知覚することの難しい、だが確かに知っている感覚。

 

 

「海……。MER(メル)、かな」

 

 

 人が根源的に抱く海への恐怖と、同じだと思った。

 そうして、船乗りたちが海へ向ける憧れと同じだと思った。

 なんて恐ろしい。魅入られた奴はみんな飲み込まれて、陸を忘れてしまう。 

 

  

「おれは……リオちゃんのことを、海そのものだと思ってる。海兵だとか海賊だとか、そういうものの前に、お前さんはこの海だ」

 

 

 人間性を投げ捨てた空洞に、この海で生まれるあらゆる悲劇と喜劇が詰め込まれている。この海の圧縮体がリオという少女で、これから稼働していく『すべてを救う』化け物(カミサマ)の正体だ。

 

 

 確かに多くを救うだろう。それ以上に多くを奪うだろう。海とは、そういうものだ。

 

 

「メル。メルかァ……。じゃあ、それで行こう」

「あ、ホントに?」

「うん。でもそれだけだと短いから、威厳的にもう少しつけておくか。メルと、リオと、あとはすべて(ALL)でメルリオール、とか」

「あー、スペルは違うでしょ。リオのOとオールのAじゃ」

「そっか。じゃあやめるか」

「……いや」

 

 

 首を振って、クザンはそれでいいと指摘を取り下げた。

 きっと彼女は『自分以外のすべて』の意味合いで『すべて』を掲げるのだろうが。

 彼女こそがそのすべてであると、呼ばれるたびに、名乗るたびに、刻みつけばいい。

 

 

「でも、スペルはどっちにするか考えときなよ。いつかリオ……メルちゃんが、賞金首にでもなった時に困るから」

「はあ? これから海兵になろうって奴がなんで手配されるんだよ」

「ありそうでしょ。命令なんか聞くつもりない癖に」

「事実でも言っていいこととダメなことがだねー」

 

 

 軽く笑い飛ばす声に同調してから、クザンは囁くように声を潜めた。

 

 

「メル。海の子。お前はお前が海兵をやってないと救われない人がいるから海兵になるんだ。そんで、いつかお前が海兵だと救われない奴の為にここを去るだろう」

 

 

 聞こえていて無視をしたのか、未来に気を取られていて聞き逃したのかクザンには分からないが、この場でその返答がされることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、時は緩やかに流れていった。入隊前の一年メルは粛々と時を過ごし、直前になって意図の読めない表情で北の海行きを望んだ。

 彼女の友人、ロシナンテが死んだ島だ。

 クザンは勿論の事同行しなかったが、帰ってきた途端に呼び出され、そこでこのお遊びの終焉を垣間見た。

 

 

「メルちゃん……。それは、ダメだな。いつか絶対に、後悔する」

 

 

 あの日捨てたはずのものが、戻ってきていた。メルリオールとして柔らかい部分を捨て去ると誓ったはずの少女が、リオの顔を覗かせている。

 これは、ダメだ。その歪なままで生きていくと決めてしまった。

 喜、怒、哀、楽、どこにも含まれない愛情というものを信じて、理解できないくせにそのために生きていこうとしている。死を悲しむ奴も、楽しみながら殺す奴も、そのすべてを愛して、際限なく注いで、本当に『すべて』を追いかけてしまう。

 そういう生身の部分はいつか耐えきれずに腐り落ち、無機質な心さえも侵蝕して果てるだろう。

 

 

「大丈夫だよ、クザン」

「んなわけあるか、誰と会った。二度と会うなよ。必要なら、おれがそいつを殺してくる。そういう意味で、ダメだと言ってるんだ」

「心配してくれてありがとう」

「心配じゃねェ! それじゃあお前が死ぬって言ってんだ、メル!」

「変なこと言うね」

 

 

 死ぬって、生きてる奴に使う言葉でしょ。

 

 

「メル……」

 

 

 その瞳はどこまでも空洞で、この海を示すように混沌としていて、矢張り彼女の心では受け止めきれない澱みに満ちている。クザンが神と称した本質をそのままに、人間の皮を被って、薄く微笑んでいた。

 これが、メルリオールとしての理想なのだろう。

 だから、化け物としての本質を尊重したクザンを突き離さなかったし、人として接した人間も拒まなかった。

 いっそ美しいほどすべてを受け取って、誰もが望まなかった方向に開花してしまった。どっちつかずで、救われない。

 

 

「ボルサリーノがおれに期待したのはガス抜きとしての役割だ。気ィ抜いて、ちっとは自分を受け入れろってな。メルちゃんにとっては、『人間でいる』ことの方がよっぽど難しいし残酷なことだ。だからおれはそのまんまで良いって言ってんだよ。人間にゃ『すべて』は救えねェ。出来ないことなんざ分かってんだろ。こっちはどれだけ信者ごっこ続けたって構わねェんだ、お前が本当にすべてを救うバケモンであれるならな」

「綺麗な嘘を吐くね」

 

 

 クザンがどれだけ言葉を重ねても、何も響かないのだろうと思えた。

 

 

「君が望んだ通りだろ。君だって、私という人間を尊重した一人だ。すべてに平等で、情もなく、救うための装置であれと願いながらも、私の善性を認めてる」

 

 

 ふう、と息を吐いて、メルリオールは片手に持ったままだった純白のコートをバサリと広げた。まだ何も書かれていないその背中に、正義の二文字を空目する。

 

 

「私は海兵メルリオールだ。いずれすべてを救う為、命だろうが人間性だろうが、そんなものは捧げてやる。私が生まれ生きていることに、君が神と称した力が私にあることに、君たちのような優しい人たちが私に心を砕いてくれたことに、意味があるとしたらこれくらいだから」

 

 

 そう言ってこちらを見上げる瞳には、出会ってからこれまで、一点の輝きすら生まれることはなかった。

 

 

「……おれの行いは無意味だったか?」

 

 

 果たしてこれは、クザンの一人相撲だったのだろうか。

 最初からこの神様は、誰の助けも必要としていなかったのだろうか。

 

 

「いいや」

 

 

 首を振った少女は、未来を見据えたまま力強く宣言した。

 

 

「君は必要だった」

 

 

 底無しに、底抜けに、クザンへと善意を向けながら、過去形で。

 どこまでも、視点が違う。

 

 

「……そう。なら、信じるよ、メルちゃんのこと」 

 

 

 七つまでは神のうち。

 

 

 であればこの子は、この時ようやく生まれたのだろう。

 

 

 そうして、これより11年。

 クザンの『信仰』が途絶えることはなかった。

 

 

 その正義が一度灰になった時も。

 クザンと肩を並べて、己の人でなしの部分が行う未来視の『信徒』を自称するようになっても。

 その結果、彼女がクザンとの関係を『友人』などと薄っぺらい言葉で表すようになっても。 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 11年後。

 メルリオール、24歳。

 1年の休職を経て復帰。道中海賊船への同乗、大戦争の予知を行う。

 

 

 そして、その戦場の最中海軍に敵対。しかしながら海兵側に擦り傷一つ付けずに、規定通り大将サカズキの手によって処分された。

 心臓部分を抉られたことを複数の将校が確認しているが、戦後の混乱によって死体は確認出来ず。

 ビブルカードを保持していた複数の海兵は揃って「戦争前に盗まれていた」と証言した為事実確認が急がれる。

 

 

 と、大戦争直後の混乱の最中そう結論が下されてから幾許も経たず。

 憑き物が取れたような表情をした彼女は、あろうことかマリンフォード沿岸部にその姿を見せた。16点鐘が鳴り響く中、誰かを探すように再建中のマリンフォードをずっと見渡していたという。

 

 

 この結末を、果たしてどれだけの海兵が予期していただろうか。

 確実に分かるのは、一般兵に比べ上層部の動揺は少なかったことと、その両目に白い包帯が巻かれていたこと。

 

 

 それから、クザンの信仰が終わりを告げたこと。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

「よう、メルちゃん。いくら(メル)って名付けたからって海と同化しなくてもいいんじゃない?」

「溺れてんだよなァ〜!」

 

 

 波間にひょこひょこと揺れるプラチナブロンドを見つけられたのは、奇跡に近かった。ビブルカードを頼りにしたといっても、相手がまさか大海原で絶賛遭難中だとは思うまい。尤もこの子は昔から軍艦を大破させては新世界の海を泳いで渡っていたのだが。なんだか懐かしい気持ちになって引き上げてやろうと手を伸ばすも、リオはクザンが海上に作った氷の道に自力でよじ登ってきた。頂上決戦の傷は、もうすっかり癒えたらしい。

 

 

 手持ち無沙汰になった片手を引っ込める間に、クザンの中ではある程度の整理がつけられたように思う。

 

 

「船は?」

「手漕ぎボートだったんだけど、どっか行っちゃった。鷹の目ってあいつ頭おかしいんじゃないの」

「今更かい」

「うるさいなあ、いいから近くの島まで連れてっ……………………。いや、そうか。忘れて。自分で泳いでいく」

 

 

 言いかけた言葉を途中で遮って、リオは不格好な笑みを浮かべた。終わったものだと頭では分かっていても口を衝くくらいには、染み付いた関係値があったのだ。

 

  

 顔はこちらに向いているが、きっと目が合うことは無いのだろう。誰かを思わせるようなサングラスと、両耳を覆うイヤーマフ。視覚と聴覚、未来視に深く関わる感覚のどちらもを手放した彼女は、けれどもそうと悟られない程度の振る舞いが出来る。これこそが、彼女が有する拭い去れない怪物性の発露だ。

 

 

「色々言いたいことあるんだけどさ、なんでビブルカード持ったままなの」

「お互い様でしょ」

「捕まえに来たとは思わない?」

「どっちかと言うと殺しに来た、だね。世界政府としちゃ、軍籍じゃない私は最優先で殺すべき対象だ。所詮私は10年もたなかった偽物。入隊の時そういう話だったでしょ。世界政府に反する未来視は要らない、裏切ったら殺すって」

「あれは建前だろ」

「それでも殺すのが世界政府だ」

 

 

 間違っては無いが、もしクザンがそのつもりだったなら、どれだけ探そうと彼女を見つけることは出来なかったのだろうと思った。会う会わないの選択権は、常に彼女にある。

 溜息混じりの息を吐いて、クザンは「様子見れたし、帰るわ」と首を振った。そのまま軽薄に見えるようにヘラりと笑って、マントを絞っていたリオを蹴り落とす。そのマントだって、クザンの知らないものだった。

 

 

「急に何すんだよ」

「悪い悪い、ちびっこくて見えなかった」

「いいけどさァ……」

 

 

 良かないだろ、と咄嗟に訂正させようとして、そうじゃないと思い直す。もう、それはおしまいなのだ。

 

 

 クザンが信じたカミサマは、もう何処にもいない。初めからそんなもの、なかったのだから。あくまで打算的に、理想像を押し付けた。違うと知っていて、ただの少女に何年も怪物をやらせた。本質が、本性が、その在り方が化け物だったとして、彼女が成してきたことは決して人でなしの所業ではなかったのに。彼女がクザンの望んだ通りに生きることは、ついぞなかったのである。

 

 

「あ、ねえクザン。別に、これは聞いてくれなくてもいい頼みなんだけどさ」

 

 

 背を向けたクザンに、ついでとばかりにかけられたのは、「取ってきて欲しいものがある」という遠慮がちな声だ。

 

  

「ドフラミンゴの資料?」

「う。そう、それ」

「どうしよっかなァ、もうメルちゃんっておれのカミサマじゃないし」

「でも、友達でしょ。だから頼んでるんだけど」 

 

 

 友達。薄っぺらい言葉だな、と思った。 

 それから、やっぱり殺しにくれば良かったと心底後悔した。この17年を、クザンが向けてきたものを、そんな言葉で片付けないでくれとも思った。

 

 

 だとして、クザンはこの子を殺せないだろうし、行き先が深海一万メートルの海の底だろうと届けに行くのだろう。

 

 

『オジサン、私の友達になるの?』

 

 

 かつてのその言葉に、クザンはなんと答えただろう。

 

 

『……そう。ならいいよ。私はリオ。いつか、すべてを救うんだ。だから、オジサンの企みに乗ってあげる』

 

 

 口から出ていった言葉とも、頭で考えていた言葉とも違うところで、ひょっとしたらクザンは最初から伝えていたのかもしれない。

 

 

「そうね。オジサン、君のこと好きだからさ」

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 それからまた、2年経った。

 

 

 見せ付けるように白いマントを揺らした女が、粛々と頭を垂れていた。初めて見る仕草だ。誰にも恭順せず、ただ己の怪物性にだけ隷属していた子供が、役割を終えた男に礼を尽くしている。

 その口元は、数多の感情を堪えきれずに酷く歪んでいた。

 これも、初めて見る現象だ。

 

 

 吹雪と灼熱が交錯する島、パンクハザード。

  

 

 大事件を乗り越えた海賊と海兵が共に開いた宴を背景に、かつてクザンのカミサマだった友人は礼を終えてゆっくりと体を起こした。

 

 

 同僚の足にしがみついて離れなかった少女の姿を思い出した。結局一度も、彼女はクザンの足にしがみつくことは無かった。

 子犬の死に泣きそうな顔で笑っていた子供を思い出した。彼女は一度も、クザンに涙を見せることはなかった。

 

  

 そうした未来を自分から手放したのはクザンの方だ。

 

 

「ビブルカード、返しておく。クザンも」

「ああ」

 

 

 白い紙片と交換に、クザンはその指先に触れた。そこから伝わるものなどとうにありはしないが、交わらない視線の代わりにはなった。

 

 

 ずっと、クザンの正面に立っていた。こちらの助けなど必要とせずに、けれど拒むこともせずに、正面から向き合ってきた。背中に庇われてはくれなかったが、そのおかげでクザンしか知らない表情があった。

 

 

 今度こそ、おしまいなのだと悟った。明確に敵対する立場の養父たちにはそのまま持たせているのに、どうしてクザンからは取り上げるのか。

 思っても問わないくらいには、クザンはメルを信じていた。

 飲み込まれたら、おしまいなのだ。

 

 

「頑張んなさいな」

「うん。クザンも」

 

 

 今度はメルちゃんから会いに来てよ。なんて軽口に返事はなかった。クザンが実際には口にしなかったからだけではなくて、今の彼女には二十年来の友人の頼み事よりも優先すべきことがあったからだ。

 

 

 戻ってきた自分のビブルカードを目の前に翳せば、指先越しに一人の男と目が合った。見られていることに気付いて、挨拶でもするようにかくんと首が動く。どういう意図かは察せられるが、クザンはそっと目を逸らした。

 

 

 12年前、北の海で『メルリオール』をぐちゃぐちゃにした相手だった。彼のせいでメルリオールは不完全な人間になってしまった。歪なまま突っ走れてしまった。

 どれだけ無様で不格好で、無惨だったか。この男の為に今からリオは死地に向かうのかと思ったら、やっぱり面白くはない。自分でその手伝いをしておいて、笑える話だ。 

 

 

 だからダメだって言ったんだ。大事なものなんか作るから、人間の部分を切捨てらんないから、お前は苦しむんだ。

 

 

 口の中で吐いた恨み節に、離れたところで揺れる白いマントが止まった。ほんの少し足を止めて、肩越しに一瞬だけ振り返る。

 その瞳はクザンを見なかった。当たり前だ、視界を塞ぐサングラスをつけて、何も見る気がないのだから。

 

 

 それでもクザンはリオの瞳を見ることが出来たから、その一瞬に意味はあった。昔からそうだ。発する言葉、視線を向ける先、立ち止まる場所全てに理由があって、その意味を噛み砕いて追従するのが、クザンだった。

 

 

「ほんと、酷い子だ。こっちの心は読めてるくせに、いつまでも何も伝わらない」

 

 

 人の心なんかちっとも分かっちゃいない癖に、精一杯何かを返そうとしてくれていることは分かるから、それがいじらしくて何も言えなくなるのだ。

 

 

 今ここでビブルカードを返さなかったら、クザンはドレスローザまで着いて行っただろうか。因果は彼女を万国に引き寄せるだろうから、近くにいれば会えると思っていなかっただろうか。彼女だったらこうするだろうと考えて、己の進退を決めてないだろうか。

 会う会わないの選択権はリオにあって、クザンからその権利を取り上げる力も彼女にあって。

 

 

『君は必要だった』 

 

 

 過去形かあ、と思いながら寒空を見上げた。

 多分今この時、過去になったんだろう。そういう瞬間が来ることを知っていた。

 クザンだって、いつか彼女が自分の両足で、背中を向けて歩いていく日が来ることを知っていた。

 

  

「ああ……そう。メルちゃん、人間になるんだ」

 

 

 なら確かに、クザンはお役御免だ。

 独りごちて、白く濁る息を吐いた。

 

 

 きっとこの子は最後まで、クザンがその未来視の力に付き従ったのだと思っている。未来を手放したから、この信仰が終わりを迎えたのだと思っている。だからこの友情も、ここまでだ。

 

 

 失恋したような気分だった。別に、好きってそういうことじゃないが、他に表現方法も分からない。そもそも、どういう好きだったんだろうか。友愛、家族愛、敬愛、どれも違う。友情という単語を薄っぺらいと貶す癖に、代わりの言葉は思いつかない。

 

 

 信じていたのだ。いつか、彼女がすべてを救うと。その『すべて』に、自分が入っていると。

 信じていたのだ。いつか、クザンが望む通りに、救われてはくれないかと。そんなガキみたいな、クザンの願いを叶えてくれることを。

 

 

「…………。あのさー」

 

 

 おいたをした子供を叱るような声色だった。いつもだったら、諭すのはクザンの側だ。

 昔から変わらない黒いブーツが、ミシリと音を立てて背中を預けていた外壁に突き刺さる。誰の仕業か、考えるまでもない。引き返してきた彼女は、腕を組みながら呆れ果てたようにクザンを見下ろしていた。

 

 

「折角可愛いスカート履いてんのに、そりゃあないぜメルちゃん」 

「うるさいな。あのね、君が今何処で何してるのとか、何をしようとしてるのかとか、知らないし聞くつもりもないけどさ」

 

 

 そこで言葉を切って、リオは右手を上向きにして差し出した。何度か見た事のある仕草だ。かつてはその掌の上で、黒い稲妻が弾けていた。今はその代わりに、白い雷鳴が走っている。

 どちらも、本質は同じだ。子供じみた意志の象徴。昔から何一つ変わらない、一人の人間の生き様。

 

  

「メル……」

「君だってメルリオール(すべてを救う正義)なんだから、それらしく生きててよね」

 

 

 力強い瞳が、確かにクザンを見据えていた。

 海の匂いがした。あの日、海だと称した少女が、真っ直ぐにクザンを指差している。

 クザンにとって、この子は海だった。理由もなく焦がれて、畏れて、魅入られて、思い通りにならなくて、それでも知らなかった頃には戻れない。この中で生きていくしかない。

 

  

「……オジサン、そうだったの?」

「今更? だって私が入隊するまでその看板背負ってたの君でしょ。私に献上してから、あの執務室の額縁ずっと空っぽじゃん。私がどういうことしてきたか一番知ってるのも君。手を出したからには責任が生まれるって言ったのも君。その道を選んだなら歩ききらないといけない。信じるってそういうことだ。違う?」

 

 

 少なくともリオはそのつもりだった。終わらせようとしているのはあちらの癖に、そんなことを言う。

 そうだ、この子は正義を背負う徒に対してはひたすらに厳しかった。一度己の正義を掲げたなら、それが例え他人の借り物だったとしても、最後まで体現しなければならない。彼女だって、借り物の正義を後生大事に抱えてきた人間の一人だった。

 

 

 そしてクザンも、この海を構成する一人だ。発する言葉、視線を向ける先、立ち止まる場所全てに理由があって、それらは全部、『すべてを救う』ことに繋がっている。クザンから見れば、その『すべて』には、ちゃんとこの子が入っていた。その一点でリオとクザンの背負う正義は異なるもので、だからこそもう、信じてやる必要も、見守ってやる必要もないのだろう。

 そういう意味で、今度こそ本当におしまいなのだ。

 

 

「そーね。ならおれたちはもう少し、『メルリオール』を好きにならなきゃねェ」

「……適当言うなよ、大好きな癖に」

「嫌いだよ。でもそれがおれたちなんだったら、そうも言ってられない。お前さんは精々、おれを見て自己愛でも学ぶといい」

「なにそれ」

 

 

 軽く笑い飛ばして、リオは一歩後ろに退いた。

 好きだとか嫌いだとか、そういう感情を彼女が理解する日だって、きっと遠からず訪れるのだろう。今はこの空洞に反射しているだけの言葉も、いずれ噛み砕いて、血肉になる日が来る。

 

 

「楽しかったぜ、メル」 

「知ってる。……君はさ、私が化け物じゃなかったら友達(信者)にはなってくれなかっただろ」

「そうそう。人間のメルちゃんには用無し」

「……言ってることと考えてることが違うんだよなァ、昔っから。ま、ちょっと頑張ってみるよ。君が捨てろって言ってた人間の部分でさ」

「ああ。だからまあ、いつか偶然がおれたちを引き合せることがあったら、また初めましてからはじめよう」

 

 

 そうして、今度は普通に友人になれるだろうか。リオは頷くことなく、「どうだろ。海は広いからなァ」とそんな気はないとばかりに笑った。

 

 

「ふざけんな、おれの人生滅茶苦茶にしやがって」

「残念、私に未来を変える力はないからそれは元から君の人生ですー。それに、君だけは私にそれ言う資格ないと思うけど」

「残念ながら、おれにはまず未来を視る力からねェな」

 

 

 何がどこまで決まっていて、どこから先に意志があるのかなど知る由もないが、案外未来は普通に変わることをクザンは知っていた。少なくとも今のクザンは、リオと出会わなければ進まなかっただろう道を歩いているから。

 

 

「おれ明日面接なんだよ」

「はー? なんの? いや言わなくていいけど、もしかして会社員やってんの? 世界の損失じゃん」

「んなわけねェだろ。ちょっと世界を変える仕事だよ」

「そんな過激派みたい……な……。え? あ、え? まって、だから明日ってこと? エー、紹介状書いてもらった方が良いんじゃないの。というか私らの再集結待ってたんならこの2年なにして……あーちょっと待って、いくら警告って意味でもさあ、前半の海でしか活動してない奴相手に懸賞金高すぎと思ってたんだけどさあ」

「おれァなーんも知らねェな」

「身に覚えのない罪状嫌すぎる〜!」

「お前さんがいつもここでやってたことだろうが。お詫びにいつでも髪、切ってやるからさ」

「何言ってんのヘタクソ。……ったく、髪が伸びる頃まで生きてたらね」

 

 

 ──()生って、人間に使う言葉でしょ。

 ──死ぬって、生きてる奴に使う言葉でしょ。

 

 

 ほら、こういう風に、未来なんていくらでも変わっていくものだ。

 

 

「ああ。お互い、生きてたらな」

 

 

 

 

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